ゆっくりですが再開します

長くパソコンに向かう事が出来ませんでした。

この間にアクセスして頂いた方々には本当の申し訳ありません。

書きたい事は山ほどあるのですが・・・忘れないか、賞味期限切れの古い内容にならないかと気になってなりませんでした。

一日にパソコンに向かえる時間は限られていますので、ゆっくりですが再開して行きます。

2018.09.06 | コメント(4) | その他

ロングステイの終わり方

忙しかったり少し体調を崩したので更新間隔がだいぶ空いてしまいました。この間にアクセスされた方々には大変申し訳なく思っています。

また、一人気ままなタイでのロングステイ中とは異なり家族と一緒の時間を大切にしているので、PCに向かう時間が限られているので今後もご勘弁ください。今の楽しみは家族とたまに行く外食でしょうか。

20180801 Yokohama 1

いずれにしても中途半端にブログを突然止める事はありません。

20180801 Yokohama 2

私は横浜に家があるのですが、7月に入ってから一カ月以上ずっとバンコクより暑く思う日々が続いています。小さな庭でガーデニングも楽しむようになりましたが、暑さでとても日中は庭作業が出来ません。

20180801 Yokohama 3

さて、タイでのロングステイを終えて日本に戻り7週間が経ちました。日本での生活も落ち着いて来たので、ここらでロングステイを終えるにあたっての経験をまとめたいと思います。

なお、ロングステイをされている方の人数分だけ異なった生活や環境があるはずですので、人それぞれの終わり方かと思います。また、個人的な事情に関してはハッキリ書く事もしないですし、詮索もご勘弁ください。

タイでのロングステイの終わり方

私自身は海外在住歴が28年超と長く色々な国で多くの経験をしたので、ネットでよく書かれているだろう『移住』なんて一度も考えた事がありませんでした。最初から一年程度の『ロングステイ』のつもりで結果的には3年半タイに滞在しました。

20180801 BKK 2

そんな考えだったのでスーツケース一つでタイに着いて、ネットにも他人にも頼らず一人でアパートやビザなど生活環境を整えて行きました。それらの詳しい事はこのブログに全て書いていますが、色々な障害を楽しみながら乗り越えた気がします。一言で現わせばタイはそれらのハードルがかなり低い国だと思っています。

さて、そんなロングステイを終えるタイミングを考え始めたのは昨年後半の事です。自信の体調や日本の家族の事など考え、そろそろ日本へ戻る頃かも・・・と家内と話し始めていました。

1、帰国日を決める

私はリタイアメント・ビザの4年目更新期限直前を一応の帰国日にしました。その上で帰国フライトを考え始めたのが帰国3か月前です。

2、部屋のオーナーへの通知

このブログではアパートと書いていますが、実際はコンドミニアムで部屋のオーナーへの通知です。事前通知時期に関して入居時に取り交わした簡単な契約書には記載がなかったのですが、アメリカで苦い経験もあったのでオーナーには簡単に電話で「6月20日前後に出るけど、フライト次第でまだ日にちは決まっていない」と伝えたのが3か月前です。その反応から事前通知に関してはあまり厳しい考え方はないように思えました。

20180801 BKK 3

3、入居時のデポジット

デポジット(日本で言う敷金で保証金的なもので退去時に戻ります)は2ヵ月分の扱いですが、上記のオーナーへの通告時に最後の1カ月の家賃はこのデポジットから支払い、退去時は1カ月とさせて頂きました。

それは全て生活費の中で家賃だけ銀行口座からネット送金をしていたので、家賃の振り込みが無くなるといつでも銀行口座を閉じられるからです。

4、銀行口座の解約

タイではリタイアメント・ビザで必要事項の口座残高専用にバンコク銀行、そして日々の生活にカシコン銀行を利用していました。バンコク銀行は帰国を決めた直後に解約。カシコン銀行は帰国フライトを予約購入した直後に解約しました。

両行とも開設した所へパスポートと通帳と銀行カードを持って行き、10分程度の手続きですぐに解約しました。

5、電気製品や家具類の始末

入居後に自分で買った電気製品の中で持ち運べ、状態が良くて箱もあったIHクッキングヒーター、炊飯器、掃除機、変圧器、モニターなどはリサイクルショップへ持ち込みました。

20171201 Room

リサイクルショップは近くに全くあてが無かったので、日本人が多く住むスクムビット地区プラカノンの「トーキョー ジョー」へ電話した上で持ち込みました。アパートからタクシーに荷物を詰め込み店前まで160バーツ。全部で2500バーツで引き取って頂きました。

電気ケトル、トースター、電気スタンドなどの電気製品そしてリラックスチェアに大きなミラー、額に靴箱など収納家具は、持ち運ぶのに苦労するし使いこなしたのでアパートに置いて来ました。

スーツケース一つで帰るので、使いこなした靴や服は捨てて、皿など自分が買った食器に調理器具は全て置いて来ました。`

20180103 Cook 1

結果的には・・・入居時より格段に部屋を綺麗に保ち、電気製品や食器類、そして家具類も置いて行く事になったので、オーナーはかなり喜んだ事でしょう(笑)

6、公共料金など

公共料金としては電気代と水道代のみで、私はスマホもなく中古のガラケーをプリペイドで毎月最低料金(20バーツ)だけチャージしていただけです。他に部屋にモデム/ルーターを置いてインターネット接続業者(3BB)と契約していました。

インターネット接続は帰国を決めてすぐ解約し、その後はアパート内のWiFiを利用していました。ガラケーは最後はチャージせずに受信専用となり、帰国当日にSIMカードを外して空港で捨てました(笑)

電気代はずっと直接(電気公社?)へ、水道代はマンション管理事務所へ支払っていましたが、最後の月は退去日前日に管理人代理人が部屋に来て電気代と水道代を日割り計算して支払いました。実際はデポジットから引いて残りの金額をキャッシャで頂きました。

7、出来なかった事

(1)BTSとMRTのICカードの返却
確か購入時にデポジットが50バーツ程度あったと記憶しているのですが、結局帰国を決めてからBTSもMRTも乗る機会が無くて、チャージを含めてそのまま日本へ持ち帰りました。

(2)日本大使館への帰国届
当然、在留届をしていたので何らかの連絡をすべきかと思いながらも帰国してしまいました。帰国後にメールで連絡し、ご丁寧にメール返信でご確認連絡までいただきました。

20180801 BKK 1

思い出して・・・帰国を決めてからしたのはこれぐらいだと思うのですが、5カ国7カ所28年以上の海外在住生活の中では最も簡単だったように思えます。

いずれにしても始めるにも終わるにもタイ(バンコク周辺)が最も海外在住のハードルが低いと思います。タイ語や英語に限らず外国語を話せる話せないではなく、外国語への強い抵抗感さえなければ(海外に住みたい気持ちが強い方なら)一人でどなたにもスタートできる国です。

もっともどの国でも外国語に苦手意識の強い方は、初めから海外在住を目指すべきではありませんが・・・

日本での生活の始め方

私自身は13年以上日本での籍を抜いていました(海外転出)ので、帰国に関しての公的手続きを数日かけて済ませました。個々の事情で異なるかと思いますし個人情報絡みになるので詳細まで書けませんが、私の場合(横浜市在)は以下のような手続きです。

1、転入届:役所戸籍課

私の場合は本籍地への自身のみの転入なので、海外転入が国内の場合と特別何かが異なると思えません。ただしパスポートで帰国印(スタンプ)を確認されますので、自動化ゲートを使った場合はその時に係員にスタンプをお願いする必要があります。また、法的には帰国日から14日以内の届け出なのでそれも気を付けて下さい。

20180621 Japan 1

私自身は自動化ゲートで帰国印がないパスポートだったので、搭乗券・荷札などを用意し入国日が分かるようにしました。詳しくは「ロングステイを終えて帰国しました」で書いています。

ちなみに転出届はアメリカへの転出で、転入届はタイ王国からでしたが、まったく戸籍上は関係ありませんでした。

また、私のようにマイナンバー制度スタート時に海外在住だった人は、マイナンバー自体を持っていません。それで転入届を行った事で約一カ月後に届きましたが、特別な手続きが必要なわけではありません。

2、国民健康保険:役所保険年金課

私の海外在の間で日本企業を早期定年退職してアメリカで就職した時から、家内を所帯主として国民健康保険に(私を除いて)家族が入っていました。それで私も転入届を行った日に国民健康保険に入る手続きを行いました。

20180801 Yokohama 4

確か手続き当日に国民健康保険証を頂いたと思います。おかげで帰国直後から病院通いが始まりました(苦笑)

3、年金関係

これは人それぞれだと思います。私は公的年金の手続きで年金機構の横浜事務所に行き、(日本の)企業年金を管理している所に電話で手続きを済ませました。


最後に・・・私自身はリタイアした時点で長くアメリカ在住でしたし、日本企業とは何年も縁が切れていました。その後タイでロングステイを始めたのも終えたのも、特に厄介で面倒な手続きがあったとは思えません。日本へ帰国し転入したのも全くストレスなく終えました。

もっとも・・・ストレスを感じるのは30年近く海外に住んだ自分が、いかに日本で生活する事に慣れるかが問題なのかも知れません。

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2018.08.07 | コメント(11) | タイ生活

タイのクメール遺跡を巡る④ ピーマイ遺跡

現チャックリー王朝(1782年 - 現在)からトンブリー王朝(1767年 - 1782年)、そしてアユタヤ王朝(1351年 - 1767年)にスコータイ王朝(1240年頃 - 1438年)へと、チャオプラヤーからピン川へと流れを遡ると共に歴史に思いを馳せる旅をずっと続けています。

現在まで以下のようなタイの王朝に関連したシリーズがあります。

「アユタヤへの道、アユタヤの歩き方(仮称・エントリー予定)」
スコータイ王朝要塞都市カンペーンペット(アップ中で最新エントリー)
チャオプラヤー元流を歩く(アップ中で現時点最新エントリー)
トンブリー王朝の面影を探し 全27回
チャックリー王朝首都防衛城壁を歩く 全8回
チャックリー王朝首都防衛要塞を行く 全5回

そんな旅の中で13世紀以前になると、現在のカンボジアを中心に栄えたクメール王朝の影響をタイ各地で強く感じていました。画像下はムアンタム遺跡です。

20180602 Muang Tam

クメール遺跡はカンボジアのアンコールワットが有名で昔に苦労して行った事がありますが、タイの各地にも点在しています。特にカンボジア国境に近いイーサンと呼ばれるタイ東北部に多く、大きな寺院だけでなく森林や田畑に埋もれるような遺跡も入れたら、おそらく何百もあると思います。

その中で今回はタイにあるクメール遺跡の中ではベーシックな所を巡りました。いつも「ガイドブックやネットに書かれているような所は避ける」と言いながらも、バンコク周辺を離れたら・・・情けないです(汗)

20180721 Phimai 1

本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

第1回「タイのクメール遺跡を巡る① 序章
第2回「タイのクメール遺跡を巡る② バンコク~コラート
第3回「タイのクメール遺跡を巡る③ コラート~ピーマイ

さて、前回はコラートから「ピーマイ遺跡(プラサート・ピーマイ) Prasat Phimai」がある「ピーマイ歴史公園 Phimai Histrical Park」まで路線バスで移動して来ました。バスを降りた時計台から徒歩2~3分で歴史公園入口で、時刻は午後3時を過ぎたばかりです。

20180721 Phimai 2

外国人入場料100バーツを支払って中へ入ります。現地の説明板や頂いた資料には記載がありませんでしたが、南南東を正面に(南北の軸から)少し傾いた(私的推測で)200m×300mの長方形をしています。

20180721 Phimai 3

この方向いた軸を真っすぐ南南東に伸ばすと・・・多少ズレがありますが、アンコールワットがあるカンボジア・シェムリアップに繋がるように思えます。寺院はそこに向けられて建てられた事は想像に容易い事です。

20180721 Map

この後に行くパノムルン遺跡も上の地図のようにこのライン上にありますねぇ~ 意図したものなのか分かりませんが、きっと何らかの意味を持つのでしょう。まぁ、こうした事は旅の後でブログを書くのに地図など整理して気が付いた事ですが・・・

20180721 Phimai 6

20180721 Phimai 4

規模はアンコールワットと比べようもありませんが、その基本的な構造は同じように思えます。他のクメール遺跡と比べての事ですが、タイでは最もアンコールワットに似ているのではないかと思いました。

20180721 Phimai 5

20180721 Phimai 7

現地説明板によると遺跡の大部分が11世紀~12世紀にかけて建てられたそうです。日本だと平安時代から鎌倉時代へと変わる頃で、「いいくにつくろう鎌倉幕府」と覚えた1192年にはピーマイ遺跡の完成形が見られたのではないでしょうか。

20180629 Phimai 1

20180629 Phimai 2

また、アンコールワットが着工したのが12世紀前半で完成が12世紀末と言われていますので、ピーマイで寺院を設計し建てた人々が完成を前にアンコールワットへ移り、そこであの巨大寺院を建てた説にも頷けます。

20180721 Phimai 8

そんな事を思いながら遺跡の中を歩きました。そしてさらに思ったのは「なぜ今までここに来なかったのか」と言う事です。もっと早く何度も来られたはずですが、バンコクからだと遠いような不便なような気がしたし、行っても(すでにアンコールワットを見ているのだから)大した事はないだろう・・・そう思っていたのです。

20180721 Phimai 10

20180721 Phimai 11

この時もバンコクの北バスターミナルを朝8時15分発で出発し、途中コラートでホテルに寄ってから地方路線バスで午後3時着でしたので、そのままコラートの第2バスターミナルで素直に乗り換えれば午後2時着は十分に可能だったはず。地方路線バスはピーマイで降りたらすぐに歴史公園ですから、午後4時か5時まで遺跡を見てもバンコク北バスターミナルには午後10時か11時には帰れるでしょう。

20180721 Phimai 12

20180721 Phimai 13

コラートでの乗り換えは同じバスターミナル内、ピーマイ現地での移動も徒歩数分と簡単で迷いようが無いので、ちょっと朝早く起きて夜遅くの帰りならバンコクからの日帰りで十分に楽しめる所だったのですねぇ~ それも全て快適にバスの公共交通機関利用だけです。

20180721 Phimai 14

そんな風に初めて行った地で今まで来なかった事を後悔するぐらい見応えがありました。少しでも遺跡やタイの歴史に興味があれば行くべき地でしょう。そしてアンコールワットにすでに行ったか行く予定の人にとっても興味深いはずです。

20180721 Phimai 15

有名観光地なので遺跡内を事細かく書くのは本ブログでは避ける事にしますが、1時間半ほどゆっくり中を見て、ずいぶん以前に行ったアンコールワットを思い出しながら十分に楽しみました。

20180721 Phimai 9

次回はコラートに戻り、少しコラート市内を歩きます。

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2018.07.29 | コメント(2) | タイ・トラベル

バンコクからソンテウで行くパタヤ⑥ノンモン市場~シラチャ

バンコク都心部からソンテウだけを乗り継いでパタヤまで行く・・・ソンテウを乗り継ぐ途中の町が主役の「ソンテウで行くパタヤ」シリーズの第6回目です。

前回の第5回目はちょっと寄り道してノンモン市場からバンセンビーチに行きました。そこは首都圏に住むタイの人々にとって、ビーチに行くとなったら誰もが真っ先に考える所です。

20180627 Bangsen 10

まずはこのシリーズでの今までのエントリーと、スタートしてからのソンテウ記録です。
  第1回「都心~パークナム
  第2回「パークナム~チョンブリー
  第3回「チョンブリー行き方戻り方
  第4回「チョンブリー~ノンモン市場
  第5回「 ノンモン市場とバンセンビーチ

オンヌット~シーコンスクエア  1013番系統4番 8バーツ  50分
シーコンスクエア~パークナム  1096番系統    8バーツ 80分
パークナム~クローンダン     1140番系統   25バーツ 80分
クローンダン~チョンブリー    343番系統   25バーツ 70分
チョンブリー~ノンモン市場   6088番系統   15バーツ 60分
ノンモン市場~バンセンビーチ  6088番系統(往復)20バーツ 50分

20180426 Map4

「ノンモン市場 Nong Mon Market」にバンセンビーチから戻り、スクムビット通りを歩道橋渡ったすぐ下の所で待機しているソンテウに乗ります。

20180627 Nongmon 4

シラチャ行のソンテウはオレンジ色で1631番系統ですが「1631ด」とタイ文字が付くコーカイ路線のようで、「シラチャศรีราชา」「ノンモン หนองมน 」とあります。

20180718 Map 2

出発待ちしている歩道橋下のソンテウの奥には広場があって多くのソンテウが待機していました。これではあまり待つことなく出発しそうです。乗り込んで待つ事数分でスクムビット通りを南下して行きました。

20180718 Songthew 1

20180718 Songthew 2

ソンテウは快調にスクムビット通りを走っています。左手に国鉄の線路が見え始めた頃、右手は時々海が遠くに見えて来ました。海岸線を走りながらもいつの間にか高度を上げたようです。

20180718 Map 1

ステップ立ち乗りで40分ちょっと、ほとんど知らない地を走ったのでシラチャまであっという間でした。警察署に役所など公的機関の前を走りましたが、日本語表記がある事から日本との関係の強さを感じました。

20180718 Songthew 3

ソンテウはシラチャの中心部に入りスクムビット通りを離れ海に向かいます。中心部で降りようかと思いながらも、終点までのルートを知りたく乗り続けました。

20180718 Map 4

ソンテウは海に近い市場と時計台を通り、「Queen Savang Vadhana 記念病院」前が終点でした。全区間の所要時間が47分で15バーツでした。この後、ソンテウは病院内でUターンして復路へと入ります。

20180718 Songthew 4

海を見たくてソンテウで来た道をしばらく歩きました。海とスクムビット通りの間に広がる中心部は歩くのにちょうど良い広さで、初めての地ですが迷いようもありません。時計台手前の公園前で偶然、ナクルア行きのソンテウを見つけました。

20180718 Siracha 1

白地に青のラインが入ったソンテウで1631番、「シラチャศรีราชา」「ナクルアนาเกลือ」とあります。ナクルアはパタヤのすぐ北側なので、そこまで行けばパタヤへのソンテウはすぐ見つかるでしょう。

20180718 Songthew 5

意図せずに次に乗るソンテウがすぐ分かったのですが、そのままナクルアへ行かずにシラチャの町を見る事にしました。18年前からシラチャに日本人が多い事は知っていましたが、全く無縁の町でした。今回が初めてのシラチャです。

20180718 Siracha 2

時計台近くで海に出てみました。何度か細い路地に入っては引き返し、やっと桟橋に出ました。海側から見る街並みは小高い丘と海外線の間の狭いエリアにビルが立ち並び、町が豊かな感じが強くします。

20180426 Si Racha

海沿いを歩くとここが昔は中規模の漁村だった事が分かります。たぶん漁業が町の主な産業だったのでしょう。それが周辺に工業地帯を整備し、いち早く進出した日系企業によってタイの人々に豊富な労働選択肢を提供し、さらに日本人が多く住む町へと変わっていったのだと思います。

20180718 Siracha 3

20180718 Siracha 4

実は、前在住時(2000年 - 2003年)への私的なイメージはあまり良く無かったです。単身赴任者の日本人が多い事は知っていて、日本人向けのカラオケがずらっと並んでいると聞いていたからです。海外で日本人が集まる所やカラオケが昔から苦手でしたから・・・

20180718 Siracha 5

そんな印象が変わりました。まぁ、カラオケ街はありましたが、夜に私がここを歩く事はないし、町全体が明るく感じたのは好きな海がすぐ近くにあるからかも知れません。

20180718 Siracha 6

さて夕方前には帰りたいので今回もショートトリップをここで中断する事にしました。この町で一番賑やかそうなロビンソン・デパート周辺でエカマイ行きのバスを尋ねました。

20180718 Siracha 7

ロットゥーは近くで見かけましたが、苦手なので大型のバスにしたいのです。何人かに聞いて「ツクコム Tukcom」と言う所?から出ている事を知りました。言われるままにスクムビット通りをパタヤ方面に向かって歩き20分ぐらいでしょうか、中型の商業ビルがツクコムのようです(画像上)。

20180718 Bus 1

ツクコムの中でバス発着所を聞いたらすぐ横の雑居ビル1階を教えてくれました。切符を買ってこの待合所でバスが来るまで待つようです。バスはレムチャバンからシラチャ、ノンモン、(チョンブリー)を経由してエカマイ行きです。

20180718 Bus 2

20180718 Bus 3

私は渋滞の中をエカマイまで行かずにオンヌットで降りて路線バスで戻るように帰りましたが、シラチャ~エカマイが86バーツでした。

次回はシラチャから最終目的地のパタヤに向かいます。

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2018.07.18 | コメント(6) | タイ・トラベル

日本でロングステイ中、6月を追い④ 江ノ電・長谷寺

タイでのロングステイを終えて24日。海外在住28年超で13年ぶりに日本在住になった私にとって、今は日本にロングステイしているような感じです。

そんなロングステイ中の日本(笑)戸籍・健康保険・年金・銀行やクレジットカードなど諸手続きは終了。先日やっとマイナンバーを得た事で生活基盤設定を完全に終えて7月に入りました。

20180715 Yokohama 1

落ち着いた所で家内と私とそれぞれの家の墓参りも終え、今はぼちぼちと皮膚科・歯科・持病のペインクリニックと身体のメンテナンスも始めました。それにどこかで人間ドック等の総合的な検査も受けたいと思っています。

病院などは行けば行くほど悪い所ばかり出るように思えて怖いのですが・・・。それ以外は時々家族と食事に行っています。画像下は「ポジリポ エ ナプレ 横浜高島屋店」ですが、ちょっと気になる事があってもう行かないかも。

20180715 Yokohama 2

さて、そんな日本でのロングステイの日々、去り行く6月を惜しむように先月20日過ぎになって蛍と紫陽花を追いかけたこのシリーズで今までのエントリーは以下の通りです。

日本でロングステイ中、去り行く梅雨を惜しみ① ホタル
日本でロングステイ中、去り行く梅雨を惜しみ② 明月院
日本でロングステイ中、去り行く梅雨を惜しみ③ 北鎌倉

前回は北鎌倉で淨智寺と東慶寺を訪れました。アジサイを見る意味では圧倒的な明月院の後だったので、どちらも印象が薄れがちながらも、これからも四季折々の草花を楽しめそうです。

20180715 Kamakura 1

さて、JRで鎌倉駅まで一駅移動して江ノ電に乗り換えです。江ノ電の開業は1902年(明治35年)で116年も前の事です。正式名「江ノ島電鉄」の通り当初から電気式鉄道でした。まぁ、一部は道路上に軌道を持つ路面電車のような区間もあるので、それはそうでしょうと思うのですが・・・

20180715 Kamakura 2

タイでの初の鉄道が開通したのは1893年のパークナム~ファランポーン近くの民営鉄道で、このブログでも多く取り上げています。そしてタイ国鉄となる官営鉄道の開業が1897年で、バンコクに路面電車が走りだしたのも同時期です。江ノ電はそれらから9年後の開業なので同時期と思って構わないでしょう。

20180715 Tram

江ノ電を長谷駅で降りて向かったのは長谷寺です。鎌倉のアジサイで明月院と成就院(じょうじゅいん)に並んで有名な所です。何度も行った事がありながらアジサイの時期に行った事はありません。

20180715 Kamakura 3

長谷寺に通じる路地から混んでいました。いやぁ~、平日なのにすごく混んでいましたが、週末なら諦めて引き返すほど混雑するのかも知れません。どこにアジサイがあるのかと思いながら山門をくぐったら、人の列が本堂の裏山に伸びていました。

20180715 Kamakura 4

山肌を縫うような小道に人の列が・・・ちょっとためらいながらその列に続き「あじさい路」に入りました。

20180715 Kamakura 5

人の列を見ているのかアジサイを見ているのか分からない中、小道はクネクネと曲がりながら高度を上げます。確かにアジサイは見事なのですが・・・

20180715 Kamakura 6

20180715 Kamakura 7

頂いたパンフレットを読むとあじさい路には40種類を越える紫陽花があるそうです。確かに色彩、花びらの形などマチマチです。パンフレットと一緒に頂いた内輪に代表的な紫陽花が描かれているので、それを見ながら紫陽花の名を知るのも面白いものです。

20180715 Kamakura 8

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高度を上げたあじさい路は途中で由比ガ浜まで見通せる所に出ました。いやぁ~、いつの間にかかなり登ったようです。この後は下り坂になります。

20180715 Kamakura 12

人の列が途切れる事なかったのはそれだけ有名なのでしょう。仕方ないですねぇ~。私は初めての事で飽きることなく楽しめました。

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20180630 Kamakura 1

長谷寺の説明はネットにいくらでもあるでしょうから説明しませんが、建立が736年と言いますから、タイ民族としての歴史は遡れません。大雑把に言ってモン族がナコーンパトムに町を築き栄えた頃の時代のように思えますが、調べないとよく分からないのが本音です(汗)

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20180715 Kamakura 15

人が多かったものの満足して長谷寺を出ました。江ノ電沿いのアジサイを見たくて長谷駅前を通り、線路を何度か横切るように路地を縫うように歩きました。

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ぶらぶら歩いていると御霊神社(ごりょうじんじゃ)の前に出ました。どうやらここはカメラポイントのようで数人本格的なカメラを構えておられました。私も真似してお隣にお邪魔しました。

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いやぁ~、タイでは乗り物ばっかり撮っていましたが、電車はもちろん他のカメラマンの邪魔をしてはいけませんし、なかなかうまく行きません(汗)

20180629 Kamakura 2

御霊神社の前の道を真っすぐ5~6分も歩けば鎌倉の海に出ます。久しぶりの日本の海をしばらく見て・・・この日のショートトリップを終えました。

20180715 Kamakura 19

20180715 Kamakura 20

いやぁ~、去り行く6月を追いかけたつもりでしたが、もうすっかり夏ですねぇ・・・

20180630 Kamakura 2

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2018.07.15 | コメント(4) | 日本生活

チャオプラヤー元流を歩く⑥バンヤイ・カオ9寺巡り1

タイ中央部を南北に流れるチャオプラヤー川はタイの歴史、経済、文化、庶民の暮らしまで大きく影響を与えながらも、その流れを変えるショートカット「捷水路(しょうすいろ)」が多くの湾曲部に造られて今の姿は昔と異なります。

そのチャオプラヤー川の元の流れを追う事は、チャオプラヤー川左岸(東側)ラッターナコシン島の現チャクリー王朝、チャオプラヤー川右岸(西側)のトンブリー王朝、そしてアユタヤ王朝へと時代をも遡る事になります。

20180101 Wat 2

画像上はバンヤイ・カオ九寺のひとつ「ワット・プラーンルアン Wat Prang Luang」ですが、首都圏では珍しいクメール様式のトウモロコシ型の塔(プラーン)があります。

この「チャオプラヤー元流を歩く』シリーズは今回が第6回で、今までのエントリーは以下の通りです。

第1回「チャオプラヤー元流を歩く①序章
第2回「チャオプラヤー元流を歩く②カトリック教会歴史地区
第3回「チャオプラヤー元流を歩く③ バンクルアイと船形の寺
第4回「チャオプラヤー元流を歩く④オームノン運河
第5回「チャオプラヤー元流を歩く⑤水上マーケットと運河沿いの時計台

前回は運河沿いに時計台があるワット・ボートボンとその周辺を紹介し、水上マーケットで賑わうワット・タキアンを通り帰りました。

20180609 Om Non 19

そして別な日に出直したわけですが、その出直しを始めたのがワット・プラーンルアンです。アウターリングことカンチャナピセーク通りの「ワット・プラーンルアン通り」(Google MapsだとWatsangwornpimonpaiboonとなっていますが、現地での表示はWat Prang Luang Rd.です)のパクソイから徒歩12分で、バス停がパクソイ近くにあるのでこのシリーズでは交通便利な所と言えます。

20180712Map 2

20180712 PL 1

多くの方にとって一番簡単なアクセス方法は、MRTパープルライン「タラート・バンヤイ駅 Talat Bang Yai」で降りて「セントラルプラザ・ウエストゲート Central Plaza WestGate」前のバス停から路線バス127番177番388番516番に乗る事です。

20180712 PL 2

大幹線道路カンチャナピセーク通りからワット・プラーンルアン通りに入り、真っすぐ東に行った突き当りがワット・プラーンルアンです。

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現地説明板によると建立がアユタヤ王朝を興したウートン王の時代だそうです。昔はワット・ルアンと呼ばれていたそうですが、(ここからは私の想像ですが)このエリアでは大変存在感があるトウモロコシ型の塔(プラーン)からワット・プラーンルアンになったのではと・・・

20180712 PL 5

そのプラーンの前にある仏堂の基壇が古そうですが、かなり修復したものと見えます。昔はこの上が本堂だったと思われますが、今はオームノン運河沿いに新しい本堂が建っています。

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ウートン王(在位1351年 - 1369年)だと14世紀半ばなので、当時チャオプラヤー川本流沿いに建てられたお寺になります。

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そのチャオプラヤー川元流であるオームノン運河を上流に向かって数分歩けば「ワット・アンパワン Wat Ampawan」で、ここもバンヤイ・カオ九寺のひとつです。

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現地での説明板が英語だけ藪の中で謂れが分かりません。仏塔や周辺事情からアユタヤ後期の建立と思われ17世紀半ばから18世紀前半の間でしょうか。

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そうなると現在の本流でノンタブリー船着場前の捷水路が掘られたのが1636年なので、このお寺が建てられた時代が目の前を流れるチャオプラヤーが本流から元流へと変わった頃となります。

20180712 Ampawan 3

ワット・アンパワンで見られる大きな特徴が高床式書院です。この書院の建物は美しく隣接すると小さな僧房(あるいは倉庫)の下に水路が引かれています。

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書院の下はネズミ避けから知れませんが、直接この水路でオームノン運河と行き来出来るようになっています。私が見た時は托鉢用の小舟が舫われていました。

20180712 Ampawan 5

20180101 Wat 4

ところでタイでは一日で9カ所のお寺をお参りする「九寺巡り」の習慣があり、BMTA路線バスの中でもその日帰りツアーの広告をよく見かけています。日本だと七福神巡りのような感覚でご利益と庶民のちょっとしたレジャーを兼ねるようなイメージです。

20180712 Ampawan 6

普通は9カ所のお寺が決まっているわけでないのですが、バンヤイカオでは画像上のように「バンヤイ・カオ9寺巡り」として以下のお寺を決めています(上の画像と同じ順番で記しました)。

ワット・ピクングーン Wat Pikul Ngoen วัดพิกุลเงิน
ワット・コンカー Wat Kongkha วัดคงคา
ワット・プラーンルアン Wat Prang Luang วัดปรางค์หลวง
ワット・アンパワン Wat Ampawan วัดอัมพวัน
ワット・ラットプラコーンタムWat Rat Prakhong Tham วัดราษฎร์ประคองธรรม
ワット・サオトンヒン Wat Sao Thong Hin วัดเสาธงหิน
ワット・イン Wat In วัดอินทร์
ワット・サケー Wat Sakae วัดสะแก
ワット・スワンケーオ Wat Suan Kaew วัดสวนแก้ว

長くなりました。次回に続きます。

20180712Map 1

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2018.07.12 | コメント(0) | タイ・トラベル

初めての一人旅④ 歴史公園(城壁内)

チャオプラヤー川が始まる「ナコーンサワン Nakhon Sawan」、そのチャオプラヤー川に繋がるピン川が流れるスコータイ王朝の要塞都市「カンペーンペット Kamphaeng Phet」を歩く旅です。画像下はワット・プラケオです。

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チャオプラヤー川を遡りながらも歴史と王朝をも遡る旅は、本ブログの大きなテーマの一つです。そんなテーマの中、チャオプラヤー川に繋がるピン川沿いのカンペーンペット、そしてピン川がチャオプラヤー川となるナコーンサワンへの旅をしました。このシリーズの過去のエントリーは以下の通りです。

初めての一人旅① 序章&北バスターミナルへ
初めての一人旅② バンコク~カンペーンペット
「初めての一人旅③ カンペーンペットの町

さて、前回は思いがけずにツーリスト・インフォメーション・センターで翌日のトラム型観光バスを一人で貸し切る事になり、その後に「カンペーンペット歴史公園 Kamphaengphet Historical Park」(南側・城壁内)入口まで歩いた所まで書きました。

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ユネスコ世界遺産のマークが目立つ歴史公園に入ったのが午後5時少し前、誰もいない公園内は緑の芝に西日を受けて木々の長い影が伸びていました。その中をレンガで出来た小道を急ぎます。

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最初に出合った遺跡が「ワット・プラタート Wat Phra That」でした。東側の入口を挟むように仏塔が2基あって、北側は半分崩れていますが南側は形を残しています。そして中央奥の大きな仏塔もしっかりと残っているので、独自の形がよく分かります。

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タイでの遺跡巡りで遠くからでもぱっと見で特徴が分かり易いのが仏塔ですが、ワット・プラタートの中でも主塔と前塔のシェープが異なっているように見えます。正方形の塔基壇の上に四角から八角形などいくつかの段が重ねられ、その上がベル型(あるいは釣鐘型)の塔で最上部に工事現場にあるロードコーンを置いた形、これがスコータイ様式と呼ばれているかと思うのですが・・・(画像下はスコータイのワット・サシーです)

20180701 SaSi

私はスコータイ様式の仏塔を「蓮のつぼみの形」と昔何かで読み、それがさっぱり分からなかった記憶があります。蓮のつぼみって・・・合掌のように手を合わせて中央を少し膨らませた形、分かり易く言えば水の「しずくの形」だと思うのですが、スコータイやシーサッチャナーライで見た仏塔はどれもそう見えなかったのです。(画像下はシーサッチャナーライのワット・チャーンロームです)

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同様にスコータイ様式の仏塔は「スリランカ様式の影響を受けている」とも読んだことがありますが、私の記憶にあるスリランカの仏塔は丸いお椀を伏せて頂上にロードコーンを置いたように見えるのです。例えは良くないでしょうが、雪見だいふくの上に小さな楊枝を差したような(笑) 画像下は石窟寺院なので少し異なりますが、スリランカのダンブッラ黄金寺院です。

20180701 Dambulla

この後で城壁外(北側)の遺跡公園にも行きましたが、カンペーンペットの遺跡で見られる一つの特徴が仏塔にあると思います。それは仏塔で原形をとどめているのがワット・プラタートぐらいなのと、その独自なスコータイ様式。そしてカンペーンペットではクメール様式の影響を受けた仏塔が全くない事です。(画像下はカンペーンペットのワット・プラタートです)

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もっともクメール寺院(神殿)でのトウモロコシ型の塔(プラーン)をクメール様式の『仏塔』とするのも論議があるのかも知れません。もっと言えば『仏塔 チェディ Chedi』自体も仏舎利を収めてあるかないかで本来は異なる言い方があるのかとも思っています。

画像下はアユタヤのワット・チャイワッタナーラームで、中央がクメール様式のプラーンで周囲はスコータイ様式(スリランカ様式?)の仏塔が囲んでいます。まぁ、今のワット・チャイワッタナーラームはそんな仏塔を気にする人はいなくて、テレビ・ドラマの影響で自撮りの聖地と化していますが(笑)

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仏塔を見ながらそんな事を考えていたのですが、まぁ、専門家にすれば何かしっかりした理由があるのでしょうし、私自身も全ての仏塔を見ているわけでないので、この話はこの辺で止めておきましょう(汗)

いずれにしても何が本当のスコータイ様式なのか? 何がスリランカ様式なのか? あるいはクメール様式って何? どうした経過で影響を受けたのか・・・何も分かっていない自分に気付き(ネットに書いてある事を鵜呑みにせずに距離を置き)そんな事をこの旅をきっかけとして学んでいる最中です。 

仏塔だけでも、本当に面白いものですねぇ~

遺跡の最初で思わず長話しをしてしまいました。悪い癖です。「ワット・○○へ行った。スコータイ様式の仏塔です」なんて知りもしない事をちゃちゃっと書けないのですよねぇ~ でも、先を急ぎましょう(汗)

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最初に出合った遺跡ワット・プラタートですが、ここで困った事に気付きました。いつもは現地にある説明板(の英語)をよく読むのですが・・・カンペーンペットの遺跡全てについて言えるのですが、その説明板がほとんどありません。正確に言えばQRコードがあるだけなのです。私のようにスマホを持たない人はその時その場での説明は得られないのです(涙)唯一、非常に簡単な復元予想図だけが現地で見られました。

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次の日にツーリスト・インフォメーション・センターで出来る限り説明が書いてあるパンフレットを集めましたが、ネットに頼らない街歩きのいつものスタイルが崩されたようで、がっかりでした。

と言う事で謂れが分からないまま、この時はワット・プラタートを後にしました。すぐ西側が「ワット・プラケオ Wat Phra Kaeo」です。ここはカンペーンペットを象徴する遺跡だと思います。

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ところで、現在のバンコクに最も重要な王宮寺院ワット・プラケオがあってエメラルド仏が安置されていますが、エメラルド仏がたどった数奇な過去も本ブログの主題であるチャオプラヤー川と同様にタイの歴史そのもののように思えます。

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どこまでが真実で何が伝承なのかは別にしても、はっきりしている現在から遡ると・・・現チャクリー王朝始祖ラマ1世がまだトンブリー王朝のタークシン王に仕えていた時の1779年にヴィエンチャンからトンブリーに持ち帰り(略奪とも言いますが)、トンブリー王朝の王宮寺院ワット・アルンを経由して1784年から現在のワット・プラケオに安置されています。

ヴィエンチャンの前はラオスの古都ルアンパバーンに16世紀から18世紀にかけて置かれていて、その前になるとチェンマイ、ラムパーン、そしてチェンライのワット・プラケーオで1434年に落雷に寄って発見される・・・(画像下はバンコクのワット・プラケーオです)

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この辺りから『物語』っぽくなるのですが、戦火を避けるためにチェンライでエメラルド仏を密かに隠したのはラーンナー王朝で、カムペーンペットからエメラルド仏を持ち去ったとの説があるそうです。その前になるとアユタヤ、スリランカ、古代インド・・・とほとんど伝承の世界ですが、いずれにしても折角カムペーンペットに行ったのでこのワット・プラケオにエメラルド仏があったと信じる事にしましょう(笑)

・・・と言う事で話しをカムペーンペットのワット・プラケーオに話を戻して(汗)

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エメラルド仏がここに安置された過去があるかないかは別に、いずれにしてもここが王宮寺院として最も需要な寺院であったのは間違いないはずです。

現在のバンコクのワット・プラケオのように僧がいなかったかどうかは分かりませんが、東西(実際は東南東・西北西に傾いている)に長い敷地で出入口は東西にあるように思えます。仏像がお顔を向けている東側から、主仏堂(本堂)の基壇、主仏塔、(涅槃仏と二体の坐仏像がある)仏堂と並び、北側に蔵庫らしい跡、そして西側にも出入口が見られます。

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エメラルド仏が安置されていたとするなら、主仏堂かと想像できます。時代的にもチェンライのワット・プラケーオで発見された15世紀以前なので、スコータイ王朝の13世紀から14世紀に合致します。

そんな事を考えながら主仏堂で残った基壇周囲を歩きました。その間にもどんどん日が傾いて行きます。

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主仏堂の基壇上には一体の坐仏像が西日を背に輝いていました。仏像自体は本物かレプリカか分かりませんが、すっかり傷んでいるのでお顔が分かりません。

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スコータイ、シーサッチャナーライ、そしてカムペーンペットには仏塔と同じで「スコータイ様式 Sukhothai Art」と呼ばれる独特の仏像が見られるのですが、その特徴は・・・長くなったので次回に続きます。

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2018.07.09 | コメント(2) | タイ・トラベル

日本でロングステイ中、6月を追い③ 北鎌倉

タイでのロングステイを終えて16日。海外在住28年超で13年ぶりに日本在住になった私にとって、今は日本にロングステイしているような感じです。

そんなロングステイ中の日本(笑)7月に入りましたし関東では梅雨が明け、毎日タイ以上に暑く思える日々が続いています。6月の最後の日にはセミの鳴声すら聞きました。

ところでこのシリーズでは横浜のホタル、そして隣町は鎌倉のアジサイを書いていますが、同じように家の近所で楽しめる光景があります。それは家の近くにある丘を上がった所で見える富士山ですが、四季それぞれの姿を楽しませてくれます。

20180706 Yokohama

さて、去り行く6月を惜しむように先月20日過ぎになって蛍と紫陽花を追いかけたこのシリーズ、今までのエントリーは以下の通りです。

日本でロングステイ中、去り行く梅雨を惜しみ① ホタル
日本でロングステイ中、去り行く梅雨を惜しみ② 明月院

前回はアジサイ寺とも呼ばれる明月院に行き、素晴らしい紫陽花もさることながら鎌倉の谷戸奥に佇む院自体の持つ雰囲気が好きになりました。画像下は明月院の「悟りの窓」と呼ばれる丸窓ですが秋も見たいものです。

20180706 Kamakura 1

そんな素晴らしい明月院を後にして「淨智寺(じょうちじ)」に行きました。JR横須賀線の踏切を渡り反対側すぐが淨智寺です。踏切の南側は「扇ヶ谷(おうぎがやつ)トンネル」で、電車はトンネルで三方を山に囲まれた鎌倉中心部へと入ります。

この鎌倉を囲む山に人馬を通すために掘削した道は「切り通し(きりどうし)」と呼ばれて、鎌倉の一つの特徴になっている事はよく知られているかと思います。私的好物(笑)の城壁こそありませんが、鎌倉は三方が山で残った一方が海の城塞都市だったわけですねぇ~

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このJRのトンネルに並行するように昔からある細い道があって、そこには「亀ヶ谷切通し(かめがやきりどうし)」があります。一説によると亀もひっくり返るほど急な坂だった事が謂れとか・・・

話を鎌倉とアジサイに戻しましょう(汗)

踏切を渡るとすぐに淨智寺へ通じるパク・ソイ・・・いやいや(汗)路地の入口です。路地を少し行くと惣門とその前に湧き水を溜めた「甘露の井」があって、説明板によると「鎌倉十井」の一つだそうです。

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そう言えば明月院にもそんな説明の井戸がありました。こうしたご当地ベストテンみたいなものに弱くて(苦笑)こうしたいつか全ての井戸を回りたいものです。

惣門には私でも読める文字が掲げられています。「寶所在近(ほうしょざいきん)」宝は近くにあるがなかなか手に入らず気が付かないもの、修行を積んで得られる悟りがその宝・・・そんな意味でしょうか。

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その惣門の先には時の経過を感じさせる石段が山門まで続いています。アジサイはこの石段横に数朶見られるだけでした。

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この山門は鐘楼を兼ねている事と、中国風である事で二重の意味で珍しいと思うのですが、どうなんでしょうか・・・この鐘楼門には「山居幽勝」の書が掲げられていますが、どんな意味なのか見当もつきません(汗)山とはお寺の事でしょうが・・・

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現地で頂いた説明書では、ご本尊は「木造三世仏坐像」で三世とは過去・現在・未来を表わす(向かって左から)阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三体だそうで、15世紀半ば頃に再興された像らしいです。タイならアユタヤ王朝がスコータイ王朝を吸収した頃ですねぇ~ そう考えると仏像に残る美意識の違いにあらためて驚きます。

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このお寺全体が谷戸奥を背にするように建てられており、お寺の奥へ行くほど岩肌がむき出しになっています。そう言えば明月院も同じ様でしたが、鎌倉の寺院の多くに共通する点かもしれません。画像下は明月院、その下は淨智寺です。

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淨智寺は鎌倉五山第四位の寺ながらそう観光客が多い所ではないでしょう。北鎌倉で静かに散策を楽しむには良いかと思います。創建は1281年でタイならクメール王朝の支配が弱まりスコータイ王朝の初期になります。(画像下は淨智寺の書院です)

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さて、淨智寺を後にしてJR北鎌倉駅へ向かうと途中にあるのが「東慶寺(とうけいじ)」です。女性から離婚できなかった時代、この寺に駆け込めば離婚できる女性救済の寺として明治までの約600年間、縁切寺法を守った「縁切寺」として知られています。

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現在は尼寺でなく男僧寺だそうで、それが意外に思えるのはこの寺の佇まいと強い縁切寺のイメージからでしょう。創建は1281年でここもタイではスコータイ王朝の初期になります。

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東慶寺は梅が有名ですが、紫陽花はもちろんその端正な庭では四季折々の草花が楽しめそうです。ちなみに頂いたパンフレットには花暦があって、紫陽花の後は「なでしこ」が8月中旬まで見ごろになっています。是非、四季ごとに行きたいものです。

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ところでこのアジサイを求めて鎌倉に行ったのは6月26日でしたが、浴衣を着られた女性を多く見かけました(画像下は東慶寺です)。平日で花火があったわけではないのですが、浴衣で鎌倉散策が流行っているのでしょうか・・・

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いやぁ~ 鎌倉で紫陽花に浴衣姿の女性たち・・・お美しいです。そう言えばタイではテレビドラマの影響で、アユタヤ遺跡には多くの民族衣装の方達が集まっています。遺跡ならどこでも良いのかクメール遺跡でも見かけましたねぇ・・・

20180418 Ayutthaya 6

そんなタイを思い出しながら北鎌倉を離れ、江ノ電に乗るために鎌倉駅へと向かいました。次回に続きます。

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2018.07.06 | コメント(2) | 日本生活

タイのクメール遺跡を巡る③ コラート~ピーマイ

現チャックリー王朝(1782年 - 現在)からトンブリー王朝(1767年 - 1782年)、そしてアユタヤ王朝(1351年 - 1767年)にスコータイ王朝(1240年頃 - 1438年)へと、チャオプラヤーからピン川へと流れを遡ると共に歴史に思いを馳せる旅をずっと続けています。

現在まで以下のようなタイの王朝に関連したシリーズがあります。

「アユタヤへの道、アユタヤの歩き方(仮称・エントリー予定)」
スコータイ王朝要塞都市カンペーンペット(アップ中で最新エントリー)
チャオプラヤー元流を歩く(アップ中で現時点最新エントリー)
トンブリー王朝の面影を探し 全27回
チャックリー王朝首都防衛城壁を歩く 全8回
チャックリー王朝首都防衛要塞を行く 全5回

そんな旅の中で13世紀以前になると、現在のカンボジアを中心に栄えたクメール王朝の影響をタイ各地で強く感じていました。画像下はピーマイ遺跡です。

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クメール遺跡はカンボジアのアンコールワットが有名で昔に苦労して行った事がありますが、タイの各地にも点在しています。特にカンボジア国境に近いイーサンと呼ばれるタイ東北部に多く、大きな寺院だけでなく森林や田畑に埋もれるような遺跡も入れたら、おそらく何百もあると思います。

その中で今回はタイにあるクメール遺跡の中ではベーシックな所を巡りました。いつも「ガイドブックやネットに書かれているような所は避ける」と言いながらも、バンコク周辺を離れたら・・・情けないです(汗)

20180629 Phimai 2

本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

第1回「タイのクメール遺跡を巡る① 序章
第2回「タイのクメール遺跡を巡る② バンコク~コラート

さて、前回は朝8時15分発のバスでナコーン・ラチャシマ(コラート)の第1バスターミナルに着き、徒歩10分程離れたホテルに正午過ぎにチェックインしました。午前中の移動が全くストレスなく早く着いたので、その日のうちにピーマイ遺跡に行く事にしました。

部屋に荷物を置いてすぐにフロントでピーマイへの行き方を聞きました。よく聞かれるのか「第2ターミナルからバスが出ているが、番号は知らない」との返事がすぐありました。第2ターミナルへはターオ スラナーリー像(ヤーモー)前から7番が行くそうです。

20180615 Map

バンコクを離れても相変わらずネットは公式サイト以外は見ない(今回はそれを少し後悔しました)のでタイ観光庁サイト(英語版)だけですが、そこにも「From Nakhon Ratchasima, visitors can take a bus from Bus Terminal 2 in the city.」とあったので間違いないでしょう(苦笑)

ホテルからはヤーモー像へも徒歩10分以内で行けます。ホテル前の道を真っすぐ西へ向かったら、偶然7番のソンテウがヤーモー像前へ向かうのを見ました。慌てて追いかけたのですが、幸いヤーモー像手前で待機していました。

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ソンテウはヤーモー像とメー・キム・ヘーン市場の間で少し客待ちし、その後は2号線に入りターミナル21を通って第2ターミナル前を通りました。バスターミナルの中に入るかと思っていたので慌ててブザーを押し、2号線沿いで降りました。待った時間を除けば20分強で10バーツでした。

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ソンテウ7番はこの後も乗ったので分る範囲だけですが、画像上のルート図を作成しました。第2バースターミナルから北は乗ってないのでバスから見た範囲だけで、南東側も市街地を囲う堀で降りたのでその先は街歩きで見て想像したルートです。いずれにしても(私が泊まったホテルから)第2バスターミナルへ行くにはベストな選択ではありませんが、本数はそこそこ多く10~15分待てば乗れるイメージでした。

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第2バスターミナルの規模は大きく敷地内にいくつかの建物があります。県外も含めて都市間を結ぶ長距離バスに路線バス、ロットゥー、一部のソンテウ、そしてバンコクとナコーン・ラチャシマ間の長距離バスも使っています。

この中をじっくり見たいのですが、まずはピーマイへ行くバスを見つけなくてなりません。バスターミナルでは暇そうにしているソンテウやバスの運転手か車掌さん、あるいはモタサイに聞くのが一番早いです。すぐに「41番だ」(画像上)と教えて頂きました。広いのでバス乗り場の番号で言われたようですねぇ~

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いやぁ~広いバスターミナルですが、すぐに分かりました。しかもバスが停まっていました。バスは1305番で行先は予め調べてパターン認識した「ピーマイ พิมาย」に(後で調べて分かった)「チュムプアン ชุมพวง」とあります。チュムプアンはピーマイより40㎞ほどさらに北東に行った町です。いずれにしてもピーマイが終点ではないのですねぇ~

念の為にバスの中にいた運転手さんと車掌さんに確認しました。ピーマイ行きを確認し発車時刻も午後1時半と教えてくれました。なかなか愉快な二人で写真を撮らせてもらったら「運転席に座らないか?」と誘ってくれましたが、丁寧に辞退させていただきました(笑)

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出発まで20分以上時間があるので、バスターミナル内を見る事にしました。第2バスターミナル内へアクセスするソンテウは10番、17番を見ました(画像下で左)。たぶん他にもあるかと思いますが、時間させあればこの町のソンテウは番号化、色別化、行先表示など明確なのでルートを調べるのはそう難しくないように思えます。

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ソンテウが集まる所もありました。この町に数か月滞在して全てのソンテウと地方バスにロットゥーのルートを調べたら、さぞ楽しい滞在になるでしょう(苦笑)

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第2ターミナルからバンコクへ行くバスが多くて数社あるように見えます。便利そうですねぇ~ ここから地方各都市へ行くバスも多く、行先を見ているだけでワクワクします。そのほとんどが(パターン認識していないタイ語なので)分からないのですが、チョンブリーなんて見つけると・・・どんなルートを通るのか思わず考えてしまいます(笑)

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さて、時間が来たのでピーマイ行きの1305番のバスに戻りました。バスは大型で無用に背が高いように思えます。(あまり効かない)エアコンに埃だらけの扇風機もあります。乗客が6~7人で出発したのはほぼ定刻の13時33分でした。

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バスはターミナルを出て2号線を北上するかと思ったら・・・反対のコラート市内に向かい、四角く堀で囲まれた旧市街の北西角(ヤーモー像の真北)の224号線で歩道橋手前で停まりました。画像下はそこでバスから城門と堀の方を撮ったものですが、ちょうど復路の1305番のバスも写っています。

20180629 Bus 3

ここでどっとお客さんが乗って来て、私の横にもオバサンが座られました。そして何人かの物売りも乗られてバス内で商売を始めています。懐かしいですねぇ・・・昔、タイ南部で海岸沿いを地方路線バスで移動していた時によく遭遇したのを思い出しました。

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ここでバスは一気に満席になりました。バスは物売りの商売が終わるまで数分待ってからの発車です。列車では動きながら駅と駅の間で物売りが良く来ますが、このバスでは停車中だけの商売でした。

地元の方々は第2ターミナルまでわざわざ行かないでここで乗られるのですねぇ~ 私もここならホテルから歩いても20分以内でした。その後224号線から205号線に北上を始め数カ所停まった後に2号線に入りました。画像下は路線バス1305番のコラート市内ルート図です。

20180629 Bus1305 Map 1

バスが上記の城門近くを出てから車掌さんが回って来ました。ピーマイまで50バーツ。周囲の乗客を見るとコラート近郊までの方が多く20バーツ台の方が多かったです。ピーマイまでは60㎞ほどなのとエアコン地方路線バスなので少し安く感じます。

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コラート近郊を出ると田園風景が続く中をバスは北東に向かいます。2号線を外れ206号線に入ればピーマイ近くです。コラートの第2バスターミナルからピーマイまでは途中停車などあったので1時間半かかりました。

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2号線に入ってからは速度を上げたので、かなり遠くまで来たような乗りでありました。画像下はバス1305番のコラート~ピーマイ間だけですが往復乗ったルートです。

20180629 Bus1305 Map 2

バスはピーマイが終点でないので寝ている間に通り過ぎないように注意です(笑)「車掌さんに着いたら教えてもらうように頼む」なんてネットに書いてありがちかと思いますが、絶対に信用して任せっきりはいけません(キッパリ)バンコク周辺の路線バスでタイ人同士でも車掌さんが忘れて通り過ぎた客を何度も見ています。

親切に前もって教えてくれる車掌さんもいれば、すっかり忘れる車掌さんも多いし、それもタイ人気質にこうした中距離バスだと無理ないです。ちなみに私は旅をするのに地図もスマホも持たないし(最初から持っていない)、下車する所を他人任せにした事もありません。ちなみにどうしても人に道を聞く必要がある時は何度か別な人にも聞きます(笑)

20180629 Bus1305 Map 3

ピーマイの町中に入り川を渡り(進行方向)左で国立博物館を過ぎたら、右に遺跡が見えたら降車する時計台がある信号十字路で間違えようがありません。この時計台前で多くの乗客も降りるはずです。そう言えばこのバスの中で降車ボタンを見た記憶もないですねぇ~

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降りた時に車掌さんにコラートに戻るバス停を確認しました。こうした道が狭い町中は往路と復路が異なる事が多いからです。答えは「反対側」でしたので、ここでは変則ではないようです。時計台前で道路の反対側で待てば良いわけです。

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ちなみにバンコク都周辺県も同じですが、バス停と呼ばれるような目印がないのもよくある事です。地方の通り沿いは日陰を作る東屋がバス停代わりですし、こうした町中では時計台があればまず中心部なのでその周辺で人に聞くかバスやソンテウの動きを観察します。まぁ、バス停に関係なく合図すれば停まってくれる事が多いのですが、何もない所でフルスピードのバスに急に合図しても停まらないでしょうが・・・

えっと・・・まるで本ブログ別シリーズの「路線バス不完全ガイド」か「ソンテウの旅」のようになってしまいました(苦笑)私の旅は移動の過程がすごく楽しいですし、どうしてもルートも気になってしまいます(汗)

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さて、時刻は午後3時を過ぎたばかりです。遺跡がある歴史公園はバスを降りた時計台から徒歩2~3分の近さです。時間はたっぷりで目の前の古い仏塔が気になったので登ってみました。

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「メル・プロマタット Meru Brahmathat」は現地説明板を読むとアユタヤ時代後期の18世紀に建てられたそうなので、クメール遺跡とは関係なさそうです。造りも異なっていますねぇ~

さぁ、ピーマイ遺跡こと「プラサート・ピーマイ Prasat Phimai」に行きましょう。次回に続きます。

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2018.07.03 | コメント(1) | タイ・トラベル

日本でロングステイ中、去り行く梅雨を惜しみ② 明月院

タイでのロングステイを終えて2週間。海外在住28年超で13年ぶりに日本在住になった私にとって、今は日本にロングステイしているような感じです。

そんなロングステイ中の日本(笑)7月に入りましたし関東では梅雨が明けましたが、去り行く6月を惜しむように先月20日過ぎになって蛍と紫陽花を追いかけてみました。画像下は長谷寺のあじさい路です。

20180630 Kamakura 1

前回は家の近所でホタルを見た事から、横浜市内でのホタル生息地を紹介しました。水がきれいと言った単純な事ではなく、ホタル自身の幼虫から成虫の生息条件が整い、同時にエサの生息条件もあって、その上で水や気温や湿度から風なども影響するでしょう。もちろん夜でも常に明るい照明を必要とし、自然環境を汚染する人間との適度な距離感も必要でしょう。

20180630 Yokohama 1

そんな多様な生態系の条件が形成されるのが横浜だと谷戸(やと)と呼ばれる小さな谷です。その谷戸の特徴が最も現れているのが同じ神奈川の鎌倉のように思えます。画像下は北鎌倉から「あじさい寺」とも呼ばれる「明月院」に通じる道で、ここも谷戸ですね。

20180630 Kamakura 3

ホタルではなくアジサイを求めてですが、そんな谷戸が多い鎌倉に行ったのは6月26日でした。家族からは「もう終わっている」と言われたし、平日とは言え有名観光地なので混雑していると思ったのですが、梅雨とは思えない青空に誘われるように出かけました。

行ったのは・・・明月院、淨智寺、東慶寺、長谷寺に御霊神社前の江ノ電と全くベタな所で、有名観光地は避けていたタイでは考えられない自分です(笑)まぁ、有名観光地なので余計な説明は避けて、タイや国内でも遠くに住む方に写真をお楽しみ頂けたら幸いです。

20180630 Kamakura 2

まずはJR横須賀線で北鎌倉駅へ行きました。私自身は東京生まれで今は横浜に家があるので、JRと言えば自動的に大きな駅を思い浮かべてしまいます。そんな私が北鎌倉でホームに降りると・・・どこか遠くに来たような思いがします。

20180630 Kamakura 4

平日の朝9時少し過ぎ、駅から少し線路沿いを歩き、鎌倉らしい谷戸の中へ入り込むように徒歩10分で明月院に着きました。紫陽花シーズンの週末は100m以上列をなすそうですが、そんな混雑ではありませんでした。確かに人は多いものの、目立つのは小学生の課外学習のような多くの集団だけで、その姿は鎌倉の至る所で見る事になりました。

20180630 Kamakura 5

画像上の上がその時の明月院の入口ですが、この時アジサイはいい感じで私的には最盛期に思えたほどです。写真に良い場所は多少人が目立ちますが、狭い敷地ながらもビューポイントがたくさんあります。

20180630 Kamakura 6

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いやぁ~、ちょっと驚いたぐらい良かったです。アジサイに関しては有名すぎる所なので偏屈な私は「どうせ大した事はないだろう」と思っていたのですが、混む週末を避けた上で比較的空いている時間なら遠くの方が無理してでも行くべき所だと思いました。

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20180630 Kamakura 10

明月院のアジサイでもっとも特徴的なのはその色でしょう。アジサイの色は土壌によって決まると昔何かの本で読んだ事がありますが、ヒメアジサイと呼ばれる日本古来の品種だそうです。「明月院ブルー」と呼ばれる淡い青のみに揃えているのは意図してコントロールしているように思えます。

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青のみのアジサイですが、それが潔いようにも清らかにも思えます。そして同じ青でも透き通るような淡い青から深い青まで無数の異なる青があるように見えます。それは時と共に変わるのか、光の当たり方やちょっとした湿度の違いでも変化するのかも知れません。

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明月院の謂れはネットで多く書かれているでしょうから本ブログでは省略しますが、建立は1160年だそうです。日本では平清盛の晩年になりますが、タイではタイ民族初のスコータイ王朝(1238年~1448年)が興される78年も前の時代で、クメール王朝がタイの多くを支配していた時代だと思います。

20180602 Phimai

本ブログでは別シリーズ「タイのクメール遺跡を巡る」を書いている最中ですが、ピーマイ遺跡の多くの建築物が建てられている頃(11世紀~12世紀)と同じと考えると・・・大変感慨深いです。

私は明月院でそんな事を想い、石と木の文化の違いの究極を考えていました。まぁ、強引にタイに触れるのも無粋すぎるのでこれ以上は止めておきましょう(汗)

20180630 Kamakura 16

20180630 Kamakura 17

明月院は紫陽花寺とも呼ばれるぐらいアジサイが有名ですが、私にはアジサイ以外にも見所たっぷり・・・って言うか、ここで感じる(人が多くいるにもかかわらず)落ち着いた雰囲気が気に入りました。

20180629 Kamakura 1

20180630 Kamakura 18

明月院だけでもまだまだ書きたい事がありますが、そろそろアジサイを追っての鎌倉の旅は次に向かいましょう。次回に続きます。

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2018.07.01 | コメント(1) | 日本生活

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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