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急な発熱と体温計

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月15日、日付が変わったばかりの横浜は雨があがって曇りのようです。

昨日の早朝、深夜ですが急に吐き気とお腹の不調で起きました。風邪ならいつもは喉がいがらっぽいとか必ず前兆があるのですが、今回はいきなりです。

吐き気は朝方からだいぶ収まりましたが、いやぁ~すごく苦しかったです。家内は医者へと言うのですが、とても車に乗るのも待合室で長時間待てないと思い、夕方までずっと寝ていました。トイレにはもう通わなくなったので(汗)、またこうしてブログを少しでも書こうかと起き出したのですが、熱が38℃台で下がりません。

熱でウトウトしたからか、子供の時の記憶がぐるぐる頭の中で回っていました。

子供の時(それは大昔です)、たまに熱を出すと水銀が入ったアナログの体温計をわきに抱えたものです。銀色の真正面から見ないと何度を指しているのか分からないアレです(笑)

白くでも所々ほつれている割烹着姿のお袋が、分厚い手で体温計を「エイッ」と降れば、あっと言う間に水銀が下がり、冷たい手でわきの下に押し込まれました。ちょっとひんやりして気持ちよかったなぁ・・・

子供心に熱が無いとまずいように思ってしまい、おもいっきり脇を絞めたものです。そうしないと温度が上がらず、とっとと起きんかい(なぜか大阪弁)と怒られそうで・・・

その水銀の体温計は私がいくら振り回しても下がらないのです。あれって・・・下手くそだったなぁ・・・

それが今は電子体温計、少し脇に挟んだだけで「ピピピピー」と炊飯器でお米が炊き上がったような音を立てます。

昔の体温計ともうとっくに亡くなったお袋・・・何か夢を見ていたのか・・・


実は今回日本へ来る一週間ぐらい前にも少し熱が続きました。私は数年に一回ぐらいしか熱を出さないのに、先月に今月。
きっとドイツへの旅が想像以上に身体を疲れさせていたのでしょう。それかそんな歳なのかも・・・

もうタイへ戻るフライトが近づいています。
熱が下がらなかったら、フライトをそのまま捨てて、新たに予約するだけの事ですが、明日どうなるか様子見です。

自分の持病の事も、公開しているブログで病気の事ばかり書くのは、何か弱みをさらけ出してアクセスを取るような気がして、好きでなく病気や体調の事はほとんど触れてないのですが、もうバックアップ記事もなくご勘弁を。

Mar15Heat

冷えピタ(商品名でごめんなさい)をおでこに貼っても効果は疑問ですが、冷たくて気持ちよいのは間違いなし、いい歳してこんな姿で熱が下がるのを待っています。

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2016.03.15 | コメント(5) | 旅先通信

旅の楽しみ、空港レストラン

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月14日、日付が変わったばかりの横浜は曇りのようです。ドイツから横浜に戻ってずっと天気が良くありません。何よりも気温が上がらず連日最高気温は6℃ぐらいです。

寒い日本やドイツをたっぷり味わったので、常夏のタイが懐かしくなって来ました。そろそろバンコクに戻る時かも知れません。

3月に入ってドンムアンから成田経由横浜、横浜から成田経由ドイツ、ドイツではフランス、スイス、デンマークと移動しましたが車だったので、空港はドンムアン、成田、フランクフルトだけの利用でした。それで今週にまた成田からドンムアンです。空港利用が続きますねぇ~

Mar14 Airport

さて皆さんは空港でのんびり過ごす派でしょうか? それともギリギリでチェックインしてとにかく乗れれば良い派でしょうか?

私は以前は空港に早めに行って、早めのチェックイン、そして搭乗まで空港でのんびり過ごす事が常でした。それは複数航空会社のマイレージが常に最高ステータスまであったので、世界中どこの空港でもラウンジが使えたからもあります。

それが4年前ですが、アメリカで働いていた時に日系航空会社のマイレージ・プログラムでステータスが高い、JALのJGCグローバルクラブとANAのスーパーフライヤーズを維持するのを止めました。JALもANAも2年近く乗ってないのに、高い年会費を払ってマイレージの高いステータスを維持するのに意味が無くなったからです。

(ANAホームページからのサンプル画像です。JALも同じ)
ANA card

JAL card

JALのグローバルクラブは20年ぐらい前から、ANAのスーパーフライヤーズも15年ぐらい前から維持していたので、一抹の寂しさを感じながらです・・・
それでも米系航空会社のステータスは高かったので、アメリカで働いていた時は全く不便なく、アメリカに遊びに来た子供たちもラウンジ利用やエコノミーからのアップグレードをさせられたのです。

ただ、アメリカで働きだして数年で空港にはギリギリで行くのが癖になりました。アメリカは普通に都市間の移動をしても時差が生じるぐらい距離が半端ないので、航空機利用は頻繁になり、感覚は日本での列車、タイでの長距離バスと同じです。

そうして飛行機や空港への考え方も変わり、空港での時間は出来る限り短くするのが当たり前になり、ラウンジなど使う暇無くなくギリギリにチェックイン、搭乗すれば良いと思うようになり、乗り継ぎ便でも最短のフライトを選ぶようになりました。

国内線だと空港に着くのが遅れそうなら直前に次のフライトに変えるし、早めに着けば搭乗ゲートが閉まる寸前でも一本早いフライトに切り替えたものです。アメリカのハブ空港間は1~2時間に一本のフライトがあったので、そんな事が出来ました。

それと機内ではサービスなど期待せずただ眠る事に労力を費やすのが一番とも考えるようになりました。
まぁ、これらはただ歳を取って多少神経が太くなったからもあるでしょう。実際に飛行機に乗り遅れたことも何度か・・・(笑) 数年前の事ですがバンコクでも飛行機に乗り遅れて新しくチケットを買った事もあります(汗)

このように今ではすっかり空港ギリギリ派なのですが、唯一アメリカで乗り換えにハブ空港で、どうしても2~3時間を要するケースが発生します。そんな時の楽しみはその空港がある土地の美味しいレストランです。

ファーストフード・チェーン店のイメージが強いアメリカですが、実は空港内にはその土地のレストランが出店している場合が多く、CNNはそんなレストランのランキングを発表していて、私のブログでもアメリカ在住時にそれを「米国、空港で行きたい飲食店ベスト20」でエントリーしています。

特に私は仕事の関係でテキサス州からメキシコ側へ陸路で入ることが多く、テキサス州ヒューストンを頻繁に使っていました。ここのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル・ヒューストン空港に前記ランキングで全米8位となった「アーバンクレイブ」がありました。

Urban Crave

奥にテーブル席もあるのですがいつも一人なのでカウンターに陣取ることが多いです。ビールも良いのですが、ここは意外にワインも条件が良い物があります。

そして注文はもちろん「ソノラン・ドッグSonorang Dog」なかなかの迫力でしょう(笑) ドッグですが手で持ち上げて食べるのは難しく、皿に乗ったままナイフで切ってフォークで頂きます。

Urban Crave Dog

ソノラン・ドッグは長さが約25センチもあるビーフ100%のソーセージをベーコンで巻いてパンに挟んだ高級ホットドッグです。
マヨネーズ、マスタード、ケチャップ、トマト、オニオン、ハラペーニョ(青唐辛子の一種)、サルサ・ヴェルデ(パセリで作った緑色のソース)が掛かり、黒いお豆がトッピングされてメキシコ料理らしさが演出されています。

味は全く辛くないのが予想外。とろけているので定かではありませんがたぶんチーズも入っていると思います。香ばしく焼かれたソーセージにカリカリのベーコン、それらに爽快感あるサルサのソースが絡むのが絶妙です。
これはあくまでもドッグで、ドッグとしては美味しいですが、それ以上のものでもありません。また9ドルのお値段は良心的ではないでしょうか。グラスワインは8ドルもします(汗)

まぁアメリカなので凝った料理ではないのですが、こんな土地の名物があると空港で食べること自体が楽しみになります。

さて、今回ドイツに行った時は成田第2ターミナルだったのですが、出国審査後は大したレストランが無くて、結局息子とタリーズコーヒーTULLY'S COFFEEでサンドイッチとコーヒーでした。しかも帰りのフランクフルト空港第2ターミナルでは、これも出国審査後にマシなレストランがなくてバーガーキングでした(大笑)

ドイツ旅行では多少がっかりな空港レストランですが、行く先々の空港で楽しみになる食べ物があるのも旅の面白さですね。ところでドンムアン空港はどうだったか・・・ここもどこにでもあるようなチェーン店しか思い出せません(笑)

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2016.03.14 | コメント(3) | 旅先通信

約束の旅8 旅の終わりに

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月11日、今日の横浜は冷たい雨が降っています。気温5℃と寒いです。まるでドイツの天気と一緒に帰ったような気がします。 昨日、夕暮れ迫る成田にJL408便はほぼ定刻前に着陸、横浜の家に息子と二人無事戻りました。

Mar10 Narita

前日は(実際はドイツでの一昨日3/9日になりますが)ハンブルグからフランクフルトに無事到着。空港でレンタカーを返し、JALのチェックインと出国手続きを済ませ、私は本当にホッとしました。

ドイツ、フランス、スイス、デンマークと4か国、走行距離の合計は2,670Kmでした。

Mar07Autoban

フランクフルトでの出発は夜の7時10分でしたので、チェックインして落ち着いたところで搭乗時間まで簡単な食事と旅の画像を楽しみました。「旅行はどうだった?」と聞けば「楽しかった」と当たり前の返事ですが、息子にとっては夢が叶ったのですから、きっと言葉以上に深い思いがあるのでしょう。

旅の最後に私が寂しさを感じたように、息子も夢が叶った後の空虚感があったのかも知れません。成田への帰路のフライトは行きとは違って旅の高揚感はなく、黙々と日本との距離を縮めているだけにすぎません。

日本への帰路のフライトは最初の機内食が終わると同時に皆さん眠る努力をされます。私は飛行機の中で眠れないのでブログを書き上げ、SKY Wi-Fiでエントリーを済ませ、後は個人モニターで映画を観続けました。途中睡魔に負けて気が付けばエンドロールが流れていたので、まぁ数十分は寝たようです(汗)

息子との約束の旅、それは息子の為だけでなく、私へのプレゼントでもあったように思えます。ずっと長く子供と暮らす事がなかった私に贈られた子供との濃密な時間、それが終わろうとしているのを私は飛行機の中で実感していました。

息子はやがて社会へ出て自らの道を歩み始めるはずです。慣れない環境へ飛び込むのは不安がいっぱいあるもの。家族は見守れても、そんな不安いっぱいの中で生きて行くのは彼自身です。

今回の旅は彼の頭の奥にあった微かな子供の時の記憶、どこまでも続く田園風景、音や匂いまでも蘇らせたのでしょうか・・・
そして新たに老いた父との旅の記憶が刻まれたのでしょうか・・・

Mar07NMS4

父として多くの時間を共有することなく小さな子供から一人の男に成長した息子。その子にもう私が父としてしてあげられる事はないように思えます。子供の時の記憶を鮮明にし、あらたに父と一緒にした最後の旅の記憶。

結局、私は彼に出来たのはそんな彼の記憶の更新だけだったのでしょう。でも・・・いずれ遠くない将来に私は子供の記憶の中だけに生きる事になるのですから、それもきっと良かったのでしょう。

私が育った時は貧しさから抜け出す為に夢中で働くしか無かったような単純な時代ですが、これからは貧しさは無くても生きるのが単純ではなく複雑で難しい時代になるのでしょう。そんな時代に負けることなく彼自身の人生をしっかりと歩み始めて欲しいものです。
子との旅は自分を素直にさせるのか、そんな事をずっと考えながら旅の終わりに向かって日本への距離を縮めていたのです。

成田にはほぼ定刻前に無事到着。

成田では税関申告書を家族として提出。前回そんな事をしたのは・・・やはりドイツに住んでいた時だったと思います。20年ぶりでしょうか・・・自分はずっと海外だったのに、家族と一緒のフライトで日本へ戻ったことなど20年も無かったのです。

またバスと電車で横浜へ。駅まで迎えに来てくれた家内がほっとした表情でした。今度は家内と一緒のヨーロッパに行かないと・・・

旅の話とはいえ、長くタイに関係ないエントリーが続き、ごめんなさい。
後数日横浜で過ごし、バンコクに戻ります。

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2016.03.11 | コメント(3) | 旅先通信

約束の旅7 帰路へ


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月10日、日本時間だと午前6時過ぎで、今はロシア領域に入ったJAL機内からSKY Wi-Fiで繋げています。高度11,278メートル、対地速度930km/h、外気温-64℃と寒いです(笑)

ハンブルグから無事フランクフルトに移動し、成田行きJL408便へ搭乗し、ほぼ定刻通りのドイツ時間午後7時15分にゲートを離れました。今は機内でビールを飲みながら今日のブログを書いています。画像はフランクフルト上空からです。

Mar09JAL

旅は無事戻って初めて旅を終えたと言えます。
息子との「約束の旅」、日本へのフライトを残すだけでドイツでの旅は無事終えてほっとしているのですが、心のどこかで無性に寂しさを覚えてなりません。きっとこれが息子と二人で過ごす旅は最後だからでしょう。画像はフランクフルト空港に着いたところです。

mar09-frankfurt

北ドイツの春はある日突然やって来る・・・と言われます。今回の旅では雪や氷点下の気温で、その「ある日」は遠いようです。毎日数分おきに天気が激しく変わるのも北ドイツ、厚着し雨に打たれながらも寡黙に歩く人々にも北ドイツの厳しさを実感しました。

mar09-fusum

旅の最後の日の朝、旅行中に初めての青空が広がっていました。気温は0℃。ハンブルグのホテルを出発後アウトバーンで南下、フランクフルトを目指しました。もちろんアウトバーンは速度無制限の区間があるので、今日もアクセルべた踏みですが丘陵地帯でアップダウンとカーブが多くて200㎞/hが限度でした。

mar09-autoban

北ドイツではどの道を走っても懐かく思い出がある地名が出てきます。息子に向かって「おまえが2歳の時にこの市場で買ったジャガイモが美味しくてねぇ~」「4歳の時に家族皆でこのレストランでシュパーゲル(白アスパラガス)を食べたんだよ」・・・そんな話が続きます。まぁ息子からすればロンドンでも、パリでも、ニューヨークでも、そんな記憶に無い頃の話ばかり聞かされ、うんざりだった事でしょう。下の画像のような一般道でもドイツは市街地以外は最高速度100km/hです。

mar09Street

そんな思いで深い道を走りながら、途中アウトバーンを降りて北ドイツで最も木組みの家並みが美しいと言われているツェレCellに寄りました。昔、家族でよく遊びに来た美しい街です。当時、デジタルカメラが世に出た頃なので、珍しくツェレでの家族写真がパソコンにありました。この時は娘も一緒ですね・・・

Celle

そして同じ場所で大きく成長した息子です。ドイツの街は時の流れに逆らって何も変わらないように見えますが、人は間違いなく年月の経過が外見に写りますね。私はすでに老人です(汗)

mar09-Cell1

実はツェレで昔の写真を撮った場所を探すのにずいぶん探しました。結局決め手となったのは市の観光インフォメーションで昔の写真を見せての事でした。さす一目で通りを絞り込めました。下の画像はそのインフォメーション事務所の窓からです。

mar09-Cell2

ツェレはちょうど朝市がやっていました。ドイツはマルクト、フランスはマルシェ、在住時にはスーパーで買うより朝市で食材を買っていました。ハム屋さん、ソーセージ屋さん、チーズ屋さん、花屋さん・・・いやぁ~これがヨーロッパです。

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美しい街ツェレを散策し、この街の象徴でもあるツェレ城に出ました。気が付くと野生のクロッカスが咲いているじゃないですか! 昨日は群生クロッカスで一番有名なフズムまで行ったのに時期が早すぎて見られなかったのに、やはり同じ北ドイツでもデンマーク国境からはかなり南ですからねぇ~

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ツェレを後にして今度はまっすぐフランクフルトにアウトバーンで向かいました。JL408便はフランクフルトを夜7時10分発なので、夕方4時頃には空港でレンタカーを返したいので、ちょっと慎重に早めにフランクフルトまで行く事にしていました。

フランクフルト空港着が午後3時半過ぎで、すぐレンタカーを返却。フランスからスイス、ドイツを南北に縦断してデンマークまで、よく走ってくれました。今回はすべての行程が車での移動だったので、車に感謝です。

旅行中の走行距離は2,670Kmでした。後は成田までの飛行時間が8時間弱と「約束の旅」に残されています。

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2016.03.10 | コメント(2) | 旅先通信

約束の旅6 ハンザ都市

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月9日、日付が変わる直前のハンブルグは曇り時々雨です。今朝はマイナス3℃と冷え込みました。日中でも気温5℃で風が強く、時折雨に打たれながらの一日でした。

息子が生まれた北の街を後にして、デンマークまで行った後に懐かしいリューベックの街を散策してハンブルグに来ました。これから一眠りして、朝にはフランクフルトへ向かい、明日の夜7時10分発のJL408便で成田に向かいます。下の画像はデンマークに入った所です。

Mar08Denemark

残った旅の行程はハンブルグからフランクフルトまでの長いドライブ、そして日本までのフライトと長い一日になりそうです。車での旅はすでに2,000kmを超えています(汗)

今朝はまずさらに北上し、北海に面した港町フズムFusumへ行きました。ここはこの時期群生するクロッカスが有名で、フズム城が淡い青のクロッカスに囲まれるので。ただ・・・今日は時期が早すぎてちらほらとクロッカスが咲き始めたところでした。また北海のカレイが旨いので何度も行った事がある港町です。

Mar08Fusum

フズムからほんの少し北へ行けばデンマークです。少しだけデンマークを走りハンザの女王と称されたリューベックへ向かいました。

さて、皆さんは学校で習われた「ハンザ同盟」を覚えているでしょうか。
ハンザ同盟とは、中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟で、巨大な力を持っていたようです。

Mar08Lubeck2

特にハンブルグ、リューベック、ブレーメンはその中心にあって、繁栄を謳歌したようです。そして北ドイツでは住民はハンザ都市であった事を今でも誇りとしているように感じます。

車のライセンス番号でハンブルグHansestadt Hamburgの車なら「HH」、リューベックHansestadt Lubeckなら「HL」、ブレーメンHansestadt Bremenなら「HB」となり、ハンザ都市を都市名の前に付けています。

そんなハンザ同盟都市でも初期に最も重要な役割を果たしたのがリューベックとハンブルグでしょう。両都市とも海に直接面していませんが、リューベックはバルト海の、ハンブルグはエルベ川を通して北海の港とも言えます。

Mar08Lubeck4

北海の港町やデンマークからドイツに戻り、今度はバルト海に向かいハンザの女王と呼ばれた「リューベック」へ向かいました。車でノイミュンスターから約1時間の距離です。住んでいた街に近い一番有名な所なのでよく行きました。ドイツに住んだ7年間でどれほど行った事でしょう・・・

当時はEUが成立する前で、ドイツは独自紙幣のマルクを使っていましたが、確か(記憶が定かではないのですが)50マルク紙幣にこの街の象徴ホルステン門が描かれていました。ドイツで一番夢いな門と言えます。そう言えば私のブログ一番上にタイトル画像がありますが、その帯のような画像の中で、右から二番目がこのホルステン門です。ブログのタイトル画像に使うぐらい、私には慣れ親しんだ門なのです。

Mar08Lubek1

この街はなんて言うのか・・・ドイツでも北欧のような重厚さと崇高さを感じます。それはホルステン門の内側には多くの尖塔がそびえているからかも知れません。街自体は川と運河に囲まれた卵型の島のような地形で、中央部が少し盛り上がっています。

マリエン教会は、ドイツで三番目に大きく、レンガゴシック様式の教会では世界最大の高さだそうです。しかしこの教会を有名にしているのはオルガニストだったブクスフーデと彼を師としたバッハでしょう。この教会のパイプオルガンも機械仕掛けとしては世界最大だそうで、毎週何曜日だったか・・・そのパイプオルガンの演奏会が夜に開かれていました。そこへ家内と一緒にひざ掛けにする毛布持参で行ったものです。

Mar08Lubeck3

リューベックからハンブルグまでは車で1時間ぐらいです。ただ・・・今回の旅で初めての大都会のホテルです。

Mar08Hotel

ハンブルグはドイツ第二の都市でエルベ川に面した港町です。内陸部にある都市なのに、ビルの谷間に大きな船のマストが見えて驚いたものです。そのハンブルグを象徴するのが街の中央にあるアルスター湖。ハイ・・・私のハンドル名の由来です。ホテルはそのアルスター湖の近くにあります。下の画像で左奥がアルスター湖なのですが、雨が激しくて近寄れなかったし、分かりませんね(汗)

Mar08Hamburg3

ハンブルグは大都会なので早めにホテルにチェックインし、地下鉄で市内を移動しました。今回の旅で車以外を使ったのは初めてですねぇ~

Mar08Hamburg4

我が家は田舎町にあったので、週末はハンブルグまで家族そろって出てくるのが習慣でした。息子がハンブルグ日本人学校の補習校に最後の数か月は通いましたね。ハンブルで買い物に食事、小さな息子を連れて歩いた所を息子に説明しながらの街歩きでした。

Mar08Hamburg2

Mar08Hamburg1

数分で曇りから冷たい雨、そして晴れ間と北ドイツらしい一日でした。私にとっては7年住んだ地なので自分の庭のような所です。全てが懐かしく、記憶を遡ってばかりの一日でした。

さぁ、明日は「約束の旅」最後の日です。ハンブルグからフランクフルトへ移動し、夜のフライトで成田に戻ります。でも、まだまだ続きます。

MapNorthGermany

Mar 09 Map

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2016.03.09 | コメント(2) | 旅先通信

約束の旅5 北ドイツへ


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月8日、日付が変わる前の北ドイツは晴れです。気温2℃と冷え込んでいます。これから朝方にかけてマイナスになりそうです。

昨日はフランクフルトに近いダルムシュタットから一気にデンマーク国境に近い北ドイツの田舎町まで移動して来ました。朝からわき目も降らず運転を交代しながら600km以上、アウトバーンを駆け上がりました。

さて、昨晩泊まった町、ダルムシュタットと言ってもその郊外の小さな町Zwingenbergに泊まりましたが、観光もビジネスも関係なさそうな何でもない町ですが、古い家や通りを大切にして保存し趣ある街並みを維持しているのは、さすがドイツだと思います。

Mar07Zwingenberg

ところで、今回息子の楽しみのひとつがアウトバーンの運転でした。日本では「速度無制限」が有名なアウトバーンですが、実際に速度無制限の区間はそう多くありません。また大きな都市がある辺りは最高速度120㎞とかかなり速度が制限されます。

今日一日で600㎞以上走りましたが、その間に速度無制限だったのは100㎞ぐらいあったかです。それも実際には真夜中や早朝ではないので、他の車も走る中なのでアクセルべた踏みなんてほとんどありません。

Mar07Autoban

まぁ昔ですが、私は270㎞で運転したことが度々ありますが(笑)
今回借りた車はBMW2ディーゼル・エンジン車ですが、息子は一応200kmオーバーの速度は経験しました。

息子にはアウトバーンでの運転マナーを徹底的に教えました。追い越し車線をどんなに速度を出して走っていても、常に後方にも注意を払い、速度が速い車タイプの車が来た場合にはすぐに車線を空けるなどです。問題は後方車

速度無制限と言っても80㎞で走るトラックと、300㎞で走るスポーツカーが同じ道路を走るのですから、安全に安定して走るにはあるレベルのドライビング能力と成熟した大人のマナーが必要なのです。もちろんドイツ独特の交通法規から燃料補給の方法も教えました。

Mar07Gas

欧州車(特にドイツ車)は年式で大きなデザイン変更をしても、伝統的なフォルム(特にフロントグリル回りのデザイン)を変えない理由の一つが、他車に自分の存在と車種を離れていても分からせる必要があると聞いた事があります。確かに今でも私は相当後方の車種をバックミラーで判断できます。ポルシェなど来たらかなり後方でも車線を空けるか、追い越し車線には入りません(汗)

ただ今日はフランクフルトを過ぎたあたりから雪、しかも激しく降ってあっと言う間に路面に積もり始めました。一車線だけですがかなり速度を落として走りましたが、アウトバーンで雪はかなり怖いです(汗)息子にはかなりハードな経験をさせてしまいました。

Mar07SnowRoad

さて、そんなアウトバーンを朝からずっと走って、北ドイツの大都市ハンブルグを通り過ぎたのは午後3時過ぎでした。ハンブルグはエルベ川に面した港湾都市でもあり、そのエルベ川のトンネルは渋滞の名所でもあります。そこを何とか渋滞前に抜けることが出来ました。

ハンブルグを過ぎると見渡す限りフラットな畑と放牧地が続きます。ただまだ寒いので牧草が育ってなくて、牛は牛舎にいるようでその姿は見えませんでした。この辺りの牛は白黒の乳牛ホルスタインですが、その名の由来となったシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の田舎町ノイミュンスター市が目的地です。

Mar07NMS1

ドイツの北、スカンジナビア諸国に向かうように突き出た半島がユトランド半島で、その半島の西の北海と東のバルト海のちょうど中央あたりに息子の生まれた街はあります。車で1時間も北に走ればデンマーク。ドイツが祝日だった時、卵を買いにデンマークまで行った事があります。

街の周辺は見渡す限り牧草地。その牧草地を走る道路にはいつも飼料の匂いが漂っていました。その匂いすら懐かしく思えるのですが、何かドキドキするものも感じながら街に近づきました。

いやぁ~迷いました。すっかり町は変わっていました。静かな北の町だったのが三倍は大きくなったように思えます。市長が優秀なのか誘致がかなり成功しているようで、大きなアウトレットが出来ていましたし、以前は無かった企業がかなり活動しているようです。
市の中心部は寂れ感があったのですが、今は多くの人行き交い、新しい店舗もたくさん営業されていました。地方の町ですが賑やかで華やいで見えます。

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まず町の中心部にある病院へ行きました。彼が生まれた病院です。初産でかなり時間がかかり私もずっと一緒でした。それは出産に立ち会うのではなく、出産を手伝ったと言うのが正解でしょう。ずっと家内に付き添い、ナースから言われるまま家内の体を支えたり・・・息子が生れた時、自然と涙が出てなりませんでした。

Mar07NMS3

その後いよいよ住んでいた家へ。家があるエリアは住宅街で、そこは全く昨日そこを離れたよう思うほど何も変わっていませんでした。そしてなぜかこの時青空が広がりました。近づくとなぜかドキドキします。私がそうなので息子はもっとドキドキした事でしょう。下の画像で一番奥の家です。

Mar07NMS5

私が「やっと来たね」と言えば、感無量なのか返事はありません。二人で周囲を歩きましたが、知っている人たちには会うことがありませんでした。息子が子供の時に遊んだ公園でシーソーに乗れば、息子は記憶があるようです。きっと微かな記憶をたどっていたのでしょう・・・

Mar07NMS4

ただ残念だったのは、今住んでいる人はあまり庭の手入れをしないのか荒れていました。私が庭に植えた木々は大きく育っていました。庭の周囲に柵を作り真っ白なペンキを塗ったのですが、その柵は削除されて荒れた木々で家や庭を隠しているようです。

そんな家を後にして街外れのホテルにチェックイン。仕事で2ヵ月ぐらい泊まった事もあるホテルです。チェックイン後に街で出かけましたが、夕食で探したレストランは半分は変わってしまい、半分はそのまま残っていました。これは私が複雑な気持ちです。

息子の夢が叶ったのか・・・私の息子への約束は果たしたのか・・・それらは旅が終わった時に答えが出るでしょう。今は残された息子との旅を楽しみます。

Mar08MapDetailed1

Mar 08 Map

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2016.03.08 | コメント(4) | 旅先通信

約束の旅4 仏・アルザスの美しい村


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月7日、日付が変わる直前のドイツ・ダルムシュタットは曇りです。フランス、スイスからドイツに戻りました。

昨日は朝起きたら外は真っ白で雪でした。私は1年以上の久しぶりの雪です。息子の朝一番の仕事は雪かきでした(笑)

Mar07 Snow

そんな最悪の天気の中、フランスのアルザス地方の美しい村々を巡り、南下をしていたらスイスに行ってしまいました。ドイツに戻ったのはもうスイスからで、フランスからスイス、そしてドイツと葡萄畑に点在する村を巡りました。そこから一気にアウトバーンを北上、フランクフルトにも近いダルムシュタットまで来ました。

Mar07 Swiss

さて、昨日のエントリーでフランス・ストラスブールの素晴らしさを書きましたが、実は慣れていない旅行者には厳しい現実もあるのです。
まず軽機関銃で武装した兵士が観光地で警戒しているのを見ると、フランスの厳しい現状を思い知らされます。この後訪れたコルマールも同じでした。

Mar07 Strasbourg 1

そして土曜日の午後であった事もあるのですが、駐車するのに大苦労です。常日頃、私は息子にヨーロッパだと縦列駐車を素早くする事が大切だと話しているのですが、まさにそれを実感する事になりました。慣れていない方にはかなり厳しい車でのアクセスになります。街中が下の画像のような駐車を必要とします。ええ、私も息子の手前頑張って平気な顔でやりました(笑)

Mar07 Strasbourg 2

今回の約束の旅、ゴールはドイツでもデンマークとの国境に近い北ドイツの田舎町なのですが、そこへ行くまで「どこか行きたい所はあるか?」息子に聞いたら、「ローテンブルグ」と一緒に挙がったのが「コルマール」でした。

恥ずかしながら私は全く知りませんでした。もちろん初めて行きました。
息子曰く「ハウルの動く城」の街はここが舞台だとか・・・私がアルザスに行けるならと喜んだ時はアルザス・ワインしか頭になかったのですが(笑)

Mar07 Movies

調べたらコルマール周辺には見どころがたくさんあるじゃないですか。アルザスの小さな村々が注目されています。「リクヴィールRiquewihr」は葡萄畑と建造物の素晴らしさで知られ、別名“葡萄畑の真珠”とも呼ばれているそうです。季節が葡萄にとっては真逆なのが残念ですが、とにかく葡萄です(笑)

07Riquewihr 1

早朝の雪が残るアルザスの山のふもとに分け入ってたどり着く本当に小さな村、本当に村をな囲む葡萄畑に埋もれそうです。素晴らしいです! そんな小さな村のあらゆる路地にワイン酒場があります。きっとフランス国内では知られた村なのでしょう。

07Riquewihr 3

ちょうど日曜のミサを知らせる教会の鐘が鳴り響く中での散策になりました。観光客と思われる人には全く遭遇しません。最高のお気に入りのアルザスの村になりました。

07Riquewihr 2

そして次に訪れた「エギスアイムEguisheim」はフランスで『最も美しい村』の一つとして選ばれた事があるそうです。また、その美しさは2006年「ヨーロッパ花の町コンクール」で金賞に選ばれたそうです。花も季節的には真逆でこれも残念です。それにエギスアイムはアルザスワイン発祥の地だそうです。

Mar07 07Eguisheim 1

ここは卵のような楕円形状に家々が連なり一種の城塞のように作られています。そしてその内側には石畳の道が一周しています。中央部の教会の屋根の上には大きなコウノトリの巣があって、親鳥がカラスの襲撃を退けていました。どうもコウノトリが街のシンボルでもあるようです。下の画像で中央の屋根の上にある巣が分かるでしょうか。

Mar07 07Eguisheim 3

ここはシーズンに来たら、きっと観光客だらけの街になるのでしょう。確かに美しい村です。ただ、リクヴィールを見た後だったので素朴さに欠けているようにも思えました。

Mar07 07Eguisheim 2

さて、次は「コルマールColmar」です。コルマール市自体がメルヘン全開の街のようです。なんでドイツ在住時に知らなかったのでしょう。まぁ、その頃は「ハウルの動く城」なんて無かったので、日本じゃ注目もされなかったのでしょう。

Mar07 Colmar 2

ただ・・・ここにも中国の観光の方たちがひときわ目立っていました。ローテンブルグやハイデルベルグほどではないのですが・・・息子が思いっきり中国語で写真を頼まれたので、こちらもお願いしました(笑)

Mar07 Colmar 1

ボートツアーもあるようで、きっと夏には人気がすごい事でしょう。ここも素晴らしく美しい街ですが、やはりアルザスの山の中にある村々から来ると、華やいだ都会に思えます。

Mar07 Colma 3

こんな風にアルザスの街を訪ねていたら・・・スイスの国境に来てしまいました。予定は無かったのですが、バーゼルを訪ねました。下の画像はバーゼルでのライン川です。

Mar07 Basel

冒頭に書いたようにバーゼルからドイツに戻り、一気にアウトバーンを北上、フランクフルトにも近いダルムシュタットまで来ました。明日はいよいよ北ドイツです。

Mar07-Map-Detailed

Mar 07 Map

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2016.03.07 | コメント(4) | 旅先通信

約束の旅3 観光街道


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月6日、日付が変わる前のフランス・ストラスブールは曇りで時々雨が降っています。昨日も今日も曇り時々雨です。気温は日中でも5~6℃ぐらいしか上がりません。

さて、欧州、アジア、アメリカと多くの国で生活して26年、単に訪れた国を数えるのははるか昔に諦めているのですが、ヨーロッパに戻って来たと実感するのは・・・実は教会の鐘の音です。ローテンブルグでは城壁のすぐ近く、観光客が集まる市庁舎広場に5分も歩けばよい距離なので、昨晩は中世のままの街で毎時の鐘の音を聴いていました。

Mar05 Rothenburg

そんな街に響く鐘の音が印象的なローテンブルグから一気にフランスはストラスブールまで来ました。実はホテルはストラスブールのライン川反対側のドイツ内にしています。何かと慣れているドイツ側のホテルにしたのです。ライン川を渡れば10分ぐらいでフランスです。明日の朝にはフランスを走ります。下の画像はフランス側の道路案内標識ですが、「パリ」への方向が示されて、フランスを走っている事を実感します。

Mar05 France

ところで、ドイツには日本でもよく知られている、ロマンティック街道、メルヘン街道、古城街道以外に、たくさんの「観光街道」があります。二日目に走ったミルテンベルクのマイン川周辺も「フランケン赤ワイン街道」と呼ばれています。

Mar05 Street

もちろんローテンブルグは「ロマンティック街道」のハイライトと称されるぐらいで、その名に吸い寄せられるように観光客が多い町でした。日本人には絶大なる人気、中国の方も目立っていて、中世そのものの街とは対照的に観光客が多い所は華やいでいました。

そんなローテンブルグを朝食の後に出発しました。アウトバーン7号を南下しアウトバーン6号を西に向かいました。もうその頃には息子もアウトバーンの運転に慣れたようで、私は安心してリラックスできます。

Mar05 Autobane

A6のSinsheimジンスハイムでアウトバーンを出て45号線で今度は北上です。一般道ですがドイツでは町の中以外は100㎞が一般的な最高速度です。緩やかな丘陵地帯を山に向かって走りました。目指したのはネッカーゲミュントNeckargemund、ネッカー川沿いの小さな街でここからネッカーシュタイナハNeckarsteinach、ヒルシュホルンHirschhornと「古城街道」を走りました。

Mar05Neckargemund1

古城街道は西のマンハイムから始まりチェコのプラハまで全長1,000kmの観光街道です。、そう言えば昨晩泊まったローテンブルグはロマンティック街道と古城街道が交差する街でもありました。

Mar05 Hirschhorn2

ロマンティック街道でも古城街道でも、その街道自体を走るのも良いのですが、日程が限られているので途中をアウトバーンでスキップして今回は走っています。

Mar05 Hirschhorn1

その古城街道、昨日はハイデルベルグからヒルシュホルンまでの間だけですが、緩やかに蛇行するネッカー川沿いのドライブと点在する小さな街を楽しみました。古城は次から次へと現れますが、その多くが廃城です。その中でもヒルシュホルンでは人気の古城ホテルまで登ってみました。

Mar05 HirschhornHotel

ヒルシュホルンを後にして古城街道を西に向かうと、ドイツで最も古い大学がある事で知られる「ハイデルベルグ」です。ここは大きな街ですが新市街に行っても仕方ないので、旧市街のマルクト広場に駐車してハイデルベルグ城まで歩いて登り、ネッカー川の眺めを楽しみました。

Mar05 Heidelberg 1

Mar05 Heidelberg 2

昼食を取ってからハイデルベルグを出発、アウトバーン5号を一気に南下し冒頭の通りフランス・ストラスブールまで行きました。

Mar05 Strasbourg 1

ストラスブール・・・いやぁ~本当に素晴らしい街です。ヨーロッパの国々は全て訪れていますし、行った都市など数え切れませんが・・・ベスト5に入ります。息子と二人で街を歩いて、二人でテンションが上がりっぱなしでした。ブログなら5回分は書けますが、まぁタイ関係からすでに逸脱しているので詳細は避けましょう。

Mar05 Strasbourg 2

ドイツの影響を色濃く感じますが、そこに住む方々はフランス人、やはりフランスなのです。武骨なドイツとは異なるセンスが良い人々、街中の店もどこも素晴らしく入ったらキリがありません。

Mar05 Strasbourg 4

ストラスブール大聖堂の中に入ると・・・思わず息をのみ言葉が出ません。ヨーロッパで行くべ教会ベスト3(私的ランキング)のトップにしたいぐらいです。中の構造、パイプオルガン、ステンドグラス・・・どれを取っても素晴らしいの一言です。

Mar05 Strasbourg 3

ホテルはストラスブールのドイツ側で地名で言えばオッフェンブルグです。ホテルのすぐ横をスイス・アルプスから流れ出たライン川が流れています。ライン川の向こうはフランス。明日はフランス・アルザス地方を走ります。

えっ?!「今度はアルザス・ワインか!」ですって・・・ハイ、その通りです(笑)

Map 06 Map Detailed

Mar 06 Map

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2016.03.06 | コメント(11) | 旅先通信

約束の旅2 ワイン街道


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月5日、日付が変わる前のドイツ・ローテンブルグは曇り時々雨で、雪になりそうな寒さです。地元の方曰く、三日前は雪だったそうです。アシャッフェンブルクからローテンブルグに移動して来ました。デンマーク国境に近い北ドイツが最終目的地ですが、今のところは南に向かっています(笑)

さて、ドイツには大小多くのワイン産地があります。日本で言えば北海道より北になる産地ですから、葡萄栽培の環境としては厳しく、気温もありますが太陽光も乏しく、白ワイン用葡萄種栽培がメインになります。

またライン川、モーゼル川、マイン川、ネッカー川など川沿いの険しい急峻な地形と気候を利用した葡萄畑も特徴的に思えます。乏しい太陽光を少しでも多く得る工夫なのでしょう。北半球の多くのワイン産地を巡りましたが、モーゼル川の奥地に入ると傾斜が厳しく、機械が使えず葡萄の手入れや収穫は人の手でしか行われない葡萄畑を多く見かけます。

Mar04 Wurzburg1

ライン川とモーゼル下流の産地を除いて生産量は限られ、また長期熟成に適さない為に現地で消費されるワインが多いのですが、それらのワインの中でもボックスボイテルと呼ばれる特徴的なボトルのフランケン・ワインは私の好みでもあります。

甘口で飲みやすい白ワインのイメージが強い(必ずしも正しくはないのですが)ドイツのワインの中でも、武骨な辛口白ワインがフランケンです。その中でも「ヴュルツブルガー・シュタイン」は強いミネラルが特徴的です。シュタインもピンキリですが、良いものだとフランスで有名なシャブリから繊細さを取り除き武骨にしたようなワインです(笑)

フランクフルトの東、ちょうど昨晩泊まったアシャッフェンブルクあたりからマイン川に沿って始まり、ヴュルツブルクがその中心にあたります。

昨日はそんなワイン産地に流れるマイン川に沿った丘陵地帯のドライブが続きました・・・

Mar04 Miltenberg1

アシャッフェンブルクAschaffenburgでドイツ最初の朝を迎えた後、朝食を終えて朝早いアシャッフェンブルクの街を散歩しました。この町はフランクフルトに流れるマイン川の上流にあたります。ちなみにマイン川はフランクフルトの下流でライン川に合流しはるばる北海まで流れる、ドイツを代表する川です。

Mar04 Aschaffenburg2

そのマイン川沿いのアシャッフェンブルクはヨハニスブルク城が有名です。まだ凍るような寒さの3月上旬、石畳の歩道を歩けば常夏のタイを離れ、日差しが強さを感じ始めた早春の日本から遠いヨーロッパに居ることを実感させます。ロマンティックな想いは別に寒さが応え早々に退散です(笑)

Mar04 Aschaffenburg1

昨夜はいきなりに慣れない外国で夜の運転はさせられなかったので私が運転。もうアウトバーンを運転したくてならない息子には気の毒なのですが、アシャッフェンブルクを出発してマイン川沿いにどんどん丘陵地帯に入ります。

目的はグロースヴァルシュタットGrosswallstadtからMiltenberg(ミルテンベルク)と続く「フランケン赤ワイン街道」です。実際は山の中を歩くハイキングコースで車が通れる所ではないのですが、ミルテンベルクは「マイン川の真珠」と呼ばれる美しい街です。

Mar04 Miltenberg3

マイン川が大きくUターンするように蛇行する所にミルテンベルクはあります。本当に小さな街で中心部に車を停めて歩きましたが、徒歩で街の見どころは全て回れます。旧市街のマルクト広場はドイツで最も美しい広場と聞いた事があります。

確かに美しいです。しかし季節外れの昼前、人がいません。それに寒いです。これも有名なドイツで現存する一番古い旅館と言われるGasthaus zum Riesen(ゲストハウス ツム リーゼン・下の画像)など、見るべきものは多いのですが、何よりもここはクリスマスマルクトが有名です。まぁ残念ですが、その時期はとっくに過ぎてしまいましたねぇ~

Mar04 Miltenberg2

ミルテンベルクを後にして、またマイン川沿いのドライブが続きます。観光ガイドにも載らない小さな村が点在していますが、どの村もドイツらしい古い建物を大切に使っているのがよく分かります。

1時間半ほどの山道のドライブを終えて、やっとA3(アウトバーン3号線)に入り、一気にビュルツブルグの市街地に向かいました。この辺りでは大きな街でマイン川とブドウ畑に囲まれたフランケン・ワインの中心地でもあります(笑)

はい、とことんワインに拘るのです(汗)

特に冒頭に書いた「ヴュルツブルガー・シュタイン」はここで生まれるワインで、当然すでに買っていて、明日にはなくなるのでしょう(笑)

Mar04 Wine

ワイン以外は・・・マイン川の川岸にある小高い丘の上にはマリエンベルク要塞があり、ビュルツブルグの町並みを見下ろしています。その周りにも葡萄畑があって気になるのですが(汗)(一番上の画像です)

あっ、そうそう!ビュルツブルグはあの有名な「ロマンチック街道」の起点となる街です。ビュルツブルクから始まりアルプスの麓フッセンまで続きますが、おそらくドイツで一番有名なノイシュヴァンシュタイン城がそのフッセン近くです。ちなみにこの町は路面電車が走っていて、路面電車が通るたびにカメラを向ける癖は抜けないですねぇ(笑)

Mar04 Wurzburg 3

昼食はレジデンツすぐ横のレストランで食べました。宮廷庭園を見ながら私はフランケン・ワインにビールを楽しみ、後の運転は息子に任せました。(息子はほとんど飲めないので乾杯の真似です)

Mar04 Wurzburg2

さて、ヴュルツブルガーでの街歩きを終えて、ロマンチック街道を走っても良いのですが、ここは時間を稼ぐために一気にアウトバーン7号で「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー」に向かいました。

息子のリクエストで「ローテンブルク」で一泊です。実は息子が赤ちゃんの時に連れて来ているので、彼は初めてでないのですが、当然何も覚えていません。横浜の家ではクリスマスが近づくとツリーの飾りつけを始めるのですが、その飾りの多くがローテンブルクで買ったものです。もう20年以上我が家のクリスマスを飾ってくれていますねぇ~

Mar04Rothemburg

Xmas goods

宿は「Hotel Rappen Rothenburg」旧市街地のすぐ近く(下の画像)。ホテルの目の前が城壁です。チェックインを済ませて息子と一緒に散策に出かけました。ここは良くも悪くも観光の街なので、風が強くて寒く小雨が降っていましたが、中国語と日本語があちこちから聞こえてきました。

Mar04 Rothemburg2

私自身は何度が来た事がありますが、中世の街並みがほぼ完璧に残り「中世の宝石箱」と称されるこの街です。初めてなら絶対に訪れたい街ですが、実はお土産屋さんと観光客に観光客相手のレストランやカフェが目立つ街でもあります。

Mar04 Rothemurg1

車でこの辺りをドライブすると、もっと自然で美しい街に出会えますので、実はそれほど好きな街ではありません。仕方ないですね・・・観光客で食べている街ですから。

Mar04 Rothemburg3

さて、今日の運転最高速度は息子が190km/hで、私が210km/hでした。ちなみに私は270km/hが人生の最高運転速度です(汗) 車での移動距離は長いのですが、時間はそれほどかかっていません。好きな街歩きも今日は2~3時間は歩いています。

Mar 05 Map Detailed

Mar 05 Map

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2016.03.05 | コメント(7) | 旅先通信

約束の旅1ドイツへ


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月4日、今朝のドイツ中部は曇りです。今はドイツ時間で3月4日の午前6時前です。日本なら3/4日の午後4時、タイでは午後2時でしょうか・・・いきなりですが、今日からドイツの旅が始まります。

私には息子が小さい時にした約束がありました。

『君が大人になった時、君が生まれた街へ連れて行く』そんな話をしたのは息子が小学生の時だったと思います。そして彼がそれをずっと楽しみに覚えていたのを知っていました。

Mar3 JAL1

私は二人の子供に恵まれましたが、長男が小学校へ入る前の年に家族を日本へ戻して以来、ずっと一人で世界の色々な所を転々としました。息子は私と暮らした記憶はあるようですが、娘はまったくその記憶はないようです。

そんな息子に残った微かな記憶、それはきっと窓から外を見れば林と畑だけが地平線まで続き、家ひとつない光景でしょう。そんな町はずれに建つレンガ造り一軒家、急こう配の屋根が特徴的です。その家と一緒に父親の記憶もあるのか・・・

House 2000

息子自身がその約束を口に出して私に聞いた事は一回もありませんでした。私も働いていましたし、ましてずっと海外で家族とは別な暮らし。でも私もその約束を忘れた事はなく、リタイアした後がチャンスとは思っていました。

それで昨年、私から息子に伝えたのです。「パパがお前をドイツに連れて行くとしたら、これからの一年ぐらいが最後の機会だろう。早めに自分の都合で期間を決めなさい」と。それは私に今は時間があっても身体が言うことを利かなくなっているのと、息子も来年は大学院から社会へと出て、きっと自由な時間は限られると思ったからです。

息子からその時期が彼の春休みにしたいと連絡があったのは今年1月中旬ぐらいだったか、私が持病で横になったままから、徐々に動き始めた頃でした。私は持病が出てしまったので回復時期を取りたいから、時期を出来るだけ後ろにして欲しいと頼み、回復に努めると共に旅行の準備を始めました。

Mar3 Jal4

航空券、ホテル、レンタカーすべて私自身が調べて個々に予約しました。海外に関わって40年、その内26年間は海外暮らしですが、ツアーなるものに参加したのはホーチミンでメコンデルタ半日ツアーに参加した一回だけ。

旅のだいご味はその準備から始まります。ワクワク、うきうきしながら行程や費用を考え、色々自分が納得しながら手配し確認をしないと気が済まないのです。ツアーで人任せなんて絶対に出来ないし、旅行サイトでパパッと予約するのも嫌です。そんなの旅の楽しみを半減するようなものです。

それはタイでリタイアメント・ビザを取得した時も、自分で各国大使館要求事項やタイ王国イミグレーションの要求事項を調べながら、自力で取得したのと似ています。途中経過が面白いのに代行業者に任せるなんて出来ません(笑)

話を戻しましょう(汗)

息子とは5年前にアメリカ西海岸でワイナリー巡りに付き合ってもらって以来の二人旅です。その時は息子に一人でLAまで来てもらい、私はアトランタからLAに向かい合流。シアトルからワシントン州とオレゴン州のメジャーでないワイン産地を車で数日かけて巡りました。

Washington 2011

海外に一人で長く暮らした私にとっては、こうして海外で家族と旅行するのが唯一最大の楽しみでした。最初は家族そろって来ていたのが、やがて息子や娘は一人で来るようになりました。それも子供たちの成長を見るようで嬉しかったものです。

2月29日にタイから日本へ戻り、体調を整えて昨日3月3日に息子と一緒に成田からの出発でした。ちょうどひな祭りの日、たまたまこのフライトがイベントになっていて、グランドスタッフを含めて多くの女性職員が参加し、プレゼントや撮影会、盛大な見送りと特別なフライトになりました。

Mar3 JAL2

MAR3 JAL6

成田発フランクフルト行きJL407便は12:15分の定刻5分前に出発。12時間ちょっとのフライトはアメリカ東海岸への飛行時間と一緒ですね。私は11年振りでしょうか・・・息子は彼が5歳ぐらいの時に片道切符で日本へ戻って以来ですから、20年振りかな?

機材は初めてのBoing787、いやぁ~導入当初はトラブルが相次ぎましたが、乗る分にはかなり快適です。エコノミーのシートも少し広めに感じますし、ちょっと馬鹿にしていた窓の構造(機械的でなく電気的なシャッターのような・・・)も素晴らしい。まぁ、それはずっと太陽を追っていたので地上もよく見えたからかも(最初の画像が787独特のフォルムの翼とシベリアの凍てついた大地です)。

Mar3 JAL3

パーソナルモニターや各シートごとの電源、トイレ、空調など・・・これからは他の機材に乗れなくなってしまいます。

Mar3 JAL5

フランクフルトには定刻16:30通りに着陸。気温4度小雨でした。すぐにAVISレンタカーに向かいました。私がアメリカでずっとAVISを使っていてメンバー登録していたので、今回はそのメンバーとしてAVISの予約もしていました。アメリカだと予約するだけで事務所によらず、そのまま駐車場で車をピックアップできるのですが、ここではそうも行きませんでした。

ちなみに私はアメリカの免許証でそのまま多くの国でそのまま使えます。息子には(正式にはドイツは認めていませんが)国際免許証を用意させていました。息子がオートマチックしか経験ないので、あらかじめオートマチック車があるベンツAクラスか同じクラスを予約していました。ヨーロッパだと普通はマニュアル車になるからです。用意されていたのはBMWでしたねぇ~

Mar3 BMW

フランクフルト空港を出てアウトバーン3号線で東に向かい、1時間ぐらい走ったAschaffenburg(アシャッフェンブルク)の旧市街に近いホテルにチェックインしたのは夜7時過ぎごろでした。やはりホテルを探すのに迷って、通行人に聞きました。

それで先ほどまでホテル近くのレストランで・・・本当に旨い!ドイツのビール、昨晩はソフトな味とクリーミーな舌触りに大人の苦みのピルスナーを飲んだ時、「あーー、戻って来た」と感じました。

さぁ、もう今晩は眠りましょう。明日からはドイツと古い街道やアウトバーンのドライブが続きます。フランスにも行くかも(笑)

この後も息子と旅を続けながら、その旅先から、もう二度と繰り返す事がないだろう大切な息子との旅の日々を綴ります。ちょっと疲れたらバックアップ用のエントリーをするかと思いますが、毎日の更新は続けます。

タイには関係ないエントリーが続き申し訳ありませんが、これも60代のロングステイの日々、よろしく応援願います。

Mar 4 Map Detailed

Mar4 Map Big

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2016.03.04 | コメント(11) | 旅先通信

日本へ戻りました


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

3月1日、今朝の横浜は良く晴れています。昨夜、気温11℃、思ったより寒くない成田に着いて、横浜の家に戻ったのですが、さすがに夜9時近く、寒さが身体にこたえました。

と言うことで昨日(正確には数時間前に)、日本に戻りました。って言っても一時帰国で、またすぐ別な旅へ出るのですけどね。取りあえず無事バンコクから横浜の家に戻りました。

バンコク~成田は例によっていつものようにLCCのエアアジアです。チケットは27日前に買って、アドオンが全くなくて往復THB12,210でした。特にセールとかで買ったものではありませんが、このエアアジアがあるおかげで気軽に日本へ帰れます。リタイアした身にはありがたいLCCです。

アパートを早めの午前7時に出ました。いつものようにタクシーでウドムスック駅へ行きモーチット駅までBTSです。ウドムスック駅からは始発三つめの駅ですから乗れますが、この時間は本当に混んでいますねぇ~

モーチット駅からはこれもいつもの路線バスA1です。北バスターミナル発と言われていますが、実際はモーチット2と呼ばれる路線バスの車庫内でUターンするだけ。長距離バスが発着する北バスターミナルでいくら待っても乗れません。下の画像はモーチット2車庫に入った直後のA1で、後方のオレンジの屋根が北バスターミナルです。

BusA1 Mochito2

モーチット2車庫でUターンしたバスはBTSモーチット駅下の2カ所に停まります。一か所は駅真横で多くの路線バスが発着するバス停(下の画像)。

BusA1 Mochit St. 1

そしてその少し先で少し停車してお客を待ちます。下の画像で奥の歩道橋が最初に停まる普通のバス停(上の画像)で、手前のオレンジ・コーンが置いてある所が停車するバス停です。私は駅から見てここに停車していないと、上の普通のバス停で待ちます。

BusA1 Mochit St. 2

バスはこのモーチット駅を出ると、しばらして高速経由に入り、ドンムアン空港へ直接乗り入れるます。A1とA2(戦勝記念塔発)以外にもドンムアン空港へ行く路線バスは多くありますが、空港内へ乗り入れるのはA1とA2のバスのみです。料金は一律30バーツ。

うーーん(汗)なんだか本ブログで進めている「バンコク不完全バスガイド」みたくなりました。話を戻しましょう(笑)

昨年2015年12月末に国内線用として第2ターミナルが再稼動され、国際線専用となった第1ターミナルの混雑が多少は緩和されていると思うのですが、相変わらず混んでいます。でも、一番恐れている世界の大国を自称する某国団体ツアー客がいないので、ほっとします。成田へのフライトは正確にはエアアジアX、チェックインカウンターは真ん中あたりの4番で、それほどの混雑ではありませんでした。

DomMuang Terminal 1

飛行機は定時ちょうどの出発、午前11時にドンムアンを飛び立ちました。機内は満席でした。日本人は学生さんか若い方が多いようです。タイ人は個人のグループが多く見かけました。でも皆さん大人しいし、静かな機内です。

私はいつものように前日買った菓子パンと搭乗ゲートそばで買った水を持ち込んでいましたし、パソコンで映画を観ながら機内での時を過ごしました。飛行時間6時間ぐらいですから、狭い機内やサービスが限られていても私には十分です。

成田には定時19時少し前に到着。これもいつもの格安バス(1000円)で東京駅へ向かいました。東京駅~成田空港間の格安バスは2社「東京シャトル」と「THE アクセス成田」が営業中で、その詳細は「成田空港からの格安バス」や「THEアクセス成田で空港へ」で紹介済みです。

Bus at Narita

私は事前チケットを買わないで済むとか、東京駅で少しだけバス停が近いのでTHEアクセス成田をよく使います。以前は空いていたのですが、このバスもだんだん乗車率が上がっているようです。昨日は成田最後のバス停を出る時は満席でした。

成田から横浜まではJR。ここでいつも困るのは家内にJR駅まで迎えに来て欲しいのですが、公衆電話が見つからない事です。結局横浜まで移動して駅に着いてから電話するのですけどね。世界中同じだと思いますが、公衆電話を街で見るのはもう数年だけかも知れません。

さて、二日後には新たな旅に出ます。もちろん旅先通信の精神で、その時その場からのブログ更新をするつもりなので、お楽しみに(笑)

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2016.03.01 | コメント(4) | 旅先通信

初めてのFree Wi-Fi@BKK路線バス


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

2月25日、今朝のバンコク(の隅っこ)はうす曇りと晴れの中間です。 昨日は終日曇りでした。いつもの白く濁った空ではなく、雲に覆われた一日でした。

さて、先日「初めてのWindows10 パソコン履歴」で私の昔の事を書きました。まだノートパソコンなんて個人が買うような時代じゃなかった頃、もちろんスマホもなく携帯電話も肩から下げる様なタイプだった時の事です(笑)

そんな時代に今のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の原型であるパソコン通信が誕生し、やがて私はそれにハマるようになりました。

ただ・・・多くの人が家のデスクの前から固定電話回線を使ってダイヤルアップしていた頃、私は改造パソコンを持ち歩き海外から繋げていました。もちろん国際電話ではなく海外の通信会社の現地アクセスポイントから入り、日本へ繋げていたのです。

そんな事をデーターポートはもちろんモジュラージャックなんて無い時代のヨーロッパで始めたものですから、電話回線に(詳細は書けませんが)直接クリップで繋げたり音響カプラーを使ったりしていました。しかも旅が日常だったので、パリの公衆電話から繋げた翌日はスペインの山小屋から繋げたり・・・

公衆電話から通信

そんな「旅先通信」は、家ではなく外の難しい環境から通信することが挑戦であり、趣味であり、自慢でもあったのです。それがネットで話題となり本を出版したり雑誌に取材されたり・・・今の若い人からは「あっ、そう、それが何?」と一蹴される年寄りの昔話です(汗)ハイ、昔話と自慢話はここまで。毎回ごめんなさい(汗)

そんな私が・・・タイに来て1年以上、アパートの外からパソコンを繋げた事は一回あったか・・・思い出せないぐらいです(笑)

理由は簡単、スマホは持ってないし(ガラケーも持って歩かないし)外出はいつも手ぶらだからです。ポケットには小銭とポケットカメラのみの完全手ぶらです。1年以上ほぼ毎日バンコク中をブラブラしているのに、鞄類を持ったは数回だけ。それはイミグレーションへ行った時だけです(笑)でも書類は入れてもパソコンは持ち出さなかったです。重たいから(笑)

それが数日前、イミグレーションに行くのに書類を入れた鞄を持つ必要があったので、ついでにパソコンとガラケーを入れて出かけました。

イミグレで待つ時間、もう何もする事が無いのですよねぇ~ 最初の1年は人間観察メインで建物内を探検したり(笑)銀行やコピー屋さんを比べたり、バスを調べたりで・・・色々楽しかったのですが、慣れると緊張も面白味もなく退屈なだけ。その暇つぶしのつもりでした。

Immigration Office

それで(初めてパソコン持って)いつものようにアパート前からバーンカピ方面のバスに乗りました。それがたまたま直営オレンジエアコンバスだったのですよねぇ~ 普段は赤バスや委託バスばかり来るのに(笑)

知っていました(笑) 去年のいつ頃からか・・・席の後ろに貼ってあったり、つり革のように下げられたりで、バスの中にもWi-Fiが導入されたのを。しかも大好きなFREE! そうそう、一度はしたかったのです。そう思って3~4ヵ月は過ぎたように思います。

Bus WiFi 1

目新しくもないし、メディア記事や観光客のブログも含めて飛び付き易い内容なので、きっとどこかですでに紹介されていると思います。また、私はタイ語が読めないので間違えもあるかと思いますし、横に座っていた学生さん風お兄ちゃんに(ありがとう!)に聞きながら、たまたま一回成功しただけの事ですから、詳細は他のサイトを参考にしてください。もしかしたら皆さんはもう普通にスマホで利用しているのかもしれませんね。

それではバンコク直営エアコンバスに導入され始めたFREE Wi-Fiのやり方です。
あっ!このブログの読者はご存知でしょうが、私は全くスマホを知りません。あくまでもパソコンでの接続です。

題名だけでこのブログに来た人は、たぶんここから先だけを読みたいのでしょうねぇ~ それで「要点だけにしろよ!」なんて怒ったりして(笑)

1、パソコンを立ち上げてWi-Fi接続先「ON WiFi」を選択。

Bus WiFi 2

2、次の画面で一番下をクリック(最初は登録が必要なようです)

Bus WiFi 3

3、下の登録画面が現れるので、タイでの携帯電話番号をハイフンなしで入力して、その下をクリックすると生年月日です。その入力画面は英語(笑)ただ、ここでどう入力をするのかお兄ちゃんも分からず二人で一番悩みました(笑)答えは真ん中が入力した日のはずですが、日・月・年それぞれの上か下をクリックすると一個ずつ動きます。私は年寄りなので年はたくさんクリックしました。あっ!仏歴です(汗) 性別はデフォルトが男性でしたので、一番左下の「Set」をクリック。

Bus WiFi 4

4、そうすると次の画面になり、赤の印をクリック(たぶん承諾するの意味)

Bus WiFi 5

5、そうしたら、これも珍しく持って出たガラケーが何か受信しました(驚)見たら『4桁の数字』がパスワードとして送られて来ました。それで最初に電話番号を入力したのですねぇ・・・

6、パソコンで次の画面に受信した4桁の数字を入力して、赤丸印をクリック。

Bus WiFi 6

7、次の画面になり、赤丸印をクリックで数十秒のコマーシャルの後に自由にインターネット・アクセスが出来ました。ちなみにその下をクリックしたら、また登録画面に戻りました。教えてくれたお兄ちゃんが生年月日の所でバスを降りちゃって、試行錯誤でした(汗)

Bus WiFi 7

8、無事インターネットにアクセス出来るようになりました。上の画面で30分(数少ない分かるタイ語)とあるので、たぶん30分間だけの接続かと思います。もうこのあたりでバーンカピに近づいたので、30分以後がどうなるかは不明です。また、平日タイ時間で午前10時ごろにYahooニュースにアクセスした限りでは、ストレスなしに見られました。

アパートからバーンカピまであっと言う間でした。最初の登録画面まで隣のお兄ちゃんがタイ語を訳してくれたので助かりましたが、それ以後は試行錯誤です。ただ間違えてもやり直しすれば良いだけでした。

普段車窓を楽しむのに揺れるバスの中でパソコン画面を見続け、バーンカピでバスを乗り換えた時はすっかり疲れてしまい、次のバスでは疲労なのか気を失ってしまいました。気が付けば政府合同庁舎のすぐそばでした(汗)慣れない事はするものじゃないです。

このブログで、バスの中でもインターネット・アクセスして「バンコク不完全バスガイド」をご覧になる方が出てくれば嬉しいのですが・・・笑

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2016.02.25 | コメント(0) | 旅先通信

遠方の友が去った後は…


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

2月23日、今朝のバンコク(の隅っこ)は薄曇です。昨日も終日曇り空でした。知らなかったのですが仏教に関する祭日だったようです。BigCでビールを買おうとして断られました(汗) 夕方からは近くのお寺に人が集まり始め、夜10時ぐらいまで賑やかでした。

先日、「初めてのオフ会」をエントリーしましたが、それだけではなく先週はバンコクでのオフ会が続きました。(画像はルエン・マリカの二階個室です)

BKK OFF 1

パソコン通信時代の仲間ですから、バンコク在の同い歳の一人を除いて皆さんとは10年近く、中には15年ぶりぐらいに会った方々もいました。

パソコン通信はそこに参加する人々が興味を抱いた細かな分野に分かれていたのですが、今回お会いした方々は「旅先通信」的な分野の人たちです。その中でも美味しいものへの探求心が強い方々です。(画像はルエン・マリカです)

BKK OFF 2

私なら地域別でヨーロッパとかドイツ、後半にはアジアとかタイ。そしてパソコンのハードやソフトをメーカー別で見てたり、書き込んでいました。かなりアクティブなメンバーだったと思います。ヨーロッパ関係ではフォーラムスタッフをドイツでしていました。

だから共通の趣味を持つ人がオンラインでスレッドを交わすわけです。昔の事ですからパソコン自体個人で持つ人は少なく、女性や若い人はあまりいなく大人の世界でした。教員、医師、技術者、経営者、社会経験が豊富な方が私が参加していた所は多かったです。それもあってネットマナーに関しては非常に厳しい世界でもありました。

全ての人が電話回線のダイヤルアップで繋ぐのですから、無駄な文字をネットに流すな!みたいな雰囲気がいっぱいでした(汗)自分の書き込み、主張や意見展開を多くの見知らぬ人たちが読むのですから、幼稚な内容、他からの引用、コピペ、ネットやメディアを基にした内容も嫌われたし、容赦なく叩かれました。(画像はとあるバーです)

Bar Soi22

そんな経験からか私はブログでも、メディア記事やネットで拾った内容で展開するのは引用はもちろん、そうした事からは距離を置くようにしています。自分自身の経験を自分の言葉と文字で現せればと思っています。自分が経験した事だけを書きたいので、メディアやネットで見聞き拾った事が私のブログで展開されることはありません。元々、そんなの見ていないし(笑)(画像はラマ3世通りのファー・プラー・チョンノンシ本店です)

Bangkok OFF 1

『朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや』
確か・・・元々は学問を志す人が、同じ志を持つ朋が訪ねてくる・・・そんな状況から出た言葉だと記憶していますが、定かではありません(汗)

皆さんはパソコン通信が世の中から消えた後もメーリング・グループを作って、連絡を取り合ってオフ会もされていたようです。「旅」と「食いしん坊」が共通する事でしょうか。私はその間ずっとアメリカで無縁の世界でしたから、今回初めてそんな事を知りました。(画像はスクムビット35のゲッダワーです)

Bangkok OFF 2

たまたま「バンコクで旨いものを喰らおう」みたいな話から盛り上がって集まられたようです。過去は香港が多かったそうです。そう言えば「バンコクにはALSTERさんがいるみたい」なんて事になり、今回声をかけられました。

私自身は当日にお会いするまで誰がいつ来て、どこに泊まって、何をしているのか、何人なのかすら知りませんでした。まぁオフ会に誘われたら参加するぐらいのイメージです。それとは別に京都の御恩ある方の奥様がご主人とは別なフライトになってしまい、お一人なので私が空港出迎えホテルまでお送りする事だけは事前に頼まれていました。(画像はソンブーンのウドムスック支店です。私だけサングラスで申し訳ない。目が悪くて欠かせないのですが、ずっと昼から出っ放しだったもので)

Bangkok OFF 3

そんなわけで全容を全く知らずに15~20年ぶりに会った人たち。会えばそんな空白の時が無かったかのように話が弾みます。結局突然オフ会になって食事の場所など急遽私がセットアップ。当日急な事に加えて、大勢での移動にお店のキャパなども考えて、選択肢が限られている中でやむを得ず選んだのが上記の画像にあるような店です。

皆さん世界中で活躍したそうそうたるメンバーです。参加者最年長は77歳。参加した女史のお父様で、最後の日に私が空港へお送りしたらTGのファーストクラス。(私がトイレに行っている間に)航空会社職員のVIP待遇でどこぞへ連れ去られてしまいました(笑)日本からだけでなく移住先のオーストラリアからも参加したご夫婦もいます。

そしてネットでは一番親しかった人と翌日やっと会えました。
京都の御恩ある方、最初にオフラインで会ったのはドイツでの事です。私の師匠でもありネットの世界ではパイオニアとして有名な故辻バードさんとご一緒でした。ネットの世界だけでなくお二人ともそのご活躍でお名前だけは知っていたたのですが・・・

辻バード師匠が亡くなったので、今ではネットで一番お世話になり親しかった人です。京都では誰もが知る老舗店のご主人、京都はもちろん関東だと東京駅大丸や横浜高島屋にも支店があります。

ドイツでご飯、ビール、教会音楽、オーケストラなどをご案内して以来、パリでの盛大なオフ会、日本を含めて世界中でお会いしています。そう言えば私の前在住時にバンコクでも会っています。

おかげで一見さんが入れない京都人だけが知る奥深い遊びもご指導いただきました。家内も含めて祇園や上七軒で普通は経験出来ないような思いをさせていただきました。(京都での画像はキリがないのですが、なぜか一番古いものでご勘弁を)

1996 Kyoto Off

『去る者は日日に疎し』
親しかった人も遠ざかり時が経てば、交情が薄れていく。そんな意味かと思いますが、そんな事はないのかも・・・今回、そう思えてなりませんでした。

私自身が海外を転々とし、谷間の日本勤務時も一年の半分以上海外出張。そんな繰り返しが30年以上したので、私には親しい友人はいません。親しかった友人たちも上記の言葉通りに遠ざかり薄れて行きました。海外でも積極的に友を作らず、仕事に埋没しそうな中でネットに繋がりを求めていました。

気が付けばリタイアしタイでロングステイをしながらも人との接点を絶ったような日々です。正直、人と親しくするのが面倒と言うか、一人でいるのに慣れ切ってしまいComfortableなのです。嫌われそうな性格かも(汗)

いつだったか・・・このブログの読者からのコメントでオフ会について聞かれました。
私のネガティブな返答を正直に書きました。「ブログのオフ会と言えば、ブログ主に対して読者の方々が集まるようになる。それは私が考えているオフ会は違うように思う」と書いたように思います。

パソコン通信の時はオフ会三昧でした。私が海外に居た事もあって、訪ねてくる人も多かったし、日本へ一時帰国すればオフ会が連続して組まれました。そこで会う人たちは誰もがネット上で書き手であってスレッドを交わした相手でした。オンラインで知っていて、オフラインで会ってまた親交を深めたものです。

それらの人々と15~20年ぶりに会ったわけです。

今は・・・本ブログでオフ会を開催しても良いかなぁ~って考え始めています。でも、数人でも集まっていただけるでしょうか? 募集して一人も集まらなかったら、落ち込むでしょうねぇ~(汗) まぁ、いつかやりまひょか(笑)

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2016.02.23 | コメント(7) | 旅先通信

初めてのWindows10 アップグレードすべき?


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

2月17日、今朝のバンコク(の隅っこ)は薄曇、晴れだと思うのですが空が濁っています。昨日も終日うす曇りでした。雲なのか空がずっと濁っていました。年中暑いバンコクですが、それでもこの時期は日々気温が上がっているように思えます。

さて、Windows10へのアップグレードに関するエントリー、前回の「初めてのWindows10 パソコン履歴」の後編です。

今回Window10にアップグレードしたのは、2012年春にアメリカで$499(約4万円)で買ったPCでToshiba製の14型Satelite。OSがWindows7 HomeでCPUがCore i3-2350MにHDDが750GBでメモリーが6GBでMS Office2010付きでした。これを今でもタイでメイン機として使っています。

アメリカでは小型のパソコンは需要が少ないので、一般的ではありません。体からすれば小型に見えてしまう重たいラップトップを軽々と皆さんお持ちになっています。私はとても持ち歩きは出来ないのですが、まぁリタイアしたので、もうハイスペック機は要らないのです。

Toshiba PC

このPCを買った直後も環境を整えるのに大変でした。キーボードなど全てアメリカ仕様(当たり前)なので、日本語を使える環境にするのと、Windows7(64Bit版)なので今までWindows XPでなんとか使っていた古いソフトが使えなくなったりで苦労しました。

そんな苦労して使えるようにして今では慣れているPC、それをわざわざ厄介なWindow10へのアップグレードをしたのは・・・「無償アプグレードしなさい」と煩い(笑)それとWindows7のメインストリーム サポート期間が1年前に終了し、すでに延長サポート期間に入ったからです。いつか変えるのなら今しておくか・・・それぐらいの軽い気持ちでした。

もっと本音で言えば新し物好きなのです。やはり何でも新しいものを使いたくなってしまう(笑)あらゆるマシンに関して言えることです(汗)それでもすぐに行うのを我慢していたのですよねぇ~ それが今年になってそろそろWindow10にアップグレードする頃と思ってしまい・・・結局それでトラブル続出でした(涙)

Windows10-2

まぁ、事前に何も調べずに、いきなり気分でしてしまった自分が悪い(笑)
ただデーターバックアップは日ごろから常識として行っていましたし、ダメなら戻せば良いぐらいに考えていました。旧バージョンでの復元ポイントは(後から気がつけば)設定してませんでした。

アップグレードはかなり時間がかかりましたねぇ~ 夜中に作業を始めたので、途中で寝てしまいました(笑)まぁ2~3時間はかかるイメージでしょうか。機械的にダウンロードしてアップグレードする作業だけです。

無事OSはWindow10にアップグレードされたようで、スタート画面がなかなか新鮮で喜んでいました。実際にパソコン作業をするまでは・・・

まず、パソコン固有機種に付帯するユーティリティー・ソフトがほぼ全滅でした。例えばファンクション・キーに割り当てた輝度調整・音量調整とかWiFiオンオフ機能のようなものです。

一番困ったのはWiFiがオンできないのと、ポインティングデバイスが機能していないことでした。普段から手がキーボードからいちいち離れるのが嫌でマウスなど使ってないのです。仕方なしにLANケーブルを接続、マウスもUSB接続で取りあえず動かせるようにしました。

その上でアメリカのTOSHIBAのサイトでサポートを見たところ・・・アメリカってサポートはユーザーがメーカーとやり取りするのではなく(ある期間以降)メーカーサイトの中のCommunity Forumsでユーザー同士がやり取りするのですが・・・あるある(笑)輝度調整出来ない、WiFi出来ない、ポインティングデバイス動かない。それで結論がなかなか無いのです。元に戻せ、ドライバー最新版を使えなどが結論(笑)

なるほど・・・本来はアップグレードする前にWindows7でそれぞれのドライバーを最新版にすべきでした。OSはちゃんとアップグレードして動いているのですが、ユーティリティーが動かないものが多いので、2日後にはWindows7へダウングレードで戻しました。

そうしたら・・・また色々な問題が(笑)一番困ったのが日本語入力がまったく出来なくなったこと。4年前の購入後もWin7 Homeで日本語入力するのに手間取ったのですが、今度はその方法でも全くダメでした。

まぁそれでもドライバー類を最新版にして、またWindow10へのアップグレードです。また作業中に寝てしまいました(笑)

それで1日かけて環境整備、暇人だから構いませんが、かなり面倒です。特に私がフリーソフト、シェアウェアをかなり使っているので、それらを動かすまで一苦労でした。まっとうなソフトはMS OfficeとPhotoshopぐらいですから・・・エディターは秀丸だし、辞書ソフトのPersonal Dictionaryはタイ語も対応させているし・・・アップグレード後に使えるようにするまで本当に厄介でした。

Windows10-1

おまけに「Intel WiDiは、このヴァージョンのWindowsでは使用できない」とかPCを立ち上げる度に怒られるし(笑)それらは煩いのでPCから削除したり、まぁまだ毎日いろいろ試しています。

良かったのは日本語入力は出来るようにしたものの、OSは英語版だったので、OSに関しての表示などはすべて英語でしたし、アプリケーション・ソフトもOSの英語に合わせて初期設定を変えられるので、それらが面倒でした。例えばブログで言えばFC2を利用していますが、何もしなければFC2での入力も英語環境になってしまいます。いちいちそれを日本語に変えるのです(汗)
起動時間などは変化があるのか気づかないレベルです。

Windows10-3

Window10にして(英語環境)、それをWindows7Homeでは出来なかった日本語環境にしたので、OSを日本語でいじれたり見れるのが新鮮です。

それで結論から言えば・・・
現状に不満がないなら、バージョンアップすべきでない
(笑) そんな事分かっていたのですけどね。

もしバージョンアップするなら、その前にドライバーソフトなど最新のものにする。またPCメーカーサイトでバージョンアップへの対応を事前に調べる。データーのバックアップはもちろんですが、バージョンアップ後の不具合に対応できるスキルと時間がない方はするべきではありません。まぁ最近のPCで、メーカーのサポートがきちんとしているなら、そんな大きな不具合はないと思うのですが・・・

私の場合はアメリカ版Windos7Homeで日本語環境やユーティリティー、フリーソフト、シェアウェアなどを使えるようにしていたのが、また最初からやり直しだったので皆さんとは事情が異なると思いますが、あまりバージョンアップはお勧めできませんねぇ(汗)下の画像はアップグレードした現在のスタート画面

Windows10-5

全部の機能をチェックしていないので分かりませんし、なんとなくまだ挙動がおかしい事があるので、きっとこの先もまだまだ苦労することがあるでしょう。それらも何とかなるし、その過程が楽しいのも事実です。

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2016.02.17 | コメント(4) | 旅先通信

初めてのWindows10 パソコン履歴


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

2月15日、日付が変わったばかりのバンコク(の隅っこ)は薄曇のようです。いやぁ~ 昨日は暑かったですねぇ・・・薄い雲がずっとあったような気がしますが、それでも日差しがきつく暑い日でした。

さて、一昨日そして昨日とバンコクに来ている昔のネット仲間とのオフ会が続いています。皆さん10年以上、中には20年前に会っただけの方も居ますし、パソコン通信が途絶えた後は消息不明だった人も多いのです。私自身が海外を転々としてましたしね(汗) でもお会いすると、そんな空白の時がなかったようにすら思えます。それぐらい昔のネットは濃かったのです・・・

そんなわけで今回のエントリーはパソコン談義です(笑) しかもWindows10への苦労談と言うか失敗談です(涙)

どんだけ年寄りだと思われるでしょうが(笑)私が入社して最初の職場で使っていたのがRemington Rand製のタイプライターでした。全て鉄製、すごく重たく簡単に動かせるようなものではなくタイプライターが置いてあるデスクに移動して英文の資料を作成していました。
Ramington
完全に機械式で、キーをしっかり押さないと活字が先端にあるアームが紙を叩かないし、カーボン紙とペーパーを巻いたローラーが左から右へ移動していって、改行作業はその重たいローラーを戻す・・・そんな力も必要とした事務機でした。

さすがにこのタイプは1~2年で電動式に変わり、IBMのタイプライターが登場です。活字の分だけアームの本数があったのが、一個のゴルフボールぐらいのタイプボールになりました。そのボールの表面にアルファベットや記号・数字が彫られていて、キーによりボールが向きを変えながら紙にタイプする。そうそう、この時にカーボン紙からカーボンテープにも変わりました。

海外との通信方法は国際電話などものすごく高い時代。だいたい国際電話は交換に申し込んで繋げる時代でしたし、ファックスもその頃に登場したように記憶しています。だから普通はテレックスが主流。まぁ電報のようなもので、指定用紙に手書きして交換手に持っていくと、そこで紙テープにタイプされ電信される。一文字いくらの時代だったので、英語も世界的に標準の略が使われていました。andはY一文字。thank youはTKY・・・今の若い人はたぶん理解できない文章でしょう(笑)

やがてワープロ機(パソコンじゃない!)が登場し、会社でも使っていたし、個人でも買いました。しかし、すぐにパソコンが個人レベルで使われるようになり、私が最初に個人で持ったパソコンがマッキントッシュのPB150。1990年代前半だったかドイツ赴任時でした。アップルが最初だったのですが、Macは3代ぐらい使ってIBM互換機(今で言うWindowsパソコン)に変えてしまいましたけどね(笑)
MAC PB-150
重たかったですよ(汗)よく爆弾マークが出てスタックしたものです。ただ、このPCでドイツから安く早く安定した通信を目指して「オタク道」まっしぐら(笑)パソコン改造からスクリプト作成まで手を出し、アメリカの大手パソコン通信会社CompuServe(コンピュサーブ)に入って勉強していました(笑)

CompuServeは日本ではNifty-Serveがモデルとしてサービスしてたので、私もNiftyの会員へ。やがてフォーラムスタッフまでドイツでするようになってしまいました。

その頃の通信は電話回線を利用してのダイヤルアップしか無かった時代です。モジュラージャックなどないヨーロッパでは物理的に回線に接続するのに無茶したり(内容は書けません)逸話もたくさん出来てしまい、下の漫画絵は「パリのパンツ一丁事件」として私を描いてネットに流れたものです(笑)

ALSTER Picture

私は当時から旅先での通信が主体でしたので音響カプラーもよく使い、ヨーロッパ各国の公衆電話からもよく繋げていました。下の画像は小型PCの先駆け東芝リブレット30でHDD換装・クロックアップと改造したもの。ボディーを切る「裏切り」は行わず裏蓋にリブレット50改造品を使い、旅先でのハードな使用条件を考慮したものです。

公衆電話から通信

そんなネットでの活躍?があったからかソフトバンク出版から話があって、ネットの友人たちと一緒に「旅先通信」を三冊出版。また集英社のビジネス雑誌に特集が出たりもしました。雑誌はキャプチャーしたものですが、右上は私の機材で「パスポートなくすより通信できないほうがコワイ」は私の言葉です(笑) 私は前列右ですねぇ~

Book

Magazine

そんなネットで華やかに遊んでいた頃、自作機に飽きてしまい、ノートパソコン改造やソフト的にもオペレーティングシステム(OS)のレジストリーもいじっていました。HDD換装なんて初歩で今でも定期的にしています。バックアップ目的を兼ねてちょっとHDDの音がおかしいと思うと交換。まぁ好きなのです。

もちろんすべて自己責任で少しでもそんな事をすれば保証外。まぁ日本一時帰国に秋葉原へ行ってノートパソコンを買ったその数分後にはオフ会でずたずただったので、パソコンとは自分で改造するものだと思っています(笑)
PC Modification
そんなのも含め当時は日本に戻れば連日オフ会でした。地域に関してヨーロッパやドイツ関連、そしてパソコンでは東芝やIBMなどメーカー別に、私が縁が深かった旅先通信。前タイ在住時にはタイでも頻繁にオフ会をしていました。「旅先通信」はちょうどその頃の仲間が今バンコクに来ているので、オフ会を先日したばかりです。

さて、年寄りの自慢話と昔話が長くなりました(まぁ、それはいつもの事ですが)。すいません。

今回Window10にアップグレードしたのは、2012年春にアメリカで買ったPCでToshiba製の14型Satelite。OSがWindows7 HomeでCPUがCore i3-2350MにHDDが750GBでメモリーが6GB。しかもMS Office2010まで付いて価格は$499(約4万円)でした。在庫一掃セールだったかな(苦笑)でもこれが今でもタイでのメイン機なのです。

下の画像はアメリカ在住時のもので、一番右が今回のパソコンです。ちなみに前回のオリンピックの時ですね。

アメリカでのテレビ視聴はケーブルテレビが一般的なのですが、私の契約ではNBC系列のオリンピック放送以外にNBCインターネット・ストリーミング配信が視聴出来て、それで日本のでる種目や興味ある競技を観ていました。3台のPCがあったので拡張してモニター5台、それにテレビを加えたら最大6競技が同時に観られました(汗)

Olympic

このストリーミング配信は実況や解説の音声がなく淡々と競技映像を流しています。それがかえって選手やコーチの声を生々しくさせ、競技自体の音や観客の声援なども含めてなかなか面白く思えるようになりました。今年のオリンピックはそんな事出来ないですねぇ・・・

話を戻しましょう(汗)
ちなみにノートタイプなんて言葉はアメリカにはなくラップトップになります。またA4サイズなんて言い方もありません(そもそもアメリカではA4とかB5のような用紙サイズの規格は使用していない)。そのラップトップでも日本のように小型軽量タイプはほとんどみかけず、私が買ったアメリカの電機チェーン店BEST BUYにあった最小サイズが14型。自分にはかなり大きく持ち運びする気にならないサイズですが仕方ないのです。

さぁこのアメリカで4年前に買ったパソコン、Window10にしたのですがトラブル続出でした・・・・

本当にいつも長くてごめんなさい。肝心のWindow10へのアップグレードは後編に続きます。

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2016.02.15 | コメント(4) | 旅先通信

初めてのオフ会


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

2月14日、今朝のバンコク(の隅っこ)は晴れです。昨夜は久しぶりの夜間外出で星を見ました。夜に出歩くのは今年になって二回目、日付が変わる前に帰宅しましたが、ソンテウはすでにないし歩くのは犬が怖いので、タクシー利用でした。

えっと・・・今日は久しぶりの二回目のエントリーです。

最初のエントリーはいつもの「バンコク不完全バスガイド」でした。バスガイドの方は今日は53番でした。

このバスは特異な路線で旧市街外周の周回路線です。
バンコク以前、王宮を中心にラッタナーコシン島を守るように運河が作られ、街が大きくなるにしたがってさらに外側に運河が作られました。その一番外側がクルン・カセーム運河(正しくはパドゥン・クルン・カセーム運河)です。基本的に53番のルートはこのクルン・カセーム運河とチャオプラヤー川が作り出した楕円形を周回します。

Bus053 Grand Place

その為にまるで観光バスのように旧市街の観光名所を通ります。旧市街で観光するのは覚えておいて損はない路線です。って言うか・・・このバスでぐるっと回るのも良いかも。ただ渋滞が多い地区なので、距離で思うより時間がかかります。


さて、二回もエントリーしたのは昨日、正確に言うと2時間ぐらい前までバンコクでの初めてのオフ会でした。初めての意味は今回のロングステイ中のことで、以前の在住時にはネットの仲間を迎えてのバンコク迎撃オフを頻繁に開いていました(笑)

今回はそんな古いパソコン通信時代からのお仲間です。

BKK OFF 1

まず夕方にスワンナプーム空港へえみにゃさんのお迎え。京都で大変お世話になったお方です。特にその方のご主人とはドイツ、パリ、バンコク、北海道、東京、そして京都で何度もお会いしたネットで「赤い糸」と称された人(笑)祇園、上七軒と花街での遊びをご指南いただいた方です。

下の画像のようなサイトで飛行状態を監視しながら、1時間ぐらい前にアパートを出ました。都心部には遠いのですが、スワンナプーム空港には近いのです(汗)

Flight Tracking Map

空港からホテルにお送りし、夕方に先乗りしていた仲間が合流。オーストラリアからはピキピキさん、Vareさんがタイに遊びに来ておられました。最後にお会いしたのは私がドイツから大阪に行った時の迎撃オフだったでしょうか・・・もしかしたら20年近い昔(笑)
日本からは空さんにお父さんと清水さん、そして清水さんのご友人も加わり、冒頭の京都からのえみにゃさんです。

お膳立てはバンコク在住のKouさんがアレンジされたようで、私も含めて9名です。

オフ会の店は誰も決めないので私がタイ料理店「ルエン・マリカRuen Mallika」にしました。ホテルの場所、全員での移動、前日まで皆さんが召し上がった料理、大勢がまとまって話をしながら食事できることを考えてです。

私の前タイ在住時のホームページなので古いのですが、紹介済みなので上記店名にリンクを貼っておきます。場所はスクムビット22の奥、クロントゥーイとSoi22の抜け道で古い建物が多くスクムビットと言うよりクロントゥーイそのものの雰囲気です。そんなちょと危なげな所に一軒家のタイ様式の建物がある不思議な空間です。私は出来たばかりの15年ぐらい前から通っています。

BKK OFF 2

いやぁ~ 懐かしいですねぇ~ 皆さんとは10年以上お会いしていませんが、あっと言う間に昔に戻れます。そうそう料理・・・私の一存で注文させていただきました。本当は全部画像を載せたいのですが、数が多いので料理名でご勘弁ください。

Variety of Deep Fried Flowes(花の天ぷら)
Herbs Wrapped in Chinese Broccoli Leaves(カイランの葉包み)
Spycy & Sour"Gang-Som"Soup(ゲンソン スープ)
Fried Pork Leg(豚のすね脚丸揚げ)
Grilled Pork With Curry Powder on the Stick(サテー)
Depp Fried Ka-Pong Fish Topped Spicy Curry(揚げ魚)

Dish 1

タイ北部料理や宮廷料理にも通じたきちんとしたタイ料理です。すべて美味しくいただきました。タイ料理の華やかな部分をうまくこなす店だと思います。

そして二次会はなんとクイーンズ・パーク・プラザQueen’s Park Plazaのバービア街。ガラガラのバーを貸し切り状態で飲まさせていただきました。私はカウンターの向こう側でマネージャー役をしておもてなし(笑)

Bar Soi22

いやぁ~楽しかった。

皆さん今日はどこぞのVANツアーでタリンチャン水上マーケット、ワット・ポー、ウイークエンドマーケットに、なんとあの私が酷評の国立博物館にも行かれるようです。私も誘われましたが・・・丁重にお断りしてご注意だけをさせていただきました。

タリンチャン水上マーケットはマーケット自体はしょぼく、ボートツアーが唯一行く価値があるものの、貸し切り以外は長時間板のベンチに窮屈に座り、うるさいぐらいのタイ語説明を嫌ってほど聞くことになるって(笑)

ワット・ポーとウイークエンドマーケットは中国人団体ツアーを見に行くことになるのと、国立博物館は見せる工夫がなく置いてあるだけの展示品を暑くて疲れながら歩くことになるって、ネガティブ情報をたっぷり(大笑)

事前にこれだけ言っておけば、きっとがっかりしないで楽しめるでしょう。
バンコクが最初の方もいるようなので、まぁ観光名所として回るのはよく分かります。メジャーな所ばかりで、しかも大混雑必至の所ばかりで私的には苦手な所なのです。ごめんなさい。

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2016.02.14 | コメント(0) | 旅先通信

急遽日本へ


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

12日6日、今朝のバンコクはドンムアン空港は晴れです。

今日は二回目のエントリーになります。

日本からの連絡で急遽日本へ一時帰国する事になりました。

急ぎ取ったチケットはエアアジア。まだ会員のデルタを真っ先に見たのですが、2万バーツ程度でした。エアアジアはその半分以下。本当に助かります。

ドイツやアメリカでも、こんな急な帰国はあったのですが、それは飛行機のチケットを取るのが大変でした。エコノミーでも当日、あるいは翌日でも何十万円かかったものです。
今は搭乗ゲート前で一息入れて、カフェで朝食を終えました。

慌しく出てきたので、電気の始末や戸締りが心配ですが(汗) 冷蔵庫の中の生鮮品は痛んでしまうでしょう。捨てるまで気が回りませんでした。

手提げ鞄ひとつだけ、ほぼ手ぶらで空港に来たので、アパートから空港への移動は楽でした。日曜日だったのも幸いかな。
タクシーは使わず、ソンテウでウドムスックまで、その後BTSとバスでドンムアンに来ました。

Air

空港は相変わらず某アジアの大国の方々で混んでいましたが、エアアジアのチェックインはタイ人グループだけ。たぶん機内もそうでしょう。助かります。

さて、しばらくはブログの時間が取れないと思うので、今後は普段からメモ代わりに書き溜めておいたものに多少手を入れてのエントリーになります。

常日頃心がけていた「その時、その場から熱い思いを伝える」旅先通信の精神から外れるので、申し訳ないと思います。また旬でない賞味期限が切れたような内容になるかと思います。ご勘弁下さい。

それでは、あと30分で搭乗です。

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2015.12.06 | コメント(2) | 旅先通信

空港トイレで感激


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

11月20日、今朝のバンコク(の隅っこ)は晴れです。日差しが強く暑くなりそうです。雨季は終わっているはずですが、三日ぐらい前までは雨が降っていました。 とうとう乾季でしょうか(嬉)

本日も「バンコク不完全バスガイド」をエントリー済みですので、二回目のエントリーになります。バスガイドの方は今日は20番でした。チャオプラヤー川トンブリー側で都心部に近い船着場から、河口に近い船着場を結ぶ路線、ちょっとした日帰りの旅にはちょうど良い路線です。

さて先週、13日の金曜日に日本からタイに戻って一週間が経ちました。 日本ではクリスマスから年末にかけてのイルミネーションが東京や横浜で始まる頃ですが、バンコクでもバスで通りかかった都心部でクリスマスツリーがすでに飾られていました。私が日頃買い物するバンナーやバーンカピではまだですけどね(笑) 

晩秋から冬への日本も、雨季から乾季へのタイも、季節が移るとともに今年最後に賑わいに向かうのでしょう・・・

その先週金曜日、成田第2ターミナルからバンコクに戻った時なのですが、エアアジアのお搭乗ゲートがあるサテライト側へ向かっている時に興味深い所を見つけました。

TOTO 1

以前、ここは無人モノレールが走っていたのですが、いつの間にか無くなって歩いてサテライト側へ向かうようになっています。そこにあったのが「GALLERY TOTO」体感型トイレ空間だそうです。

利用は無料(笑)搭乗まで時間がないのですが・・・まぁトイレも搭乗前に行きたかったので入ってみました。まるで電機メーカーのショールームのように壁面が大型映像パネルです。刻々と色を変え映像を映し出しています。

TOTO 2

うーん、入口で男女に別れていますが一瞬分りませんでした。男のほうも全て個室になっています。空いている個室は青のランプで(一般的には)すぐ分るようになっています。世界の中には色々な人種習慣があるので、誰もが分かるかは疑問ですが・・・ そのそもこのGALLERY TOTO自体が普通に誰もが使えるトイレとは思わない人の方が多いかも(汗)

TOTO Inside 2

朝早いので、どこも空いていたのですが、その個室のドアーを開けて中に入ると、その広さに驚きです。小用と大用が別々になっていますし、洗面所や手洗い後の乾燥機も最新の物のようです。中でキョロキョロしていると自動的に・・・・

個室の中までカメラを使わなかったので(笑)TOTO公式ホームページからの拝借画像です。

TOTO Inside

そのホームページに寄ると『国内外から訪れる多くのお客様に日本のトイレ文化・技術力を世界に発信していくことをコンセプトに、きれいで快適なトイレ空間を体感いただけるように設計』だそうです。

確かに感心したトイレでした(笑) 日本を発つ直前に良い経験が出来ましたが・・・海外で恋しくなりますね、日本のきれいで快適なトイレが(笑)

世界中を旅しているとトイレも色々経験しています。
旅の中ではこの成田空港のギャラリーTOTOが最高になりましたが、最低は・・・自主規制しながら書きますと(笑)

1990年代に中国吉林省の省都である長春へ行った時の事です。旧ソ連軍の軍用機を改造したプロペラ機で長春の空港に夜遅く着きました。暗い赤色球でかすかにオレンジ色に照らされた空港ターミナル、そこから出てきたのはロバに引かれた荷車で、そこにプロペラ機から降ろされた荷物を積んでいました。私のスーツケースも(笑)

そんな事を見ながらタラップを降りて空港ターミナルに歩いて向かい、荷物を待つ間にトイレに行ったのですが・・・そこは水が流れる溝を跨いで電車ごっこをする人たちがいました。「自分、とっても無理!」と引き返しました。空港トイレの事です。

China 1 China 2

1990年代後半でも中国ではトイレで苦労しました(笑)
大連から乗った旧満州鉄道の寝台列車で東北部に向かっていた時です(画像上)。出来るだけトイレに行かないように頑張っていたのですが、深夜に小用で列車のトイレに行ったのですが・・・やはり「自分、とっても無理!」と引き返しそうになりましたが、かろうじて小用だけは済ませました。ヒントはトイレになぜか竹箒が置いてありました(笑)

さて話をタイに戻しましょう(笑)
口直しにタイのトイレファンには「一番ゴージャスなトイレ」として有名なバンプリーはワット・バンプリー・ヤイ・ナイのトイレです。

Bang Puri

私のアパートに比較的近いのと、前タイ在住時に仕事の関係でよく通った所です。 しかもここは無料です(笑)

バンコクで街歩きをしていて、清潔なトイレの場所を把握しているのは重要な事です。いずれ「バンコク・トイレ完全ガイド」をエントリーしようかと・・・するわけないか(汗)

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2015.11.20 | コメント(4) | 旅先通信

エアアジアでタイへ


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

11月14日、今朝のバンコク(の隅っこ)は曇りですが、雲が薄く高いので晴れて来るような気がします。 昨日はバンコクに戻ったら雨季が終わったスッキリした青空かと思ったら、相変わらずに曇り空で少しがっかりでした。

と言う事で、昨日は横浜からバンコクのアパートへの移動でした。横浜から成田空港、そして人生2回目のエアアジアでドンムアン空港行きで、無事バンコクに戻っています。

昨日の朝は東海道線の始発に乗って東京駅へ。東京駅着午前5時52分で5時55分発の格安バス「THEアクセス成田」に飛び乗ることが出来ました。バスは空席が少しで前回とは大きく違いました。成田空港第2ターミナルに着いたのが6時58分。何でも高い日本で嬉しい1000円ぽっきりです(笑) 

前回はタイエアアジアは新しく出来たLCC(格安航空会社専用ターミナルの)第3ターミナルだと思っていたので、危なく間違えて第3ターミナル行く寸前で気がつきました。エアアジアは第2ターミナルなんですよねぇ~

前回はその第2ターミナルでもエアアジアのチェックインカウンターが分からず、とりあえずバスは第2ターミナルの最初のバス停で降りてしまったのですが、今回は第2ターミナルで2番目のバス停で降りました。

チェックインカウンターは「N」なのですが、少し分かりにくい場所。ちょっとターミナルから外側にはみ出た所です。ある意味バス停から最短で行けます(笑)

Narita 1

チェックインするまで20分ぐらい並んだでしょうか。多くのタイの人たちはチェックインバッグの重量オーバーで時間がかかり過ぎです。タイの方も買い物に夢中なのですね。搭乗の時も皆さん大きな紙袋をたくさん持っての搭乗ですので、最後の買い物を朝早く空港でされたのでしょう。

私はチェックインバッグはありません。機内に持ち込む手荷物が7kgまでで、家でしっかり量って来ました。前回は8kgちょっとで「後で調整してください」とわけの分らない事を言われてそのまま乗り込んだのですけど・・・

機内持ち込みの小さなキャリングバッグと肩がけのバックを持っていましたが、肩がけにはPCなど重たい物を入れて、チェックイン(キャリングバッグの重量を計られた後に)後に肩がけバッグから移したり、上着もキャリングバッグへ入れました。と言う事で機内搭乗時は10kg近かったと思います(汗)まぁタイ人の多くがチェックイン後に両手いっぱいにお土産店、免税店での紙袋を持っていますしね。

Immigration

チェックインを終えて出国手続きへと向かいましたが、ここって朝7時半まで閉まっているのですね。知りませんでした(前回は7時半以降にチェックインをやっと済ませたので) 朝が早かったので朝食用の菓子パンを持って来ていたので、ここで食べてしまいました。機内食もないので、昼食用の菓子パンもバックに入れてあります(汗)

Air Asia

さて、利用したタイエアアジアXは9時15分発のXJ601便。搭乗も8時半過ぎにはアナウンスされて、搭乗ゲートは97番で前回は全く反対側でした、

機材はAIRBUS A330-300で、機内はほぼ満席のように私からは見えます。窓-3席-通路-3席-通路-3席-窓がエコノミークラスの配列。飛行時間6時間ですので、足元が少し狭くても我慢できます。

Air Asia Inside

私は通路席で、私は鞄の中の菓子パンで昼食、お菓子と空港で買ったペットボトルのお茶も機内に持ち込み飲んでいました。機内では全くお金を使わない作戦です(汗)
日本へ入った時のエントリーでも書きましたが、今回は往復でチケットを買っていて、まったくアドオンなしで10,530バーツです。結局それ以外はお金を使わなかったですね。

ドンムアンへの着陸も順調で午後2時少し前。入国審査も待たずに預け荷物もないので、そのまま空港ターミナルを出たら目の前にA1バス(画像下)が乗り込み中。ここも飛び乗りました。BTSモーチット駅へ30バーツ。モーチットからはBTSでウドムスックまで52バーツで帰りました。ウドムスック駅からはさすがにソンテウは辛いのでタクシーでアパートまで帰りました。アパート着が午後4時だったので、飛行機がタッチダウンして2時間後にはアパートでした。バスやBTSを使ったわりには順調で助かりました。

Bus A1

タイエアアジアX、チェックインバッグや機内での飲食有料化だけでなく、必要な物だけを必要な人だけが頼めば良いので、私はその分航空運賃が下がればまったく問題ないと考えます。そして私の場合は価格だけでなく、朝一番の始発で横浜を出て、バンコクのアパートには午後3時ごろ戻れるのも魅力の一つです。

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2015.11.14 | コメント(6) | 旅先通信

市電DEデート


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

11月8日、今朝の横浜は小雨です。昨夕から雨がポツリポツリ。タイのように激しい雨でないので、降っているのかよく分かりません。

日本に戻って一週間が過ぎてしまいました。あっと言う間ですね。日本に戻った主目的の在日アメリカ大使館とのやり取りは無事済ませたので、ほっとしています。後は家で普段家内一人では出来ないような庭仕事などしながら、時々家内と出かけています。

数日前も家内と二人でお出かけでした。普通は横浜の馴染みの店でランチするだけなのですが、先日は私が行きたい所があったので、家内に付き合ってもらいました。その前のランチですが、ラーメンです(笑)

横浜の地下鉄吉野町駅はもう20年以上我が家の日本酒と焼酎の仕入先になっている君嶋屋酒店さんがあるので、帰国時には必ず一回は行く所です。その吉野町で気になる店が2~3年前にオープンしていました。「らーめん鶏喰 ~TRICK~」で、前々から食べたいと思っていました。

Trick

吉野町交差点に面してます。着いたのが12時5分ぐらいだったか、すでに店内は満席でお二人が並んでいました。行列はどんどん伸びてあっと言う間に10人以上の列です。パラパラと先客が出てきますが、たまたまこの時だけなのか?どうも完全に客を入れ替えるようです。待っている間に気が付きましたが、2015年ミシュランガイドのビブグルマンに選ばれたようです。

店内はカウンター6席、テーブル1席(4人かな)とかなり小さなお店ですが、席がゆったりしているので、窮屈に感じません。手入れし綺麗に磨き上げた感じがします。飾りつけた感じではなく清潔感がするのです。そこにライトなジャズがBGMです。もう期待感は半端じゃないです(笑)

ラーメン店によくある券売機ではなく、お客が言葉で注文を伝えるスタイルで、客と店とのコミュニケーションを排除してなく好感が持てます。らーめんは基本的には醤油と塩でそのヴァリエーションも多くはありません。私が味玉醤油850円で家内が味玉塩らーめん850円を注文です。

らーめんが出るまでの間、カウンター席から厨房を見て明らかに他のラーメン店と違う事に気付きました。「フレンチかイタリアンの厨房みたいだね」と家内と話していました。厨房内にはお二人の方がラーメンを作られていますが、お二人ともその所作が・・・やはりラーメン店ではなくイタリアンのような気がします。丁寧に仕事をされていと強い印象が残ります。

Ramen

さて肝心のらーめん。出汁の旨さを真っ先に感じる醤油系のスープ。鶏から出たのか嫌味の無い油も味の深みになっているようです。二枚の鶏チャーシュウは違う部位を使われていて、鶏団子にとろける味玉・・・全てが鶏で統一された美味しさは店名に冠するだけはあります。

横浜では家系と呼ばれる店で食べる事が多く、それらはガツンと言わせる濃厚な味なのですが、全く異なる方向のラーメンです。醤油も塩も美味いです! 決してあっさり系ではないのです。でも濃厚でもない。食べ疲れしない、不思議とすぐにまた食べたくなる一杯でした。

食べている間、カウンター越しに「ごゆっくり」と声をかけられていました。行列が出来ているのは分かっているのですが、店内は別世界で一杯を堪能して欲しいと思われている姿勢が伝わります。

有名店なのか?まったく知りませんが、間違いなくレベルの高いラーメンで、店と人がその一杯を作り出しているのは間違いないです。ラーメン一杯で満足感を覚え店を後にしました。

吉野町からは市営バス113番で滝頭へ。そこが目的地の「横浜市電保存館」です(笑)

Front

私自身は横浜の市電に乗った事はないのですが、家内は記憶があるそうです。横浜で初めて市電が走ったのは1904年だそうです。なんと111年前の事です。そして最盛期が1955年から1958年で私が小学校前ですねぇ~(笑)当事の路線図もありましたが、想像以上に多くの路線が横浜にはあったようです。

Tram 1

その活躍した市電が見事に保存展示されているのが「横浜市電保存館」です。あれだけ走っていた都電にもこうした保存館は無いと思います。全国的にもこれだけの博物館(保存館)は無いのと思います。

Tram 3

それは美しく保存された市電実物車両が6両もあり、自由に乗る事ができます。また1両の整備車両もあって合計7両がここで静かに時を流れに逆らうように置かれています。まさに保存館ですね。モデルは家内です(汗)

Tram 4

不思議な事にワンマンカー搭乗前の市電はレトロな中にも気品や美しさすら感じます。

Tram 2

昔、市電で使われただろう広告に当事の路線図、それらの小物以外にも日本最大級の鉄道ジオラマもあり、日に何度か動かされています。鉄道模型もあるのですが、驚いたのは市営地下鉄シミュレーターがあって体験できること。

Tram 5

驚くような展示数でもなく、てんこ盛りの展示品でもありません。また、施設としては小さい方かと思うのですが、実際に走っていた当事より美しく保存されている市電に触れることが出来る横浜市電保存館、なかなか楽しいものでした。

保存館を後にして、また市バス(笑)ちょうど来た桜木町行きに乗っちゃいました。どこを走るのか分らないのですが(汗)
桜木町近く、馬車道を過ぎた所で降りました。ちょうどイタリアンの名店「テンダロッサ」のすぐ近くなので、顔だけでも出しておこうかと思っての事です。

テンダロッサは家族の皆が好きな店で私は15年以上の付き合い。ソムリエの世界は結構狭いので、色々と横繋がりもあって仲良くしてもらっている店です。この日もランチは済んでいるので、無理を言って私はワインとチーズ、家内はコーヒーとドルチェだけ頂きました。

Tenda Rossa

店を出るとき、送りに出てくれたKENZOシェフとソムリエ鈴木さんと話していたら、らーめん鶏喰 ~TRICK~の店主はイタリアン出身だと言う事が分りました。やはりねぇ・・・そしてKENZOシェフいわく、鶏喰のすぐ近くにシェフの友人のラーメン店があって、KENZOシェフとコラボしたラーメンがあるそうです。トリュフを使っているそうですが・・・・

秋の一日、一流のラーメンに美しく保存された市電、そしてワインまで楽しんでしまいました。横浜・・・うーん、面白い大人の街ですね。

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2015.11.08 | コメント(2) | 旅先通信

路面電車への想い


こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

11月6日、今朝の横浜は晴れ。バンコクでは見られない澄んだ青空が広がっています。昨日も穏やかな秋の晴天の一日でした。

昨日は家内と二人でお出かけです。非常にレベルの高いラーメン屋(笑)で昼食の後、ある博物館へ。帰りは帰国時に必ず寄る桜木町のイタリアンでワインだけを飲んで戻りました。ラーメンを食べ来ちゃった・・・とソムリエやシェフと話していたら、そのラーメン屋さんのライバル店にはコラボでシェフの名を冠したラーメンがあるそうです(笑) 横浜は狭いです(汗)

本日も「バンコク不完全バスガイド」をエントリー済みですので、二回目のエントリーになります。バスガイドの方は今日は13番でした。始発はホイクワンですが、セントラル・ワールド・伊勢丹前や日本大使館前を通り、クロントゥーイ市場が終点のバスです。

さて、私が小学生だった時、もう50年前なので半世紀経ったと言う事ですが、東京は都電が庶民の足でした。当時住んでいた深川も大通りはどこも都電が走っていました。電車専用ではなく車と一緒に走った路面電車です。

家の目の前が隅田川に架かる永代橋で、そこにも日本橋と錦糸町を結ぶ38番が走っていました。当時の深川は地下鉄なんかないし、国鉄の駅も遠く、どこへ行くにも都電でした。私は運転台のすぐ後ろで夢中で外や運転手の動作を見ていたものです。画像はその永代橋で東京都交通局のサイトから拝借です。

Old

その影響でしょうか、バンコクに住む今も時を遡り、路面電車やその鉄路跡も求めてバンコクの街をさ迷い歩いています。「消えた路面電車を追う」や「消えた線路を追う」でエントリー済みです。

Tram 1

現在、東京には1路線だけ都電が走っています。都電荒川線で三ノ輪橋と早稲田間で、そのほとんどが車両と一緒に走るのではなく専用軌道を走っています。都内には他に東急世田谷線のみが路面電車の面影を残しています。

神奈川だと藤沢~鎌倉間の江ノ電の一部が車道を走っています。その画像は無いのですが、極楽寺と長谷の間で愛車と共にです(笑) 横浜の自宅からよく鎌倉へ自転車で行きますが、四季の移り変わりが楽しめる鎌倉でも晩秋の今が一番好きです。

Enoden

さて、都電荒川線ですが、今回の帰国ではなく前回になりますが、懐かしくて横浜からわざわざ乗りに行った事があります。

三ノ輪橋駅はちょっと大通りから入った所にあるので、初めての人には分りにくいと思います。高校生の時に何度か通りかかった事があるのですが、もう45年前の事ですからその様変わりが激しくて昔の記憶は全く役立ちません。繁盛している商店街がそぐ近くなのだけが同じでした。

Minowa

三ノ輪橋は荒川区だと思うのですが、この辺りは東京の下町なのは私の生まれ育った深川と同じですが、深川は今で言えばベイエリアなのに対し、荒川区は都心部からは北にあり、今の深川よりよほど下町っぽいです。

私は日本でどこかへ行く時、どこどこなら何を食べようと食べる事が出かける大きな楽しみになっています。それらの多くがもう何十年も同じパターンなのですが・・・浅草なら大黒家の天丼、深川門前仲町ならいり江のあんみつ・・・とか(笑)ネットとメディアでのグルメ紹介が全盛期の今は、どれも知られた店になってしるのが若干抵抗感があるのですけどね(汗)

Miyanomae

荒川なら都電「宮ノ前」(画像上)のトンカツの「どん平」がすぐ浮かびます。煮込んだバラ肉を使った独特のトンカツです。まぁトンカツと言うより別な揚げ物かも知れません。ちょっとランチ終了の時間が早いのが難点で、この時は1時半に間に合わず残念でした。

Donbei

ここまで来たのですから、この辺りでのPlan-Bは都電で二駅離れますが、都電「荒川遊園地前」キッチンピーナツです。下町の路地にある洋食の名店です。かなり分りにくく記憶だけを頼りに付近をウロウロしてしまいました。

Kitchen Peanut

ここは洋食の定番は外れはありません。値段が少しだけ高めですが、落ち着いた雰囲気でゆっくりと楽しめます。本格的なフレンチが出てきても驚かない店でもあります。ここで好きなのはハンバーグステーキ(笑) 画像のようにとろける卵が入っているのが特徴です。

Hamburug

このまま都電の旅を続けると、駅ごとに降りて食べたい店が続きます(笑)下町で長く営んでいるお店は、そう簡単に店を閉めないので、私のような海外から記憶だけで食べに行く身には助かります。周囲や店の内装が変わっても・・・味は守っている。そんな店が多いのです。

Sky

先に進むとお腹が破裂してしまうので、三ノ輪に戻りました。終点の三ノ輪橋近くになったら・・・ビルの谷間にスカイツリーがそびえていました。これも昔の記憶にはない町の姿です。子供の時の都電の記憶には、いつもオレンジ色の東京タワーが一緒でした。

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2015.11.06 | コメント(4) | 旅先通信

旅とパンデミクス

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月10日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。昨日は夜明け前に激しい雷雨があったためか、午後遅くまで空気が澄んで気持ちよい一日となりました。そんな影響なのか、今朝は少し気温が下がったように思えます。もっともまだ一歩も外に出ていませんが・・・

さて、先週はアメリカから戻り4日間で2回もチェーンワッタナのタイ政府合同庁舎イミグレーションに行きました。今年1月にタイに来てから、6回目です。言い訳がましく「イミグレーションが好き」だと言っているのですが、まぁ5時間以上待つのはもう勘弁ですが、1~2時間なら退屈しません。

って言うか、イミグレーションの中は人間観察にはこれ以上無い場なので、なかなか面白いと言うのが本音です。
あのイミグレーションのベンチに座っていると・・・実に多くの外国人が人それぞれの事情で来ているのが垣間見ることが出来るからです。
Immigration

中国の方、韓国の方はグループで来られていることが多く、その話し声はどうしても目立ってしまいますし、特にアジアの大国の方々はここでもお行儀が良くないのが際立ちます。日本人で目立つのは仕事に追われながらイミグレで待っている人たち、盛んに携帯電話で「納期」「見積もり」「社に戻って・・・」なんて話しながら頭を下げています。

インド系、中東系は親戚のように見える人と一緒で、いつも何かの指示を与えられています。年老いた白人がタイの女性と一緒に来られているケースも多く見かけます。

先日は私の後ろが韓国の若い女性三人でそれは楽しそうにずっと話をしてました。彼女達の話す韓国語がまるで韓流ドラマを観ているかのように聞こえ、「~ソヨ」「~セヨ」とちょっと語尾が上がる感じが正直可愛らしく聞こえました。もっとも全く私は知らない言語ですけど(笑い)男性がけんか腰で話すと、極端に怖く聞こえる不思議な言葉ですね。
その韓国人たちの後ろが日本人女性たちで、これは話の中身すら分かるのですが、ちょっと蓮っ葉な話し方に内容。30代ぐらいの方たちでしょうか・・・海外だから自分達だけが分かるからと思い込んで話す癖に気をつけないとね。

人様の人生ですが、このミグレーションはそれが色濃く出る場のようで、私は耳をすまし、目を見開いているだけで、時間があっと過ぎるのです。
考えてみれば、自分もリタイアした身での滞在ビザを求めてその場に居合わせたのですから・・・。

さて、その韓国ですが、現在、MERS(マーズ・中東呼吸器症候群)で大変なご苦労をされているようです。連日タイ・日本でも大きく報道されていますが、韓国内での対応の遅れが収束を遅らせている原因のひとつであるようです。

世界的レベルで見ればアメリカ国内や欧州各国のニュースの扱いも少なく、世界的流行パンデミックにはなっていないようです。
ただ、今のように人の移動に国境がない時代、日本でもタイでも、似たような事はいつでも起こりえるでしょうし、タイはもちろん日本ですらそうした事態への対応が正確に取られるかは大変疑問に思っています・

韓国でのMERSを対岸の火事とせず、日本、タイに限らず今一度パンデミックへの対応を見直して欲しいものです。そう思うのは自分自身が世界を旅する中で、過去そんなパンデミックに直接影響された経験があるからも知れません。


2003年のSARS(サーズ・重症急性呼吸器症候群)はタイ勤務時でしたが、中国、シンガポール、ベトナムなどからあっと言う間にアジア中が騒動になり、一時期全く出張者も来ないし、業務上大変な支障があったことを思い出します。

2005年に東南アジアで猛威を振るった鳥インフルエンザの時、家禽と人との接する機会が大きな話題になっている頃です。ベトナム・ホーチミンのビンタイ市場を散策中に、鶏はさばかれて無く生きたまま売られているのを見ました。足を紐で繋いであるだけでかなり自由にニワトリさんが歩かれています。鳥インフルエンザが発生したらあっという間に広がるのが解ります。危ないので鳥が闊歩する路地は遠目から見ていました(汗)
HMC

2009年3月からのN1H1(豚インフルエンザ)はアメリカ勤務時だったのですが。発生元がメキシコでそこから全米に広がる中、私もアメリカからメキシコへ行ったりしていたので、個人的には非常に注意していました。

このN1H1で何よりも驚いたのは、その後日本での騒ぎです。4月末からメキシコ・米国・カナダから到着した旅客機の機内検疫を開始し、その真っ最中の2009年5月13日に私はロサンゼルスからANAで成田空港に着いたものの、機内検疫で質問票記入などで長時間待たされたり、日本でも白い目で見られました(汗) 画像はその時のANA機内検疫です。
ANA

去年2014年はエボラ出血熱で世界中が大変な騒ぎでしたね。私が去年住んでいたアメリカ・ジョージア州の州都アトランタはアメリカ疾病管理予防センター(CDC)があって、よく映画やテレビなどに登場します。全米どころか世界中から未知のウイルスや感染症などが持ち込まれます。エボラ出血熱に米国内で感染した看護師の方もここへ運ばれ、連日その様子が報道されました。


こんな風に考えてみると・・・数年に一度は危うくパンデミクスになる寸前まで行っているのだと思わざる得ません。

ウイルスも変化しているでしょうし、国境がない人の移動が増加するばかりの現在、世界の片隅にだけ存在したウイルスがあっと言う間に世界中に拡散する可能性は高まるばかりだと思います。

もう私自身が世界中を飛び回ることはないでしょうが、こんな私でも少なからず影響を受けたのですから、これから世界で活躍する方々にはくれぐれも気をつけていただきたいものです。

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2015.06.10 | コメント(4) | 旅先通信

引ったくりに遭う

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月9日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。今朝も夜半過ぎの雷雨が止んだ後です。午前2時から3時にかけて激しい雷雨があり、近くへの落雷で駐車してある車のアラームが鳴り出していました。

前日のエントリー最後に『これだけ多くの旅をしているのに、幸い旅先での盗難、事故、病気は経験がありませんでした。つい今回のタイに来るまで・・・・』と書いています。
事実、世界中を旅し、多くの国に住みながら、大きな怪我や病気に遭うこともなく、事故もなく、こそ泥やスリなどにも遭ったことがありませんでした。

若い時、日本に住んでいた時ですが、車上荒らしで駐車中にガラスを割られたり、通りすがりの酔っ払いにいきなり殴られたり・・・よほど怖い目にあっています。

怖い目と言えば、一回だけ・・・ドイツ在住時にハンブルグの空港にルフトハンザ国内線で着陸するとき、車輪が固定されたランプが点灯せず、地上からの確認も出来ないと言う事で、胴体着陸を覚悟しての体をかがめた緊急姿勢で着陸した事があります(結果は車輪が固定されていた)。この時に燃料ゼロにする為空港上空を何回も旋回した時間が怖かったです。感極まって泣き出した隣の女性を励まし続け、着陸後にハグされたのは嬉しかったです(その後の展開は何もなし)。

そんな幸運続きだった私ですが、今年タイに来て早い時期に非常に怖い思いをしました。この時の事は・・・なんて言うか・・・実際の怖さよりも、人の悪意に直接触れたのが、悲しかったり、悔しいというか、あまり思いだ出したくないことでした。

BTSウドムスック駅近くからソンテウに乗ってシーナカリン通りへ向かっていた時、いつものようにステップに立ち乗りしていました。手には買い物したビニール袋が三つ。
(画像はウドムスックから乗るソンテウ。BTS駅近くのウドムスック通りの発車場。文中のソンテウではありません)
Songthew

シーナカリン通りとの交差点が近づいたのでブザーを押し、ソンテウが停まった事と周囲の車やバイクを確認して後方から降りて、助手席側に運賃を払いに向かいました。助手席の窓に運賃を持った手を差し出した時です。

何か音と衝撃があって体がよろけました。その時はとっさの事で気がつかなかったのですが、運賃で差し出した手と逆の手に持っていたビニール袋が道路に散らばりました。どこから現れたのかバイクが私に接触するように歩道とソンテウの間に入って来たのです。

私はとにかくびっくりして頭は真っ白です。自分では怪我したかと思いましたが、ただよろけただけのようです。その時やっとソンテウの乗客皆が大声で何か言ってソンテウの先を指差しています。見ると二人乗りで黒のフルフルメットの男達が振り向きもせずに去って行く所でした。

私は怪我が無いようなのでとにかくほっとして、自分に落ち度があったかな・・・なんて考えながら道路に落ちたビニール袋を拾って歩き出したのですが・・・数歩歩いてビニール袋が軽いように思えて中身をチェックしました。

そうしたらビニール袋のひとつがないのです。慌ててよろけたあたりを見回したのですが、どこにも落ちていません。よりによって初めて伊勢丹で買ったとんかつやコロッケに刻んだキャベツです! 今思い出しても悔しいです!!

それが伊勢丹のビニール袋だったからチャンスが来るまで狙ったのか、運賃を払う瞬間で財布を狙ったのか、本当にバイクが引ったくりしたのか・・・確かな事は言えません。かんぐったらソンテウが歩道に寄せ切ってないのもおかしいし、バイクが現れたタイミングも・・・

間違いなく言えるのは、そのバイクは強引にソンテウと歩道の間に入り、私によろけさせた上に全く止まらず逃げ去った事だけです。

それ以来、ソンテウだけでなくバスでも降りる時は細心の注意をしています。ちょっと見て大丈夫でも、悪意を持ってバイクが引ったくりに来ることがあると学んだからです。荷物をぶら下げてソンテウ立ち乗りするのも考え物です。後方から丸見えですから・・・それ以来は荷がある時は肩がけバッグに入れています。
とんかつとコロッケは残念でしたが、何よりも怪我がなく、早い時期に学んだのもきっと良かったのでしょう。そう思うようにしていています。

何よりも自分の身は自分で守るしか無いことを思い知らされました。

考えてみると、歩道を歩くのも怖いですよねぇ~ 平気で後ろからバイクが歩道上で横を通り過ぎて行きますから・・・

お約束通り前置きが長くなりました。今回はこれが本題かも・・・
それでは前回の続きで「私の旅の大失敗」です。
ここでは旅のトラブルでも自責の失敗で他責のトラブルを含んでいません。したがって前置きで書いた引ったくりトラブルは圏外と言う事です(笑)


3. 時間を勘違いし、飛行機に乗り遅れる
バンコクからLCCのエア・アジアでタイ地方都市へ行こうとした時、完全に時間を間違えました。たしか15時を午後5時だと勘違いしたような・・・払い戻しもなく、ただその場で一番早いフライトを新規に買いましたが、LCCと言えどそうなると高いのです(涙)

反対になりますが、アメリカでは国内線を鉄道やバス代わりに使うので、予約したフライトより早く空港に着いたら、少しでも早いフライトに乗るようにします。空席があれば別料金は不要で移れます。多くの人が普通にそうするので、けっこう空席はあるのです。

4.パスポートを忘れて出かける
ドイツ在住時は何度もありました。ヨーロッパでは車で国境越えが当たり前ですが、まだEUが成立してない前であっても、実質ドイツからベルギーを通りフランスあたりまで国境が開かれていました。パリのホテルでパスポート提示を求められて初めて気が付いたりです。日本でも成田空港直前で引き返した事すらある私です(見事に乗り遅れました)。

ちなみにアメリカ国内では運転免許証が空港での身分証明書になります。チェックイン、セキュリティーチェック、空港内のBarで飲むにも免許証がないといけません。だからアメリカの運転免許証がまだ発行されていない赴任直後だと、家近くのスーパーでビールを買うにもパスポートを見せなくてはなりません。


色々な失敗をしていますが、幸い今まで怪我や病気になったことはありません。自責なら回避することは自力で出来そうですが、前置き話しのようなケースではどんなに注意しても、残念ですが出遭ってしまう事もあり得るかと思います。

それが日本より確立が高いのが海外ではないでしょうか。せめて被害を極力少なくする事は自助努力で出来ますし、対処方法もある程度は想定して考えておくべきでしょう。
どんなに慣れた地、安全に見える所、自分だけは大丈夫だと思う・・・そんな慣れや過信をすることなく、自分で出来ることはいつも考えておきたいものです。

引ったくりの被害とは言え自分のどこかに油断もあったのだと思っています。旅の多くの失敗も慣れや油断からだと思います。そんな自分がおかしたミス事をわざわざ書いたのは、自分への戒めと、こんな恥ずかしい経験でも少しでも読者のお役に立てればと思ったからです。本当はあまり思い出したくないことでした。

今まで大したことなく長い海外生活を無事過ごせたのも幸運だっただけでしょう。私のそんな幸運がいつまで続くのか分かりませんが、これからもしっかりと注意して行きたいものです。

特にカツサンド、とんかつ、コロッケを持っている時は要注意です。

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2015.06.09 | コメント(10) | 旅先通信

私の旅の大失敗 -麻薬犬に掴まる-

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月8日、今朝のバンコク(の端っこ)、今は曇りで夜明け前までの雷雨が止んだばかりです。ここでは午前4時前から1時間ほど停電でした。

さて、数週間前のエントリーで「食べ物で何が好きか?」と聞かれれば、間違いなく「ライチ」」と答えると書いています。その前までは・・・実はハムカツでした。しかもかなりいい歳した大人だったのに(笑)

足が悪く出歩く事もままならず、あまり料理が得意でなかったお袋。よく近所の肉屋さんで揚げられたコロッケやメンチカツを買ってはおかずにしていましたが、その中でも私はハムカツが子供の頃から大好きだったのです。何も特別なものではありません。中のハムは安いもののほうが美味しいとすら思えます。

もちろんアメリカでの自炊で何度も挑戦しましたが、実は全て失敗しています。簡単そうな揚げ物ですがナゼでしょう(涙) 一番ひどい時はハムの周辺だけ揚げた時に縮んでしまい、結果円錐状のハムカツになってしまいました。衣が揚げている最中にハムから剥げ落ちたり・・・失敗ばかり。アメリカのハムは揚げることに適さないのでしょうか?? 油の温度とか、小麦粉やパン粉の種類も影響あるのかも・・・

その大好きなハムカツがコッペパンに少しのキャベツと一緒に挟まったハムカツパン。当然パン屋さんで買う時に絶対外せないパンです。また、切ったハムカツの断面が見えるのもビジュアル的に食欲を刺激します。

安いハムカツはやはりコッペパンに挟むのが一番良いように思えます。耳を落とした白い食パンに挟まったハムカツサンドは、高級そうに振舞っていますが、どうもハムカツには似合いません。

それに比べてカツを挟むなら白い食パン!カツサンドで決まりです!!ハムカツに比べたら天と地のように違う高級なトンカツ様を挟むのですから、庶民のコッペパンとは行きません。

耳を落とした白い食パンにバターを塗って、甘めのソースをカツにかけてから挟みます。ソースが少しパンに染みこむぐらいがちょうど良いです。私的にはヒレカツで少しキャベツも挟まったほうが好みです。

カツの名店「まい泉」のWEBから拝借した画像です
Katsu-sand

さてこれ以上パンの話を進めると前置きだけで数回分のエントリーになりそうです。唐突ではありますが、強引に前置きを終え、本題に入りましょう。


CNNの「旅にまつわる大失敗」を紹介しましたが、今回は私の旅にまつわる失敗です。
訪れた国の数を数えた事はありませんが、アフリカと南米以外はほとんど訪れているはずです。しかも多くの国が一回、二回じゃなくて、まぁ数えるのが面倒なぐらい(笑)

国の数なんて問題ではなく、中国やアメリカ、インド、などは訪れる都市や地方で国が異なると言ってもよいぐらいです。あまり大きくない国でも、例えばイギリス、スペインやイタリアでも国が違うかのように異なります。それはそうですよね、ほんの少し前までは国が違っていたのですから・・・ いずれにしても訪れた都市や地方は数え切れません。
その上、住所を移してのいわゆる「在住国」が5カ国ですから、パスポートは数年もすれば必ず発行都度増刷が必要でした。画像は増刷(ページを追加する)したパスポート。
Passport

訪れた所が多い分、当たり前ですが旅も多くなりますし、慣れもあって失敗も多くなります。

ここでは旅のトラブルでも自責の失敗です。
他責のトラブルなら、長い私のブログでもエントリー5回分はあるような・・・まぁ旅を多くする人なら誰でも経験があるようなものです。


1. 麻薬犬に掴まる
日本からアメリカに戻るとき、カツサンドを機内に持ち込み(まずい機内食を無視して)ワインを飲みながらカツサンドを食べるのが私的なブームだったことがありました。成田空港でも買えますが、空港で無駄な時間を使わない主義の私は、事前に家内にお願いして出発の朝に作ってもらい、それを機内に持ち込み、好きな時間に食べていたものです。

それがある時、アメリカ/アトランタの税関でトラブルの原因となってしまいました・・・

その時はあまりお腹が空いてなくて、作ってもらったカツサンドを半分だけ機内で食べて、残りを大事にアメリカの自宅に着いてから食べようと思ったのですが・・・・
入国審査を済ませて機内預けのスーツケースが出てくるのをターンテーブル前で待っていたのですが、その時税関職員が検査犬と一緒に巡回に来たのです。
ATL Baggage Claim

職員と検査犬は荷物を待つ乗客たちの間を歩きながら、人そのものや手にしたバッグの匂いを嗅いでいます。あれが麻薬犬か・・・けっこう可愛いなぁ~なんて感心しながら私も見ていたのですが、私の所で急に犬が反応し始めました。どうも私が手で持っている鞄に反応しているようです(汗)

周辺の人達が注目する中、その場で職員が鞄の中身をあらためる旨の確認があって、食べ残したカツサンドを見つけました。サンドイッチの中身を聞かれて・・・私が答えたのがポーク。あー!そうか・・・アメリカに持ち込むことが出来なかったのですねぇ~ サンドイッチにしたので、あまり考えずにしてしまったことです。

もちろんその場で没収され、なにやら紙を渡されて税関に行く指示でした。罰金こそ無かったものの全ての荷物を入念に検査されたことは言うまでもありません(涙)

そんな失敗をした自分が情けないやら、折角家内が作ってくれたカツサンドを捨てることが申し訳ないやらで、しばらく立ち直れませんでした。

2.焼酎の一升瓶がスーツケースの中で割れる
はい、一升瓶です。本来してはならない事です。デルタ航空でアメリカに戻るとき、銘酒「中々」の一升瓶をプチプチで包み箱にも入れたのですが・・・成田の搭乗ゲートで呼び出され、「アップグレードだ!」とぬか喜びした直後に地獄へ落ちました(涙)その後の始末も思い出したくないぐらい惨めで大変でした。

焼酎は一升瓶で飲みたいものです。特に「中々」は何も入れず割らず、常温でそのまま飲みたいものです・・・止めましょう。ハイ・・・

同じような経験をつい先日も成田でしたような・・・「運んでいい物、だめな物(空港トラブル)」で書いたバルサン事件です(汗)

いずれにしてもまだ成田だったから良かったです。これがアメリカの空港で起きたなら、下手すると大ごとでした。

チェックインや搭乗時に呼び出されなくても、アメリカに着いてみたら安全上から抜かれた物もあります。商品名で言えばハイター。日本じゃ普通に使われているキッチン洗剤で使い慣れているので、アメリカでもまな板などの消毒にも使おうとスーツケースに入れたのです。塩素系漂白剤なのでこれもアウトだったと後で調べて分かりました。

アメリカ便は国内線も含めてチェックインバッグに鍵をかけないか、検査員が開けられる鍵を使う事を求められ、よく開けられた形跡があります(一応検査した旨の紙が入れられます)。

これだけ多くの旅をしているのに、幸い旅先での盗難、事故、病気は経験がありませんでした。つい今回のタイに来るまでは・・・・

毎回なので今更言うなと怒られそうですが、長くなりました(笑)
次回に続きます。

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2015.06.08 | コメント(8) | 旅先通信

旅の大失敗 11~20

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月7日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。雲が多いのですが、なかなか雨が降りません。

一昨日買い物したシーコンスクエアではほぼ二週間ごとに異なる催事・イベントが行われています。私がアメリカに行っていた時から「Fresh Food from Farms」(産直物産展)が今週末まで行われていました。

この催事は買い物ついでによく寄るのですが、見ていたらそれは立派なライチが売られていました。220バーツ/kgとかなり高いのですが、今年見た中で一番大きく色も良いので、買ってしまいました。アメリカから戻り5日間で2回目のライチ(リンチ)です。
Seacon

画像でお分かりでしょうか? 右の2個は今週初めに買ったもの。2倍はあるでしょうか・・・あまりに嬉しくて値切るのを忘れて買ってしまいました(笑)
Lynchee

この店ではマンゴスチンも一緒に売られていましたが、そちらは今ひとつ。ライチの旬は短いので、もうそろそろ終わりじゃないかと気がかりでなりません。冷やすとさらに美味しいので、冷蔵庫に入れていますが、痛みやすく早く食べなくてはなりません。

このライチ、冷蔵庫で冷えた後に食べたら本当に美味しいです。大きい分だけ果汁たっぷり。口にふくむと程よい甘さ、しかしさっぱりした果汁が口の中いっぱいにはじけます。今まで食べたライチは何だったのか!と思うほどのすごさです。

朝晩、ふなっしーのように果汁を飛ばしながら食べまくっています。あまりに美味しいので「ヒャッハー!!」なんて飛び上がり気を失うかもしれません・・・

無理やり気絶ネタに持って行くのは、もう止めないと・・・ハイ(汗) 

それでは今日の本題ですが、昨日のお題CNNの「旅にまつわる大失敗」の後半です。
昨日と同じで「」『』鍵括弧内は本文引用部分です。


11.安物のビーチサンダルを買う

「突然つま先止めが取れたり、溶岩の上を歩いていたりして足の裏に多くの切り傷が出来た時に、安物のビーチサンダルを購入したことを後悔する」とあります。

私は旅行中に履物を買うことはないのですが、特にアメリカの人達は旅行中は実にリラックスした服を好み、サンダル履きも多く見かけます。私自身も太平洋横断の時はジャージ姿で、それは貧相な格好です。

12.屋台の食べ物を食べない

「はるばるタイやメキシコまで行って、現地の料理を食べずに帰る手はない。現地の人々も食中毒にはなりたくないので、彼らが並んでいる店は安全と考えていいだろう」とありますが・・・

私的にはその通りと言うか、屋台で食べるのが普通なのが私ですが、旅行者にはあまりお勧めではありません。海外で雑菌に慣れていれば良いのですが、今時の日本人は屋台でなくても海外で体調をすぐに崩す人が多いのです。よく言われますが、ジュースなどの氷も気をつけなくてはなりません。私は氷入りの場合すぐ胃内アルコール洗浄を行っています。

ホーチミン・シティーの屋台
HCM Yatai

13.3カ月に及ぶアジア横断の旅の初日に太鼓を購入する

「あなたは今後その太鼓を叩くことはないし、自宅に戻って地元の楽器店に行けば、より品質の良い太鼓がいくらでも見付かる」ですって。

ハハハ・・欧米人によく見かけます。ベトナムの編み笠を持っている欧米人旅行者なんて実に多いです。日本人なら絶対に買わないようなお土産を持って機内に入って来る欧米人もアジアでは多いです。

14.ガイドブックに過度に依存する

「ガイドブックはすばらしいが、同じ目的を持った多くの旅行者が読んだり、ダウンロードしたガイドブックに掲載されたりしているプランから1日1つか2つ選んで、実行するのが一番だ」

もう20年ぐらい前のことですが、旅先で日本人とすぐ分かる方法があって、それは黄色い「地球の歩き方」を持っていることでした。当時パソコン通信の旅関係の会議室では「地球の迷い方」として有名な本でした。私はロンリープラネットが頼りでしたが、今でもあるのかなぁ~ ガイドブックを買わなくなって長く経ちます。

15.完全保証型旅行保険に加入しない

「旅行保険に加入するなら、完全保証型がおすすめだ。旅先でバイク事故を起こした時、格安の旅行保険でも帰りの旅費は出るかもしれないが、入院中に受けた手術やスポンジバスの費用はカバーされない」ですって。

私は全く分かりません。旅行するからと言って何かその時だけの保険に入る経験がないからですが、旅先でバイクを乗るような人なら考えるべきですね。タイでもレンタルバイクで事故に遭う日本人が多く居ます。私はどんなに不便でも現地の公共交通機関を使うのが旅のスタイルです。

16.取りつかれたように写真を撮りまくる

「旅先の街の風景、像、料理をすべて写真に撮らなければ、という強迫観念や義務感は、本来旅の中心であるべき自発性や感情的体験を損なう」ですって・・・

これは自分に当てはまります。そんな自分が時々嫌にもなります。長い間趣味の旅行とネットとの関わりから、何らかの形で旅行の記録を全てネットにアップしているので、いつの間にか「取りつかれたように写真を撮りまくる」自分です。

17.出発前にビザの必要条件の確認を怠る

「リオのカーニバルを見にブラジルへ。ところが、ブラジルでは渡航前のビザの確保が義務付けられていることを知らなかったばっかりに、出発当日に発券カウンターで追い返されたらまさに悪夢だ」だそうです。

うーーん、自分にも起きそうなことです。私は全て自己手配なので、出発当日に空港で追い返されるなんて・・・あり得ますねぇ~

18.週末だけでベルリンを回ろうとする

「ニューヨーク市よりも広く、食事や買い物ができる場所や道に迷う場所の数もニューヨークに引けを取らないベルリンを週末だけで回るのは無謀だ」だそうです。

なんか当たり前の事のように思えます。アメリカ人だからでしょうか? 結構アメリカ人って世界を知らない人も多いです。それで無謀にも海外に家族と行ったり・・・そんな失敗談をよく聞きますが、あまり気にしないのも良いかも。

19.クレジットカードでキャッシングをする

「クレジットカードでキャッシングをすると、最高15%という高い手数料がかかる。さらにATMを設置している銀行から利用手数料を取られ、外貨を引き出す場合は不利な為替レートが適用される」

うーーん、そですねぇ~ 私は海外でクレジットカードをあまり使わないようにしていますが、出発前にネットを通じてホテルや現地の飛行機を予約するので、その時にクレジット決済にどうしてもなります。それで後から現地通貨決済の手数料とレートに泣かされるのです。

20.予約の詳細をプリントアウトしない

「予約の詳細は携帯電話やパソコンに保存してあるので、わざわざプリントアウトする必要はないという人もいるが、携帯電話、パソコン、タブレットなどは、特に外国に行く場合、到着してすぐに使えるとは限らない」ですって。

私はプリントアウトして持って行きますが、それが無いからと言ってトラブルにあった事はないのですが・・・何かプリントアウトがないからトラブルに遭うのでしょうか?


「旅」は無事戻って初めて「旅をした」と言えます。
日常から離れた旅先でトラブルに遭遇するのも経験ではありますが、どんな事があっても安全と健康を害してはなりません。失敗談として旅行後に楽しく語れる程度なら、多少は冒険も良いのかと思いますが、本当に安全と健康だけはくれぐれもご注意ください。


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2015.06.07 | コメント(4) | 旅先通信

旅の大失敗 1~10

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月5日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。昨日は朝のうちに雨が止み、結局一日晴れました。暑くても晴れが好きです。

さて、日本・アメリカへの強行軍の直後にイミグレ5時間待ちで疲れきり、昨夜は自炊せず市場で買ったおかずをご飯にかけて食べました。あまり美味しいと自炊できなくなるのですが・・・まだその心配は不要のようです。

体調が戻らず(元々良くなくてリタイアしたのですが)今日も近くで買い物だけの外出でした。冷蔵庫を空っぽにしてアメリカに行ったので、旅から戻り毎日精力的に買い物をしていますが、歩きとバスなので一回に買えるものは限られてしまいます。両手に重たいビニール袋を提げての買い物は結構キツイ日課なのです。

ところでシーナカリン通りで言えばバーンカピあたりからウドムスック通りまでは、バンコクでも比較的多くの回教徒の人たちが暮らしているように思えます。プラカノン運河ボートボート、センセーブ運河ボート、エアポートリンク、バスなどに乗ればこのエリアではモスクも多く見ますし、シーナカリン通りとオンヌット通り交差点近く、イアムソンバット市場はモスリム専用の市場かと思うぐらいです。

そんな事もあるからか、私が買い物するスーパーでもモスリムの方がレジ係りをされている事が多くあります。

昨日の買い物は豚肉の大きなブロックを2個も買ったのですが、並んでからレジの方がモスリムの若い女性なのに気がつきました。普段は買ったものが豚肉やビールでも、モスリムの方のレジは意識して避けているのですが、昨日はボーっとしてて目の前まで行ってしまいました。
Shop

(私がタイ語で)「ごめんね」と言いながら、スキャンし易いように豚肉を持ち上げ、スキャン後にそのまま自分でビニール袋の中へ入れました。レジが終わった後、モスリムの彼女はワイこそしませんが、しっかりと私を見て少し頭を下げたように思えました。

いつもどうしているのでしょう・・・レジで困らないか、少し心配になりました。
「辛いこともあるだろうけど、働くことは誰であろうと尊いよ!頑張って!!」と心の中で声をかけ、遠くからしばらく彼女を見守っていました・・・

さぁ、そろそろ本題に入りましょう。


アメリカではテレビ局や新聞が時々面白い世界ランキングを発表してくれます。「世界で泊まりたいホテルベスト20」とか「世界で今行くべき世界遺産」などです。私が2011年にラオスの旧都ルアンパバーンに行ったのは、そんな特集でニューヨークタイムズが「今、行くべき世界遺産」として紹介し、それを読んだ私は居ても立ってもおられず、一週間の休暇を取りアメリカ南部からラオスに向かったのです。
Lao


2013年ですがアメリカ大手ニュース専門局CNNが「旅にまつわる大失敗20」副題で「次回失敗しないために」を発表しています。以前のブログで紹介済みなのですが、今回旅から戻ったばかりなのでそれをあらためてエントリーしましょう。

CNNトラベルのスタッフ実体験に基づくそうで、実際の旅行者とは言い難いと断りもあります。それでも私自身思い当たることも多く、内容を簡単に紹介させていただきます。「」『』鍵括弧内は本文引用部分です。

1. 不要な物までかばんに詰め込む

「旅行中は毎日未使用の衣類を着用する必要はない。どんな衣類も最低2回は着回そう」とありますが、下着はちょっとねぇ・・・。
私も色々世界中を旅しているので、パンツ裏返しの術を使った経験があるのは内緒です(汗)

2. 店で気に入った物をすぐに購入しない

「店で気に入った物を見つけても、次に来た時に買おうとか、別の店でもっと良い物が・・・と考えるが、そのようなことはまず起こらない」とありますが・・・

そんな経験もあるし、それで救われた経験も私はあります。まぁ私は旅行が買い物目的でないので関係ない事ですが・・・

3. 海外旅行の前に携帯電話のプランを確認しない

「海外から1週間メールを送っただけで、心臓切開手術よりも高額の料金を請求されてしまった、というのはよくある話だ」とあります。

私は携帯電話を旅行中(って言うか、どこへでも持ち歩かない)に持って行かないので関係ないのですが、確かに日本とは異なり携帯電話のシステムが(何もせずに)多くの海外で使えるアメリカは要注意。

4.「都心からすぐ」という言葉にだまされる

『「都心からすぐ」のホテルを予約し、都心までの交通費を浮かせたつもりが、実際は都心から30分もかかる上に、高額のタクシー代を支払う羽目になることもあるので注意が必要だ』だそうです。

これって東京かなぁ? アジアの国ならたいていはタクシー代が安いし、ヨーロッパやアメリカの大都市なら中心部から30分以上かかるのはよくあると思うのですが・・・

5. 高速シャトルバスに乗る

「待たされた挙句にシャトルバスに乗り込み、9カ所のホテルを回った後、結局、降りるのは一番最後かもしれない。それで節約できるのはわずか2~3ドルだ。それなら多少高くてもタクシーなどを利用して時間を節約すべきだ」とあります。

どこの国でしょう? 成田から出るバスでホテルを回るルートがあったと思いますが、日本の場合だと明らかにタクシー代が高いですし、他の国でホテルを回っていくバスがあって、タクシー代が安い国を私は知りません。アメリカならラスベガスあたりは言えそうですねぇ~ ニューヨークも空港からマンハッタンはバスを使いますが、ホテルをそんなに回らないし・・・
画像は昨年9月に娘とニューヨークに行った時の空港シャトルバスです。
NY Bus

6. シャンプーのキャップをしっかり閉めない

「キャップをしっかり閉めないとフライト中にキャップが開き、荷物がシャンプーだらけになってしまう」だそうです。

シャンプー持って旅行に行く人が居るのですねぇ・・・なんて思ってしまいますが、まぁシャンプーは例だけなのでしょう。私は洗面用の液体類は全て旅行用の小さな容器に移し替えて透明な袋に入れていますが、空気圧で飛行中に染み出ることも多く、密閉できる袋を必ず使っています。

7. 航空券の予約に最適な時期を知っていると思い込む

「航空券を最も安く購入できる時期は、(中略)格安航空券の購入に黄金律は存在せず、安い時が安いということだ」だそうです。

私の経験(100%ネット利用の個人手配です)では先延ばしして安くなったことはないです。反対にたった数日違いで(ちょっとためらった為に)100ドル以上高くなった経験は何度もあります。

8. 無理に値切ろうとする

「海外の市場で、いずれタンスの奥に追いやられる刺しゅう入りハンドバッグの価格を50セントほど値下げしてもらうために、わざわざ交渉する必要が果たしてあるだろうか」ですって。

海外で買ったものがいずれタンスの奥に追いやられるのは納得ですが、値切るのも海外旅行の楽しみな所もあります。またアジアの国には半額以下、出来たら1/3以下が目標なんて考える国が私はあります。

9. 空港で両替をしない

「海外では一般に空港よりも街で両替した方がレートはいいが、それほど大差ないことも多い。街で両替所探しに1時間を費やすなら、空港で両替し・・・」とあります。

両替えはつい先日バンコクでの事情をエントリーしたばかりですね。今回スワンナプームでレートを見たら、1万円で40バーツは市中レートから悪かったです(1万円をバーツにした場合)。
実はこの失敗、一昨年ほど前にシンガポールでやってしまいました。簡単に街で両替できると思ったのですが、ベイ・エリアからオーチャード・ロードまで探し歩きました。なぜか大きな銀行内で旅行者がExchange出来ないのが不思議。

評判が良いシンガポールの空港内も両替所は少ないです
Singapore Airport


10. ヒースロー空港を甘く見る

「ロンドンのヒースロー空港の利用者は、長さ数百マイルのコンコースを行き来しなければならず、さらに手荷物検査では順番待ちの長い列ができる」

まったく同感! 以前同じようなランキングの「空港の世界ランキング」でヒースローが10位になった事に対し、私は「ヒースローは無計画に継ぎ足しで大きくしてしまった空港のように思えます。ここで乗り継ぎなんか最悪。(中略)10位に入ること自体信じられず、調査会社が英国だからでしょうか・・・」と(私には珍しく本気で)酷評した空港です。
私自身がヨーロッパに長く住み、一番嫌いな空港です。


長くなりました(どうせ毎回長いだろ!とおっしゃる皆さんが見えるようです)。
また明日に続きます。

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2015.06.05 | コメント(7) | 旅先通信

旅先通信

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月2日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れです。昨日より少しうす曇ですが、よく晴れています。

私自身がタイの祝祭日に疎いのと、少し長い旅に出た後だったので、昨日が祭日「ヴィサカブーチャ (仏誕節)」だと全く知らないでいました。って言うことはタイは3連休だったのですね。

朝からアパート近くのお寺からスピーカーを通して何か聞こえるし、買い物に出たシーコンスクエアが混んでいたので、何となく変だとは思ったのですが・・・買い物から帰り調べて初めて知りました。お釈迦様の誕生を祝う日だそうですね。

昨日は夕方からどんどんお寺に人が集まり、本堂の回廊を同じ方向に歩く人々の姿が見えました。何かの儀式でしょうか・・・行ってみたかったのですが、夜は出歩かない事にしているので、遠目から眺めているだけでした。ずいぶん夜遅くまでお寺が賑わっていました。

そう言えば昨夜はきれいな満月がアパートの窓から見えました。きっと陰暦に関係あるのでしょう。
Moon

リタイアしてから毎日が休みなので曜日の感覚が全く無くなってしまいました。少しは規則正しい生活をしないとなりません(と昨日は決心したのですが・・・)

さて今日は時差がキツイので前置きはこれぐらいで、そろそろ今日の本題に入りましょう。

つい先日のエントリーでも書きましたが、社会に出て40年以上、ずっと旅を続けているように思えます。特にこの25年のほんとどが日本に住むことすらありませんでした。

そしてその同じ期間だけネットにかかわり、『旅先通信』と仲間達が呼ぶ、世界のどこからてもネットを通して繋げたい人達と繋がる事にこだわって来ました。

今でこそ、誰もがどこからでも自由に、しかも簡単に繋がることが出来る時代になりましたが、ほんの少し前は全く違う世界でした。

私が働き始めた時、海外とのやり取りは国際電話でもファックスでもなく、テレックスと呼ばれる電報みたいな方法でした。一文字でも短くする為に略語がたくさんあったものです。ThanksがTKSだったりandがYだったり・・・私は原稿を書き、それを専門の人が打ち込むと、リール状の紙テープに言葉の穴が開けられ、それが機械が読み取るのです。

もちろんパソコンどころか電卓ですら大きな物が出始めた頃で、一課に一台でした。技術者の私達はもっぱら計算尺(若い人は存在すら知らないでしょう)に頼っていました。私が仕事で英文を書き始めた頃はタイプライターでした。

最初に使っていたのがRemington Rand製のタイプライターでした。全て鉄製、すごく重たく簡単に動かせるようなものではなくタイプライターが置いてあるデスクに移動して英文の資料を作成していました。先日、シーナカリンのタラート・ロッファイの骨董店で同じようなタイプライターを見て、思わず値段を聞いちゃいました(笑)
Ramington

完全に機械式で、キーをしっかり押さないと活字が先端にあるアームが紙を叩かないし、カーボン紙とペーパーを巻いたローラーが左から右へ移動していって、改行作業はその重たいローラーを戻す・・・そんな力も必要とした事務機でした。

さすがにこのタイプは1~2年で電動式に変わり、IBMのタイプライターが登場です。私の最初のIBMとの出会いです。今でこそIBMはコンピュータ関連企業ですが、当時は事務機器の会社でした。
画像は99年LAの空港で、当時は珍しい公衆電話にデーター接続したPCがIBM製でした(と思う)。
LAX

時代はやがてファックスが主流となって、パソコンも登場し、メールのやり取りもパソコンに頼るようになったが私的には1980年代後半から1990年です。25年前、ちょうど私の海外在住が長くなり始めた頃でもあります。

こんな便利なものはない!と仕事でもプライベートでも夢中になりました。海外を転々としていたので私は最初からノートタイプのパソコン使いでしたが、当時は非力なPCですから、買った翌日にはクロックアップ、HDD換装、HDDが少しでも厚いと筐体に入らないので筐体を切ってしまったり・・・かなりハードユーザーになっていました。
(PCの改造は自己責任。本来すべき事ではないです)

当時は電話回線を使ってのダイヤルアップ。電話機にデーターポートも無いし、壁からクローゼットを通して電話機直結も多くありました。特に私が旅先通信を始めた1990年頃のヨーロッパは最悪のコンディションでした。欧州各国がばらばらの異なった規格で、電話機のジャックや電源コンセントも違うのでアダプターを欧州中そろえると、鞄いっぱいになったものです。

ヨーロッパの古いホテルは交換台がありましたし、古い課金機も電話回線に繋がれ、ダイヤルアップもネゴ出来ず繋がらないのが普通でした。そんな中でドイツ在住だった私はヨーロパ各国を旅し、時には電話機をばらして電話回線に直接みのぐちクリップで繋げたり(これも自己責任。本来すべき事ではないです)、音響カプラーも使いました。
画像は98年パリの空港で公衆電話にカプラー接続(PCの左、黒いもの)です。
公衆電話から通信

繋げるのは現地のアクセスポイントですから、当時アメリカの大手通信会社CompServeが持っていた世界各地のアクセスポイントへ繋げ、そこから日本へ繋げるようなスクリプトを自作していました。

そんな活動をパソコン通信を通して仲間たちとシェアしていた時に、ノウハウをまとめた本を作らないか?とソフトバンク出版部から話があり、旅先通信本が世の中に出たのです。私は98年版、99年度版、2003年度版と三回ほどかかわりました。発売当時は町の小さな本屋にも置いてあり、目立つ場所に置き換えたりしたものです(笑)
Book

世界を旅しながら通信をする。旅をしながら、その場から、他の人に伝えたい熱い思いを発信する・・・そんな旅先通信、テクニカル的には誰もができる簡単なものになりましたが、通信する中身自体も安易なものが多くなってきたように思えます。

私自身も旅の中で感動が少なくなったのか、つまらないものが多くなったように思います。苦労して旅することもなくなったので、それもあるかも知れません。
画像は2002年、トラン諸島へ行った時の列車内ですが、行くにも苦労したし、通信するにも大苦労でした。当時はどこへ行ってもそんな苦労が感動だったのですが・・・
Trang


時差で早起きしてしまい、思わず長い昔話と自慢話になりました。年寄りの事とご勘弁を。それと、毎回の事ながら、ここまでお読みいただいた方々にお詫びと感謝です。

今回の日本を経由してのアメリカへの旅、移動も通信も全く楽で苦労知らず、唯一苦労したのは時差だけかも(笑)

私の長い旅先通信はこの旅で終えたような気がします。


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2015.06.02 | コメント(12) | 旅先通信

LCCタイエアアジアXの価格と中身

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月1日、昨日無事バンコクに戻りました。そのバンコク(の端っこ)の今朝は良く晴れています。気持ちよい天気です。

さて、昨日のエントリーでは成田空港でタイエアアジアXにチェックインから、搭乗寸前までをアップしています。今日はその続きです。

特に皆さんにお伝えしたいのは(本当は自分へ言いたいのですが)、タイエアアジアXは第2ターミナルでLCC専用の第3ターミナルでない事と、第2ターミナルはいつの間にかサテライト側に行くのにモノレールが無くなっていて歩かなければならない事です。
・・・って、知らないのは自分だけかも(汗) おかげで昨日は成田でほとんど時間が無かったです。チェックインカウンター「N」もなんか変な場所で迷ったからもあるのですが・・・

(Nカウンターはターミナルビル入り口横から外に張り出したような所)
Air Asia Counter

えっと・・・昨日のエントリーで結末をアップできなかった事がひとつあります。
チェックイン時に機内預け以外にも、機内持ち込みのバッグも重さを量られ、規定7kg以下のところを私は8.5kgと少しオーバーでした。その時点で「後で入れ替えるなど調整して下さい」と言われた事への結末です。
Air Asia Bag

機内持ち込みはキャリングバッグ(これが8.5kg)と、本やパスポートを入れている小さな肩がけのバッグでした。私は「入れ替えて下さい」の意味を、キャリングバッグの中から重たい物を肩がけバッグに移すと受け取ったのですが、それで搭乗前に再度量られるのかと思っていました。

それが上記のように搭乗ゲートで時間がなくて(ギリギリまでブログ・エントリーする自分が悪い)、そのまま搭乗しちゃいました。結局、あまり重たい物を機内持ち込みしないでね・・・のけん制でしょうか。正面から聞いたら、たぶん安全上の理由とか言われそうな気もしますが、アメリカなんてものすごく大きく重たい物をほぼ全員が持ち込みますし、個人的には違和感を持ちました。
まぁ皆さんは、機内持込でも重さを気にした方が良いかも知れません。

さて、利用したタイエアアジアXは9時15分発のXJ601便。搭乗も8時半過ぎにはアナウンスされて、搭乗ゲート85番近くでエントリー中だった私は焦ってしまいました。見直す時間もなくアップロードしたので心配でしたが、アパートに戻り見直したら大丈夫だったようです。

機材はAIRBUS A330-300で、機内は90%ぐらいの席が埋まっているように私からは見えます。窓-3席-通路-3席-通路-3席-窓がエコノミークラスの配列。飛行時間6時間ですので、足元が少し狭くても我慢できますが、アメリカ国内線
ざっと見てタイ人80~90%、日本人10~20%の感じでしょうか、タイ人家族連れが目立って多く、アジアの大国の人たち、ツアー客は見かけませんでした。
Air Asia Inside

私は窓側席で、お隣が5歳ぐらいの自由奔放に育てられたタイのお子様、がんがんに私の足や前席をけられています。その隣がお父さんなのか、肩から太もも生えたようなアメリカで見られる体系。シートベルトはエクステンションをお使いです。

この方が離陸直後からお休みになられ、機内中に大きなトドの声のようないびきをとどろかしています。私の前は大きなドナルドダックを抱えた若い女性二人で、何度も窓の外と自分たちをスマホで撮られています。やはりタイのLCCの機内っぽい感じがいっぱいですが、特に困る方々でもなく、まぁ快適なフライトと言えますし、私が気を失うような事もありませんでした(笑)

機内サービスの案内があったとき、「持ち込まれたお食事はご遠慮ください」みたいなアナウンスがありましたが、その時には搭乗ゲート前で買って機内に持ち込んだサンドイッチを食べてしまいました(汗)

朝食も食べずに東海道線の始発で横浜から成田に来たので、お腹が空いて仕方なく、飛び立つと同時に食べてしまったのです。まぁ皆さんもペットボトルなど持ち込まれていますので厳密なルールかは疑問です。

さてこのブログではアパートも部屋の中まで、私の本名や顔出しから、赤裸々に財布の中身まで書いていますが、LCCを語るのに、実際の価格を避けるのは許されないはず(笑)以下が私が支払った価格です。

もちろん十分にご承知でしょうが、予約の時期などにより、航空運賃は大きく変わります。あくまでも参考と考えてください。
(ネットでの申込日は4月29日で日本のクレジット決済。全て円です)

--Flight-- (基本運賃ですね)
1 Guest          14,623
Airport Tax         2,090
Airport Fee         1,500
Passenger security fee    520 (一般的に空港税として含まれる航空保険料)

--Add-onsn & Fee-- (追加サービス)
Advance Seat request fee  1,690 (席はあらかじめ指定しました)
Processing Fee         800 (クレジット決済費用みたい)
Checked baggage 20kg    3,900 (機内預けの荷物)

と言うことで、合計が25,123円でした。なお、片道しか買っていません(汗)

ドンムアンへの着陸も順調で午後1時半。定刻より20分ぐらい早い到着でした。入国審査はお馴染みの中国人ツアーがどっと来た直前に並べて良かったのですが、バッゲージクレーム周辺もアジアの大国の方々が多く、ハッキリ言って大声で話しすぎ(笑) まぁツアーで到着直後なので興奮されるのは分かるのですが・・・

大小二つのスーツケースがあったので、ドンムアンからはタクシーでシーナカリンのアパートに戻りましたが、唯一待たされたのはこのタクシーでした。以前のスワンナプームと同じシステムで、乗る前にカウンターで行き先を告げ、半券を運転手と乗車者が別けて持つスタイル。ここが長い列でした。

ドンムアンからアパートまでメーターは294バーツ。高速代が120バーツ、空港タクシー代50バーツでした。私のアパートはスワンナプームの方が近いので、これは高く感じました。まぁ仕方ないけど。

サービスはチェックインバッグの有料化、機内での飲食有料化だけでなく、必要な物だけを必要な人だけが頼めば良いので、私はその分航空運賃が下がればまったく問題ないと考えます。

タイエアアジアX、私の場合は価格だけでなく、朝一番の始発で横浜を出て、バンコクのアパートには午後3時ごろ戻れるのも魅力の一つだと思えました。良い選択肢が増えました。

これで今回の日本とアメリカへの旅が無事終えられましたが、しばらくはタイでゆっくりしたいと考えています。

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2015.06.01 | コメント(2) | 旅先通信

成田からエアーアジア

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

5月31日、今朝の成田は晴れのようです。
昨日の横浜は30℃近くまで気温が上がりました。青空も広がり季節が初夏に向かっているのを実感した日でした。

それより地震や火山が気になる日本も実感しました。今回日本に滞在したのは合計8日間ですが、震度4が二回。それ以外に体に感じた地震は3回。火山は鹿児島・口永良部島の爆発的噴火・・・と何かおかしい日本です。

ところで昨日は日本最後の日、たまたま土曜日だったので家内と息子と一緒に食事とお墓参りでした。娘は残念ですがバイト。どんだけ墓参りするんだ思われるかもしれませんが、昨日は家内の実家のお墓です。
Cemetery

そしてお昼はまたお寿司(笑)。私は鯵と貝類の刺身、金目の煮付けなどを日本酒で楽しみましたが、家内と息子はにぎり。息子は一通り食べた後にトロなどもたくさん食べてました(涙)

昨日の行動にあわせて言うのではありませんが、実は私は子供たちが小さい時から二つの事を一緒に行動することで教えて来ました。

まったく大したことじゃないです。笑われるかも・・・ 二人の子供は生まれた時から私と一緒に住んだ経験が非常に少ないので、運動会とか普通の父親が子供と過ごす行事は全く経験ありません。普段の生活で父親として一緒にしてあげられる事もほとんどありませんでした。

そんな中でも、私が日本に行った時には出来る限り一緒に墓参りに連れて行ってました。私が教えるのではなく、子供達が大きくなった時、生活の中でお墓参りすることが自然に感じて欲しかったのです。まぁ私がお墓に入った時に会いに来て欲しいのもありますが・・・

もうひとつは寿司屋でカウンターに座り、きちんと食べられる大人になって欲しかったのです。だから小さな時から寿司屋に連れて行き、子供たちをカウンターに座らせて板前さんに注文させていました。私も職人の父に、そして跡を継いだ兄にもそうされたからです。お寿司の高い安いではなく、作ってくれる板前さんと向かい合って食べる事で、食事を意識させたかったのです。

そんな事が20年以上続くと、私が帰国した時は必ず墓参りにお寿司、時にはフレンチやイタリアンにもなりますが、そんな私自身の都合で押し付けた教育です。自分勝手な親ですねぇ・・・

まぁ、リタイアした身なので私自身は毎日が休日のようなもの。でも日本で家族と過ごす日が本当の休日と思えます。疲れたけど良い休日を過ごせました。


さて、今日はタイへの移動です。横浜から成田空港、そして(日本からは初めて乗る)エアアジアなのでドンムアン空港になります。


今朝は東海道線の始発に乗って東京駅へ。東京駅着午前5時52分で6時10分発の格安バス「THEアクセス成田」で成田空港第2ターミナルに着いたのが7時10分でした。

実は・・・今朝まで私は間違いなくタイエアアジアは新しく出来たLCC(格安航空会社専用ターミナルの)第3ターミナルだと思っていました。人生初の成田第3ターミナルだ!と思っていたのですが・・・ だってエアアジアと言えばLCCとして有名ですから。

危ない、危ない! 本当に間違えて第3ターミナル行く寸前で気がつきました。
実は第2ターミナルもこの10年ぐらい使ったのは数回。私はこの10年間デルタ一筋でしたから(笑) その第2ターミナルでもエアアジアのチェックインカウンターが分からず、とりあえずバスは第2ターミナルの最初のバス停で降りました。

タイエアアジア自体は前回のタイ在住時からタイ国内線、そしてベトナムやシンガポールへタイから行くにも使っていましたが、日本とタイ間で使うのは初めてのことです。
今回は当面日本に戻る予定が無いので片道。チェックインバッグを20kgと席だけ予約しておきました。

チェックインカウンターは「N」なのですが、少し分かりにくい場所。ちょっとターミナルから外側にはみ出た所でありました。
Narita 1

機内に持ち込む手荷物が7kgまでのようで、私は8.5kg。後で調整してくださいと言われましたが・・・どうするか? 後で報告します。

機内食が無いようなので、チェックイン、出国手続き後にうどんかお蕎麦を食べたかったのですが、第2ターミナルってサテライト側に行くのにモノレールが無くなったのですね。歩いて行ったので時間をロスしました。
Narita 2

搭乗ゲート前でサンドイッチだけ購入。機内で食べられるのか?

さぁ、そろそろ搭乗時間です。タイに行くではなく、戻ります。


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2015.05.31 | コメント(4) | 旅先通信

思いがけない別れ

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

5月30日、今朝の横浜は雨上がりの晴れ。昨夜は寒いとすら思ったのですが、今日はどうも暑くなりそうです。深夜には地震もあったし、やはりどこかおかしい日本です。

さて今回の旅、正直疲れました・・・12日間でタイ~日本~アメリカ~日本、そして明日はタイに戻ります。(よく言われる言葉ですが)若い時は何でもなかったのですが・・・

空を飛んでいた時間だけで34時間以上になります。それでまた明日も飛行機。単純には地球一周に近い移動になるでしょう。

疲れたのは体だけでなく、心も疲れきったように思えます。
言葉の使い方は間違っていますが、今回の日本とアメリカ行きは私の「終活」の一部だと思っています。人生の終活ではなく、男として働いてきた人生の一部への意味です。

昨年9月にアメリカでリタイアを決めて以来、ずっとバタバタしていました。日本と違い定年がないアメリカですから、自分が望めばまだ働けたのですが、自らの意思で長く働き続けた日にピリオドを打ちました。

日本のように退職日が決まっていて、それを指折り数えるのではなく、自分の中では覚悟していたものの、ある日辞めると決め会社に告げたのです。

アメリカの多くの企業が二週間の事前通知で、辞めるにも、辞めさせられるにも、簡単に退社できます。皆さんもテレビなどで観た事があるのでは? ある日会社に行くと、もう退社が決まっていて、段ボールに私物を入れて会社を去る・・・ 

私は退社(リタイア)を自ら決めましたが、最後の日もそれと似たようなものでした。
人事で手続きのサインをしたら職場の誰にも告げず、誰の見送りも受けずに、挨拶もせずに、出来たら誰にも知られないようにと会社を去りました。

私生活もスーツケースに入らない物は全て捨てて、ワインセラーなど譲れる物だけ親しい友人達に渡し、ベッド、洗濯機などはアパートに残したままでした。

私の場合は会社を去ると同時にアメリカも去ることになったのと、そんな急な去り方をした為もあって、アメリカで処理しなければならない野暮用が残ってしまい、今回行くことになったのです。そこには自分の気持ちを整理する意味もあったのです。


アメリカ時間で一昨日の朝、ホテルをチェックアウトし、空港でレンタカーを返し、空港ターミナルのカウンターでチェックインをしよようとすると・・・・

そこに・・・会社で一緒に働いていた友人達が待っていました。平日の勤務中、多くの人でなく数人ですが、混雑していない新しいInternationalターミナルで目だっていました。前夜一緒に食事した親しくしていた日系の友人から連絡が回ったようです。
New Terminal ATL

驚きと戸惑い、言葉にならず、ただ「ありがとう」と握手しようとしたら、誰もが自然とハグしてきました。いかつい男たちと年取った私・・・私は涙が止まらず、「じゃぁ、またな」「元気で」「どこかで会おう」短い言葉にすら返事が出来ませんでした。

私の悪い癖で搭乗時間ギリギリにチェックインしたので、時間がありません。彼らも仕事に戻らないとなりません。別れを惜しむ暇なく搭乗ゲートに向かいましたが、その時だけは空港で時間がないことを後悔しました。

もう働くことはないですし、アメリカにも行くこともないでしょう。
今回はそんな仕事、アメリカとの別れの旅でもあったのですが・・・思いも寄らなかった、人との別れが最後に待っていました。
自分はそんなアメリカにきちんと別れを告げられたのだろうか・・・そんな思いを抱いたまま、長い機上の時を過ごしました。本音では心を整理できないまま、また明日にはタイに向かいます。


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2015.05.30 | コメント(9) | 旅先通信

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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