お詫び。なんとか再開したいのですが・・・

まだパソコンに向かう事が出来ずに苦しんでいます。

コメントの対応など短時間は問題ないのですが・・・

長く更新がないと強制的に(私が全く関与しないし嫌いな)広告表示がされるので、お詫びかたがたのアップです。

2018.10.07 | コメント(11) | その他

ゆっくりですが再開します

長くパソコンに向かう事が出来ませんでした。

この間にアクセスして頂いた方々には本当の申し訳ありません。

書きたい事は山ほどあるのですが・・・忘れないか、賞味期限切れの古い内容にならないかと気になってなりませんでした。

一日にパソコンに向かえる時間は限られていますので、ゆっくりですが再開して行きます。

2018.09.06 | コメント(6) | その他

ロングステイを終えて帰国しました。

一昨日の夜、日本へ帰国しました。

2015年1月8日深夜、スーツケース一つでスワンナプーム空港に着いてから3年6カ月と10日。来た時と同じようにスーツケース一つでタイを離れてロングステイを終えました。

20180621 Airport

『帰国』と書く事に違和感を感じてならないのは、長く海外に住んでいたので常に日本は行く所だったからでしょう。正直・・・戻ったと言う感じがはありませんでしたが・・・

ロングステイを始めた時に成田で家内と息子が見送ってくれたように、夜10時過ぎの小雨降る横浜で二人が駅まで迎えに来てくれていました。夜遅い時間なのに家内が用意してくれた料理、娘とは深夜過ぎまで話が弾みました。

20180621 Japan 2

こうして、これからは家族との時間、日本に戻った・・・そんな実感は日本に着いた時ではなく、じわじわと実感して行くのでしょう。

昨日は区役所に海外からの転入届に行きました。何て言うのか・・・日本に住民票があるのは13年以上なかった事です。この30年でもトータル4年も日本に住民票が無かったと思います(苦笑)

20180621 Japan 1

海外からの転入、保険年金・・・の手続きをしました。これで数週間後にマイナンバーも届くそうです。やっと日本国民の一員になった気がします(笑)

その海外からの転入手続きでちょっと気になる事がありました。

海外から帰国した事はパスポートの出入国スタンプが押されたページで役所側が確認をするのが一般的ですが、いつからなのか成田空港の入国審査は「顔認証ゲート」になっていて(私が入国した時は全ゲート)入国スタンプが押されません(画像下は法務省サイトから拝借です)。そこで待機している係員に頼んでスタンプを押してもらう必要があると思います。

20180621 Japan 5

私自身ですが、パスポートはビザや各国入出国スタンプですぐにページがいっぱいになり、過去30年近くずっと増刷(ページを発行期限内に増やす)していました。指紋認証が一部導入された10年ぐらい前も入出国スタンプを押されたくないので、導入すぐに登録を試みましたが、30年以上のキーボード作業でか指紋が10本の指で認証不可でした。関係ない話ですが、私の指紋問題はアメリカでも同じで毎回入国時に読み取り不可で別室送りを経験していましたし、タイのアパートですら入館セキュリティーで指紋が取れずに特別なカードを使っていました(苦笑)

今回の成田の入国審査顔認証ゲートは指紋を必要としないので、助かりましたが・・・全く見た事もないゲートで驚いてスタンプを押してもらうのを忘れて家に帰ってしまいました(汗) 

それで役所で転入手続きをした時・・・パスポート以外にも搭乗券など(いつもはすぐに捨てるのですが)を持って行ったので、それで確認をしていただきました。もし、日本へ今後帰国する予定がある方は、日本入国時にスタンプをわざわざ押してもらうのがベストかと思います。

さて・・・今日は息子と娘も時間が取れたので、横浜・馬車道近くの馴染みのイタリアンへ家族全員で食事に行き、さきほど戻ったばかりです。もう3年近くご無沙汰だったシェフやソムリエにも歓迎され、美味しい食事にスプマンテ、ワイン赤白、グラッパ、レモンチェロ・・・と楽しみ特別な一日になりました。

20180621 Japan 3

20180621 Japan 6

この後もまだ帰国手続きがありますが、同時に日本での日常が始まります。

まず最初にこのブログの読者の皆さんが一番気になる事を書きますが、しばらくブログは継続します。少なくても数か月は継続すると思います。ただ、気ままな一人の生活でなくなるので更新頻度は落ちるかと思います。

書きかけのシリーズ、エントリー予定の新シリーズ、データーベース的な路線バス関係の更新、多くのショートトリップやシリーズ化したエントリーのインデックス(目次)作成・・・などやり残した事がたくさんあります。

そして1400以上のエントリーは少なくても1年は誰もがアクセス出来るように現状を維持します。ブログランキング参加を止めた時はランキング内の全てのデーターを消去し、私自身の全てのエントリーのひとつひとつを修正しバーナーを外しましたが、今回そうした変化はありません。ただ更新出来なくなったら、放置したままにするのではなく何か考えたいと思います。

お読みになる方からすれば、私がタイに居ないだけで何も変わらないかと思います。ブログ・タイトルは内容との遊離が大きくなるまでは、このままとします。

20180109 Airport 2

さて、こうして日本へ戻り家族と暮らし始めた今、ロングステイを始めた時の事をどうしても思い出してなりません。

55歳で日本の企業を早期定年退職し海外を転々とする生活は終わったものの、結局はアメリカで現地採用されて全米中を行き来し、時にはヨーロッパや日本を含めたアジアにも出張する仕事は変わりがありませんでした。

無理に無理を重ねて持病を悪化させてそうした仕事がキツク感じ始めた時、それは同時に競争の激しいビジネス社会のアメリカでもう働き続けられないとも思い始めた時でした。定年がない国だけに解雇前に「終わり」を自分で判断しなければなりません。

10年暮らしたアメリカでリタイアする事は、私にとってそこで暮らし続ける事も出来ないので、仕事に生活環境・・・何から何まで激変する事になりました。

取りあえず日本に戻ったものの、そうした激変した環境に馴染めない自分がいました。何よりも稼ぎが無くなったまま日本に戻った自分が情けなく思う日々でした。20年以上一緒に暮らした事が無い私が老いて働けなくなって戻っても、家族も気を使い大変だったでしょう。何しろ子供たちなど私と一緒に暮らした記憶などないのですし・・・

暖かな(暑いとも言えますが)国で身体と気持ちを立て直そうと、また海外での一人暮らしを始めたのが・・・たまたまタイでした。それがロングステイの始まりです。

20180109 Airport 3

いずれにしても、旅行者よりも少し長く居させていただく『ロングステイ』です。ロングステイを始めた時、すでにアジア、ヨーロッパ、アメリカでの通算25年の海外在住経験があったので大それた『移住』なんて微塵も思わず、最初は1年ぐらい、長くても2年程度だと思っていたのですが、思いがけずに長くなりました。

3年半前、タイに行くのに(おそらくそれが別な国でも)そこに住む事は全く不安はありませんでした。健康への不安が常にあっただけです。

そんなタイに行った時に比べたら今度は日本でうまくやって行けるか、そんな不安が少しありますし、日本に戻る事を決めた理由が健康上にあるので、上手に持病と付き合いながら家族と一緒に乗り切れるでしょう。

ロングステイを始めた理由も止める理由も全くの個人事情ですから、ブログでこれ以上細々書く事はしません。詮索好きなコメントもご勘弁ください。

20171201 Room

さて・・・タイでのロングステイ中に働けなくなった自分を見つめる時間はたっぷりあったので、折り合いをつける事が出来たと信じたいです。自分の事なのに・・・自分自身の事がよく分からないのです。まぁ、受け入れないとならない・・・人生、何番目かの再スタートです。

そして、今まで日本で長く苦労させてしまった家内を大切にしたいと強く思っています。もう一人旅はなくなり家内と二人の旅行になり、バスも家内と一緒に乗る事になるでしょう。

まだこのブログを終えたわけではないのですが、この機会に長くアクセス頂いている方々へ心からお礼申し上げます。

押しつけがましく、饒舌で話がなかなか進まず、読む側からすれば厄介で面倒くさいブログだと思います。情報だけを得たい方には、ちゃちゃっとした内容の方が良い事でしょう。

それが分かるだけに、ある時からタイトルだけ見てアクセスされる方や、検索で情報を求めてその時だけ来られる方が少なくなるような造りのブログにして行きました。自分自身が公式サイト以外はネットとの距離を置くようにしていたからもあるでしょう。それまで長く続けてお読みいただいている方々に見て頂けたら良いような・・・

個人がパソコンを持つ事は珍しく、インターネットという言葉も一般的でなかった80年代末からネットに関わっていました。日本がパソコン通信のお手本としたアメリカの「コンピュサーブ CompuServe」(後にAOLに買収される)の会員になり、世界中のアクセスポイント(と言ってもただの現地の電話番号)に改造パソコンでダイアルアップで繋ぎ、現地からネットに発信していました。

まだ電話機もモジュラージャックがなく壁から直接電話機に繋がっていたり、もちろんデーターポートも無い時代。中国やカンボジア奥地では屋台のような電話屋さんで、受話器に音響カプラーを付けて非常に遅い通信速度で繋げたものです。

20180621 Tel

そんなハード的なパソコン改造や電話機と接続、そしてソフト的に世界から日本へ繋げるスクリプトを作成し仲間とオンでもオフでも交流していていました。それで創設当時のソフトバンク出版部から声がかかり、仲間と一緒に『旅先通信』の出版に関わりました。

当時は(言葉は悪いのですが)女子供が関わるようなネットではなく、オタクと呼ばれる強い趣味の方、メーカーのエンジニアなど専門職、そして海外在などでそうしたスキルを必要とした私のような人達がネットにいました。

不特定多数を対象とするSNSなんか無い時代ですので、個人間や会員間のコミュニケーションでもネットマナーを強く要求された時代です。内容の間違いはもちろん、どこからか引用コピペなどしたら容赦なく叩かれた・・・怖い世界でもありました。何しろ文字を一行ダウンロードするだけで何円かかったなんて思っていた時代です。

そんな時代からネットに関わった化石のような自分です。それだけに、今のように誰もが検証されないまま好き勝手に何でもネットに書けて、多くの人がそれを見てしまう事に強い懸念を覚えてならないです。

それで意識してネットやメディアとは距離を置き、自分自身が実際に経験した事だけを書くブログを書いて来たつもりです。それにネットにいくらでもあるような事は書かないようにも心がけていました。

昔話も多く長くなりました。本当に悪い癖です(汗)

30年近く、色々な媒体を通して、世界中から繋げた私の「旅先通信」は、このブログも含めて私自身の海外在住生活そのものだったと思います。

心は若い時のままで自由に旅が出来ますが、実際は身体が無理出来なくなりました。画像下のように世界中を自由に旅し、そこから伝えた旅先通信はもう出来ないのかも知れませんね・・・

20180621 Train

ありがとうございます。

2018.06.21 | コメント(34) | その他

今年もよろしくお願いします

明けましておめでとうございます。

読者の皆様におかれましては輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。
また、旧年中は、このブログに訪れていただき、大変ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

つい数分前ですが、2018年になった午前0時に多くの花火が打ち上げられました。私が住むアパートからだとメガ・バンナーから打ち上げられた花火が一番大きく良く見えました。

20180101 FW

さて、皆さんの年末はいかがだったのでしょうか? 私は2ヵ月近く運河や川沿いをずっと歩いていました。もう、こうなると異常な拘りかもしれません(苦笑)

20180101 Boat 2

考えてみると・・・私の故郷は江戸(東京とも言います)深川で堀に囲まれた地でした。借家は隅田川に架かる永代橋のすぐ横にあり、隅田川の花火も勝鬨橋の跳ね橋が上がったのも、(当時はあまりきれいではなかった)川面越しに見た記憶があります。

今はその多くの堀が埋め立てられ高速道路にもなっていますが、家から学校に通うのに幾つもの堀を渡った記憶が鮮明にあります。

20180101 Boat 1

下町で堀(運河)が多い・・・それはトンブリーと同じじゃないですか! そして年末はトンブリーからその流れを遡りノンタブリー県をずっと歩いていました。そこにはバンコクではもう見られなくなった水辺の生活がたくさん残っています。

20180101 Boat 3

一番上の画像はクイッティアオ売りでしょうか、その下は何でしょうねぇ~お粥かスープ系でしょうか、このすぐ上はアイス売りです。そしてすぐ下の2枚は野菜や卵などが見えます。

20180101 Boat 4

20180101 Boat 5

この下は完全にクイッティアオ売りですね。麺を茹でる寸胴から湯気まで見えるような気がして、橋の上から頼んで食べたくなりました。見ていると・・・水辺の家からオジサンが出て来てクイッティアオを受け取っているし・・・(笑)

20180101 Boat 6

20180101 Boat 7

水辺の家々、そこに暮らし働く人々、そして集落の中心となるお寺・・・それしか無いのですが、離れがたく心に残るのはなぜなのでしょう。

外国人が多く喧騒の観光地でもなく、コマーシャルを流し続ける大型ディスプレイがビルの影で眩しいぐらいの大都会でもなく、スマホを見ながら周囲への関心を示さないまま多くの人がすれ違う都会の道でもなく、洒落たカフェやレストランに入るのが当たり前顔の在住外国人やタイの金持ちの若者達が行き交う町でもなく・・・

長く暮らしたヨーロッパやアメリカでもなく、他のアジアの国々では出合えない・・・バンコクとその周辺で、離れがたく心に残る地と出来る限り多く出合いたいものです。

それを、タイの庶民の方達と同じ目線でブログに書く事が出来たらと思います。
それを、ネットに頼って人の後を追うのではなく、苦労して自分の足と勘で歩きたいものです。
それを、一生懸命自身の文章と画像で綴るブログでありたいと思います。
そして、タイの人々と同じように公共交通機関を利用して移動したい方々を一生懸命応援するブログでもありたいです。

と言う事で・・・新年一番で訪れて頂いた皆さんへ感謝を込めて、2018年これからのエントリー予定を簡単に紹介しておきます。(たぶん)ネットで初の紹介になる所だけを記します。

1、トンブリー王朝の面影を探す旅

昨年からの続きでだいぶ長編になってしまいました。すでに予告編をした部分もありますが、ネットでは初になるだろう所がこれからも登場します。

珍しい仰向けの涅槃仏・ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーン
20171213 BY 4

非常に珍しく美しい28体の仏像・ワット・アブソンサワン
20171213 BY 5

水の上に建つ美しい仏教建築は・・・
20171213 BY 6

バンコクヤイ運河で遊ぶ子供たち
20171213 BY 7

モン運河が行く着く所は・・・
20171213 BY 8

トンブリーの古い現役薬局
20171203 Thonburi 1

2、新シリーズでチャオプラヤー川元流を歩く旅


湾曲部にショートカットが作られる以前、チャオプラヤー川の元々の流れを追う旅です。地方バスとソンテウが移動の中心になりますが、バンコク周辺にこんな地がまだ残っていたと驚くばかりです。

20171228 Canal

私が見た中では最大の船の寺院
20171218 Wat 1

坐像や立像ではなく珍しい椅子に坐っている倚像
20180101 Wat 1

アユタヤはともかくバンコク周辺では珍しい仏塔
20180101 Wat 2

首都圏では3番目に大きい涅槃仏(たぶん)
20171218 Wat 2

本堂の外壁が非常に強い印象を与えるお寺
20180101 Wat 3

高床式僧房の下から托鉢用の小舟が直接水路に出られるお寺
20180101 Wat 4

水辺に建てられた家と、印象的なお寺がある運河
20180101 Wat 5

3、新シリーズ、ラッターナコシン島の最初の堀

チャクリー王朝時に造られたと思っていたラッターナコシン島で最も内側の堀、これはトンブリー王朝時に掘られた運河でした。

20180101 Canal

4、なかなかエントリー出来ないナイトマーケット

街歩きの中で知った(たぶん)ネットには載っていないだろうナイトマーケット。水上マーケットは首都圏周辺で22カ所も紹介しているのに、ナイトマーケットは夕方以降は体力が持たずに、なかなか再訪出来ずに4カ所も未紹介のままです(今もあるか心配ですが)。

20180101 Market

5、バンコク不完全バスガイドの地方バス版をいよいよ・・・

底なしのようで避けていたのですが・・・バンコク首都圏だけでも地方バスの路線をエントリーしようかと思っています。起点から終点に乗る事はまずないし、路線上は何も書く事がないし、全て中途半端になるかと思いますが・・・情報が極端に少ない地方バスかと思います。何もないより中途半端でも書こうかと・・・

20180101 Bus

他にも書きたい事はたくさんあるのですが・・・だんだんパソコンに向かって書くのが辛くもなっています。歳なのか持病なのか・・・街歩きの好奇心は尽きる事がないのですが、これを整理してブログにするのが時間的、肉体的、気持ち的にモチベーションを維持するのが辛くなっているのも本音です。

新年一番から長くなりました。のんびりマイペースで、いつかは止める時が来るブログですが、その時はご勘弁ください。

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。

2018.01.01 | コメント(9) | その他

2017年総決算 一年を振り返る

昨日、一昨日と終日曇り空で小雨も降ったバンコク(の隅っこ)です。例年なら乾季の中でも一番気持ちよく過ごせる12月ですが、今年は雨が降ったり寒くなったり(って言ってもタイでの話ですが)で少し例年と異なる気がします。

この数日の天気の崩れは台風Tembinテンビン(日本だと27号?)の影響だったのかも知れませんね。今年はラニーニャ現象で日本では寒さが厳しいようですが、この現象はフィリッピンなど東南アジア付近では海水温が平年より高くなり、より活発に積乱雲が発生する・・・と聞いた事があります。そんな世界的な気象現象なのかも知れません。

さて、2017年も今日を入れて残り四日となりました。いやぁ~本当に早いものですねぇ~ 歳を取ると時が速く流れるものとは思っていました、それ以上です。また、リタイアしたら時を持て余すかと思っていましたが、そんな事はなくあっと言う間の一年でした。

そんな一年を振り返り、私的重大ニュースでも・・・なんて思っていましたが、まったくニュースなんてありません(笑) そこで『一年を振り返って』と言う事で2017年のこのブログをまとめてみましょう。

20171107 SL 1

本題に入る前に・・・「一年を振り返って」とは違いますが一番喜びたいのは、今年も無事で一年を過ごせた事です。

定年がないアメリカでまだまだ働ける環境なのに仕事を辞めたきっかけは、持病でもう無理出来ない事を自分で認めたからです。これ以上無理すると仕事にも周囲にも迷惑をかけるし、ビジネス環境では冷酷なほど厳しいアメリカで追われるようになりたくないと、自ら退く事を決めました。

その持病の痛みはタイで今も止むことがありませんが、働いていた時よりずっとマシで全く身動き出来ない日はほとんどありませんでした。何しろ辛かったら何もせずじっとしていれば良いのですから・・・2017年で言えば実はこの数か月が体調が悪く、週に数日はじっと部屋で耐えています。

20171228 Dog

一番怖いのは街歩きの中で怪我する事です。何しろ日本人はもちろんタイの人も知り合いが全く居ない(作らない)一人暮らしです。持病対応で1~2週間は籠城できる備蓄を怠った事はないのですが、携帯電話も持たず小銭だけの外出先で動けなくなったら・・・

20171228 Bike

歩道上を逆走するバイクは当たり前だし、横断歩道や信号は歩行者に何の意味があるのか? 一時停止の概念すらない中で着色ガラスで運転手が見えない車の前後を歩くのは本当に怖いです。都心部を離れたら野犬は群れで昼でもよそ者警戒中だし、バスやボートは停留所で止る事無く乗り降りするのが普通、歩道があってもなくても歩く人の安全を考えてもいない道路・・・

20171228 Bus

1年間で約千回のバス乗車、バンコク都と周辺県をほぼ毎日の街歩き・・・よく無事に過ごせたものです。

さて、前置き話はこれぐらいで、本題に入り2017年を振り返りましょうか・・・

前国王火葬の儀とその施設

昨年2016年10月13日に前国王が崩御されて以来、本ブログではずっと王宮エリアを見続けて来ました。2017年は特に王宮広場に建てられた火葬の儀施設を何も無かった時から見続けました。

前国王崩御以前
20171108 SL 1

2017年年初
20171108 SL 6

2017年7月
20171108 SL 7

2017年9月(間に合うかと心配に)
20171108 SL 8

2017年10月27日(葬儀当日公式サイトの画像から)
20171109 SL 7

2017年10月31日(ボランティアの人に頼んでカメラだけ施設内に)
20171031 SL 1

そして本エントリー冒頭の画像は一般公開直後に撮ったものです。その火葬の儀施設も後数日で立ち入りが出来なくなり、来年早々には撤去されるはずです。

このブログではネットで拾った内容やニュースの記事や画像を一切使いませんが、ずっと王宮エリアに足を運びそこに集う人々を見続けて来たエントリーが以下の通りです。

第20回目「今、絶対に行くべき火葬の儀施設と特別展②
第19回目「今、絶対に行くべき前国王火葬の儀施設①
第18回目「前国王葬儀 直後2日 王宮周辺と王宮広場内火葬施設
第17回目「前国王崩御後374日 リハーサルに近づく事も出来ない
第16回目「前国王崩御後 一年 火葬の儀 内容・日程・注意
第15回目「前国王崩御後360日 一般弔問終了後の王宮周辺
第14回目「前国王崩御後11か月 弔問残り一週間の王宮周辺
第13回目「前国王崩御後9か月 今の王宮周辺は
第12回目「前国王崩御100日以後の王宮周辺
第11回目「崩御後8週間後のバンコク② 王宮周辺エリアの現状
第10回目「崩御後8週間後のバンコク① 今の王宮エリアは
第9回目「崩御後5週間後のバンコク、今の王宮エリアと交通事情
第8回目「崩御後4週間のバンコク、三大衣料品市場を回る
第7回目「崩御後3週間のバンコク、今の王宮エリアは?
第6回目「崩御後2週間のバンコク、観光地の今は?
第5回目「国王崩御後11日間のバンコク、変わる黒服と上京する人々
第4回目「国王崩御後210時間のバンコク、すごい事になった10月22日の王宮前
第3回目「国王崩御後117時間のバンコク②、王宮に集まる人々
第2回目「国王崩御後117時間のバンコク①、王宮エリアは?街は?
第1回目「国王崩御後53時間のバンコク、交通機関、街、市場、夜市は?

バンコク路線バス全路線全区間制覇

30年近くネットワーカーですので、所詮個人のブログなんか他人様のお役に立つ事はほとんど無いと分かっています。そんなブログですが少しでもお役立てば良いと思い始めたのが、バンコクの複雑怪奇な路線バス全路線を紹介する事でした。

20171125 Bus 1

BMTA管轄路線バスで現在運行されているのは私が数えただけで205系統ありますが、同じ番号でも短区間運転や枝線もあり、直営と委託会社、高速経由か一般道か、バスの種類、行きと帰りルートが異なるのは普通です。しかも全く同じ番号でも行先表示板だけでルートが全く変わる場合も多く、同一番号で5つの違う行先の例すらあります。これら全てを数えたら300以上の路線があると私は思っています。

20171125 Bus 3

そんな状況なので、BMTA公式ホームページは半分信じられるかでしょう。他に有料の本から個人のサイトにも路線バスを記したものがあるでしょうが、書類だけで実際に乗る事無く書かれたものは間違いが非常に多いのです。それで私は全路線全区間の往復で直営委託と車種別でただ乗るだけを繰り返しました。その路線を解るまで最低でも5~6回は乗ります。それを300以上の異なる路線で繰り返す・・・

20171125 Bus 4

それで全路線全区間制覇するのに年間約千回の乗車で2年半かかりました。ただ・・・乗るのは簡単ですが、それをブログに全て書くのが正直大変でした。大変ですが、同時にこのブログを続けるモチベーションの一つでした。終わった今も見直しと更新作業をしていますが(笑)

下の地図で赤い数字が東西南北で最端の路線番号(複数の時は若い番号のみ)を示し、青い番号は東西南北以外の最端の番号です。

20171125 Map 1

結果的にですが路線バス全路線全区間に乗る事が、今までネットに書かれる事が無かった多くの所へ行く事になりました。それこそ上の地図にある首都圏はバスに乗るだけでなくほんとど歩いています。

ブログ・ランキング脱会

ロングステイを始めた2ヵ月後にタイ関係のブログランキングに入り、3つのランキング全てで5位内には入っていたのですが、2年半後の今年になって全て脱会しました。

当初、タイ関係のランキングに移って来た時・・・メディアやネットで拾った事でチャチャっと書かれるブログの多さに大変驚きました。中には平気で画像も記事もコピペするブログもあったので、最初から違和感は強く感じていました。

古いネットワーカーなのでそうして事は受け入れないまま、違和感をずっと感じたまま同じ土俵でランキングに参加していたのは広く知って頂くツールとしてでした。それもタイに関係ないヘイトブログやネットやメディアの拾いネタコピペブログに、相変わらずのフリーペーパー的ブログ・・・それらのタイトルを目にする機会を無くしたくて結局止めてしまいました。

ランキング参加を止めて一日平均450ぐらいのアクセスが、250ぐらいになったと思います。私自身も日々訪れていただいている方々には申し訳なく思いながらも、毎日更新ではなくマイペースで書くようになっています。

特に本ブログは自分の店や商売(そんなものは全くないのですが)などのビジネスに関係ないし、広告・アフェリエイトも全くありません。ありがちな中身がないのに思わせぶりなタイトルや意味深な書き方でアクセスを稼ぐ必要は全くありません。読者がブログ内で何かをクリックするストレスを感じて欲しくないので、そんな仕様は全て避けてもいます。

いつかは止める時が来る個人が自分の好き勝手で書いているブログです。書きたい事がある限り、身体が許す限りはまだ続けますが、そんなブログで良かったら・・・時々見に来ていただけたら幸いです。

更にディープでマニアックになって行くかも(笑)

私はガイドブックに載るような所は全く興味ありません。まぁ、昔住んでいた事もあるし、海外に長く住んでいたからかも知れません。そしてどこぞの日本人が多い店で何かを食べてあれこれ書くのも興味がありません。

20171215 Park 3

「ローカルな・・・へ」「郊外の・・・へ」と言った都会目線の書き方は好きではありません。これだけバンコク都と周辺県のあらゆる所で街歩きしているのに、BTSに最後に乗ったのは8カ月前だったか・・・もちろんタクシーはもちろんモタサイも使いません。日系スーパーはもちろんコンビニでも買い物しません。そして日本食はもちろんタイレストランでも食事をする事はありません。

20171123 Thonburi 1

バンコクにお住まいの日本人の多くの方々が日常的に接しているだろう・・・そうした所や事がこのブログに登場する事はないのです。そう言った意味では、多くのバンコク在住者には無関係でお役に立つようなブログではないと思います。

20171104 Hua Takhe 2

毎回長いし、昔話に年寄りの自慢話、押しつけがましい面倒くさいブログです。「どこどこ行った、珍しかった、楽しかった」「何々食べた、素敵だった、美味しかった」的なありがちでタイ関係では特に多いブログではなく・・・何らかのテーマ性を持ち、ストーリーがある内容でありたいと思っています。

20171228 Kid

自分自身のロングステイの日々を何も隠さず飾らずありのままに。そして、バンコク都とその周辺県でタイの人々と暮らしに触れる街歩き。そこにストーリーも、文章も、画像も、自分なりのオリジナリティーが表現できれば良いのですが・・・

20171228 Canal

こんなブログでよろしかったら、引き続き来年もよろしくお願いします。

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。

2017.12.28 | コメント(10) | その他

よろしくお願いします

ALSTERです・・・って違ったら大変ですが(笑)今日はわざわざアクセス頂き、本当にありがとうございます。

今回からブログ・ランキング参加を止めたので、新着情報(更新情報)がない中でアクセス頂いた方がほとんどだと思います。

きっと今まで何度かご覧いただいていると思うのですが、折角アクセス頂いても空振りになるかも知れません。週に一度ぐらいでお暇な時に「どうなっているかのか?」と思い出された時にでもアクセス頂いたら幸いです。

私自身ものんびりと更新するつもりでいます。

時間だけはたっぷりある暇な年寄りなので、書き出したらキリがないのが今までの率直な自分でした。ネットはもちろんキーボードもパソコンも30年以上ですから、生活の一部なっているのですよねぇ~ 

それが急に変わるとは思っていませんが(苦笑)今は意識して更新間隔を空けるつもりでいます。今まで通りだとストレスが無くなった分だけ書いてしまいそうですから(笑)

リラックスしてロングステイの日々、そして街歩きや好奇心の対象をゆっくりと書いて行こうと思います。

さて、今日(11月3日)はタイの灯篭流しことロイクラトンでした。タイ正月ことソンクランに次いで有名なタイ全土でのお祭りかと思います。日が暮れてからがメインの祭りなので、残念ながら今は見る事が出来ないのですが、今年はどうだったのでしょう・・・

数年前ですがラムカムヘンはサマコーンでコムローイを上げた事があります。一個数百バーツで買って願い事を書きましたが・・・家内安全、身体健全、病気平癒、交通安全、旅行安全と書いたので、欲張り過ぎたかもしれません(汗) バンコク都では禁止との噂を聞いた事がありますが、今はどうなんでしょうねぇ~

20171104 Khom Loi

そんなロイクラトンの今日は好きな市場へ行ったら、お店の軒先では灯篭作りで皆さん忙しそうにしていました。可愛いでしょう(笑) これはフアタケー市場で撮ったのですが、フアタケーとはワニの頭の意味です。私のアパートに近いのですが、スワンナプーム空港の北側にあります。

20171104 Hua Takhe 1

実は・・・このフアタケーが次回のエントリー予定です。ブログ・ランキング脱会記念で特別公開(大袈裟!)になります。観光ガイドブックでは絶対に載ってないだろうし、個人のブログでも書かれた事はないでしょう。私のブログでは「触り」をだいぶ前から書いていましたが、この2年半で知った大好きな所で初公開です。

路地奥・運河沿い・百年市場・古い家並み、内緒にしたい秘密の場所・・・などがお好きな方は絶対的なお勧めの所です。このブログに直接アクセス頂いた方だけに、とっておきの所を紹介します。

20171104 Hua Takhe 2

そして今回ですが、今日はあらためて・・・少し踏み込んだ自己紹介をさせて頂きます。

ハンドル名(こうした言い方は古い?)はALSTER(半角で全て大文字英字です)と書いてアルスターと読みます。

1990年(もう27年前ですね)日本のネット(パソコン通信)にドイツからデビューして以来、一貫してこのハンドル名です。パソコン通信でお世話役をしたり、ソフトバンク社からの出版や大手雑誌に載った事もあるので、古いネットワーカーにはご存知の方がいるかも知れません。

20171104 HH

ネット自体はその前にアメリカのCompuServe(コンピュサーブ、後のアメリカオンラインAOL)に入っており、CompuServeと提携したNifty(ニフティー)が日本でパソコン通信の大手になったり、AOLは後に世界的インターネット接続の大手になりました。

ネットの歴史のような時代を歩いていましたが、携帯電話が嫌いでスマホは触った事もありません。(正直、女子供がやるものと馬鹿にしていた)ブログを始めたのが5年前で、他のSNSは無縁で化石のようなネットワーカーだと思います。

そんな昔から同じハンドル名ですが、由来は北ドイツ・ハンブルグにある湖の名です。ハンブルグからアウトバーンで1時間半も離れた田舎に住んでいましたが、名前のイニシャルと同じなのと、北ドイツだけにある「Alsterwasser(アルスターヴァッサー)」直訳すると「アルスター湖の水」と言うビールとレモネードを混ぜた飲み物にも由来しています。

20171104 ALSTER 1

外国に籍を移して現地でサラリーを得たのはフィリッピン、台湾、ドイツ、タイ、アメリカですが、日本勤務時も年の半分は海外出張の連続でした。またアメリカは途中で日本企業を早期定年退職して数日後にはアメリカで現地採用になっていますし、タイはリタイア後に二度目の在住になったのはご存知の通りかと思います。

一番長く住んだのはアメリカで10年、続いてドイツが7年で次がタイで通算6年になります。考えてみると、働くようになってからずっと海外関係の仕事をしています。国と仕事は違えど、全て海外に関係していました。40年以上ですねぇ・・・訪れた国と都市は数えた事はありません。

ドイツ赴任直前に結婚し、軽井沢で式を挙げてそのまま近くの万座温泉に新婚旅行、先に私はドイツに渡り家内を湾岸戦争の真っ最中にガラガラの飛行機で一人で来させたひどい男です。家内はさぞ心細かったでしょう・・・

20171104 Cell

北ドイツの片田舎で二人の子に恵まれましたが、出産直後に長男は手術、長女は帝王切開と海外での出産・子育てでものすごい苦労を家内にかけてしまった事は何度かブログで書いています。それがトラウマでその後私は単身赴任で家族と離れ、一人海外に暮らすようになって現在まで続いています。

家族4人で撮った一番新しい画像が3年前に築地で寿司屋に行った時でした。もう子供たちも親と一緒に出掛けなくなっていますしねぇ~ 一昨年に娘がタイに来て、昨年は息子とヨーロッパでしたが、家内はいつもお留守番役で申し訳ないです。

20171104 Family

子供たちから見れば父親はずっと海外で働き、時々日本に戻った時にレストランなど連れて行ってくれる存在だったと思います。あるいは父親は海外に遊びに行く理由でもあったと思います。

あまりに長く別々に暮らした事は私自身のトラウマになり、アメリカでリタイアして日本へ戻ったものの「稼ぎがない口うるさい父親」である自分の居場所が見つからないと一人勝手に思い込んでしまい、そんな自分に嫌気がしてまたしばらく離れる事を選んでしまいました。

皮肉なものです。家族の為だと思い一人海外で暮らし働く事を選択した結果が・・・一人自分だけが家族の外にあって、戻る所が無い様な・・・家族の想いとは別に働けなくなった自分自身が情けなくて仕方ありませんでした。10年以上のあまりにも長すぎた別々な暮らし、そんな後に働けなくなって戻った自分・・・そんな自分が嫌でした。

家族に全く問題は無く、完全に私自身の心の問題です。

今もそれが一番の大きな悩みですが・・・同時に、もし子供たちが無事巣立ってくれれば、また家内と二人で旅行したり食事に行ったりするのが楽しみでもあるのです。少しは家事も手伝えると言うか、分担出来るでしょうし・・・

自分自身の問題は身体にもあります。長く持病で苦しんで、それが定年の無いアメリカでリタイアした最大唯一の理由です。世界やアメリカ中を飛び回るような仕事で無理が効かない自分に嫌気がしてしまい・・・

この持病が根治する事はこのままではないですが、リタイアしてからは痛みで全く動けなくなるような事はありません。タイに来たばかりの頃はバスに乗っても急な衝撃が怖くて座っていてもいつでも中腰になれる姿勢で緊張していましたが、今では居眠りもしています。

自分の事ばかりで、しかも今まで何度か断片的にブログの中で書いて来たばかりの事です。まぁ、一人気ままにタイで過ごしているのも事実だし、一人で苦しんだり悩みながらの日々であるのも事実です。

20171104 ALSTER 2

今日はちょっとネガティブっぽい事も書きましたが、普段はブログ通りで好奇心のままに街歩きしています。大自然とかには興味が薄く、人間が関わった全てに好奇心があります。遺跡でも現在の街並みも同じです。路地裏から古い家並み、交通機関、市場、運河に道に橋、建物や工事・・・そしてそこに暮らす人々です。

それらがブログの対象になりますが、同時にありのままの自分を書くブログでありたいとも思っています。自分自身が何を見て聞いて思ったのかをブログに書けたら良いと・・・

ただ、それらは今までも同じなのですが、すでにだいぶ書いているので、もうタイであまりお役立ちのブログにはならないのかも知れません。まぁ、のんびりと書いて行きます。

と言う事で、今後もゆっくりとよろしくお願いします。

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。

2017.11.04 | コメント(17) | その他

ありがとうございます 2年半のまとめ

すでにお知らせ済みですが、今回のエントリー後にブログ・ランキングへの参加を止める事になります。

ブログ自体は同じURLで続けます。相変わらずですが、メディアやネットで拾った記事や画像でブログを書かず、観光ガイドや日本語フリーペパー的にありがちな食べ歩きや日本人が多いメジャーな所は扱わず、他のサイトの後追いにならないようにネットと距離を置き、自分自身の経験した事だけで綴ります。

そして今まで同様にブログ内に広告など一切無い上に、今後は全くクリックなどをお願いしないブログになります。また不特定多数の方がタイトルだけ見てアクセスされる事がなくなるので、今まで以上にお気軽にコメントやご質問を頂けたら幸いです。

今回がブログ・ランキングに反映される最後のエントリーです。

そこで・・・タイ海外生活のカテゴリーにブログを変えてから2年半。この間の主なエントリーをまとめました。『このブログで得する人損する人』ですね(笑) もし仮に、お役に立つようなエントリーがあれば、そのURLをどこかに残すと再アクセスする時に早いかと思います。

私自身はネットとは距離を置き他人のブログを読む事はないし、他の人の後を追うような旅や街歩きはしたくないのに、他人に読まれる事を前提の話でおかしいですね(笑)

このブログで損する人

生真面目で饒舌、面倒くさいし押しつけがましいでしょう。くだけた書き方は出来ませんので、それらが鼻につく方はご覧にならない方が良いかと思います。

面白い話や簡単な「○○の仕方」をちゃちゃっと読みたい方はご縁がなくて申し訳ないです。時々、そうした書き方が出来れば・・・と思う事もあるのです(苦笑)

1、毎回長いです

毎回かなり長いので、よほど暇な人じゃないと読む時間がもったいないかと思います。その上にタイに関係した本題前に(今回を除き)毎回長い前置き話があります。

私的にはこのブログの主役は「ロングステイの日々」でタイでもバンコクでもなく、私自身の日々の生活から、思い出話、世界各地の生活や旅行の話、若い時の自慢話までしています(汗)

しかし話題がタイに全く関係ないまま続く事はありません。まぁ、強引にタイに関係づける事はあるかと思いますが(笑)

2、ニュースネタは扱いません

ニュースなネタでブログを書かないのですが・・・」で書いた通りなのですが(汗)

個人のブログを通してメディアニュースを知りたいと思っている方が居るとは私的には考え難いのですが、メディアを通して流されたニュースをブログに載せる事はありません。

ニュースに注意深い事は良い事ですが、全く知らない個人の主観で選ばれたニュースのある部分だけを読むべきではありません。出来る限るニュースの元で(自分の主観でさせ影響させず)幅広くニュースを知るべきです。出来れば、タイ、日本、そして世界のいくつかがどう報じているかを知るのが広く海外で生きて行く術になります。

特にタイでは独立性に疑問があり「権力の監視機能」に至ってはその反対の位置にある場合が多く、交通事故の悲惨な写真や悪人を逮捕したのを誇るような警察写真以外はプレスリリースそのままが多いです(そうしないとならないのでしょう)。

どうせなら、タイ首相府、バンコク都庁、国土交通省、観光庁・・・などの公式サイトを見ているだけで、ニュースに載る前にほとんどを知る事が出来ます。それらを載せたタイや英字ニュースから(多くの企業御用達内容や宣伝を含んで)日本人に向けて選んだ記事を日本語で流すニュースは更にその後に一部が報じられるだけで、それを見てまたアクセス稼ぎになる内容だけをブログに書く方が居るのは悲し過ぎます・・・

3、食べ歩きネタは扱いません

食べ歩きでブログを書かないのですが・・・」に書いた通りなのですが(汗) 食と酒は人生最大で最長の趣味で世界中を食べ歩いていますが、タイでは本当に納得して書きたい所が今はありません。

ランチだけなら毎日外食ですが、素材、調理、店内、サービス、衛生面、サービスなど「不安定」なのが唯一の特徴に思えます。特にバックヤードを見ると、決して読者にお勧めなんて書けないと思うのが正直な感想です。もっともブログで「ここは美味しい・・・」と書く側も、それを読んで行く側も・・・そんな事まで気にしていないだろうし、食の旨さが本当に分かっているのか?

市井の食堂で気づいた事に「またか・・・」「ここもか・・・」と思いながらも、普通に美味しく食べている日々です。それをブログで多くの人に語るようなものではありません。

4、観光メジャーな所や日本人が多く住む都会は出て来ません

観光ガイドから個人のブログでも多く書かれている所を書く必要は無いでしょう。私自身がもう何十年も前からガイドブックや他人様のブログを見て、その後を追うような旅や街歩きはしていない事もあります。

お洒落した若い人たちが闊歩している都会は田舎者の私には眩し過ぎます。そしてバンコクの高層ビルが建ち並ぶエリアとそこを行き来する人々は、なぜか私には薄っぺらい感じも同時にしています。この都会を歩くなら東京、ニューヨークにパリの方がよほど面白いと・・・

ただ、ビルの谷間で路地奥にさ迷いこんだ時、道に染込んだにおい、熱く身体にまとわりつくような風がソイに流れた時だけは、この街特有に姿を現すかのように思えます。

5、バンコク都とその周辺しか出て来ません

以前はタイ中を旅しましたが、今はもう・・・(苦笑) 持病を抱えた今は、バンコク周辺県で精一杯です。バンコク都心部が無くて、首都圏以外も無い・・・まるでドーナツですね。偏ったブログです。


このブログで得する人


全て自分自身が経験した事しか書きません。それも何度か繰り返して自分が納得した事だけです。ネットなどで読んだだけでサクッと書くような事が出来ないのです。元々、ネットに30年以上接しているので信じていない部分も大きいと思います。

ブログ内には広告・アフェリエイトなど全くありません。アクセス解析等も埋め込んでいません。お店の宣伝も兼ねてのブログではありませんし(もっとも何の商売もしていませんが)、何のビジネスにも関係ないブログです。「拍手」「いいね」系も無くして出来る限り読者にクリックを求めない作りのブログでしたが、明日からはブログ・ランキングも参加しないので一切のクリックをお願いしない・・・求めないブログになります。

「お得!」「○○情報!」「激旨!」「最高!」なんて恥ずかしくなるような大袈裟なタイトルはもちろん、エントリー内でもそうした言葉は使った事がないはずです。「得する」を使った今回は初のグレーですね(汗)

ブログを読まれた方が少しでも「得」「役立った」と思っていただけたら良いのですが・・・以下は関連の中での最新(代表)エントリーで、そこからそれぞれのエントリーにリンクされています。

素直に言って、全てお勧めです。有料の本や資料にサービス、観光や営業ブログにもない充実度が多くあると思います。何しろ自分が全て白紙から何度か経験しながら書いて更新もしているのですから。要は暇な物好きなのです(笑)


1、公共交通機関利用にお役立ち

BMTA路線バス 全路線と周辺 
センセープ運河ボート 全船着場と周辺 
チャオプラヤー・エクスプレス・ボート 全船着場と周辺 
パーシーチャルン運河ボート 全船着場と周辺 
プラカノン運河ボート 
パドゥン・クルンカセーム運河ボート 全船着場と周辺 
チャオプラヤー川渡し船 1都2県の渡し船全て 

国鉄マハーチャイ線 全線全駅と周辺
 
MRTパープルライン 全線全駅と周辺 

BTSスクムビット線サムローン駅先延伸部全駅全区間 
BTSスクムビット線モーチット駅先延伸部全駅全区間 
MRTブルーラン・ファランポーン駅延伸部全駅全区間 
MRTブルーライン・タオプーン駅先延伸部全駅全区間 
国鉄ダークレッドライン工事全区間に全駅全駅全区間 
国鉄ライトレッドライン工事全区間に全駅 

新線オレンジ・ピンク・イエロー・ゴールド 

バスターミナル 
ロットゥー(戦勝記念塔) 
ドンムアン空港アクセス 
スワンナプーム空港アクセス 


2、タイ王国ビザ自力取得へお役立ち

リタイアメントビザ 
その他ビザ関係 


3、多くの図書館と博物館を紹介

18カ所の博物館 
5カ所の図書館 


4、ほとんどの水上マーケットとナイトマーケットを紹介

22カ所の水上マーケット 
10カ所のナイトマーケット 


5、多くのショッピングモールと特徴ある市場

27カ所のショッピングモール 
面白すぎる!パタヴィコーン市場 
東南アジア最大級卸売市場タラートタイ 
モーチットとは違うチャトゥチャック 2
王宮広場2と呼ばれるサナームルアン2 


6、他にはない特徴ある街歩きシリーズ

都心部公園を結ぶ空中回廊 
ぶらりノンタブリーSeason2 
首都防衛城壁を歩くSeason2 
首都防衛要塞を行くSeason1 
ソンテウで行くサムットプラカーン 
路線バスで行くナコーンパトム 
ぶらり散策ノンタブリーSeason1 
ぶらりマハーチャイからメークロン 
トンブリー王朝を歩く 
いにしえの島を歩く 
気になるスポット 


7、2年以上続く毎月の生活費公開

ロングステイの生活費(毎月1日か2日)


8、1年以上現場で変化を見続けた

前国王崩御に関する18回のシリーズ 

個々のエントリーを挙げたらキリがないので、この辺で・・・
何かのお役に立てば幸いです。

ブログ・ランキングを通じてアクセスされていた方々には、今後お目にかかる事が無くなるかと思いますが、本当にありがとうございました。

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。

2017.11.03 | コメント(3) | その他

ブログ・ランキング参加を止めます

前国王火葬の儀が明日まで執り行われています。タイ全土が亡くなられた敬愛する前国王に思いを馳せ悲しみの中にあるように思えますが、街はすでに日常を取り戻しつつあるようにも見えます。

献花用に首都圏9カ所と全県76カ所に設けられた「火葬の儀の施設レプリカ」ですが、今朝のバンナーBITECではもう訪れる人はほぼいないようでした。

2017102801

いずれにしても愛すべきこの国と人々の幸せを願ってなりません。

さて、私自身のロングステイの日々を綴りながら、このようにタイとタイの人々を見つめて来たこのブログですが、前回エントリーに書いたような事情で今後どうするかを考えています。

エントリーしなかったこの二日間も書きたい事、やり残した事の作業をしていました。このように前回のエントリーでも書きましたが、ネット上で発信する事は止められないと思います。

色々とコメントを頂いていますが、私自身は「この土俵にはいたくない」と思う気持ちが強くなるばかりなので、その土俵であるブログ・ランキングへの参加を止める事にしました。

ここではもう書きませんが、一つだけでなく多くの理由があります。誰もが好き勝手に安易にネットに発信出来る時代の中で、私自身が古くて合わなかっただけでしょう。

自分自身の問題で、ブログ・ランキング自体は多くの方々がこのブログを目にする機会になったのは事実で感謝しています。また今までの多くの方々にランキングを経由してアクセスして頂き、本当にありがとうございました。

後数回ですが、中途半端な事があるので、このままの形でエントリーした後にブログバーナーを外します。出来れば過去のエントリー全てで外したいのですが、あまりに面倒なのでそのままにします。

本ブログのURLは変わりません。アドレス自体は変わりません。

ランキング参加だけを止めるわけですが、皆さまのお目に触れる機会は激減するかと思います。まぁ、個人が好きで書いているブログなので、そうして消えていくのが常かとも思います。

もし、もしまだ時々は知りたい事があってアクセスしたり、暇なときに思い出されて読みたいと思う方がおられたなら・・・ブックマート登録やお気に入り登録して直接このブログにアクセスされるか、「60代のロングステイ」や「ALSTER ブログ」などで検索されてもヒットするかと思います。

ブログはゆっくりですが書き続けます。週や月に一度とか、お時間があった時にでもご覧ください。

しばらくまだタイに住むかと思うのですが、「移住」じゃなくて「ロングステイ」なのでいつ別な国へ行くのか分かりません。私はアメリカで多くの移住した人達と親しかったので、「移住」と言い切る人は本当にすごい覚悟だと驚いています。

もう28年近くになる海外在住生活・・・それもいつかは終わる時が来るでしょう。

後数回のこのままのエントリー後になりますが、やりたい事、書きたい事がたくさんあって、すでに一部は書き始めています。今後のエントリー予定ですが・・・

1、バンコク路線バス不完全ガイドはまた最初に戻って更新の最中ですが、走行ルートをGoogle Mapsのまま表示させる埋め込みを検討中です。出来るのですが、メリットもデメリットもあるので・・・

2、同じくバンコク路線バス不完全ガイドで行先別のインデックス作成。猛烈な作業量になるので体力勝負かと・・・

3、公共交通機関は常時見続けて(まぁ毎日乗っているので)更新をし続けます。特に路線バスは王宮周辺の規制が解かれた後は、元に戻らずかなり変わるでしょう。

4、地方バスの旅はすでに終えているサムットサコーン県、ナコーンパトム県、パトゥムターニ県は早くブログ化しないと忘れそうです。

5、王宮周辺の変化を火葬の儀後も見続けたいです。11月に一般公開される王宮広場内の火葬の儀の施設も訪れたいものです。

6、誰も書かないような街並み、路地奥をもっと探求したいものです。すでにいくつかのリストはあるのですが、今までは路線バス踏破を優先させてしまったようで・・・

元々、広告やアフェリエイトが最初から無い上に「拍手」や「いいね」もないし、これからはブログを訪れて頂いた方がクリックするような事は全く無いブログになります。

よろしかったら、お気軽に何でもコメントの形で残していただいたら幸いです。またどんなご質問にも真摯に答えているつもりですが、何か分からなかったり気になった事があればお書き下さい。

ネットやメディアから拾った事でブログを書かず、自らの体験だけを書く事を貫きたいです。
広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。

2017.10.28 | コメント(10) | その他

ずっとブログを止めようか迷っています

ずいぶん前からですが、ブログを止めたいと思っています。正確に言うとブログ・ランキングを止めたいのが最初にあります。

半年ぐらい前にそれが一度ピークになって、その時にフェードアウトしようかと思ったのですが、ブログ上に中途半端でやり残した事があってダラダラしていました。

そのやり残した事がやっと一段落したので、また「ブログを止めたい」気持ちが強くなっています。

20171026 03

ここも正確に言うと、私自身は30年以上のネットワーカーなのでブログを書くのを止めないと思うのです。その公開方法と言うか、ブログランキング先を考えるか、私自身が今のままでブログランキングを無視するか・・・ちょっとまだ決めかねています。

20171026 01

私のブログは何のビジネスにも関係なく、またアフィリエイト広告も一切置いていません。アクセス数を稼ぎたくてブログランキングを上げる必要もなく、それは同時にランキングを上げる為に無理してアクセスを得るようなブログにする必要もないと言えます。

20171026 02

ブログランキングで順位を含めて何か競っているつもりはなく、ブログランキングを通して多くの方に知っていただけたら良いと思っています。

そして私のロングステイの日々をありのままに綴る事が、どなたかに少しでもお役に立てば良いと思っています。ただ、それだけです。

20171026 04

こんな風に書くと、斜に構える人達からは「格好つけて・・・」ときっと思われるでしょう。そんな見方しか出来ない人が少なくない事を人生で学んでいます。

まぁ、どう思われて構わないのです・・・

20171026 05

貧しい職人の家に生まれ、苦労して学び働き、長い間色々な世界と社会の中で多くの人種、宗教、文化の中に身を置いて家族と自分の為に一生懸命働き、リタイアして人生の終盤に入った今、他人からどう思われるかは大して気にもならず、自分が納得するかどうかが大切だと思っています。

20171026 06

もちろん、順位はランキングを開いて1ページ目にあれば大変ありがたいと思うし、アクセス数、コメント、そしてランキング順位が客観的にご評価を頂いた結果だと思っています。

面倒くさく、読みにくく、生真面目で面白くもないブログです。タイに知り合いも全く居ないですし、日本人同士の濃い付き合いも苦手です。28年近い長い海外生活で一人で居る方が気軽に思える付き合い下手です。そんな見知らぬオッサンのブログをお読みいただき、ありがとうございます。そして、どんな内容でもアクセス頂き多くのクリックをされるようなブログではないのに、本当にありがたい事です。

自分自身が納得するブログが書けて、それが結果的にランキングに反映されて、そのおかげで読んで下さる人も多くなる・・・それってブログの喜びって言うか、そうした事に意味があるのでしょう。唯一私が今まで書き続けている理由の一つです。

20171026 07

それがブログ・ランキングが嫌になる・・・なぜでしょうか。

「海外生活」関連で「タイ」に関するブログランキングに入った当初から、この土俵に居たくないと思う事が多かったです。それがずっと続いていています。他に適切な土俵、公開する場がなくて仕方なしに続けています。

ある町や村に住んでいて、隣近所にやたらゴミをまき散らす家があったら住み難いですよねぇ~ この町には関係なくそれも声も届かない遠い所の町と人々の事を毎日何回も口汚くののしっている人がいたら気持ち悪いですよねぇ~ その遠い町の中で好きにやって欲しいものです。

自分の不平不満を言葉汚く落書きのように書いている人がいたら避けたいですよねぇ~ 意味深で夜遊びの男性目線だったり反対に媚びるような感じの人がいたら嫌ですよねぇ~ 他所から拾った物がいっぱいの人がいたらちょっと・・・

20171026 08

メディアやネットで拾った事でしか書けないようなブログ、まるで日本語フリーペパーのようなスクムビットの飲食店ばかりのブログ・・・今は分別ない子供でもネットで好きなように発信出来る時代です。人それぞれで、きっとブログなんて自己満足で好き勝手に己が満足すればよいのでしょう。

他人ががどうあれ、私は自分自身が決めたルールで己のブログを書けばよいだけの話です。私は何度か「ブログの掟」をエントリーしています。

「自分自身が見聞きし経験した事だけを書く」「ネットにネガティブな事は書かないか書き方を考える」「表面的な事、一過性な事を書かない」「他の文章・画像の使用はもちろん引用・転用を避ける」

20171026 24

これら以外にネットでの自分のルールで「安易にネット検索をしない。使わない」「誰もが書くメジャーな所や事は避ける」「ステレオタイプにならない(タイの○○は▽△みたいな決めつけてありがちな記事)」などにも気を付けています。もちろん(真偽が定かでないので)ニュースネタは扱わないから、(安定性に欠けるので)タイでは食べログ的な事を書かないまで(笑)

こうした事を自分で意識して書き続ければ良いだけの話です。他人は関係ない。

20171026 09

他のブログを読む事はないので、ブログランキングも他のタイトルは見なければ良いのですが、参加している限りは一日に一度は更新情報など確認するのでアクセスします。そうなると見たくもない他のタイトルが目に入る。目にするだけでも嫌なヘイト的タイトルに嫌悪感を感じ、タイは○○ですの決めつけに驚き、どこから拾ったのかすぐ分かるニュースネタ・・・今日も在タイなら誰もが知る前国王葬儀の日程から模様、そしてお店が休みなんて多くが書かれているでしょう。

他人のブログなんてタイトルだけでも気にしなければ良いのに、それらを意識して目を塞いで2年半です・・・ もう、それもそろそろ止めようかと・・・

20171026 22

キーボードを日常扱うようになって40年以上(昔はタイプライターでしたが)、ネットに関わるようになって30年以上、個人がパソコンを持つのが珍しい時代からネットに発信を続け・・・何かを書いたり発信する事は日々の生活になっています。

長い文を毎日でも全く苦にならないって言うか、生活の一部のようなものです。買物や料理など生活の全て、街を歩けば全てが好奇心の対象で書くのに困る事は全くありません。

「ロングステイの日々」なので主役は自分自身の日々で、タイやバンコクではありません。それで(まぁ、年寄りだからですが)毎回世界各国で暮らしたり訪れた昔話をしていますが、主題がタイ関係である事からブレた事はありません。好きなのですこの国と人々が・・・

20171013 SL 9

元々、ブログを書くようになったのは遅かったです。その前は個人のホームページを運用していましたから。その前は出版したり、雑誌に載ったりした事も・・・ネットのスタートはパソコン通信でしたねぇ~(笑)

ブログはアメリカでワインと料理に関して始めました。厳しい仕事環境での激務、休みの時に気晴らしでたまに書くぐらいしか出来ませんでした。

そしてスーツケース一つで一人タイに来て、数週間足を棒にして全て飛び込みでのアパート探し、何行も断れながら粘り強く交渉(私は日本に住所もないし日本の免許証もなかったので)しての銀行口座開設、日本から生活資金送金、全て自力でのビザ取得・・・こうした経過をメモ書き代わりに記していました。

20171026 23

30年近く唯一のハンドル名をずっと使って本や雑誌に載っているので顔出しし本名のようなものです。生活費を全て公表し、アパートも出来る限り具体的に書いています。タイで一人で暮らす事に何かを隠す必要はなく何のやましさが無いからです。

特にビザはなかなか興味深く、在アメリカ・タイ大使館サイトで調べた事から始まり、各国大使館での要求事項が異なっているが面白く、最終的にはタイ王国イミグレーションの公式サイトだけを見てリタイアメントビザを取得するのが一番安く簡単と判断、その通りに取得しています。

20171026 20

路線バスも生活の手段で使ううちに・・・どこからどこへ行くのか、どこを通り、そんな街を走るのか、同じ番号でもなぜバスの種類が違って料金やルートも変わるのか・・・もう2年半も楽しませてくれました。

バンコク端っこの古い建物のアパートですから、12回戦もあったエアコントラブル、蟻さんとの闘い、隣人たちの生活騒音から・・・街歩きでのランチを除いて朝夕は100%自炊で、日々の買い物や料理に食事も全てありのままに書いています。

20171026 22

このように何でもブログに書く事が出来ます。路線バスの路線毎だったり、運河や道一本でも書けます。橋や街もそれぞれの面白さがあります。路地裏の人々だったり、電車新線の工事だったり・・・一つの公園やショッピングモールだけで何回も書けます。

20171026 12

今までブログに書いたのは、それら書きたいと思った半分も行ってないでしょう。

数え切れないソンテウ路線、難解な地方バス、市場やお寺に関して書き始めたら何十年かかるか、自ら禁じている(タイのカテゴリーではうじゃうじゃある)食べ歩きをブログで書いたら更に何十年(笑)周辺県の事もまだ2県が済んだだけで、たくさん残っています。何でもない街並みや路地裏が妙に好きだったりもします。

だからきっとブログか他の手段か分かりませんが、好奇心の対象をきっと書き続けると思います。自分自身が見聞き経験した事だけを自分の文章と自分が撮った画像を使ってです。

20171026 10

ただ悩ましいのがブログランキング(笑)

止めるのは簡単ですが、今までのエントリー全てのランキングバーナーを削除するはかなり厄介ですし、何より私の場合は一日250からのアクセスがランキングからあるのも事実です。そこをいきなり閉ざすのは・・・

それで、どうしようかとずっと迷っています。

20171026 11

まぁ、今すぐ何かを変えたいのではなく、出来るだけ私自身がブログランキングを見ないようにして(笑)、少し時間を置いて、ゆっくり考えたいと思います。

読者リクエストでまだ応えていないものも残っていますし、前国王葬儀後の王宮エリアも自身の目で見守り続けたい。路線バスの変革と委託バスとの駆け引きの結果がどうなるかも好奇心いっぱいだし、街歩きはずっと続くでしょう。

20171026 30

そうそう、エントリー済みの「バンコク路線バス不完全ガイド」は全て見直して更新するつもりでいます。これを昔のエントリーに上書きするか、新たにエントリーするかが悩みですが・・・

まぁ、まだたくさん書きたい事があるので何らかの方法で続けますが、かなりエントリー頻度や更新方法、そしてブログランキングへの対応をどうするか・・・何かが変わると思っています。

20171026 13

ありがちな現地情報発信ブログなんて私がとても出来る事ではなく、単に一人のオッサンのロングステイの日々をありのままに書いて、そしてこの国と人々が好きであるのが伝わるような文章と画像のブログでありたいだけです。

何も決まってないのですが、何かを変えたい気持ちは強くなるばかりなのです。

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。

2017.10.26 | コメント(18) | その他

アパートでパワーを増す隣人たち

私は昭和のど真ん中、そして東京の下町深川で育ちました。歳が離れた父と兄が職人で足が不自由だった母、そして早くから働いて私の学校まで面倒見てくれた姉の5人が狭いアパートに暮らしていました。(画像下は杉並区郷土博物館から拝借しました)

20170803 Room 1

生まれた時は借家だったか持ち家だったか分かりませんが、一軒家で土間もあった記憶があります。そこから大八車で狭いアパートに引っ越したのは小学生の時で、今から思えば貧しさのどん底でした。

母は外に働きに出る事は出来ませんでしたが、ずっと内職や近所の赤ん坊を預かって家計の足しにしていました。父は寡黙でいつも不機嫌でちゃぶ台返しをよくしていました。

今になって思えば、まるで昭和のドラマですが本当にそんな生活で、そんな貧しさは特に珍しくもない時代でした。

20170803 Room 2

貧しさの中で勉強など特に親から何か言われた事はなかったのですが、唯一「他人様に迷惑をかけるような人間になるな」といつも言われていました。

今の若者達は分かりませんが、私と同じ年代(それより若い年代でも)の日本人なら誰もがそんな風に『人に迷惑をかけてはいけない』と厳しく育てられたのではないでしょうか。

誰もが貧しく一生懸命働き学んでいた時、何よりも公共性や協調性と言った『和』を大切にする教育を受けて来た時代は、狭い国土内の単一民族の社会での暮らしにおいて最も必要とされた時代だったのかも知れません。

人生の半分近くが海外暮らしになりつつある私にとって、『個』を大切にして「主張」を恐れずに争うように生きて行く他国や多民族との違いが際立つのが、日本と日本人でもあるのです。

さて・・・そんな貧しさと窮屈な生活から逃げ出したかったのか、早くから働いていた姉は家を出て目黒区のアパートに住んでいました。私も働き出すとすぐに姉のアパートに転がり込んで以来・・・ずっと東京や神奈川のアパート暮らしでしたが、そのほとんどが安いアパートでした。

連続する海外赴任と結婚で生活環境は激変しましたが、最後の勤務地アメリカと現在のタイで合計13年近くはまたアパート暮らしです(笑)

20170803 USA

貧しさやアパート暮らしには慣れていますが、『人に迷惑をかけてはいけない』と厳しく育てられた日本人である私が海外でアパート暮らしになると・・・ストレスが溜まる事が多いには皆さんのご想像通りかと思います(苦笑)

アメリカでは南部の田舎町だったのと働いていたので、広い敷地の木々の中に3~4階建ての棟が点在し、敷地内にプールが2カ所とテニスコートにフィットネスジムがあったアパートに住んでいました。

Fire 2

暖炉まであった家賃千ドル以上の部屋から、最後は700ドル程度のワンベッドルームに住みましたが、時折の生活騒音(犬の鳴声とギターの練習)とゴミ出しルールを守らない(指定容器と時間)程度のごく小さな問題があっただけで、(家賃以外は)ほとんどストレスを感じる事はなかったです。

タイでは・・・やはりストレスをかなり感じていますが、それは部屋代にあまり費用をかけられないので、中途半端な場所の中途半端なアパートにしたのが一番大きな原因でしょう。

前在住時(2000~2003年)はプロンポン駅近くスクムビットSoi33の新築コンドミニアムに賃貸で住んでいました。バンコクの一等地の一つです。住んでいたのは日本人にヨーロッパやアメリカの人達に、いかにもお金持ちのタイ人が住んでいて、建物やそこに住む人々からは何のストレスも感じませんでした。

July29 Aparatment Soi33

今のアパート(実際はコンドミニアムの部屋を賃貸)は建物自体も築後かなり経っているし安普請なのを感じます。都心部から離れたバンコクの隅っこ、場所も建物もローカルになり切れない中途半端なのです。そしてそうした場所と器に住む人々も(私を含んで)それなりの人達です。

住んでいる方達はタイ人が6割~7割でしょうか。車を持たれている方が多くバンコクでは中間層なのかも知れません。外国人は日本人の方もおられますが、韓国語か朝鮮語を話される人々、シンガポールやインドなどの訛りがきつい英語を話す方々、北京語を話される人達、そして南スラブの言語と人種と思われる人々、アジア系の顔つきながら言語が私の知らない方々・・・など多種多様です。

こんなアパートに2年半住んでのトラブルは大小たくさんありました。

20170426 Aircon 2

最初が部屋のにおい。排水溝からのにおいがきつく最初は頭が痛くなるほどでした。管理者いわく長い間居住者が居なかったからで、しばらくしたら自然に良くなるとの事でしたが・・・

自分でもパイプ内の洗浄剤を使ったり、消臭剤を使ったり、排水溝をふさいだりしていましたが、確かに一ヶ月ぐらいから気にならなくなりました。

ただ、当初排水溝のにおいが気になった事もあって、部屋は徹底的に掃除しました。入居して一週間毎日床や壁、天井まで拭き掃除しました。クローゼットやキッチンの棚もばらして掃除。冷蔵庫は中はもちろん裏側のモーター周りも掃除しました。

今でも毎日気を付けているのは・・・高層階ですが外の埃っぽさが気になり窓は普段から開けませんが、扇風機で部屋の空気を常に動かす事と、特にシャワールーム兼トイレは常に掃除し乾燥させています。

Room After

そしてエアコン水漏れと隣人の生活音にはかなり長い間悩まされました。

エアコンは「エアコン・トラブル12回戦」を終えて、やっとオーナーが新品に交換してくれたのが3か月前。電気代が下がるおまけ付きで今の所ストレスがなくなりました。

20170426 Aircon 3

そして今は・・・隣人たちの生活騒音が悪化するばかりです。隣人たちのパワーがアップしているかのように思えます。

2年半前、右隣には中年女性と少し若い女性が住まわれていて、毎日夕方にお勤めに出てご帰宅が深夜の1時から2時の間でした。ご帰宅後に私的に大嫌いな甲高い大きな声で話されるので困り果てました。幼稚なタイ語レベルの私ですら、その話の中身がほぼ分かるぐらい大声でお話しになっていました。午前1時から3時や4時まで毎日・・・

コンドミニアムの管理室に相談と言うかクレームしたら、後日「煩いのはお前だと」倍返しのクレームがあって、タイでタイ人相手にタイ人を通して何かをクレームする事の虚しさ無意味さを思い知りました。

ちなみに私は一人暮らしでテレビもほとんど観ないので、部屋で話すとしたら家族との定期連絡のビデオ通話ぐらいです。『人に迷惑をかけてはいけない』と厳しく育てられた老いた一人暮らしの日本人が他人様に迷惑をかけるとしたら孤独死ぐらいでしょう(笑)

幸い、その右隣の女性達は2~3か月で引っ越しされて行きました。それ以来右隣は空き室のままです。今でも私はお寺に行く度に、この部屋がいつまでも空き部屋であるように祈り続けています(笑)

Apartment outside

ただ・・・左隣の部屋がずっと静かだったのですが、2年ぐらい前にお子様を出産されたようです。その部屋の住人は・・・どうも同じ階の離れた所にいくつかの部屋でタイ人ご家族全員が住まわれているようなのです。

日中から深夜24時まではほとんど生活音もなくドアの開け閉めの音がしません。24時頃からほぼ毎日何人かが何回も廊下をペタペタと歩き大きな音を立ててドアを開け閉めしています。

まるで左隣の部屋を家族全員の倉庫とか共通の部屋に使っているようなイメージです。入ってはすぐ出て・・・それを何人かが繰り返しているのです。しかも深夜24時から26時の間だけ。

その隣人のお子様がこの半年ぐらいから活発になって、左隣の部屋でお過ごしになる時は深夜2時位までお元気にされています。何で小さな子供が深夜過ぎまで元気なのか理解出来ませんが、ご家族の商売なのか決まってアパート内で動き出すのが深夜過ぎなのが不思議だし、まったく理解できません。

ワンルームなのでベッドとドアがすぐ近くです。アパートの構造から通路を挟んで両側にいくつもの部屋が並んでいます。ちょうど刑務所のような造りなのです。画像下(笑)の刑務所で言えば通路の幅はこの半分以下ですが、イメージはそっくりです。そして少しの音でも響き渡ります。

20170803 Door

そこをサンダルをペタペタ響かせて歩き、大声で話しながら歩き、時にはキャリーバックやスーパーのカートを引きずり、ドアの開け閉めは最後まで手を添えてなくてスイングさせるように閉めるので・・・通路で増幅された音は爆発音のようなものすごい音が響き渡るのです。

一度、左隣の深夜の音に反応してしまい部屋の中で「煩せぇ!!」と思わず怒鳴った事がありましたが、それでどうも迷惑をかけていると知ったのか、それ以来何となく少しはドアの開閉に気を使っているようにも思えます。

それでも基本的に深夜過ぎに何度も人が行き来しているのは変わらず、お子様がどんどん成長するに従って、歌ったり、泣いたり、おもちゃで遊んだりも徐々に大きくなって行きます。『深夜だから静かにしましょうね』なんて事は考えもしないのでしょう。学校に通う歳になられたら、少しは生活習慣が変わるかと思うのですが・・・

昨日今朝は午前1時にお元気に歌いながらお婆ちゃんらしき人に連れられてお部屋にお戻りになり、それからお母さんにバトンタッチでしょうか、その後1時間ぐらい泣きわめいておられました・・・こんなのが毎日です。

何度かクレームしようか・・・と思いましたが、タイ人相手に生活騒音をクレームしても無意味だろうし、大家族で部屋をいくつか所有している相手に根に持たれるだけでしょう。下手すると私が悪者になるだけです。深夜過ぎに何度も行き来し、ドアを開け閉めし、子供を遊ばせても、他人に迷惑をかけているとは考えもしない人達です。

そして通路の反対側に住む隣人です。

ブログに一度書いた事があるのですが、今年最初の頃だったか・・・南スラブ系と思われる方が入居され、部屋を一生懸命整えていました。

その後、大きなスーツケースを抱えた人たちが行き来するようになりました。長くても一週間と同じ人が住んでいません。まるで民泊のような部屋だなぁ・・・と思っていたのです。

厄介だなぁ~ もう引っ越し時かとも思っていました。部屋でタバコをたくさん吸っているのか通路までタバコ臭いし、ある時は数人で深夜過ぎまでパーティーのように騒いでいました。この時は翌日に通路ですれ違ったので、英語で「昨夜はパーティーかい?」と直接柔らかくクレームしました。かれらには直接クレームしても問題をこじらせる事はないからです。

その後2~3か月でこの部屋は使われなくなりました。きっと客が少なくやり繰りが出来なくなったのか、正式なクレームがあったのかも知れません。実はこんな張り紙もアパート内で見ていました。

20170803 Notice

内容は・・・ここは「ホテルでないので日貸しや週貸しは許されていないし、違法です」の意味です。でも、私の部屋の前ではありませんが、慣れない様子でスーツケースを持って出入りしている人をまだ多く見かけているし、貼紙もそのままなのできっと違法民泊させている部屋が多いのでしょう。

ところで、その空き部屋となった通路反対側の部屋ですが、数週間前に北京語を話すご家族が入居されて来ました。ドアを開けたまま大きな声で言い争い会話されていたので気付きました。お子様はまだかなり小さいです。

そして同じ頃に同じ階の離れた部屋にやはり北京語を話すご家族が入って来ました。それで・・・これはかなり厄介だと感じていました。特に離れた部屋に入られたご家族の男性ですが、ドアが親の仇のように憎んでいるのか、毎回アパート中に響かせるようにドアを叩きつけて閉めて行かれます。

たぶん部屋の窓を開けているので風圧で加速がついて閉まるのか、旧式のオートロックなので勢いよく閉めないと完全にドアが閉まらないの事もあるのでしょうが、手を添えたままゆっくりと閉めれば良いのですが・・・それを知らないのか、やはりドアに憎しみがあるのでしょう。

かなり心配して、他のアパートを探そうかと思っていました。それが中国系の両家族ですが、大きな声での会話やドアの開け閉めは煩いながらも、夜はしっかり静かにお休みなっています。きっと会社勤めなのでしょう。

昼ならいくら生活騒音があっても我慢できます。夜でも構いません。深夜だけは勘弁して欲しいのです。寝た後に生活騒音で起こされると・・・その後全く眠れなくくなるし、深夜の部屋で隣人たちの騒音に耐えるのは懲り懲りです。

働いていない身なので何とか我慢していますが、私がもし働いているか何か学んでいるなら、こう頻繁に深夜過ぎに騒音で起こされるなら、間違いなくアパートを変えるでしょう。

例え、アパートを変えても、似たようなレベルの所なら、きっとこうした隣人たちからの生活騒音は同じなのだと思います。どうしても静かに眠りたかったら、それなりの費用を払って静かな環境を買うしかないでしょう。

これからももっとパワーを増す隣人たちを覚悟すべきなのでしょう。

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2017.08.04 | コメント(7) | その他

(前編)娘への想いと日本のテレビ

私には娘がいます。

ドイツで二番目の子として生まれましたが、その前の息子が生まれた直後から具合が悪くて北ドイツの田舎町で大変な苦労を家内にかけてしまいました。

House

町中の医師から病院、そして日本の病院と連絡を取り合うなど四苦八苦した結果、生後数か月でドイツで手術。その後も田舎町からハンブルグ大学病院へ長く通う事になりました。

長男が落ち着いて来た頃に授かった娘ですが、娘もドイツの田舎町で予定にはなかった急な帝王切開での誕生でした。

20170609 NMS

息子をボスの家に預け、手術後で動けない家内とは別な新生児病棟に毎日通い、保育器に入った小さな命を見守っては家内にその様子を話していました。短い時間に保育器から出してもらい、家内より先に娘を抱いたのもしばらくは定番の自慢でした。

そんな海外での息子と娘の誕生と子育ては、大きな苦労と不安を家内に与えてしまい、二人のトラウマになってしまいました。その結果、ドイツ勤務の後半から単身赴任を選ぶ事になり、それが私の長い海外での一人暮らしでの始まりです。

Celle

今から思えば単身赴任は取るべきではなかった選択肢に思えてなりませんが、過去を今更悔いても仕方ない事です。

とにかく家内には海外での苦労をもうさせられないと強く思っていましたし、子供たちには日本で伸び伸びと育って欲しかったのです。その為なら一人で海外で働く事に迷いはありませんでした。(画像下は前タイ在住時で家族が遊びに来た時です)

Island

ただ・・・娘だけは海外、特にアメリカで育てれば良かったと今でも家内と話すのです。

私が単身赴任の所へ娘だけ呼んでも・・・アメリカで中学、高校、大学を出させてあげたら、それが娘の将来にどんなに良かったかと後悔してならないのです。

そう思うぐらい海外向きな性格ですし、どうも本人もそんな事を時々つぶやくそうです。

実は、私のアメリカ勤務時にもそんな事を考えなかったわけでは無いのです。ただ、やはり子育てを海外でする事へのトラウマがあって、そこまで踏み切れなかったです。娘には・・・大きな機会を逃させてしまったようで悔いが残っています。

20170606 ATL

毎年家族そろってアメリカに遊びに来ていた娘でしたが、中学を卒業する頃には友達と、そして一人でアメリカに遊びに来るようになりました。(画像下は西海岸へ遊びに行った時にサンタモニカで自転車です)

20170605 LA

私は東海岸が本拠地でしたが、西海岸でも顧客やスタッフを抱えていたので行ったり来たり。ロサンゼルスは日本にも近くて呼びやすいので息子と娘が交互に遊びに来ていました。

今思えば、父親がアメリカを飛び回って仕事をしていた時の姿を少しは見ていたのかも知れません。(画像下は休暇で娘とラスベガスへ行った時です)

Venetian Otto

息子とも昨年にヨーロッパを車で巡ったように仲が良いつもりですし、アメリカにも息子一人で遊びに来てくれていました。息子は海外で運転するのが大好きなので、いつもワイナリー巡りをするのに運転手をしてくれます。

20170605 APTL

ただ娘には・・・正直特別な思いがあります。父が娘に抱く愛情も強く感じていましたし、歳行ってから出来た末っ子の娘が可愛くてなりませんでした。

しかし一緒に暮らした記憶はお互いにほとんどありません。私が日本へ一時的に戻った時だけの父と娘。娘の運動会や学芸会に授業参観は行けた事がありません。部活の陸上の大会も全く行けませんでした。ピアノの発表会に一度だけだったか・・・

娘が小さな時は、たまに戻った私に甘え甘やかしで良かったのですが・・・年頃になると私も口うるさくなるし、少しずつ娘との距離が開いていったように思えます。

たまに日本に戻り、買い物のおねだりで(少女たちに人気の店が多い)渋谷に行った事もありますが、どうしてもよそよそしくなってしまうのは・・・それが普通なのかも知れませんが、一緒に暮らした事がない娘も私も少しの戸惑いがあったのでしょう。

20170606 Shibuya

娘は大学に入ってからフィリッピンやカンボジアでストリートチルドレンへのボランティア活動をしていました。何か海外への気持ちを抑えきれないものがあったのでしょう。きっといつかは海外で活躍したい・・・そんな想いを抱いているのかも知れません。

そんな娘はどこか私にも似ているのかも知れないですね。

ただ、自由で奔放な性格の娘に家での態度を心配して文句ばかり。外交的であるのは良いのですが、内向きな事は私から見て心配が増えるばかりでした。お互いの距離感が掴めないままでしたが、それも別々に暮らしていれば仕方なかったのかも・・・

一緒に暮らした事がないのに、文句ばかりの父に見えるでしょう。難しい子育てだけでなく、私と家内の両方の母を見送る事まで家内一人に任せてしまった私は、家族からすれば一人海外で自由で好きなように暮らしていたと見えてもおかしくないでしょう。本当に苦しい部分を話すこともなかった私が勝手にそう思い込んでいた部分もあると思います。

働けていた時はそれでも良かったのですが・・・私は持病と戦いながら働き続ける事に疲れてしまい、アメリカでリタイアを決めました。家族の為にもっと働き続けたかったのですが、身体も心も、もう頑張れないと思った自分に疲れてしまったのです。それは家族の為に長い間自分がして来られた唯一の事を失ったとも思えました。自分自身にがっかりしていましたねぇ・・・

20170609 ATL2

アメリカで最後の勤めを終えた日、アパートに戻った私を待っていてくれたのは娘でした。家具など片付けて何もないアパートに(遊びに)来てくれていました。

一人だとウジウジしていたかも知れないし、さっさと日本に戻っていたかも知れませんが、リタイア後の休日を娘とニューヨークで過ごした記憶は私の宝物です。

20170605 NY 2

娘にはアメリカ国内での移動で航空会社ラウンジやファーストクラスを楽しんでもらい、ニューヨークで気になる店を毎日訪ねていました。(画像上はニューヨークのソーホーのある店です)

今のロングステイを始めた年にもタイに一人で来てくれました。シーズンオフで雨のプーケットはあまり楽しめなかったのが残念でしたが、バンコクで普通の観光を楽しみました。

Mango Tango

娘とは海外で時々会うだけの仲がちょうど良いのかも知れませんねぇ・・・

娘とはどんどん距離が開いているように思えますが、全て私の度量の狭さが招いた事です。まぁ、娘が幸せになってくれれば、健康でいてくれれば、それだけで十分です。何も娘に望む事はありません。

さて・・・そんな娘が小学生後半から中学生になった頃でしょうか、日本へ一時国した時に娘が居間で観ていたテレビがバラエティ番組でした。当時、私は苦手ジャンルです(笑)

海外ではあまりテレビを観る事はなかったのですが、それは働いていたので時間が無かった事と、観たい番組があまり無かったからです。

ドイツでは家に帰ってまでドイツ語は聞きたくなかったし(笑)、タイでは全くテレビに関心が無かったです。アメリカでも最初は英語をプライベートな時間に聞きたくなかった! まぁ、アメリカでは10年も住んだのでネーティブな英語に慣れましたけどねぇ~

そんな時たまに日本へ戻り家でくつろいだ時にテレビを観るのは・・・いつもニュース番組、クイズ番組、スポーツ番組などで、朝時間があればCNNにBBCも(笑)当然、バラエティは大の苦手でした。

「くだらない」「何で字幕が出るのだ」「テレビに映らない観客の笑い声がわざとらしい」・・・と文句ばかり言っていました。

20170609TV

家内や息子は遠慮してか私が居る時はそうしたバラエティにチャンネルを合わせる事は無かったのですが、末っ子で空気を読まない娘は小学校か中学校で流行っているバラエティです(笑)

私も日本へ戻ると普段一緒に暮らす事がない家族にも気を遣うし、娘が大好きだから黙ってそのテレビに付き合って観ていました。もちろんもうずいぶん前の事で、今日本に戻っても息子や娘が家に居るのか居ないのか分からないぐらいですが(苦笑)

そうやって娘に合わせて観ていたバラエティ番組の一つが「世界の果てまでイッテQ」です。日曜日のゴールデンタイムと呼ばれる時間帯だったと思います。

娘はたまたまその時に面白そうだった番組にしただけなのでしょうが、私はそれが「娘が好きな番組」だとすっかり思い込んでしまい、赴任地に戻っても(苦手だった)バラエティ番組の「世界の果てまでイッテQ」を意識して観るようにしていました。

一年に一度か二度程度、たまにしか会えない娘との距離を縮めたかったのです。こんな事を書いたら、笑われますねぇ~ 

その娘は今年大学4年生、すでに就職先を決めたようです。外国に本社がある企業を選んだのも、将来海外で活躍したい気持ちがあるのだと思います。社会人となると親が援助する事もなくなるでしょうし、私との距離も広がるばかりでしょう。それで良いのだと思います。早く自立して社会で活躍するのも、家庭を持つのも、何をしても・・・健康で幸せでいてくれれば、それだけで十分です。

話を戻して・・・

そんな風に観始めた「世界の果てまでイッテQ」って、芸人さんが世界の色々な所へ行って笑いを取る・・・紀行番組や冒険番組ではなくてお笑い番組だと思うのですが、タイがよく出て来る事を知りました。

20170414 Bus 4

ある時は「ムエタレーMuay Talay(海のボクシング)」をこの番組で観た事があります。これって私が大好きで1980年代半ばから知っていて、地元と(勝手に)言っているバンプリーでの祭りの一つですよねぇ~

他にもロケット祭り(先月でしたねぇ~)とか、色々タイが出て来ますねぇ・・・

と言う事で、大変長い前置き話からやっとタイの話になりましたが、この続きは次回へ(笑)

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2017.06.17 | コメント(5) | その他

今後は不定期更新へ ブログ2周年アクセスお礼 ブログの掟

タイでのロングステイを始めて、それまでの「ワインな日々fromアメリカ」からタイトルも内容もあたらにブログ再開したのは2015年3月31日でした。今日でちょうど2年が経ったことになります。(画像下はパリの二星ミシェル・ロスタンで飲んだモンラッシュです)

20170331 Wine

2015年1月9日にスーツケースひとつでタイに入りロングステイを始めたのは、前年晩秋にアメリカでリタイアを決めた数か月後の事でした。

それまでの長い海外での一人暮らしがあったからか、何の算段もなく、知人もいなく、何か調べて来たわけでないバンコク、アパートやビザなど生活基盤をひとつひとつ築いていきました。

delta747

そんな日々を記録しようかと再スタートしたのが今の「60代のロングステイ」で、ちょうど2年前の今日です。

この2年間にエントリーしたのは767回で、一日も休まずにエントリーを続けました。アメリカ旅行中もヨーロッパ旅行中も休まずに、一日一回のエントリーが続けられました。

それは古いネットワーカーだったからか、海外アクセスどころかパソコンを持つ人も多くない時代からネットにかかわったからでしょう。遠い昔に本の出版や雑誌で海外アクセスに関して書いていた小さな意地があったのかも知れません。

Mar08Lubek1

体調が悪い時はキツイとも思ったのですが、ブログを書き始めて最低1年は続けようと思っていました。それが前身のアメリカでのブログでは考えられないアクセスを日々頂き、毎日訪れて頂く方々がいるのに途中で止められない・・・そう思うようになりました。

だらだらと日々を書くブログにはなりたくないと思う中、複雑怪奇で200以上の路線があるバンコクの路線バスをただ乗るだけで解析し、ブログで紹介して行こうと思ったのも毎日更新を続ける原動力になりました。途中で放り出すわけにはいかない事に手を付けてしまったような・・・

20170331 VM

2年間一日も休まずに毎日更新して来ましたが、最近は体調が悪い日が続き、満足に動けなかったり投げやりな飲食も続き、悪循環から身体もボロボロになって来たと感じています。

まぁ、それ自体は20年近くの海外一人暮らしで対処は出来るのですが、気力が付いて来なくなりました。不安や先の心配が大きくなるばかりで気持ちが落ち込む日も多くなっています。きっと、それが歳を取ると言う事なのでしょう。

不平不満、他への否定的な内容などネガティブな事をブログに書かない主義なので、愚痴っぽくなるのを抑えて自らのネガティブな事も努めて書かないようにしていました。

こうした事を書くと・・・他人が私の私的な事を詮索するのはご自由ですが、ブログ内容とは関係なくその詮索を言って来る人もいて、余計に書かないようにはしていたのですが・・・

まぁ、そんな日々です。ちょうどアメリカでもう仕事を続けられないと思った頃に似ていますが、体調的にはずっとマシですけどね。

体調が悪いので、この2周年を機会にして、この後は毎日更新に拘らず、少しゆっくりしたペースにしようと前々から思っていました。

そしてやっとその日が来ました。

毎日訪れて頂いている方々には本当に申し訳ないのですが、半分ぐらいはペースを落とすつもりでいます。内容を適当に書いて毎日更新するぐらいなら、中身は今までの同じく一生懸命書いて更新ペースを落とす事を選びました。

それで後1年ぐらいは続けられればと思っています。


さて、2年前・・・5万ちょっとぐらいのカウンターだったと思います。前身のブログは2012年2月~2013年9月まで1年半続け、海外生活アメリカ地区と言うより、お酒と食の分野でエントリーしていました。その後、アメリカでの生活と仕事の収束方向を考え始めた頃からブログは1年半も休止状態でした。いずれにしても3年で5万アクセスでした。

それが数日前にアクセスカウンターが30万を超えました。2年間で25万のアクセスが多いのか少ないのかよく分かりませんが、私にとってはものすごく多い数字です。

その数字があるから日々の更新が出来たし、内容も一つ一つ手を抜く事なく一生懸命書いたつもりです。メディアやネットで拾った事でささっとブログを書かずに、自ら経験した事だけを丁寧に書いて来たつもりです。

残念?ながら私は人の好奇心を刺激するような内容は書けませんし、アクセスを誘うようなタイトルも気を付けています。内容は毎回長文で堅苦しいと思います。

広告は一切ブログ内に貼っていません。また絵文字、色付けや強調太文字、フォント変更、無用な行間空けも避けています。もっともそれらは私が30年近い古いネットワーカなので、今風のブログは真似出来ないだけですね。

そんな化石のようなネットワーカーだった私が自分に課しているルールがあります。これは特に今回のために書いたのではなく、ブログをスタートした5年前、そして2年前に再開した時にも書いている内容です。

1、ネットにネガティブな事は書かないか、書き方を考える。

あれは駄目だ。これは良くない・・・そんな批判的な事を素人の自分がネットで書けるはずはなく、まして自らの不平不満のはけ口にブログをしてはならない。日本人が日本人の生活スタイルでタイで暮らしたら、きっと不平不満だらけになる事でしょうが、そうした事には余計に書き方を気を付けたいと思っています。

批判的な内容が多いサイトに出会うと、なぜか読む自分まで惨めな気持ちになってしまいます。

特に海外生活のカテゴリーにブログを置いているので余計に、異なる国、異なる文化、異なる生活環境、異なる人々を認め合いたいものです。

私自身のブログがタイの国、タイの人々、タイの生活が好きなブログになっていれば良いのですが・・・なかなかそこまで人間が出来ていないのが困ったものですねぇ~

そして、特に自分自身の体調が悪い事、持病の事を書くのはこれが最後にしたいものです。

2、表面的な事、一過性な事を書かない。

××へ行った。○○を食べた。△△を見た・・・それだけを書くなら自分のスタイルとは違うと思っています。そこで(それで)自分は何を思ったのか・・・そんな表現が出来たららと思っています。

タイは○×。タイ人は、タイでは・・・そんなステレオタイプで幼稚な事、当たり前過ぎる事も書かないように気をつけています。

ブログに多い食べログ的な内容も、今は深く掘り下げて書けるぐらいお店に通える身ではないので、その手のエントリーはタイではほとんど無いはずです。もちろんネガティブな内容は書かないか、書き方を考えるにも通じていますね。

3.ネット・メディアで拾った事を書かない。文章・画像の引用を避ける

まずは自ら経験した事を書くブログでありたいと思っています。そしてネット検索をほとんど私はしていません。ネットで調べるのは公式サイトだけにしています。

それはリタイアしてからですが、距離を置いて安易に答えを得るのを避けています。自分が欲しい答えが入りやすい検索方法も疑問視していますし、何よりも誰もが好き勝手に書けるネットから答えを得る事が危険だとも思っています。

特にタイ関係では間違えが多い事もありました。それをネットで見た人がまた容易にそれを使う・・・タイではネットに転がる話題なんてそうした事が多く、ニュースリリースも似たようなものです。それら自分が見てもいない事、経験していない事を自分のブログに書くつもりはないだけです。

誰もがインターネットでの情報を自由に使える時代、読んだり利用するのは必要でしょう。私も料理を作ったり、タイ語を調べたり、仏歴を変換したり(笑)、Google Mapsは一日に10回以上・・・でも、ネットやメディアで拾った内容や記事をブログには書きません。

そして引用は当たり前ですね。ネットの世界では昔から勝手な引用はマナー違反と言うより、ルール違反として嫌われていました。引用する場合は引用元を明確にして、引用部分を極力短くした上で引用部を明確に分かるようにしたものです。

他から持って来た文章や画像で構成されるブログにはなりたくないものです。


結局また長くなりました。くどいですね・・・本当に私の悪い癖です。気をつけているのですが、今回はただ画像が少なかっただけですね(笑)すいません。

また、こうした堅苦しい事ばかり書くと、多くの人に引かれちゃいますね。もっともそうした人たちはこんなブログにはアクセスもしないでしょう。だから笑われる事もないかぁ(笑)

2年間だけですが、休まず更新を続けた為か、参加しているタイ関係のブログランキングでは思いがけず10位以内に入っています。それは多くの人の目に触れる機会が増えた意味で嬉しく思っています。ありがとうございます。

皆さんにアクセスして頂き、しかもクリックを頂く事で、他の多くの方の目に触れる事が出来たのだと思います。本当に感謝しています。

今後はランキングが下がるのは間違いないでしょうが、ランキングがどうあれアクセスがどうあれ、自身の書いているの中身がぶれなければ良いと思っています。将来はブログランキングからも卒業出来れば良いとも思っています。

それで・・・自分のホームページがありますので、他人様のお役に立つかも知れないビザ関係や公共交通機関の事ぐらいは、そこで整理して見やすくしたいものですが、いつ実現できるのかさっぱり分かりません(笑)

いずれにしても、ブログランキングもブログ自体も突然に姿を消すのではなく、きちんとそれらを告知した上での事です。

最後に、いつまでこのブログが続くのか・・・と言うよりタイでのロングステイがいつまで続くのか? それはそう長いことでは無いように思えます。

タイに関係ない話で、すいません。

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2017.03.31 | コメント(42) | その他

ブログ・デビューの日とブログの掟

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

2月14日、今朝のバンコク(の隅っこ)は薄曇りですが、暑くなりそうです。昨日も良い天気の一日でした。風も気持ちよさそうでしたねぇ・・・窓から見ていただけですが(涙)

さて、昨日のエントリーでも触れましたが、今日はバレンタイン・デーですね。それには全く関係ないのですが、私にとっては今日は記念日なのです。

それは5年前の2012年2月14日。当時はタイではなくアメリカに住んでいました。まだ働いていた時ですが、ブログを始めたのが今日2月14日です。

それで今日はブログ・デビューの記念日(笑)

何度か書いていますが、ネットとの関わりはかなり古くて30年ぐらい前になります。パソコンは一部の人が仕事で使い出しぐらいで、まだ個人で持つ人はオタクと呼ばれるような・・・パソコンを特別な趣味と考えるような人ばかりでした。

技術屋だったので仕事ではかなり早くから使う機会がありました。って言うか、私自身は電気系でしたが、もうすでにソフトウエアーの評価をエミュレーター(なんて言うのか・・・ソフトウェアを動作させる疑似的なシステムです)で行っていたので、当たり前に使っていました。

それも技術屋だったからで、他の営業など事務職が普通パソコンを使う時代では無かったです。

個人でパソコンを使うようになってネットに関わりを持ったのが80年代後半で、パソコン通信からです。80年代半ばから90年代に盛んになった今のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の最初の形。ただ会員制だったのでクローズドネットワークでした。

MAC PB-150

私はそのスタートがいきなりの海外アクセスで、アメリカのCompuServe(後のAOL、Niftyはそれをモデルとして日本で始めています)でネットワーカーとなりました(笑) 初めて持ったノート・パソコンはマッキントッシュのPowerBook 150(画像上)ですが、それ以前は自作機でした。

その後、CompuServeで覚えた海外アクセス術を実践しながらNiftyでも紹介したり、私もハードの改造などネットで学んだり・・・そんな事に夢中になっていたので、日本に戻ると迎撃オフ会の連続でした(笑)

PC Modification

オフ会と言っても食べ物のお店じゃなくて、秋葉原の専門店でのオフ会ばかりでした。IBM系ならIBMパーツを扱う店、東芝系なら東芝のパーツを扱う店・・・そんな感じで店の奥や2階で改造や勉強会のようなものです(笑)当時の秋葉原でもっとも奥深い所です。

90年代も後半になるとパソコン通信も廃れて来ましたが、その代わりにインターネットが誰でも利用できるものになって来ました。それで個人のホームページを運営したり仲間と出版したりもしてましたねぇ・・・

Book

Magazine

そんなハードなネットワーカーだったのに、長い間ブログには手を出さなかったのです。なぜでしょうねぇ~ 今から思えば奢った考えでしたが、ブログって素人が手を出すものだと思っていました。いやぁ~ごめんなさい。でも今は私もどっぷりですから(笑)

それがなぜ5年前に始めたのか・・・主にはワインの記録です。
当時アメリカのワインって安物扱いされる事が多かったのですが、現地で輸送劣化が無く海外ではなかなか入手出来にくいワインを飲むと・・・それはボルドーやブルゴーニュに勝るとも劣らないワインも多く、年間100本以上は飲んだでしょうか・・・その記録をブログにしていたのです。だから最初は『ワインな日々fromアメリカ』がブログ名でした。

20170214 Wine

初めてブログを書こうと思ってランキングサイトなどで他のブログを参考に見たのですが・・・それは驚きました。

アメリカでは駐妻と呼ばれるような方々の「どこどこへランチに行った。美味しかった」の(中身が薄い)食べログ系と「ペットの何々ちゃんと、どこどこ行った」のペット擬人化系が多く、やはりブログを止めようかと思ったぐらいです(笑)

結局、アメリカでは働いていた事もあってメモ代わりから抜け出す事は無かったのですが、その後リタイアしてタイに来て一段落してから・・・今の形のブログを再スタートしたわけです。それが2015年3月31日ですから、実際には今のブログは2年経っていませんね(汗)

タイでブログを再スタートした時も、ランキングサイトなどで他のブログを参考に見たのですが・・・その時も驚きました。

メディア記事にネットで拾った記事を転用する事で現地情報発信としているブログが多く、しかも記事や画像をそのままコピペしているブログもあってたまげました。そんな事をして何が個人のブログなのか・・・他人が何をしようが勝手で構わないのです。自分はそうした事をしたくないだけですけどね。

アクセスが欲しくて人が興味を引きそうな記事を流す・・・フェイクニュースをネットに拡散させる類と大差ない行為だと私的には思っています。

他人様のブログの事を書きましたが、それらはどうでもいいのです。人は人、人それぞれ。
自分自身がどうでありたいかが大切で、それがぶれないでありたいのです。自分のブログですからねぇ~

それもあって、自分自身がブログを書く上での「ブログの掟」を決めていて、何度かこのブログ内でもそれを書いています。当たり前の事ばかりですが、これからも常に意識して行きたいので、この記念日に再度書いておきます。

1、自分自身が見聞きし経験した事だけを書きます。

路線バスや公共交通機関のエントリーでも実際にしているように、納得するまで何度も乗ってその事を書いています。他のエントリーでも全て自分自身で見聞きした事です。伝聞だけでネットで見た事を書く事はしません。そもそもネット検索を極力避けて公式サイトしかしない主義です(それでも間違いは多いのですが)。メディア記事やネットで拾った事を扱わないにも通じる事です。

2、ネットにネガティブな事は書かないか、書き方を考える。

あれは駄目だ。これは良くない。美味しくない・・・そんな批判的な事を素人の自分がネットで書けるはずはない! 批判的な内容が多いサイトに出会うと、自分まで惨めな気持ちになった経験からです。何かを経験しネガティブだったら書かなければ良いだけで、本ブログが食べログ的内容がほぼ無い理由でもあります。

3、表面的な事、一過性な事を書かない。

××へ行った。○○を食べた。△△を見た・・・それだけを書くなら自分のスタイルとは違うと思っています。また、乏しい経験で「タイは・・・。タイ人は・・・」そんなステレオタイプで幼稚な事も書かないように気をつけています。どんな時ににどんな状況で行ったとか、そこで(それで)自分は何を思ったのか・・・そんな表現が出来たららと思っています。

4.文章・画像の引用を極力避ける。

当たり前ですね。ネットの世界では昔から勝手な引用はマナー違反と言うより、ルール違反として嫌われていました。引用する場合は引用元を明確にして、引用部分を極力短くした上で引用部を明確に分かるようにしたものです。他から持って来た文章や画像で構成されるブログにはなりたくないものです。

さて・・・私自身がタイに来た理由、ロングステイをしていている理由、そしてこちらでの日々の暮らしについて、全く何も隠さずに、ある意味開けっぴろげにブログに書いております。それは自分自身と家族に何一つやましい事がないからで、ブログと言う形で今の自分を記録している意味があるからです。

同時にそんなブログが誰かのお役に少しでも立てばと思っています。特に、ビザ取得方法の説明や実践、アパートでの生活、日々の暮らしでの買い物や公共路線での移動などは、もしかしたら知りたい方がいるかも知れないと思い、出来るだけ詳細を書いています。

そんな主旨から広告などは一切ブログ内に貼っていません。また絵文字、色付けや強調太文字、フォント変更も避け、中身スカスカをごまかすような行間開け文章や画像ばかりになるのも避け、タイトルもアクセス稼ぎの強調し過ぎにならないように注意しています。

まぁ、化石のような古いネットワーカなので、今風のブログは真似出来ないからだけかも(汗)

文章は硬いしいつも長文ですしね。インターネットが今の様に誰もが使える時代じゃなかった頃、誰もが苦労してログを落としていたので無駄な長文は嫌われていました。

それでタイトルに『長文注意』なんて付けてね(笑)そうしたタイトルの中身こそ大したものじゃなかったのですが(大笑) そうした時代を知るからこそ、その反動で長文になるのかも知れません。

伝えたいことがたくさんあって、それをうまくまとめられないだけの饒舌なブログがきっと真実なのでしょう(笑) 本当にごめんなさい。

そうした身勝手なブログですが、それでよろしければ引き続きお楽しみください。
「引き続き」って書いても・・・実はあと1年ちょっとぐらいだと思うのです。これも何度か書いていますが『移住』なんて大それた事は私には出来ないので、ただ『ロングステイ』で少し長く居させていただいているだけです。

そんな泡のようなロングステイですが・・・ブログも所詮消えてなくなるものだと思うのですが、少しの間でも何か他人様のお役に立つ内容を残せれば・・・と思っています。それもあって意識して公共交通機関に関しては詳細に書いているつもりですが、バンコク都の路線バスを出来たら全路線エントリーするのが夢と言うか目標です。難しいとは思うのですが・・・

今日も十分に長くなりましたね。最後まで読んで頂いた方々には心からお礼申上げます。ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。

2017.02.14 | コメント(0) | その他

ブログを書くおきて、再開一周年

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

4月1日、今朝のバンコク(の隅っこ)はうす曇りです。昨日は朝の雷雨で目が覚めました。朝9時ごろには止みましたが、かなりまとまった雨が降りました。街歩きも買い物も空を気にする日が続くようになっています。

さて、一年前の昨日はこのブログを再開した日です。ブログを再開してちょうど一年間経ちました。

一年間で398回のエントリーをしました。この一年間に日本へ4回、アメリカへ1回、そして娘とのプーケット、息子とのヨーロッパ旅行をしましたが、一日も休みませんでした。大陸横断中の機上からもエントリーを続けました。

一つ一つを自分なりに丁寧に書いていたつもりですが、饒舌だとも思っています。短く端的にしようと何度思っても出来ないのです。くどい文で読む方は嫌いになる文だとも思っています。でも、それが自分のスタイルなので、無理に今風のちゃちゃっとしたスタイルを真似する事もないと思っています。

中身をある程度準備する事はあっても、ひとつのエントリー全てを予約投稿した事があったか・・・ほとんどないはずです。その時その場から自分自身の経験を自分の言葉で書く事に拘って来ました。

多くのエントリーが年寄りの昔話に自慢話が多く、それに古いネットワーカーなのでネットマナーなど古臭い事ばかり書いて、傲慢と受け取られるような内容だったかも知れません。面倒臭いブログだと遠ざかった読者も多いかと思います。

ただ、リタイアしてタイに流れ着いてロングステイをしている今の日々は飾る事無く、隠す事無く、偽る事無く素直に書いています。自分にも家族にもやましい事はまったく無いので、セキュリティー上守るべき最低限のこと以外、日々の行動も気にせず書いています。

そうする事が、もしかしたら読者に少しでもお役に立てるかも知れないと思っての事です・・・いや、そんなのは恰好つけで、実はそれしか自分には出来なかっただけなのです。

2012年からブログは書いていましたし、その前は1998年から個人のホームページ、その前は1990年からパソコン通信と、全て同じハンドル名(と本名で)自分自身の海外生活をずっとネットで書いています。本や雑誌なども同じハンドル名か本名で出ていますので、今更飾る事も隠す必要もありません。

今のブログでは62歳を前にしてアメリカでリタイアし、長い海外での一人暮らしから日本に戻ったものの、すぐにまた海外に出てしまい、バンコクでゼロからロングステイを始めた男の日々、それ愚直に毎日書いているだけです。

2015年1月9日にスーツケースひとつでバンコクに着き、その日から銀行口座開設、アパート探し、ビザの自力取得、通信手段の確保、生活設営・・・一人誰とも相談する事もなく、ネットに溢れる得体の知れない情報には触れないように意識し、自分の足で歩き、目で見て、英語や下手なタイ語で交渉し、頑なに自力に拘ったのは・・・実はハードルが低いタイだからこそ出来たのです。それを予め知りながらの恰好つけです。

まぁ、それらのハードルをひとつひとつ解決して行くような事が好きでもあるのですが(笑)仕事をしていないから、時間がたっぷりあるから出来ることです。

今のブログ『60代のロングステイ』は、そんなハードルをひとつひとつ越えるのが一段落した2015年3月31日に再スタートしました。URLは前身からそのまま続けています。
そのブログ前身は2012年2月14日に始めた「ワインな日々fromアメリカ」です。アメリカ在住時にワインや料理の事を綴る事からスタートしました。

その前身のブログを書き始めた一回目に、こう記しています。


『さて、記念すべきブログ作成一回目に何を書くか・・・
迷いながらですが、とにかくブログを始めたきかっけをまずは書いてみようかと思っています。
あっ、それから少し文章が硬いし、絵文字など使うのが恥ずかしいような歳なので、その点ご勘弁ください。

それでは・・・
ネットやパソコンとのかかわりは割と古いのですが、スマホどころか(日本の)ケータイ電話は持っていないし、twitterはまったく知らないのです。そんな中、自分個人のホームページは13年前に作成し、途中休んだりもしながらずっと維持してきました。

ドイツ、タイ、アメリカと続く海外での生活を通して感じること。世界各地への旅の記録、食へのこだわりをホームページに書くことで、遠い日本との繋がりを求めていたのだと思います。ただ体調が悪くなった時に気力も薄れ、htmlタグで書いていく古いスタイルのホームページ作成に疲れ、3年ぐらい更新できずほったらかしになりました。

そんな中、日々感じたことをもう少し気軽に発信していきたい。薄れがちな「意識して飲んだり食べたりすること」を取り戻したい。それらはブログを気軽に書くことで取り戻せるのでは・・・? そんな想いからのスタートです。』

そんな4年前と今は事情は大きく変わり、仕事をリタイアしアメリカを離れ、タイで暮らしています。アメリカでリタイアしようかと迷っていた時期の1年半ほどブログも中断しています。そしてブログの主旨も食やワインから大きく変わっての再開でした。

しかし自分自身が決めた「ブログのおきて」は4年前から今日まで全く変わりません。昨年6月にも書きましたが、自分がブログを書くにあたって気をつけている事の意味です。

1、ネットにネガティブな事は書かないか、書き方を考える。
あれは駄目だ。これは良くない。美味しくない・・・そんな批判的な事を素人の自分がネットで書けるはずはない! 自分が受け入れられないと思ったら書かないか、書き方を変えるだけです。他を批判するのが一番簡単なのです。私はたまに「○×にがっかり」と書くのがギリギリかなぁ~(笑)

2、表面的な事、一過性な事を書かない。
××へ行った。○○を食べた。△△を見た。◎◎は美味しかった。▽▽は楽しかった。・・・それだけを書くなら自分のスタイルとは違うと思っています。もちろん他人がそうするのは全く構わないのです。 ただ、どんな時ににどんな状況で行ったとか、そこで(それで)自分は何を思ったのか・・・そんな表現が出来たらと思っています。

3.文章・画像の引用を避け、ネットやメディアから拾った内容をブログにしない。
当たり前ですね。ネットの世界では昔から勝手な引用はマナー違反ルール違反として嫌われていました。ネットやメディアから拾った記事でブログを書く事もしません。だって個人の海外生活のブログでしょう・・・そんな事して何になるのか?何を得るのか?私には分かりません。淡々としたものでアクセスが少なくても、自分自身の真の生活の日々のブログでありたいと思っています。

それらをこれからも守っていきます。

私のブログは広告等を一切載せていません。自分の店や商売などの宣伝・利害に関する事も全くありません。ですから無理にブログを続ける必要は全くなく、またアクセスを誘うようなタイトルや内容は必要なく避けています。

私自身がブログを書く事で何かを得ているとしたら、皆さんのアクセス、ランキングへのクリック、コメントの形で見える声援でしょう。それが励みになっているから続けられるのです。その声援があるからこそ、つまらない内容でも自分の生活、自分の経験を自分の言葉で自らの日々を綴れるのです。

また、ネット検索した内容でブログを書く事も努めて避けています。ビザ関連、バスガイド・シリーズや運河ボート、ショッピングモールと市場・・・などがそうですが、自分自身が経験しない事は書きません。私も間違いやミスが多いと思いますが、少なくても全て自ら経験した事だけを書いており、ネットで拾った事は書きません。

さて、真っ先に書くべき事が最後になってしまいました。

いつもアクセス頂き、本当にありがとうございます。日々のアクセスカウンターの数字が変わるのは、皆さんの反応と受け止めています。

更にブログランキングへのクリックまで頂くのは、本当に励みになります。読むだけでも面倒なブログだと思いますが、それに加えて手間をかけてクリックされるのは本当に面倒な事だと思います。ありがとうございます。

ましてコメントを頂けることは、一方通行的に書いてしまいがちなブログへの反応を具体的に知る事が出来るので、どんなコメントも本当に嬉しく感謝しています。

毎日に皆さんのアクセス、ブログランキングへの応援クリック、そして皆さんからのコメントがあったからこそ、一年間続けて来れました。

心から皆さんお一人お一人にお礼申し上げます。

ALSTER 2

自分の経験で言えば・・・どんな国でも、どんな新しい仕事でも、どんなに違った環境でも、一年経つと自然と慣れるものです。それは新鮮味がなくなり惰性の日々になる意味も含みます。

もしかしたら、このブログも一年経って、自分自身の日々に新鮮味が無くなり、惰性だけでブログを続ける時が来るかも知れません。いや、きっとそんな日が近く来ると思います。

そうなったら、ブログの更新に拘らず、書きたい時にだけエントリーしたり、ブログを止めるかも知れません。もしかしたら自分の環境を変えるかも知れません。

この先、どうなるのでしょうねぇ・・・

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2016.04.01 | コメント(10) | その他

家族との絆の旅


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月18日、今朝のバンコク(の隅っこ)は白く濁った空ですが晴れなのかうす曇りなのか? 長い間留守にしていたので昨日は朝から部屋の大掃除。それが終わって買い物を2回と大忙しでした。冷蔵庫が食材でいっぱいになると本当に安心します(笑) 

でも一週間前は気温マイナスの所に居たので、身体はかなりきつく感じます。若い時はタイに入ると体にまとわりつくような暑さで、一気に身も心も緩んだものですが(笑)

ところで春の彼岸の入りですね。タイに住むとそんな感覚を失うのかも知れませんね・・・
少し早かったのですが、今回の日本滞在中に昨年12月に亡くなった義母、そして私の母の墓参りを済ませてきました。ちょうど発熱した日の事です。特に義母は昨年末に葬儀で駆け付けたものの四十九日に戻らなかったので、すごく気になっていました。

海外に住む者の宿命かも知れませんが、一時帰国の時は必ず墓参りをするようにしています。私は横浜に家を建てた時に墓も新しく作りましたし、家内は元々横浜の人。お互いに私なら歩いて散歩代わりに墓参り出来る距離なのでこんな事が言えるのですけど・・・

さて、今回日本へ戻ったのは息子との「約束の旅」を果たす為でしたが、今まで多くの旅を子供たちとして来ました。それは長い海外暮らしの父親として最上の喜びでした。海外に住んでいても年中動き回る必要があったので、家族と仕事を考えて単身赴任を選んでからは子供たちと一緒に住んだ事がほぼ無い私が得た特別な喜びで、それが家族との大きな絆なのです。

子供たちが小さい時は家内と一緒にタイやアメリカに来てくれました。タイでは家族揃って来てくれたのが三回です。私が好きだった南の島のうち拠点としたプーケットやサムイにも家族と一緒に行きました。

Mar17Samui

アメリカでは最初は家族そろって来ていましたが、子供たちが大きくなるに従って子供が一人で来るようになりました。それは子供の成長とも言えるのでしょうし、良い経験になると私も喜んでいました。

Mar17ATL

娘は友達と来てフロリダに行ったのが一回、ロサンゼルスに一人で来て一緒に行ったのが一回、私のリタイアの時にアトランタに一人で来てニューヨークへ二人で遊びに行ったのが一回、そして昨年バンコクにも一人で遊びに来てくれました。

Mar17NY

BTS

息子が一人で来るようになったのはアメリカ西海岸へ遊びに行った時からです。その時もオレゴン州とワシントン州とメジャーでないワイナリー巡りが主な目的地でした(汗) それで今回のドイツを中心とした旅でした。

Rental car

Mar17HL

子供たちが一人で海外に住む父の所へ遊びに来れても、残った子供と家の面倒で家内はずっとお留守番。毎回家内には苦労ばかりかけてしまい、まったく頭が上がりません。それで今回は乾燥機の調子が悪かった洗濯機を日本帰国すぐに買い替えしました。前の洗濯機はドラム式が出始めた頃の物だったのですが、新しく買った物は静かだし洗濯や乾燥も大きく改善されているようです。それで少しは家事が楽になると良いのですが・・・

Mar17Laundry

本当はタイへ戻る前に小江戸・川越に二人で行く予定で楽しみにしていたのですが、私の急な発熱でそれも叶わず、結局家内には看病でまた苦労をかけてしまいました。料理も一度も作ってあげられなかったし、家事で手伝えたのは包丁砥ぎぐらい。家内と一緒に外出できたのは一日だけ、横浜の馴染みにイタリアンへ行って帰りにバッグを買ってあげたぐらいです。

Mar17Tenda

20年近く一緒に暮らすことがない家族なのですが、その分日本へ戻った時や子供たちが海外に遊びに来てくれた時は本当に貴重な時間で家族の絆を感じます。息子との「約束の旅」を終えた今、これからは家内と二人で旅行するのが楽しみです。

そして、いつの日か家族との絆の旅を終え、一緒に暮らす日が来ることでしょう。また、そんな家族が居るからこそ一人遠くに暮らしても、家族に恥じ事がない生活を送っているつもりです。

Mar18Sake

今日は私自身にとっても特別な日、63歳を一人で祝う事はありませんが、家内からの早めのプレゼントはすごく旨い酒でした。日本で飲み干すはずが、急な発熱で少し日本に残して来たのが残念です(笑) まぁ今日は自分を祝うのではなく、こうして遠くに住む家族に思いを馳せましょう。

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2016.03.18 | コメント(6) | その他

怪しげなコメントにご注意下さい


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月3日、今日のエントリーは済ませているのですが、気になることがあったので2回目のエントリーをします。

私が使っているブログサービスはコメントを頂くと指定メールへその内容が通知される仕様になっています。

その機能自体は私がスマホ等のモバイルツールを持たない為に、何の役にも立っていなくて(汗)、コメントを拝見するのはパソコン上でブログサービスのサイトに行って、そこから読んだり返信を差し上げる事になります。

そんな風にしていただいたコメントを読む事は、ブログを書くのに何らかの反応を直接知るので、非常にありがたく思っていますし、ブログ更新の大きな励みにもなっています。どんな内容でもありがたいと思っていますので、出来るだけ早く丁寧に返信しているつもりです。

全てのコメントに対して・・・実は私がブログを書くようになって、たった一回の例外を除いていただいた全てのコメントはご返信を24時間以内に差し上げています。

その一回の例外はずいぶん前の事で、昨年4~6月だったか・・・リタイアメント・ビザの自力取得に関してエントリーしていた時に、ブログ内容の本質に対してではなく、非常に幼稚でくだらない文章なのですが、弊ブログを否定する内容で5回もハンドル名を変えて同じIPアドレスから出されたケースです。最初の三回ぐらいは丁寧に返信いたしました、内容があまりに幼稚なのでその後お相手せずに対処を致しました。

一方、私自身が他のブログの管理人様にコメントをしたのは、これもずいぶん前の事ですが・・・やはり今のタイでのブログを立ち上げた時で、同じカテゴリーの皆さんのブログを参考までに拝見し、バンコク在住スタートのご挨拶かたがた以下のブログにコメントを差し上げました。

「いまだ旅の途中☆クルンテープの大空から」様。ご近所のウドムスック在の管理人様はご自分の言葉と文章で日々の事を綴られており、長くブログ継続されているのは驚きと共に感心しています。
「30代後半夫婦のタイ移住ダラダラ日記」様。これもご近所のオンヌット在の管理人様で、お若くてタイに移住され、日々を淡々と素朴な文章で書かれているのに好感が持てます。
「脱♪サラリーマン流浪記(バンコク留学編)」ロングステイ・リタイアメント・ビザ取得の先輩で、普段ネットを見ない私ですが、この方のブログだけは参考にさせていただきました。また私のブログの中でも紹介した唯一のサイトです。

以上三つの素晴らしいブログ以外に私がコメントをした事は一切ありません。
また、コメントを差し上げたのは去年4~6月ぐらいの事で、ほぼ一年近く他のブログにコメントしたことは全くなく、また自分のブログを書くのが精一杯なので、拝見する事もほとんどありません。元々昔から他人様のブログをあまり見ないのです。

私は常日頃からメディアやネットの記事や画像を拾っての引用はもちろん、そうした内容で展開するブログは疑問を感じていますし、私自身がそうした事をしないと自警しています。半面、上記のようなご自分の日々をご自分の言葉で書かれているブログは好感を持っています。

そんなほぼ一年ぐらい他人様のブログにコメントをした事ないのに、こんなコメントが飛び込んできました。それはたまたま一昨日から私が日本に居たので、メール作業をしていた最中だったのでメール通知で知りました。コメントした方のサーバー名やハンドル名はふせますが、そのままの内容を記します。

『てめーかいい年して
 おれっちのブログにでたらめ書き込んでんのは?』

「いい年して」と書かれているので、間違いではなく、62歳の私のブログへ書かれたのでしょう(笑) しかし見も知らない相手に確信もなく、事の真偽を確認する事もなく、「てめー」でいきなり始めるすごいコメントですねぇ~(笑) 

まぁ、それは人それぞれなので全く構わないのですが、肝心なのは私はその方のブログへコメントした事など全くないのです。このコメントに記されたハンドル名が正しいと仮定したら、過去通りすがりにブログを拝見した記憶はありますが、それもずいぶん前の事ですぐには思い出せなかったぐらいです。

それでも承認して「身に覚えがないのですが・・・」丁寧にご返信しようとしたら、ご本人が削除したのか? 数時間後にアクセスしたブログサービスのサイトではそのコメントが見当たりませんでした。

本当に色々なコメントがあるので、そうしたコメントも構わないのですが・・・非常に気になったのは、私のハンドル名で他人様のブログにコメントしている輩が居るのでしょうか? この方だけではなく色々な方へ。それだけが気がかりです。

私はもう一年近く他人様のブログにコメントを差し上げた事はありません。

私のハンドル名であっても、どうぞ無視して削除してください。そしてお手間をかけますが、コメントが出されたサーバーを調べて記録しておいてください。私宛にご一報いただいても構いません。

なんだか非常に嫌な内容なのに、これを読まれたほとんどの方が関係ない人のはず。本当に申し訳ありません。

私がブログを書くのは、今のロングステイの日々の記録を自身へのメモ代わりに残したいのが主な目的です。それをネットで公開する事で、どなたかのお役に少しでも立てるなら幸いだとも思っています。ですから全く広告を載せてもいませんし、アクセスで何らかの収入を得るものもありません。従ってアクセス数を競う必要もなく、アクセス稼ぎのようなタイトルや内容にするのも避けています。

私がブログに書く事は自分自身が実際に行動したり経験した事だけで、メディアを含めて他のサイトにある内容をあーだこーだと言う事も、ネットで拾った内容で書くのも避けています。そして自分の顔や素性を隠した上で、他を無意味に誹謗中傷する事は絶対にありません。自分をさらけ出して自分が体験した事を自分の言葉で書きたいのです。古いネットワーカーなのでその思いは非常に強いのです。

ランキングには参加していますが、多くの人の目に触れるツールと考えての事で、順位は他の方との相対的なもので自分ではどうしようもなく、気にしないように心がけています。それより自分自身が納得するブログでありたいと強く思っています。パパッと適当に書くことが出来ないのです。他の方のブログは全く関係ないのです。

あまり煩わしい事が続けば、コメント機能そのものを止めるか、ランキングを止めて他のブログ様と距離をもっと置くか・・・あるいはブログ自体を止めるのもあるかも知れません。嫌な思いをしてまで続ける必要性は私には全くないのですから・・・

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2016.03.03 | コメント(6) | その他

あの頃には戻れない


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

2月26日、今朝のバンコク(の隅っこ)は晴れです。まだ空が濁っていますが、これから晴れそうな気がします。昨日はこの数日と全く同じような天気でした。朝のうちは雲が多く、昼から晴れます。でも相変わらず空はいつも濁っていますね。スッキリと済んだ青空が見たいです。

さて、2月も残すところ後3日になりました。早いものですねぇ~ つい先日正月を迎えたように思うのですが、4日後には弥生3月です。春、桜、卒業、新学期、年度期末、別れ、出会い・・・誰もがそんな思いでがある3月ではないでしょうか。

そう言えば今年は閏年なのですね。

皆さんは2月に一日損したと思われるのか、それとも得したと思われるのでしょうか・・・私は働いていた時は損したような気がしましたね(笑)サラリーマンだったので同じサラリーで1日余計に働いたような(汗)

今は出来たら時を止めたいぐらいの気持ちなので、損した気がします。リタイアして働くのを止めたら、毎日が退屈で時の流れが遅く感じるものだと思っていました。

でも実際は毎日何もしていなくても時は確実に流れ続け、何もしていない故の充実感や達成感がないからか、時の流れがスカスカの空っぽに思えるのです。その為に後から思えば時が容赦なくじっと立ち止まったままの自分を通り過ぎていくように思えるのです。 うまく表現できないのですが・・・

不思議なものです。

歳をとり、真っ先に目が不自由になり、厄介な事へ挑むような意気込みがなくなり、根気もなくなる。そのうちに足が上がらないのか小さな段差にけつまずき、階段は手すりに掴まりながらじゃないと降りるのが怖い。長い間の無理で身体のあちこちが軋み、痛みは長い友になる。そんな年老いていく身体なのに・・・

Sukhothai

頭の中では若い時の自分のままなのです。

目の前でバスが出発しそうになれば飛び乗れそうな自分が頭の中に居るのです。階段を一段飛ばしで駆け下りられ、重たい荷物を担いだまま何時間も歩け、ガタガタ道を不自由な乗り物で何時間でも乗れて、窮屈な席で長時間我慢出来て、どこでも寝られる・・・

Station

年老いて身体はガタガタなのに、頭の中は若い時のハツラツとした記憶が消えずに残ったままなのです。そのギャップを思い知らされるのが歳を取るって事かも知れないです。

さて、昨年末から持病で1ヵ月弱寝込んでいました。脛骨での神経圧迫で悪くなると痺れと痛みで全く動けなくなります。ただ普段は無理しなければ普通に痛みが走るぐらい。日本やアメリカでそれは色々と医者に診てもらいましたが、最終的には手術しかないけど、そこまでする必要はないとリハビリ指導がいつもの結果。

それがあるから無理をしない範囲で動くようにはしているのですが・・・

自分がリタイアしてタイに来た理由は「どこでも良かった」「在住経験があった」とか今まで書いていましたが、心のどこかでは昔タイを中心に動き回っていた自分の姿を思っていました。

ALSTER

金曜の夜にはモーチットのバスターミナルやサーイタイマイの南バスターミナルから夜行バスで北へ南へと旅立ったものです。もちろんファランポーン駅からも夜行列車に何度も乗りました。それで日曜夜か月曜朝に戻ってそのまま仕事をした事もあります。

Tao

そこまででなくても、いつかタイやアジアを再度自由に回りたい。そんな思いが消せないままタイに来たのだと思います。

それはもう無理と思い知ったのが持病で寝込んでいた時です。

そして・・・
1月末ぐらいから徐々に、慎重に動き出し、2月の中旬には10~15年前のネットの仲間たちとバンコクで会う事になりました。誰もが年月を重ね歳をとりましたが、皆さんお元気そうです。

そんな昔の友人に会うと、気持ちは一気に昔に戻るのですが、それもやはり現実じゃありません。祇園で語り継がれるぐらい飲み食いしたのが、今は全く食べるのも飲むのも出来なくなりました。

友人たちがバンコクを去って静けさが戻った時、また体調を悪くして数日寝込んでしまいました。持病の痛みではなく風邪。でも夜中に咳き込んだり微熱が下がらない中、心の奥に染み込むような心細さも覚えました。

世界中を30年近く転々とし、そんな自分の弱さを真正面から突き付けられた事はなかったのですが、これが今の何もない自分です。

そして、今になって思い知ったのは・・・もうあの時には戻れないと・・・

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2016.02.26 | コメント(5) | その他

ブログ更新と中身について

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

1月16日、今朝のバンコク(の隅っこ)は曇りです。遠くに空の雲と大地を結ぶ雨の柱が見えるので、まるで雨季の空のようです。昨日は雲が多く出ていました雨は降りませんでした。少し外を歩きましたが、すごく暑く感じました。雨も気温も乾季っぽくないですねぇ~

さて、このエントリーは内容が無いので申し訳ないのですが、ブログ更新のペースと中身を少し変えようと思っています。わざわざ告知するのは大袈裟過ぎて恥ずかしいぐらですが、タイで再開して以来一日も休まずエントリーし続けたのは、自分なりのこだわりがあったからなので、一応お断りをしようと思いました。

このブログは私が一年前にタイに来てロングステイをゼロから始めた記録としてスタートしました。ビザ取得やアパート探しの経過を忘れないようにブログの形で残したかったからです。

Passport

一年経った今、そうした最初の目的は薄れて来ました。その代わりに街歩きの記録みたいな内容が多くなりましたが、それも自らの記録として残したい気持ちが強くありました。

Road 2

街歩きする中で、博物館などの施設や興味深い街そのものから、だんだんバンコクで移動する手段としての路線バス、運河ボート、渡し船のエントリーが多くなりました。特にそれら公共交通機関の情報が公式サイトですら誤ったものが多いのが気になり、自分自身が何度か実体験した上で書くようになりました。

それはあまり知られていないものから始め、チャオプラヤー・エクスプレスやセンセープ運河ボートとメジャーなものまで自分なりに納得する内容で書いてしまいましたが、それも数日前に終えました。

SAEN Boat 8

残ったのは、このブログで主流の「ロングステイの日々」と平行して書いている「バンコク不完全バスガイド」で、これがなかなか進まないのです(汗)バンコクにどのくらい路線バスがあるのか?二百路線以上だとは思うのですが・・・

かなりのバス路線は乗っているのですが、始発から終点まで自分が実際に乗ったバスだけのエントリーなので、どうしても限られてしまう。しかもブログ主旨が異なっていると思っているので、「バンコク不完全バスガイド」をエントリーするときは必ず主流テーマもエントリーする事にしていました。その一日二回ポストはすでに止めています。

Bus 3

「バンコク不完全バスガイド」は中途半端で終わりたくないから、まだ続けたい(笑)ただ、他に書きたいことが無ければ、無理にエントリーする事もないと思っていますので、これからブログ更新のペースがダウンするって事です。実に大したこと無い(笑)

本音で言えば、書きたいと思う内容が減ってきて、反対にどんな内容でも書かなくてはと思う事が多くなってきているのが、変だと言うか、そう思う自分を嫌になって来ているのです。

昨年12月から体調が悪いままで、書きたいと思うような事に出会う街歩きが出来ていない事も影響していると思います。書きたいと思うことがあっても今はパソコンに向かうのも辛くなっているのもあります。

ペースは落ちるでしょうし、中身を少しは軽くしたいと思っています。
このブログをよく読まれているいる方はご存知でしょうが、とにかく毎回長い(笑) 書いているとあれもこれもとなかなか止まらないのが悪い癖です。何度も直そうとしているのですが、ちゃちゃっと書くのは簡単だけど、自分のスタイルじゃないのです(笑)
ただ、26年以上の長いネットワーカー中毒者なので、全く何もエントリーしない事はないと思います(笑)

こうして言い訳した上で(汗)少し手を抜くと言う事でしょうか(笑)
手を抜くと言っても、ネットで拾った内容でちゃちゃっとエントリーするような事や、メディア記事や画像を引用する事はしません。

私のブログは収入を期待してのアフィリエイト(広告)は一切貼っていないし、お店の宣伝や何らかの営業的要素があるわけでなもありません。また個人の嫌悪感をブログで吐き出しているわけでもありません。

ですから自分が望まない形でブログを続ける必要性はまったくありません。所詮個人が勝手に書いているブログ、始めるのも、止めるのも、その中身も、自分自身が楽しめれば良いはず。

ブログを書くことでロングステイ自体が少しでも楽しくあれば良いのですが、そうでないと少しでも感じれば・・・もっとペースを落とすか止めるかも。しばらくは手探りです。

一方、すでにコメントでお気づきの方がいましたが「拍手」をブログに貼るのを今年から止めています。わざわざ訪れて頂いた上に、ブログ上で何度もクリックをお願いするのが恐縮と言うか、申しわけないように感じていたからです。開いたサイトでまたクリックを誘導されるのは嫌なものですよねぇ~ 私はそう感じるので、そのストレスを訪れて頂いた方々に与えるべきでないと思っています。

同じ考えでブログランキングもいつか止められればと思っています。ブログランキング自体にも疑問を感じる事がありますし、自分自身がそんなランキングを気になってしまうのも嫌になっています。しかし、ランキング経由でアクセスいただいている方々も多く、その入口まで閉ざすのは今はすべきでないと思っています。引き続きご協力頂けたら幸いです。

まだまだ試行錯誤ですが、私自身が意義を感じながらも楽しく続けられ、訪れて頂いた方には少しでも読まれた意味があったと思えるような、そんなブログでありたいと思っています。

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2016.01.16 | コメント(3) | その他

自分はなぜタイに住むのか

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

1月11日、今朝のバンコク(の隅っこ)は薄曇です。 朝は少し雲が多いように思えますが、良い天気になる予感。昨日はやっと天気が落ち着いてきました。乾季の真っ最中に二日続けての雨の後、青空を見て何かほっとしました。

前々回の「一年前自分はなぜタイに来たのか」と続きです。

一年前の2015年1月9日にタイでのロングステイをスタートしましたが、実際はロングステイなんて甘い言葉とはかけ離れた日々でした。

前々から温めていた計画ではなく、ほとんど衝動的に日本を出てしまい、全く心構えも事前準備も無いままでバンコクに来てしまいました。出発数日前にしたのはフライトとホテルをインターネットで済ませただけ。

全てゼロから構築です。しかも偏屈オヤジですので、誰のサポートもなく一人で全て始めました。それは私にとって当たり前の事ですが、かっこう付けずに本音で言えば業者に払うお金も節約したかったからです。

タイは80年代から知っている国で、2000年からは3年間ですがバンコクに住んだ事もあります。タイ勤務が解かれた後も仕事の係わりは継続し、プライベートでも南の島や北の遺跡を訪れていました。ただ、アメリカでの仕事が変わったのと体調が悪くて、この数年は全く縁遠くなっていました。

準備も下調べもなく飛び込み的に海外に住んでしまうのは、海外在住経験だけは各国で豊富ですので、当たり前と言うか何の不安もありませんでした。厄介ごとが多いぐらいに考えていたのです。その厄介ごとも仕事をするわけでないので、煩雑な事を楽しむぐらいの気持ちはありました。

ありていに言えば、海外に住むことは、私にとっては抵抗が全く無かったし、何十年もそうし続けてきた延長だったのです。

海外に住むと言っても、基本は住む所を決めて電話を含んだライフラインを確保し、銀行口座を持つのが最初のステップ。私はそれで一ヶ月かかっていったん日本へ帰国。日本ではタイ大使館で観光ビザを取りながらも同時にロングステイ・ビザ取得の方法を調べ、慎重を期して本国イミグレや各国タイ大使館の要求事項なども比較研究しました(笑)

Thai Embassy

このブログを読まれている方はご存知でしょうが、私はインターネット検索や溢れんばかりの何の検証もされない情報を信じてないし、病的にそれらに頼る人々を危ぶんでもいます。自分の足を使い五感で体験し、失敗しながらも知識経験を貯えるて好奇心を満足させる事に喜びを感じます。

スマホ片手に知りたい事だけを得たい結果になるような検索方法で得て、それで知識経験が身に付くとは思わないし、結局は自分ではない何か他の事で踊らされてしまうように思えるのです。話を戻しましょう(汗)

そんな慣れた海外でも色々ありました。もちろん最初は苦労ばかり。アパート探し、ビザ取得、生活設営・・・すべてこのブログに書いています。他人事でも物語りでもなく自分自身の経験を詳細に自分の文章と画像で綴っています。

Aircon cleaning

さて、今日のお題、自分はなぜタイに住むのか・・・
私が嫌いなネット検索をちょとすれば、いくらでもその答えのようなものが出てくる事でしょう。

日本では知らないけど、タイに住む事に関して英語圏ではこんな事が言われています。
  Great weather(気候)
  Relaxed lifestyle(ライフスタイル)
  Financial(生活費)
  Excellent banking system(銀行システム)
  Top class healthcare facilities(医療)
  Excellent infrastructure:(インフラ)
  Visa schemes(ビザ)

寒くはなくて(暑いけど)生活費が安くてお気楽にすごせる。それでいて生活インフラは不便なく銀行も医療もしっかりしている。それに加えてビザが取得しやすい・・・でしょうか。確かに欧米人にとって気候は真っ先に挙げられる理由だと思います。銀行を挙げるのも欧米では確かにと頷きます。

日本人にとっては宗教観とか親しみやすさが入るのだと思います。中には日本食や日本語サービスと言った何も海外に住む事無いのじゃ?!と思うような項目もあるのかも知れません。

まぁ、人それぞれの生き方とタイを選ぶ理由があるのだと思うのですが・・・

でも、自分はそんな事を調べてタイに来たのではないのです。
もっと率直に言うなら、日本で家族と一緒に過ごしたかったけど、その時は出来なかったのです。

行き先をタイにした理由は在住経験があったからで、それを言うならマニラでも台北でも良かったのですが、まぁ日本以外で一番最近訪れたアジアの国だったから・・・

そんなわけで何も調べず来てしまった。来て生活設営を終えてビザを調べたら、結果的に簡単だった。それが事実です。もしビザ取得が困難だったら・・・しばらくタイを拠点にして別な国に流れたでしょう。

Immigration

じゃぁこのままタイに、バンコクに居続けるのか?分らないです。バンコクは私のように好奇心に満ちた人間を飽きさせることはないのですが、体力的な問題と金銭面でも考えないとなりません。

長い海外での単身生活を終え日本に戻り、うまく日本でのリタイア生活に順応出来ないまま、全てを棚上げにしたまま日本を逃げ出した自分。

そんな弱虫な自分が海外を転々として26年。
本当の自分に戻れるって・・・どこなのだろう。
いずれにしても、すでに一年が経ってしまった今、次の自分を探るための残された時は多く無いはずです。

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2016.01.11 | コメント(4) | その他

一年前自分はなぜタイに来たのか


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

1月9日、今朝のバンコク(の隅っこ)は雨があがったばかりの曇りです。 夜明け前、雨音で目が覚めたのですが、しばらくは信じられずベッドの中で「そんあ事あるわけない」と横になったままでした。一昨日の昼にもパラパラと降りましたし、昨日の朝も今日と同じような雨。まったくおかしな天気が続いています。

一年前の1月9日午前0時を回った時ですから、まさしく今日です。私は深夜でも活気あるスワンナプーム空港に降り立ち、タイでのロングステイを始めました・・・・


2015年1月8日成田空港、デルタ航空バンコク行きは成田PM5:55発。冬の早い夕暮れが迫る中、私は第一ターミナルに駐機されたデルタの747を見ていました。

ジャンボの愛称で呼ばれたあの堂々とした特徴あるフォルムは見間違えようがありません。多くの航空会社の主力機種で、日本の空はもちろん、アジアでもよく見た機材でしたが、今はすっかり見ることも少なくなりました。

その747をデルタ航空はアトランタ~成田便の機材として長く使っていました。どんなに内装を変えてもその古さは誤魔化しようがなく、自分が乗っていた時は新しい機材を羨ましい気持ちで見ていたものです。

delta747

アメリカ・ジョージア州に10年暮らした私は国内線も国際線もデルタ一筋。ジョージア州アトランタが本拠地のデルタですから、ずっと身近にデルタを感じていました。仕事とプライベート、一年に5回使ったとして百回は乗ったジャンボとアトランタ路線です。実際は百回以上でしょう。

成田第一ターミナルから見たデルタの747、アトランタから着いたばかりなのか、それともこれからアトランタに向かうのか・・・私は胸が締め付けられるような懐かしさ、深いため息と共に駆け巡る思い出、そんな止めようの無い複雑な気持ちの中で私は立ち止まりジャンボを見ていたのです。

いくら見続けても、もう私がアトランタ便に乗ることは一生ないでしょう。懐かしさや思い出を断ち切るように私は歩き出しました。向かう搭乗ゲートはデルタ航空成田発DL584便。さぁ、行き先はバンコクです。


乗り込んだDL584便のバンコク着は同日11:35PMが定刻です。

長い勤めを止めたばかり、しかも日本へ戻り家族と一緒に暮らし始めたばかりなのに、全てをまたリセットしてゼロから別な海外で暮し始めようとする自分、あまりにも重たい出発だったのを昨日の事のように覚えています。

ただ、私には機内で別に大きな気がかりがありました。今考えると笑っちゃうぐらい小さな事なのですが・・・

皆さんご承知のように、タイは30日以内の観光ならビザは不要で入国できます。私はそれを勝手に一ヶ月と思い込んでいたのです。正直大して気にもしていませんでした。

そしてインターネットで買ったチケットは1月8日成田発で同日バンコク着、そして帰国フライトは2月7日バンコク発のDL585便。1月8日着で2月7日発、立派に一ヶ月以内と思っていたのですが、31日間の滞在です(汗)

そんな事に気づいたのは出発の前日。何とかなるさぁと思いながらも、気が弱いもので当日のフライトではずっと気になっていました。到着が遅れれば良いと本気で思いましたが、そんな日に限って定刻通りの到着。駐機して飛行機のドアーが開いたのが午後11時45分でした。

いつもは他人より一歩でも先に機外に出たいのですが、この日だけはぐずぐずして最後のほうで機外に。これもいつもは早足で入国審査に向かうのですが、この日だけはトイレに寄ったり時間稼ぎ(笑)

やがて入国審査待ちの列に並んだのは日付も変わった0時10分頃だったでしょうか・・・しかしタイの係員がブースの中で時報と同時にスタンプの日付を変えるとは思えません。「大丈夫かな?」とこの時の頭の中は入国スタンプの日付だけ(笑)

そんな自分の頭の中とは全く関係なく無言で入力する係員。何事も無かったようにスタンプをポンと押してパスポートが返されました。「コッ・・・コップン・カップ」とブースを離れ、もちろんすぐ確認しました。ハイ・・・

結果・・・無事翌日の1月9日の入国になっていました。荷物が出てくるターンテーブルに向かいながら、小さなガッツポーズです。

つまらない話を長々と書いてしまいました。私の悪い癖です。
いずれにしても、タイでのロングステイをスタートしたのは、ちょうど一年前の今日です。

さて、その一年前、私はなぜタイに来たのか・・・
実はその答えを明確に私自身が持っているわけではないのです。

ありていに言えば、いたたまれなくて日本を飛び出たような、働く事を止めて家族と日本で過ごす自分を見つけ出す旅に出たような・・・かっこつけ過ぎの言い訳です。

でも間違いなく言えるのは、その時で通算25年の海外生活、その半以上が一人での海外暮らし。いつの間にか見に染込んだ一人の気楽さが、一人で居る事の寂しさや不安に打ち勝っていました。

そんな身勝手で我侭な自分が、これからの第二の人生とどう折り合いをつけるのか・・・もがく中で答えが出ないまま、問題を先送りするかのように日本を、家族の元を出てしまったのです。

それがなぜタイだったのか・・・長くなったので次回にしましょう。


前述のように、自宅と成田空港は過去10年だけでも大げさではなく百回以上行き来しています。結婚してからなら二百回なのか三百回なのか、もう数え切れません。
家内はそのほとんどで近くの駅まで見送ってくれていました。駅で・・
 「じゃぁ、行ってくるよ」
 「気をつけて」
 「子ども達を頼む」
そんな判を押したような短い会話で別れをしていました。

それが一年前の1月8日。
なぜか、初めて家内と息子が車で空港まで送ってくれました。
62歳直前でのまた新しい船出、家族も心配だったのでしょうか・・・

第一ターミナル、セキュリティーを通り出国手続きに降りるエスカレーター。ふと見上げたら家内と息子が最後まで見送ってくれていました。エスカレーターの速度がいつに無く速かったのか、こらえきれずに溢れた涙が邪魔したのか、家族の姿はあっと言う間に見えなくなってしまいました。

でも・・・その時の家内と息子の姿は心の中に焼きついています。いつか一緒に暮らすようになるまで、それが消える事はないでしょう。その姿があるからタイで一人で頑張れているのです。

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2016.01.09 | コメント(2) | その他

一人正月の初夢は・・・


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

1月3日、今朝のバンコク(の隅っこ)は晴れです。 空気が澄んでいるのは今日まででしょうか・・・ 昨日も良い天気の外をアパートの窓から眺めていました。

空気が澄んでいるので、夜明けを見てはカメラをかまえてしまいます。今朝は少し雲がありますが、その雲の合間からマンガのような日の出でした。ほんの数分前の画像です。

Sun

えっと・・・今日は日曜日ですよねぇ~ 日本ならまだお休みの所が多いのかも知れませんが、タイでお勤めの方は明日から仕事開始でしょうか? 

アメリカなら、そうですね・・・ほとんど会社が明日からですね。本来お休みは1月1日だけで1月2日には仕事開始ですから、今年は1日が金曜日でそのまま三連休、ラッキーと思ったのではないでしょうか? きっとタイでも同じように思えます。

日本は多くの会社が正月三が日はお休みでしょうから、今年は損したと思うののでしょうか? 

もう大昔の事ですが、若い時で日本勤務の時です・・・正月明けは会社に出勤するものの、仕事をせずに顔合わせだけ。それでご祝儀を頂いて昼前には帰れた時代がありました。女性は着物姿で出勤された方も居て、なかなか華やいでいたものです。

そう言えばなぜか職場に一升瓶があって、お神酒を茶碗で乾杯した記憶もあります。私は技術者でしたから、職場はまるで『佃製作所』のような雰囲気でした(笑) 開発が行き詰ると徹夜が何日も続いたものです。デスクでの仮眠で一週間家に帰らなかった事も何度かあります・・・

あれ・・・いつの間にか夢を見ていたようです。今年は一人タイで正月。しかも体調を悪くしてパソコン相手で疲れては安酒を飲み、酔っては寝てばかりですからねぇ・・・

以前一人で正月を過ごしたのが何年前だったか思い出せないです。10年以上海外で単身赴任だったと言うのに、年末年始は必ず日本へ戻って家族と過ごしていました。

たいていクリスマス休暇から日本に戻り、正月は三が日を過ごしてから日本を発ちました。元旦は家族でお江戸・深川の私の実家へ行くのが恒例でした。その時に深川で初詣にも行きます。門前仲町の成田山新勝寺東京別院、通称深川不動尊。それに富岡八幡宮、通称深川八幡です。両親が亡くなってからも初詣だけは深川で続けていました。

Fukagawa-fudouson

亡くなった母は参道を横切る時は遠くからでも一礼していたし、私は江戸三大祭の一つである深川八幡の本祭りで子供の時から氏子として神輿を担いでいました。そんな子供の時から慣れ親しんだお寺と神社なのです。

お参りの後は必ず門前仲町の甘味処「いり江」に寄るのも恒例の行事。子供たちはそれが楽しみで毎年一緒に初詣に一緒したのかも知れないです(笑)母が好きだった店で、三代続いてのファンです。

Irie

二日は親戚が集まっての新年会。これがあるから無理してでも日本に戻ったイベントです。もっとも自分は何もせず、大変なのは準備をする家内なのですが・・・ 

Shinnennkai-game

上の画像はある年に子供たちの発案でしたゲーム大会「親戚格付けチェック」。一流品と一般品の区別がつくか!? あの番組のパクリです(笑) 

十四代「本丸」もあったし、宝山「芋麹全量」もありましたねぇ~ ワインはRobert Mondavi Cabernet Sauvignon Napa Valley Reserve 2004ですねぇ~ 現地では120ドルぐらいだったか、日本なら2万円が店頭価格でしょうか(汗)

Shinnnennkai-wine

それら以外にも空になったボトルがずらっと並んだものです。楽しかったなぁ・・・

あれっ・・・また夢見ていたようです(苦笑)
どうりで子ども達もずいぶん前の姿でしたねぇ~

今年は喪中ですし、去年も色々あって出来ていないのですが、来年こそは私が頑張って家内を手伝い、日本でまた家族や親戚が集まっての正月を過ごしたいものです。

さぁ、また飲んで・・・次は若くてバリバリに働いていた頃に戻りましょうか。

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2016.01.03 | コメント(8) | その他

蔵出し画像放出!一年の感謝を込めて


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

12月31日、今朝のバンコク(の隅っこ)は薄曇の晴れ(汗) きっとこれから青空が広がるような気がします。 この数日は良い天気が続いています。しかももう工場が動いてないからか、交通量が減ったからか、空気も澄んで来ています。

さて、2015年もとうとう大晦日です。今日のエントリーをどうしようか考えたのですが、何らかの形でこのブログを訪れていただいた方々すべての皆さんへ、心からの感謝を現したく思っていました。

ここを訪れて頂いた方々に共通するのは唯一、タイが好きな事でしょう。そんなタイで撮った画像の中で、私自身が気に入っているものです。これらの画像で皆さんそれぞれのタイを思い出したり、更にタイが好きになったりして頂けたら幸いです。

仏の前で熱心に本を読む若い僧侶、すがすがしい空気感に包まれていました
People 4

私は部屋でじっとしていられない性格、体調さえ良ければ毎日でも街歩きしたいのです。これも持病に関係して鞄を持ったり肩がけ出来ないので、その街歩きのスタイルはいつも手ぶらです。

チャオプラヤー・エクスプレスで出会った行商の二人。ノンタブリーまでずっと話し込み、最後は電話番号を書いた紙まで渡されました。お一人は私より年下です。
People 5

ポケットに数百バーツの現金をそのまま突っ込み、もう一方のポケットに古くて小さいデジカメを持つだけです。携帯電話、スマホ、地図など一切持ちません(ガラケー以外は部屋にも無いし)。

マタバ売りの親子。路地奥で迷い込んだ回教寺院の近く。お好み焼きのようなマタバが珍しく、話し込みました。
People 1

そんな街歩きで撮った画像です。カメラや写真は趣味で無いので、良い画像とは間違っても言えなく、ただのスナップ写真です。

朽ちかけた寺の奥でタバコを巻いていました。聞くと供養のためのタバコだとか・・・
People 2

蔵出し画像としましたが、過去ブログで使ったものもあるかと思います。またあまり古くまで遡るを止めましたが、今年だけでなくこの数年間を含みます。

ある雨の日、ホテル内で見かけた従業員の振舞いが美しく、思わすシャッターを・・・
People 3

いつもは長々と文字ばかり多いブログなので、今回限りで画像ばかりです。

ウドムスックのカキ氷屋、写真を撮ると言ったら照れる寡黙な店主です。
People 6

ウドムスックの貸本屋の店主、本に囲まれて幸せそうです。
People 7

バーンカピのたこ焼き売り、一度買ったら顔を覚えられ、前を通るたびに声をかけられるのですが、実は買いたくないのです。
People 8

船着場を探して迷い込んだ路地奥で道を聞いたお母さんに命じられ、私を案内してくれた女の子。外国人を案内してドヤ顔です。
People 9

パパデーンのモタサイ女性運転手、格好良くVサインを決めてくれました。運転は荒くしがみつきたかった・・・
People 11

ラッターナコシン、ジュースを買って市場の由来を聞いたのですが、ごめんなさい90%は解りませんでした。
People 12

スクムビットで一番美味しいクイティアオ屋さんの母娘。お母さんはお店の中でも朝8時の国歌では直立不動です。
People 13

ニューロードのHarmonique、(たぶん)オーナー一族のお婆さんは店の中でいつも集会。中国語(北京語ではないので潮州語?)で話しています。
People 14

ウドンタニのカフェ、唯一ある年頃の女の子ですね。店が暇なのか三人でたくさん聞かれて疲れました。
People 15

バンプリーのソンテウで話し込んだお婆さん。亡くなった母を思い出した私の誕生日の事です。
People 10

いかがでしょうか? 少しは気になった画像、何かを思い出す画像、気に入った画像があったでしょうか・・・
タイの愛すべき人たちです。皆一生懸命働いて、エネルギッシュに生きていますね。快く写真を撮るのを許してくれてありがとう。そして、どうかお元気で新しい年を迎えて欲しいものです。他人ばかり出してないで、最後に今年の私です(汗)

ALSTER

いつまで続くか分りませんが、当面は愚直にコツコツとこのブログを続けるつもりでいます。自分で歩き、見て、感じ、思い、味わい、喜び、悲しみ、怒り・・・そんなメディアでの他人がどこで何したではなく、自分自身のタイで過ごす日々を自分の言葉・文字と画像で綴ります。

来年もよろしくお願いします。
最後になりましたが、このブログを訪れて頂いた全ての皆さんに、新年がさらに良い年になる事を心から願っています。

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2015.12.31 | コメント(10) | その他

私的2015年重大ニュース


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

12月29日、今朝のバンコク(の隅っこ)は晴れです。昨日も晴れで、この数日では空気も澄んでいたように思えます。日差しが強く、聞き飽きた事かと思いますが、例年になく暑く思えます。

さて、今年も残すところ三日となりました。
日本ほど正月の雰囲気はないものの、バンコクもすでに年末年始休暇に入っているところがあるのでしょうか・・・街はまだ格段変わったようには思えません。

街が年末年始で少しは空けば遠出したいのですが、今は体調がかなり悪く一日2~3時間の外出がやっとです。買い物も荷物を持って今の体調でソンテウなんてとても乗れないので、近くからタクシーを使うのが増えてます。今は我慢の日々です。

ところで、今の若い人はこんな事を考えないのでしょうが・・・ある年齢以上の方はこの時期に一年を振り返るのではないでしょうか? 良い事も悪い事も、一年を思い返し、また新しい年に向かって、来年こそはこうありたい!と願うのです。もっとも歳を取ると願うのはいつも健康だけになるのですが・・・

と言う事で2015年の私的重大ニュースです。ランキングじゃなくて、順番は関係ありません。十大ニュースじゃないので、いつものように七つです(笑)


ロングステイをスタート

今年1月8日成田をデルタで飛び立ち、スーツケースひとつでスワンナプーム空港に降り立ちました。タイに知人も居なく予備知識もないまま、翌日には銀行数箇所を回って日本の運転免許証もないのに強引に銀行口座を開設、その足で中古の携帯電話を買って、タイでの生活をスタートしたました。

その出発の日は「ロングステイを決めて最初の訪タイ」でエントリーしています。

delta747

日本で家族とずっと一緒だった方でも、リタイアした直後は家族とどう接するか、家での居場所にも戸惑うのではないでしょうか? 私は通算26年の海外暮らし、しかも10年以上家族と離れて暮した身です。

昨年末にアメリカでリタイアして日本に戻ったものの、家で家族とどう接したら良いのか・・・悩んでしまいました。稼ぎがあるなら大きな顔を出来るのですが、収入が無い中で家でゴロゴロしているのに自分が耐えられず、家内に我侭言って長い夏休みをタイで過ごす事にしたのです。この間に働けなくなった自分との折り合いをつけなくては・・・


アパートを決める

安いホテルを三週間ほど予約して、バンコク到着翌日からアパート探しをしました。方法は気になったソイ(路地)を歩き、気に入ったアパートがあれば飛び込みで交渉する。ただそれだけです。今思えばこれが一番辛かったですね。

管理人に話が出来るのはその中でも半分以下。やっと話せても部屋が空いているのはまた半分以下。幸い私はタイ勤務経験があったので幼稚なタイ語は最初から話せましたが、そんなタイ語が通じるはずがなく、毎日が苦労と汗と落胆の日々でした。

毎日疲れ切るまで歩きました。最初は6千バーツぐらいでローカルなアパートでも生活できると思っていたのが、一人アパートを見て歩く中でその自信が揺らぎました。アパートに入り通路を見れば、ドアーの前には靴がいっぱい乱雑に並び、風を通す為に少し開けたドアーからはテレビの音が通路中に流れています。

いえいえ、そんな事は初めから分っていました。でも実際に自分がそこに住む事を考えると・・・限られた予算内で住めそうなアパートを探すうちにに、いつしか土地勘があったスクムビットを離れました。元々オンヌットより先でサムロンまでを考えていたのですが、何となくBTS沿いばかりを見ていました。それも2週間ぐらいであきらめましたが(笑)

一ヶ月の滞在期間内が迫る中で、何とか決めたのが今のアパートですが、最初は中途半端な所の中途半端なアパートにしてしまったと後悔したものです。まぁ、今はここで良かったと思っていますが(笑) 画像は入居直後のアパートです。

Room before


リタイアメント・ビザ自力取得

アパートを決めていったん日本へ戻り、在京タイ大使館のサイトを調べながら観光ビザを取得し、すぐにタイに戻りました。2月21日の事です。
その時にリタイアメント・ビザ取得方法も日本や米国のタイ大使館で調べた事がきっかけで、タイのイミグレーションのサイトに書かれている要求手順も詳しく調べる事になりました。

ビザの自力取得なんて考えてみたら当たり前のこと。イミグレーションのサイトに書かれている事を忠実に実行して、無事リタイアメント・ビザを取得いたしました。今思えばその頃が一番楽しかったように思えます。知らない事に挑戦するで面白いのです。それとビザ自力取得を詳しくブログに書いたとたん、ネガティブコメントが(同一IPアドレスから)たくさん来たりもしました。へぇ~、書かれると困る方が居るのだ・・・と興味深かったです。

Immigration

このビザ取得に関しては、詳細を全て本ブログにエントリーしています。このブログ画面左にある「カテゴリー」から「タイ ビザ」を選ぶと、全てのスレッドが読めます。


アメリカの生活をクローズ

昨年晩秋まで働いたアメリカは現地採用で駐在でも出向者でもありませんでした。まったく他の米人達と同じ条件で雇われいたので、仕事をするのは大変でしたが辞めるのは簡単(笑)それはアメリカでの生活をクローズするのも一人で行う事を意味し、車を売ったり、納税、銀行口座を閉じるなど・・・かなり大変なのです。

アメリカで住んだ町は「アメリカ南部の町」などでエントリー済みです。ゴルフカート道が町中全ての家々に通じている全米でも珍しい町でした。

Golf Cart

昨年9月にリタイアする気持ちを固め、10月には日本で戻ったのですが、アメリカでの生活基盤を処理できないものもあって、4月の納税を機会に銀行やら全てのアメリカで残した生活の痕跡を、わざわざ5月に渡米し消して来ました。

そしてアメリカでの友人達に別れを告げる事が出来ました。画像は住んでいたアパートです。

Apartment

私は収入が全くない身で、年金も貯金も全て日本の家族が使っています。ですから、その時にアメリカで処理して残ったお金の半分を家内に渡し、後の半分で今は生活しています。大した額ではないのですが、日本の貯金も年金も自分の我侭のために使うわけには行かないのです。それが無くなったら、日本へ帰るしかないので、日々大切に使っています


娘の来タイ

今年9月に10代最後の夏休みを利用して娘がタイに来てくれました。彼女が生まれた時から一緒に暮らした記憶はお互いにありません。中学生の時からアメリカには何度か遊びに来てくれていましたが、タイにも来てくれました。

私の足である路線バスはもちろん、ソンテウや運河ボートも使って(私にとっては日常の)タイでの日々を一緒に過ごしました。

Songthew

Pier

今は息子との約束の旅、彼が生まれたドイツへ連れて行く約束を守るのが楽しみです。


義母の他界

つい先日の事です。大好きな義母は87歳で義父の元へ逝きました。これで夫婦ともにそれぞれの親を見送ったことになります。

26年の海外暮らし、子供たちはドイツで生まれ、そのドイツ在住時に私は父を亡くし、アメリカの時に母を亡くしました。両方とも葬儀の最中に空港から駆けつけた親不孝者です。大切な義母だったので様態を聞いて10月末に帰国したのですが、その時は義母はきっと年を越せると思ったのです・・・結局また親不幸を重ねてしまいました。

悲しみの家内を置いて、またタイに戻ったのも、事情があるものの決して良い事じゃないです。


ブログの再開

最後がブログを再開した事です。元々1990年代から自分のホームページを持っていたので、ブログには関心がありませんでした。それでもブログを始めたのはアメリカ在住時、「ワインな日々fromアメリカ」として料理(もちろん自炊)とワインの記録でした。

King Salmon

そのアメリカでのブログを引き継ぎ、今年3月末に今の「60代のロングステイ」として再開しました。

最初は苦労したアパート探しやビザ取得の過程をメモ代わりに残したいと思っただけでした。そうすれば自分も後から見直せるでしょうし、もしかしたらどなたかお一人でもお役に立つかも知れないと思ったからです。

それでも中身は年取ったオヤジの日々ですし、基本は昔話に若い時の自慢を加えたようなものばかり(汗)まぁ他人に読まれなくても自分がタイで過ごした日々の記録になればと思っていたのですが・・・私には思いもしなかった望外のアクセスを頂くことに驚いています。

ランキング参加は多くの方に知ってもらうツールとしてで、順位そのものは相対的なものですから、気にしないようにしています。気にしてもどうにもならないし、アクセス稼ぎのようなタイトルや中身は古いネットワーカーには不向きです(笑) ただ、再開してから一日も休んでいません。体調が悪い時も、旅行で移動中も・・・それが、その場その時に熱い想いを繋げる「旅先通信」の精神だからです。

ブログを書くにあたって、基本は自分が実際に体験した事や検証した事以外に書かないのは当たり前ですが、昔からずっと気にかけている事があります。「ブログのおきて」でエントリーしましたが、以下の通りです。
1、ネットにネガティブな事は書かないか、書き方を考える。
2、表面的な事、一過性な事を書かない。
3.文章・画像の引用を避ける。

広告もないし、絵文字や色使いもなく、フォントを変えたりもしない、それで文章だけはいつも長い(汗) きっと読まれていて疲れるかも知れませんね。面倒くさいとも思われる方も多いでしょう。ただ毎日中身に手を抜かず一生懸命書くと、こうなってしまうのです。それら全てを含めての60代のロングステイなのです(笑)

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2015.12.29 | コメント(2) | その他

動かないボンボン時計


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

12月23日、今朝のバンコク(の隅っこ)は曇りです。 しかも今にも雨が降りそうな雲に覆われています。昨日も朝からずっと曇り空。昼過ぎに雨がパラパラとほんの少しだけ降りました。12月も下旬で雨ですか・・・以前はまったく無かったことです。

本日も「バンコク不完全バスガイド」をエントリー済みですので、二回目のエントリーになります。バスガイドの方は今日は47番でした。クロントゥーイ港からMBK・国立競技場前を通り、民主記念塔を経て王宮前、王宮やワット・ポー裏のマハラート通りを走る路線です。身近な地名も多いかと思います。実際にバスの乗らなくても、乗ったような気分になれるかも(笑) ぜひご覧下さい。


さて、今日は亡くなったお義母さんの話をさせてください。タイに関係ない話なので、申し訳ないのですが・・・

家内と結婚して以来、私はずっと海外で不義理しっぱなしで見送ってしまいましたが、大好きなお義母さんでした。お義母さんが居たからこそ結婚できたと思っていますし、変な話になりますが、そのお義母さんの娘ならと安心して家内との結婚を強く望みました。

歳の離れた私との結婚を許してくれたのも、結婚後すぐに家内をドイツに連れて行くのを許してくれたのもお義母さんでした。

横浜での家を家内の実家近くにしたのも、日本に残す家族が少しでも住みやすくなるように思っての事ですが、それも家内の両親を実の両親のように私が思っていたからでもあります。

私の実母は東京でしたから、たまに私が日本に戻っても実母よりお義母さんと会う方が多かったのです。

お義母さんは福島会津若松で四人兄弟の末っ子として生まれました。海のような猪苗代湖の前には磐梯山がそびえ、会津藩の城下町として盛え、気骨ある人々が住む地です。鶴ヶ城や白虎隊など歴史的にも興味深い地でもあります。東北の盆地ゆえに冬は厳しいと思います。

何度かその会津若松の実家に遊びに行きましたが、大歓迎で親戚が集まり、私がつぶれるまで飲まされました。酒も肴も人も良い所で、私も大好きな実家でした。

数年前・・・私はアメリカで一時帰国した時ですが、足腰が弱くなってきたお義母さんを会津に車で連れて行きました。これが最後と思ってのことでしたが、それがお義母さんに故郷を見せられた最後になってしまいました。

Aizu 1

会津を出て横浜で義父と借家で暮らし、娘二人を育てました。誰もが貧しく、貧しい事は恥ずかしくなく、一生懸命働いた時代です。その時の様子を家内から時々聞きますが、それはまったく私が育った環境と同じでした。って言うか私の方が貧しかったようです。

内職をずっとして、娘達が手が離れると近所に働きに行っていたそうです。ずっと働きづめの人生だったのかも知れません。その為か手のひらが厚くてグローブのような手でした。でもそれを娘や孫たちの誰もが大好きでした。きっと働き者の手だったからでしょう。

17年前に義父を見送ってからは気の毒なぐらい落ち込み、気力も体力も弱ってしまいました。しばらくは義父と始めた小さな畑を守っていましたが、晩年はそれも叶わず、87歳で義父の元へ旅立ちました。お義母さんにとって天国で義父と再会するのが一番幸せなのだと思います。

Aizu 2

葬儀を終え、私がタイに戻る前の日です。会津若松は鶴ヶ城の前で今も営む酒蔵「末廣」の酒を持って、義姉が守る家内の実家に行きました。仏壇の前に置かれた小さなお義母さんに最後の挨拶のためです。

私はお義母さんが作った煮豆で福島の燗酒をやるのが好きでした。正月は楽しみで前もって煮豆を頼んだものです。その煮豆を食べる事もお義母さんと一緒に飲むことも、もう叶わなくなりました。

その家内の実家には古い掛け時計が鴨居に掛けられています。そして掛け時計の横には亡き義父の写真、そしてその義父の両親の写真も掛けられています。
義姉はその時計を外して義母の写真を置きたいようですが、どうしてもその「ボンボン時計」が気になってならないようです。

見ると・・・どこにでもあるような掛け時計ですが、振り子が動いていません。聞くと長い事動かないままのようです。「捨てられないの?」と聞くと、「昔からあるから・・・」と義姉が小さい声ながらも、絶対に捨てないとの気持ちを表していました。家内も頷いています。

きっと姉妹には私が知らない思い出がボンボン時計にはあるのでしょう。
今度戻った時、その古いボンボン時計を直してみようと思っています。ただ・・・今の家には時を告げる音として大き過ぎるのかも知れないですね。
でも私は、四十九日を過ぎて仏壇に戻った義母さんに、義父と娘達にしか分らない思い出の音を聞かせてあげたいのです。

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2015.12.23 | コメント(6) | その他

葬儀を終えて


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

12月19日、今朝のバンコク(の隅っこ)は薄曇。白く薄い雲で空が覆われていますが、雨はもう降る事はないのでしょう・・・・。

昨日は朝5時前に家を出て始発の東海道で東京駅へ。 東京駅から空港へは1000円の成田エクスプレスを使い、午前7時少し過ぎにはエアアジアのチェックインカウンターに着きました。横浜の朝は気温5℃でした。 温度の変化が激しいので、しばらくは体調に注意しなくては・・・

さて、急遽日本に戻っていましたが、このように昨日バンコクへ戻りました。
今回、日本へ戻ったのは家内の母が亡くなったからです。通夜、告別式、初七日などの法事を終えてのタイ帰国です。

葬儀の中で家内の実家の菩提寺住職と長く話す機会がありました。
仏教と蓮の関係についてと花の終わり方の表現などですが、日本人は花の終わりまで美しく表現するそうです。うろ覚えで間違っているかも知れませんが・・・

桜は散り
 梅はこぼれ
  椿は落ち
   牡丹は崩れ

そして
 人は逝く

義母は87歳で義父の元へ逝きました。これで夫婦ともにそれぞれの親を見送ったことになります。
帰国前日、我が家の墓参りに家内と一緒に行き、私はお袋に義母の事を報告しました。家内も同じだったでしょう。 墓参りの帰り、信号で停まった車から何気なく外を見たら、歩道に植えられた赤い椿が花びらを落としていました。

私は古いネットワーカーなので、昔からのネットマナーが身に付いてしまっています。誰もがネットに好きなように発信出来る今は古すぎるのでしょうが、勝手な記事・画像引用など基本的な事はもちろん、ネットワーカーの間で嫌われたネガティブも強く避けるようにしています。

ネガティブとは他を攻撃、私的な思いで何かを忌嫌う事、軽はずみに嫌悪をさらけ出す以外にも、私的な病や不幸を公のネットで書くことも含んでいます。
それをあえて今回書いたのは・・・それも60代の男が一人海外で暮らす日々のありのままの出来事かと思ったからです。

25年以上の海外暮らし、子供たちはドイツで生まれ、そのドイツ在住時に私は父を亡くし、アメリカの時に母を亡くしました。両方とも葬儀の最中に空港から駆けつけた親不孝者です。大切な義母だったので様態を聞いて10月末に帰国したのですが、その時は義母はきっと年を越せると思ったのです・・・結局また親不幸を重ねてしまいました。

Ship 1

母を見送り葬儀なども落ち着いた日、悲しみの家内を誘って近くの横浜港大桟橋へ行きました。気分転換になればと思ってですが・・・予想外の大型客船オーシャンドリーム号と帆船日本丸Ⅱ世号の出航を見ることが出来て、私の方が喜んでしました。

Ship 2

今回は事情も事情なので外食はほんとどしなくて、私もキッチンに多く立つようにしました。一回だけ夕食を近所のステーキ・ハンバーグのお店で家内と息子と一緒に取りました。ワインを持ち込む事無く、お店のグラスワインでしたが、これも予想外に旨かったです。ワインは最近高いのを飲んでないので、舌が何でも旨く思うのかも。

Restaurant

もっと長く家内に寄り添ってあげたかったのですが、色々な事情でそうもいかず、葬儀とその後の諸手続きを手伝って戻りました。本当はそれでは駄目なのですが・・・少し気持ちを日本に残したままの出発でした。

長い海外暮らし故に、たとえそれが日本からでも、住んでいる国に帰ると・・・「戻って来た」とほっとしたものです。 今回はなぜか「また来てしまった」と思えてなりません。 タイに一人で住む目的や意義が薄れ、仕方なしか何となくで、タイでロングステイしてているからかも知れません。 なんだかわけの分らない事を書いてしまったように思えます。すいません。

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2015.12.19 | コメント(6) | その他

家内と過ごす時間


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

11月18日、今朝のバンコク(の隅っこ)は晴れです。この数日では一番雲が少なく良い天気です。昨日は晴れ時々曇りで雨は降りませんでした。

この数日の夜明けは画像のように濁った空気に包まれたような朝で、陽が昇るにつれて青空が広がり、昼ぐらいからは黒い雨雲で所々雨。そして夕暮れが近づくにつれ晴れ間が広がっています。結局、雨季はまだ終わってないのでしょうか?

Sky

さて、日本から戻り四日間経ちました。今のタイを含めて長い海外暮らしで毎回味わう一番辛い時期です。

1990年代のドイツ赴任時、現地で生まれた長男が小学校入学前に家内や娘と一緒に日本へ戻して以来、長い単身生活が続いてます。海外赴任地が変わる短い間だけ日本勤務がありましたが、その間も年の半分以上が海外出張でした。

そんな海外単身生活で最大の楽しみは日本へ一時帰国する事でした。仕事でもプライベートでも同じです。しかし・・・その後がすごく辛いのです。正直に本音を漏らせば、歳とともにその辛さが深くなります。

ホームシックと呼ぶのか?長い間一人で暮らす事を辛いと思ったことはないのですが、この日本から戻った直後だけは辛いのです。それが家族なのでしょう・・・
下の画像は横浜の自宅近く?の滝です。散歩で歩けば1時間弱でしょうか(汗)滝もあれば田んぼ果樹園もあります。

Waterfall

今までは日本に戻ると家族4人で食事に行くのが恒例でした。寿司、イタリアン、中華、洋食・・・皆昔から馴染みの店です。それが今回の帰国では子供たちと過ごす時はほとんど無く、ずっと家内と二人でした。子供たちもそれぞれ大切なもの出来てきたのでしょう。

今回日本へ戻った大きな目的のアメリカ大使館とのやり取りが想像以上にスムースに終わり、日本での時間がたっぷり出来ました。家内の母親への二回の見舞、家内の実家と我が家の墓参り以外は二回二人で出かけました。両方とも私の希望で家内には申し訳なかったのですが、「市電DEデート」の横浜市電保存館(画像下)、そして最後に東京・上野に出かけました。

Tram 4

目的はたまたまこの時期に東京国立博物館で開催されていた特別展「始皇帝と大兵馬俑」です。すごく見たかったので、今回は非常にラッキーでした。

中国は赴任こそしていませんが、出張先としては一番多く、また通算すると1年以上滞在しています。万里の長城は行った事があるのですが、大兵馬俑はその機会もなく、もう見ることは無いだろうと思っていました。

Ueno Park 1

東京で生まれ育った私ですが、実は上野はあまり馴染みがありません。下町深川からすれば極端に言えば東京でも地方の色が濃く、ごちゃごちゃした雑多な街と思ていました。私的には動物園、そして国立科学博物館が馴染みなのですが、そこへ行く以外は裏通りなどは避けたいイメージです。

そのイメージがかなり今回変わりました。横浜から東海道線一本で上野まで行けるようになり、広くきれいに整備された上野駅公園口から目の前の東京文化会館に出られ、国立西洋美術館、国立科学博物館、そして国立博物館と文化の中心を歩くようなルートだからです。

Ueno Park 2

以前は暗く狭いうえに食べ物の匂いがしみ込んだ地下道を歩き、西郷像そばの階段を上がって公園内を進んだのですが、きっとその辺りも大きく変わっているのでしょう。

さて、国立博物館での特別展「始皇帝と大兵馬俑」、展示自体をくどくど説明するのはブログ主旨と異なるので避けますが、とても見ごたえあるものでした。画像を通りしてだけでしか見た事がない約2200年前の兵馬俑、今にも動き出しそうな屈強な兵や将軍たち、美しく装飾された馬車などが目の前、手を伸ばせば触れられそうで興奮しました。展示品は撮影禁止で下の画像は会場にある記念撮影用レプリカです。

Heibaro

平成館での特別展「始皇帝と大兵馬俑」を見終え、施設内のレストラン「ゆりの木」で遅いランチ。和食・洋食・中華にそばなど何でもあるレストランで、中は殺風景とも言えるのですが、サービスが非常に洗練されているうえに皆さん英語も堪能で驚いていました。食事も美味しく、これはただものじゃない!と思っていたのですが、後で確認したらホテルオークラのレストランでした。

Lunch

ランチの後に本館裏の日本庭園を散歩、最後に本館で常設展示も見ましたが、ここもなかなか見ごたえあるものでした。ただ残念なことに私が疲れてしまい、アジアギャラリーなどは寄れずに国立博物館を出てしまいました。特別展のチケットが1600円で常設展示も見れます。

上野駅への途中、科学博物館ではなぜか特別展示「ワイン展」までやっていて私を誘っていました(笑) 中に入るには疲れすぎていたのと時間も遅いのであきらめて、外にあった展示物、巨大な実物大のクジラ、そしてここでも乗り物!蒸気機関車のD51を見るだけで駅に向かいました。

SL

駅への途中、今度は国立西洋美術館(笑い)ここと東京文化会館はロビーだけですが、展示内容やコンサート日程など見ながら・・・日本でこうした興味深い芸術、歴史、文化などに触れながら、家内と二人で過ごせたら・・・それも楽しい老後だと思い始めていました。まぁ子供たちが独立してからの話で、二人の生活に余裕があればですが(苦笑)

国立博物館や国立科学博物館、どうしてもバンコクにあるタイの国立博物館と比べてしまいます。保存展示品自体の違いではなく、展示する姿勢・仕組み・取り組み、そして今回は見る側の違いも大きく感じました。タイには素晴らしい文化財が多いのに、それらに対する姿勢が変わるのにはまだ時間がかかるようです。

Natinal Museum

晩秋の一日、たっぷりと文化を感じた日でした。
家内にとっては面白くもない展示かと心配したのですが、これが意外にも面白かったそうです。これも映像でのイントロダクションやストーリーある展示があったからでしょう。
次回、また日本へ戻った時は美術館などにも行きたいものです。

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2015.11.18 | コメント(4) | その他

家内との会話


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

11月16日、夜が明けたばかりのバンコク(の隅っこ)は晴れです。ちょうど下の画像、昨日の朝と同じような夜明けです。 その昨日は夜明けの時に画像のような天気で、これは良い天気になると思ったのですが・・・出かける時と帰る時だけ晴れて、街歩きは雨宿りばかりでした(涙) 今日はどうなるのか・・・

Sunrise


バンコクに戻って二日目の一昨日は朝から掃除洗濯に買い物でした。日本とバンコクはたった6時間のフライトで、時差も2時間だけ。アメリカなら国内の移動より楽なので全く旅の疲れはありあせん。

ただ、たった二週間ですが部屋を留守にしていたので、空気がよどみ部屋も埃だらけのようで気持ち悪く感じます。日本に行く直前に掃除も洗濯も入念にしていたのですが、性分なのでしょう。だから戻った翌日に大掃除(笑)

それと冷蔵庫を空にして行ったので、食料がまったくありません。朝の牛乳やヨーグルトにパン。野菜も果物も無い寂しい冷蔵庫だったので、土曜日の朝一番で買い物でした。あれこれたくさん買い物がありますが、メモを持って行くことはありません。

それで必ず忘れ物がある(笑)今回は卵を買い忘れました(汗)
もう何年も同じことの繰り返しです。スーパーに行って色々見ている内に何を買いに来たのかを忘れてしまう。

物忘れ、本当に多いです。水を取りにキッチンへ行って冷蔵庫を開けると、何をしたかったのかを思い出せない(汗)キッチンに行く数歩で色々別な事を考えてしまうのですよねぇ~ せっかちで気ぜわしいのです。嫌な性格です。

さて、日本では今回家内と過ごす時間が多くありました。
テレビで認知症と物忘れの違いについての内容を観ていて・・・

家内「最近、物忘れがひどくて、認知症が心配だわ」
私 「いやぁ~ 物忘れなら、俺も多いからなぁ・・・」
家内「買い物に行く時は、買う物をスマホに書くの」
私 「俺は忘れてまた買い物に行くのも運動、スマホもないし・・・」 

はい、会話になっていません(笑) 夫婦の会話はそんなものかも。

しばらく物忘れ談義でしたが、物忘れした事自体を気付いていれば良いのですが、そのうちに物忘れした事自体を忘れるか、気付かない日が来たら要注意ですね。

家内はまだ50代半ばですが、久しぶりに会っても老後の話や心配事ばかりです。私の我侭での勝手な一人暮らし、それも海外なので、家内にはストレスをかけっ放しです。

いずれにしても、二人ともそんな事が心配・不安な歳になりました。

古いネットワーカーの間では、病気に関してうだうだ書くのは嫌われたので、このへんで話題を変えましょう(苦笑)

今回の帰国中、家内の大きな心配事のひとつ、具合が悪い義母の見舞いに二回ほど行きました。横浜でも泉区で藤沢に近い、川や丘陵もある緑多い所です。見舞いの帰りにランチに寄ったのが初めてのお店「小麦畑の石窯食堂 Far niente」でした。

Restaurant

パンとレストランが一緒になったスタイルは他にもありますが、ここは建物の周囲に広い畑を持ち小麦から野菜やハーブも育てています。障害を持つ人たちへの支援活動も行っているようで、そんな優しさが伝わるパン屋さん兼レストランでした。

Inside

平日の12時前でしたがすでに満席。まだ1年経っただけのようですが、人気があるようです。パスタとピザで本日のお勧めを注文。パスタは忙しかったからか、もう少しだけアルデンテのほうが好みでした。ピザは生地も含めて美味しいものでした。初めてでしたからまだ分りませんが、少なくても次も行きたいお店でした。

Lunch

苦労をかけてばかりの家内に帰国中にしてあげられたのは、昼食や夕食で3回キッチンに立っただけ。そうそう、カオマンガイの素みたいなものがあったので、それに付いていなかったナムチム(タレ)だけも作ってあげましたが(汗) ちなみに私はタイに戻ればいくらでも食べられるので未食でした(笑)

後は庭掃除にシャッターの修理、そして恒例の家中の包丁を研いであげただけでしょうか。 帰国時ぐらい、もっと気遣ってあげられれば良いのですが・・・

あまり長く苦労はさせられないので、そろそろ私も海外をウロウロするのは考えなければ・・・

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2015.11.16 | コメント(2) | その他

ブログを書く七つの理由


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

10月18日、今朝のバンコク(の端っこ)はまだ夜明けの靄がありますが晴れです。 昨夜は夕暮れ後も三日月がきれいに見えていたのですが、夜半過ぎの雷でした。 昨日は良い天気だったので、遠出していたのですが、帰りの移動中に雨に降られました。移動中だけで助かりました。

さて、今年の3月31日にブログを再開してから半年以上、一日も休まずにブログを更新していると思います。それまでのブログはアメリカでワインの事など書いていましたが、その時は働いていた事もあって2~3日に一回ぐらいの更新でした。

正直言って毎日の更新はけっこう大変だと思うようにもなりました。書きたいことは山ほどありますが、ブログを書く時間を毎日取るのがこの頃はチャレンジになって来ています。毎日1時間程度、長くなっても2時間を超える事はないのですが、毎日は・・・時には街歩きで疲れ、ビールを飲んでそのまま眠りたい時も多くなりました。

私は40年以上仕事とプライベートでタイピングをしているので、書くこと(打つこと)自体は全く気になりません。元々は技術屋でしたが、資料は全部英文だったので40年以上前はこんなタイプライターを朝から晩まで使っていました。

Ramington

時代は変わってタイプライターがワープロ機になった後すぐパソコンが登場。会社でパソコンを使い出したが80年代途中からでしょうか、私はちょうど最初にタイに来た頃でした。当時のパソコンでMS-DOSのコマンドを呪文のように覚えたものですが、今でもPCがトラブルとこれが役立つのですよねぇ・・・

話を戻しましょう(汗)
1990年に自分の最初のノートタイプ。それ以前は自作機でした(汗)40年以上・・・ずーと朝から晩までタイピング(笑) 実は指紋が10本指とも薄くて、アメリカ入国時に90%の確立で別室送りになっていました。日本での入出国自動化ゲートも導入直後から何度もトライしていますが、指紋を認証できず登録できていません。今のアパートも指紋認証できずに、私は仕方なくカード(笑)

また話を戻しましょう(汗)
書くこと(打つこと)は気にならないし、正直速いと思います。買い物や街歩きからは毎日午後4時ごろまでにアパートに戻ります。それから夕食の準備に入る午後6時までが勝負。それを毎日繰り返しているのは好きだからですが・・・その好きな事を毎日続けていると、時々面倒に思ってしまう事もあるのです。

じゃぁ、なんでブログを書き続けているのでしょう・・・

と言う事で、今日のエントリー「ブログを書く七つの理由」。「バンコクに住む七つの幸せ」l、「バンコクに暮す七つの憂鬱」に続いて「七つシリーズ」の第三弾です。

1、日々の記録
私の場合は日々の生活がブログ内容ですから、それがそのまま日々の記録になっています。これは将来を夢見る事が無くなった年寄りには宝物でもあるのです。ネットに発信するようになって25年。パソコン通信から自前のホームページ、そしてブログへと、自分の日々の生活、料理、ワイン、お店や旅の記録がいつでも振り返る事が出来ます。

ところで海外生活ブログランキングのトップ10を見ると(私は入ってませんが)、ニュースの時事ネタブログが多いことに驚きます。全然「生活」じゃなくて海外ニュース(笑)ブログで個人的な情報番組のノリでしょうか、まぁ人それぞれで関係ないのですけどね(笑)

2、書くのが好きで習慣になっている
ネットとの係わりは1990年のパソコン通信からで、それが衰退してからはHTMLを覚えてテキストでコツコツと自分のホームページを作り、javaスクリプトまで覚えたのに、今はそんなの必要ないブログへ(笑) ブログを作ること自体は子供でも出来るようになりましたが、問われのはマナーとその中身のように思えます。

Homepage

結局こうしたネットへ書くことが好きなのです。そして25年間の習慣となっています。ツイッターは何となくスマホを持ってないといけないようで(笑)していません。それに短い文は苦手です(大笑)facebookはやっているけどクローズした中でのもので、なんか物足りない。

実は私のブログにアフィリエイトと呼ばれる広告が一切無いのはホームページをテキストベースで作っていた頃に由来します。苦労してデザインしやっと作成したブログなのに、そこに他から容赦ない広告が貼られるのが嫌で苦労しました。どんな収入があるのか分かりませんが、巷にあふれるフリーペーパーのようなブログにはしたくなかっただけです。これは全くの私個人の過去の経験と考え方から来ている事。自分だけのこだわりで、他の方のブログは広告だらけでも気になりません。

3、ブログ公開する事で記憶を精査する事になる
自分が街を歩き見聞きした経験を書くことが多く、記憶があやしげだと自らの足で精査する事が多くあります。最近ではチャオプラヤー・エキスプレスやセンセープ運河ボートの料金で1バーツの差が気になってしまい、一ヶ月近くでほぼ全航路を実際に乗りました。まぁ細かな事が気になる性質で、古いネットワーカーなので他の記事や検索する事も避けて自分で確認したいのです。暇人なのですね(笑)

Marine

4、自分の経験を様々な人と共有できる
ブログを再開するきっかけがこれでした。タイに来て一人で歩き回りアパートを探し、銀行口座でうまく行かないのを強引に押し切り、ビザは各国大使館記載要綱から、タイ本国のイミグレーションの記載を隅々まで調べて、リタイアメントビザを自力取得しました。当たり前の事ですが、これらは他の方に少しでも役立つかも知れないと思い、自分の記録をブログの形で公開することにしたのです。今はしょうもない街歩きの経験でしょうか(笑)コメントをして頂いた方々には本当に感謝しています。

5、家族への生存証明と昔のネットの仲間との窓
家族もこのブログを知っているようです。少なくてもアメリカ在住時はよく読んでいたのを知っています。ブログはそのまま継続なので知っているでしょう。直接メールのやり取り以外でこちらの生活を知るのも安心材料になると思っています。何も嘘は無いし、隠す事もないので、それで良いと思っています。
また、25年前から同じハンドル名なので、昔のネット仲間がたまに気付いて連絡をくれます。私は海外を転々としたので、ずっと継続した友人がほとんど居ません。そんな私には貴重なコンタクトの窓口でもあります。画像は昔ネットの仲間と出版した本です。
旅先通信本

6、ボケ防止
以前、なにかで聞いた事があります。「ボケ防止には二日前の日記を書くのが良い」と。今日でもなく昨日でもなく二日前です。確かにそうかもと思いました。私のブログもその内容は日記のようなものですから、ボケ防止になると思っているのですが・・・(笑)
これは壮大な実験中ですね。研究者がいたらコンタクトして欲しいものです。

7、結局は暇つぶし
毎日ブログを書くのが時々面倒になる・・・と言っても、結局はリタイアした老人ですから時間はたっぷりあります。結局は働いていない老人の暇つぶしなのかも知れません。
それより、働きながら毎日更新を続けている方々は本当に大変な事だと感心しています。私もアメリカ在住時は働いていたのですが、2~3日に一回しか更新出来ませんでした。

これが私がブログを書く七つの理由ですが・・・結局は年寄りの昔話、自慢話なのかも知れません。それに一人暮らしで話す相手が居ないので、ブログを書いて寂しさを紛らわしている・・・それが本当の理由かも知れませんね。

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2015.10.18 | コメント(3) | その他

娘からの突然の電話


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

10月7日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り、所々晴れ間が見えます。昨日は昼過ぎまで雨が降ったり止んだりの一日でしたが、夕方から少し青空が見えました。そんな昨日は数週間ぶりに外に出る事のない一日でした。それでも掃除洗濯とやる事はたくさんあります。主婦の方々も本当に毎日大変ですよねぇ~ 今日は街歩き出来るかなぁ・・・

さて、私は電話嫌い(笑) 今持っているのもタイに来てやむを得ず連絡用に買ったもの。中古のガラケーで人生初に買った携帯電話。プリペイドで何の特徴もないものです。日本で携帯電話を持った事はないし、ヨーロッパ、アジア、アメリカの赴任地でも仕事上で与えられた携帯電話を仕方なしに持っていただけ。

銀行口座開設、ビザ取得、アパート探しで電話番号を書く必要があっただけで、実際にかかってきた事はなく、この10ヶ月で私がかけたのも日本の家族に数回と、タイで予約等で数回だけ。もちろん持ち歩いた事は買ってから3~4回。一番役立っているのはネットバンキングでワンタイムパスワードを受けるぐらいでしょうか。

仕事も含め、きちんと段取りをすれば電話で話す必要はほとんど無いと思っています。現に自分自身が仕事を一線でしていた時から電話を相手にかけた記憶はほとんどないです。いつも電話をかけられる側で、その度に「何でそんな事をでいちいち電話してくるのか、全く解らない」と思っていました。1秒を争うような緊急性なんて滅多にあるもんじゃなく、前段階での段取りとメールで十分!

仕事だけで言えば、要は電話とは相手の都合だけでかかってくるもので、自分のペースを乱されるだけのものでした。やたら電話して来るのは顧客でも、部下でも、上司でも、たいていは仕事が出来ない人が多かったような・・・

さすがにプライベートでは家族と離れて暮しているので、たまには用もなく声を聞きたくなって電話はしますが・・・基本は毎日メールをしていますし、たぶんこのブログも読んでいるかも、それで電話は年に数度だけの事でした。


そんな使わない電話が鳴りました。先日の夜10時半ごろです。
ドキッとしました。何か不幸な事が日本であったのか・・・そんな事が一瞬ですが頭をよぎりました。電話を取りたくない・・・そんなためらいを感じながらも受信ボタンを押しました。

『パパ?』娘の声です。なんとなく家内からだと思っていたので、家内が電話できない状況を一瞬に数通り考えてしまいました。

平静な声を装い『どうしたの? 日本は深夜0時過ぎだよね』と私。

『うん、パパ・・・20年間育ててくれて、ありがとう』と娘

えっ?ナニナニ??ドキッとして受けた電話なので、頭がすぐに回転しませんが・・・日本では日付が変わり娘の誕生日になったばかりなのを悟りました。娘の20歳の誕生日です。

ドイツで帝王切開で生まれ、家内から離され小児病棟で保育器に入っていた娘を毎日見に行ってました。初めて抱き上げたのも、初めてミルクをあげたのも私。ずっと言い続けている自慢話です。

Celle

娘が一歳になる頃には別々な暮らしになってしまい・・・結局ずっと一緒に暮らした事がないまま今日になってしまいました。娘が高校生になってからは一人でアメリカに遊びに来るようになり、住んでいたジョージア州はもちろん、西海岸、東海岸、フロリダと遊びに行ったのは、そんな一緒に暮らせなかった時を埋めたかったからかも知れません。

Nina_Universal 2

大学生になって、私の退職時にアメリカに来てくれたのも娘。つい一ヶ月前も10代最後の夏休みを使ってタイに来てくれ、二人でプーケットに行ったのはブログでリアルタイムでエントリーしていた通りです。

Mango Tango

誕生日に電話をしようとは思っていましたが、日付が変わった直後に電話が娘からあるとは思いませんでした。しかも反対に感謝の言葉をかけられるなんて・・・家内からのメールだと、家内には感謝のプレゼントがあったようです。

電話の最後、「また一緒に旅行しよう・・・・」そんな話で電話を切りました。こんな電話ばかりなら電話嫌いにはならなかったでしょう(笑)

これから社会の荒波にもまれ、楽しい事、良い事ばかりでないと思います。いつまでも優しい心を持つ自立した女性になって欲しいものです。

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2015.10.07 | コメント(6) | その他

アクセスお礼 ブログの掟


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

9月30日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。昨夜の雷雨は日付が変わる前には止んでいますが、町全体が湿度が高そうな朝です。昨日は天気が良かったのは朝のうちで、喜んで街歩きに行ったのは旧市街。サオ・チン・チャー辺りを散策中に雷雨で1時間近く立ち往生でした。

さて、ブログに設置しているアクセスカウンターが昨日の朝に10万回を超しました。

設置してカウンターの仕様が今ひとつ分らないのですが、私自身がアクセスしても一回はカウントされるようにも思えるので(二重カウントはされないみたい)、ブログの確認などで自分自身が一日一回はカウントされていると思います(汗)

それでもキリのよい10万回を超えたのは、このブログを訪れていただいた皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。心からお礼申し上げます。

画像は10万回アクセスお礼の最新画像、昨日の私です(笑) ある博物館で展示説明用のシステムに写った自分を撮りました。いつもどこでも一人、自撮り棒もないし大変です(汗)
ALSTER

さて、前身の「ワインな日々fromアメリカ」から、タイトルも内容もあたらにブログ再開したのは今年3月31日でした。その時点で5万ちょっとぐらいのカウンターだったと思います。

前身のブログは2012年2月~2013年9月まで1年半続け、海外生活アメリカ地区と言うより、お酒の分野でエントリーしていました。その後アメリカでの生活と仕事の収束方向を考え始めた頃からブログは1年半も休止状態でした。いずれにしても3年で5万アクセスでした。

そして、タイに来てブログ内容を変えて再開したのが前述の通り2015年3月31日ですから、今日までちょうど半年。その間に5万回近くアクセス頂いた事になります。やはり「タイ」自体の注目や人気の高さがすごいのだと思います。

それと「リタイア」「移住」「ロングステイ」と言った事に関心があるのかも知れません。もっとも私自身は「移住」なんて大それた事は一瞬でも考えた事はなく、リタイア後の長い夏休みをタイで過ごしているぐらいの軽い気持ちです(笑)

私自身がタイに来た理由、ロングステイをしていている理由、そしてこちらでの日々の暮らしについて、全く何も隠さずに、ある意味開けっぴろげにブログに書いております。それは自分自身と家族に何一つやましい事がないからで、ブログと言う形で今の自分を記録している意味があるからです。

同時にそんなブログが誰かのお役に少しでも立てばと思っています。特に、ビザ取得方法の説明や実践、アパートでの生活、日々の暮らしでの買い物や公共路線での移動などは、もしかしたら知りたい方がいるかも知れないと思い、出来るだけ詳細を書いています。

そんな主旨から広告などは一切ブログ内に貼っていません。また絵文字、色付けや強調太文字、フォント変更も避け、タイトルの付け方や長さも無意味に強調し過ぎないように注意しています。もっともそれらは私が25年以上の古いネットワーカなので、今風のブログは真似出来ないからだけかも(汗)

そんな化石のようなネットワーカーだった私が自分に課しているルールがあります。これは特に今回のために書いたのではなく、ブログをスタートした3年前、そして今年再開した時にも書いている内容です。

1、ネットにネガティブな事は書かないか、書き方を考える。
あれは駄目だ。これは良くない。美味しくない・・・そんな批判的な事を素人の自分がネットで書けるはずはない! 
批判的な内容が多いサイトに出会うと、なぜか読む自分まで惨めな気持ちになってしまいます。

2、表面的な事、一過性な事を書かない。
××へ行った。○○を食べた。△△を見た・・・それだけを書くなら自分のスタイルとは違うと思っています。タイは○×。タイ人は・・・そんなステレオタイプで幼稚な事も書かないように気をつけています。どんな時ににどんな状況で行ったとか、そこで(それで)自分は何を思ったのか・・・そんな表現が出来たららと思っています。

3.文章・画像の引用を避ける
当たり前ですね。ネットの世界では昔から勝手な引用はマナー違反と言うより、ルール違反として嫌われていました。引用する場合は引用元を明確にして、引用部分を極力短くした上で引用部を明確に分かるようにしたものです。
他から持って来た文章や画像で構成されるブログにはなりたくないものです。

結局また長くなりました。くどいですね・・・本当に私の悪い癖です。気をつけているのですが、今回もただ画像が少なかっただけですね(笑)すいません。

半年間だけですが、休まず更新を続けた為か、参加しているタイ関係のブログランキングでは思いがけず10位以内に入っています。それは多くの人の目に触れる機会が増えた意味で嬉しく思っています。わざわざ見も知らない人のブログにクリック頂くのは、面倒だと思います。本当にありがとうございます。

ただ私自身は、順位は相対的なものなのと、ランキング自体が理解できない事が多く、気にしないようにしています。それはランキングを気にすると、作為的なタイトルや内容になりがちだと経験的に知っているからです。

それよりも折角訪れていただいたのに、中身が毎回同じだったり、薄かったり、ネガティブな批判内容や、無断引用の記事・画像だったりで、読む方がうんざりしないように上記の掟を守るように心がけていきます。

最後に、いつまでこのブログが続くのか・・・と言うよりタイでのロングステイがいつまで続くのか? それはそう長いことでは無いように思えます。

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2015.09.30 | コメント(4) | その他

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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