こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。 5月31日、今朝の成田は晴れのようです。 昨日の横浜は30℃近くまで気温が上がりました。青空も広がり季節が初夏に向かっているのを実感した日でした。 それより地震や火山が気になる日本も実感しました。今回日本に滞在したのは合計8日間ですが、震度4が二回。それ以外に体に感じた地震は3回。火山は鹿児島・口永良部島の爆発的噴火・・・と何かおかしい日本です。 ところで昨日は日本最後の日、たまたま土曜日だったので家内と息子と一緒に食事とお墓参りでした。娘は残念ですがバイト。どんだけ墓参りするんだ思われるかもしれませんが、昨日は家内の実家のお墓です。 そしてお昼はまたお寿司(笑)。私は鯵と貝類の刺身、金目の煮付けなどを日本酒で楽しみましたが、家内と息子はにぎり。息子は一通り食べた後にトロなどもたくさん食べてました(涙) 昨日の行動にあわせて言うのではありませんが、実は私は子供たちが小さい時から二つの事を一緒に行動することで教えて来ました。 まったく大したことじゃないです。笑われるかも・・・ 二人の子供は生まれた時から私と一緒に住んだ経験が非常に少ないので、運動会とか普通の父親が子供と過ごす行事は全く経験ありません。普段の生活で父親として一緒にしてあげられる事もほとんどありませんでした。 そんな中でも、私が日本に行った時には出来る限り一緒に墓参りに連れて行ってました。私が教えるのではなく、子供達が大きくなった時、生活の中でお墓参りすることが自然に感じて欲しかったのです。まぁ私がお墓に入った時に会いに来て欲しいのもありますが・・・ もうひとつは寿司屋でカウンターに座り、きちんと食べられる大人になって欲しかったのです。だから小さな時から寿司屋に連れて行き、子供たちをカウンターに座らせて板前さんに注文させていました。私も職人の父に、そして跡を継いだ兄にもそうされたからです。お寿司の高い安いではなく、作ってくれる板前さんと向かい合って食べる事で、食事を意識させたかったのです。 そんな事が20年以上続くと、私が帰国した時は必ず墓参りにお寿司、時にはフレンチやイタリアンにもなりますが、そんな私自身の都合で押し付けた教育です。自分勝手な親ですねぇ・・・ まぁ、リタイアした身なので私自身は毎日が休日のようなもの。でも日本で家族と過ごす日が本当の休日と思えます。疲れたけど良い休日を過ごせました。 さて、今日はタイへの移動です。横浜から成田空港、そして(日本からは初めて乗る)エアアジアなのでドンムアン空港になります。 今朝は東海道線の始発に乗って東京駅へ。東京駅着午前5時52分で6時10分発の格安バス「THEアクセス成田」で成田空港第2ターミナルに着いたのが7時10分でした。 実は・・・今朝まで私は間違いなくタイエアアジアは新しく出来たLCC(格安航空会社専用ターミナルの)第3ターミナルだと思っていました。人生初の成田第3ターミナルだ!と思っていたのですが・・・ だってエアアジアと言えばLCCとして有名ですから。 危ない、危ない! 本当に間違えて第3ターミナル行く寸前で気がつきました。 実は第2ターミナルもこの10年ぐらい使ったのは数回。私はこの10年間デルタ一筋でしたから(笑) その第2ターミナルでもエアアジアのチェックインカウンターが分からず、とりあえずバスは第2ターミナルの最初のバス停で降りました。 タイエアアジア自体は前回のタイ在住時からタイ国内線、そしてベトナムやシンガポールへタイから行くにも使っていましたが、日本とタイ間で使うのは初めてのことです。 今回は当面日本に戻る予定が無いので片道。チェックインバッグを20kgと席だけ予約しておきました。 チェックインカウンターは「N」なのですが、少し分かりにくい場所。ちょっとターミナルから外側にはみ出た所でありました。 機内に持ち込む手荷物が7kgまでのようで、私は8.5kg。後で調整してくださいと言われましたが・・・どうするか? 後で報告します。 機内食が無いようなので、チェックイン、出国手続き後にうどんかお蕎麦を食べたかったのですが、第2ターミナルってサテライト側に行くのにモノレールが無くなったのですね。歩いて行ったので時間をロスしました。 搭乗ゲート前でサンドイッチだけ購入。機内で食べられるのか? さぁ、そろそろ搭乗時間です。タイに行くではなく、戻ります。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
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2015.05.31
| コメント(4) | 旅先通信
こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。 5月30日、今朝の横浜は雨上がりの晴れ。昨夜は寒いとすら思ったのですが、今日はどうも暑くなりそうです。深夜には地震もあったし、やはりどこかおかしい日本です。 さて今回の旅、正直疲れました・・・12日間でタイ~日本~アメリカ~日本、そして明日はタイに戻ります。(よく言われる言葉ですが)若い時は何でもなかったのですが・・・ 空を飛んでいた時間だけで34時間以上になります。それでまた明日も飛行機。単純には地球一周に近い移動になるでしょう。 疲れたのは体だけでなく、心も疲れきったように思えます。 言葉の使い方は間違っていますが、今回の日本とアメリカ行きは私の「終活」の一部だと思っています。人生の終活ではなく、男として働いてきた人生の一部への意味です。 昨年9月にアメリカでリタイアを決めて以来、ずっとバタバタしていました。日本と違い定年がないアメリカですから、自分が望めばまだ働けたのですが、自らの意思で長く働き続けた日にピリオドを打ちました。 日本のように退職日が決まっていて、それを指折り数えるのではなく、自分の中では覚悟していたものの、ある日辞めると決め会社に告げたのです。 アメリカの多くの企業が二週間の事前通知で、辞めるにも、辞めさせられるにも、簡単に退社できます。皆さんもテレビなどで観た事があるのでは? ある日会社に行くと、もう退社が決まっていて、段ボールに私物を入れて会社を去る・・・ 私は退社(リタイア)を自ら決めましたが、最後の日もそれと似たようなものでした。 人事で手続きのサインをしたら職場の誰にも告げず、誰の見送りも受けずに、挨拶もせずに、出来たら誰にも知られないようにと会社を去りました。 私生活もスーツケースに入らない物は全て捨てて、ワインセラーなど譲れる物だけ親しい友人達に渡し、ベッド、洗濯機などはアパートに残したままでした。 私の場合は会社を去ると同時にアメリカも去ることになったのと、そんな急な去り方をした為もあって、アメリカで処理しなければならない野暮用が残ってしまい、今回行くことになったのです。そこには自分の気持ちを整理する意味もあったのです。 アメリカ時間で一昨日の朝、ホテルをチェックアウトし、空港でレンタカーを返し、空港ターミナルのカウンターでチェックインをしよようとすると・・・・ そこに・・・会社で一緒に働いていた友人達が待っていました。平日の勤務中、多くの人でなく数人ですが、混雑していない新しいInternationalターミナルで目だっていました。前夜一緒に食事した親しくしていた日系の友人から連絡が回ったようです。 驚きと戸惑い、言葉にならず、ただ「ありがとう」と握手しようとしたら、誰もが自然とハグしてきました。いかつい男たちと年取った私・・・私は涙が止まらず、「じゃぁ、またな」「元気で」「どこかで会おう」短い言葉にすら返事が出来ませんでした。 私の悪い癖で搭乗時間ギリギリにチェックインしたので、時間がありません。彼らも仕事に戻らないとなりません。別れを惜しむ暇なく搭乗ゲートに向かいましたが、その時だけは空港で時間がないことを後悔しました。 もう働くことはないですし、アメリカにも行くこともないでしょう。 今回はそんな仕事、アメリカとの別れの旅でもあったのですが・・・思いも寄らなかった、人との別れが最後に待っていました。 自分はそんなアメリカにきちんと別れを告げられたのだろうか・・・そんな思いを抱いたまま、長い機上の時を過ごしました。本音では心を整理できないまま、また明日にはタイに向かいます。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.30
| コメント(9) | 旅先通信
こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。 5月25日、今日の横浜は晴れ。少し早く起きましたが、涼しく気持ちよい朝でした。 さて、今日この後昼前に横浜の自宅を出て成田空港に向かいます。 今日もデルタですが、これからアメリカに向かいます。成田発午後4時40分でミネアポリス着が同日の午後1時45分。ミネアポリス午後4時26分発でアトランタに向かい到着が午後8時です。 アトランタではレンタカーで去年9月まで住んだ田舎町に向かいます。早くてもホテルに入れるのは午後10時でしょう。ちょうど横浜の自宅を出てから24時間の移動です。 横浜の自宅からは東海道線の駅まで家内に送ってもらい、東京駅へ。東京駅からは先日成田空港から乗った「東京シャトル」ではなく、「THE アクセス成田」を使いたいと思っています。これは実体験で次回にでもエントリーしたいと思っています。 今回の日本帰国は6泊だけですが、横浜からどこにも行かずに墓参り以外は年金事務所、市役所などで手続きを色々していました。それ以外は家族との時間を出来るだけ多く取りました。離れているからこそ、家族の大切さを強く感じています。 日本での家族と過ごせるのは短い日々ですが、それだけに一日一日が濃厚に感じます。それは長く一人海外で勝手していた自分のエゴかも知れませんが・・・ 家内とは結婚して数ヶ月後には海外へ連れて行き、子供たちも海外生まれ・・・そんな家族だから言えることなのだと思います。 家内と子供たちを私が海外勤務中に先に帰国させ、我が家を横浜の地に決めてから、私自身は帰る家であって住み慣れた家ではなかったのですが、いつの間にかそんな横浜にも私も住み慣れた地になったようです。 ビルの谷間から見た横浜港周辺もクレーンが立ち並んでいるので、きっと次回見る時は街の様子が変わっていることでしょう。 アメリカでも3泊5日で色々な手続きだけの日々になります。 昨年9月末以来なので8ヶ月ぶりのアメリカになります。たった数ヶ月ですが、きっと以前と違う事ばかりが印象に残るはず。 色々な国で仕事をした自分ですが、実は赴任前はアメリカが一番嫌でした。やはり仕事では世界の中で一番の主戦場ですし、それだけに日本の親会社の注目度も高く、実際に問題も多くあったからです。私の英語が一番通じないのもアメリカですし(汗) 赴任してみれば、やはりアジアやヨーロッパとも違い、主戦場で闘っているローカルメンバーのプライドも高いし、日本から赴任したばかりの者はなかなか受け入れられない雰囲気いっぱいでした。 他の国では会社が職場の環境も、生活環境もある程度整えて迎え入れてくれるのですが、アメリカでは良くも悪くも個人主義。自分が働く環境を整え、住む環境も自分自身で整えるのです。何て言ったら良いか・・・色々な国の出身者が自分の力で仕事をし、周囲に認められるしかないのです。皆そうなのです。日本の親会社から送られた日本人なんて、邪魔者扱いされることはあっても、歓迎されることはないのです。 最初の一年は会社に住んだようなもの。朝7時から夜11時まで、週の中で徹夜するのは当たり前。時には週に5徹なんてこともありました。そうでもしないと仕事が追いつかなかったのです。自分自身が情けないと思う日々でした。 やっとアメリカでの仕事が認められたかと思うようなった時、体を壊して無理できないようになりました。日本とアメリカの間に立つのも正直うんざり。そんな時にちょうど55歳。早期ですが定年退職が認められる歳です。 迷いがあったものの、日本企業を早期定年退職する気にさせたのは、アメリカ側から「日本に戻らずこの会社に残って欲しい」と言われたからです。そして日本との繋がりを絶ち、アメリカで現地採用の道を選びました。 気がついたら、アメリカで10年。昨年9月に退職しましたが、それも自分が納得するような働きが出来なくなって、自ら申し出てのこと。定年退職がないアメリカですから、実力さえあればいくらでも働けます。その実力がないと自分が感じれば、無理して働ける環境ではありません。自ら引き時を悟った時から、あっと言う間にリタイアの道を選びました。こんな私が日本でまた働けるはずが無いと確信もしていたらからです。 長い人生で最後に働いた場がアメリカだったのは、自分らしいかも知れません。 今日は今からそんなアメリカに向かいます。 長いフライトですし、移動時間も24時間。距離も、時間すら異なる世界に向かうには十分に短い時間ですが、今回のアメリカ行きは私の人生で最後だと思っています。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.25
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こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。 5月21日、今朝の横浜は夜明け前の雷雨も止み、晴れのようです。 昨日も日差しの強さを感じる晴れでしたが、バンコクに比べたら湿気も少なく外にいて気持ちよい日でした。 さて、以前のエントリー「運んでいい物、だめな物 」 で書いたことなのですが・・・ 私は父をドイツ勤務時に亡くし、母はアメリカ勤務の時。私は両親とも葬式の真っ最中に空港から駆けつけた親不孝者なのです。 その母の七回忌が本来なら今の5月なのですが、それも前回帰国した2月に済ませました。その時は5月に日本に戻れるか分からず、思い立って2月の帰国中に親戚に相談した上で急に決めたことです。 親戚には話した上でお寺さんとも相談し、当日はお坊さん以外は家内と私だけの小さな法要でした。本当に私は親不孝者なのです。 その無くなった母は先の大戦中、B29の爆撃により右足の指3本と甲の三分の一を失っていました。その時の事を母は最期まで詳しく話すことは無かったのですが、東京の下町が戦争中どんな運命をたどったか、私達江戸・深川(東京・江東区とも言います)の子供たちは何となく知っています。爆弾の破片なのか飛ばされた何かの破片なのかが母の足に刺さり、運ばれた野戦病院のような所で手術、女子供は縁の下に置かれたそうです。母がまだ小さな子供の時です。 その為に母は靴を履いたことはなく、草履で鼻緒に残った指をかけて不自由そうに歩いていました。遠くに出歩くことはなく、近所での買い物だけが母の外出でした。父も深川の職人で「ちゃぶ台返し」を本当にするような荒い気性。子供だった私も働くようになるとすぐ、そんな家を出てしまいました。本当に私は親不孝者なのです。 私が働くようになると海外に行ったり来たり。日本に居なかったのも25年以上。父を亡くしてからは日本に帰る度に母の元へ行くものの、何か落ち着くことが出来ず、すぐ帰ってしまう・・・そんな事を繰り返していました。 足は不自由していた母ですが、八十代までは気丈な人でした。父が亡くなった後も一人で暮らし、毎日新聞を隅から隅まで読み、興味あることがあればゆっくりとですが、一人で出歩いていました。出歩けないけど好奇心が強い母だったと思います。 私がドイツで7年の勤務を終えた1998年の3月、ソフトバンク社から話があって「旅先通信」を出版すべき仲間達と頑張っていた頃です。 ソフトバンク社にて撮影会が行われました。執筆スタッフも続々集まり、まずはスタジオ内での撮影が行われ、引き続き近くのビジネスホテルへ移動。多くの人間が狭い部屋に入り、撮影機材を設置。ベッドをずらし電話回線を引き出す・・・・しかし、そこで撮影すべきローゼットタイプの電話引き込み口は無くRJ-11タイプになっていたのです! 困った・・・「急ぎどこかでローゼットタイプの家を探さなくてはならない!」 緊張が撮影会のメンバーに走る。 うーん、言いたくは無かったけど・・・実は私の実家はローゼットタイプ。しかもソフトバンク社がある人形町からは隅田川を挟んだ深川である。 急遽私は実家に電話、そのままカメラマン・編集者とタクシーに乗り、深川の実家に行くことになった・・・当時ドイツから日本へ戻って半年、3回目の実家でした。 実家にタクシーで乗り付け、大きな男たちが機材を持ちまるで乱入するかのように家に入ったからであろう、実家で撮影準備を行っていると近所の方たち数人が手に手に洗面器などの武器?を持ち飛び込んできた。 「森田さん大丈夫?」とお袋に呼びかける近所の方・・・最初はきょとんとした我々も、何か暴力団乱入と間違えられたと気が付き、撮影会のことを説明。一同大笑いの後、無事撮影が済んだのだが、まだまだ人情や近所付き合いが残る深川だったのです。 苦労して発刊された「旅先通信98」。巻末の「Special Thanks」にある森田光とは母の名前であり、私に黙っていたソフトバンク編集者の粋な計らいだったのです。 母は最後までぼけることなく、驚いたのは老眼にもならないで、私の子供たちは「最強のばあちゃんだ!」とまで言っていました。 そんな中、2009年の5月。2年ぐらい前からあちこち体が悪くなり入退院を繰り返していたので、実姉と家内が交代で母の面倒を診ていたのですが、その家内から「危ないかも」と連絡があり、そう緊急性が無かったものの日本へ戻りました。 日本で病院に急ぐと、一日前にかなり危なかったようですが、その時は何とか私の話に弱弱しいながら返事する状態でした。一週間ほど病院通いしたものの、その間私が長く病室に私が居ることはなかったです。話すこともなく、弱る母を見たくなかったのもありますが、ベッド横で何をしたらよいのか分からず居づらかったのが本音。 そして明日アメリカに戻るという日。家族や親戚が帰った後も珍しく私だけが病室に残り、夜のギリギリまで母のそばにいました。何となく離れがたかったからです。 その翌日にアメリカに戻りました。そしてその夜、家内から電話がありました。 慌ててすぐ日本へ戻ったものの、それは父と同じで葬儀の最中でした。 私はつくづく親不孝者なのです。 昨日はそんな母の命日でした。 家内と娘の三人だけですが、墓参りに行って来ました。 そして、仏壇の母の遺影をコピーしました。 足が不自由で遠くまで出歩けなかった母。もちろん海外なんて行ったことはありません。今回タイに戻るとき、母も連れて行くつもりです。好奇心が強かった母はきっと喜んでくれるでしょう。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.21
| コメント(2) | 旅先通信
こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。 5月15日、今朝のバンコク(の端っこ)は昨日までとは変わって晴れ間が多いようです。昨日いつ雨が降ってもおかしくない天気でしたが、今日は大丈夫かな・・・ さて今週の月曜、都心部から(私には珍しくエアコン)バス511番でウドムスックに向かっていました。いつものように運転手近くに座っていたのですが、目の前の軽トラックに目が釘付けになりました。 その時、場所はプラカノン市場のすぐ横です。いやぁ~、積んでいますね。マンゴーがゴロゴロと無造作にトランクに・・・ まだ熟れる前の青マンゴーですが、それにしても豪快と言うか無造作と言うか・・・ 私はマンゴーでは初めて見ましたが、スイカやパイナップルはバンナートラート通りでよく見かけています。 このトラック、一個マンゴーが落ちかかっていますが、この先はプラカノン運河を渡る橋で坂になっていますが・・・ もっと見ていたかったのですが、バスは無情にも追い越してしまいました。 私は「世界で二番目に好きな果物は?」と聞かれたら、迷い無く「熟したマンゴー」と答えます。青いマンゴーではありません。ハイ・・・ タイで初めて丸ごと一個のマンゴーを食べて以来好きになりました。日本でもアメリカでも見たことはありますが、高くてとても手が出ません。 「タイでの幸せ」の一つに安くて美味しいフルーツが豊富なことを挙げる人が多いですが、私もその一人です。画像のようにスイカ、マンゴー、パパイヤ、パイナップルは切らした事がありません。 これにライチが入ったら・・・もう嬉しくて嬉しくて気を失うかも知れません。「フルーツを目にし意識失う日本人」そんなタイ・ニュースダイジェストのタイトルが目に浮かぶようです。 さて正気に戻り、昨日の続きでロングステイ生活費・支出編です。 気が重たいのですが、始めますかぁ・・・ 昨日も書きましたが、この内容はあまりにも私事過ぎるし、微妙な部分もあるのですが、昨日の書いた理由でそこをあえて書くことにしました。 いつも言いますが、人はそれぞれ、タイでリタイアしてのロングステイ中の人が何人居るのか知りませんが、その人数分の異なったライフスタイルがあるかと思います。金銭的なことを書くと、どうしても高いか安いといった安易な比較をしがちですが、何よりも無理をせずにそれぞれが満足する時を過ごせればと思います。 それでは私の支出です。 ちなみに、アメリカでの一人暮らしの時から、エクセルを使った自分用の家計簿を使っています。恥ずかしいです(苦笑) その家計簿を1月からずっとつけているので、この下の内容はかなり正確だと思います。--アパート部屋代 8,500バーツ/月 アパートのロケーション、施設、部屋などはすでに何度も書いています。ここは部屋数が多く常時空きがあるようで、同じタイプで部屋代を見ると8,000~9,000バーツのようです。あまり階数には関係ないように私には思えます。--電気代 1,100バーツ/月 3月が1,041バーツ。4月が1,071バーツでした。それ以前は2週間留守したりで600バーツ以下でした。電気代は直接に電気局?から請求が来ます。電気代を使用量で割ると3.86になります。エアコンは暑い時(当たり前か)、シャワーの後とか、帰宅直後のように、その都度使っています。料理を毎日するので、IHクッキングヒーターを頻繁に使います。煮込みだと3時間ぐらい。扇風機は部屋に空気の流れを常に作りたいので、部屋にいる限り常時ONです。--水道代 90バーツ/月 ?? よく分かりません。アパート管理事務所からメンテナンス費用と水道代が一緒の請求書で来ますが、一度90バーツを支払いしただけで、それ以降はメンテナンス費用のみの請求書だからです。--通信代 590バーツ/月 これは「部屋のネット環境改善 」 でエントリー済みです。また携帯電話に関してもエントリー済みですが、最初にプリペイドで300バーツだったかをチャージしたままです。携帯電話が嫌いなのとかける相手もいないので、受信以外は使いません。でも使用期間が限られているようで、今後少しは使わないと(笑)--交通費 900バーツ/月 毎日何らかの用事でバスかソンテウを複数回使っています。4月5月とタクシー代はゼロ。BTS・地下鉄もほとんど使いません。毎日だと一日30バーツですね。そんなものかも(笑)--食費 8,000バーツ/月 3月、4月、5月と毎月下がっていますので平均です(最初は色々食材を試したり、備蓄もしましたので)。ビールや飲料水、フルーツ、お菓子、それに外食も含みます。朝はパン、ミルク、ヨーグルト、フルーツを部屋で。昼食は外で食べますが今の所レストランは数回です。夜は完全自炊です(ビール付)。--日用品 2,500バーツ/月 実は食費と日用品の区別があいまいです。スーパーで食品と日用品を買っても詳細まで区別しないからです。1月2月3月とキッチン関係、バスルーム関係で色々買ったのですが、今は落ち着きました。--洗濯代 400バーツ/月 アパートのコインランドリー。洗濯一回30バーツ、乾燥機20バーツで週に二回です。--その他 1,000バーツ/月 月二回のマッサージ。映画や本代などです。合計 23,080バーツ/月 自分の思いより少しオーバーですが、最初の4ヶ月なので毎月買う物が多かったです。これから徐々に減るかと思います。まぁ無理はしないけど、無管理にはしたくないですね。上記以外の初期費用 37,000バーツ 1, 部屋代 x 2 保障代? 後で戻るはずですが・・・ 17,000バーツ 2, ビザ取得は全て自力ですが、90日(2,000バーツ)、1年(予定)、それにシングルのリエントリー1回(1,000バーツ)で合計3,000バーツ (写真やコピー代を含みません) *リタイアメントビザ(NON-O)必要条件のタイの銀行に80万バーツ以上保持は除きます。 3, 銀行口座開設(二行)、オーブントースター、電気ポット、掃除機、IHクッキングヒーター、炊飯器、SIMカードと携帯電話、扇風機、ラジオ、電気ランプ、モデム、鍋カマなどの合計が17,000バーツ うーーん、多いのか少ないのか分かりません(笑) タイでの生活設営に最初14万円ぐらい必要で、それとは別に月に8万7千円が生活費でしょうか・・・これから月々の生活は落ち着くでことに期待しましょう(苦笑) 贅沢はしていないはずですが、節約も強く意識もしていません。アメリカ南部の田舎町で10年一人暮らしをした後にタイに来たので、その暮らしぶりがそのままタイに移動した感じです。今の自分の状況と性格・・・身の丈にあった生活だと思います。 しかし、こうして支出内容を書き出すと、本当に暮らしぶりが分かってしまいますね。それに性格すら分かるように思えます。まぁ、構わないのですけどね(苦笑) いずれにしても何かの参考になれば幸いです。恥ずかしい内容をエントリーした甲斐があります。とにかく、しばらくしたら、またアップデートしようかと思っています。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.15
| コメント(6) | タイ生活
こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。 5月14日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。このところ毎日同じような朝の空です。 昨日は夜明け前の雷雨から始まり、日中も雷鳴とにわか雨の一日でした。こんな日は雨に濡れずに行き来できるメガバンナーに行くのですが、まだ夏休みなのか平日なのにお子様が多く混んでいました。 あっ、そうか・・・官公庁はお休みの農耕祭だったのですね。今思いだしました。 ところで三日前ですが、「しぃこん」のTescoLotusでライチ(リンチ)を見かけました。今年初めて見たライチです。まだ実は小さく色づきも良くないのですが、とうとうライチが食べられる季節が来ました。 実は、「世界で一番好きな果物は?」と聞かれたら、迷い無くライチと答えています。タイで初めて生のライチを食べて以来好きになりました。日本でもアメリカでも缶詰でありますが、生を見たことはありません。 でこぼこしたライチの果皮を手でむくと、白色半透明の果肉が現れ、それを口にふくむと、少し濃い目の甘さに程よい酸味合わさった果汁が口の中いっぱいに広がります。口の中で少し大きめの種から果肉をはがし、行儀が悪いのですが、種だけ口から出します。そして残ったライチの果肉を飲み込む時には、もう次のライチを果汁でベトベトしている指でむき始めています・・・ ライチって、一年中あるものでないし、旬も短いですよね。痛みやすいとも聞いたことがあります。楊貴妃の話しは別にしても、痛みやすいことも日本やアメリカで生を見ない理由の一つかも知れません。せめてタイに住む間は毎日たっぷり食べたいものです。 あーーー本当に食べたい! そっ・・そうなのです。見ただけでまだ買っていないのです。今日はBigCに無かったしなぁ~ 生のライチの味を思うだけで、気が遠く・・・なるわけないのですが、クロワッサンたい焼きとは違い、旬が短いだけ早く食べないとなりません。 さて、今日の前置きはこのぐらいで、本題です。 今日のお題はすごくプライベートな内容に加え、直接的に金銭にかかわり微妙なことなので、何も自分の生活や財布の中身をさらけ出してまでエントリーする必要もないと、ずっと迷っていました。 しかし。すでに何度か本ブログで書いていますが、長くネット上で遊ばしていただいているので、今更強いて秘密めいたエントリーはせずに、住まいも、顔も、本名も分かる人にはそれで構わないと思い、あるがままに飾らず、リタイアした年寄りの日々を書いて行きたいと思っています。 それなら、やはり今回のテーマ「ロングステイの生活費」は意識して避けているわけではないものの、触れずにいるのが不自然に思えるようになりました。 ここにアクセスいただいた方の中には、少なからずタイでのロングステイに関心がある方もおられるかと思います。またタイを含めて海外で生活しておられる方が多いと思います。そんな方々何かの参考になれば望外の喜びですし、私の生活や性格を笑われても、たかだか変わった一人のおっさんの話し、価値観、趣味、生活・・・人それぞれですので、笑って通り過ぎてください。 それでは今回リタイアしてタイに来て4ヶ月を過ぎ、そろそろ生活も落ち着いたので、私のロングステイの生活費の中身です・・・って、全然大したことないのですけどね(笑)--収入-- 当然ゼロ! まったくありません。きれいな収入なしです。 だったら書くな!!と言われそうですね。ごめんなさい。 私はもうすぐ62歳2ヶ月。55歳で日本の企業を早期定年退職し、60歳からの年金受給を選択してます。その年金と退職金は全て日本の家族が使っています。子供たちがまだ学び舎に居たいそうで、家族3人だと年金だけだとやっていけないので、退職金を切り崩しています。 タイへはビザ条件をクリアーし、当面生活できるお金を送金しましたが、その原資はアメリカ勤務時に現地で何かあった時用に持っていたお金(ちゃんと月々家族へ送金しながら貯めたもの)。まぁ簡単に言えば貯金の切り崩しです(汗) これも何度か書いていますが、私は「移住」なんて大げさな事は全く考えたことがなく、少しタイに長く居させていただいているだけの「ロングステイ」。ブログで「移住」を語る人のような覚悟もないし、しばらくしたらまた日本へ戻るか、あるいは別な国に行っても良いと思っているぐらいの根性なしです。 今タイに暮らすのも25年以上の海外勤務の後に家族からもらった「長い夏休み」ぐらいのもの。家族に迷惑をかけないで、自分も贅沢せずに居られたら良いだけですが、それがいつまで続くかですね・・・ 入るお金がないのですから、大きな趣味のワインは封印中。一本千ドル以上のワインなんかゴロゴロしている世界ですから、ロングステイ中は完全に距離を置いています。 同様に食いしん坊なレストラン巡りも封印中。ただ以前のタイ在住中に知ったレストランぐらいは今後巡りたいと思っています。 ゴルフやカラオケは好きではなく、一人好きな音楽を聴きながら、本を読み、料理をし、タイの歴史、文化、建物、自然、交通、人々の暮らし・・・に昔から興味があるので、調べたいことがあれば公共交通で出かける・・・そうした事がタイ勤務時は少ししか出来なかったので、今それを出来れば幸せなのです。 そんな変わったおっさんの生活費・支出編ですが、長くなったので明日に続きます。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.14
| コメント(4) | タイ生活
こんにちは。アクセスありがとうございます。 5月7日、今朝のバンコク(の端っこ)は昨日とは違いうす曇ですねぇ~。 いやぁ~ それにしても昨日の午前中は青空が気持ちよかったです。その代わり日差しが強いです。昨日はメガバンナーに行ったのですが、バスの中は日陰側ばかりに人が座ります。午後から黒い雲が出てきたのですが、雨にはなりませんでした。雨季になると、そうも行かないでしょうねぇ~ さて、前回の続きですが、まずはお約束のお断りです。 このビザに関するエントリーですが、タイ政府イミグレーションのサイトにある手順だけで、私が自力でリタイアメントビザを取得する実経験を記しています。 決して他人にお勧めしているわけでなく 、私の間違いもあるかと思います。これからビザ取得を目指す方は、どうか参考にせず、ご自分が納得するまで調べるべきかと思います特にビザ関係は申請する側の人それぞれの事情がありますし、申請を受理審査する側の状況も不変ではありません。ネットでは当たり前の事ですが、自己責任でお願いします。 私はこうしたと言うだけの事ですので、ビザ関係に関してのコメントには特にお答えできない事もあるのをご承知下さい。ここはビザ取得解説ブログでなく、全てを事細かく書いてもいません。私自身の実経験を書いているだけです。 それでは前回の続きで、実際にイミグレーションが要求している必要書類関係です。 3月25日に行った最初の申請は観光ビザからリタイアメントビザへの「ビザ切り替え」になりますから、イミグレーションのサイトの「Required documents 」から「Change VISA 」を選び「FOR RETIREMENT PURPOSES -- 50 YEARS OLD 」と進みます。 ここからは英文は原文を、和文は私の要約詳細省略ですので、厳格には英文のみを見てください。DOCUMENTS TO BE SUBMITTED IN SUPPORT OF THE APPLICATION FOR VISA OR VISA STATUS ALTERATION (NON-O): FOR RETIREMENT PURPOSES. リタイアメント用NON-Oビザの必要提出書類です。The application must be submitted at least 15 days before visa expiration and, in case of overstaying in Thailand, application could not be submitted. 滞在有効期限15日前には申請しなければなりません。1.1.1 Form TM.86 for the foreigner, who has Tourist and Transit Visa and applies for Visa Status Alteration and applies for non-immigrant visa; or 1.2 Form TM.87 for the foreigner, who enters into Thailand without visa, but is allowed to stay in Thailand with a permit of stay for a period of 15 day, 30 days, 90 days and applies for non-immigrant visa. 申請書ですが、観光ビザの人はTM.86、ビザなしの人はTM.87を使用します。2.A copy of passport pages (for example, personal information page, last entries stamp, visa sticker and extension stamp (if any) and departure card (Form TM.6) パスポートと出国カードTM.6の必要コピー箇所の説明です。3.Either one 4x6 cm photograph or one 2 inch size photograph 申請に必要な写真の大きさです。4.Application fee of Baht 2,000 申請費用は2000バーツです。5.5.1 A guarantee letter from the bank in Thailand in Thai language (Attention: Immigration Commissioner)* 入国管理宛のタイの銀行のタイ語保証書です。 5.2 A copy of all entries of the applicant’s passbook showing that the applicant has a savings or fixed deposit account of not less than Baht 800,000* (all documents must be in the Applicant’s name). 80万バーツ以上の貯金がある申請者の貯金通帳コピー5.3 Evidence of foreign currency fund transferred to Thailand* *(Documents under 5.1, 5.2 and 5.3 must be issued and updated to be the same date of the Application and all documents must be in the Applicant’s name.)or タイへの外貨送金証明書(5.1, 5.2, 5.3は申請日と同じ日の更新発行が必要)。または、6.A guarantee letter from the local or overseas Embassy or Consulate, proving the monthly pension of the Applicant not less than Baht 65,000 per month (together with reference documents showing the source of said monthly pension); or 現地大使館か領事館による、申請者が月65000バーツ以上の年金を有する保証書(参考資料ととして年金の元資料)。または、7.Evidence of deposited money under Clause 5 and evidence of income under Clause 6 (for one year) showing the total amount not less than Baht 800,000 上記5と6を合わせて80万バーツ以上になる証明。 この後Remaksとして、申請都度本人出頭や全ての書類にサイン することなどが書かれています。 イミグレーションに書かれているのは以上です。非常に簡単ですが、簡単だけにこの文の理解や運用に差が出るのかも知れません。 過去「日本で取得するリタイアメントビザ 」「アメリカで取得するリタイアメントビザ 」とタイ以外の国で要求している内容を考察しましたが、私には日本は条件が煩雑、アメリカは合理的で誰もが分かり易いものと思えました。いずれにしてもタイで実際に申請する前に、違う国でタイのリタイアメントビザを申請する内容を調べたのは私にとって無駄ではありませんでした。 さて、上記の記載事項にそって、実際に私が行った書類の準備ですが、1, 申請書TM.86 イミグレーションのサイトからダウンロード出来ます。私はサイン部分を除きPC上で記入、印刷しました。内容は氏名、生年月日、生誕地、パスポート情報、タイ入国情報、申請理由、タイの住所などで簡単なものです。2, パスポートと出国カード 両方の原本、それに顔写真、入国スタンプ、観光ビザのページなどコピー3, 写真 4, 申請料2000バーツ 5, バンコク銀行の残高証明書に貯金通帳コピーと外貨入金票、日本の銀行の外貨送金票。貯金通帳は名前のページと80万バーツ以上の入金日から申請日までのページをコピー。 悩んだのは前回エントリーにも書いたとおり、タイの銀行に於ける80万バーツ以上の保持期間です。上記の通りイミグレーションの要求事項には保持期間は記載がありません。在京タイ大使館、在米タイ大使館でも考察した通り記載がありません。もちろん次のステップのVISA Extensionでは異なり、最初の年は60日間、その次から90日間の保持が記載されています。 もしかしたら最初から60日の保持期間を要求されるかも知れないのでバックアッププランを用意しがらも、44日間(2月10日着金で申請が3月25日)しか保持してない状態で申請しました。 長くなりました。また続くで申し訳ないのですが、次回は実際の申請当日の経験です。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.07
| コメント(0) | ビザ
こんにちは。アクセスありがとうございます。 5月6日、今朝のバンコク(の端っこ)は気持ちよい青空が見える晴れです。 昨日昼過ぎに乗った赤バス、片側だけの座席が全て空いていて、そこに座ろうとしたら、どの席も濡れていました。そう言えば都心の方は真っ黒な雲に覆われていたので、どこかで雨にあったのでしょう。都心に降った雨をバスがこんな片隅まで運んで来ました。 さて、ブログのテーマを変えて一ヶ月が過ぎたばかりなので、まだ書いていない、書きたいと思っているテーマはたくさんあります。ただ、いつか書くことがなくなったら、ブログでは鉄板ネタのランチ、それに自分が好きな甘いものと路線バスネタが続くのでしょうか・・・あまり早くには、そうなりたくないものです。 そのブログネタですが、毎回四方山(よもやま)話しばかりで、肝心のリタイアメントビザ取得に関しては時系列の流れからまだ書いていませんでした。そろそろ話の流れから、私がどう取得したか(まだ過程ですが)を書くタイミングです。 ところで、なぜかビザの話になると、センシティブな方がおられるのか、妙なコメントが多くなります。なにか困る方がいるのでしょうか? まぁ避けて通れないテーマですので、今回エントリーしますが、「私はこうした」と言うだけのことで、しかもその方法はタイ政府が公式に出している手順に従っているだけです。手順は同じでもアプローチは人それぞれ。同じ方法でもうまく行かない人がいるかも知れませんし、別な方法もあるでしょうし、抜け道・裏道もあるかも知れませんが、それらは私個人がかかわる事ではありません。 私はタイ政府イミグレーションのProceduresだけで、自分が取得できるかを試したかったのです。それで何度か失敗しても構わないし、面白いとさえ思っていました。 毎回ビザの話では書いているのですが・・・特にビザ関係は申請する側の人それぞれの事情がありますし、申請を受理審査する側の状況も不変ではありません。ネットでは当たり前の事ですが、自己責任でお願いします。 私はこうしたと言うだけの事ですので、ビザ関係に関してのコメントには特にお答えできない事もあるのをご承知下さい。ここはビザ取得解説ブログでなく、全てを事細かく書いてもいません。私自身の実経験を書いているだけです。 今日は変な前置きになりました。申し訳ないです。ごめんなさい。 さて、それでは私が目指したリタイアメントビザ(NON-O)自力取得の実経験です。 くどいのですが、全ての情報はタイ政府イミグレーションのサイト からです。 私はビザ申請にあたり一般的な検索をあえてしませんでした。まぁアパート探しなども同じでその理由を書いています。また、リタイアメントビザ取得前に観光ビザを在京タイ大使館で取得していますが、その時にも同じ手法で行いタイに入国しているからです。どうせなら全部自力で行いたいのです。学びながら、失敗しながら・・・ その中で唯一参考にしたサイトがDamascusさん のブログです。実は書類など準備を整えて、いざイミグレーションに行く2日前に、その行き方を調べて知ったブログです。 もう私は準備済みで、個人事情からアプローチが若干異なるのですが、自分の前に自力取得をされている方を知り、本当に心強く思いました。そのブログをもっと早く知っていたら、私は外貨送金や観光ビザも取らなかったかも知れません。あらためてお礼申し上げます。 さてそれではリタイアメントビザに話しを戻します。 まず申請者の条件ですが、上記イミグレーションのサイトから言えば、いきなり分かり難いのですが、90日得られる初回申請時(Change VISA)ではなく、1年への切り替え(VISA Extension)に「Criteria for Consideration」として記載されています。 リタイアメントビザ(NON-O)へのタイに於けるイミグレーションの手順を自分なりに理解すると、大きく別けて以下の二つの手順になるかと思います(あくまでも私の考え)。 1, ビザなし、あるいは観光ビザ等で入国した申請者がビザ切り替え(Change VISA )の申請で、最初90日の滞在許可を出す。 2, 90日の滞在許可の次にビザ延長(VISA Extension )で1年の滞在許可を出す。 それでは「Criteria for Consideration」にある条件ですが、簡単に言えば、50歳以上であること。それに、タイの銀行に80万バーツ以上保持しているか、月6万5千バーツ以上の収入(年金)(原文では最初Incomeとしていますが、後からPensionと英語が変わるので、年金と理解した方がいいでしょう)があること。あるいは収入(年金)と貯金と合わせて年間80万バーツ以上であることです。 さぁ次は実際の申請ですが、その前に私の申請時の状況です。 1, 1月9日ノービザで入国。タイ銀行口座開設、携帯電話入手、アパート探しと入居を済ませて2月7日出国。 2, 日本帰国後、2月9日に日本の銀行からタイの銀行口座あてに、80万バーツ以上になる円を円建てでバンコク銀行へ送金指示。 3, 在京タイ大使館で観光ビザ取得後、2月21日タイ入国。 上記の状況で3月25日に最初の申請を行いました。2月にタイに戻りすぐ申請をしなかったのは・・・実はこの時、タイの銀行での80万バーツ以上の保持期間が「指定がない」と思えるものの、「60日以上」か分からず、自信が無かったのです。 タイの銀行には2月10日に着金しているのを知っていましたから、60日後で4月10日以降にすると、別な条件の申請時に15日以上のビザ有効日があることに抵触するので、一度観光ビザ(60日)を延長(30日)する必要があります。まぁそれも想定した観光ビザ取得だったのですが・・・ この後に記すイミグレーション要求事項だと初回ビザ切り替え時に80万バーツ以上は要求されていますが、保持期間は何も触れていません。 ただし、90日取得後の次のステップ1年間の申請時(VISA Extension)は最初の年だけ「For the first year only, the applicant must have proof of a deposit account in which said amount of funds has been maintained for no less than 60 days prior to the filing date 」の通り60日以上と書いてあります。 と言う事で、ダメ元で80万バーツ以上の保持期間が60日以内で申請してみたのです。ダメなら観光ビザを一度延長し、60日後に申請すれば良いからです。結果オーライだったのでタイで観光ビザの延長をしないで済みました。 長くなりましたので、次回に具体的申請内容などエントリーしたいと思います。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.06
| コメント(5) | ビザ
こんにちは。アクセスありがとうございます。 5月5日、今朝のバンコク(の端っこ)はうす曇。夜明けより青空が見えてきています。 今日は日本で子供の日。青空を優雅に泳いでいるこいのぼりが目に浮かびます。もっとも私が生まれ育ったお江戸は昭和の時代も大きなこいのぼりを泳がせる家はなく、今時ならベランダと言われる軒先で小さなこいのぼりを飾るぐらいでした。 私はお江戸・深川の職人の子供で、育ったのはちょうど映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界そのものですから、こいのぼりなんて家にはなく、今思えば唯一「柏餅」が子供の日の記憶です。上新粉で作ったお餅に餡を入れ、柏の葉で包んだ柏餅・・・あのクロワッサンたい焼きも敵わない最強の和菓子です。 自前画像が無かったので、「とらや」さんのサイトからの拝借です 柏餅を思い起こすだけで気が遠くなります。どうして柏餅がタイで売られないのでしょうか? 私なら気を失うぐらいの行列でも並ぶのに・・・ さて、話を進めましょう(汗) 阿部首相がアメリカでの一連の行事を終え帰国されたそうです。連邦上下両院合同会議での演説など私的に興味深いものがあるのですが、今日はホワイトハウスで行わた晩餐会での日本酒が私の古びた記憶を呼び起こしたので、今日はそんなエントリーです。 くどいのですが、このブログの前身は「ワインな日々fromアメリカ」だったように私は無類の酒好きです(キッパリ) 同時に甘党でもあるのですが・・・(汗) ビールはヨーロッパ在住時に「ビール巡礼」と称してチェコ、ドイツ、ベルギーなどビールの起源と歴史にちなんだ地をめぐりました。最も好きなビールはケルンで飲める繊細かつピュアな上面発酵のケルッシュと、名ばかりになったトラピストビールの中でも伝統を守り続けるウエストマールのトリプルです。 ワインは本ブログにも「人生を変えるワインとの出会い 」で書いた、当時パリで二つ星だった「ミシェル・ロスタン」で飲んだシャトー・オー・ブリオン1985年と86年のヴィンテージ違いで、完全にノックダウンでした。本当に気が遠くなるぐらい旨かったのです。ワインの概念や人生そのものを変えました。 もちろん世界各地のワイン産地に行きました(ワインは産地に行っても旨いワインに巡りあうものではありませんが)・・・ 止めましょう。年寄りの昔話、しかも嫌われるワインのうんちく・・・ 件のホワイトハウス晩餐会で、乾杯に安倍首相の地元山口県から「獺祭」の大吟醸が選ばれたそうです。「だっさい」と読みます。地元に伝わるカワウソ(川獺)の伝説にちなんで付けられた名前です。 ところでこのブログ(の前身)では「ホワイトハウス御用達の泡 」のように、ワイトハウス晩餐会でのワインについてもエントリーしています。そのほとんどが驚くほど高いワインやスパークリングではなく、アメリカでは入手し易いものが多いです。ハイ・・・止めます(汗) 「獺祭」を選んだのがアメリカ側か日本側(からの提案)かは知りませんが、きっとこれで獺祭は入手困難なお酒になってしまったでしょう。そもそもこの1年ぐらいで人気が高まったお酒ですから。 ところでこの獺祭、私は2年半ぐらい前の日本出張時に偶然知って、「だっさい日本酒は驚きの旨さ! 日本に着き松本へ 」 でエントリーしていました。 その時に書いたのは・・・「とにかく旨いです。辛口嫌いな自分の好きな日本酒の要素を全てバランスよく持っています。濃密な香りに程よい酸、芳醇な味、本当にバランスが良いです。しかも後口の切れ味が良いのに、あい反するように思える余韻も長いのです。」と自分でも驚く評価を書いています。(獺祭のどの酒だったかは忘れました) 阿部首相のアメリカ訪問ニュース、思わぬ所で完全に思い出してしまいました。日本酒の旨さを・・・もう居ても立ってもいられません。もう日本に行くしかない!とチケットを手配してしまいました。ちょっと遅くなりますが柏餅も食べられし・・・ あっ、まだ先の話ですけどね。 ところで今日のエントリーはいったい何だったのでしょう(汗) もう「タイご飯とビールな日々fromバンコク(の隅っこ)」とタイトルを変える時期が近づいているのかも知れませんね。 広告等一切なく、ブログ・ランキングも参加していないブログです。このすぐ右下の「コメント」をクリックしてお気軽にコメントやご質問をして頂けたら幸いです。コメント欄にあるメールアドレス・URL・パスワードの記入なしでも送信出来ます。
2015.05.05
| コメント(9) | タイ生活
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