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最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場④時が流れるまま

観光地や日本人が多い所にメディアやネットで書かれているだろう事とは距離を置き、街を歩くだけで多くのお気に入りの地を紹介して来ましたが、その中でも最も気に入っている「ルアンペーン百年市場 Luang Phaeng Market 108Years」です。

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バンコク都内(東の端っこですが)ながらネットでは書かれた事がないでしょう。その雰囲気は独特で『賑わっていた時が去ったのを受け入れている』と私は思うのですが、寂れているのとは異なります。ただ、寂れていると感じる人が大半でしょうし、そう思う方はここは面白くないはずです。

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それでは、そんな寂れた所が私には面白いのでしょう? それを書く前に今までのこのシリーズのエントリーは以下の通りです。

第1回「最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場①
第2回「最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場② アクセス術
第3回「最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場③ここに暮らす人々

前回はこの市場の半分まで歩き、そこに暮らす人達と触れ合いながら運河の反対側へ危なげな木橋で渡った所まで書きました。

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橋を渡り終えると・・・そこはこの市場全体で唯一賑わっている?所で、私が苦手なカラオケを昼から楽しまれていました。その真ん中に飛び込んでしまいましたねぇ~

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橋を渡った所は集会所なのか、ただの食堂なのか、いずれにしてもこのルアンペーン市場で唯一賑わいある所です。早々にカラオケに誘われましたが、丁重にお断りしながらも立ち去りがたくクイッティアオを食べながら話には加わりました。

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お菓子やつまみはあるのですが、昼食となるのはクイッティアオぐらいしかないのが残念でしたが、普通に美味しく頂きました。

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ここで初めて若い方にお会いしました(笑) なぜなのか、どこへ行っても皆さん話しかけて来ます。きっと皆さんがそうして毎日暇をつぶされているからなのでしょう。この市場のゆったりした感じがそうさせるのかも知れませんねぇ~

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クイッティアオを食べ終えて周囲を見回しました。画像下で看板の真ん中のタイ語「クローン คลอง(運河)」とタイ数字の「百八年 ๑๐๘ ปี」はパターン認識済みなので、おそらく『ルアンペーン運河百八年』でしょう。上のタイ語は認識してないので分かりません(汗) 

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こうした所は無理に古い物を集めて飾っている感がするのですが、ここは本当にほったらかしのまま時が過ぎて行ったような感じがします。賑わいがあった時の写真だけは、今見るとちょっと寂しく・・・

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画像下のような全て木で出来ている仕組みがありました。自転車のチェーンで動力を伝えるような仕組みなのですが、何をするのか?? 何人かに聞いたのですが、私のタイ語レベルではまったく理解不能でした。

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さて、また危なげな木橋を渡り反対側に行って、今度は東側に向かいました。大きめのモスクが建っているので、それを見たかったのです。木橋の上から撮った画像下で左上のモスクです。

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橋を渡り終えて東に向かうと、とっても素通り出来ない薬局がありました。店の前は運河上の船から直接荷揚げが出来て仕分け作業など出来るようになっていて、店外で作業保存する漢方もあるのですかねぇ~

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店内もすごく良い雰囲気です。もちろん現役の薬局屋さんで、お断りをして写真を撮らせて頂きました。

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今までここでお会いしたタイの人々とは違って・・・シャキッとされていますねぇ~ 店や仕事に誇りがあるのでしょう。でも店の隅々を案内してくれて、実際の作業も見せてくれて、すごく優しい人でした。

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画像上は漢方薬の原料を細粉にする『薬研』と言う道具ですが、私だと(何の映像だったか)徳川家康が晩年これで漢方を押し砕いてのが思い出します。若い人なら「千と千尋の神隠し」の「釜爺」を思い浮かべるのかも知れませんね。そう言えばこの作業場も釜爺の部屋に似ているような・・・

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漢方の匂いが染みついたようなお店で、至る所に漢字が書かれている道具があります。ざるにさえ・・・。それは飾りでなく今も使われているように私に思えます。いったいどんなストーリーがこの薬局屋さんにあるのでしょうか。

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百年市場と呼ばれる所は多くあります。バンコク周辺だけで言えば、そこは観光用であって観光客が入ってお金を落とす店なのですが、ここは今でもそこに住む人達が日常の生活で使い、時を過ごす店ばかりです。

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ふと運河を見ると、モスリムのご老人が舟で寄って来ました。舫うのと舟から上がるのに手を貸してから話し始めました。

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タイ語が分かりませんでしたが、何かを買いに来たようです。どこへ行くにも舟を使うとの事、しばらく話してから雑貨屋さんに消えて、戻って来た時には小さなビニール袋が下げられ、その中には赤牛の栄養剤が見えました(笑)

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ルアンペーン市場の東端はかなり荒れています。注意深く板の上を歩いてモスクに通じる橋の近くまで行きました。橋はきっとモスクからお金が出ているのでしょう。立派なもので、そこまでの市場の朽ちようと対照的です。

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橋の上にあがりモスクを見ると・・・祈りの時間なのかモスリムの人達が集まっていました。好奇心だけでそれ以上先へ行くのは良くないように思え、ここで引き返す事にしました。

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何やら声が聞こえたので市場の方をよく見ると・・・途中で話したオバサンが「橋の向こうに行けるよ!」と言っているようです(そう思えた)。きっと橋を渡ってモスクに行けるか私が聞いたからでしょう。橋の上で引き返した理由が分からず、声をかけた・・・そう思えます。

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そう言えば、「本当にこの中に入っていいのだろうか?」と心配になりながらも、アウエー感いっぱいの中に足を踏み入れてからずっと・・・誰かに見られていたように思えます。車もバイクも通らない静けさの中だけにそうした感覚も強くなるのかも知れません。

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帰りは運河沿いを歩き西へ向かうと・・・またきっと話しかけられるでしょう(笑)嫌ではないものの今日はもうたくさん人と触れ合ったので、これ以上は重たい気がしたのはあまりにも長い一人暮らしだからでしょうか。

東端にあった中華祠(画像下の赤と緑の建物)の裏へ出て戻る事にしました。ここが車でアクセスする場合の限界のようですねぇ~ そしてバンコク都の都標がありました。そう言えば、さっき見たモスクはチャチェンサオ県で、これから向かうソンテウが通るトゥータイ市場の裏はサムットプラカーン県です。

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都境と県境を見に来たのが最初の目的でしたねぇ・・・そんな事を思い出しながらソンテウを降りた交差点まで歩き、来た時と同じようにソンテウとバスでアパートへ戻りました。

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さて、これが本シリーズの最終回です。

ブログランキングも参加せず、検索にも出来る限りかからないような工夫をしているブログです。これを読まれて・・・(普通の人が見たら)こんな寂しい所へ行かれる事はいないかと思いますが、もし行かれるならお上品な恰好でタクシーか車で物見遊山気分で踏み込んで欲しくないって言うか・・・間違ってもそれで「日本人の知らないローカルな古市場へタクシーで」なんてネットに書かないで欲しくないような・・・いけないかも知れませんが、私はそう思います。

そして、このルアンペーン百年市場や近くのフアタケー古市場が大好きだった年寄りの日本人がいて、何を思い感じながら歩いたのかを思い出して頂けたら幸いです。

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2018.06.19 | コメント(0) | マーケット

最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場③ここに暮らす人々

観光地や日本人が多い所にメディアやネットで書かれているだろう事とは距離を置き、街を歩くだけで多くのお気に入りの地を紹介して来ましたが、その中でも最も気に入っている「ルアンペーン百年市場 Luang Phaeng Market 108Years」です。

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バンコク都内(東の端っこですが)ながらネットでは書かれた事がないでしょう。その雰囲気は独特で『賑わっていた時が去ったのを受け入れている』と私は思うのですが、寂れているのとは異なります。ただ、寂れていると感じる人が大半でしょうし、そう思う方はここは面白くないはずです。

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それでは、そんな寂れた所が私には面白いのでしょう? それを書く前に今までのこのシリーズのエントリーは以下の通りです。

第1回「最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場①
第2回「最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場② アクセス術

前回はここへのアクセス術を詳しく書きました。バンコク都であり私が住む地区の近くなのですが(苦笑)一般的には日本人にもバンコクっ子にも縁がない所でしょう。タクシーや自家用車を使うような方々が行くような所でもないので、ソンテウに乗る必要があります。

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ラートクラバン通りからソンテウ1013番系統222番に乗って終点「ワット・ラチャコーサー Wat Ratchakosa」まで行き、お寺の境内を抜けて「プラウェートブリーロム運河 Prawet Burirom」沿いを歩いたら百年市場の入口です。

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そして運河両側に並ぶ集落に入るにはためらいがありました。板を張っただけの足元が心配だったのもありますが、ご老人たちが、何をするわけでもなくこの板張りの運河沿いで時間をつぶしておられます。そんな中へ物珍しさに入って良いのか? そんな思いがしたのです。

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場違いな所へ迷い込んだような気持ちのまま、何かをしゃべらずに通れない気がして、下手なタイ語で「こんにちは、暑いですねぇ・・・」なんて声をかけながら奥に入って行きました。挨拶が返らないまま歩いて行くと・・・やがて声がおじいさんやおぼあさんからかけられて来るようになりました。

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そしてお茶に呼ばれたのが画像上の方達です。挨拶をして通り過ぎようとしたら、何か声をかけられました。「遊びに来たの?」そんな言葉です。それを機会にベンチに一緒に座り話し始めました。茶葉がたくさん浮いている中国で出させるようなお茶も頂きました。

「日本人です」「働いていないでバンコクに住んでいます」「ここにはソンテウで来ました」・・・そんな他愛無い話ですが、私の下手なタイ語も相手が三人だと誰かが分かり「この人、こう言っているのじゃないか・・・」と三人で確認しながらの会話です(笑)

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目の前が日用雑貨などの店で、この三人の中で誰かが店番だと思うのですが店はほったらかしです(笑) 中を見せてもらいましたが、売っている物はともかく昭和のど真ん中で下町育ちの私には・・・どこか懐かしさを覚える店です。

しばらく話して「向こうを見て来ます」と席を立ったのですが、私がオジサン達と話していたは、この板張り通路で暇つぶしをされている方々にとって絶好の好奇心の対象だったようです。

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最初は「中へ物珍しさで入って良いのか?」と思ったほどのアウエー感いっぱいだったのですが、今度は皆さんが待ち構えているように見えます(笑) 笑顔で私が通るのを待たれているようにも思えます。

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歩く先々で話しかけられるので、なかなか先に進めません。やがてここが「ルアンペーン」と呼ばれる事を知りました。昔は賑わったそうですが、それはどれほどだったのかを知れるほどタイ語が話せないのが残念です。

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こうした運河沿いに残る市場の特徴は、運河に並ぶ家々の前には運河に沿って板張りの通路があって、そこには船が舫えて人も通路を行き来出来る事です。

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こうした構造の多くが運河の片側にあるのですが、ルアンペーンは両側がそうした構造なのが特徴的です。そして中央に両側を行き来出来る(かなり危なげな)橋が架けられています。

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橋の対岸には何の船なのか大きめの船が舫われています。そしてこのルアンペーン市場に入った時から何やら音楽が聞こえていたのですが、その発生元が橋の向こう側のようです。

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そこで、その橋を渡り対岸に向かう事にしましたが少し怖いです(汗)ここが賑わっていた時はきっとこの橋がアピールポイントだったのでしょう。中央にベンチまでありますが、「LOVE」とある飾りは無い方が・・・

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そして橋を渡り終えると・・・そこはこの市場全体で唯一賑わっている?所で、私が苦手なカラオケを昼から楽しまれていました。その真ん中に飛び込んでしまいましたが、いったいどうなるやら・・・次回に続きます。

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2018.06.07 | コメント(2) | マーケット

最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場② アクセス術

観光地や日本人が多い所にメディアやネットで書かれているだろう事とは距離を置くブログですが、ただ街を歩くだけで多くのお気に入りの出合いこのブログで紹介して来ました。

その中でも最も気に入っている所で、間違いなくネットでは書かれた事がないと思います。それがバンコク都の東の端っこで「ルアンペーン百年市場 Luang Phaeng Market 108Years」です。正確には百八年市場ですが、それがいつから言われているのか謎です(笑)

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ここには独特の雰囲気があるので好きなのですが、それは何て表現するのか・・・・『賑わっていた時が去ったのを受け入れている』と私は思うのですが、寂れているのとは異なります。ただ、寂れていると感じる人は多いでしょうし、そう思う方はここは面白くないはずです。

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前回の第1回目はこの市場が出来た頃の時代背景を主に書きましたが、第2回目の今回はアクセスから始めましょう。ご安心ください!『簡単』です・・・って私が書くと余計に不安になるでしょうが(笑)

日本人ブログやフリーペーパーにありがちだろう都会目線の(タイの庶民が暮らす所を)『ローカルな…』と何でも付けるのが大嫌いで、『タクシーでローカルな○○へ』なんて絶対に書かないブログなのを読者はよくご存じかと思います。

そのアクセスは公共交通機関の路線バス、タイ国鉄、エアポートリンク、運河ボート、ソンテウなどで行けますが、最後は画像下のソンテウに乗る必要があります。

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色々な行き方を書くと読者を惑わせる事になるので、最も簡単は方法は・・・私からすれば行き交う人々まで眩しく思える大都会の「オンヌットOn Nut」から70~80分でしょうか。バスに乗って一回だけソンテウに乗り換えるだけです。

しかも初心者用内容は避けるブログですが、バスの初歩の初歩から路線も詳しくこのブログで書いていますし、ソンテウの乗り方まで書く破格のサービスです(笑)
  路線バスの乗り方
  路線バス1013番
  ソンテウの乗り方

まず画像下のオンヌットのBigC前から地方バス1013番に乗ります。このバスは区間運転や枝線もなくて簡単です(帰りはシーコンスクエアへの枝線がありますが)。行先を言う必要がありますが「フアタケー Hua Takhe」と何度か言うと通じるかと思います。

Bus1013 Onnut 2

このバスはオンヌット通りから「ラートクラバン通りLat Krabang」と真っすぐ西へ向かうだけの簡単な路線です(シーナカリン通りとの交差点で変な動きをしますが)。ラートクラバン通りSoi20のショッピングモール「ザ・パセオ・モールThe Paseo Mall」過ぎから、フアタケーを過ぎて終点になるまでの間の好きな所で降ります。

まぁ、バスの方が乗り心地が良いのでフアタケーぐらいまで乗った方が良いでしょう。ザ・パセオ・モールは「パセオ・ショッピングモール三都物語」で、フアタケーは「フアタケー古市場④」で詳しく書いています。

Bus1013 Paseo 1

20171106 Hua Ta Khe 1

そして最後に乗るのがラートクラバン通りでのソンテウで、西端はザ・パセオ・モールあたり(ナームチャイ市場 ตลาดน้ำชัย )からずっとラートクラバン通りを東に向かい、フアタケー、「サイアム・サーペンタリウム Siam Serpentarium」前を通り終点が「ワット・ラチャコーサー Wat Ratchakosa วัดราชโกษา 」までの路線です。(画像下はフアタケーでこのソンテウに乗った時のものです)

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実はこのソンテウも1013番系統です。オンヌット通りで日本人の方々が多く住むエリアでは親切に前面に1、2、3、4・・・のように番号が書いてあるソンテウと同じ系統ですが、オンヌット通りも東に行くと番号は書かずに行先表示になります。ちなみにこのソンテウは1013番系統の222番です(笑) 驚く事はないです。この地区には777番も888番もありますから(大笑)

行先表示の一番下がワット・ラチャコーサー(上はナームチャイ市場)ですが、同じようなデザインで走って来るソンテウの行先表示なんて私にはとっても読めません。って言うか、最初からタイ語は読めずにパーターン認識しているだけですが(汗) ご安心ください。ラッキーな事にこのソンテウだけは「ザ・パセオ・モール」英語のロゴマークが前面にあるのです。ちなみにこのラートクラバン通りは色々なソンテウがうじゃうじゃ走っています。

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1013番系統222は本数が普通で10~15分に1本程度ですが、バンアップ案でもう一つだけソンテウ路線があります。赤いソンテウで1270番がワット・ラチャコーサーの少し先(東)の免税商品(倉庫か研修所)の「キングパワーKing Power คิงเพาเวอร์ 」(前面行先表示一番下)まで行くソンテウですが、これはかなり分かり難いです。

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本当は・・・BMTA路線バス517番がワット・ラチャコーサー近くの「トゥータイ市場Therdthai Market」と北バスターミナル間で運転しているはずですが、日中は1時間経ってもあるかないかで、たまに乗ってもラートクラバンかフアタケーで降ろされてしまいトゥータイ市場まで行けた事がありません。(現在の日中では)実質的にただのUターン場所か休憩所だと思うので無視です。

情報が多すぎて・・・やはり難しく感じさせてしまいますね(汗) 住んでいるアパートの隣の区(ラートクラバン区)なので、地元情報ばかりでご勘弁を(笑)

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要はオンヌットから地方バス1013番に乗って、フアタケー(乗客のほとんどが降りるので終点のようなもの。別に終点まで行っても良いし)で降りて、降りた場所から動かないでパセオマークがあるソンテウに乗って終点まで行けば良いだけです(苦笑)

ついでに書いてしまうと・・・上記ソンテウで途中に通るサイアム・サーペンタリウムですが、サーペンタリウムとは英語で「ヘビ園」の事です。ソンテウのステップから撮ったので変な画像ですが・・・

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「何でこんな所に・・・」と思わずにはいられないのですが、実はスワンナプーム周辺の幹線道路沿いは何だか分からない大型施設やレストランが多く、周囲は漢字だらけで大型観光バスがよく駐車しています。中国人団体ツアーの抱え込み施設に思えますが、ここもそれっぽい感じになっています。

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まぁ、入場券(大人)が550バーツと異常に高いので無縁ですが(笑) 公式サイトの画像だとショーなどもあるようです。ヘビ好きな方は是非このソンテウに乗って遊びに行って下さい。ちなみに私のアパートでも緑のきれいなヘビが見られます(笑)

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ラートクラバン通りはサイアム・サーペンタリウムの西でルアンペーン通りと名を変えます。

さて、ソンテウの終点ですがですが画像下(2枚合成で変ですが)がルアンペーン通りを東向きに撮ったもので、交差点の右のテントがトゥータイ市場で左角にあるセブン・イレブンがありますが、多くの1013(222)番はこの交差点角のセブン前が終点です。

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セブンの角を左折するとすぐにワット・ラチャコーサー前でそこまで乗れる場合もありますし、この交差点でUターンするソンテウもあります。

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上記交差点を左折(北方向)して300mぐらいで「プラウェートブリーロム運河 Prawet Burirom」を渡る橋です。その手前左(西側)がワット・ラチャコーサーです。

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このお寺自体はどこにでもあるようなお寺ですが、学校があるのか送り迎えの車が行き来していますし、人もそこそこいるお寺です。その境内を通り運河に出ます。運河の東側に見える橋は歩いて来たルアンペーン通りの交差点に通じる道です。

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その橋のこの運河沿いに人が歩ける小道があるので、東に向かいます。橋の下を通ると・・・さらに先に運河沿いに赤茶けたトタン屋根が並んだ集落が見えて、そこまで行けそうです。そして運河沿いの小道を人が歩いています。慌ててその人を後を追いました(笑)

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実は・・・最初にここを知ったのは全くの偶然です。事前に何か知っていたわけでもなく、街歩きで看板を見たわけでもありません。Google Mapsでバンコク都とチャチェンサオ県にサムットプラカーン県と1都2県が接する所があるので、そこを見ようかと・・・行っても何もない所だと思っていました。

それがこうして偶然にもルアンペーン百年市場に行き着いたわけです(笑)

そして運河両側に並ぶ集落に入ると・・・「なんだこれは!」と思いましたよ。あまりの寂れようではありませんか! ちょっと集落の中に入るのをためらいました。板を張っただけの足元が心配だったのもありますが、物珍しさに入って良いのか? そんな思いがしたのです。

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最初は人の気配すら感じなかったのですが、壊れそうな板張りの上を歩いて行くと・・・(私が言うのもおかしい気がしますが)ご老人たちが、何をするわけでもなくこの板張りの運河沿いで時間をつぶしておられます。

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過ぎ行く時を静かに見つめて齢を重ねる、ここに住む老人たちが「観光客なんて要らない」と言わんばかりに、ここに入り込んだ私を見つめています。

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何かをしゃべらずに通れない気がして、下手なタイ語で「こんにちは、暑いですねぇ・・・」なんて声をかけながら奥に入って行きました。いやぁ~色々な町や路地裏を歩きましたが、この感じは・・・場違いな所へ迷い込んだようで、最近の言葉で言えばアウエー感いっぱいです(汗)

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挨拶が返らないまま歩いて行くと・・・やがて声がおじいさんやおぼあさんからかけられて来るようになりました。きっと私の事を見ていたのでしょう。あるいは、私が持った事もないスマホであっと言う間に皆さんの間で「タイ語が変なアジア人の年寄りが来るぞ」と情報が飛び交ったのかも知れません。あれって、LINEって言うのですよねぇ・・・

さて、この先・・・いったいどうなるのでしょう。次回に続きます。

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2018.05.22 | コメント(0) | マーケット

最高のお気に入り、ルアンペーン百年市場①

私は観光地や日本人が多い所は全く興味なしですし、メディアやネットで書かれているだろう事をこのブログに書く事もありません。

もっとも、30年以上かなり深入りしたネットワーカーだった反動なのか、リタイアした今は意識してネットと距離を置き必要最小限の公式サイトしか見ません。それで本当にネットにすでに書かれたのかは確かめようがないのが本音です(汗)

それに加えて、私は社会に出てから人生の大半を海外で暮らし、その上に旅や仕事で数えた事がないぐらい色々な国へ行っているので、私の興味を抱く事や所・・・ある意味『お気に入り』が他人様から見たら面白いのか・・・さっぱり分かりませんし、はなはだ疑問です。

過去3年半でそんな私的お気に入りをたくさん書いて来ましたが、今回がその中でも最も気に入っている所で、間違いなくネットでは書かれた事がないと思います。

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変わり者の私が最高に面白く、気に入っているので・・・それは一般の読者からすれば、最高につまらないのかも知れません。今回は特にそんな気がしてならないのです(汗)そんな「つまらない所」だと思われる方々が多いでしょうから、今までは書くつもりは無く、ある意味超内緒に所でした。

まぁ、内緒にしなくても、ここに行きたいと思われる方はかなり少ないでしょうが(汗)

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また、ランキングを止めて半年以上、今の読者はランキングや検索を通してアクセスされた方は少なく、毎回お読みなっていただいている方々で、十分にこのブログをご理解されていると思います。それでの思い切ってのエントリーです。

しかし・・・ここにはバンコクでありながらバンコクとは全く異なる時間と空気が流れる所で、賑わっていた時が去ったのを受け入れているかのような所でもあります。

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そんな私的に『内緒にしたい最高のお気に入り』は・・・「ルアンペーン百年市場 Luang Phaeng Market 108Years」です。

10年以上前ですがバンコク周辺でブームとなった百年市場ですが、なぜか正直に『108年市場』と称しています。そう書いたのも今ではなくてブームの頃かと思うのですが(笑)

ブームがあった時の108年前ですから、1900年かその少し前の時代です。日本では明治後期で日露戦争が1904-5年です。インドシナ諸国はフランスやイギリスの植民地時代で、タイでは偉大なラマ5世統治下後期、ラマ5世が西洋列強の脅威に対してチャオプラヤー川沿いに要塞を築いたのは「首都防衛要塞を行く」で詳しく書いています。

Phra Samut Chedi 2

これらの(役立たずだった)要塞の砲撃をかいくぐりフランス砲艦がチャオプラヤー川を遡り、タイに圧力をかけたのが『パークナム事件』1893年でその事もブログで詳しく書いています。結果、タイはメコン川東岸全域をフランスへ割譲する事になったタイ王国屈辱の頃でもあります。

そんな国内外が激しく動く中でも近代化を急いだタイ、タイで初の鉄道が開業したのが偶然にもパークナム事件と同じ1893年で、場所もパークナムからファランポーン近くまで走った外国資本の民間鉄道でした。またタイ初の路面電車がタイ初の舗装道路チャルンクルン通りに走ったのが翌年の1894年でもあります(画像下)。

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バンコクの街歩きで最も好奇心を抱いた一つがこの1890年代で、最初の舗装道路チャルンクルン通り、廃線通りことターン・ロッファイ・サーイガオ通り消えた路面電車消えた線路を追ったエントリーなど多くあります

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それはトンブリー王朝を廃して1782年に始まった現チャクリー王朝(バンコク王朝やラッターナコシン王朝とも)が100年経って、タイを近代化したラマ5世統治下(1868年 - 1910年)の時代でもあります。

ラマ5世はタイで最も尊敬されている国王のお一人です。前国王ラマ9世崩御以前は、タイで庶民の食堂や店に行くと必ずと言っても良いほどラマ5世の写真が飾られていました。

20170209 Rama5

タイの陸上交通が未発達だった時代、河川・運河など水上交通が主体と言うか、非常に進んでいたと私的には考えています。何しろ日本では戦国時代から関ケ原の戦い(1600年)をしていた頃にはチャオプラヤー川の流れを変えているのですから。これも別シリーズ「チャオプラヤー元流を歩く」で詳しく書き始めています。

20171228 Canal

そんなタイ国内外とも激動の時、タイの庶民はどう暮らしていたのでしょうか?

今も各地に残る「タラート・ロイピー百年市場」は百年以上続く古い市場の意味です。その時代に何も無かった所に急に出来たと言うのは違うのですが、なぜ百年市場が多いのでしょ?

バンコクとその周辺で言えば、主要運河の多くが1870年代に出来ています。センセープ運河は1873年、パーシーチャルン運河は1866年、ラップラオ運河が1872年・・・そしてルアンペーン古市場がある「プラウェートブリーロム運河 Prawet Burirom」は1878年 - 1880年に掘られています。

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運河が多く出来て、網の目のように繋がり、水上交通と稲作が盛んになり人が集まり集落が出来る。穀物などの全ての生産物資から、あらゆる生活物資が河川・運河を通して運ばれたでしょう。そして水上交通の要所に人も集まり市場が出来た事は言うまでもありません。

それで1890年代前後に市場が各地に出来たのではないかと推測しています。

20171106 Old Bangkok

水上交通がもっとも発達したラマ5世統治下、それは同時に皮肉にも鉄道や陸上交通の必要性が急速に高まり、水上交通は衰退して行く直前のピークだったように思えます。現に、河川と運河に面した市場の多くが今は賑わいを無くし廃墟のようになってしまった所が多くあります。

そんな滅び行く市場にスポットライトが当てられたのが10年以上前の2005年ぐらいだったか・・・村(町)おこし的に古い家屋が水辺に並び人々が集った市場を整備し、往年の賑わいを思い起こさせるようにして観光客を集めました。

それは、レトロと簡単に言い切れない・・・日本人で言えば多くの方々が「手入れされた田畑のある農村に小川が流れ茅葺屋根の民家が建っている」そんな原風景が、タイの人々にとっては「水辺沿い立つ市場に小舟がたくさん行き交う」そんなノスタルジックな風景なのではないでしょうか。

いい加減に小難しく長い前置き話を止めましょう(汗)

百年市場の定義はあいまいで、水上マーケットと区別があまりないのが実態かと思いますが、今まで水上マーケットではなく百年市場や古市場として紹介したのは以下の通りです。

フアタケー古市場
バンプリー古市場
ターナー百年市場
カーオホン百年市場
サーム・チュック百年市場
バーンマイ百年市場

最近紹介したフアタケー古市場(画像下)では『私のアパートがある区のお隣ですから、何度も行っていますが「大好きでネットには秘密にしたかったとっておきの」所なのです。』と書いています。

20171104 Hua Takhe 2

このフアタケー古市場に頂いたコメントを見る限り評判が良いのですが、今回はそれ以上の『内緒にしたい最高のお気に入り』ですからねぇ~(笑)

フアタケー古市場以外にこれも好きなバンプリー古市場もある意味同じなのですが、サーム・チュック百年市場にバーンマイ百年市場のようにギラギラとした観光客用目当ての感じがしないのです。フアタケーなんか(ネットに書いた私が言うのも変ですが)今のままで残って欲しいと思うのです。

さて、ルアンペーン百年市場はフアタケー古市場と同じでプラウェートブリーロム運河に面しています。プラウェートブリーロム運河は西端でプラカノン運河に、東端でバンパコン川に接する東西の運河で、そこに南北で60本以上の運河が繋がります。バンコク都東側でサムロン運河やセンセープ運河と同じ様な幹線運河です。

20180510 Map

上の地図のようにルアンペーン百年市場はフアタケー古市場とクローンスアン百年市場と中間にあります。ただ・・・クローンスアン百年市場は私的には有名観光地でネットで多く書かれているでしょうから、このブログでは対象外です。

またクローンスアン百年市場は同じ百年市場でもフアタケー古市場やルアンペーン百年市場と違って、趣が観光的に寄っているのであまり・・・(笑)

さてさて、やっと本題のルアンペーン百年市場ですが、独特の雰囲気があるので好きなのですが、それは何て表現するのか・・・・『賑わっていた時が去ったのを受け入れている』と私は思うのですが、寂れているのとは異なります。そう感じる人は多いでしょうが・・・

20180510 LP 5

過ぎ行く時を静かに見つめて齢を重ねる、ここに住む老人たちが「観光客なんて要らない」と言わんばかりに、ここに入り込んだ私を見つめています。

20180510 LP 6

それがなぜ最高のお気に入りになったのでしょうか・・・次回に続きます。

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2018.05.10 | コメント(2) | マーケット

トンブリー王朝の面影を探し27 バンコクノイ散策④

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

このエントリーを書いているのは4月17日です。一代限りで15年間だけのトンブリー王朝を興したタークシン王は1734年4月17日生まれで、284年前の今日にアユタヤで生まれました。そんな日にトンブリー王朝の面影を探す旅の最終回を書くのは偶然と言い切れるのか・・・

と言う事で今回がこの長いシリーズの最終回になりますが、前回はバーンブ地域の迷路のような路地を抜けたトンブリー機関車整備場に行き、蒸気機関車の話をしました。

20180408 BN 3

トンブリー機関車整備場を後にしてバンコクノイ運河沿いにチャオプラヤー川に向かって歩きます。すぐに「アルンアマリン通り Arun Amarin」がバンコクノイを渡る橋になるので、対岸(北側)に行きました。

橋の上から歩いて来た西側を見ると、機関車整備場の給水塔、バーンブ・パビリオン、ワット・スワンナラムまで見渡せます。

20171207Thonburi 18

反対の東側は右(南)にバンコクノイ駅跡に建てられたシリラート病院、その反対側(北)が「王室御座船博物館 Royal Barge National Museum」が見えて、奥がバンコクノイ運河とチャオプラヤー川の合流点です。

20171207 Thonburi 4

橋を渡り終えるとアルンアマリン通りの東側には王室御座船博物館へ通じる細い路地の入口があります。分かり難いって言うか・・・入るのがためらわれるような路地なのですが、一応アルンアマリン通りに説明板と矢印看板があります。

20180416 BN 3

アルンアマリン通りは以下の路線バスが走っているので、この王室御座船博物館へ行くには少し北へ行ったバス停を使います。

 91 アサンプション大学トンブリー校~BTSバンワー駅~民主記念塔
146 新南バスターミナルからの循環路線
149 プッタモントンサーイ2~ウォンウィエンヤイ~エカマイ
157 オームヤイ~バンワー駅~戦勝記念塔~北バスターミナル
177 バンブアトン~新南バスターミナル~戦勝記念塔の循環路線
710 BRTラチャプルック駅発のチャオプラヤー川西側循環路線

通って来たトンブリー駅やトンブリー機関車整備場へ行くには、橋を渡った先のシリラート病院前のバス停になりますが、いずれにしても橋の上にはバス停がないのでどちらも少し距離があります。

さて、何回来ても「本当にこの道が正しいの?」と思わずにはいられない細い路地を数分歩くと王室御座船博物館です。

20180416 BN 1

さて、王室御座船博物館は3年前(2015年)に行って良い印象が全くなかった残念な博物館です。博物館好きな私が「バンコク三大がっかり国立・王立施設」としたぐらいで、お勧めではなく今回も街歩きの中で通り過ぎただけです(笑)

20180416 BN 4

博物館自体は屋根付きドックです。8隻の王室御座船が展示と言うか置かれているだけ。申し訳程度に壁に御座船パレードの様子と漕手の服が展示されているが・・・メインの御座船は当然パレード時の飾りが全て無い状態なので、想像とはかなり違います。

20171207 Thonburi 20

それに入場料もあり得ない設定。大人100バーツですが、展示品をカメラで撮ると200バーツ。ビデオで撮影すると更に100バーツプラス。なぜでしょう? 撮影すると減るのでしょうか? 美術品等で撮影禁止があるのは分かりますが・・・

王室御座船博物館からさらに細い路地を進むと「アンソンリ・スンナァ・モスク Ansorris Sunnah Mosque」前に出ます。中に入るとバンコクノイ運河沿いのこの地区では珍しく広い敷地である事に驚きます。

20180416 BN 2

20180416 BN 6

現地での説明板に寄ると・・・トンブリー駅(おそらく旧バンコクノイ駅)建設で立ち退きされたモスリムの人達への代償として、ラマ5世によってこの地が与えられ建設されたモスクだそうです。運河を挟んでシリラート病院(旧バンコクノイ駅跡地)と向かい合っています。

20180416 BN 7

モスクのすぐ近くにこのエリアには似合わないホテルが出来ていました。デザイナーズホテルとかブティックホテルと呼ばれるタイプかと思いますが、車でアクセス出来ずに路地を歩くしかないのですが・・・

20180416 BN 8

ホテル名は「CHANN」、中を少し見せてもらいましたが、木を活かした造りは好感が持てて、周囲に車が走る道路が全く無いので静けさは非常に印象的です。

20180416 BN 9

ホテルからまた迷路のような路地を歩き数分、やっと車が入れるぐらいの通りに出られます。夜になってこうした迷路のような路地を歩かないとたどり着けないホテル・・・面白い趣向かとは思うのですが・・・

20180416 BN 5

さて、狭い路地を抜けた所がこのシリーズ最後のお寺「ワット・ドゥシダーラーム・ウォラウィハーン Wat Dusidaram Worawihan」で、敷地内に古代造船所跡地があります。説明が無かったので詳細不明なのが非常に残念ですが・・・

20171207 Thonburi 19

このお寺はアユタヤ時代からあったそうですが、その回廊が非常に印象的でバンコクノイ博物館の中にも画像下のようにパネル展示されていました。

20180416 BN 10

ただ・・・私が訪ねた207年末と2018年1月は回廊内に入る事も出来ませんでした。数年前に入った記憶があるのですが、その時の画像が見つかりません(汗) 本当に残念です。

ワット・ドゥシダーラーム・ウォラウィハーンから徒歩数分でピンクラオ通りに出る事が出来ます。ここは数え切れないほどの多くの路線バスが走っていますし、チャオプラヤー・エクスプレスの「N12 右岸 プラ・ピンクラオ船着場 Phra Pin Klao Bridge」も近くです。

20180416 Map

さて・・・一回のエントリー自体が長い本ブログですが、結局このシリーズは27回と非常に長くなりました。

バンコクの中でも無機質な高層ビルが建ち並ぶエリアや、観光客が列をなす所とも異なり、歴史を感じながら歩き触れる下町風情は(お江戸深川育ちの)私には心地よいものでした。それで路地一つ一つを徹底的に歩く結果になり長々と書く事になりました。

ただ・・・このブログに書けたのはほんの一部です。実際に歩いた所のほとんどが紹介しない何でもない路地や家々、そして昔から続く庶民の暮らしぶりが色濃く残る地はたくさんありました。

20180222 Map 1

最後までお付き合い頂いた読者の方々には心からお礼申し上げます。

また、「トンブリー王朝の面影を探す街歩き」はこれで終えますが、新シリーズで「チャオプラヤー川元流を歩く旅」そして「地方バスとソンテウで行くアユタヤ」と、チャオプラヤー川を遡ると同時に時代をも遡る旅に続きます。

なお、「トンブリー王朝の面影を探し」シーリーズの今までのエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し1 その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し2 城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し3 城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し4 城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し5 城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し6 城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し7 次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し8 傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し9 ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し10 モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し11 モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し12 タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し13 王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し14 タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し15 非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し16 ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し17 バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し18 バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し19 路地歩きが楽しいエリア
トンブリー王朝の面影を探し20 バンコクヤイ運河の終端
トンブリー王朝の面影を探し21 チャックプラ運河
トンブリー王朝の面影を探し22 バンコクノイ博物館
トンブリー王朝の面影を探し23 ワット・スワンナラム
トンブリー王朝の面影を探し24 バンコクノイ散策①
トンブリー王朝の面影を探し25 バンコクノイ散策②
トンブリー王朝の面影を探し26 バンコクノイ散策③

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2018.04.18 | コメント(1) | バンコク街歩き

若者達と行った都心部のナイトマーケット・ネオン

アユタヤから帰りのロットゥーで出会った若者たちとの話で、前回「さわやかな若者達と出会ったアユタヤ」の続きです

20180410 Ayutthaya

私は持病があるのと、夕食が100%自炊で夕方からキッチンに立つので、夜に出歩く事はほとんどありません。ロングステイの3年半で娘が遊びに来た時以外は5日もないでしょう。

だから、本ブログではダムヌンサドゥアックやアンパワーのような有名観光地は無視して23カ所の水上マーケットを紹介していながらも、ナイトマーケットは10カ所しか紹介していません。今も気になるナイトマーケットが5カ所もあるのですが・・・

それはバンコクって言うか、多くのアジアの国は夜になって人が集まればそこが全てナイトマーケットのように思え、別にナイトマーケットとされてなくても・・・と言った思いもありました。画像下はバンコクと周辺ではもっとも市井のナイトマーケットの姿が残るスワンナプーム・ナイトマーケットです。

20180410 Night Market

今日はそんな・・・あまり行かないナイトマーケットの話です。

アユタヤからのロットゥーをモーチット駅で降りました。そこで車中で聞いたナイトマーケット2カ所にその後の高級マッサージ店に行くのに・・・どう動くかを私のアイデアをご説明しました。

ナイトマーケット「ネオンTALAD Neon Night Market」までよかったらご一緒して、そこからの移動方法もネオンがあるプラトゥナームで説明するとしました。その方法が(ちょっと心配な)お二人にとって一番動きやすいと判断したのです。

そしてモーチットからプラトゥナームへ行く77番の路線バスに乗り込んだのです。アユタヤからロットゥーはBTSの駐車場(Park and Ride)で降りられるので、バス停は目の前です。

20180410 Mochit

バスの中でお話を聞くと・・・タイ到着時にスワンナプーム空港からホテルまでのタクシーを正規の場所でなく、(ネットに安く乗る方法と書いてあった)出発階まで上がってタクシーに乗ったらメーターではなく高額を払った事、アユタヤではトゥクトゥクに声をかけられて言うままに遺跡を巡った事、タイでは香辛料が苦手なのとお腹を壊すのが怖くてKFCとマックなどで食べた・・・など、聞けば聞くほど心配になってしまいました。

20180410Bus77

ネットなんて誰でも検証されないまま好き勝手な事を書けるので、間違いが多いし危なっかしい事もあるのは常日頃このブログで書いてある通りです。私は公式サイト以外は見ないしネット検索も避けて、自らの気ままな街歩きをブログを書いている変人ですが・・・

なんて話をしていたらプラトゥナームです。幸い路線バスの中でタイ庶民の生活の一部に触れた事も楽しまれたようです。

20180410 Pratnam 1

プラトゥナームでは「インドラスクエアー Indra Square」前でバスを降りました。道路反対側のバス停でタラート・ロットファイへ行ける73番73n番も)と514番に乗る事が出来ることをその場で説明したかったのです。

商業複合ビルの「パラディウム Palladium」でトイレに行っておきます。この先はナイトマーケットになりますから(苦笑)

ネオンに向かって歩きながら途中に・・・カオマンガイ店ガイトーンに入りました。ちょっと小腹が空く夕方で軽く食べるのにはちょうど良いでしょう。『町中の食堂だ!』と驚かれていましたが、まずお腹を壊すようなものではなく、観光客に人気なのも旅行者には良いものです。私自身は3年前に娘と入ったのが最後でしたが(笑)

20180410 Kai Thong

本ブログは「ワインと食」が前身ですが、タイでは『ランチを○○で食べた。美味しかった』のような陳腐なブログが多いので、食べログ的エントリーをしないようになりました。その中でも珍しく「極上カオマンガイは?」をエントリーしています。

最初は恐々と食べられていましたが美味しかったようで完食されました。そしてネオンに行く前に両替をしたいとの事なので、「両替はどこで?」で書いた通り、幸いタイで両替に最も適した地がすぐ近くです。時間が遅くてオレンジと緑のスーパーリッチは閉まっていましたが、青のスーパーリッチが開いていました。

20180410 Super Ritch

両替の行き帰りにセンセープ運河を渡りますが、日没直前で一日の労働を終えた方々が帰宅の足で運河ボートを使われています。船着場が山手線のラッシュアワーのホームのように混雑しているのが分るでしょうか? 若者達は驚かれていましたが、(旅行者には非推薦ながら)私が日常的に使う足でもあります(笑)

20180410 Pratnam 2

さてやっとナイトマーケットのネオンです。場所はペッブリー通りに面してパラディウムの東です。私的にはバンナー方面から高速経由の路線バスが一般道に出てすぐ通るので、週に一度は必ず目の前を通りますが・・・夜はまず出歩かないので一度も入った事はありません。それも若者たちにお節介して付き合った理由の一つです。

20180410 Neon 1

2016年末頃のオープンだったと思います。それまでは空き地を駐車場としてまとまりなく露天商が出ていた記憶があります。都心部の場所柄から観光客目当ての庶民のナイトマーケットではないのは明らかなので、私が好きなマーケットではないのですが、とにかく一度は入りたかったので良い機会でした。

20180410 Neon 2

ネオンに行くまで何軒かの屋台の前を通り、マンゴーなど果物に反応されていました。食べたかったのですが、怖くて今まで食べられなかったようです。タイに来て豊富な果物を食べないと帰るのは罪です(キッパリ) 早々にネオンで食べる事にしました。

20180410 Neon 3

マンゴーはこの時ちょうど旬で安いとキロ30バーツ台後半から買えます。今はちょっと上がって帰路45バーツ以下は無理かも、私は今も毎日マンゴー1個を食べています。

実は・・・ここまでの色々な話をしてちょっと若者たちが心配になっていました。十分に楽しまれていますが、もっと楽しいタイなのに・・・そんな思いがして、少しだけ背中を押してあげたかったのです。もちろん無理強いせずに私が一緒に居る事で挑戦しやすいように考えたのです。

20180402 NM 1

色々な話をしましたが・・・詮索するような事は意識して避け、名前など個人的を一切聞きませんでした。ただハッキリ言えるのは、この若い二人に好感を抱いた事です。タイで一緒の時ぐらい応援したいような・・・

そこでネオンの後にタラート・ロットファイまでお連れするので、時間と場所を決めてしばらくしたらまた会う事を提案しました。ナイトマーケットの中までオッサンが一緒するのは気の毒ですしね。

20180402 NM 2

さてネオンですが、一般的には木曜(あるいは金曜)から日曜までの営業が多い中、水曜日も営業しているのは間違えありません。実体験で試したわけではないのですが、月曜は休みで火曜日はちょっと分かりません。オープン時間は意味なく日暮れから真夜中ぐらいでしょう。よく時間を書いているネットがあるかと思いますが、明るいうちに行っても閉まっている店が多いと思います。

20180410 Neon 5

特徴は都心部にある事、その為に観光客が多くざっと見てタイの方々と半々ぐらいでしょうか。

20180410 Neon 4

ナイトマーケットの構成はペッブリー通りから見て右側(東)が飲食店で、左(西)が衣料雑貨の店です。そして奥(北)にBarのように飲む所があります。

20180410 Neon 6

20180410 Neon 7

ナイトマーケット・ネオン・・・庶民が一日の終わりに食べたり店を冷やかす市井のナイトマーケットではないものの、観光用ナイトマーケットだけの感じでもなく、当たり前ながら半々の感じ。都心部に滞在の方々が夜にあまり近郊まで出かけたくない場合は選択肢の一つに十分になるでしょう。

20180410 Neon 8

さて、ネオンで無事合流し次に向かう事にします。三人なのと私が一緒なのでタクシーで向かう事にします。プラトゥナームからラチャダーまで普通なら60バーツ前後でしょうから、(私はどこへ行くにもバスですが)人数があれば路線バスを使う必要がありません。この日は渋滞していて90バーツちょっとでしたが・・・

ラチャダピセーク通りの「エスプラネード Esplanade」前でタクシーを降りて、エスプラネードの1階を通って近道です。「タラート・ロットファイ・ラチャダーRot Fai Night Market Ratchada」・・・来た事がありますが3年ぐらい前の事です。私は本店とも言えるタラート・ロットファイ・シーナカリンがアパートから歩いて行けるので、あまり来る事はないのです。

20180410 Rotfai 1

いやぁ、混んでいますねぇ~ 本店(くどい?)のシーナカリンが木曜~日曜のオープンなので少し不安でしたが、ここも水曜日に開いていました。そして都心部で地下鉄から徒歩数分ですので、タイの方々、在住の外国人、観光客と客層も広く賑わっています。

シーナカリンが遠くて不便だとラチャダーにも出来た直後はスカスカだったのですが、以前に比べて出店の密集度がかなり上がっていました。

20180410 Rotfai 2

ここなら若者たちも時間がいくらあっても足りないぐらい楽しめるでしょう。そして、タラート・ロットファイからは地下鉄が目の前なのでお二人だけでも移動は簡単でしょう。私も安心して別れられます。

夜に出歩く事が全くない自分、タイでは人付き合いを意識して避けている自分・・・そんな私にとって、偶然出会った若者と数時間過ごしたバンコクは、熱帯の夜には珍しく爽やかな風が流れたと感じていました。

見ず知らずの娘や息子のような・・・いや、孫でもおかしくない若者たちですが、その後もしばらく楽しまれているのか、お腹を壊していないか、無事に日本へ戻ったのか・・・そんな事を気にしてばかりいました。

20180410 Map

最後に今までエントリーしたナイトマーケットは以下の通りです。

タラート・ロットファイ 4
スワンナプーム・ナイトマーケット
リアブドゥアン(高速道路沿い)・ナイトマーケット
カセートナワミン・ナイトマーケット
サイアム・ジプシー・ジャンクション
スアンルム・ナイトバザール
タラート・ロットファイ・シーナカリン
ラムカムヘン大学前・ナイトマーケット
ナイトマーケット JJグリーン
タラート・ロットファイ・ラチャダー

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2018.04.10 | コメント(7) | マーケット

トンブリー王朝の面影を探し26 バンコクノイ散策③

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はバーンブ地域の迷路のような路地を歩き、この地区にアユタヤから移り住んだカンノンヒーンと呼ばれるブロンズ製器の職人集団の痕跡を見ました。

20180327 BB 6

実はこの小さな旅は昨年末にしていますが、最近の旅でアユタヤを歩いた時があって、その時にアユタヤ時代のブロンズ器を「チャンタラカセーム国立博物館 Chantharakasem National Museum」で見ました。

20180408 Museum 1

説明文が「アユタヤ時代の銅器」としかないので、博物館の係員に色々聞いたのですが、まさかのゼロ回答でした。英語もほとんど通じないしアルバイトかな?(苦笑)この博物館の性質とアユタヤの特徴から、王室関係者の所持品で海外から持ち込まれた物かも知れませんねぇ~

さて、話を現在のトンブリーに戻して・・・

空も狭く見える細い路地を抜けて「トンブリー機関車整備場Thonburi Locomotive Garage」に出ました。

20171120 Thonburi 13

現地の説明板によると、南本線の起点駅だった今は無い「バンコクノイ駅 Bangkok Noi St.」と一緒に造られたそうです。この駅は度々本ブログで登場していますが、トンブリー駅から800mほど離れたバンコクノイ運河とチャオプラヤー川が合流する角にあった終着駅でした。

20171207 Thonburi 10

上の古い写真を見ると左上の角にトンブリー機関車整備場が写っています。別な(バンコクノイ博物館で撮った)写真を見ると・・・トンブリー機関車整備場には転車台があったのですねぇ~

20180408 BN 1

画像上では上部にバンコクノイ運河、そして今も見える給水塔も写っています。1903年の開業(バンコクノイ駅~ペッチャブリー駅間)の後はドイツ製蒸気機関車が走っていたのではないかと思いますが、第2次世界大戦をきっかけに日本製蒸気機関車が主流となりました。画像下はJesada Technik Museumのドイツ製蒸気機関車です。

SLC 184

ここでは特にバンコクノイ駅を起点とした泰緬鉄道を思わずにはいられません。ビルマ戦線への物資輸送の為に戦時中の1942年に建設開始し、戦局悪化の中での難工事に連合国捕虜も含めて人海戦術で強引に建設され1943年の完成です。しかし、完成後も何度も爆撃を受け多くの人と蒸気機関車も犠牲となりました。映画「線上に架ける橋」は有名ですね。画像下はアユタヤのバーン・オランダで撮った写真です。

20180408 Museum 2

またバンコクノイ駅はタイ映画やドラマの『クーカム』(メナムの残照)の重要な舞台になっており、連合軍により爆撃されるシーンも出て来ます。そんなビルマ戦線の時代さえ思い起こさせる地でもあります。

20180408 BN 2

これも現地説明板によるとタイ最後の5両の蒸気機関車(the last five stem locomotives in Thailand)が整備されているそうです。全て日本製でC56型がタイ国鉄での番号で713と715番、パシフィック型が824と850番(画像下)、ミカド型が953番で5両です。

20180408 BN 3

私は人(なかでも日本人)が多く集まる華やいだ所が苦手なので見に行った事はありませんが、記念日などにタイ国鉄が蒸気機関車を走らせていて、ファランポーン~アユタヤ間はパシフィック型だと思います。カンチャナブリー方面はC56と思っています。画像下は713番(C56 15)で、その後方もC56だと思います。

SLC56 183

このC56型に関しては最近別なエントリーでも買いたいのですが、1941年末に軍事供出されて90両 (C56 1~90) がタイとビルマに送られ、あの有名な上記の泰緬鉄道の主力機関車として使われました。トンブリー機関車整備場では動態保存ですが、タイ各地で静態保存のC56を見る事が出来ます。

画像下はタイ映画博物館の「C56 47(738)」でその下はファランポーン駅の「C56 16(714)」です。

20180331 Film Museum 6

SLC56 182

そして、戦火を越えた2両のC56が日本へ戻されました。「C56 31」は靖国神社の遊就館で出征帰還の機関車として静態保存されています。「C56 44」は大井川鐵道で「きかんしゃジェームス号」として動態保存されています。

SLC56 181

ミカド型の950番は今は無いタイ国鉄南本線の終着駅だったバンコクノイ駅跡に静態保存されています。目の前がチャオプラヤー・エクスプレスの船着場で「N11 右岸 ロットファイThonburi Railway」英語表記を訳すと「トンブリー・鉄道駅桟橋」ですねぇ~

20171207 Thonburi 7

さて、この機関車整備場は2回ほど行って最初は野犬に追われて近づけませんでした。2回目はそのトラウマで遠くから見ただけなのが残念です。整備場が特に立ち入りを禁止しているようには見えないので、作業の方に頼めばかなり近くで見られるように思うのですが・・・

その機関車整備場から延びる線路の一つは広く荒れた地に消えていきます。終端線路の先に建つのが大きなシリラート病院のビルで、バンコクノイ駅跡に建てられました。

20171207 Thonburi 3

さて・・・なかなか終わらない本シリーズですが、次回は本当に最終回です(たぶん・・・)。バンコクノイ運河をアルンマリン橋で渡り、運河の北側からピンクラオ橋に向かいます。

20171207 Thonburi 5

20180327 Map

「トンブリー王朝の面影を探し」シーリーズの今までのエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し1 その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し2 城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し3 城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し4 城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し5 城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し6 城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し7 次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し8 傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し9 ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し10 モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し11 モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し12 タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し13 王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し14 タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し15 非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し16 ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し17 バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し18 バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し19 路地歩きが楽しいエリア
トンブリー王朝の面影を探し20 バンコクヤイ運河の終端
トンブリー王朝の面影を探し21 チャックプラ運河
トンブリー王朝の面影を探し22 バンコクノイ博物館
トンブリー王朝の面影を探し23 ワット・スワンナラム
トンブリー王朝の面影を探し24 バンコクノイ散策①
トンブリー王朝の面影を探し25 バンコクノイ散策②

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2018.04.08 | コメント(2) | バンコク街歩き

こんな所に日本製蒸気機関車が@映画博物館

数日前(2018年3月28日)ですが、BMTA(バンコク大量輸送公社)管轄路線バスにおいて新型車両が実運行に投入された事を確認しました。

Bu138New Mochit

現在は以下の7路線への投入ですが、投入台数が一番多いのは138番でほとんど切り換えたように思えます。一方、141番は10台と車両の一部が切り換えられた印象です。

 20 ターディンデーン~プラサムットヂェーディ 15台
 21 ワット・クサーン~チュラロンコーン大学 15台
 76 サメーダム~ルンピニー公園 10台
105 マハーチャイ・ムアンマイ市場~ウォンウィエンヤイ 25台
138 プラプラデーン~北バスターミナル 30台
140 サメーダム~ラマ2世通り~戦勝記念塔 25台
141 サメーダム~サイアム(MBK) 10台

「上海申龍客車(通称;申龍)」製の車両で、一年以上前ですが489台中第一回納入87台と第2回納入99台がアセアン製(マレーシア)とならずに差し押さえられた過去を持つ車両と同型です。その時は長く荷揚げされた車両はレムチャバンなどで野ざらしになっていましたが、その後どうなったのか?

その差し押さえされた車両か別車両なのか?までは分かりませんが、同型車両は本年2018年1月にBMTA管轄ではない新たな民営化路線としてR26E番ですでに使われています。

Bus R26E Outside

すでに何度もこの車両に乗っていますが、私的には好きな車両ではないのでこの車両が増えるのはちょっと・・・

嫌いな理由はサスペンションが硬過ぎるのと座席数が少なく、またその座席も全て位置が良くない事です。バリアフリー(それ自体は当然良い事ですが)を意識し過ぎての変な造りなったのだと思います。

この民営化新路線は2018年1月にR26E番と同時にY70E番もスタートする予定だったのですが、その時に車両が1台しかなくて営業開始出来ませんでした。1ヶ月以上経った2018年3月になってやっと通常運航になり、前回その全容をエントリーしたばかりです。

BusY70E Mochit

このY70E番の車両は私的には気に入っているのですが、ミニバスで21席がぎっしりと設置されているので立ち席が出るとどうなるのか? いずれにしても新型車両が多く投入されるのは歓迎です。

さて、前置き話はこれぐらいで本題に入りましょう。

この民営化新路線であるY70E番に何度か乗ったので、久しぶりにバンコク都西のナコーンパトム県サーラーヤーに行く事になりました。

その時に、今まで全く気付かなかった事に出合ったのです。それが今回のお題の「映画博物館Thai Film Museum」です。

20180331 Film Museum 1

ここは前もって情報を得て意識して行かないと・・・なかなか気付かないですねぇ~ 2016年にすぐ前を何度か歩いてはいるのですが(汗) 近くのラーチャモンコン工科大学関係者か私のようにバスの終点まで乗りたい人以外には用はないし、周囲は殺風景な郊外の幹線道路沿いそのものですから。

20180331 Film Museum 2

画像上の白く曲線が特徴のビルがある敷地が「ラーチャモンコン工科大学ラッターナコシン校サーラーヤー・キャンパスRajamangala University of Technology」で、ここが路線バスY70E番515番サーラーヤー~戦勝記念塔)の起点(終点)になります。この大学入口の北300mが映画博物館入口です。

20180331 Film Museum 3

画像上のように見て分かるような施設の入り口がなく、あらためて見ても何かのお店の駐車場みたいな感じがします。ただ・・・よく見れば、絶対に私が素通り出来ないアレが見えていますねぇ~(笑)

20180331 Film Museum 4

そのアレとは・・・日本製蒸気機関車C56の「C56 47」が映画のセットのように置かれているのです。C56は戦前の1935~1939年に日本で160両生産された小型軽量の蒸気機関車です。

Film Museum 182

1941年末に軍事供出されて90両 (C56 1~90) がタイとビルマに送られ、あの有名な「泰緬鉄道Thai-Burma Railway」の主力機関車として使われました。運転台横には738と番号が記されていますが、46両がタイ国鉄700形 (701 - 746) として登録されています。

20180331 Film Museum 6

映画「線上に架ける橋」で有名になりカンチャナブリーへご旅行される日本人も多いかと思うのですが、泰緬鉄道はビルマ戦線への物資輸送の為に戦時中の1942年に建設開始した多くの不幸な話がある鉄道です。

20180331 Film Museum 5

戦局悪化の中での難工事に連合国捕虜も含めて人海戦術で強引に建設され1943年の完成です。しかし、完成後も何度も爆撃を受け私的にはこの鉄路とそこを走った蒸気機関車には悲しい思いがどうしてもしてしまいます。ここでは映画博物館らしくシネマ駅の設定で駅舎もセットになっていますねぇ~

20180331 Film Museum 7

C56に関して興味深い話があります。タイに送られ無事戦後を迎えたC56の中で2両が日本へ戻されました。C56 31は靖国神社の遊就館で静態保存されていますが、出征帰還の機関車ですね。そしてC56 44は大井川鐵道で動態保存されていますが・・・「きかんしゃジェームス号」になっちゃいました(汗) (画像下は大井川鐵道サイトから拝借です)

SLC56 181

タイではここ以外にバンコク中央駅ことファランポーン駅にも静態保存されています。中央駅を出た列車で進行方向左を見ているとホームを離れてすぐ見えるはずです。12番線の先で歩いても見に行けます。これはC56 16(タイでは714)ですねぇ~

SLC56 182

また泰緬鉄道の起点駅だったバンコクノイ駅(今はありません)近くのトンブリー機関車整備所には2両が動態保存されています。画像下は他の機関車の後方なので見難いですが、C56 15(713)です。煙(たぶん蒸気かな)が出ている気がしますが・・・

SLC56 183

まだまだタイの蒸気機関車に関しては裏話があって、映画博物館にあるC56 47は以前エカマイの科学教育センター敷地内に放置されていた蒸気機関車に思えるのです(未確認)。「科学教育センター」にも書いていますが、3年前に行ってその時無かったので館内事務所で尋ねたのですが、『数年前に列車関係はナコーンパトムへ移動した。詳細は知らない』と言われていました。

C56でも日本製でもありませんが、このサーラーヤーからソンテウで行ける乗物博物館ことJesada Technik Museumにも古い蒸気機関車が放置されています。日本製蒸気機関車がタイで使われる以前はドイツ製が主だったようですが、ドイツ・ハノーファーの蒸気機関の会社Hanomag製です。「ナコーンパトム⑥野犬が守るYS-11国産旅客機」からたどれます。

SLC 184

乗物好きな方はこうした古い蒸気機関車を訪ねてナコーンパトムへ行くのも良いかも知れません。

さて話を映画博物館に戻しましょう(汗)

敷地内は映画撮影のセットのようになっています。また街角に映画に関係した人々をモチーフとした像があります。映画通なら(私は映画を観るのが好きなだけ)きっと謂れがお分かりでしょう。

Filum Museum 181

20180331 Film Museum 8

中の説明を読むと「タイ王国文化省芸術局The Fine Arts Department」の下部組織として「フイルム・アーカイブFilm Archive」は1984年に設立されたそうです。組織名から想像するにタイ映画の保存活用が目的だったのでしょう。それがサーラーヤーに移されたのが1990年だそうです。

20180331 Film Museum 9

20180331 Film Museum 10

サーラーヤーに移された後に「タイ・フイルム・ミュージアムThai Film Museum」となったようですが、今の姿になったのはそれほど昔の事ではないでしょう。

20180331 Film Museum 12

敷地内には平日も入れますが、中の施設は土日祝以外は入れない部分もあります。私は平日に行きましたが、敷地内で結婚式もあって建物内部にはほとんど入れませんでした。また、実際に観客を入れて映写される映画もあるようです。きっとそれを楽しみな方もおられるのでしょう。

20180331 Film Museum 11

さて行き方ですが、以下の路線バスでアクセス可能です。お勧めは本数が多い515番で余計な所を通らず、ルート上の渋滞発生も戦勝記念塔周辺だけなので70~90分で戦勝記念塔から行けるでしょう。23バーツです。

モーチット駅から民営化新路線Y70Eは本数が若干少ないですが高速経由なので乗車時間は最短でこれもお勧めです。45バーツです。

エアコン車は行先を告げますが『サーラーヤー』と何度か言えば通じるはずです。

 84n サーラーヤー~BTSバンワー駅~ウォンウィエンヤイ
124 サーラーヤー~新南バスターミナル~王宮広場
388 サーラーヤー~パークレット
515 サーラーヤー~新南バスターミナル~戦勝記念塔
547 サーラーヤー~ペッカセーム通り~ラマ3世橋~ルンピニー公園
Y70E サーラーヤー~新南バスターミナル~高速経由~モーチット駅

20180331 Map 2

20180331 Map 1

さて、バンコク都とその周辺県の多くの博物館を訪れていますが、過去の博物館だけのエントリーは以下の通りです。

バンコクノイ博物館
グディ・ジーン博物館
バンランプー博物館
ジェッサダ・テクニック・ミュージアム(乗り物博物館)
ナショナル・メモリアル
バンコク水族館
花文化博物館
蓮ミュージアム
海軍博物館
タイ空軍博物館と航空公園
空軍博物館1
科学教育センター
王室御座船国立博物館
サイアム・ミュージアム
ラッタナーコシン博物館
国立博物館(ナショナル・ミュージアム)
バンコク・フォーク・ミュージアム
カムティエン・ハウス博物館
切手博物館

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2018.03.31 | コメント(4) | 博物館・パーク等

トンブリー王朝の面影を探し25 バンコクノイ散策②

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はトンブリー駅からバーンブ地域と呼ばれるエリアを訪ね、古い薬局や梁が無い特徴的な造りのワット・トン市場(ライカーン市場)にも行って、この地域の特徴について書きました。

20180321 BN 11

20171203 Thonburi 1

20180321 BN 6

興味深い所が多いトンブリー地区でも、このバンコクノイ運河沿いの「バーンブ地域Ban Bu Community」は特に好奇心を刺激してくれます。

それは、地域の特徴が最も現れている「カンノンヒーンKhan Long Hin(Stone Polished Bronze BowlsとかStone Finished Bowls)」と呼ばれるブロンズ製(青銅)の職人集団が住んでいた事でしょう。

20171120 Thonburi 8

現地の説明板に寄ると、アユタヤから移り住んだカンノンヒーンの職人集団はバーンブ地域でその仕事を再開したそうです。当時このエリアのほとんどの家々にブロンズを作る仕事場(工場)があったと記されています。

20180327 BB 1

それが現在は一か所だけ残っていて、ブロンズ工房の「Jiam Saeng Sajja Bronze Factory」がまだ活動を続けています。そこへ向かいましょう。

まずバーンブ地域の中心となっているワット・トン市場から運河に沿うように細い路地を東に向かいます。

20171120 Thonburi 4

非常に狭いエリアなので1~2分も歩くとブロンズ工房に着きます。まるで迷路のような路地奥ですので、意識して歩かないと通り過ぎてしまいます。

20180327 BB 2

実はこのエリアは2006年1月に火事で35軒が焼けています。この工場も完全に焼け落ちたと聞いたのですが、火災後に活動を再開したようです。ただ、私が訪れた時は工場の作業自体は行われていませんでした。

20180327 BB 3

20171120 Thonburi 9

たまたまお休みだったのか、ブロンズを作る工程がここでは行われていないのかは分かりません。ただ、行程の説明は現場のパネル板にあったので興味深く学ばせていただきました。

20180327 BB 4

全て手作業で作られるブロンズですが、現場でのパネル説明を簡単にまとめると次のような工程になります。日本語訳は私が勝手に推測した内容も含むので専門家が見ればおかしいのかも知れませんが、ご勘弁を。

1、Heating and knocking(加熱と叩き)
2、Shaping up(整形)
3、Lathe(旋盤)
4、Filingh(やすり仕上げ)
5、Polishing(磨き)
6、Final Shine(光沢だし)

いずれにしても暑いタイで熱を使っての作業をするには、過酷過ぎる環境ですねぇ~ 実際に作業が行われていたとしても、とても私には見続けられなかったでしょう(汗)

20180327 BB 5

工場内に冷房が効いた事務所があってブロンズ製品が展示されていました。中に入って見せて頂いていたのですが、ガイドに連れられたドイツ人ご婦人方が来訪されました。こうしたブロンズにご興味があるのか、いくつか買いそうな雰囲気です。上客の対応に忙しくなったので私は退散しましたが、出来れば価格を聞きたかったものです・・・

20180327 BB 6

さて、路地に戻って・・・さらに路地を東に向かいます。後でGoogleMapsを見ましたが、地図になっていない路地です。私は知らない地で方向感覚と脳内地図を頼りに手ぶらで歩く日々なので、(野犬とどんな所でも走るバイク以外は)不安はありませんが、スマホや地図が無いと歩けない方は要注意です。

20180327 BB 8

路地の中で今度は「バーンブ・コレクション・ステンレスBan Bu Collection Stainless」なる建物がありました。閉まっていたのでコレクションを展示しているのか、工房なのかは分かりません。

20180327 BB 7

例によって説明板を読むと・・・ここも以前はカンノンヒーンの工場だったそうです。それが第2次世界大戦後にカンノンヒーンの技術を使い、材料をブロンズからステンレスにして製品を作ったそうです。日本語だと何と言うのか?「打ち出し」でしょうか?ハンマーで叩きながら製品を作り出す手法のようです。

さらに路地をチャオプラヤー川がある東に向かってあるくと、今度はこの路地の似合わない近代的?な建物が現れました。「バーンブ・パビリオンBan Bu Pavilion」です。パビリオンとは仮設建築物の意味があり、展示館などにも使われるのですが、ここは外から見る限り(この地区ではお洒落な)集合住宅のようです。

20180327 BB 9

ここの説明板は何度読んでも具体的な事が書いていないので、中身がないのですが・・・バンコクでは大富豪がこうしたパビリオンを建てて貧しい人達を住まわせる事がよくあるそうです。お寺に関してとか、財産の価値を上げる等の説明がありますが、私には理解できませんでした。こうしたパビリオンがこのバーンブ地区には多く、ここもその一つのようです。

読解力がなくて、うまく説明できずに、すいません。

20180327 BB 10

路地の中を歩けば1分毎に色々現れる狭いエリアですが、さらに東に向かい歩きます。路地の中では狭い空ですが、少し開けた所でトンブリー機関車整備所の給水塔が見えました。そろそろ路地を抜けそうですねぇ~

20180327 BB 11

路地を抜けた所が「トンブリー機関車整備場Thonburi Locomotive Garage」でした。路地側から行くと突然目の前に現れる感じです。画像下で右が路地の入口です。

20180327 BB 12

20171120 Thonburi 13

長くなったので、また次回に続きます。次回はトンブリー機関車整備所から始めますが・・・いよいよこのシリーズも終わりに近づいてきました。

20180327 Map

最後に、「トンブリー王朝の面影を探し」シーリーズの今までのエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し1 その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し2 城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し3 城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し4 城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し5 城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し6 城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し7 次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し8 傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し9 ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し10 モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し11 モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し12 タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し13 王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し14 タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し15 非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し16 ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し17 バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し18 バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し19 路地歩きが楽しいエリア
トンブリー王朝の面影を探し20 バンコクヤイ運河の終端
トンブリー王朝の面影を探し21 チャックプラ運河
トンブリー王朝の面影を探し22 バンコクノイ博物館
トンブリー王朝の面影を探し23 ワット・スワンナラム
トンブリー王朝の面影を探し24 バンコクノイ散策①

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2018.03.27 | コメント(0) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し24 バンコクノイ散策①

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はワット・スワンナラムを訪れました。アユタヤ時代に建立されトンブリー王朝時代にはビルマ兵の捕虜収容所や処刑場に使われましたが、現チャックリー王朝になってからは何度か修復され、その壁画など見るべきものが多いお寺です。

20171209 Thonburi 1

ワット・スワンナラムを後にして、古い木造家屋が並ぶ路地を歩き運河とは反対方向になる南に向かって歩きました。

20180321 BN 1

人がやっと歩けるような細い路地を行くと・・・いきなり線路に出ます。タイ国鉄南本線で起点であるトンブリー駅を出たばかりの線路です。

20180321 BN 2

住宅が密集するバンコクでは線路と人の生活エリアが密接しています。正しくは密接と言うよりかぶっている所も多くあります。マハーチャイ線はほぼ全線で、南本線ではトンブリー駅からタリンチャン駅までがこうした感じです。

20180321 BN 3

ちょうどトンブリー駅を出た列車をやり過ごしてから、線路沿いを歩いて「トンブリー駅Tohonburi St」に向かいました。

20171207 Thonburi 1

タイ国鉄南本線は1927年開通のチャオプラヤー川上流に最初に架かったラマ6世橋の開通で、チャオプラヤー川左岸(東側)に渡り多くの列車がファランポーン駅発になりました。ただ、正式にはまだトンブリー駅が南本線が起点となっています。

20171207 Thonburi 11

タイ国鉄の距離表を見るとトンブリー駅は起点駅から0.87kmとなっており「Distance measured from defunct Bangkok Noi (old Thon Buri) Station」とあるので、まだ「バンコクノイ駅Bangkok Noi St.」は国鉄距離表の中に生きているのですねぇ・・・

20180321 BN 11

バンコクノイ駅はバンコクノイ運河がチャオプラヤー川と合流する所にありました。2003年だったか?敷地をシリラート病院に明け渡し現在のトンブリー駅へ移ったのです。15年ほど前の事なので読者の中にはバンコクノイ駅を知る人も多いかと思います。

20171207 Thonburi 10

さてトンブリー駅の先にある「トンブリー機関車整備場Thonburi Locomotive Garage」はこの後で行くので、駅の西側でまたバンコクノイ運河に向かって路地に入ります。2~3分も歩けば古い薬局にたどり着きます。

20180321 BN 4

今でも現役で営業中の薬局「Sanguan-Osot」です。こうした薬局を見ると中に入って「写真を撮らせて下さい」と頼まずにはいられません(苦笑)

20171203 Thonburi 1

前回エントリーのバンボーでも古い薬草・漢方店を見つけ、写真を撮らせてもらいましたが、その店は漢字が残っていました。トンブリーのこの店はタイ語だけですねぇ~

Bang Bo 181

実は、まだエントリーしてないのですが、長い間バンコク都と周辺県であらゆる所を街歩きをして最も気に入っている所があります。日本や英語でのネットでは間違いなく書かれた事がないでしょうし、タイ人でも知る人は非常に少ないでしょう。そろそろ書いても良いかと思い始めているのですが・・・そこにも古い薬屋さん(画像下)があって、中での作業まで見せてもらっています。

20180321 LP 1

話をトンブリーに戻しましょう(汗)

この古い薬局があるのが「ワット・トン市場Wat Thong Market(ライカーン市場Rai-Kan Market)」です。前回に書きましたがワット・トンとはワット・スワンナラムの以前の寺名で、地元の方々はタラート・ライカーンと呼ぶそうです。

20180321 BN 5

タラートが市場の意味なのは本ブログ読者なら誰もが知る事でしょう。「ライカーンไร้คาน」は英語にすると「ビームBeam」です。ビームって、ウルトラマンが腕を縦と横に交差させて出すビーム(光線)の意味もあるのですが(笑) 建設構造上では「梁(はり、りょう)」を意味します。

20180321 BN 6

(旗が邪魔ですが)画像の屋根の部分が非常に特徴的なのがお分かりになるでしょうか?地面から垂直に立てた柱と柱の間を横に繋げて強度を保つ「梁」が無いと言うか・・・屋根の形に合わせたようなカーブした梁で屋根を支えています。これを梁と呼ぶのか分かりませんが・・・

20180321 BN 7

いずれにしても、この特徴的な屋根の構造で天井が解放された市場の空間を造っています。いつからこの市場が利用されたのか定かではないようですが、現地での説明板では80年以上の歴史はあるようです。

20180321 BN 8

この市場の南側はバンコクノイ運河に面していますが、他の三方は車もアクセス出来ないような狭い路地ばかりです。その為か水運中心から陸運中心となった現在では市場としての機能は少ないようです。それでもここが今も残っているのは・・・きっとこの地域が持つ歴史と人々が必要としているからでしょう。

20180321 BN 9

その地域と人々は「バーンブ地域Ban Bu Community」と呼ばれています。現地説明板に寄ると・・・トンブリー王朝後のチャックリー王朝はラッターナコシンをアユタヤを真似るように街造りをしたそうです。

20180321 BN 10

アユタヤが川で囲われた地であった事から、王宮などがあった中心部を堀とチャオプラヤー川で囲い「ラッターナコシン島」と呼んだ事はよく知られていますね。職人など専門職が集まった地域を造り、そこをアユタヤ時代と同じ名を付けたそうです。日本でも同じような地名がありますよねぇ~ 鍛冶屋町みたいなイメージだと思います。

20171120 Thonburi 4

今はそうした地域が少なくなりましたが、このエリアにはそうした特徴がまだ一部残っているそうです。だからこそ市場の機能は薄れてもタラート・ライカーンは大切に残されているのでしょう。

20171120 Thonburi 8

バンコクノイ運河のワット・スワンナラム側でタラート・ライカーンを中心としたバーンブには、「カンノンヒーン ขันลงหิน Khan Long Hin(Stone Polished Bronze BowlsとかStone Finished Bowls)」と呼ばれるブロンズの器を作る人達のコミュニティーがあり、今でも一か所だけですがその工場を見る事が出来ます。

さて・・・どんどん深みにハマるようにトンブリー地区を街歩きして長く経ちますが、次回はブロンズ工房とトンブリー機関車整備場へと向かいます。

20180321 Map

最後に、「トンブリー王朝の面影を探し」シーリーズの今までのエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し1 その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し2 城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し3 城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し4 城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し5 城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し6 城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し7 次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し8 傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し9 ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し10 モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し11 モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し12 タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し13 王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し14 タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し15 非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し16 ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し17 バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し18 バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し19 路地歩きが楽しいエリア
トンブリー王朝の面影を探し20 バンコクヤイ運河の終端
トンブリー王朝の面影を探し21 チャックプラ運河
トンブリー王朝の面影を探し22 バンコクノイ博物館
トンブリー王朝の面影を探し23 ワット・スワンナラム

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2018.03.21 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し23 ワット・スワンナラム

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はスワンナラム高校内にある教室の一室を使ったような「バンコクノイ博物館Bangkok Noi Museum」を紹介しました。博物館と書いていますが実態は郷土資料館で、管理人も居ない時が多くなかなか入れません(笑)

20180307 BN 8

ここからバンコクノイ運河沿いにチャオプラヤー川に向かって歩きますが、実は街歩きをする中で画像下のような「バンコクノイ散策道」(勝手に名付けました)の案内図を見かけました。

20180315 Map 1

実は、今回のトンブリー地区の街歩きの中で多くのこうした散策案内図を以下の様に見かけました。タイの人々にとっても街歩き、路地歩きをするのに面白い所なのでしょう。

グディ・ジーン
20180315 KC

グディ・カオ
20180315 KK

タラート・プルー
20180117 TP 4

バーンルアン
20180210 BL 13

これらはほとんどがタイ語のみで小さな画像では読み取れないでしょうが、ご安心ください。こうした案内図に書いてある所は全て本ブログで書いていますし、それ以上を紹介していますから(苦笑)

多くの散策道があるトンブリー地区ですが、結論から言えばここまでこのブログを通して読まれている方なら是非訪れたい地であると言えます。そこは今までのように歴史的な意味合い、運河沿いの風情、庶民の暮らし・・・と言った意味ではなく、変化に富んでいるからです。

20180307 Map

さて、バンコクノイ博物館がある高校のすぐ裏、バンコクノイ運河よりが「ワット・スワンナラムWat Suwannaram」です。

20180307 BN 11

私がこの寺を知ったのはトンブリー王朝の面影探しの街歩きをするずっと前の事で、バンコクの図書館で読んだタイ文化の英語の本でした。

20180315 Suwannaram 1

その本にはこの寺の壁画の価値について述べられていました。それが最初に訪れたきっかけとなり、トンブリーの街歩きに中でも数回訪れています。

20180315 Suwannaram 2

本堂はいつ訪れてもお参りの方が数人いるかいないかなので静けさの中でゆっくり出来ます。本堂仏像の背面と両側は一般的によく見られる壁画内容で仏陀の一生などを描いたものと思われます。

20180307 Suwannaram 4

興味深いのは入口がある壁に描かれている内容です。モチーフは仏陀と煩悩の化身マーラとの闘いだと思うのですが(たぶん)、それが時代を反映してか、何かを表現したかったのか、西洋人と思われる顔つきに様相、そして人々の生々しい暮らしすらも見えて来るのです。

20171209 Thonburi 1

壁画は傷みもあるし上の方は角度も悪く見難いのですが、不思議な事にじっくりと何度も見ていると・・・物語まで見えて来るのです。

20180307 Suwannaram 3

ワット・スワンナラムはアユタヤ時代に建立され当初は「ワット・トンWat Thong」だったそうです。この「トンทอง」はタイ語で黄金の意味になり、地名にも使われる事があるのでパターン認識しています(汗)。ワット・トンはワット・スワンナラムのすぐ横を流れる小さな運河の名となって今も残っています。

20171120 Thonburi 1

トンブリー王朝時代はビルマ軍捕虜の収容所だったとか、処刑場だったと言われています(バンコクノイ博物館の係員説明)。今までトンブリー王朝の面影を探しながら街歩きをして来ましたが、旧王宮エリアを囲った城壁の外側で位置的にもそれが頷けます。

20180307 Suwannaram 6

そしてワット・スワンナラム前にはバンコクノイ運河が流れ、タークシン王廟がここにもありました。このバンコクノイ運河はチャオプラヤー川の元流でしたが、この寺が建立された時にすでにショートカットが掘られていたのではないかと思われます。

20180307 Suwannaram 5

現チャックリー王朝になってからワット・スワンナラムと名が変わり、何度か改修もあったそうです。ここお寺で見るべき三階建ての鐘楼は中国式と現地説明にあるのですが、ちょおとその意味が私的には不明です。ラマ3世の私的好みでこんな形になったようです。

20180307 Suwannaram 7

さて、次回からは冒頭に書いたバンコクノイ散策道に従っての路地歩きになります。

20171120 Thonburi 3

最後に、「トンブリー王朝の面影を探し」シーリーズの今までのエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し1 その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し2 城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し3 城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し4 城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し5 城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し6 城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し7 次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し8 傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し9 ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し10 モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し11 モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し12 タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し13 王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し14 タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し15 非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し16 ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し17 バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し18 バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し19 路地歩きが楽しいエリア
トンブリー王朝の面影を探し20 バンコクヤイ運河の終端
トンブリー王朝の面影を探し21 チャックプラ運河
トンブリー王朝の面影を探し22 バンコクノイ博物館

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2018.03.15 | コメント(0) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し22 バンコクノイ博物館

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回まではチャックプラ運河とバンコクノイ運河が合流する所まで書きました。長かったトンブリー王朝の面影を探しながらの街歩き、それもやっと最終章に近づいてきました。

20180222 Map 1

今回からはバンコクノイ運河沿いを歩き、この旅の始めに歩いた旧王宮エリアの北端に向かいます。

最初に地図ばかりになって恐縮ですが、今回街歩きする所は以下の地図の通りです。このルートの半分はGoogle Mapsをいくら拡大しても現れない路地です。

好きなトンブリーの路地なので、最後に行き着くまで何回のエントリーが必要か分かりません。それで最初に全体像を地図で示すのです。

20180307 Map

バンコクノイ運河の北側は別シリーズとして「チャオプラヤー川元流を歩く(仮)」で書くつもりでいます。今までエントリーをして来たバンコクヤイ運河からチャックプラ運河、そしてバンコクノイ運河もチャオプラヤー川元流なので、結局は続いて長々と書く事になるのですが(汗)

今回の街歩きのスタートはジャラン・サニットウォン通りがバンコクノイ運河を渡る橋の上からです。川幅は広く護岸されており住宅が密集しています。画像下は北側(上流)です。

20180307 BN 1

画像下は南側(下流)を撮ったもので、奥に見えるビル群がシリラート病院で、その白いビル群を背景に真っ黒なトンブリー機関車整備場の給水塔が見えています。画像で運河の右にあるお寺は「ワット・スワンナラムWat Suwannaram Ratchaworawihan」です。

20180307 BN 2

そして橋がある「ジャラン・サニットウォン通りCharan Sanitwong」上はMRTブルーラインのタオプーン駅からの延伸高架が走っています。このMRT延伸工事に関しては「MRTブルーライン延伸部を歩く 5 最終回」で詳しく書いていますが、橋のすぐ南西側には「バンクーンノーン駅 Bang Khun Non」が出来つつあります。

20180307 BN 3

このバンクーンノーン駅下のバス停で降りて歩きだします。ここを通る路線バスは以下の通りです。私自身は戦勝記念塔発の108番が本数が多く、単純なルートなので渋滞箇所が少なくよく使います。

 40 ラムカムヘン~スクムビット~ヤワラー~旧南バスターミナル
 42 サオ・チン・チャー~ジャラン・サニットウォン~ピンクラオの循環
 57 チャオプラヤー側西側で南北の楕円状になる循環路線
 68 サメーダム~タープラ~ピンクラオ~バンランプー
 80 ペットカセームSoi81~BTSバンワー駅~王宮広場
108 タープラ~クルントン橋~戦勝記念塔
171 ナッギラー・レムトーン~ラムカムヘン~ケーハー・トンブ
175 ノンタブリー船着場~ラマ7世橋~タラートプルー
509 プッタモントン・サーイ2~戦勝記念塔~北バスターミナル

ここのバス停は現在(2018年3月)MRT新駅の工事のど真ん中にあって、場所が頻繁に変わります。タイでは普通なのですが、歩行者への安全対策が無い所でバスを降りて歩くので十分に注意して下さい。まぁ、将来はMRT新駅が出来てこの辺りも大きく変わるって事ですねぇ~

20180307 BN 4

バス停からすぐのジャラン・サニットウォンSoi32へ入ります。パクソイから200mも歩けば「バンコクノイ博物館Bangkok Noi Local Museum」がある「スワンナラム高校Suwannaram High School」です。

20180307 BN 5

博物館と言っても高校内の一室のある郷土資料館と理解した方が良いです。そして私自身はトンブリー王朝の面影がどこかにないか?と思って訪ねましたが、普通は行く価値があるかは疑問でしょう。高校の門から入り校舎一階の(画像下で言えば)左側です。

20180307 BN 6

高校内なので門番のオジサン(画像下)に一言かけて入ります。そこまでは良いのですが、肝心の博物館へは二回訪ねて誰も居なくて入れず、三回目に入れました。小さな郷土資料館なので訪ねる人も少ないのでしょう。管理人も外出している事が多いのが実態です。

20180307 BN 7

三回も行ったのは最初に行った時にガラス越しに城壁(の模型)を見たからで、トンブリー王朝を囲った城壁の資料を見たかったのです。

20171203 Thonburi 2

くどいのですが郷土資料館なので驚くような展示はないのですが、バンコクノイ地区に絞っての資料なのでここで多くの事を知り、古い画像も多く今ままで本ブログで使っています。

20180307 BN 8

20180307 BN 9

そしてワット・プラヤタム(画像下)はここで知ってあらためて見に行ったし、この後に登場する(以前から気になっていた)「ワット・ドゥシダーラーム・ウォラウィハーンWat Dusidaram Worawihan」も再訪させる気にさせました。チャオプラヤー川のショートカットの説明もありました。

20171205 Thonburi 8

20171213 Map 4

資料がタイ語ばかりなので外国人が来る事を考えもしなかったのでしょう。管理の人が一生懸命英語で説明してくれましたが、その大半が分からなかったのが残念です。

20180307 BN 10

バンコクノイ博物館がある学校がスワンナラム高校なのですが、この学校はこの後に行くワット・スワンナラムに付属するような高校かと思います。いずれにしてもこの学校の裏がワット・スワンナラムです。

20180307 BN 11

壁画や鐘楼、そしてトンブリー王朝時代はビルマ兵の捕虜収容所(一説には処刑場とか)だったと言われるワット・スワンナラムは次回にさせて頂きますが、この「トンブリー王朝の面影を探し」シーリーズの今までのエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し1 その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し2 城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し3 城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し4 城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し5 城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し6 城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し7 次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し8 傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し9 ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し10 モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し11 モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し12 タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し13 王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し14 タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し15 非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し16 ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し17 バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し18 バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し19 路地歩きが楽しいエリア
トンブリー王朝の面影を探し20 バンコクヤイ運河の終端
トンブリー王朝の面影を探し21 チャックプラ運河

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2018.03.09 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し21 チャックプラ運河

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はバンコクヤイ運河の終端でトンブリー王朝旧王宮エリアからは最も離れた、地図にも載らないような細い路地と運河が交差する所をエントリーしました。

20180222BCN 24

そこはバンコクの路地歩きの中で最も好きなエリアでもありました。細い路地が蜘蛛の巣の様に広がっている中を複数の運河が交差する地の中心にあったのは、小さく古いお寺ワット・コーでした。

車が通らない静かな地にそこに突然現れた観光客の皆さん、聞くとタリンチャン水上マーケット発の運河ツアーボートだと知りました。

20180222BCN 22

そして後日談ですが、この予期せぬ多くの観光客を見た日にアパートに戻って昔の画像を調べたら・・・3年前に遊びに来た娘を連れて行った事があるのが分かりました。実はその時、ツアーボート内のスピーカーから絶え間なく流される大声のタイ語の説明に耳が痛くなって途中離脱した所だったのです(笑)

それ以来苦手なタリンチャン水上マーケットですが、その時の画像でバンコクヤイ運河の終端から「バンクンシーBang khung Si」運河に「チャックプラChak Phra」運河、そしてタリンチャン水上マーケットと運河上から周囲を見てみましょう。この辺りは運河沿いに歩けないのでちょうど良いです(汗)

201802218 Canal 1

画像上がバンコクヤイ、バンクンシー、バンチュックナン、そしてモン運河が十字で交差する所です。画像上、左側になるバンクンシー運河に向かいます。ここからは今までと異なって運河沿いに歩く事が出来ません。運河沿いに護岸がなく杭を打ち込んでの浮き家が運河上にせり出しています。

201802218 Canal 2

チャオプラヤー川の元流だったバンコクヤイ運河はバンクンシー運河、そして地図上「バンプロムBang Phrom」運河と合流点(画像下)からチャックプラ運河と名を変えます。ちなみにバンプロム運河は西に流れ「クローン・ラット・マヨム水上マーケット」の200mほど南を流れます。

201802218 Canal 3

バンコクヤイ運河のワット・パクナムあたりからずっと、その流れはチャオプラヤー川の元流だったとは思えない細さです。元流でなくなってから500年近く経ち、都市部を流れるのでその様相は大きく変わったのでしょう。

201802218 Canal 4

チャックプラ運河は弧を描くように向きを北から東に変えます。そしてタイ国鉄南本線のトンブリー駅からの線路下を流れます。

201802218 Canal 5

この鉄道橋は(タイではどこも同じですが)生活道ともなっていて、橋のすぐ近くに「タリンチャン水上マーケットTaling Chan Floating Market」があります。

201802218 Canal 6

タイのガイドブックにはほとんど載る観光地なので本ブログでは対象外ですが、外国人観光客も多くそうした人々目当ての商売の地で私的にはちょっと苦手な所です。いずれにしても今まで見て来たタイの人々の生活がある地とは異なる賑わいある所です。

201802218 Canal 7

やがてチャックプラ運河はバンコクノイ運河と合流しますが、その手前の「バンクンノン通りBang Khun Non」の橋からは閘門があり、チャオプラヤー川と直接(閘門や水門がない)繋がるバンコクノイ運河と水位を調整しています。

201802218 Canal 8

そう言えばバンコクヤイ運河がスタートしたチャオプラヤー川との合流点にも閘門がありました(画像下)。そしてトンブリー王朝旧王宮エリアの中央を流れるモン運河とチャオプラヤー川合流点にも閘門がありました(画像下の下で閘門の中で船が水位調整が終わるのを待っていますね)。

20171214 KC 6

201802218 Canal 9

なぜ構造が水門より複雑な閘門を造ってまでトンブリー地区を(ボートを通しながらも)チャオプラヤー川の水位と隔離するのか分かりませんが、この後にエントリーするバンコクノイは水門も閘門もないので興味深いです。

20180222 Map 1

さて、チャックプラ運河とバンクンノン通りが交差する近くには1799年にタークシン王によって建てられたと言われる「ワット・チャオアムWat Chao Am」があります。この辺りになると、また多くのお寺に境内にはタークシン王廟が見られます。

20180228 Wat Chao Am 1

20180228 Wat Chao Am 2

さて、チャックプラ運河とバンコクノイ運河が合流する所はバンコクノイ運河の東側の「ワット・スワン・キーリーWat Suwan Keree(現地説明板ではWat Suwan Khiri)」へ行けばよく見えます。画像下で正面奥がチャックプラ運河で横がバンコクノイ運河です。

201802218 Canal 10

ワット・スワン・キーリーはトンブリー王朝以前のアユタヤ時代に建てられ、ナーラーイ王の時代にワット・スワン・キーリーと名付けられたと現地説明板にはあります。キーリーとはこの地に多くあった木の名だそうです。どんな木なのは分かりませんが(汗)

Wat Suwan Khiri 1

画像上は本堂ではなく鐘堂か礼拝堂かと思うのですが、あまり見ない形が印象的です。また境内(裏になるのか?)少し大きめの祠があって立像三体が祀られています。かなり古そうなのですが、野犬が番をしていたので近づけなかったです(涙)

Wat Suwan Khiri 2

謂れが現地説明板にあるものの、今一つ英語文が何を言いたいのか分からないのですが(汗)、3本の運河が交差する所に祀られていた・・・そんな内容でした。このシリーズ主旨から言えば興味が尽きないのですが、今後機会があったら調べたいものです。

Wat Suwan Khiri 3

そしてこの寺にもタークシン王の祠がありました。トンブリー地区においてすでにお馴染みなのですが、現王朝前の一代限りの王が現在でもこれほど人々に崇めたてられている事に驚くしかありません・・・

Wat Suwan Khiri 4

今回歩いたバンクンノン通りは以下の路線バスが走っています。特に79番はタリンチャン水上マーケットへの唯一のアクセスバスです。

 57 チャオプラヤー側西側で南北の楕円状になる循環路線
 79 プッタモントン・サーイ2~タリンチャン水上マーケット~サイアム

ワット・スワン・キーリーは旧南バスターミナル裏になり、セントラル・ピンクラオなども近くです。ボロムラチャチョナニー通りやピンクラオ通りを走る路線バスは非常に多いのですが、本数が多くルートも使いやすいのが戦勝記念塔からの28番かと思います。

20180228 Map

さて、次回はバンコクノイ運河になります。トンブリー王朝の面影を探す旅もやっと大きな円を描くようにバンコクヤイ運河からバンコクノイ運河となり、旧王宮エリアに戻ります。そろそろこのシリーズも終わりが近づいています。そして、本シリーズの過去のエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し1 その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し2 城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し3 城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し4 城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し5 城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し6 城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し7 次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し8 傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し9 ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し10 モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し11 モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し12 タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し13 王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し14 タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し15 非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し16 ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し17 バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し18 バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し19 路地歩きが楽しいエリア
トンブリー王朝の面影を探し20 バンコクヤイ運河の終端

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントを頂けたら幸いです。なお、ご質問は大歓迎で一生懸命お答えしますが、それが役に立ったのか?立たなかったのか?など後でご一報下さい。

2018.03.01 | コメント(5) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑳バンコクヤイ運河の終端

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はトンブリー王朝旧王宮エリアからは最も離れたバンコクヤイ運河沿いを歩きました。そこはもっともトンブリーらしい庶民の暮らしが営まれている地で、私が好きな路地歩きの所でもあります。

20180216 BY 6

今回も最も路地歩きが好きな所の続きで、長く歩いて来たバンコクヤイ運河の終端になります。この辺りは3年以上前から何度も来ている所でもあります。

チャオプラヤー川の元流だったバンコクヤイ運河はこの先「バンクンシーBang khung Si」運河、そして「チャックプラChak Phra」運河と名を変えて「バンコクノイBangkok Noi」運河と接します。

20180222 Map 1

それはバンコクヤイ運河の終端で、バンクンシー運河の始まり、そして東からの「モン運河Khlong Mon」、西への「バンチュックナン運河Bang Chueak Nang」と名前は四つですが、南北と東西に流れる運河が交差する所です。

画像下が運河が交差する所です。近づけないので分かり難いですが、右がバンコクヤイ、左がバンクンシー、手前がバンチュックナンで、右奥へ向かうのがモン運河です。

20180222BCN 1

東から流れて来る「モン運河Khlong Mon」はチャオプラヤー川沿いのトンブリー王朝旧王宮エリアに通じる運河(画像下)で、このエリアにモン族入植地があったからモン運河と呼ばれ、「バーンサオトーン運河Khlong Bang Saothong」と呼ばれた事もありました。重要な水路の為に途中で輸送や行き交う人々のチェックポイントが設けられ、モン族がそこで働いていたそうです。

20171205 Thonburi 2

さて、前回紹介のソンテウ1438番が通る「ジャラン・サニットウォン通りソイ13 Charan Sanitwong Soi13」がバンコクヤイ運河を渡る橋の上、その上からバンコクヤイ運河の終端部が見えそうで見えないかなぁ・・・バンコクで橋の脇は電線の束がすごいので普通写真は撮らないのですが(苦笑)

20180222BCN 2

その橋の西側で最初の路地「バンウェーク通りBang Waek」(ジャラン・サニットウォン通りSoi13の西側)のソイ2(画像下)に入ります。ここがバンコクで最も好きな路地歩きの一つの入口です。この路地自体は何でもないのですが(汗)

20180222BCN 3

ソイの中を5分も歩けばバンチュックナン運河に突き当たります。突き当りは画像下のような小さな橋で対岸へ渡れます。

20180222BCN 4

その橋の手前西側は「ワット・パクナム・ファンタイWat Pak Nam Fang Tai」(画像下)で、バンチュックナン運河に接しています。寺名にパクナム(河口)が付くのがバンコクヤイ運河(とバンクンシー運河)がチャオプラヤー川元流だった事を思わせます。

20180222BCN 5

20180222BCN 6

橋の上からバンチュックナン運河を撮ると、西側が画像上(ワット・パクナム・ファンタイ側)で東側(バンコクヤイ運河との交差側)が画像下です。

20180222BCN 7

橋を渡ると学校の敷地裏のような所で、そこに接する路地を抜けるとバンチュックナン運河に面した食堂に出ます。この食堂、タイ語しか書かれていないのですが、FaceBookのアドレスだと「korkafair」。私は店員さんから聞いたイメージで(笑)「コー・カフェ・ソン(2)」と思っています。

20180222BCN 8

20180222BCN 9

実は・・・タイでは食べログ的ブログになるのを避けていますし、食べるお店の事もほとんど書かないブログなのですが、この辺りを路地歩きして必ず立ち寄るのが「コー・カフェ・ソン」です。

20180222BCN 10

私的には市井の食堂ですが、タイ的には運河沿いのカフェなのでしょう。カフェとは言え小洒落た感じでないのも好きなのですが(笑)確かに食堂の定番料理以外にカフェメニューも豊富です。しかもすぐ横に2年前には無かった「アイスクリーム・ファクトリー」まで造り、美味しそうです(笑)

20180222BCN 11

味は主旨をまげて自分のブログに書くほどでもない普通です(笑)って言うか、普通に美味しいです。中にクッキングスクールの写真がたくさんあったので、そうしたお店なのかも知れません。また、上記にモン運河の謂れを書きましたが、この店にもモン族コミュニティーの事が書いてあるので、何か関係あるのかも知れません。

20180222BCN 12

いずれにしても、この店のロケーションと、ここでのんびり運河を眺めながらビールを飲むのが楽しみなのです。料金も都心部や観光地のお店とは比べようもありませんが、ソムタム・タイが80バーツと市井の食堂と同じかちょっと高いぐらい(要は普通)。

20180222BCN 14

ここで運河を見ながらのんびりするのが・・・本当に好きなのです。平日の昼なら何時間居てもお客はちらほらですしね(笑) 運河には近所の家々を回るクイッティアオ舟、そして観光客を乗せた運河ツアーのボートも通ります。

20180222BCN 15

食堂の話はこれぐらいで・・・コー・カフェ・ソンの横にある小さな橋でバンチュックナン運河の南側に行くと、そこは湿地帯に杭を打ち込んで家と生活道を造ったGooglMapsにも現れない迷路のような細い路地が続くエリアです。

20180222BCN 16

最初に書いておきますが、このエリアは家々の間を縫うように通る細い路地が入り組んでいます。100%住民の生活道でスマホ片手の観光客が入り込む地ではありません。私のような見すぼらしいオッサン一人が(さぞ慣れた道だと言わんばかりに)さっさと歩くのは目立ちませんが(笑)

20180222 BCN 17

また、画像下の町内図のように行き止まりが多く、家の軒先どころか家の中に入り込むように事態になります(汗)まぁ、道を知らない人が迷い込むのは仕方ないのですが・・・

20180222BCN 18

20180222BCN 19

そんな迷路みたいな地を最初に通った時は行き止まりで何度も戻ったものです。そうまでして行きたかった所は・・・バンチュックナン運河が二股に別れる所で、その岬のような先っぽに古い寺があるのです。

20171213 BY 8

20180222BCN 20

「ワット・コーWat Kor」タイ語を見ると(分かっているわけではありません)、コー・サムイ(サムイ島)のような「島」のコーです。確かに島のように三方を運河に囲まれているのです。だからこそ風情があって好きなのですが・・・

20180222BCN 21

ある時、土曜日だったかここに行ったら多くの観光の方が突然現れたようにここにいました。どうも観光用ロングテール船で来られたようです。暇を持て余しているような西洋人の方に「どこから乗ったの?」と聞いたら、タリンチャン水上マーケットからですって(笑) 知らなかったですねぇ~ ここがあのツアー・ボートのコースに入っているなんて・・・15分もしない内に皆さん姿を消されましたが(笑)

20180222BCN 22

また静けさを取り戻したお寺になりました。周囲も含めて車が通る事のないこのエリア、やはりこの寺は静けさが一番です。運河の流れを楽しんでいると、境内にいた子供たちが寄って来ます。しばらくカメラで撮った画像を見せて遊んだ後にさよならです。

20180222BCN 23

帰りは少し遠回りしてソンテウが通るバンウェーク通りに戻りましたが、車が通らないので子供たちが伸び伸びしているように思うのは、私自身が歩いていて車やバイクからの危険を感じないからかも知れません。ここだとバイクが来ても遠くから音で分かりますしね。

20180222BCN 24

20180222 Map 2

最後に、本シリーズの過去のエントリーは次の通りです。今回でバンコクヤイ運河を離れ、次回はバンコクノイ運河に向かいます。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑭タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し⑮非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し⑯ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し⑰バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し⑱バーン・シンラピン
トンブリー王朝の面影を探し⑲路地歩きが楽しいエリア

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントを頂けたら幸いです。なお、ご質問は大歓迎で一生懸命お答えしますが、それが役に立ったのか?立たなかったのか?など後でご一報下さい。

2018.02.22 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑲路地歩きが楽しいエリア

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はバーン・シンラピン、前々回はワット・パクナムとバンコクヤイ運河沿いでは観光の人々が多い所を歩きました。

20180210 BL 4

有名観光地ではないものの、やはり観光の人が訪れる所はそれなりに迎える側もお金を落とすしてもらう仕組みを作るので、本ブログが対象とするタイの人々や暮らしとは少し異なる地でもありました。

バーン・シンラピンを後にして向かったのはバンコクノイ運河で最も西側、すなわちトンブリー王朝の中心であった旧王宮やワット・アルンから一番離れた地になります。

20171213 BY 1

そこは観光とは無縁(トンブリー王朝とも無縁なのですが)ですが、もっともトンブリーらしい庶民の暮らしが営まれている地だと思います。そして私が好きな路地歩きの所でもあります。

20180216 BY 1

20180216 BY 2

この辺りのバンコクヤイ運河沿いの細い路地は車が通るには狭すぎるようです。そして運河沿いは家が密集していてなかなか運河に出られません。

20180216 BY 5

運河の護岸がしっかりしていないのか、湿地に杭を打ち込んでの浮き家が多く、そこへの通路も杭の上にコンクリート板を置いたものが多いです。

20180216 BY 3

20180216 BY 4

くねくねと曲がる細い路地を進むとバンコクヤイ運河に繋がる運河を横切らなくてはなりませんが、その橋が本当に渡っても大丈夫なのか・・・しばらく待って他の人が渡るのを見てから渡りました(汗)

20180216 BY 6

20180216 BY 7

細い路地の中には地元の人達が使う小さなよろず屋さんが点々とあります。それはまるで私が育った下町の駄菓子屋さんのような雰囲気ですが、ビールや駄菓子もあるし卵や果物、そしてバイク用のガソリンまで売っています。路地の中で生活が出来るようになっているのですねぇ~

20180216 BY 11

人が歩くかバイクが通るぐらいなので、日除けを人が通れるぐらいの高さで目いっぱい伸ばされています。こうした路地で視界が開けるのは唯一橋の上ぐらいです。

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細い路地の狭い視界からだと見える景色が次々に変わり、路地歩きの楽しみの一つです。大きなお寺が見えたので行ってみました。

20180216 BY 8

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「Wat Nokワット・ノック」タイ語も見ましたが小鳥の意味のノックです。現地説明板が無くて謂れが不明ですし、何か小鳥に関した物も見なかったし・・・しかし立派なお寺でした。

20180216 BY 10

このワット・ノックを過ぎれば車が通れるぐらいの路地になり、ソンテウが通る「ジャラン・サニットウォン通りソイ13 Charan Sanitwong Soi13」に出ます。GoogleMapsだとPhanitchayakanthonburi通りだそうです。画像下はジャラン・サニットウォン通りから撮ったのですが、右に待機している赤いソンテウが見えるかと思いますが、ここからスタートです。

20180216 BY 13

実は・・・今回、そして次回も予定しているのですが、この辺りは本当に好きでバンコクで最も楽しい路地歩きが出来る所なのです。特別何かがあるわけでなく、路地とお寺に運河だけなのですが・・・

それでバスが通るジャラン・サニットウォン通りからこのソンテウ1438番をよく使っています(日中は一律7バーツ)。

20180216 BY 14

そのジャラン・サニットウォン通りはMRTブルーラインのタオプーン駅からの延伸区間です。「MRTブルーライン延伸部を歩く 5」で詳しく書いていますが、ちょうどここに「チャラン・サニットウォン13駅 Charan Sanitwong 13」(仮称)が出来るので、このエリアもアクセスが良くなって・・・やがて路地も消えるのかも知れません。

20180216 BY 15

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上の画像でジャラン・サニットウォンSoi13の赤いソンテウが見えていますが、ここから乗ってバンコクヤイ運河を渡った所で降りると、今回と次回に書くエリアに行けます。このジャラン・サニットウォン通りを走る路線バスは以下の通りです。

 42 サオ・チン・チャー~ジャラン・サニットウォン~ピンクラオの循環
 68 サメーダム~タープラ~ピンクラオ~バンランプー
 80 ペットカセームSoi81~BTSバンワー駅~王宮広場
 91 アサンプション大学トンブリー校~BTSバンワー駅~民主記念塔
108 タープラ~クルントン橋~戦勝記念塔
146 新南バスターミナルからの循環路線
157 オームヤイ~バンワー駅~戦勝記念塔~北バスターミナル
171 ナッギラー・レムトーン~ラムカムヘン~ケーハー・トンブ
175 ノンタブリー船着場~ラマ7世橋~タラートプルー
509 プッタモントン・サーイ2~戦勝記念塔~北バスターミナル

ソイ13パクソイ(ソイの出口)近くの歩道橋下から工事中の駅までの間にバス停があります。画像下で赤色の線は今回歩いたルートで、紫色はソンテウ1438番の乗車区間です。

20180216 Map

次回はこのバンコクで一番好きな路地歩きの所の続きですで、バンコクヤイ運河では最後のエントリーになります。

今回が第19回目のエントリーですが、過去のエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑭タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し⑮非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し⑯ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し⑰バーンルアン水上マーケット
トンブリー王朝の面影を探し⑱バーン・シンラピン

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2018.02.16 | コメント(0) | バンコク街歩き

前国王崩御後487日 今の王宮周辺は

特に何かをしなくてはならない状況が少ないリタイア生活、平昌オリンピックが始まったので、部屋に居る時間が増えて来ます。

持病もあって身体を動かさないとそのまま動けなくなってしまうような恐怖心があるので、何とか理由を見つけては少しでも出かけるようにしているのですが・・・今週は春節ですねぇ~ 

先日バスから見たヤワラー通りは横断幕もあって、2016年に戻っての賑わいになりそうな気がします。画像下は2018年です。

20180212 Yaowarat 18

2016年はこんな賑わいで、ヤワラー通りは通行止めでした。

20180212 Yaowarat 16

昨年2017年は横断幕やヤワラー通りの解放が無かったのですが、何もなくても赤主体の賑やかな街なので、よく分からないかも・・・

20180212 Yaowarat 17

昨年の春節が例年になく少し抑えた祝いになったのは、2016年10月13日プミポン前国王が崩御されてタイ中が喪に服した期間だったからなのですが、あの日から1年4ヵ月が過ぎました。

このブログではそんなタイの人々と王宮エリアを見続けています。過去のエントリーは次の通りですが、画像下は崩御五日後の王宮前で取りあえず駆け付けた人たちが祈っていました。この時はまだ服装要求に組織的弔問や規制にボランティアは全く無かった頃です。

20180111 SL 1

第22回目「前国王崩御後454日 今の王宮周辺は
第21回目「今日の王宮広場、雨に打たれて
第20回目「今、絶対に行くべき火葬の儀施設と特別展②
第19回目「今、絶対に行くべき前国王火葬の儀施設①
第18回目「前国王葬儀 直後2日 王宮周辺と王宮広場内火葬施設
第17回目「前国王崩御後374日 リハーサルに近づく事も出来ない
第16回目「前国王崩御後 一年 火葬の儀 内容・日程・注意
第15回目「前国王崩御後360日 一般弔問終了後の王宮周辺
第14回目「前国王崩御後11か月 弔問残り一週間の王宮周辺
第13回目「前国王崩御後9か月 今の王宮周辺は
第12回目「前国王崩御100日以後の王宮周辺
第11回目「崩御後8週間後のバンコク② 王宮周辺エリアの現状
第10回目「崩御後8週間後のバンコク① 今の王宮エリアは
第9回目「崩御後5週間後のバンコク、今の王宮エリアと交通事情
第8回目「崩御後4週間のバンコク、三大衣料品市場を回る
第7回目「崩御後3週間のバンコク、今の王宮エリアは?
第6回目「崩御後2週間のバンコク、観光地の今は?
第5回目「国王崩御後11日間のバンコク、変わる黒服と上京する人々
第4回目「国王崩御後210時間のバンコク、すごい事になった10月22日の王宮前
第3回目「国王崩御後117時間のバンコク②、王宮に集まる人々
第2回目「国王崩御後117時間のバンコク①、王宮エリアは?街は?
第1回目「国王崩御後53時間のバンコク、交通機関、街、市場、夜市は?

そんな一年以上見続けていた王宮エリアですが、王宮広場に建てられた火葬の儀施設の一般公開が昨年12月31日に終わり、2018年になった1月11日から解体撤去が進んでいます。画像下は2月8日の王宮広場です。

20180212 SL 5

前回は古い画像で王宮広場が代々王家の火葬に使われて来た事を紹介し、現在のサナームルアンSanam Luang」は以前Thung Phra Menと呼ばれ、その意味は「王室火葬広場」だった事を書いています。画像下は2012年のペッチャラッタナラー王女火葬施設です。

20180111 SL 5

そして本ブログで何度もエントリーしたプミポン前国王火葬施設ですが、緑の芝だけだった広場が一年かけて変わっていく様子を詳しく紹介しました。

崩御以前の2015年
20171108 SL 1

2017年11月
20171107 SL 1

この解体撤収作業は1月11日から60日かけて行うアナウンスがありましたが、後1ヶ月で元の姿に戻るようには思えませんねぇ・・・

ちなみに、一部の鉄骨構造物等はアユタヤの歴史公園に移され、彫刻の一部がパトゥム・ターニ県の王室火葬博物館(この存在を私は知りません)とナコーン・パトム県の伝統芸術庁(ここも私は知りませんが、Sanam Chandra Palace内かな?)に展示される事が報道されています。

それでは、現在(2018年2月8日)はどうなっているでしょう?

外国人観光客の王宮入口となっている近くの王宮広場では、画像下のように「No Phto」となっていますが、意味が分かりません(汗)

20180212 SL 2

もちろん私の画像は全て柵の外から、ある程度離れた所からズームで撮っているのですが、中には柵の中に撮るような方がいるのでしょうか? 中での作業が写真を撮っては困る作業でもないでしょうし、実際は柵の間や上から中が丸見えなのですが・・・

20180212 SL 3

20180212 SL 4

まぁ、私が「No Phto」の看板に気付いたのは1カ所だけで、他では見当たらなかったのですが・・・いずれにしても、解体作業はかなり進んでいて、火葬施設や周囲のパビリオンは鉄骨だけを残しています。

20180212 SL 1

彫刻など慎重に取り外しての作業なので、ただ解体撤収するだけでなく時間がかかるのはよく分かります。ただ、やはり作業が雑と言うか、文化財の取り扱いには私には見えませんでした。

20180212 SL 6

20180212 SL 7

しかし、解体作業を終えたら・・・画像上にあるような元の芝生にするのでしょうか? 全てコンクリートで固めてしまいましたが、それをどうするのか興味があります。

20180212 SL 8

さて、冒頭に書いたように春節が近づき、さらに中国からの団体ツアーが王宮周辺に押し寄せています。春節の時期にヤワラーには行きたいと思うのですが、王宮エリアだけは避けたいものです。

20180212 SL 9

そしてほとんどの外国人観光客にとって、王宮広場は何の想いも感じない・・・ただの工事現場で、その横を見向きもせずに混雑している王宮への入口に向かっていました。

20180212 SL 10

ところで、前回(2018年1月11日)のエントリーでは少しだけ交通規制が残っていましたが、今は全く無くなりました。

長い間前提的なルートを走っていた路線バスの多くが元の路線に戻ろうとしています。これらを現在解析中です(笑)なかなか進まない作業ですが、全ての路線バスのエントリーを更新し続けています。

ほんの一部の例ですが、以下の通りです。しかし、複雑なルートですねぇ~ いずれにしても崩御以前、そして崩御後から1年の規制中、そして現在の規制解除後と走行ルートはそれぞれ異なっています。

バス1番の王宮周辺
20180212 SL Bus 1

バス44番の王宮周辺
20180212 SL Bus 44

バス203番の王宮周辺
20180212 SL Bus 203

さて・・・この後の王宮広場、いったいどうなるのでしょうねぇ~ まだまだこのシリーズを続けて、見守って行きたいと思います。

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2018.02.12 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑱バーン・シンラピン

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

今回登場のバーン・シンラピンはこの「トンブリー王朝の面影を探し」シリーズで最も観光地らしいでしょう(トンブリー王朝には全く関係ないです)。もっとも観光的に超メジャー級な「ワット・アルン」は触れたか触れないかで通り過ぎていますが(汗)

苦手と言うか嫌なのですよねぇ~ 観光地で誰もが多くブログなどで書いているような所が・・・どれも同じような事を書いているだろうし、他のネットのコピペも多いでしょう。在住者がわざわざ他人の後追いをしてブログにするなんて・・・どうせなら在住者だからこその地で、しかも深堀した内容あるブログを書ければと思っています。

20180204 BY 14

そんな観光地の「アーティスト・ハウスArtist House」こと「バーン・シンラピンBaan Silapin」は私が好きな運河沿いの古い家並みの所なのですが、過去に書いたバンプリー、ノンヂョーク、フアタケー、そして(内緒ですが)これからも続々と登場するバンヤイカオ、バンボー、ルアンペーン・・・など(聞いた事もないぞ!との声が聞こえて来そうですが)と雰囲気が全く異なります。
画像下はネット上(たぶん)初公開のルアンペーンです。

20180210 Luang Phaeng

同じ運河沿いの古い家並みなのに、完全にバーン・シンラピンがある所は全く異なる感じです。その理由を考えると・・・バーン・シンラピンには昔の暮らしが垣間見えないのです。

20180204 BY 15

20180210 BL 4

運河沿いの古い家を改築してアーティストの活動の場としているのがバーン・シンラピンですが、そこは生活の場ではなくてアーティストの発表・・・言い方を変えれば生活の糧をえる場で、悪く言えばお土産屋さんと同じような感じすらします。

20180210 BL 1

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バーン・シンラピンでは2階が展示スペースで1階ではちょっとしたショーがありますが、その周辺の店は観光客目当ての店ばかりで、地元の方々が暮らし買い物している所ではないのです。

20180210 BL 2

20180210 BL 3

結論として・・・やはり観光客にはなかなか面白い地でしょうが、私的な好みでは好奇心も興味なく通り過ぎる所です。唯一・・・好奇心を刺激したのはこの辺りがバンコクヤイ運河で一番川幅が狭いのです。これがチャオプラヤー川の元流だったの?と言う思いです。

20180210 BL 6

水量が多い現在のチャオプラヤー川からはとても考えられない狭さです。まぁ、ここが本流だった頃(1542年以前)は今のように運河沿いに家が建ち並んではいなくて、湿地帯や果樹園などの緑多い所だったと思われますが・・・

20180210 BL 7

ここがチャオプラヤー川本流だったのは徳川家康が生まれた年より前の事なので写真などないのですが・・・1892年とバーンルアン運河と分かっているのが画像下です。これも本流でなくなってから300年以上経っていますねぇ~

20180210 BL 8

このバーン・シンラピンへのアクセスは前回少し書きましたが、非常に簡単。ある意味、タイを公共交通機関で移動するのに不可欠なソンテウの初心者用練習路線とも言えます(笑)画像下が一般的なピックアップトラック改造タイプで、ここには少し大型のタイプもあります。

20180210 BL 10

「ジャラン・サニットウォン通りソイ3Charan Sanitwong Soi3」で、このソイ内だけを走るソンテウ1418番に乗ります。画像下でこの時は赤い看板で白い矢印がたまたまありました(笑)ソイの中に少し入り左側でソンテウが待機しています(画像上)。

20180210 BL 9

何しろ1㎞と短いソイ(路地)の中だけを行き来するソンテウで、一律料金5バーツですし、他の路線も無くて起点で乗って終点で降りるだけ。一度も曲がらないし、間違えようも無いのです(笑)画像下が運河側で上にある橋の近くです。

20180204 BY 17

このソイ3が繋がるジャラン・サニットウォン通りには多くの路線バスが走っています。ソイ3パクソイ(ソイの出口)近くの歩道橋下にバス停があり(画像下は南行きのバス停)、ここを走る路線バスは以下の通りです。

 42 サオ・チン・チャー~ジャラン・サニットウォン~ピンクラオの循環
 68 サメーダム~タープラ~ピンクラオ~バンランプー
 80 ペットカセームSoi81~BTSバンワー駅~王宮広場
 91 アサンプション大学トンブリー校~BTSバンワー駅~民主記念塔
108 タープラ~クルントン橋~戦勝記念塔
146 新南バスターミナルからの循環路線
157 オームヤイ~バンワー駅~戦勝記念塔~北バスターミナル
171 ナッギラー・レムトーン~ラムカムヘン~ケーハー・トンブ
175 ノンタブリー船着場~ラマ7世橋~タラートプルー
509 プッタモントン・サーイ2~戦勝記念塔~北バスターミナル

20180210 Bus

上記のバスへはBTSシーロム線「タラートプルー駅Talat Phlu」3番出口で降りて、ショッピングモール「ザ・モール・タープラThe Mall Talat Phlu」の道路反対側のバス停から68番か108番に乗るのか、「バンワー駅Bang Wa」3番出口から少し西のバス停から80番、91番、146番、157番、171番、175番、509番を使うのが日本人の方々には一般的かと思います。

さて、バーン・シンラピンを離れて運河沿いを北(上流側)に向かいます。この周辺はバーン・シンラピンへの観光客目当て運河沿いの古い家がよく整備されています。

20180210 BL 11

画像上のような板張りの道を運河沿いに行くと「ワット・カオサワンWat Khuhasawan Worawiharn」境内に出ます。そして振り返ると「バーンルアン運河市場」と看板があります。

20180210 BL 12

まぁ、ここは色々な呼び方があって分かり難いのですが、市場ではないものの『アーティスト・ハウスことバーン・シンラピンがあるバーンルアン運河市場』と考えるのが妥当かと思います。そしてバーンルアン街歩きマップもここにありました。

20180210 BL 13

タイ語が読める方はこのマップで付近を歩かれるのも面白いかも知れません。もっともほとんどをこのブログで書いていますが・・・

20180210 Map

この後はワット・カオサワン前を通り、さらに運河沿いを歩きます。画像下で奥に向かって行きますが、その前にお寺の前で遊んでいた子供たちにカメラを向けたら・・・張り切って何度も飛び込みを見せてくれました。すっぽんぽんなので使える画像が少ないのが残念です(汗)

20171213 BY 7

20180210 BL 14

最後に、今回が第18回目のエントリーですが、過去のエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑭タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し⑮非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し⑯ワット・パクナム
トンブリー王朝の面影を探し⑰バーンルアン水上マーケット

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントを頂けたら幸いです。なお、ご質問は大歓迎で一生懸命お答えしますが、それが役に立ったのか?立たなかったのか?など後でご一報下さい。

2018.02.10 | コメント(0) | バンコク街歩き

ノンタブリー県最後の水上マーケット ワット・タノー

2回続けてタイトルに『水上マーケット』が付いてしまいました。まぁ、前回はそんな所を通ったと言うだけで、水上マーケット自体は「水上マーケット私的ランキングがっかり編」で見事2位になったぐらいで情けない所です。

今回ご紹介する水上マーケットは(たぶん)ネットで書かれた事はないかと思います。そんな所ばかりですね~ 元々、観光地はもちろん、ネットに多く書かれているような所は避けてぶらぶらしているからでしょう。

今回も偶然出合った水上マーケットで、チャオプラヤー川元流を追って「オームノン運河Om Non」沿いを歩いていた時に見つけた「ワット・タノー水上マーケットWat Tanod Floating Market」です。

20180206 Tanod 1

街歩きをしていると本当に多くの水上マーケットに出合います。実はそれ以上にナイトマーケット(の営業前)にも出合っているのですが、夕方以降に出歩けないのでなかなかエントリーする事が出来ません。ネットには書かれていないだろう面白そうな所がたくさんあるのですが・・・

そんな多くの水上マーケット、本ブログでは以下の様に紹介しています。ガイドブックにあるようなメジャーな所と百年市場などの古市場は入れていませんが、タリンチャンは途中で逃げ出した私的苦手系のサンプルで登場です(笑)

パーシーチャルーン運河水上マーケット
スアンブア水上マーケット
ワット・モーリー水上マーケット
ワット・ヤイ・サワーン・アーロム水辺マーケット
サイノーイ水上マーケット
サンペーン2水上マーケット
ノンパォン水上マーケット
ワット・バン・フアスア・水上マーケット
ランシット水上マーケット
ワット・サーンチャオ水辺マーケット
無料クレット島一周船 ワット・ケーノック水上マーケット発
ワット・ケーノック・水上マーケット
ワット・セーンスィリタム水上マーケット
水上マーケット私的ランキングベスト編2016
水上マーケット私的ランキングがっかり編2016
ワット・タキアン水上マーケット
ワット・サイ水上マーケット
クローン・ラット・マヨム水上マーケット
ドーンワーイ水上市場
フアタケー水上マーケット
タリンチャン水上マーケット
クワン・リアム水上マーケット
バーンナムプン水上マーケット
サパーンスーン水上マーケット

これだけ多くの水上マーケットを紹介しているのですが、観光でメジャーな所として成功している以外では二つのタイプに分かれるように思えます。画像下はメジャーなアンパワー水上マーケットです。

20180206 Amphawa

一つは集客目当てで強引に水上マーケットを造ったものの、客が集まらずお店も逃げ出して実態が無くなっている所、そしてもう一つは地元の方々でそこそこ賑わいながら続いている所です。画像下は地元の方々で賑わうワット・タキアン水上マーケットです。

20180206 Takhian

私の対象にはならないメジャーな観光地を除くと、水上マーケットはノンタブリー県に多くあります。「ノンタブリー県観光見所② 幻の水上マーケットを探して」で県内全ての水上マーケットを回ったつもりでいました。画像下がノンタブリー県内の水上マーケットです。

20170925 Map 2

それが・・・今回新たに見つけてしまいました(笑)それで『ノンタブリー県最後の水上マーケット』ですが、私が知らないだけでまだあるかも(汗) 実は、ノンタブリー県を街歩きしていて、水上マーケットと名乗っていないものの多くの似たような所に出合っています。それらはおいおいブログで書くとして・・・画像下はバーン・クー・ウィエン運河沿いの名もない所です。

20180206 Bang Khu Wiang

さて、今回のワット・タノー水上マーケットですが、地元の方々で細々と続いているのが実際かと思います。行ったのは先月(2018年1月)で子供のイベントがあってそこそこ賑わっていましたが、普通の週末はここまで賑わいはないでしょう。観光で来タイされた方々が行くような地ではありません。

20180206 Tanod 2

場所はノンタブリー船着場から渡し船で右岸(西側)に行ってから、ソンテウで10分、徒歩で10分ぐらいの所です。

ノンタブリー船着場へのアクセスは本ブログでも多くのエントリーがありますが、「ぶらり散策 ノンタブリー① 船着場」が(たぶんネットで)一番詳しく書いていますし、アップデートもしています。

Nonthaburi 181

ノンタブリー船着場へのバスアクセスは有料本やGoogle Mapsから多くのネット情報があるでしょうが、そのほとんどが間違いが多いと思います。それはノンタブリー市場は通っても船着場まで入る路線は限られていて、しかも往路と復路の両方が船着場まで入る路線は極めて少なく、往路か復路のどちらかだけがアクセスするからです。それをきちんと書くには相当な精度を求めた拘りが必要なのです(汗・・・)

20161014 Map 2

慣れていない方にとって一番早くて簡単なのは、MRTパープルライン「PP12 保健省駅 Ministry Of Public Health」2番出口を出て目の前のバス停から路線バス97番203番545番が船着場へ行きます(バス停5~6個で15~20分)。帰りはノンベーカリー前から114番203番545番で保健省駅へ戻れます。

20180206 Bus 545

545番が本数が多いかなぁ~ エアコン車で行先を告げる必要がありますが、ノンタブリー船着場は「ター・ナム・ノン」、MRTの駅は「BTSビーティーエス」で通じ、MRTだと通じないかと思います(笑)

渡し船の桟橋は船着場中央で真正面です。チャオプラヤー・エクスプレス・ボートの桟橋が「発」が川に向かって左、「着」が右です。渡し船の料金は現在3.5バーツで対岸(西側)で払います。

20180206 Boat

対岸に渡り船着場前の通りで右側を歩きすぐで市場の屋根のような下で待機しているソンテウに乗ります。番号は不明ですが赤茶色で、この屋根下から出るソンテウはこれだけなので間違えません。

20180206 Songthew

ソンテウは船着場を出て700~800mで右折して、しばらく行くと「ラチャプルック・ノンタブリー1道路Ratchaphruek-Nonthaburi 1」に合流します。合流後400m先の歩道橋下でソンテウを降ります。料金は8バーツです。

そこはチャオプラヤー川に架かる「サパーン・マハ・チェ・・・・Maha Chesadabodindranusorn」と長い名の美しい橋のすぐ西側です。本ブログではノンタブリー1橋として「チャオプラヤー名橋奇覧⑬ノンタブリー1橋」で詳しく書いています。

20180206 Br

この橋は新しい構造の「エクストラドーズド橋Extradosed」で2014年12月の工事完成ですから、チャオプラヤー川に架かる橋では現在一番新しい橋だと思います(MRT鉄道専用橋を除く)。2010年の円借款73億円が使われ、三井住友建設などが施工したようです。

話を戻して・・・

ソンテウを降りて歩道橋を渡り反対側に行きますが、歩道橋からソンテウが来た方向を見ると画像下で、ノンタブリー1橋は画像奥です。画像の左には「ワット・タノー」の白い案内板が見えています。

20180206 Soi

案内板に従ってソイを3分ほど歩くとワット・タノーの入口です。門の前は2002号線の旧道で、門から真っすぐ歩いて突き当りがオームノン運河ですぐ横がワット・タノーです。

20180206 Tanod 3

ここへ来たのはチャオプラヤー川が現在の流れになる以前の元流を求めてだったのですが、お寺から賑やかな音楽やアナウンスが聞こえて来ます。そちらへ向かうと・・・ワット・タノー水上マーケット(タラート・ナーム)と看板にあります。

20180206 Tanod 4

スペースも境内が運河に面している部分だけでそう広くありません。お店の数も多くなくて地元の野菜に果物、そして菓子などの屋台が出ています。

20180206 Tanod 5

20180206 Tanod 6

中央にテーブルがあって屋台のご飯類を食べるか、運河沿いにも食堂スペースがあります。ただ、クイッティアオ舟などないので、正しくは水上マーケットではなくて水辺マーケットでしょうか。

20180206 Tanod 7

20180206 Tanod 9

こぢんまりした水上マーケットですが、何だか緩~い時間が流れているようで嫌いではありません(苦笑) 日が暮れたならカラオケでも始まりそうですねぇ・・・

20180206 Tanod 8

私自身の興味は運河にあったのですが、この辺りは1636年以前はチャオプラヤー川本流だった所です。それはまた別に詳しくエントリー予定でいます。画像下で運河の左側がワット・タノーです。

20180206 Tanod 11

20180206 Tanod 10

まぁ、観光で来タイされた方はもちろん、在住者でも都心部近くにお住まいの方が行くような所ではありませんが・・・私にとっては全く交通便利な所だし、私的にはがっかり系ではないのですよねぇ~(笑)

20180206 Map

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2018.02.06 | コメント(2) | マーケット

トンブリー王朝の面影を探し⑰バーンルアン水上マーケット

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回のワット・パクナムあたりからトンブリー王朝の面影が薄れて来ていますが、引き続きバンコクヤイ運河沿いを歩きます。本当はタイトルを『トンブリー王朝の面影を探し』から『チャオプラヤー川元流を歩く』にどこかで変えなくてはならないのですが・・・

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前回はワット・パクナム周辺を歩きました。運河が交錯し細い路地が複雑に入り組んで小さな橋を何度も渡る事になります。そこは周辺住民とお寺に暮らす僧侶たちの生活道でもあるのです。

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そんな情緒ある地を運河沿いに歩くとすぐに「ペットカセーム通りPhet Kasem」に出ます。この通りは現在MRTファランポーン駅からの延伸工事で、バンコクヤイ運河近くに「バンパイ駅 Bang Phai」が出来ます。「MRT高架延長部下を歩く 1」でこの地区を書いています。

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この駅が開業すると、今回歩いている地区へのアクセスが格段に良くなるでしょう。もっとも今でも画像上のようにペットカーセーム通りを多くの路線バスが走っています。ここを走る路線バスは以下の通りです。

  7 ペッカセーム・ソイ69~バーンケー市場~ファランポーン駅
  7n プッタモントン・サーイ2車庫~バーンケー市場~パーククロン市場
 80 ペットカセームSoi81~BTSバンワー駅~王宮広場
 80n ムーバーン・ウォー・ポー・オー・11~バンコクヤイ
 81 プッタモントン・サーイ5~BTSバーンワー駅~ピンクラオ橋
 84 ワット・ライキン~バーンケー~クルントンブリ駅
 84n サーラーヤー~BTSバンワー駅~ウォンウィエンヤイ
 91 アサンプション大学トンブリー校~BTSバンワー駅~民主記念塔
 91n サナームルアン2~バンワー駅~タープラ~バンコクヤイ
101 プッタモントン・サーイ2~タープラ~ラマ2世通り・Soi33
146 新南バスターミナルからの循環路線
147 ラマ2世~ペットカセーム通り~カンチャナピセーク通りの循環
157 オームヤイ~バンワー駅~戦勝記念塔~北バスターミナル
171 ナッギラー・レムトーン~ラムカムヘン~ケーハー・トンブ
509 プッタモントン・サーイ2~戦勝記念塔~北バスターミナル
547 サーラーヤー~ペッカセーム通り~ラマ3世橋~ルンピニー公園
710 BRTラチャプルック駅発のチャオプラヤー川西側循環路線

いやぁ~ ものすごく多い路線ですねぇ・・・書いていて間違えがないか心配になります が、抜けはあるかも(汗)

このペットカセーム通りがバンコクヤイ運河を越える陸橋下そばに船着場があります。実は今まで通って来たほとんどの所を通る運河ボートが運航されていたようです。バンコクヤイ運河がチャオプラヤー川と合流したすぐ下流にあるサパーンプット(メモリアル橋)からここペットカセーム通り20までです。

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この運河ボートが運航されていたら、本当に便利なのですが・・・もしかしたら今でも朝夕はあるのかも知れません。そう言えばターチャンからバンコクノイ運河を通る運河ボートが朝夕だけありましたが、こうした地元の方しか知りようがない運河ボートがある(あった?)のもバンコクです。

さて、ペットカセーム通りソイ20に入って運河沿いに歩きましょう。初めにお断りしますが、前回ワット・パクナム、そして今回のエリアは観光で訪れる方も多い所です。ネットでも多く書かれているかと思います。私のブログでも何度か書いているし(笑)

ペットカセーム通りソイ20は車もやっと通れるぐらいの路地ですが、途中の電信柱に茶色の案内板があり、Khlong Bang Luang Floating MarketとArtist Houseはあっちと矢印があります。これが今回の目的地です。

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ペットカセームSoi20が突き当たった所は「ワット・トーン・サーラー・ンガームWat Thong Sala Ngam」で、門の上の鹿と鐘楼が印象的なお寺ですが、現地案内板などなく謂れなど不明です。外見からはそう古いお寺ではないようですが・・・

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このお寺を右に回りこみ後方に行くと別なお寺の「ワット・カンペーン・バンチャックWat Kamphang Bang Chak」です。小さなお寺ですが本堂の正面の壁画に古いお堂が残されているのが印象的です。

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ここも現地案内板がなくて謂れが不明ですが、古いお堂からはトンブリー王朝以前からあったのではないかと思われます。

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そしてすぐ横に古いお堂があり「萬林佛祖」とあります。両方とも中に安置された仏像はその前に座するだけで心落ち着く時を与えていただきました

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このお寺の本堂が向いている方向がバンコク・ヤイ運河です。境内が運河に面していますが、そこに新しく作られた「バーンルアン運河水上マーケットKhlong Bang Luang Floating Market」があります。何度も書いていますが、バーンルアン運河とはバンコク・ヤイ運河の昔の名です。

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この水上マーケットは運河沿いに2軒ぐらい食堂のような建物があるだけで、かなり強引に作ったのがミエミエです。「水上マーケット私的ランキングがっかり編」で見事2位に輝きました(笑)

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最近「バーンルアン運河博物館」(画像上)をオープンしましたが、古そうな物を片っ端から集めて棚に置いただけで、ミュージアムなんて名乗るのが恥ずかしくないのでしょうか。

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まぁ、こうした冗談のような所が出来るのもお隣に来る観光客目当てなのでしょう。その観光客が集まる所へ向かいましょう。

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運河沿いからも行けますが、運河から離れると風情ある路地が入り組んでいます。小さな橋(画像上)も強引にバイクが通るからか、中央が削れていますねぇ~

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そしてすぐにたどり着くのが・・・運河沿いの「アーティスト・ハウスArtist House」こと「バーン・シンラピンBaan Silapin」です。

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古い家屋を改装したギャラリーやカフェに土産物売りなどが運河沿いの木の通路に沿って並んでいます。

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バンコクヤイ運河を振り返れば、ワット・パクナムの白い仏塔が遠くに見えています。ここまでかなり歩いて来たので、今回はここまでにしましょう。

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バンコクヤイ運河を小さな橋で渡れば「ジャラン・サニットウォン通りソイ3Charan Sanitwong Soi3」で、このソイ内だけを走るソンテウ1418番でジャラン・サニットウォン通りへあっという間に出られます。こんな短い距離のソンテウは珍しいですねぇ~ 間違えようがないのでソンテウに慣れていない方に最適で、一律5バーツです。

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次回はこのジャラン・サニットウォン通りからバーン・シンラピンへのアクセス、そしてさらにバンコクヤイ運河に沿って歩きましょう。画像下の地図で歩いたルートを記しました。オレンジ色は前回のワット・パクナムからペットカセーム通りまで、赤色が今回のルートです。

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最後に、今回が第17回目のエントリーですが、過去のエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑭タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し⑮非常に印象的な二寺
トンブリー王朝の面影を探し⑯ワット・パクナム

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2018.02.04 | コメント(1) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑯ワット・パクナム

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

何年も前から知っていたと思っていたトンブリーでの街歩き。新たな気付きがたくさんあったのですが、今回と次回はトンブリーの中でも知られた所になるかと思います。

有名な所は他の観光ブログにお任せして、在住者のブログが書く事もないと思っているのですが、これだけ丁寧にトンブリーを紹小さな発見がありました・・・

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前回はワット・クンチャンから小さな橋を渡りワット・アブソンサワン(画像上)に行きました。そのワット・アブソンサワンから北へ続く細い路地に向かえば、木造の古い家が並んでいます。

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路地が交差する所ではワット・クンチャンの仏像が見えますねぇ~ そのままワット・パクナムへ続く路地を行きます。奥にワット・パクナムが見えますが、この路地には露天商も出ていて僧侶達の憩いの場でもあるようです。

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路地を抜けた所がワット・パクナムのランドマークにもなっている大きく真っ白い仏塔への入口です。

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この仏塔は中にエレベーターまであって5階まで上がる事が出来ます。それは展望用ではなく仏塔内に仏教感を表現する部屋(5階)や高僧の像、礼拝室などがあるからです。

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1階と3階にはミュージアムもあるのですが、その実態は主旨が分からないコレクションの展示に私には思えます。トンブリー地区の歴史的な展示でもあれば大喜びなのですが・・・

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このワット・パクナムはアユタヤ時代に建てられたようですが、ラマ3世治世下(1824年~1851年)で最初の改修が行われたとありますので、トンブリー王朝時にはお寺があったと思われますが、今とは全く異なったものでしょう。

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日本(千葉・成田)にも別院がある事や、高僧、お寺の造りなど多くの事が他のネットで書かれているかと思いますのでお任せしますが、参拝者が絶えず、境内はいつ行っても賑やかです。

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お寺の三方が運河によって囲われています。バンコクヤイ運河が正面(北側)で画像上、ダン運河が東側で画像下、パーシーチャルン運河が西側で画像下の下です。

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パーシーチャルーン運河はここからターチン川ドン・カイ・ディー近くまで一直線で28㎞の運河です。ラマ4世がアヘン税徴収官に命じて運河を掘らせたそうで、中国人工夫への支払いもアヘンが使われたそうです。そして工事費が回収されるまでは運河を利用する船から税金を徴収したそうです。それで「税金(パーシー)で繁栄(チャルーン)」でしょうか。

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運河の完成はラマ5世統治下の1872年ですからトンブリー王朝の百年後になります。ワット・パクナムすぐ横に画像上のように水門(プラトゥナーム)があって、近くに「パーシーチャルン水門船着場 Pashi Charoen Dam」があって運河ボートが運航されています。「全て見せますパーシーチャルン運河ボート②」からが詳細エントリーになります。

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さて、ワット・パクナムを離れてパーシーチャルン運河を渡り、バンコクヤイ運河に向かう為に長屋と長屋の間に入るとバンコクヤイ運河を渡る小さな橋があります。

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ワット・クンチャンからだとダン運河、パーシーチャルン運河、そしてバンコクヤイ運河と3回小さな橋を渡った事になります。

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橋を渡った先は「ワット・プラドゥー・チムプリWat Pradu Chim Phli」。残念ながらここには現地説明板がなくて謂れが分からないのですが、久しぶりにタークシン王廟がこの境内にあります。

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近く有名なワット・パクナムそして強烈な印象のワット・クンチャンがあるので、このお寺もワット・アブソンサワンと同じで何度か来ていながら気づかなかったのですが・・・珍しい涅槃仏があります。

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そうです。体の左側を下にしている涅槃仏です。多くの涅槃仏を見ていますが、私的にはここ以外で見た事がないように思えます。きっと気にして探せばもっと仰向けの涅槃仏よりはあるかと思いますが・・・ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーンでは仰向けの涅槃仏(画像下)を紹介しました。

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これだけ丁寧に何度も同じ所を訪れて街歩きをすると、その度に新たな気付きがある事に驚きます。そんなネットではまず書かれた事が無いだろう新発見が多いこのシリーズ、今回が第16回目のエントリーですが、過去のエントリーは次の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑭タラート・プルー
トンブリー王朝の面影を探し⑮非常に印象的な二寺

さて、ワット・パクナムへのアクセスですが、今まで歩いて来たルート上のトゥートタイ通りを走る以下の路線バス、特に4番は終点でUターンする先がワット・パクナムです。また土日ですとBTSバンワー駅から直接乗るパーシーチャルン運河が便利です。

4番(クロントゥーイ~タラート・プルー駅~ワット・パクナム)
9番(カンラプルック通り~ウォンウィエンヤイ~ 国鉄サムセン駅)
111番(トンブリー地区の短い循環路線)

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2018.01.29 | コメント(0) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑮非常に印象的な二寺

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

ブログ・エントリーとは別に実際に街歩きをしたのは昨年11月から2ヵ月以上かけてです。トンブリー地区は何年も前から歩き尽した感があったのですが、今回はローラー作戦のように路地一つ一つを歩き、気が付いた事を書いています。

時を置き何度か歩けば、同じ所で知っていたつもりでも新たに気づく事がたくさんあります。前回(タラート・プルー)そして今回と歩き尽して何度もブログに書いているのですが・・・それでも今回新たに知った事がありました。

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そんなお馴染みの所の街歩きの今回はワット・パクナム周辺です。

もう何年も公式サイト以外はネットを見ない主義に徹しているので、気になった事は現地の説明板になければ博物館や図書館で調べる事をしています。それで時間がかかってしまい、なかなかこのシリーズが進まなく今回が第15回目のエントリーです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑭タラート・プルー

それでは本題に入りましょう・・・

前回はタラート・プルーからバンコクヤイ運河に沿ってトゥートタイ通りSoi28の入口まで来ました。この路地に入ると奥にお寺があります。そのお寺が・・・なんて言うのかぁ~ 私の感覚からは全てが特徴的で印象的なのです。

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いつも真っ先に読む現地の案内板ですがここだけはあまり内容が頭に入りません。お寺の名が「WAT WARAMATHAYAPHANTHASRARAM」と長すぎて発音出来ないし、ラマ1世と2世に仕えた長い名のタイの高級官吏が、ラマ3世から50文字近いさらに長い名を与えられ・・・そんな事が長々と書いてあります。字が汚れか崩れてしまっているのもあって読み難いし、読む気すら薄れます(苦笑)

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結局はその高級官吏が善行としてこのお寺を建てたのが1827年ですから、ラマ3世治世下の事でトンブリー王朝後ずいぶん経ってからです。その時の寺の名が「ワット・クンチャンWAT KHUN CHAN」で、その後寺名が変わったようです。誰が貼ったのか・・・この説明板にはでかでかとワット・クンチャンとあるし、GoogleMapsもWat Khun Chanです(笑)

読み難い説明板と難解な寺名であっても、きっと誰もがワット・クンチャンと呼んでいるのでしょう。境内もWat Khun Chanとあるし・・・いずれにしても一度訪れたら忘れる事がない強烈な印象を与えるお寺です。

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まず大きく目立つのが大仏ですが、何年も前ですがこの大仏を遠く離れてBTS車内から見た事があります。正面から見ると・・・トンブリー地区で目立つワット・パクナムの白く大きな仏塔、その仏塔を背にしたお姿を見て、てっきりワット・パクナムの大仏様だと思ったのですが・・・行って見たら運河を挟んで違うお寺だったのです。

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それにしても(失礼ながら)平べったい仏像で、横から見ると何とも言いようがないのです。チャオプラヤー左岸(東側)テウェス近くに同じ平べったい仏像(立像)がある「ワット・イントラウィハーンWat Intharawihan」(画像下)を思い出してなりません。

Wat Intharawihan

比べるとワット・クンチャンはありがたみを感じないと言うか・・・それはワット・クンチャン全体がてんこ盛りの何でもありで、そのシュールな感じがチープさまで感じさせるように思えます。

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もっともこうした感覚は私が老いた日本人だからで、タイの人々は全くそう感じないのかも知れません。このお寺ではそれが顕著に現れますが、多くのタイのお寺で同じようにお寺や仏教に関しての感覚の違いを痛感します。

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境内には異なる涅槃仏が二体ありますが、一体はそもそも仏様なのか・・・やけに生々しく上半身を起こされています。

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何だか分からないまま、大きな(平べったい)仏像の横にある細い路地に入るとすぐにダン運河を渡る小さな橋です。

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橋の上から北側を見ると「ワット・パクナムWat Paknam」の大きな仏塔がそびえています。その向こう側でダン運河がバンコクヤイ運河と繋がります。

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ダン運河(そもそも本当にそう呼ばれているのか若干疑問ですが)はチャオプラヤー川元流であるバンコクヤイ運河から南に向かい、「バーンクンティアン運河Bang Khun Thian」と名を変えて「バンモ地区Bang Mo」や「バーンクンティアン地区」を流れますが、直線ではなくクネクネと曲がりながら流れる部分が多いので、昔からある川が源流だったように思えます。バンコク周辺では直線的な運河が多い中で珍しいのですが、その歴史を調べた事はありません。

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さて、橋を渡った先には古そうな木造の建物が並んでいて、いい感じです。商店になっていますが、特に観光客相手ではないようですし、観光客が通るような路地でもありません。橋を渡って右(北)へ向かえばワット・パクナム、そして左はすぐに「ワット・アブソンサワンWat Absornsawan」です。

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このお寺は養豚で成功したユー氏が信仰心から養豚場の土地を提供しお寺を建てたそうです。当初は豚もペットのように飼われていたとか・・・それで「ワット・ムーゥWat Moo」と呼ばれていたそうです。

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建立の年代は分らないようですが、ラマ3世治世下で大きな改修がされたそうです。画像上と下の建物は水の上に建てられているので、ネズミ避けの書庫か仏倉庫なのでしょうか? 勉強不足で分かりませんが、タイのお寺で時々見かけますが、ここまで美しい建物は見た事がないです。

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非常に大きく有名で日本にも分院があるワット・パクナム、そして上記のように非常に印象的なワット・クンチャンに隣り合うようで目立たないのか訪れる人は少ないです。しかし何と言っても非常に印象的なのが28体の黄金の仏像です。

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この28体の仏像は・・・仏教的によく言われる煩悩とか記憶や業のように、きっと意味がある28の数だと思うのですが、これも勉強不足な故に全く分かりません。

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訪れる人がなく、しかし非常に美しい28の仏像の前では時を忘れて見入ってしまいます。

直接トンブリー王朝に関係した地ではないようですが、冒頭に書いたように何度も訪れ本ブログでも何度か紹介済みの地でありながらも、それでもまた行きたくなるような情緒ある下町です。

ガイドブックもスマホも地図も見ずに(元々持っていないけど)、一つ一つの路地を丁寧に見て歩いた事への褒美にも思えるワット・アブソンサワンでした。ここも恐らくネットでは書かれた事がないだろう小さなお寺です。

ネットに頼って人が歩いた跡を追うような街歩きでは出合う事が無かったでしょう。もちろん短期間のご旅行の方々にはそうするしかないのでしょうが、少なくても在タイでいる限りはネットに書かれているような所、日本人が多い所に行く気はないですし、それを他人の跡を追うよにネットに書く事もありません。

さて・・・次はワット・パクナムへ向かいます。

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2018.01.23 | コメント(10) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑭タラート・プルー

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回はバンコク・ヤイ運河沿いにあるお寺を巡り、タークシン王を支えた二刀使いの猛将が眠り、珍しい仰向けの涅槃仏もあるワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーンを紹介しました。

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今回はさらに西へ向かって歩き、ウォンウィエンヤイに次いでトンブリーの商業的中心となっているタラート・プルー周辺を歩きます。

まずこの地区を指す「タラート・プルーTalat Phlu」ですが、これも現地説明板の内容をご紹介しましょう。

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タイ語の「タラート」は皆さんご承知のように「市場」の事で、「プルー」とは英語でBETEL、日本語だとキンマだそうです。キンマ自体はコショウ科の植物(画像下)ですが、刻んだビンロウジ(檳榔子、ヤシ科の植物の種子)と石灰をキンマの葉で包んで嗜好品として噛む習慣が東南アジアを中心にあったようです。

日本でのキンマはこのキンマの葉、そして嗜好品として噛む習慣自体、それにビンロウジに石灰をキンマの葉を乗せる漆器の器自体がキンマと呼ばれているかと思います。キンマの「キン」はタイ語の食べるに由来しているとも・・・

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タバコのように依存性があり、口の中で噛んで吐き出すような使い方だったそうですが、歯の変色(赤色)が激しく後に嫌われるようになったそうです。確かタイでは西洋との交流が増えてから文化的でないと禁止された事があったと記憶しています。

ラッターナコシン時代(チャクリー王朝初期)にタイ華人によりキンマがこの地区で広大に栽培されていて、今までのエントリーで紹介したワット・インターラームからワット・ラーチャクルの間で売られていたそうです。それでタラート・プルーです。

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ここからは現地説明板に無い私的推測ですが・・・キンマを大々的に栽培した華人はタークシン王に付き従った潮州人の子孫ではないでしょうか。トンブリー王朝からチャクリー王朝になってチャオプラヤーの東側に都が移り、徐々に商業の中心もヤワラーやサンペンに移り華人色が薄まりましたが、バンコク全体から見れば今でも中国を色濃く感じる街です。

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そんな時代の賑わいの名残なのか商家と思われる古い木造家屋(画像上)があったり、タイ語だけですがタラートプルーの街歩きマップもあったりします(ご安心下さい。これに書いてある以上の紹介をしていますから)。

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そしてこのタラートプルー地区の中心がタイ国鉄マハーチャイ線「タラートプルー駅Talat Phlu St.」です。1905年に民営ターチーン鉄道として開業しています。それにしても線路がぐにゃぐにゃですね。実際に列車に乗ると不安なぐらい横揺れします(笑)日本製の台車でないと脱線するとも聞いた事がありま。

トンブリー王朝が終わって123年後なので、ワット・インターラームで静かに眠っていたタークシン王も、ワット・ラーチャクルの武将ダープハックもさぞ驚いた事でしょう。

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このタイ国鉄マハーチャイ線は全線全駅を歩いて踏破し「マハーチャイ線を歩く17 ついに終点マハーチャイ駅」で詳しく書いています。

現在はウォンウィエンヤイが起点駅ですが、56年前(1961年)はチャオプラヤー川西岸に接していたクロンサン駅(現在のクロンサン・プラザ)が起点でした。その後、陸上交通の発達で線路は道路(ジャルンラット通りChroen Rat)となったものの、しばらくは線路が残されたままだったそうです。その名残が今でも見られます(私的想像過多)。

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元々、民営鉄道だった事から他のタイ国鉄との接続が全く無い路線ですが、2年後の1907年に民営メークローン鉄道としてバーンレーム駅~メークローン駅が開業し、バーンレーム駅とマハーチャイ駅がターチン川を挟んで向き合っています。本来は鉄道橋でターチン川を渡り繋がるはずだったのですが、実現せずに一時は鉄道発着と合わせて連絡船(渡し船)もありました。「補修を終えたメークロン線に乗る 3」でエントリー済みです。

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その為にマハーチャイ線をメークロン東線、バーンレーム~メークロンまでを西線と呼ぶ方もいます。実はメークロン駅から先も延伸計画が存在してタイ国鉄南線に繋がるはずでしたが、それも実現しませんでした。ちなみにメークロン駅は「線路上市場」とか「(傘)折り畳み市場」で有名です。「メークロン線と線上折り畳み市場 4」で詳しく書いています。

20180117 Maekhlong 2

話をタラートプルーに戻しましょう(汗)

国鉄タラートプルー駅周辺は線路際、そしてラチャダーピセーク通り下と屋台が特に密集しているエリアです。線路のすぐ横は別にしても(笑)、どの食堂もそこそこ美味しくお客が絶える事はありません。ラマ5世も食べたと言う店もありますが有名なので多く書かれている事でしょう。

20180117 TP 8


このタイ国鉄タラートプルー駅西端と駅屋台密集の上にあるのがラチャダーピセーク通りの陸橋(画像下で列車の上)で、鉄道線路とバンコクヤイ運河を越えます。ラチャダーピセーク通りって多くの日本人にとってアソークからホイクワンへ向かう大通りで知られているかと思いますが、途中色々通り名が変わりますが内環状道路なのです。

20180117 TP

このラチャダーピセーク通りに沿って南に700mほど行くとラチャプルック通りRatchaphruekとの交差点で、この交差点の西側がBTSシーロム線「タラートプルー駅」で、東側はBRTの起点「ラチャプルック駅」です。

20180117 TP 10

BRTはバンコクの新しい(とはもう言えないか)交通システムBRT(Bus Rapid Transit)ですが、2017年早々に2017年4月廃止のニュースが流れました。私的には「バンコク都無電柱化」や「バンコク屋台廃止」と同じレベルのニュースと相手にしていませんが、現在(2018年月)時点で変化はありません(笑)

しかしBRTがサトーン(BTSチョンノンシー駅)からラチャプルック(BTSタラートプルー駅)間で開業したが2010年5月で、2013年2月にはBTSがタラートプルー駅まで延伸されています。正直言って・・・ラマ3世通り沿いに住む方々以外はあまり意味ない路線となったBRTです。そんな事は計画時点で分かっていた事でしょうが・・・

20180117 TP 11

同じBTSの運営なのに駅をちょっと離して別な駅名を付けて・・・ちぐはぐな事が多いです。まぁ、政治的(利権的?)にかなり強引にBRTを作ってしまい、今はどうしようもないのでしょう。BRTはバスを使いますが、改札もプラットフォームもエスカレーターもある駅を道路上に造ったら、簡単に廃止できないのは分かっていたと思うのですが・・・

20180117 Map 2

さて、タラートプルーはこの辺で止めてバンコクヤイ運河に戻りましょう。

バンコクヤイ運河でラチャダーピセーク通り陸橋下からトゥートタイ通りSoi20を西へ向かいます。ラチャダーピセーク通りの反対側(東側)はお寺に市場、そして商店が多いのですが、西側は住宅が続きます。

20180117 TP 12

道なりに歩くとトゥートタイ通りに出るのですが、そこには木造家屋の市場があります。タラート・マリトーンですが今は市場として使われていないのか、中は食堂のような感じになっています。

20180117 TP 13

20180117 TP 14

この近くに非常に印象的な「ワット・クンチャンWAT Khun Chan」の入口があります。正式に今の寺名は「ワット・ワラーマート・パンタサーラーラームWAT WARAMATHAYAPHANTHASRARAM」だそうですが・・・

20180117 TP 15

これからがまた興味深い所なのですが、次回に続きます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺
トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺

広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントを頂けたら幸いです。なお、ご質問は大歓迎で一生懸命お答えしますが、それが役に立ったのか?立たなかったのか?など後でご一報下さい。質問だけの為に来られ、答えを得たらそれまで・・・の方が多く、正直そんな無作法に参っています。

2018.01.17 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑬王を支えた猛将が眠る寺

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回は、現在のトンブリー地区の中心とも言える「ウォンウィエンヤイWongwainyai」からタークシン王が眠る「ワット・インターラーム・ウォーラウィハーンWat Intharam Worawiharn」(画像下)までを歩きました。

20180105 Wat 4

今回はワット・インターラーム境内にある鄭皇廟からバンコク・ヤイ運河沿いに西へ向かって歩きます。相変わらずの路地歩きですが、お寺が続く中に市場がありその周辺を古い木造家屋の商店が囲むような、民家の軒先を歩くのとは少し異なります。

20180113 map 1

ワット・インターラームの西側に小さな門があってそこを通ると狭い路地が続いています。今まで見て来たトンブリー地区の路地はどこも民家の軒下に鉢植えの植物が置かれ、どこか故郷である東京の下町を思い出させるものがありましたが、どうもここは雰囲気が違います。

20180113 TP 1

小さなどぶ川運河を渡る時に横を見るとバンコクヤイ運河が流れていました。この小さな運河はほぼ南に流れアジアンティークの対岸近くでチャオプラヤー川に合流します。

20180113 TP 2

そして運河を渡ると市井の生鮮市場「タラート・ワット・クラーンWat Klang Food Market」です。バンコクヤイ運河沿いにたくさんありそうな市場、実はここしか私は気付きませんでした。

20180113 TP 3

この市場は「ワット・チャンターラーム・ウォーラウィハーンWat Chantharam Worawihan」とバンコクヤイ運河に挟まれた細長い所にあって、正面入り口のように見える所は運河側にあります。陸路より水運が盛んだった頃の名残でしょうか・・・

20180113 TP 4

市場の対岸では子供たちが運河で水遊びをしていましたが、本当にタイの子供たちは大人になる前にしっかり身体の抗菌性を鍛えています(笑)日本の何でも滅菌、殺菌、除菌・・・で育ったお子様たちの将来が心配なのは私だけでしょうか・・・

20180113 TP 6

さて、運河と市場を挟んでいるのがワット・チャンターラーム・ウォーラウィハーンで、現地説明板によるとアユタヤ時代に建てられたお寺で以前の名が「ワット・クランWat Klang」だそうです。それで市場がタラート・ワット・クラーンなんですねぇ~

20180113 TP 5

ところでタイ語の「クラーン」って真ん中って意味ですよね・・・きっと前回紹介のワット・インターラーム、そしてこの後に紹介するワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーンに挟まれているからでしょう。

と言う事で・・・次は市場の西にある「ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーンWat Ratchakhue Worawithan」です。これも現地説明板に寄るとトンブリー王朝以前に一人のモン族の男によって建てられたお寺で、多くのモン族の僧侶が住んでいたそうです。それで地元の人達は「ワット・モンWat Mon」と呼んでいたそうです。

20180113 TP 7

このお寺をトゥートタイ通りから見るとゴツゴツの岩で人工的に作られた岩山が目立ちます。形こそ違いますがまるで日本の富士塚のようですが、プーカオ・モーと呼ぶそうですが「プーカオ」はタイ語で山の意味で岩は海から取って来るそうですが、仏教的な意味などは説明板にはありませんでした。

20180113 TP 8

そして、ワット・ラーチャクルにはタークシン王に仕えた武将「プラヤー・ピチャイ・ダープハックPhraya Phichai Daphak」(1741年~1782年)が祀られています。二刀使いの猛将だったようで刀が折れても闘い続けた事が語り継がれています。

20180113 TP 9

画像上で刀が折れているのが分るでしょうか? タイ語でダープは刀でハッ(ク)は折れるで「ダープハックDaphak」です。ちなみに「ピチャイPhichai」は彼が生まれた「ウッタラディットUttaraditのピチャイPhichai」(タイ北部、スコータイの北です)で、「プラヤーPhraya」はチャオプラヤーの下の官位名かと思います。

ウッタラディット県の英雄で、ナン川が流れるウッタラディット市(県?)庁舎前にはプラヤー・ピチャイ・ダープハックの像が立ち、遠い下流でチャオプラヤー川になるナン川を見つめています。

20180113 TP 10

幼名チャイChaiは幼い時から格闘技ムエタイを愛し、家を出て本格的に修行し強くなり名をトンディThong Diとします。彼が20歳の時にタークで行われたムエタイの大会で当時ターク国主であったシン(それでタークシン)の目に留まり、護衛として仕える事になります。

やがてビルマ相手に闘ったタークシンの元で頭角を現し将軍となりました。後にラマ1世となるソムデット・チャオプラヤー・マハーカサット・スックと共にタークシン王を支えた左右の将軍だったそうです。画像下で中央はタークシン王で左がダープハックですが、右は誰なのでしょう? もしかしたら・・・

20180113 TP 11

ラマ1世はタークシン王を処刑した時に、ダープハックにラマ1世に仕えるように求めたそうです。ダープハックはそれを断り、タークシン王の死を大変悲しみながらも自らの命でトンブリー王朝とタークシン王の後を追いました。彼が41歳の1782年、トンブリー王朝が幕を閉じて今に繋がるチャクリー王朝が始まった年です。

話が講談のようになってしまいました(汗) こんな話を思い起こすのもトンブリーの街がそうさせるのでしょう。

以前(2015年)にワット・ラーチャクルでダープハック像を撮った時、彼が中央だったのですが、今は画像上のように変わっていますねぇ~ なぜだ誰が変えたのでしょか・・・ タークシン王を支えた忠実な猛将は中央では似合わないのでしょう。

20180113 TP 12

献花が絶えないプラヤー・ピチャイ・ダープハックの像に別れを告げてトゥートタイ通り側の門へ行くと・・・この寺の境内には珍しい仰向けの涅槃仏があるのです。そう大きな涅槃仏ではなく、見過ごしてしまいがちですが・・・

20171213 BY 4

私自身は他で見た事がないですねぇ~ 考えてみると仰向けの方が自然ではあるのですが・・・その謂れは分かりませんでした。

20180113 TP 13

さて、このワット・ラーチャクルでもプラヤー・ピチャイ・ダープハック像はバンコクヤイ運河を見つめています。それはまるでこの運河を遡り、ナン川を経て生まれ故郷のウッタラディットに行きたいと思っているかのように・・・

20180113 TP 14

そしてここでも、運河は外国人を乗せたツアーボートがエンジン音を響かせて行き来しています。

20180113 TP 15

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2
トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺

次回はタラート・プルーからワット・パクナムへ向かいます。

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2018.01.13 | コメント(8) | バンコク街歩き

前国王崩御後454日 今の王宮周辺は

今日は夜明け前に地響きまで感じるような雷で目が覚めました。ベッドの中でこの時期珍しいと思いながらも寝てしまったのですが、朝日が差し込んで起きる時間のはずなのに部屋の中がいつまでも暗いまま。起き上がって時計を見たら朝8時を回っていました。そして窓の外を見たら・・・

20180111 Weather

今日はイミグレーションに90日レポートに行くので楽しみにしていたのですが、止めました(笑)期限が過ぎますが、来週にしましょう。イミグレ公式サイトでは『within 15 days before or after 7 days』(期日前15日前~期日後7日以内)で別に急ぐ必要もありません。

それより、各国の人間観察の絶好の機会、新たな公共交通のチェック、複数の銀行でポロモーションを聞いたり、安くて美味しい(普通です)種類が多いキャンティーンもあるし、読書の時間も取れるので前の晩から楽しみだったのですが・・・残念です。

いつの間にか・・・雨が降っていたら当たり前のように外出する事がなくなりました。これもリタイアした生活の一部なのかも知れません。

考えてみれば・・・もう何十年も傘を差し、しとしと降る雨の中を歩いた事がありません。アメリカでもドイツでも車社会のドアツードアの生活で傘を持つ事すらありませんでした。以前のタイ在住時では運転手付きの車を持ち、雨の中を歩く必要がありませんでした。これも長い海外生活の一部なのでしょう。

唯一、今のロングステイ中に何度も雨に打たれたのが王宮広場でした・・・

20180111 Rain

さて、プミポン前国王が崩御された2016年10月13日から年が変わる事二回、2018年になってもこの大きな出来事をタイの人々は忘れる事がないでしょう。

このブログではそんなタイの人々と王宮エリアを見続けています。過去のエントリーは次の通りですが、画像下は崩御五日後の王宮前で取りあえず駆け付けた人たちが祈っていました。この時はまだ服装要求に組織的弔問や規制にボランティアは全く無かった頃です。

20180111 SL 1

第21回目「今日の王宮広場、雨に打たれて
第20回目「今、絶対に行くべき火葬の儀施設と特別展②
第19回目「今、絶対に行くべき前国王火葬の儀施設①
第18回目「前国王葬儀 直後2日 王宮周辺と王宮広場内火葬施設
第17回目「前国王崩御後374日 リハーサルに近づく事も出来ない
第16回目「前国王崩御後 一年 火葬の儀 内容・日程・注意
第15回目「前国王崩御後360日 一般弔問終了後の王宮周辺
第14回目「前国王崩御後11か月 弔問残り一週間の王宮周辺
第13回目「前国王崩御後9か月 今の王宮周辺は
第12回目「前国王崩御100日以後の王宮周辺
第11回目「崩御後8週間後のバンコク② 王宮周辺エリアの現状
第10回目「崩御後8週間後のバンコク① 今の王宮エリアは
第9回目「崩御後5週間後のバンコク、今の王宮エリアと交通事情
第8回目「崩御後4週間のバンコク、三大衣料品市場を回る
第7回目「崩御後3週間のバンコク、今の王宮エリアは?
第6回目「崩御後2週間のバンコク、観光地の今は?
第5回目「国王崩御後11日間のバンコク、変わる黒服と上京する人々
第4回目「国王崩御後210時間のバンコク、すごい事になった10月22日の王宮前
第3回目「国王崩御後117時間のバンコク②、王宮に集まる人々
第2回目「国王崩御後117時間のバンコク①、王宮エリアは?街は?
第1回目「国王崩御後53時間のバンコク、交通機関、街、市場、夜市は?

そんな一年以上見続けていた王宮エリアですが、王宮広場に建てられた火葬の儀施設の一般公開が昨年12月31日に終わりました。まだ二週間も経っていません。

20171107 SL 1

火葬の儀の施設は緑の芝だけだった王宮広場に1年で建てられた、プミポン前国王お一人の為だけの火葬施設です。火葬後は施設すべてが取り壊されて元の緑の広場になる事が決まっています。画像下は崩御1年前の王宮広場です。

20171108 SL 1

火葬の儀施設を実際に行かれて見られた方はもちろん火葬の儀を映像でご覧になった方も、この施設の立派な事に驚かれたと同時に取り壊されるのが・・・なんとも惜しいと思われているのはないでしょうか。

20180111 SL 4

私も強くそう感じていました。ただこの施設内で歴代の王たちの葬儀のパネル説明(画像上)を目にし、その後文献等で調べてみると・・・王の葬儀はアユタヤ時代から続く伝統に厳密に基づいて行われ、ラマ4世の葬儀(画像下)まではその規模が大きくなるばかりだったようです。

20180111 SL 2

その後、ラマ5世が莫大な労力と費用に嫌悪感を示して簡素化がされたようです。規模が縮小されたものの、一回だけの火葬に使われる施設である伝統は受け継がれているのです。

ちなみに画像下はプミポン前国王以前に行われた火葬の儀です。2012、2008年は国王ではなく規模は異なりますが、王宮広場が火葬の施設に使われいます。

2012年、ペッチャラッタナラー王女Bejaratanaは男子がいなかったラマ6世唯一のお子で、ラマ6世が亡くなられる二日前に生まれています。
20180111 SL 5

2008年、ガラヤニー・ワッタナー王女Galyani Vadhanaはラマ8世とラマ9世のお姉さんで、ラマ6世と7世の姪っ子になり、ラマ5世のお孫さんです。
20180111 SL 6

1926年、ラマ6世。 ちなみにイギリスで亡くなられ8年後に遺骨でタイに戻られたラマ7世、そして自身の寝室で銃弾により20歳で亡くなられたラマ8世の葬儀は分りませんでした。実はタイでは絶大な人気で偉大なラマ5世の後、6世、7世、8世とタイでは非常にセンシティブな事情があって調べるのも書くのもこれ以上は・・・そんな後のラマ9世ことプミポン前国王でした。
20180111 SL 7

こうして古い写真を見て行くと・・・王宮広場で繰り返されて来た儀式がよく解ります。ちなみにこの王宮広場は「サナームルアンSanam Luang」と呼ばれますが、以前はThung Phra Menと呼ばれていたそうです。その意味は「王室火葬広場」だそうで、要は王家の火葬の為だけの広場なのです。

ラマ9世、プミポン前国王の火葬の儀に戻り・・・

タイ王室の火葬に関しては施設も儀式もアユタヤ時代から続く伝統に基づくものである事を記しましたが、仏教だけでなくヒンドゥー教などの影響も私は強く感じました。

20180111 SL 8

プミポン前国王の火葬の儀は朝からずっとテレビ(英語)とインターネットの両方で観ていたのですが(画像上)、ワット・プラケオにある回廊の壁画(画像下)を思い出した人も多かったのではないでしょうか。ラーマキエンに登場する絵巻の世界が現実となったように思えた火葬の儀でした。

20180111 SL 3

さて、タイ王室の火葬の儀や王宮広場の役割など長々と前置き話をしてしまいました。本題の今の王宮広場に関して書きましょう。

一般公開を終えた火葬の儀施設はすでに工事に取り掛かっているのでしょうか? 立ち入りが厳しく規制されていた王宮エリアはどうでしょうか? 数日前の1月7日に周辺を歩いてみました。

まず王宮広場はまだ柵で囲われていて入る事が出来ません。そして王宮広場内北側にあった一般公開を待つ人々が列をなしていたテントは全て撤去され、がらんとしていました。

BEFORE
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AFTER
20180111 SL 9

20180111 SL 10

そして火葬の儀施設は・・・ぱっと見でまだ工事にかかっていませんでした。柵の外から見た限り(立ち入り出来ません)では外観上の装飾の数々もそのままのようでしたが、きっと保存する物など慎重に取り外されているのでしょう。

2018年1月11日午後追記
メディアニュースをブログで扱う事を非常に嫌っているのですが、本ブログを昨夜エントリーした後の本日午後のニュースリリースは無視出来ないので記します。

1月11日付けBangkok Post紙によると、本日(11日)午後から解体が始まり60日かかるそうです。そして、一部の鉄骨構造物等はアユタヤの歴史公園に移され、彫刻の一部がパトゥム・ターニ県の王室火葬博物館(この存在を私は知りませんでした)とナコーン・パトム県の伝統芸術庁(ここも私は知りませんが、Sanam Chandra Palace内かな?)に展示される事が報道されています。

また、過去の葬儀施設の一部が展示される事があるのは今回プミポン国王火葬の儀施設内展示であった通りで、これらの展示も国立系博物館、王室関係博物館等で展示されるかと思います。

外見からは分りませんでしたが、やはり保存する物など慎重に取り外していたのでしょう。ただ・・・このブログ主旨は火葬の儀施設の撤去であり、それがどこかに移転される事はないと考えています。


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さて、王宮エリア周辺の交通規制ですが・・・ほとんどが解除されていました。ほんの短い区間ですが、ワット・プラケオへの外国人入口の真正面の道(国立競技場やタマサート大学前の道)が通行止めだっただけです(画像下)。

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まぁ、この辺りで影響があるのは中国人団体ツアーの大型バスぐらいでしょう。国王崩御以前はちょうどこの通りに大型バスが路駐して中国人の方達を乗り降りさせていましたから。今は以前に比べてかなりスッキリしていると見えます。ツアーの方々は歩くのが少し大変でしょうけど・・・

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実は、王宮エリアを走る路線バスは路線数が非常に多くて、20から30近くの路線が走っています。それが崩御後に全てルート変更になったのですが、1年以上経った今回見てみると・・・崩御前の元に戻った路線、規制中で変更したままの路線、元に戻らず新たなルートになった路線・・・とマチマチでした。

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路線バスに関してはどうなるかを早く見極めて、このブログ「バンコク路線バス不完全ガイド」の内容を更新したいのですが・・・まだ落ち着くまで時間がかかるようです。

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しかし、1年以上交通規制で全く車両が通れなかった道路を走るバスを見ていると・・・なんだかバスが気持ちよく走っているように見えるのです(笑) そして、バスの中から王宮を見るのも・・・実に久しぶりでした。

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前国王が崩御された直後に駆けつけた人たちが祈った王宮の白い壁(画像このページの上から3番目)、今は観光客が強い日差しを避け、壁に寄りかかって疲れた体を休めていました。その壁の反対側では途絶える事がない中国人団体ツアーの列とその人達を囲む物売り達が喧騒を作り出していました。

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あまり見たくない、遭遇したくない、こんな姿がまた当たり前のように戻ったようです。正直今は・・・好きなエリアではないのですが、まだまだ王宮エリアには行かなくてはならないようですねぇ・・・

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2018.01.11 | コメント(4) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑫タークシン王が眠る寺

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

今回からバンコクヤイ運河沿いも旧王宮エリアがあるチャオプラヤー川を離れ上流に向かいますが、少しバンコクヤイ運河からも離れて現在のトンブリー地区の中心とも言える「ウォンウィエンヤイWongwainyai」に触れましょう。

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中央にタークシン王騎馬像があある大きな(ヤイ)ロータリー(ウォンウィエン)で、北から時計回りで「プラチャティポック通りPrajadhipok」 「ラートヤー通りLat Ya」「ソムデットプラチャオタクシン通りSomdet Phra Chao Taksin」「ペットカセームPhetkasem」の環状交差点です。

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プラチャティポック通りを北に向かうとチャオプラヤー川に架けられた2番目の大橋「メモリアル橋Memorial Bridge」に繋がります。この橋をタイの方々は「サパーン・プット Saphan Phut」(プット橋)と呼びます。プッタヨートファー橋(Saphan Phra Phuttayotfa)の略で、ラマ1世の名プッタヨートファーチュラーロークから来ています。 

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開通の1932年はラマ1世がトンブリー王朝タークシン王を廃し、チャオプラヤー川左岸(東側)に遷都してから現在に繋がるチャクリー王朝150年を記念してラマ7世により架けられた橋です。

こんな話をなぜするのかと言えば・・・この橋の開通がトンブリー地区を水運中心から陸上交通に大きく変わるきっかけとなったと考えています。1932年に橋が架けられると同時にトンブリー側に主要道路が整備され、ウォンウィエンヤイも出来ました。

そしてその中央にタークシン王像が建てられたのは21年後の1953年。日本ではテレビ放送が始まった年で、何を隠そう私も日本で誕生しています(笑)

また、1905年には民営ターチーン鉄道(現在の国鉄マハーチャイ線)がクロンサン駅~マハーチャイ駅間が開業しており、この地区がトンブリーの商業的な中心となって現在に至っています。

20180105 WWY 3

さて、ウォンウィエンヤイを離れてにバンコクヤイ運河に向かいましょう。運河と並行して走るような「トゥートタイ通りThoet Thai」を「タラート・プルーTalat Phlu」に向かいます。

トゥートタイ通りを歩くと次々とお寺が現れますが、その中で一番大きなお寺が「ワット・インターラーム・ウォーラウィハーンWat Intharam Worawiharn」です。入口の門の上にウォンウィエンヤイにもあったタークシン王騎馬像が彫られているのが分るでしょうか?

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トンブリー地区のお寺のほとんどはタークシン王像があったり祀っています。今シリーズの中でもすでにモスリム地区のタークシン王廟を紹介しています。しかしお寺の門にまでタークシン王があるのはここだけかと思います。

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現地の説明板に寄ると、ワット・インターラーム・ウォーラウィハーンは何度も寺名が変わっています(それ自体は普通です)が、アユタヤ時代(1351年~1767年)に建てられたそうです。年代まで分からないのですが、もしかしたらこのお寺の前に流れるバンコクヤイ運河がチャオプラヤー本流だった時代(1542年以前)なのかも知れません。

20180105 Wat 6

そしてタークシン王はこのお寺を最も好み、何度も来ては夜通し瞑想したと記されています。それを誰もが知る事だったのか・・・タークシン王が(後の)ラマ1世により処刑された1782年に彼の火葬場がこの寺に建てられました。

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前国王ラマ9世の火葬の儀(2017年10月)を観たばかりなので興味深いのですが、遠いアユタヤを離れて初めての王の火葬です。精神に異常をきたし処刑された(と処刑した側で後のチャクリー王朝にされているので、その歴史的真実に興味を覚えながらも)王なので、伝統的な王の火葬の儀は行われなかったでしょうが、タークシン王の火葬の儀がどのように行われたのか資料が見つかりませんでした。

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いずれにしても、ここで火葬が行われ遺灰が安置されたのは事実だと思われます。そしてその遺灰を収めただろう仏塔、その隣には彼の母が眠られていると言われる仏塔が並んでいます。その二つの仏塔前に「鄭皇廟King Taksin Shrine」があります。鄭とはタークシン王の中国名の一つです。

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これも現地の説明板によると、各地に4カ所ある最も大きなタークシン王廟の一つだそうです。その鄭皇廟内は多くの仏像がありますが、奥にタークシン王の像が祀られています。そして他のタークシン王を祀ってある所も同じですが、多くの刀が捧げられています。

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ワット・インターラーム・ウォーラウィハーン境内にある鄭皇廟、騎馬像、座位像、仏塔など多くのタークシン王縁の目の前にはバンコクヤイ運河が流れ、外国人を乗せた多くのツアーボートがエンジン音を響かせここを見る事無く通り過ぎて行きます。

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この鄭皇廟には春節時期の週末、そして毎年12月28日には多くの参拝者が訪れる事が知られています。私は年末にタイにいて以前からその事を知っていながら・・・正月準備の慌ただしさで失念してしまいました(汗)

その12月28日は1767年にタークシンが王となった即位の日です。

ところで・・・今までの本シリーズの中でも、このエントリーでも、トンブリー地区には多くのタークシン王廟があり、多くのお寺にもタークシン王像がある事を記しています。

トンブリーにタークシン王を敬愛する人々が多いのは何となく分かるのですが、トンブリーに限らずタークシン王は現在も多くのタイの人々に親しまれているようです。タークシン王を廃し処刑までしたその後のチャクリー王朝下でなぜなのでしょう? 230年以上前の一代限りの王がなぜ今も多くの人々に敬愛されているのでしょう?

私はその疑問を感じながら、ずっとトンブリー旧王宮エリア、そしてバンコクヤイ運河沿いを歩いていました。

その答えが鄭皇廟にある説明板にありました。

20180105 Wat 11

タークシン王はタイの人々(特にトンブリーに住む人達)にとっては勇敢な戦士であり、軍を率いてビルマ軍と戦った解放者として敬愛され、「国の英雄(Natinal hero)勇気の象徴(Symbol of bravery)自己犠牲に寄って国土を回復した男(Man of self-sacrifice who redeemed the countory)」と褒めちぎっています。

画像下はモスリム地区にあるタークシン王廟前にあるトンブリー王朝の最大領土を示した地図です。現在のカンボジアやラオスを含んでの広大な領土です。

20171123 Thonburi 4

400年以上続いた栄光のアユタヤ王朝がビルマにボコボコにされた後、軍と多くの人々を率いてトンブリーに都を移した後も闘い続け、多くの領土を回復しながらも最後は精神に異常をきたし処刑された一代だけの王。

現チャクリー王朝が都をチャオプラヤー川対岸に移したものの、タークシン王が現在のバンコク、そしてチャクリー王朝の礎を築いた事を前回までのシリーズの中で書いています。画像下はWat Chao Amにあったタークシン王の若い頃の肖像画です。

20180105 Wat 12

それだからこそ、現在のトンブリー地区の中心ウォンウィエンヤイに彼の騎馬像を置き、チャクリー王朝歴代のラマ王の名と並んでタークシン王の名を冠した橋がチャオプラヤー川に架かっているのでしょう。

さて・・・冒頭にメモリアル橋(プット橋あるいはラマ1世橋)が架けられたのが1932年で、同時にウォンウィエンヤイに繋がる道路なども整備さ、トンブリー側でも水運から陸上交通網へと変わる年だったと記しています。

20180105 Map 2

その1932年とされる古い写真があります(画像上)。一番下にかろうじてメモリアル橋が写り、画像で右下の角の陸地がワット・ポーや王宮エリアになります。その対岸がトンブリーの旧王宮エリアで、そのすぐ西は緑豊かな地(果樹園や未開地)のままです。

この写真が撮られた1932年の150年前がトンブリー王朝(1768年~1782年)です。タークシン王が住まいがあった王宮からワット・インターラーム・ウォーラウィハーンへ行くには・・・間違いなくバンコクヤイ運河を舟で行った事でしょう。

画像下はバンコクヤイ運河(以前はバンルアン運河と呼ばれています)で私が知る一番古い写真です。タークシン王が無くなって110年後、1892年のバンルアン運河です。ニューヨークのコダック社がカメラの大衆化を目指して創立された1888年の4年後の写真ですねぇ~

20180105 Canal

この写真の100年以上前・・・夜なら真っ暗でホタルが飛びかう中を月明りだけが頼り、粘りつくような光沢を放つ水面を静かに切るように漕がれる進む舟、そうしてタークシン王が王宮と寺を行き来した光景が目に浮かぶようです・・・

次回はタークシン王を支えた二刀使いの猛将が眠る寺やタラートプルーを歩きます。

さて・・・ウォンウィエンヤイからトゥートタイ通りを走る路線バスは以下の通りです。
4番(クロントゥーイ~タラート・プルー駅~ワット・パクナム)
9番(カンラプルック通り~ウォンウィエンヤイ~ 国鉄サムセン駅)
111番(トンブリー地区の短い循環路線)

4番と111番は本数が普通(10~20分に一本)ですが、9番は少なく30分以上待つ事も多いです。ウォンウィエンヤイを通らない175番(ノンタブリー船着場~ラマ7世橋~タラートプルー)もありますが、もっと本数は少なくなかなか見ないです。

20180105 Map 1

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1
トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2

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2018.01.07 | コメント(4) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

トンブリー王朝(1768年~1782年)の二百年以上前(1542年以前)はチャオプラヤー川の本流だったバンコクヤイ運河Bangkok Yai(昔はバンルアン運河Bang Luangと呼ばれていました)沿いは、タークシン王がトンブリーを都とした以前からお寺が点在し、人々の暮らしがあったようです。

20171223 KK 12

前回はバンコクヤイ運河沿いに広がるモスリム地区の中でも、運河の東側「グディ・カオKudi Khao」と呼ばれる地区を歩きました。グディ・カオとはバーンルアン・モスクの事でもあります。

前々回は「グディ・ジーンKudi Chin」と呼ばれる地区で、そこにはグディ・ジーンと呼ばれる建安宮、そしてグディ・ファランとも呼ばれるサンタクルーズ教会がありました。

今回歩く運河の西側には「グディ・ヤイKudi Yai」と呼ばれたトンソン・モスクがあります。今回の街歩きの中では分かりませんでしたが、もしかしたらグディ・ヤイ地区と言われているのかも知れません・・・

20171223 Map 1

あまりに多くの「グディKudi」が出て来るので真剣に調べたら、パーリー語起源で『僧の住む小屋』だそうで、アユタヤ王朝からトンブリー王朝を経て現チャクリー王朝初期までモスクやキリスト教会に使われたそうです。今まで本ブログでは「僧院」「僧房」として来ましたが、間違ってはいなかったようです。

さて、イサラパープ通りのチャルンファット橋でバンコクヤイ運河を渡るとすぐ道路の北側に「チャルンファット・モスクCharoen Phat Mosque」があり,モスク敷地に学校があります。

20171223 KK 8

このモスクはアユタヤ宮廷に近いイスラム教徒のグループによって建てられたそうで、。タークシン王が都をトンブリーに移して以来、彼らはここに定住したそうです。

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タイ寺院は平気で中に入るのですがモスクではそれがどうも出来ずに外から見るだけなのが常です。中に入れると是非見たいイスラミックアートがあります(画像上と下はGoogleMapsとBangkok Post紙の古い特集からです)。

20171223 KK 13

バス通りでもあるイサラパープ通りからチャルンファット・モスク前のソイ28に入ると一気にイスラム色を強めます。ただバーンルアン・モスク側と違って細い路地が入り組んでいる所ではありません。

横断幕がジャウィ文字なのかアラビア文字なのか?そもそもその差も知らないのですが(汗)何て書いてあるのでしょうねぇ~ そもそもタイのイスラム教徒はこうした文字を読めるのでしょうか? 分からない事だらけですねぇ~

20171223 KK 11

前回、そして今回とこのエリアを歩くと・・・どうしてもタイのイスラム教徒が気になるので調べました。現地の説明板や博物館では足りずに、図書館等の文献の方が参考になりました。個人のブログとしてはどうかとも思うのですが、この地区の理解を深める為に付け焼刃の知識で非常に大雑把に言えば・・・

インドはヒンドゥー教一色に思いがちですが、8世紀から(特に北インドは)何度か西アジアのイスラム国家に侵略され、11世紀以後にはイスラム化がされています。イスラム教徒とヒンドゥー教徒を別けたパキスタン分離後もインドには多くのイスラム教徒が暮らしています。ちなみに私が学校で学んだ時にバングラデシュは無く東パキスタンでした。そしてインド中部を旅した時にイスラム教徒が多い事に驚きました。

20171226 India

また9世紀にはペルシャやアラビアのイスラム商人が海洋貿易でインド洋を経て香料、象牙、陶磁器、絹、金銀銅・・・を求め東南アジア・中国にその影響力を強めて行きました。その大きな結果の一つが、15世紀からのイスラム国家のマラッカ王国(1402年~1511年)でしょう。マレー半島南からインドネシアへと現在に繋がるイスラム教の拠点となったはずです。

ポルトガルの進出でマラッカ陥落の後にもその北には同じイスラム国家のパタニ王国(1584年~1616年)が存在し、その時期はタイで言えばアユタヤ時代(1351年~1767年)に合致します。当時のパタニ王国とアユタヤ王朝は朝貢関係にありましたが、アユタヤ、トンブリー、チャクリー王朝とパタニ王国を支配化に置こうと何度もしています。画像下は1780年のフランス人が描いた東南アジアの地図です。

207171226 Map 1

そしてパタニ王国などマレー系モスリムのタイ(当時シャム)の強制移住はアユタヤ初期に始まり、チャックリー王朝ラマ5世ぐらいまで続いたように私は考えています。領土拡大の為に兵力を必要としたアユタヤ王朝は多くのマレー系モスリムを強制的に移住させています。

後のチャックリー王朝下で私が出合った記録では、ラマ3世統治下の1837年に工事が始まったセンセープ運河の掘削に多くのマレー系モスリムが使われています。当時、カンボジアに侵攻したタイはカンボジア南部でベトナムと衝突した第一次泰越戦争(1831年)、そして第二次泰越戦争(1841年)と東部への武器兵力輸送強化が必要な時で、その為にセンセープ運河が掘られたそうです。

その為か、センセープ運河沿いは今でも多くのモスクが点在しモスリムの人々が暮らしています。どこかでデータを見た記憶がありますが、バンコク全体の7割のモスクとモスリムの人々がバンコク東部にあるようです。このブログでもミンブリーやノンヂョークの街歩きでそんな事を紹介していますが、ラムカムヘン辺りから徐々にモスリム色を強め、ミンブリーから東はモスリムのコミュニティーが運河沿いに続きます。

20171226 Mosque 1

アユタヤ王朝中期から始まったチャオプラヤー川の蛇行する所にショートカットが掘られたのも、多くのモスリムが従事した事でしょう。そう言えばチャオプラヤー川のショートカット部には今回のエリアを含んでモスリムのコミュニティーが多くあるように思えます。

20171226 Mosque 2

一方、兵力や労働力ではなく、アユタヤ王朝が最初に西洋諸国と接した1511年(ポルトガル使節団)以前から、ペルシャなどイスラム国家との交易が盛んに行われていた事から、当時高い技術・芸術・文化を持ったペルシャ系モスリムが宮廷内部へ入り込んでいたのは間違いないでしょう。冒頭に書いたチャルンファット・モスクもそうした人々の子孫によって建てられたと思います。

さて、火葬が一般的でお墓も無いタイでイスラム教徒は土葬を必要としたそうです。そうしたモスリムの高級官史たちが眠る墓地がこの後で紹介する「トンソン・モスクTonson Mosque」にあります。

20171226 Ton Son 1

こんな事が分かって来ると・・・タイ南部の県は別にしてバンコクの一般的なモスリムの人々も数十万人レベル(おそらく40~50万人かそれ以上)でいるでしょうから、どうやって墓地を確保しているのか気になります。そう考えたら、日本においてもイスラム教徒の人々はどうしているのでしょう・・・

話を戻してバンコクヤイ運河沿いモスリム地区ですね・・・

チャルンファット・モスク前のソイ28を進むと、「タークシン王廟The King Taksin Shrine」と「ワット・ホン・ラッタナーラームWat Hong Rattanaram」に行き着きます。モスリム地区を分断するようにここだけちょっとおかしいのですが・・・

20171226 Shrine 2

トンブリーの広範囲にわたりタークシン王廟は多くの寺の中にありますが、その中でも2番目に大きいのかも知れません。もちろん一番大きいのはタラートプルーのワット・インターラーム内の鄭皇廟(タークシン王廟)だと思います。何しろタークシン王が祀られ王と母が眠る仏塔があるのですから(そこはまた詳しく書きます)。

タークシン王廟の上にある王の像が見つめているのは、歩いても10分程度とすぐ近くのトンブリー宮殿ことワン・ダーン宮殿のように思えます・・・

20171226 Shrine 1

そして王廟のすぐ前にあるワット・ホン・ラッタナーラームは元々「ワット・チャオ・スア・ホンWat Chao Sua Hong」あるいは「ワット・クルア・ホンWat Khrua Hong」と呼ばれ、アユタヤ時代に裕福な華人NAI HONGに寄って建てられたようです。それでホンHongがずっと寺名に付いています。

20171226 Hong 1

城壁の外ながら宮殿に非常に近いワット・ホンはトンブリー王朝時に宗教教育の中心となった記載が現地説明板にありました。本堂前にはなぜか古い大砲の複製品が置かれていましたが、その理由は分かりませんでした。

20171226 Hong 2

その何だか分からない大砲を除けば、静かでよく整備された美しいお寺です。観光客が訪れるような寺ではありませんが、本堂内も心落ち着くものがあります。本堂の黄金の仏像は腰がくびれ、身体全体がしなやかな(女性的な)スコータイ様式でしょうか。(言葉は適切ではありませんが私的には滑稽にも見えてしまい)ありがたみを感じないタイの仏像も多い中で美しい仏像かと思います。

20171226 Hong 3

タークシン王廟はともかく、ワット・ホンはモスリムのコミュニティーが確立される以前か、まだそれが小さな時にこの地に建てられたのでしょう。お寺の前はバンコクヤイ運河ですが、その対岸はバーンルアン・モスクで南はチャルンファット・モスク、そして北にはトンソン・モスクです。

20171226 Ton Son 2

ワット・ホンからまた運河沿いを北に向かうとトンソン・モスクです。「グディ・ヤイ」の名でアユタヤ時代の1688年に建てられましたが、現在の建物は何度か建て直されたものです。トンブリー王朝の80年前、おそらくバンコクで一番古いモスクだと考えられます。

20171226 Ton Son 3

アユタヤ王朝が西洋と接触する以前から宮廷に入り、その進んだ知識で高級官吏として仕えたペルシャ系イスラム教徒。そして、アユタヤ時代に故郷から兵力として連れて来られ、その後も運河掘削などで強制移住させられたマレー系モスリム。

20171226 Ton Son 4

このトンソン・モスクはそんな異なるイスラム教徒が交差した・・・トンブリー王宮のすぐ目の前であり、同時にバンコクヤイ運河がチャオプラヤー川のショートカット部と接する所なのです。

次回はバンコクヤイ運河沿いをタラートプルー方面に向かい、トンブリーの下町に入ります。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1

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2017.12.26 | コメント(3) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

トンブリー王朝(1768年~1782年)の二百年以上前(1542年以前)はチャオプラヤー川の本流だったバンコクヤイ運河Bangkok Yai(昔はバンルアン運河Bang Luangと呼ばれていました)沿いは、タークシン王がトンブリーを都とした以前からお寺が点在し、人々の暮らしがあったようです。

20171118 Thonburi 6

前回まで書いたように旧王宮近くで城壁外、バンコクヤイ運河の対岸でチャオプラヤー川に沿って「グディ・ジーンKudi Chin」と呼ばれる地はタイ人貴族、華人、そしてカソリック宣教師とポルトガル傭兵とその子孫たちのキリスト教徒が住み分けられたようです。

後にそれがタイ寺院、中華廟、カソリック教会など宗教施設を中心にまとまったと思われます。そしてバンコクヤイ運河に沿ってチャオプラヤー川からほんの少し離れると(アルンアマリン通りを渡ると)モスリム(ムスリム)の人々が住む地区になります。

20171223 Map 1

研究者でもないただの街歩き好きオッサンが勝手に線引きしましたが、こんな狭いエリアで宗教の違いがハッキリと色分けできる地はアジアの中でも特異な地だと思います。

今回はそのバンコクヤイ運河沿いに住むモスリムの人々が暮らす地区を歩きますが、ここもネットで書かれるのは初めての事かと思います。

グディ・ジーンからアルンアマリン通りを渡り、運河に沿って東に広がる「グディ・カオKudi Khao」地区、その中で一番近い狭く暗い路地に入ります。

20171118 Thonburi 5

私は世界中の路地裏を歩いているのでここに入り込むのに全く抵抗はありませんが、このグディ・カオは外部の人間を拒む雰囲気を少し感じます。ここが古くからのモスリムの方々が住むエリアだからでしょう(危険な意味ではありません)。

ここはアユタヤ王朝時代からモスリムの人達が住み着いていたようです。彼らの祖先はマレー系のモスリムでアユタヤを含めて各地からここに来たと現地の説明板にはあります。Khaek Phaeと呼ばれる船上に暮らすモスリムもここで商いをしていたそうです。

20171118 Thonburi 7

オックスフォード出版部が出している『BANGKOK A CULTURAL HISTORY』に寄ると、この地区で船上に暮らすモスリムは「perfumed powder,scented water, fragrant oil spice and household goods(香粉、香水、香オイルにスパイスや家財道具)」の商いをしていたようです。その内容を見ると交易品のように思えますねぇ~ 次回になりますが、タイに於けるモスリムの歴史も少し触れたいと思っています。

さて、このエリアの狭い路地で最初に見かけたのが、この周辺には似合わない工場のような所でした。複雑な配管がタンクと繋がれているようです。寡黙で渋い感じのオジサンが働かれていました。30年以上この地域の人達に水を供給している「ソムワン・ドリンキングSomwang Drinking」です。

20171118 Thonburi 8

英語での説明書があったので、それによるとソムワン氏(この渋いオジサンではなさそうですが)は政府浄水部門に勤めた後に、この地域の水問題解決の為にこのシステムを造った旨の説明がありました。

20171118 Thonburi 9

工場見学(笑)の後、オジサンが黙って「持って行け」言わんばかりにペットボトルを差し出してくれました。意外や本物(笑)っぽいドリンキング・ウオーターのペットボトルで、普段飲んでいる水より美味しく感じたのはなぜでしょうねぇ・・・

20171118 Thonburi 10

このエリアはどこもどぶ板の上に路地があるようなので、地盤が悪い水辺に杭を打ち込んで家を建て、その家々を繋ぐ危なげなどぶ板道が路地になったように私には見えるのです。近年まで上下水道も整っていなかった事でしょう。

20171223 KK 1

さらに日が差さない暗い路地を進むと突然に不自然な形をした広場に出ました。そこは強い日差しが眩しく思える真っ白なタイ寺院風の・・・「バーンルアン・モスクBang Luang Mosque」です。

20171118 Thonburi 11

タイで唯一のタイ様式のモスクです。と言う事で世界で唯一のモスクでしょう。この建物だけが周囲に対して違和感を感じる不自然な広場と方角にあるのは、GoogleMapsを見て納得が行きました。メッカの方角(西)に向けて建てられたのではないかと・・・

20171223 Map 2

モスクって礼拝する方角は必ずメッカに対してですが、建物自体が方角を気にしているとは思えないのですが、タイ様式のモスクだからこそこんな事になったのではないかと勝手に推測しています(苦笑)しかしモスクの周囲が地図にも載らない路地だらけなのが分るでしょう(笑)

20171223 KK 2

現地の人達はこのモスクをグディ・カオ(白い僧院)と呼んでいたそうで、それがこの地区の名となっています。建てられたのはトンブリー王朝後のラマ1世治世下のようですが、はっきりした年代を現地で知る事は出来ませんでした。

モスク周辺は何となくモスリム色を感じる家々がありますが、地区長とかモスクの管理者が住んでいるのかな・・・なんて勝手に思って路地歩きを続けました。

20171223 KK 5

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この地区をバンコクヤイ運河から見ると、他の水辺の家々とは異なり運河サイドへの解放感はなくて閉ざされた感じがします。上手く表現できませんが、(タイでは普通の)運河や川に面して家々が建てられたのではなく、反対側に向けて建てられた印象です。唯一、バーンルアン・モスクへ通じる船着場にあるゲート上にはモスクを示す球形のドームがありました。

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このモスリム地区の南側を走るイサラパープ通りItsaraphapに出てバンコクヤイ運河の対岸に渡ります。「チャルンファット橋Charoen Pat(Phat?) Bridge」からバンコクヤイ運河を撮りたいのですが・・・この電線はなんとかならないものでしょうか? 

20171223 KK 6

スクムビット通りのような都心部の表通りのほんの一部だけ(しかもそこに繋がるソイは無秩序で放置)で、バンコク都無電柱化を言い切る事にうんざりです。現状ではバンコク都全ての通りで0.1%もされていないでしょうし、少なくてもトンブリー地区はもちろんチャオプラヤー川西側には全く関係なくゼロです。

橋を渡れば少し先にはMRTブルーラインのファランポーン駅からの地下延伸部で最後の駅「イサラパープ駅Itsaraphap」があります。地下部はこれから歩くタークシン王廟やワット・ホンにトンソン・モスクの地下を通りチャオプラヤー対岸に繋がります。

20171223 KK 10

これが開通すると今回書いているトンブリー王朝の旧王宮エリアに行く起点となります(多少離れていますが)。

このイサラパープ通りは多くの路線バスが走っています。、これらの路線バスと東側にあるチャオプラヤーの渡し船が庶民の足になっています。

40番(大型ノンエアコンと黄色エアコン車はラムサリー~旧南バスターミナル、ミニバスはファランポーン駅~新南バスターミナル)、
56番(チャオプラヤー両岸に渡る循環)、
57番(トンブリー地区を南北に循環)、
149番(エカマイ~プッタモントン・サーイ2通り)、
177番(バーンブアトーン~戦勝記念塔などの循環)、
710番(チャオプラヤー西側の循環)

次回はこのモスリム地区でバンコクヤイ運河の西側を歩きます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地

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2017.12.23 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、前回から旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回の「ワット・カンラヤナミットWat Kalayanamit」や今回の「サンタクルーズ教会Church of Santa Cruz」はネットで多く書かれている事でしょう。

20171118 Thonburi 2

メジャーな観光地はもちろん、誰もが簡単にブログで書かれるような所も出来る限り書かない主義なので、ここにも何度か行っていながらも一度も本ブログでは触れた事がありませんでした。

そんな私的には本ブログで書く事がなかった所ですが、トンブリー王朝の面影を探す街歩きでは欠かせない所でもあるのです。まぁ、観光案内やただの街歩きの記録にならないようにして、テーマへの探求心と好奇心を満たす内容でありたいものです。

20171118 Thonburi 3

さて、前回はバンコクヤイ運河からチャオプラヤー川堤防沿いを歩き、中国廟の「建安宮Kuan An keng Shrine」まで来ました。そのまま堤防沿いを下流に向かって少し歩くと、「ジンジャーブレッドハウス」と呼ばれる古く朽ちて行くままの家があります。

20171220 Map

現在(数年前の話です)の持ち主はソムソクSomsookさんはサンタクルス幼稚園を所有している老婦人です。彼女の想いとこの家の保護運動が4~5年前に報じられた事があったのですが、結局うまく機能していないようです。

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Google Maps(英語版)「Windsor House」となっていますが、当初の所有者であったルイ・ウィンザーLouis Windsorが由来かと思います。彼は英国船長の息子で、対岸のニューロードとも呼ばれたチャルンクルン通りでWindsor Shopを所有していた裕福な英国商人だったそうです。

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バンルアン運河Bang Luang(後のバンコクヤイ運河)沿いの製粉業者の娘と結婚し、ラマ4世治世下(1851~1868年)に家を建てたそうです。少なくても150年以上前の家ですねぇ~

20171220 KC 3

何でこんな話を長々するかと言えば・・・トンブリー王朝(1768年~1782年)以後の話になりますが時代背景がよく分かる事例だと思うのです。ラマ4世治世下後半(1862-1864年)にタイ初の舗装道路として造られたチャルンクルン通り、そこへ店を出していた英国商人と結婚したのはバンコクヤイ運河沿いにあった製粉業者の娘・・・19世紀半ばまで主要輸送手段が運河や川の水路だったのが、陸上交通に変わる変化の時代の話です。

面白いですねぇ・・・そんな時代の移り変わりに思いを巡らせながら運河沿いを歩きました(その辺りがブログに登場するのはまだまだ先ですが)。さて、チャオプラヤー川を更に下流へ向かえばすぐにサンタクルーズ教会の正面に出ます。

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トンブリー王朝城壁の外でバンコクヤイ運河の対岸、そこが「グディ・ジーンKudi ChinあるいはKudeejeen」と呼ばれている事は前回説明済みです。アユタヤ王朝滅亡時にタークシン王に従って戦い、トンブリーに来たポルトガル傭兵に与えた地だと言われているのですが、更に歴史を詳細に調べると多少異なるようです。

戦火のアユタヤからカンボジアに逃げていたフランス人宣教師コーFr.Jacques Corre,MEP(MEPとはパリ外国人宣教協会)がベトナム人とタイカソリック教徒を連れてトンブリーに来たのが1769年だそうです。その後すぐコーはポルトガル人カソリック教徒を連れて来て、最終的には400人近いポルトガル人子孫が集まったようです。

20171220 KC 4

そしてタークシン王がこの地をカソリック教徒に与えたのが1769年9月14日、カソリックでは9月14日は「Holy Cross Day(日本語だと聖十字架の日でしょうか)」でイエス・キリストが掛けられた聖十字架が発見された日だとか・・・それでサンタクルーズSanta Cruzですね。

1770年には小さな木造のチャペルだったようです。その後何度か建て直されて教会が今の姿になったのは1916年です。去年2016年が100年だったのですねぇ・・・

20171220 KC 5

この教会周辺はGoogleMapsで道路が表示されない細い路地が続く所です。グディ・ジーンの路地のひとつに入るとポルトガル縁のお菓子「カノムファラン・グディ・ジーン」が売られています。直訳すれば「グディ・ジーンの西洋人のおやつ」でしょうか・・・

20171118 Thonburi 4

いかにも多くのブログで異国情緒として登場しそうな場所とお菓子ですが、正直に書くと・・・トンブリーでは全く普通にある路地に古くなってぼそぼそするマドレーヌ(カステラ)にざら飴を振りまいたようなお菓子です。忘れましたが一袋40バーツぐらいで、思わず聞き直しました(笑)ただ、カステラを知る日本人にとっては、ポルトガル繋がりを感じるでしょう。、まぁ、一度食べたら十分かと・・・

20171220 KC 6

お菓子屋さんがある路地をそのまま教会とは反対側に進むと「グディ・ジーン博物館Baan Kudichin Museum」があります。博物館としていますが一軒家のカフェでその上が郷土資料室のような感じなのです。

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一階のカフェもなかなか居心地良さそうですが、食べログ的内容は他のブログにお任せして二階に上がると・・・ポルトガル人のタイでの歴史が小さなスペースですが紹介されています。

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その歴史や展示物に関しては今までの本シリーズで多く紹介して来た通りです。簡単に言えばアユタヤ王朝の1511年にタイ初となる外交使節が来てから、ポルトガルは貿易・軍事など広く影響力を強めて行きました。

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資料の多くはタイ語と英語の併記で助かります。ここは小さいけど、トンブリー王朝の面影を探す旅には欠かせない所でもあるのです。

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そして路地を歩きここへ行きつくにも、ここから出るにも・・・タイの路地を歩くのに慣れていない方、方向音痴な方にはかなり手ごわい所でもあります。

20171220 KC 8

次回はバンコクヤイ運河沿いでグディ・ジーンの西側になるモスリムの人々が暮らす街を歩きます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン

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2017.12.20 | コメント(0) | バンコク街歩き

これってバンコクにいるのですねぇ~

昨日(12月14日)夕方前からバンコクではこの時期珍しい雨でした。体調が良くない事もあって部屋に居たので濡れずに済みましたが、普通なら出かけて帰るのに苦労した時間帯でした。

雨のせいではありませんが動けない日が多くなっているので、今日は普段の買い物でシーコンスクエアに行くのに、遠回りしてラマ9世公園内を歩いてから行きました。

20171215 Park 1

そのラマ9世公園、先週は大きなイベントがあって大変混雑していたと思います。特に先週火曜日(12月5日)はラマ9世誕生日(父の日でもあります)の祭日で朝から公園近くは渋滞でしたし、シーナカリン通りからは少し距離があるので近所のモタサイが集結してピストン輸送をしていました。

日曜日(12月10日)は花火もあると読者から教えて頂きましたが、家内とのスカイプ中で打ち上げの音が聞こえた気がしただけでした(汗)

そんなわけで混雑しているだろうから先週は意識して公園に行くのを避けていたのですが、イベントで花がたくさんあるだろう事を期待して行ったのです。

20171215 Park 2

持病があって激しい運動が出来ないので街歩きが唯一の運動ですが、暑さの中で歩道でも前後から容赦なくすぐ近くを通るバイクに怯え、デコボコ道に排気ガス、そして絶え間ない騒音・・・そんな非常に高いストレスの中での街歩きである事には変わりはありません。

20171215 Park 3

そんな中で自然に親しむ事で助かっているのが、アパート近くにバンコクで一番大きく美しい「ラマ9世公園King Rama IX Park」とメンバーにもなったウォータースポーツセンターがある「ノンボン貯水池Nong Bon Retention Pond」(画像上)があるからです。

20170927 Map

他にも歩いて行ける所に(たぶん)バンコクで一番大きいナイトマーケットがあったり、バスやソンテウで簡単に行ける静かな古市場がいくつかあるのも、ゆったりした時に身を置けるリタイアした身には・・・無機質なビルが建ち並びお金があれば何でも出来ると勘違いをしてしまう都会とは違って、ちょうど良い所なのかも知れません。

20171104 Hua Takhe 2

さて、いつもの長い前置き話はこの辺で・・・(汗)

今回のお題「これってバンコクにいるのですねぇ~」ですが、猿やイノシシが大都会を走り回り、鹿や熊も街中で遭遇するのがニュースにもならなくなった日本では大した事ではないのですが・・・

今日、ラマ9世公園に行ったら・・・私的には人生初めての動物を街中で見ました。それもずっと何分も見つめ合うように(笑)

いえいえ、ミズオオトカゲではありません。これは運河ボートを使い、公園を含んで街歩きが日課の私は犬や猫のような存在です。もっとも1m程度はどこでも見ますが、2m超になるとワニかと思い腰を抜かす程驚いた事があります@ラーチャモンコン工科大学タンヤブリー校(笑)

20171215 Park 4

タイは二度目ですしフィリッピンや台湾でも若い時に在住経験があるので、たいていの爬虫類系でも驚きません。ドイツとアメリカでは田舎町に住んでいたので、鹿やウサギは普通に身近に居ました。

20171215 Park 5

20171215 Park 6

田舎だった為もありますがアメリカでは南部のジョージア州だったのでアルマジロやアライグマも普通に通勤時に見ていましたし、ロサンゼルスのオフィスでは一年に何度かスカンクが出るのでその時だけは刺激しないように注意したものです(笑)

もう昔話はいい加減にして(汗)今日ラマ9世公園で見たのは・・・こんなんでした。

20171215 Park 7

別な鳥を撮ろうとしていた時ですが、分からないですよねぇ~ 拡大してみましょう。ピントが合ってないのが残念ですが(汗)

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南国のイメージが無くて最初は信じられなかったのですが、じっと見ていると目を合わせたまま相手も動きません。近づくと近くの別な枝に移りましたが、間違いなくフクロウです。

20171215 Park 9

動物でも鳥類は全く詳しくないのですが、耳(頭の両側にある跳ねた羽)が無いのでミミズクではなくフクロウだと思います。大きさは驚いた事に鳩より小さいです。子供なのか・・・アジア大陸南部にヒメフクロウと呼ばれる小さなフクロウが生息していると聞いた事がありますが、片隅とは言えバンコクですし・・・

何だか分かりませんが、タイでも地方に行けば普通に見られるのか知れません。私自身は初めて見た鳥なので、妙に興奮して楽しくもなりました。だって・・・フクロウは不苦労って言うでしょう(笑)

それで今日は私には似合わないのですが、鳥や花ばかり撮ってしまいました(笑)

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鳥も蜜を吸いたいのか花に寄って来ています。画像下は遠くから見た時は一瞬ハチドリかと思いました。アメリカ南部では住宅街でも見ますが、飛び方と動きがすごく独特なのでハチドリではないのですが、スズメより小さくて動きも独特でした。

20171215 Park 12

街中でどこでも見る鳩(公園などで群れで偉そうにしている鳩ではなく、半分ぐらいの大きさで草むらの中で遠慮気味にしている小さな鳩)も蜜なのか虫が居るからか、花の中に集まっていました。何をしているのか本当に聞きたかったです・・・

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花の名前は鳥以上に知りませんが(汗)ラマ9世公園なのでマリーゴールドがたくさんありました。もっとも本当にマリーゴールドなのかは定かではありませんが(汗)

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公園内は予想通りいつも以上に花に満ちていました。撮った画像を載せたらキリがないのですが、この美しい公園を維持するのは本当に大変かと思います。暑い中での手入れ・・・本当にご苦労様です。

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2017.12.16 | コメント(6) | 博物館・パーク等

トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、今回からは旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩きます。

さて、もう何年も他人様のブログを読む事はなく、他人様のブログ・タイトルを見るだけでも嫌になってランキング参加を止めてしまった私ですが、今回登場する「ワット・カンラヤナミットWat Kalayanamit」や「サンタクルーズ教会Church of Santa Cruz」は個人のブログで多く書かれている事でしょう。

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メジャーな観光地はもちろん、誰もが簡単にブログで書かれるような所も出来る限り書かない主義なので、今までここに何度か行っていながらも一度も本ブログでは触れた事がありませんでした。

そんな私的には本ブログで書くのが恥ずかしい気がする所ですが、トンブリー王朝の面影を探す街歩きでは欠かせない所でもあるのです。場所はチャオプラヤー川右岸(西側)でワット・アルンの下流です。

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チャオプラヤー川でこんなお寺や教会をご覧になった方も多いでしょう。この辺りは「グディ・ジーンKudi ChinあるいはKudeejeen」と呼ばれ、アユタヤ王朝滅亡時にタークシン王に従ってビルマと闘い、トンブリーに来た華人(潮州人)やポルトガル傭兵にタクシン王が与えた地です。

20171214 Map

まずはこのエリアに行くにはバスの便が悪いので、花市場のパーククロン(アサダン船着場)から渡し船を使い、 対岸のワット・カンラヤナミットへ行きましょう。「チャオプラヤー渡し百景4」でここを書いた時は3バーツだったのですが、今は5バーツです。(画像下はワット・カンラヤナミット船着場です)

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対岸(西側)へ行くと目の前が「ワット・カンラヤナミットWat Kalayanamit」です。バンコク最大と言われる仏像があるので有名です。私的には仏像の頭の大きさが少し気になるのですが・・・しかしそうした事は観光用のサイトやブログなどに任せて、歴史を現地の説明板で調べましょう。

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トンブリー王朝滅亡後43年のラマ3世治世下の1825年に建てられたお寺です。Chao Phraya Nikorn Bodin(Toh Kanlayanamitトー・カラヤナミット)が政府要職(Director General of Phra Suratsawadee Klang)に就いた時に、自らの家と土地、そして周囲のグディ・ジーンの土地も買って寄贈したそうです。詳しい事は分らないのですが、チャオプラヤーの称号を持ち政府要職に就いた事から貴族だったと思われます。

バンコクヤイ運河を挟んで対岸はウィチャイプラシット砦でその裏はワンダーン宮殿です。ワンダーン宮殿にはチャクリー王朝(ラマ5世まで)になってからも王族が住んでいた事を前回書いていますが、この周囲にも貴族の屋敷があったのでしょう。

20171123 Thonburi 10

そんな事に想いを馳せながらバンコクヤイ運河(以前はバンルアン運河Bang Luangと呼ばれていました)に向かって路地を歩きました。路地はバンコクヤイ運河と並行してアルンマリン通りへと繋がっていて、周囲は近年移り住んだような雑多な家々が並んでいます。

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無理やり家々の間の猫道を抜けて運河に出てみると、バンコクヤイの閘門のチャオプラヤー側に出ました。下の画像で閘門の向こう側は「ワット・モリ・ロカヤラムWat Moli Lokayaram Ratcha Worawihan」で、(見えないけど)右はすぐバンコクヤイ運河とチャオプラヤー川の合流点です。

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これも今回の街歩きで感じた不思議の一つなのですが、バンコクヤイ運河は閘門で水位をチャオプラヤー川と合わせていないのです。一方、北のバンコクノイ運河は閘門も水門もなく同じ水位です。いつかこの辺りも詳しくエントリーしたいと思っています。画像下はアルンマリン通りから撮ったもので、奥がチャオプラヤー川です。船を閘門内に入れて水位を上げ下げしています。

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話を元に戻すので、閘門の必要性への疑問はさておき(汗)

グディ・ジーンの路地に戻ります。近年移り住んだ雑多な家々の中に、昔は屋敷だったと思われる家もありました。まぁ行っても百年経ってないでしょうし、商家だったのかも知れません。

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さて、チャオプラヤー川沿いに戻って、川沿いを下流側に向かって歩きます。ちょうど堤防上に遊歩道が整備?されています。

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チャオプラヤー川上には「メモリアル橋Memorial Bridge」です。ラマ1世橋King Rama I Bridgeと呼ぶ方もいますが、タイの人々がバスの行先などで言うには「サパーン・プット Saphan Phut」(プット橋)と言います。ラマ1世の名プッタヨートファーチュラーロークから来ています。

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詳しくは「チャオプラヤー名橋奇覧⑦メモリアル橋」でエントリー済みですが、開通が1932年の跳ね橋です。本シリーズのバンコクノイ駅やトンブリ駅で登場した旧ラマ6世橋(現在は鉄道専用橋)の開通が1927年なので、メモリアル橋はチャオプラヤー川に架かった2番目の大橋となります(これはよくネットで間違えられているかと思います)。

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いやぁ~ 美しいし歴史的にも楽しい話ですが、話を戻してグディ・ジーン地区ですね(汗)

堤防沿いを歩くとすぐに中国廟の「建安宮Kuan An keng Shrine」です。ワット・カンラヤナミットも建安宮も、そしてこの後に登場するサンタクルーズ教会もチャオプラヤー川を正面として建てられています。

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タイ寺院、中華廟、カソリック教会が並んでチャオプラヤー川に向かって建っている・・・これは陸上交通が発達する以前で水上交通が主だったタイの都市、特にトンブリー地区で強く言える事以外にもこの地区が持つ歴史的な意味を現しているように思えます。

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ここも現地の説明板に寄ると・・・タークシン王に従った華人達によってトンブリー王朝時代に建てられたそうです。元々は二つの廟(Cho Sue Kong ShrineとKuan-U Shrine)だったのがラマ3世時代に一つになったようです。

20171214 KC 13

この事からこの地に多くの華人が住み着いた事が分かります。これがこの地区が「グディ・ジーンKudi ChinあるいはKudeejeen」と呼ばれる理由です。ジーンとは中国を意味し、グディは・・・この街歩きの最中に何人か地元の方に尋ねましたが、私のタイ語では解かりませんでした。どうも寺より小さな意味で仏教に関係した建物(僧院)のように思えます。

アユタヤを捨てトンブリーに王宮を建て、城壁と堀で王宮エリアを囲ったタークシン王は・・・城壁の南側にあるバンコクヤイの対岸に(まだワット・カンラヤナミットが無い時代)この地まで付き従った華人たち、そしてポルトガル傭兵たちを住まわせたのです。

そしてここはタイ人、華人、ポルトガル人傭兵・・・彼らとその子孫が中華廟や教会の宗教施設を中心として住むグディ・ジーンになったのです。

次回はサンタクルーズ教会に向かいます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き

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2017.12.14 | コメント(2) | バンコク街歩き

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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