旅愁 タイ国鉄北本線

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月30日、今年も残るところ半年になってしまいました。皆さんお元気にお過ごしのことと思いますが、くれぐれも怪我に事故、そして病気に気をつけてお過ごし下さい。

今朝のバンコク(の端っこ)は良く晴れています。昨日の日中もよく晴れた一日でした。野暮用で運河をボートで移動していたのですが(センセーブじゃないですぞ)、川面を渡る風が心地よく流れていました。

ところでアパートからバス一本で行けて比較的近い事からよく行く下町の繁華街バーンカピ。ここの市場そばで見たマンゴスチン売り・・・見た目も工夫して半分切って売っていました。あの中の白い実を見るだけで、口の中でとろける感覚を覚えます。
Mongosteen

一番好きなフルーツのライチはもうとっくに市場から姿を消しました。このマンゴスチンも旬の終わりが来ますねぇ~ 次は何でしょうか・・・


さて、「深夜特急」から記憶の旅に出た鉄道シリーズですが、今日は北本線です。

タイ国鉄南本線は南の島へ行くのが好きだった事もあって、トラン、スラタニ、チュンポンなど多く使いました。金曜の夜、仕事後に出発できて、最短では日曜夕方に現地を発って、月曜午前中には仕事に戻れたことも大きな理由でした。

それに対して北本線はチェンマイへ一回ほど往復で使っただけで、その後は飛行機を使っていました。チェンマイ自体も南の島のように頻繁に行かなくて、前タイ在住時に一回、その後も今までで二回ですから、全部で三回しか行っていません。

南に行く時は島への期待で熱気や開放感の中で列車に乗るのですが、北へ向かう時はバンコクと異なる文化を感じるのが楽しみだったからか、静かに旅を楽しむ・・・特に北へ向かう列車では少し物悲しさを覚えたことを記憶しています・・・・


少し長めに休暇を取った2002年から2003年にかけての年末年始の事です。

ダイバーのメッカ、タオ島へバスと船で行き、休暇を過ごしていたのですが、到着日以外はずっと激しい雨と風でバンガローに閉じ込められていました。それに我慢できずバンコクに戻ることを決心。帰りの船もバスも切符を持ってない強み?ですが、はたして年末のこの時期に切符が取れるかどうか分からないまま、お世話になったバンガローをソンテウの荷台で雨に打たれながら後にしました。(画像は雨のタオ島です)
Tao

桟橋の旅行事務所でチュンポン行きの船がタオ島に向かっていることを確認し、船とバンコクまでのチケットを発券してもらいます。船が400バーツでバスがVIPバスで450バーツ。桟橋で雨を避けながら船を待つこと2時間半。悪天候で遅れて船が到着。悪天候でかなり揺れながらチュンポンの桟橋に着き、そこから市内のバス発着所に着いたのが18時。これでバスが定刻通りなら3時間待ちだったのですが・・・今度は悪天候でスラタニ発のバスが2時間遅れる通知。結局5時間以上バスを待ち、やっとバンコク・カオサンに着いたのは31日の朝8時過ぎでした。

年始の休暇を長めに取っていたので、南の雨から逃れるように北の都チェンマイへ行くことをその時には決めていました。カオサンからファランポーン駅へそのまま向かいチケットの購入。無理かと思ったのですが、この時も一等寝台を確保できました。2003年元旦のチケットです。考えてみると帰郷のタイミングからがずれて、旅行の西洋人たちも飛行機か列車ならもっと安いチケットと、中途半端なタイミングだったと思います。

大晦日の朝に戻ったアパートの部屋。たまった新聞ぐらいしか出発から何も変わらず大晦日を思わせるものは何もありません。バスや船での旅の疲れでぐっすり眠れ、花火の音で目が覚めたらもう2003年でした。コンドからの花火、エンポリアムで少ししか見えません。
Fireworks

元旦の朝はバンコク都内のお寺にお参りし、その帰りに列車で食べることになる夕食の買い物をしてから帰宅。16時半時にはタクシーを拾ってバンコク中央駅に向かいました。
さて、いよいよ後半の北の都チェンマイへの旅の出発です。


バンコク中央駅は人と荷物で混雑しただろう年末を終えた新年は普通の混み方。列車の発車は17時40分でほぼ定刻の17時50分に出発しました。
Station

さて、この日は自宅からクーラーボックスにシャンパンを入れて列車に持ち込みました。夕食はデパートで買った惣菜とパンなのですが、それでも列車や駅で食べる夕食よりマシです。これがせめてもの新年と年の最初の旅を祝う支度でした。

注文を取りに来た食堂車のお姉さんに撮ってもらいました(シャンパンとグラス持参には驚いていました)
ALSTER

寝台列車でシャンパンに酔えばたちまち眠気が襲ってきます。パソコンを閉じて横になればいつの間にか眠ってしまい・・・列車があえぐような感覚を覚えて時計を見れば朝の6時前。

車窓のカーテンを開けば外はまだ暗いながらも何となく山の輪郭が暗闇に浮かんでいます。やっと長いタイ中央部の平野を抜けて北の山岳地帯に分け入ったのでしょう。またそのままカーテンを閉じて暗闇の中に身を任せて再び眠ってしまいました。

こんな寝台列車の旅が好きなのです・・・狭いコンパートメントを暗くして、狭く硬いベッドに枕で体を起こし車窓を観れば、そこは小さなスクリーンになります。それまで明るかった電灯を消せば、まるで一瞬で舞台模様を変えたように車窓のガラスは線路沿いに広がる田園風景が列車の窓明かりで浮かび上がります。
Window

そこはアジアのどこにでもあるような景色なのでしょうが、夜行列車の車窓には少しセンチメンタルな郷愁にも似た感情がその景色に浮かび上がるように思えます。

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2015.06.30 | コメント(0) | タイ・トラベル

ロングステイの食卓 恋しいオムライス

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月29日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れています。

昨日は朝のうちは曇っていたのですが、昼前からどんどん晴れてきて、夕方の雨まで久しぶりに青空に白い雲が浮かぶ気持ちよい天気でした。不思議なもので買い物や散歩も元気良く歩けます。

さて、二日前のエントリーで映画を観に行ったエンポリアム2ことエムクオーティエでの事です。ここでのお約束、「クロワッサンたい焼き」をまず表敬訪問したのですが、行列の最後が見えなかったのが嘘のように、行列どころかまったくお客が居ませんでした。
Taiyaki

ここって仮店舗じゃなくて常設店のように思えるのですが、大丈夫でしょうか・・・って流行り物だからもう飽きられて駄目かも・・・

台湾フライドチキン店「Hot Star」の行列もだいぶ少なくなり、お昼ちょっと過ぎだったのに10人以下でした。今回行列が目立ったのは地階?のフードコートの奥に出店していた「Pie face」。小さなパイに顔文字を入れたもので、今回はどこよりも人を集めていましたが、ここもいつまで持つのか・・・
Pie

と言う事で今日のお題は美味しいものですが・・・


私は「一番好きな洋食は?」と聞かれたら、かなり迷いますが「オムライス」と答えるような気がします。二番が「カレーライス」で三番が「ハンバーグ」、四番が「カニクリームコロッケ」・・・止めましょう(汗)

初めて食べたのは子供の時でお袋に連れられて入った近所の「そば屋」だったと思います。もう50年以上前になりますね~

昔の下町のそば屋ですから、今でも地方の駅前にある何でもある食堂のようなもので、蕎麦からうどんにラーメン、カレーライスもあって、その中で一番格好良く見えたのがオムライスでした。

そう言えば外でカレーライスを食べたのもこのそば屋ですね・・・今から思えばルーと合わせるスープをかつおだしにしていたのでしょう。スパイスの効いたカレーとは大きく違うものでした。

懐かしいなぁ~ そば屋のカレーライスを食べたいなぁ・・・・話を戻しましょう。そうそうオムライス。


生まれ育ったのが江戸・深川は佐賀町で永代橋のすぐそばでしたので、隅田川を渡れば新川、茅場町、人形町、日本橋で洋食屋さんの名店が多くがありました。一番有名だったのは白木屋(その後東急百貨店を経て今はコレド日本橋)裏の「たいめいけん」でしょうか。

たいめいけんのスタンダードオムライスは昔から全く変わっていません。
Taimeiken

今は立派なビルになってしまい、三代目がよくテレビで出ていますが、ここのオムライス(後で有名になるタンポポオムライスじゃないです)は玉ねぎとチキンではなくハムのみじん切りで作っていました。ワインか酒を隠し味にしているようでバター、ケチャップも米に馴染み包んだ卵と絶妙の味わいでした。今は行列店なのでずいぶん長く行っていないです。

大阪にも好物のオムライスがあって、心斎橋は「明治軒」のオムライスと串カツをよく食べたものです。中のケチャップライス自体がとろけるのが特徴です。ただ、毎回行くたびにアーケード街から入る道を一本間違えてはうろうろするのですが・・・
画像は明治軒ホームページより拝借しました。
Meijiken

心斎橋には他にもオムライスの有名店があるのですが、大阪はこうした手軽な食べ物が多く本当に美味しいです。

アメリカではオムライスがある店が近くにあるはずがなく、ずっと手作りだったのですが、今回タイに来てオムライス専門店があるのに正直驚きました。

最初に入ったのは「オム」
ワールドトレードセンターでも見たのですが、アパート近くでシーコンスクエアとパラダイスとの間のショッピングセンター「HaHa 55」1階にあります。

ここではたまたまかも知れませんが、残念な結果になりました。
基本のケチャップオムライスMサイズ108バーツを頼んだのですが、まずケッチャプが冷たいままで塩辛く濃くて、オムライス上のケチャップを全てスプーンで排除しました(笑)。チキンライスはまさか作りおきしてないだろうが、そんな感じがしてならないものでした。卵は固めでしっかりライスを包んでいるので、これはお店のレシピかと思います。
Omu

次が出来たばかりのエンポリアム2内の「ポムの樹」
ここでも基本のケチャップオムライス188バーツです。ここもトマトケッチャップが濃い目で少し酸味が強い、おそらく他の創作オムライスにかかっているソースやトッピングになるとあうのだと思うが、ケチャップだけだとちょっと辛くなるのが本音。
Pom

オムライスって、ケチャップライスと卵が口の中で溶けるとろふわ感が生命線だと思うのですが、どこもどうもケチャップが使い過ぎか濃いのか、折角のとろふわ感を台無しにしているようでなりません。ただ一回限りのことで普段は異なるのかも知れませんが・・・。

オムライスを自分用に一人前だけ作るのは工程も多く面倒ですし、IHコンロが一口だけなので作りにくいのですが、アパートでトライしてみました。
結果・・・包み込むのに失敗しました、味はそこそこでした。まぁ自分で作って自分で満足するのですから笑っちゃうますけどね。
OmuRice


今日はオムライスの画像にうんざりだと思います。すいません。

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2015.06.29 | コメント(6) | 食いしん坊録

旅情 タイ国鉄南本線

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6月28日、今朝もバンコク(の端っこ)は曇り空です。昨日も少し雨が降ったものに終日雲に覆われた一日でした。もう何日も同じような天気が続いています。

「旅情」60年前に作られたこの古い映画を知っている方はよほどの映画ファンでしょう。
キャサリン・ヘップバーン演じる主人公はアメリカで秘書をしている独身女性。長期休暇を取り、夢であったヨーロッパ旅行を実現し、最後にオリエント急行で水の都ヴェニスまでやって来る。そして一人ヴェニスを歩きサン・マルコ広場のカフェで休んでいると・・・

年月を重ねた古い街ヴェニスでの出逢い・・・やがて自分の気持に戸惑いながらも急に旅立つことにきめた主人公。列車の発車のベルがなったとき・・・
(本来使いたくないキャプチャー画像です)
Movie

二日前のエントリー「思い出のバンコク中央駅」で書いた、15年前にファランポーン駅に立っていた時・・・・私はタイで初めて乗る夜行列車に興奮しながらも、そんな古い映画を思い出していました。

ヨーロッパの終着駅を思い起こさせるバンコク中央駅(ファランポーン駅)だからこそ、そんな古い映画を思い出したのかも知れません。
Train

バンコク中央駅からトランに向かう列車が動き出したとき、プラットホームを駆けてくる恋人はいるはずもなく、列車はゆっくりゆっくりと駅を離れて行きました。

車窓からは手に取るように沿線の人々の暮らしが見えます。帰宅を急ぎ列車が通り過ぎるのを待つ人々、夕餉の買い物を手にした人々、屋台、子供達がはだしで遊んでいます。
Window 1

しばらくして車内検札。人の良さそうな車掌さんにどこへ行くのかと聞かれ、トランから島に渡ると説明。この一等寝台でトランまで行く人は少なく、スラタニで降りてサムイに行く人が多いような話をしてくれました。
Conductor

やがて食堂車のスタッフがメニューを持って現れ注文を聞いて回っています。私は缶ビール二つとサバとポークを頼みました。時間を聞かれたので午後7時に持ってくるように頼み(実際は8時だった)、朝食のオーダーを聞かれたのですが、これは途中駅かトランで食べようと思って頼みませんでした。
Menu

二等車や三等車には色々な売り子が回っているようですが、一等まで来ることはなく、停車駅でホームから買うには売り子が前部の三等車輌に集中するので、最後尾からは遠くて買いに行けません。これが唯一の期待はずれでした。

画像は車窓から見たチャオプラヤーです
Window 2

列車がバンコクを離れる頃には夕焼けに向って列車は走るようになり、夕暮れまで凧揚げして遊んでいる子供達に手を振れば、気づいた子供達が無邪気に手を振ってくれます。車窓の景色ものどかな田舎の風景に変わります。

南国らしく一気に夕暮れから闇に変わり、時折見かける線路際の人家には明かりが灯り、列車の心地よい振動と共に暗闇の中に溶け込んで行きます。
やがて車窓は人家の灯りが流れるだけになり、昼から夜にバトンタッチされたようです。この瞬間だけ妙に寂しさを覚えるのはなぜでしょうか・・・
Window 3


旅情の「物悲しさ」から旅が「楽しい」、そんな素直な気持ちに変わるのは、これから訪れる南国の島への期待と、上々の旅の滑り出しだからか、初めて経験する個室寝台のリラックスした気持ちに、うきうきとした楽しさがこみ上げて来るのです。

後はポケットウイスキーをやるだけです・・・

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2015.06.28 | コメント(2) | タイ・トラベル

映画館に行こう

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6月27日、今朝もバンコク(の端っこ)は曇り空です。ほんの少し青空が見えるだけです。この曇りが続くのは飽きました。

私の所は降りそうでなかなか降らないのですが、このところ数日続いて傘を持って行くか持たないかで迷っています。降ったら傘など役に立たないのは分かっているのですが、バスを待つのに雨宿りできない所が多く、せめてその時だけでもと思ってです。
まぁ外出しなければ一番良いのですが、それも嫌なので・・・

ところで一昨日、プロンポンのエンポリアム2ことエムクオーティエに行って来ました。
相変わらずハイソな方々が多く、しっかりジーンズにシャツで正装したにもかかわらず、何か田舎者感に包まれた自分に思えてなりませんでした。リタイアおじさんに都会は眩し過ぎます(汗)

実は、エムクオーティエに映画を観に行ったのです。今回バンコクに住み始めて初の映画館です。どうせ行くなら最新の映画館にしようと思ってのことです。
Cine

映画・・・かなり好きです。
初めて映画を観たのは小学校前で・・・止めておきましょう。このまま続けると終わりそうもないです(汗)この話しは別な機会へします。

えっと、バンコクで映画を観たのは前タイ勤務時以来ですから、12年ぶりになります。

前タイ勤務時はスクムビットSoi33にコンドがあったので、歩いてプロンポンのエンポリアムにすぐでした。コンドがフジスーパー駐車場の後方にあって、当時はSoi33とその駐車場が歩いて抜けられていたので、今以上にプロンポンは近かったのです。Barやカラオケお姉さん方の暇つぶし視線も避けられますしね。

2001年のエンポリアム内映画館のチケットカウンターですが、当時はまだ対面式のチケット発売でした。
Old EM

週末の夜、カーデガンを持ってよくエンポリアムの映画館に行きました。最終だと映画が終わるのが深夜0時近く、営業を終えたデパートを横目に見ながら降りて、コンドまで歩いて帰る時、都心部に住む利便性を強く感じたものです。

シリーズ最初のロード・オブ・ザ・リングはここで3回は観たでしょうか。多くは洋画でしたが、タイ映画「スリヨータイ」もエンポリアムで観ました。英語字幕があったので大丈夫かと思ったのですが、ストーリーとしての英語ではなく、登場人物の名前があまりにも長くパターン認識も理解できないので、ほとんど字幕ばかり見ていたように覚えています。

2001年のエンポリアム内映画館内。客席の傾斜があまり無いですね。一度シーク教徒の方が前の席になってしまい、席をずらした事がありました。それもバンコクならではですねぇ~
Cinema BKK

そうそう当時からアメリカとほぼ同時に封切られていましたから、日本よりかなり早く観られていました。また、タイ映画もバンコク中心部では英語の字幕付きで上映されていました。

当時からバンコクの封切り映画館は音響、館内設備、席など日本以上の素晴らしい設備で、同一の施設に複数のスクリーンがあるシネマコンプレックスが主流でした。しかも当時100THBですから300円(当時のレート)ぐらいで映画を観られました。


アメリカでは南部の田舎町だったので映画館が無く、車で離れた町まで行くことになります。毎週火曜日が6ドルか8ドルで観られました(普段は10ドル・税込みで11.5ドル)ので、仕事が煮詰まると平日昼でも行ったりしていました。
2013年ぐらいのアメリカ南部田舎町の映画館
Cinema ATL

ある時アメリカで、館内に入ると・・・ガラガラ!って言うか、自分一人!! シネコン・スタイルでもまぁまぁの大きさだったのですが、そこにたった一人で映画を観る経験でした。もし私が居なかったら・・・どうしたのでしょう? 上映しないのか?? 無人でも上映するのか?? 大きな疑問の方が気になって仕方ない映画でした。

さて、一昨日に話しを戻して(汗)


特に観たかった映画があったわけではないのです。生意気言うとネーティブな英語に触れたいと思ったのと、気分転換が半々。

エムクオーティエは複数のゾーンから成り立っていますが、奥のThe Waterfall Quartierの(表記上)4Fです。エスカレータで上がると恐竜が出迎えてくれたので、この時点で『ジュラシック・パーク4』を観るしかないようです(笑)
Jura

チケットはタッチパネル式自動販売機で買うしかないようです。キャッシュを受け付けないのと、言語と字幕に関して質問があったので、近くの係員に話しかけました。さすが都心部最新映画館で英語を話されるお嬢さんでした。

キャッシュに関して別なカウンターで現金を払い、磁気カードにチャージした上で自動販売機を操作できました(クレジットカードがあればそれは不要)。要はこの販売機がキャッシュに対応していないので、そんな面倒なステップが必要なのです。なおこの磁気カードは一ヶ月間利用できるそうですが、一ヶ月以内にまた観るのか?その時もチャージだし、あまり意味無いカードです。
Display

言語は全て英語だそうです。私は3Dの場合字幕は無理かと思っていたので、その点を確認しましたが、3Dでも言語が英語で字幕はタイ語だそうです。私の常識が覆されました(汗)。 時間的に3Dはかなり待つので、13時40分の2Dを選びました。220バーツでした。

料金は曜日と2Dか3Dで違い、それから席の種類もあるはずです。今になって気が付いたのですがシニア料金がありますねぇ・・・外国人でも可能なのか?証明は?年齢は?など次回チェックです。
Price

この自動販売機、後で気づいたのですが、デフォルトはタイ語ですが、Change Languageを選ぶと英語・タイ語・日本語が選べます。さすがプロンポンです。中身を見ていないのでどこまで対応しているかは分かりませんが・・・

上映開始時間が13時40分だったので、律儀な私は13時40分に入ったら、真っ暗!自分の手も見えません。危ないのでしばらく立ったままで目が慣れるのを待ったのですが、灯りは席の横列を示すアルファベットがかすかに端席の下にあるだけ。参りました・・・灯りを点け忘れたのでしょうか? 真っ暗なのがデフォルト?

携帯もスマホも無いので、持っていたカメラのディスプレイの光を頼りに席に着きましたが、館内は誰も居ません。そして音楽も灯りもなく真っ暗なまま(笑)

しばらくしてお客がパラパラと入って来ましたが、皆さんスマホを懐中電灯のように使っています。そんなモードもあるのですねぇ~ また私の常識が覆されました。

13時50分になって宣伝、予告が始まり25分後に国王賛歌で起立。このあたりのことは前タイ在住時に慣れているので驚きませんでしたが、長過ぎます。日本もアメリカも宣伝と予告が長いのは同じですが、タイは極端に長い。館内を見回すとお客は20~30人ぐらいでしょうか。

さて映画自体・・・面白かったです。こうした映画はストーリーより映像と音響で迫力を楽しむに限ります。こうした映画こそ映画館で観るのが最高です。3Dだったらもっと引き込まれたことでしょう。
さすがに映画終了で館内は少し明るくなりました(笑)画像が悪くてすいません。
Inside


これで気分転換の方法がまたひとつ増えました。
帰りに、今回バンコクに来て初めてフジ・スーパーに寄りちょっと買い物。その帰りにバンコクでたった一人しか居ない友人にばったり。三日前に初めての夜間外出をして夕食を一緒した友人です。さすがにsoi33/1だ!なんて思いながら、1時間半かけてバスで戻りました。

映画、これからはもっと映画館に足を運ぼうと思います。色々な映画館に行くのも楽しそうじゃないですか・・・

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2015.06.27 | コメント(4) | タイ生活

思い出のバンコク中央駅

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月26日、今朝もバンコク(の端っこ)は曇りですが、雨が今にも降りそうです。

昨夜も終日曇り空でしたが、雨は降りませんでした。都心部に出かけた私には雨が降らずに助かったのですが、農業などでは雨を必要としている方も多いでしょう。あまり降り過ぎても困りますが、そろそろ雨があっても良いように思えます。

さて、前エントリーで「深夜特急」について書いています。
バックパッカーのバイブル的な本で、私ぐらいの年齢の方はこの本を読んで旅に出た経験があるかも知れません。

特に後半のインド、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、イランは壮絶です。埃と匂いと喧騒、熱気に包まながらバスで旅を続ける主人公が「なぜ旅を続けるのか」と自問する中、当時ドイツ在住だった私も文字や画像を通してですが彼の旅を共有し、自分にも問い続けていました。なぜ旅を続けるのかと・・・

タイトルの深夜特急を意識させる列車の旅はタイとマレーシアにインドぐらいで、長い旅の中で主人公が最初に乗る列車は、バンコク中央駅からタイ南部のチュンポン行きの夜行列車でした。

バンコク中央駅・・・もちろんタイ人や我々在住外国人は誰もそう呼びませんね。「ファランポーン・ステーション」
ST 1

しかし、私は中央駅と呼んでしまうのです。それはドイツならハウプトバーンホフ(中央駅)と言うように、ヨーロッパで多く観た駅が中央駅と呼ばれるからです。実際にファランポーン駅を最初に見たとき、ヨーロッパの駅のようだと思いました。

特にファランポーン駅のように、終着駅スタイルの駅舎は中央駅と呼ばないで、いったい何と呼ぶのでしょう。
画像は2000年のドイツ・ハンブルグ中央駅です。
Hamburg HBF

先日、ヤワラート(バンコク中華街)に行った帰り、そのバンコク中央駅に寄ってみました。

ここは何も変わっていない様に思えます。建物に列車、忙しそうに荷を持ち行き交う人々、じっとベンチにたたずむ人・・・
そう言えば改札前のコンコースにあった茶色のベンチが青のプラスチック椅子に変わっています。
ST 2

水を買ってそのブルーの椅子に腰掛け、他に何か変わったかなぁ~と、バンコクに最初に来た時の事を必死に思い出そうとするのですが、私の目には昔のままの駅が見えてならないのです・・・・・・


「深夜特急」への想いが強かったからか、タイで働き始めてすぐ、私はバンコク中央駅に立っていました。今から15年前のことです・・・

「トラン」この地名を当時知っていた人はあまり居ませんでした。マレーシアとの国境近い小さな町ですが、バンコクから列車で行くことも、飛行機で行くことも出来る所です。
そしてそこにはまだ観光的には未開発なサンゴに囲まれた美しい「トラン諸島」があるのです。そのトランへ向けて夜行寝台列車が出発するバンコク中央駅に着いたのは、金曜日の仕事を早めに切り上げた午後4時過ぎのことでした。

荷物はパソコンに一晩の着替えとポケットウイスキー、そして二日前に手配した戻りの飛行機のチケットだけで、まったく経験も情報もない中でタイで初めての列車に乗ることにしたたのです。

駅は人々でごった返しています。多くの人々が大きな荷物を抱え、疲れた顔をして何かを待っているようです。これから田舎に帰るのか、田舎から出てきてあてがないのか、ただそうして時を過ごしているだけなのか・・・。
ST 3

そんな人を掻き分けるようにチケット売り場の列に並びました。当日券売り場には「ALL TRAIN」と記された列と、列車の行き先が表示されている列があり、私は17:05発TRANG行きの列に並びました。
ST 5

一日一本だけのトラン行きの列車で寝台列車。幸い「First Class」が最後の一部屋が残っていて、一人分と言うと一部屋二人用なので後300バーツを1240バーツに足すと一人で使えるとのこと、1540バーツ(当時約4500円)で個室寝台になりました。

少し早めですが駅構内の写真を撮って、ホームに向いました。ホームは10番線がトラン行きになります。一等寝台車輌は一番後ろ、入口に係員がいるので切符を見せるとすぐコンパートメントまで案内してくれます。
ALSTER

コンパートメントは想像したよりきれいで、なかなか快適そう。荷物を置いてホームに戻り、列車のほかの部分を見ることにしました。時間がないのでホームをカメラを抱えて走ります。長い!13両編成の最前列の機関車にたどり着く頃には一気に汗が吹き出ます。
ST 4

前列が固椅子の三等車輌、エアコンもなく窓が開かれ扇風機が天井に設置してあります。この車輌で16時間はさぞ疲れることでしょう。安くて早い長距離バスが豊富な為か、さすがに空席が目立っています。続いてリクライング可能な三等車輌、二等寝台はすでに満席状態で、大きな荷物を持った人たちがそれぞれの席で荷を片付けています。途中に思いもしなかった食堂車を見つけ、後で様子を見に行くことにして自分の最後部の車輌に戻りました。(画像は二等寝台車です)
ST 6


発車は定刻の17時5分ちょうど。しばらくは自転車ぐらいのスピードで沿線の粗末な造りの家に接するように列車はバンコクを走り出しました・・・


列車の揺れが心地よく眠りを誘うのですが・・・揺れた体で目が覚めたら、そこは人々が忙しそうに行き交うバンコク中央駅のベンチ。またいつもの癖でうとうとしてしまい、夢の中で昔の中央駅を見ていたようです。

バンコク中央駅、移転計画があるようです。
私が感じた終着駅の郷愁も、この白昼夢のように近く消えてしまうのかも知れません。

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2015.06.26 | コメント(2) | タイ・トラベル

熱い思いが蘇る深夜特急

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月25日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。

昨日も終日曇り空でした。もう数日太陽が出ていない気がします。

さて、皆さんはこの本をご存知でしょうか「深夜特急」

筆者沢木耕太郎氏の旅行体験に基づく紀行小説で、インドのデリーから、イギリスのロンドンまでを、乗り合いバスだけを使って一人旅をする主人公を描いています。

デリーに行く途中ストップオーバーで香港とバンコクに立ち寄り、バンコクからは鉄道でマレー半島を下りシンガポールへ・・・途中様々な人々に出会う物語で、ある時期多くのバックパッカーが影響を受けた本です。(画像は新潮文庫ホームページから拝借です)
Book

初版が1986年ですから、小説の舞台としてはちょうど私が最初にドンムアン空港に降り立った頃と同じです。

飛行機を出たとたんに南国の香りに包まれ、赤色電球がなぜか印象に残る空港内を歩くうちに、暑さと重たく感じるほどの湿気が見にまとわりつく。税関を出たとたんに圧倒的な出迎えの人たちに囲まれ、タクシー?と何人にも聞かれる中をかき分けるようにターミナルの外に出た日を思い出します。

1996年には主人公を大沢たかおが演じてテレビ化されました。全てドキュメンタリー風に描かれていて、まるで主人公と一緒に香港の路地裏を歩き、タイの長距離列車に乗っているかのように思えたものです。

本とテレビでは若干異なりますが、私もテレビの映像を通してバンコクの熱気や匂いすら感じ取ろうとしたものです。それと切なく旅愁を歌う井上陽水の「積み荷のない船」が印象的でした。

画像は2002年のファランポーンです。
Station

この本やテレビと出会ったのがもう少し若かったら・・・私もバックパッカーになったかも知れないです。バックパッカーこそなれませんでしたが、その後の空港ターミナル、バスターミナル、列車、路線バス、運河ボート・・・それらの人々が行き交う所が好きなのは間違いなく影響を受けたからでしょう。

バンコクではドンムアン空港から路線バスで移動、パッポンの安ホテルにうんざりしてカオサンへ。運河ボートにトゥクトゥク、市場や食堂で街の人と触れ合う主人公が出てきます。しかしそんなバンコクでの日々も香港で感じた熱気を感じられないのか、ある日マレー半島を列車で南下する事を決心するのです。

そのシーンの(本来したくない)キャプチャー画像です。1995年頃のファランポーンでしょうか。
TV 1

画像は2003年のタイ国鉄南本線で見た夕暮れです。同じ景色が続きますが、背景の夕焼けの色だけが変わっていくのを飽きずにずっと見ていました。
Train

主人公はバンコク中央駅(ファランポーン)からチュムポーンへ三等列車で向かいます。ファランポーンでは駅前の食堂に入り小さな男の子との会話にならないやり取りも描かれています。そのシーンのこれもキャプチャー画像です。
TV

テレビで観たその食堂の建物はファランポーン駅のすぐ横に今でもあります。画像はGoogleストリートビューからです
Restaurant

画像は2001年のタイ国鉄南本線。真夜中に停まった駅ですが、テレビに出てきたチュムポーンだったか?真夜中で寝静まった田舎町なのに、駅だけが活気にあふれ不思議な感覚を覚えました。
South

ところで主人公は旅の中で恋人に手紙を書き続けています。
私がずっと旅の中でこだわって来た・・・まさに以前のエントリーでも紹介した「旅先通信」です。

世界を旅しながら通信をする。旅をしながら、その時その場から、他の人に伝えたい熱い思いを送る・・・そんな旅先通信の原点のように思えます。

旅が好きで、タイが好きで、旅先から熱い思いを伝えることにこだわった自分の若い時、もしこの本やテレビの主人公と同じようにもっと自由な旅が出来たら・・・そう今でも思わずにはいられないのです。

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2015.06.25 | コメント(8) | タイ・トラベル

パラダイス・HaHa・Thanya 活用術

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月24日、今朝もバンコク(の端っこ)はうす曇。三日続けて同じような朝です。

昨夜も終日曇り空でした。そんな中をこの半年で初の夜間外出でした(笑)
大昔のパソコン通信でスレッドを交わした事はないものの、共通の友人が多く、バンコクでロングステイをこれから目指す方との夕食でした。久しぶりの日本語。って言うか人との会話で愉快な時を過ごしました。

さて、先週末パラダイス・パークで東急デパートがオープンしたので行ってみると、ちょうどFestival of Japanese Flavours日本の味フェスティバルが行われていました。今月18日から23日まで開催のだったようで、終わっちゃいましたが、東急オープンに合わしたのでしょうか。
Japanese festival

同じような催しが2ヶ月ぐらい前にもシーコンスクエアでもありましが、さすがに規模は小さいのですが、味見しながら楽しんでしまいました。つい先日紹介したクロワッサンたい焼きそっくりの「京都たい焼き」もありました(笑)

さて、先日やっと買い物先発3本柱の紹介が終わりましたが、今回は中継ぎ陣としてのシーナカリン通りにあるショッピングセンター、「HaHa 55」「「パラダイスパークParadise」「Thanya Park」のエントリーです。

パラダイスは以前「セーリー・センター」の名で運営されていたようですが、その名残りなのか一階にSeri Marketとして残っています。
Paradais

そのSeri Marketはフードコートと室内屋台みたいなスペースがあるのですが、ここが実はいつ行っても混んでいます。時々おかずだけ買って帰る事があるのですが、確かにどこで何を買ってもたいていは美味しく感じます。
Sari Market

他にパラダイスではヴィラマーケットが普段の買い物になります。価格がTopsなどに比べると少し高いように思えますが、商品の品揃えは充実していると思います。自炊しているのに日系スーパーには行けない私には助かるスーパーです。
Villa

ワインも一応そこそこにそろえています。
Villa Wine


昨日もエントリーしましたがパラダイス内に東急デパートが四日前にオープンしました。二つのフロアーを使っていますが、化粧品や洋服などが主体で新鮮味はゼロ。正直私はもう行かないでしょう。ずっと日本と日本食に関心が深いタイですから、以前渋谷にあった「東横のれん街」のようなものが小規模でもあると面白いのですが・・・
Tokyou

東急デパート以外に日本関係だと日用品のLoft、60バーツ均一のDaisoのほかに8番ラーメン、大戸屋、CoCo壱番もあります。
Loft


HaHa 55はテナントが半分も入ってなくて、一階後方にうどん屋さん、そして正面玄関横にオムライスの店が興味ある程度。それ以外はファッション関係を中心に小さな店が仮店舗で営業しているようで寂しさが漂っています。まぁ私的にはパラダイスとシーコンの通り道です。
HaHa

そうそう、HaHa 55で日本アニメのコスプレ・パーティーが行われるようです。上の画像にある看板でお分かりになるでしょうか? まぁ私はまったく関係なののですが(笑)

最後に少し離れた所にあるThanya Parkです。シーナカリン通り沿いでパタナカン通りとオンヌット通りの中間あたり。バスから見える姿が特徴的なので、途中下車して行ってみましたが、テナント店で閉めている所も多く残念でした。
画像はThanya Parkのホームページから拝借しました。
Thanya

建物のデザインがかなり目立ちますが、中は複数のビルが入り組んでいて歩いて楽しいのですが、Tops以外は肝心のお店が閑散としています。中には日本のとんかつ屋さんがあったり(営業しているか疑問)、OTOP TOWN(一村一品)があったりで賑わっていた時もあったとは思いますが・・・これから何らかの手が打たれるのを期待しましょう。


特徴をまとめると、パラダイスはシーコンスクエアという巨大ショッピングセンターに近いながら、独自の路線を色濃く出して頑張っている感じ。
HaHa 55は始まってもいないのに終わった感が漂っています。このままどうするのか・・・ 
Thanya Parkは建物など面白い造りなのですが、場所も内容も中途半端なのか、ここもスーパーのTops以外は終わった感が漂っているのですが、もう少し工夫すれば集客出来そうに思えます。
いずれにしてもパラダイス、HaHa、Thanya Parkともシーコンスクエアと異なる路線を選ばないと難しいように私には思えます。。

行き方ですがHaHa 55とパラダイスへは(一応都心部から向かうとして)・・・

スクムビット方面からだと
エカマイから出てスクムビットSoi71を通り、パタナカン通り、シーナカリン通りと走る133番が「ぱらだいす」の目の前に停まります。

路線バスだとラムカーヘン1からの207番。バーンカピから207番エアコンバス、モーチットからラップラオ通りを走りバーンカピでシーナカリン通りに入る145番も目の前まで行けます。それとラチャダーからパタナカン通りを経由してシーナカリン通りを走る206番です。

ソンテウだとオンヌットのBigC前から4番が有名なようですが、BTS駅から遠いし乗る距離も長いです。お勧めはBTSウドムスック駅からスクムビットSoi103(ウドムスック通り)の奇数側を歩き、市場と屋台を抜けたあたりから出ています。番号があるのか知りませんが(汗)シーコンと行き先がタイ語で書いてあります。ウドムスック通りから途中路地の中を通って(画像)シーナカリン通りへ出ます。
Songthew

・・・とここまで昨日エントリーのシーコンスクエアと同じなのですが(コピペしました)、Thanya Parkだけは少し都心よりなので、路線バスは皆同じですが、ソンテウだと全く違ってしまいます。

いつもショッピングセンターだけで買い物や食事をしているわけではありません。「活用術」シリーズの次回からは市場でしょうか・・・

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2015.06.24 | コメント(2) | ショッピング

果てしなく遠い国からの手紙

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月23日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。今にも雨が降り出しそうです。

昨日は終日曇り空に覆われたままでした。外出するのに傘を持って行くか・・・ちっぽけな事を迷いに迷った日でもありました。こんな日がこれから多くなるでしょう。

一枚の手紙がアメリカから届きました。
一度も会ったことがない人からです。
アメリカから日本へ、日本からバンコクへと旅した手紙でした。
私にはその手紙はアメリカからではなく、もっと遠い、果てしなく遠い国から届いた手紙に思えてならなく、私はその手紙を何度も読み返しています。

Letter



 突然のお便りをお許し下さいませ。
 この度は私共に日本食品を戴き、
 本当に有りがとうございました。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 貴方様と一度もお目にかかる機会もなく
 ・・・・・・・・
 私共の・・・・が大変お世話になりました。
 至らないことも種々ありましたようが、
 お許し下さい。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 くれぐれもお身体大切に・・・・ 
                   』

日本語と離れていた期間が長かったかと思う文章ですが、縦書きの便箋にしっかりとした字体で書かれていました。

その手紙と一緒に英語のレターも封筒に入っていました。それは祖母の日本語の手紙を私宛に送ることを記したものでした。


3週間ほど前にアメリカに行き最後に空港から発つ時、「思いがけない別れ」 で書いたように、平日の勤務中なのに会社元のスタッフたちが空港で見送ってくれました。それを仕掛けた日系三世のおばあ様からの手紙でした。80歳以上は間違いないのですが・・・

実は日系三世の彼を雇ったのは私で、アメリカで部下を探していた時、百枚以上のレジメから数人選んで面接した結果、部下の一人になってもらったボリビア生まれで米国国籍を持つ日系人でした。日本語は話せますが、読み書きはまったく駄目。しかし英語、スペイン語をネーティブに話せ、技術力もあって、今も会社に残ってくれています。

先日アメリカへ行った時、彼と食事をする予定になっていました。彼がボリビアからご両親やおばあ様をアメリカに招き、一緒に暮らしていることを知っていたので、お土産を持って行ったのです。高い物ではありません。スーパーで買えるようなものばかり。ただ喉に詰まらないような物で、日本を思い出すような食品を選んで持って行ったのです。

そのお礼を伝えたくて、おばあ様の唯一の方法「手紙」を書かれたのでしょう。


何度も読み返しています。

いったい何歳なんだろう・・・
いったいいくつの時に南米に旅立ったのだろう・・・
どんなわけがあって移住したのだろう・・・
私なんか想像すらできないご苦労をされたのだろう・・・
日本語を忘れなかったのはどうしてだろう・・・

なぜかこの手紙にを受け取ったことで、おばあ様が歩んだ人生に思いを馳せてしまうのです。

それだからか・・・私には、この手紙がアメリカからではなく、行った事もない遠い遠い国・・・ボリビアからアメリカ、日本を経て、はるばるバンコクに来たように思えてならないのです。

海外在住25年以上。今は長い勤務を終え、タイで少し長い夏休み・・・なんて言いながら、本当の心の中は一人気ままでいたい気持ちと日本で家族と暮らしたい気持ちが毎日攻め合いです。慣れてはいるけど寂しい海外での一人暮らし、実はめげてばかりの日々。

そんな時に読んだ果てしなく遠い国から来た手紙。お前なんか、まだまだ・・・と言われたように思えてなりません。

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2015.06.23 | コメント(2) | タイ生活

東急@パラダイス 渋谷今昔物語

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月22日、今朝のバンコク(の端っこ)はうす曇です。

昨日はバンコク都心部で街歩きしていたのですが、天気が良くて、湿度が低く、風も気持ちよく感じました。

さて、先週末、アパートから一番近いショッピングセンターパラダイス・パークに東急デパートがオープンしました。早々に行ってみましたが、2階(表記は欧州式で1階かな)が化粧品や婦人服、3階が紳士服などで、私には全く関係なかったのが残念です。
Tokyu

東急デパートってMBK内にあって、あの辺りでは庶民的なデパートだったと思うのですが、シーナカリンになると高級デパートになってしまったようです。

その東急デパートですが、私の中では強烈に渋谷のイメージがあります。そして渋谷には子供の時からの深い思い入れがあるのです・・・


私はお江戸・深川でも佐賀町と言う隅田川沿いの町が地元だったのですが、そんな地元からかなり離れた渋谷。そこに思い入れがあるのは、天文少年だったことから、渋谷の東急文化会館内にあった五島プラネタリウムに通っていたからです。

今はない渋谷文化会館
Shibuya


天文少年時代の大きな思い出の一つがアポロ11号の月面着陸。その瞬間も五島プラネタリウムで迎えました。当時入会していた上野国立博物館の天文同好会のメンバーが招待されて、五島プラネタリウムで真夜中に中継された映像を観ながら過ごしたのです。NHKのテレビ放送で月面着陸までの合間の中継も入り、人生初めてのテレビに(瞬間ですが)写ったそうです。

やがて天文少年から映画少年になっても渋谷でよく映画を観ました。慣れた東急文化会館内に映画館が複数あったからでしょう。渋谷パンテオン、渋谷東急でのロードショー。そして東急名画座もあって、数々の映画を観ました。スピルバーグの「E.T」は東急文化会館の外まで伸びた列に並んだ記憶があります。

働き出してからは東急線に勤め先があったので、学芸大学や新丸子、溝口などにも住んだことがありました。だから自由が丘や渋谷が遊びの中心で、結婚するまで常に東急線を日常的に利用していたのです。

2年前だったか・・・アメリカから一時帰国したある時、東急文化会館が渋谷ヒカリエになり、東急渋谷駅も地下化されたことを知り、大きく変わろうととしている渋谷を見たいと思い出かけました。
Hikarie

今の渋谷は若者が集まる所、流行の発信地のイメージがあるのですが、田舎者のおっさん一人が渋谷を歩くのは眩しすぎて、ショッピングに付き合う条件で当時高校生だった娘を連れ出したのですが・・・いやぁ~渋谷に娘を連れて行くのは財布に危険過ぎました(笑)
Daughter

超田舎者の私が渋谷に行って最初に見たかったのは「忠犬ハチ公像」(笑)
記憶にあるハチ公像と微妙に場所も向きも変わったように思えます・・・
Hachi

ヒカエリは想像とは違ってスペースが狭く感じられました。元の場所がそう広くなかったから当たり前ですが、その分上に伸びているのでしょう。

渋谷は元々その名の通り谷底にある町で、狭いエリアにごちゃごちゃと詰め込まれた感じが昔からあります。あまり大きなスペースでビルが建つのは難しいでしょうから、ヒカエリのように上に伸びるか、東急渋谷駅のように地下に広がって行くのでしょう。
Scramble


狭いエリアに詰め込まれた街だからこそのエネルギーも感じます。そして不思議とヨーロッパ、アジア、アメリカでも似た町がないように私には思えます。

これからもどんどん変わって行くのでしょうが、私はきっといつまでも50年近く前の渋谷と重ね合わせてこの町を見ていくことでしょう・・・

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2015.06.22 | コメント(2) | ショッピング

料理の鉄人

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月21日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。

昨日は夕方に雨が降りましたが、日中は気持ちの良い天気でした。湿気も少なく感じましたが、気温より湿気が少ないと助かります。アメリカで湿度が低いのに慣れ切った体になったようです。

海外在住者の中には、日本なら絶対観ないようなテレビをついつい楽しみに観てしまう方も居るのではないでしょうか。

NHKの朝の連続テレビ小説・・・海外での日本語放送がNHK主体になることもあって、私は長い海外在住生活で20年以上観たように思えます。

最近では「マッサン」の影響で日本のウイスキーを買ってしまいましたし、「あまちゃん」は私でも毎回楽しみで終わった時はがっかりしたものです。

今は「まれ」ですね。自宅がある横浜に舞台を移してからはさらに興味深いのですが、数週間前は「料理の巨人」が出てきて思わず椅子から転げて気を失うところでした。

フジテレビの「料理の鉄人」を堂々とパクリ、服部幸應まで出てきたので大笑い。そしてその回の最後はちょっと目頭が熱くなりました。


さて、少し前のエントリーでタイ版「料理の鉄人・アイアンシェフ」イアン・キットチャイの店「IISSAYA Siamese Club」 に通っていることを書いています。

別にイアン目当てで行ったのではなく、昔気に入っていた「Le Cafe Siam」に行ったらお店が「ISSAYA Siamese Club」変わっていただけで、しかも2回目でお店の人と話すまでイアンの店とは知りませんでした。
House

元々料理ではなく、その空間が好きで通っていた店で、その空間も引き継がれているようでほっとしたものです。

さてタイ版「料理の鉄人」、以前2013年だったか・・・タイのテレビで観たことがあります。鉄人シェフとしては本家であるフレンチの坂井宏行シェフを招き、タイでの鉄人シェフであるイアン・キットチャイと闘った番組です。

本来テレビや映画のキャプチャーは使いたくないのですが、公式WEBでは無いようなのでご勘弁を
Thai Iron Chef

このタイの料理の鉄人、どうも日本の番組をコピーしたのではなく、そのまま構成など日本から協賛を得て作製しているようです。と言うのはアメリカでも同様に「アイアン。シェフ」が放映されているからです。

最初はフード専門局(アメリカでは放送局が数え切れないぐらい多いですから)で日本の「料理の鉄人」を吹き替えて放送していたのですが、人気が出てアメリカ版がフジテレビの監修の下で制作されました。和食は日本と同様にニューヨークを本拠地にしている森本正治シェフでした。
USA Iron Chef

日本でのオリジナルは1990年代の放送だったと思います。私はドイツ在住だったのですが、食いしん坊で料理やお店に関する番組が好きだったので、ビデオに撮って送ってもらったのか、一部はJSTVと言う日本語放送でも観た様に思えます。毎回楽しみでした。

観始めたきかっけですが、初代フレンチシェフの石鍋裕シェフでした。西麻布「クイーンアリス」は当時はあまり無かった住宅街の一軒家レストランとして有名で、私も家内と結婚前にデートで使ったり、無理して行ったものでした(汗)

「アイアン・シェフ」として2012年には復活しましたが、人気が出なかったのか中途半端に終わってしまいました。それは家族に頼んで録画してもらい私も観ていたのですが、確かに以前と比べて面白くありませんでした。

1990年代とは違い、今はお店や料理人がメディアに登場する機会も多く、以前の放送構成そのままでは受け入れられなかったのかも知れません。

そう言えば2012年末の特別番組で冒頭のイアン・キットチャイが登場し、フレンチの須賀洋介シェフと対決していますね。日本でもご覧になった方も居るかと思います。

日本で初期「料理の鉄人」の構成をされていたのが小山薫堂氏。
料理雑誌『dancyu(ダンチュウ)』の中でエッセイを書かれていて、その中で私が応援している小さなお店を紹介されました。料理の鉄人の関係者はやはり舌もすごいのかと大変驚きました。

神谷町のイタリアン「DA OLMO」(ダ オルモ)で、本ブログの前身(汗)でも「若き二人が挑戦する神谷町のイタリアン」として紹介済みです。
da-olmo.jpg

当時、ダ オルモは開店一年にもなっていない小さな店なのに、どうやって知り、訪ねるのか?さすがです。また応援しているお店を紹介されていたので、嬉しくも思いました。

実はその店のオーナー・ソムリエの原品真一さんは彼が若い時から知っていて応援してました。私の古い友人で飲み仲間、食い仲間であり、イタリアンのソムリエでは有名な立石滋さんが師匠筋になる若きソムリエです。最初に会ってからもう15年以上のお付き合いになるか・・・新宿の「ブリッコラ」からシェフの北村征博と一緒に独立してオーナーとなった店なので、本当に頑張って欲しいものです。

なんだかバンコクで期せずして料理の鉄人に触れることになり、たくさん料理会やソムリエの世界を思い出してしまいました。

バンコクでもきっと「アイアンシェフ」に登場したシェフの店があることでしょう。料理はどうか分かりませんが、自分自身が食に夢中だった昔を思い出すのに訪れるのも良いかもしれません。

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2015.06.21 | コメント(2) | 食いしん坊録

シーコン・スクエア 活用術

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月20日、今朝のバンコク(の端っこ)は雲もありますが晴れ。

昨日は久しぶりに青空が広がり、夕方までは雨も降らない一日でした。雨が降りそうだと、どうしてもエアコンバスを待ってしまうのですが、昨日は安心して無料赤バスに乗れました。夕方からの雨は外出から戻った後、いつもこうなって欲しいものです。

さて、私が買い物するショッピングセンターのセントラル・バンナー、メガ・バンナーとあわせて、先発3本柱の一つ。最後のエントリーがシーコン・スクエアです。

シーナカリン通りを代表するショッピングセンターでしょう。ハッキリ行ってシーナカリン通りって、それしかないように思われているでしょう(汗)
実は他にもショッピングセンターがあるのですが、それらは別な機会にエントリーします。 

Outside Seacon

前タイ在住時は会社のボーリング大会で来たのが最初のことでした。たぶん2000年で15年前ですねぇ~ なんだかやたら広い通りで周囲に何もないのに、いきなり大きなビルが建っていたのを覚えています。

古い画像にその時のものがありました。この時かなり真剣に優勝を目指し、前週あたりから練習していたのに、当日はスタッフの乾杯攻撃で投げるのもやっとでした(汗)

Bowling

そう言えば今のシーコンにはボーリング場がないですよねぇ(たぶん)。MBKの上、エカマイのメジャー、伊勢丹の上の方などでボーリングをした記憶があります。もっと言えば、スクムビットのSoi33のパクソイにもあったのですが・・・若い人は信じられないでしょう。

悪い癖ですぐ話がそれます。すいません、戻しましょう。

シーコン・スクエアそのものでも大きいショッピングセンターですが、その隣(正確には間に池を挟んで)「HaHa 55」と「「パラダイスパークParadise」を含んでの普段利用になっています。

Paradais

シーコン内のTescoLotusとTopsが普段の買い物になります。時間はたっぷりある身ですから、両方を見て同じ品なら安いほうを買うようにしています。

ただ・・・地下にあるTopsからエスカレータで上がり、外に出れば目の前がバス停なので、Topsを最後に寄るようにしています。広いシーコンスクエアですから、そんな工夫もしないと歩き疲れます。

Tops

シーコン内のフードコートはTescoLotusの2階、シーコンの真ん中あたりの4階、そして地下にあるTopsのフードコートと3ヶ所です。シーコン4Fのフードコートは珍しく現金を払う方式でいつも混んでいます。空いているのはTops横のフードコートで私も多く利用しています。(画像は4Fのフードコート)

Food

Fuji、8番ラーメンなどの定番の日本レストラン以外では丸亀製麺が今年になってオープン。牛丼のすき家もありますが、メガバンナーやセントラルバンナーと異なり日本レストランがごろごろしている状態ではないです。

Sukiya

さてシーコン・スクエアの特徴は・・・とにかく大きいです。そして平日でも混んでいます。いつ行っても家族連れ、友達どうし、学生さんも多いし、バスやソンテウ以外にもロットゥーも頻繁に行き来しています。

色々考えたのですが、古いショッピングセンターでありながら、定期的に行われる催しで集客し、有名テナント店以外にもファッションモールやITモールと言った小さな店が集まったごちゃごちゃ感も出し、幅広い客層に受けているのではないでしょうか。

Fashion Mall

画像は昨日(金曜)の昼ですが、すごい人でした。

Seacon

私的には、ここへ行けば何とかなる・・・みたいな感覚はあります。
小さなフューズが飛んだ時、その小さなフューズを持っていたら、すぐ交換用の新品が見つかりました。デジタル画像を引き伸ばしてフレームで飾りたいと思い、USBでデーターだけ持って行ったら、すぐ印刷する店が見つかりました。

行き方ですが(一応都心部から向かうとして)・・・

スクムビット方面からだと
エカマイから出てスクムビットSoi71を通り、パタナカン通り、シーナカリン通りと走る133番が「しーこん」の目の前に停まります。

路線バスだとラムカーヘン1からの207番。バーンカピから207番エアコンバス、モーチットからラップラオ通りを走りバーンカピでシーナカリン通りに入る145番も目の前まで行けます。それとラチャダーからパタナカン通りを経由してシーナカリン通りを走る206番です。

地方バス1013番(オンヌット~フアタケー)の枝線がシーコンスクエア前を通りますが、BTSオンヌット駅周辺からではシーナカリン通りで乗り換えが必要になります。

Bus1013 Seacon 1

ソンテウだとオンヌットのBigC前から4番が有名なようですが、BTS駅から遠いし乗る距離も長いです。お勧めはBTSウドムスック駅からスクムビットSoi103(ウドムスック通り)の奇数側を歩き、市場と屋台を抜けたあたりから出ています。番号は1014番ですが、同じ番号で行き先が異なるソンテウが多いので(汗)、シーコンと行き先がタイ語で書いてある車両で、通常は前から2番目で待機しています。ウドムスック通りから途中路地の中を通って(画像)シーナカリン通りへ出ます。

Songthew

他にもあるかも知れませんし不十分かも知れませんが勘弁してください。またよく路線も変わるので、自己責任でお願いします。(なんか、最近こんな事をわざわざ書くことが多くなり、ちょっとおかしな方向と思い始めています。注意を書き出したらキリがない)

ちなみに私はソウンテウやバスに乗るために必要な地名だけはタイ語表記を丸覚えしています。パターン認識みたいなもので、ソンテウとバス以外はまったく役に立っていません(汗)

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2015.06.20 | コメント(6) | ショッピング

セントラル・バンナー 活用術

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月19日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。少し晴れ間も見えます。

昨日も朝のブログアップ後から雨が降り出しました。昼前には止んだのですが、いつ降りだしてもおかしくない天気。二日続けて部屋に居たくなく、折り畳み傘を持って買い物に出かけました。タイに住み始めて「初」の折り畳み傘でした。

昨日、シーナカリン通りでこんな宣伝カーを見かけました。どうやら東急デパートがやっとオープンするようです。シーコンスクエアに近いパラダイスパーク内で長い間工事をしていたのですけど・・・これでまたこの辺りもさらに便利になるかも知れません。
Tokyu

今日はそのパラダイスパークやシーコンスクエアではなく、セントラル・バンナーです。今回も「活用術」と書いたのですが、大げさです。何もありません。ごめんなさい。

セントラル・バンナーは何度か書いているようにに、私が買い物するショッピングセンターのシーコン・スクエア、メガ・バンナーとあわせて、先発3本柱の一つです。

実際に直線距離で言えばアパートから一番近いのですが、真っ直ぐ目標に向かって歩けないのがバンコク。遠回りして25分もかかります。それでもセントラル・バンナーの前がバンナー・トラート通りと大動脈で、バスの路線数も多いので便利に使っています。
Central

ここ・・・私の前回タイ勤務時2000年にはありました。って言うかサムットプラカーンの多くの工業にお勤めの方々には休日とお金があれば行くべき地でした。
サムロンがそんな工場労働者にとって近くの繁華街、遊び場なのに対し、セントラル・バンナーはちょっとお洒落な遊び場の感覚です。

私は勤め先がサムットプラカーンでしたので、コンドがあったスクムビットとの通勤で朝晩見ていたショッピングセンターです(走るのは上の高速道路ですが)。ローカルスタッフと都心部の顧客先に行った帰り、よく食事や休憩で寄ったものです。

当時ここで日本食があったのはZenとFujiに8番ラーメンぐらいだったか・・・とにかくいつ見ても賑わっていました。

セントラルの地下にあるTops、隣のBigCとあわせてのショッピングセンターと考えても、特徴は何でしょうか・・・映画館もありますが、最上階の遊戯施設が他と違う事でしょうか・・・昔は人気があったと記憶していますが、今では閑散としてるのが目だっています。
Play land

ここの60バーツ均一店DAISOは私が知る中では一番大きいです。でもいつも思うのは商品の陳列が分かりにくいってこと。分類が今ひとつ分かってないように思えます。だからいつも中でうろうろ(笑)
Daiso

そうそう、無印良品のMUJIもセントラルの中に入っています。ただ高いので私には関係ないですし、いつ見てもお客さんが居ないのが気になります。
Muji

日本食関係は大戸屋、吉野家、ちゃぶ屋とんこつらぁ麺(メガもここも吉野家の隣)以外にもちろん8番ラーメン、Zen、Fuji、やよい軒などもあるのですが、メガやシーコンに比べて、(しゃぶしゃぶの)モーモーパラダイス、(ラーメンの)山小屋、天丼てんや、かつや、平禄寿司があるのが特徴かも知れません。そう言えば本物すし(トンローだったかエカマイだったかタイ発祥の寿司屋さんですね)もあります。
MoMo

ただ・・・私はまったく入った事はないし、メガやシーコンで気が付かないだけで、抜けていたり間違っているかも知れません。そう言えばCoCo壱番も近くオープンだそうです

Yammazakiパン系のSaint ETOILEも他とは違いありますが、Yamazakiと比べて高級店っぽくしていますが、実際にパンでそれだけ差が出ているか疑問。私には値段が高いだけだと思ってしまいます。
St ETOILE

フードコートは隣のBigC、Topsとあわせて3ヶ所ありますが、Topsのフードコートはなぜかいつ行っても激混みです。確かに何を食べてもここは外れはないです。しかもこのTopsのお惣菜コーナーの充実度は他店の3倍はあるので、自炊できない時に助かっています。
Tops

それに比べてセントラルの最上階遊技場近くのFOOD CENTERはいつもガラガラ(笑) でも別にまずくはないので利用しています。場所があまりにも良くないので、私もずいぶん長い間気が付きませんでした。

そうそう!
先日ですがTopsのフードコートに行ったら・・・「京都たいやき」なる店が出ていました。見たら作り方も出来栄えも「クロワッサンたい焼き」そっくり。しかも「あん」が一個65バーツとクロワッサンより強気。いやぁ・・・パクリだと思うのですがも、本当に早いですねぇ~ 
Taiyaki

行き方ですが、スクムビット地区からだと路線バス38番、46番、48番などが行きます。高速経由なのでウドムスックあたりからですが180番も行きます。たいていはラムカーヘン大学2行きで、バス停は「せんたん・ばんな」

お勧めはBTSでバンナー駅まで行き、スクムビット通り偶数側に降りて365番に乗る方法。かなりオンボロバスですが、普段と違うバスですし、なにしろ本数が多いのです。
Bus #365


スワンナプーム空港からもPublic Transportaion Centerから路線バス558番か、552番のロットゥーで「せんたんばんな」前まで行けます。


こうやって整理すると、メガやシーコンと比べてもけっこう使いやすいショッピングセンターかも知れません。ただ古い(シーコンだって古いですね)ので、ちょっと終わっている感が漂っている気がするのです。

でも、この辺りでは、やはり時代を引っ張って来た所ですね。
仕事に関係した思いでが多いのが少し残念です。

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2015.06.19 | コメント(12) | ショッピング

極上空間と鉄人シェフ

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月18日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。晴れ間はありません。

昨日は朝から怪しい天気だったのですが、ブログをアップした頃に雨が降り出しました。外出の出鼻をくじかれ、結局部屋でゴロゴロの正しいリタイアの過ごし方になってしまいました。珍しくお昼も自炊で部屋でスパゲティーでした。昼から雨も止みしましたが、夜に再び降り出し窓ガラスを濡らしていました。


さて、前タイ在住時には基本的に全食タイ食でした。タイでは自ら望んで日本食を食べた事はほとんどなく、ゴルフとカラオケも嫌いなので、日本人駐在員三大娯楽を自ら放棄した形になっていました。

会社の中では間違いなく付き合い難い日本人だったと思います。それでも来客・出張者の中には「タイ料理を食べたい」と申告する方も多く、そんな時は担当外でも呼ばれて食事にご案内したものです。

出張者のご希望を聞き、それにあった店を選ぶのは私にとって趣味の範囲でもあったし、担当外の人と知り合う機会になって楽しいものでした。

前エントリーでも書きましたが、普段は屋台や食堂で食べながらも、レストラン巡りはタイ地方への旅行と合わせて楽しみとも趣味とも言え、多くのタイ人の食仲間が出来ました。その後タイを離れアメリカへ行ってからは、年に1度来タイできるぐらい。結局全ての友人たちとは疎遠になったのが残念ですが、考えてみればリタイアした身で贅沢三昧できるはずも無く、今の私は身の丈にあっているのかも知れません。

画像は昔のLe Cafe Siam時代のものです。
ALSTER

ところで、料理への評価は人それぞれ、また移り変わりが激しく管理も行き届かないタイでのこと、昨日良くても明日は悪い・・・そんな事が多く、超有名店・高級店でも気になる部分があったり、隠れた名店でも安心面や衛生面でお勧め出来ない事も多くあります。

今回私自身の思いでとともに、レストラン名を記していますが、サービスや料理の受け取り方は人それぞれなので、ご承知下さい。ましてそれらサービスや料理への対価への考え方も人それぞれ。フードコートや屋台じゃないので、安い・高いとは一概に言えないことだと思っています。

さて、前回からの続きです・・・


昔通ったLe Cafe Siam を探してラマ4世通りのバス停から歩き出しました。

ちなみに45番と46番のバスががバンナートラート通りやスクムビット通りから一本で行けます。クロントゥーイを過ぎて高速を越えたあたりで降ります。
すぐに路地に入り左、右、左・・・地図もスマホどころか携帯も持たずに、あるのは記憶だけ。
Soi

ラマ4世通り沿いやサトーン通り沿いには高層コンドミニアムが立ち並んでいますが、路地の奥は古そうな低層アパートが多く、いい感じの安宿、ピザやバーガーもある食堂も多くあります。バイクに乗っている白人も見かけますねぇ~。長期滞在者が多いのでしょう。

ラマ4世通りから30分以上もも歩き、やっと見つけたのですが・・・・
12年前と一軒家は同じなのですが、かなり緑濃く家が外から見せません。どうやら営業しているようですが、外の小さな看板ではレストランなのかも不明です。

とにかくLe Cafe Siamでなくなっているのは間違いないようです。
Outside of house

その後2回。合計3回行っていますが、30分以上歩いて汗びっしょりで入りたくないし、近道を探しました。
2度目は高速道路下を歩いて行きました。近道ですが、途中で歩道っぽい側道が無くなります(汗)
Highway

3度目は鉄道線路を歩きました。これも近道ですが、以前タイ在住時に数回列車が通るのを見たことはあるのですが・・・(汗)
Railway

店名は「ISSAYA Siamese Club
念のためですがISSAYAとは・・・屋じゃなくてタイの古い言葉で全く日本と関係ありません(汗) それどころか有名五つ星ホテルのエグゼクティブシェフ、ニューヨークでの成功を経てタイ版料理の鉄人でも活躍したイアン・キットチャイIan Kittichaiプロデュースのお店でした。

実は、2回目に行くまで、知りませんでした。ただ昔の店を訪ねたのですから・・・
画像はイアン自身のホームページから拝借しました。
Ian Chef

今まで三回通い今はマネージャーとの話すようになりましたが、Le Cafe Siamからはオーナーが代わり、Ian Kittichai以外に前エントリーでも記したBlue ElephantのFrederic Meyerなども経営にかかわっているようです。

伝統的なタイ料理とは異なるインターナショナルなタイ料理の先駆者達がかかわるお店といえます。

画像はイアン・キットチャイの代表的なマッサマン・カレー・羊のすね肉Mussuman Curry Lamb Shankを頼んだ時のものです。深いコクと上質な甘みに、かすかにシナモンなど多くの香辛料が感じ取れます。あえて白、シャルドネとあわせてみました。
Matsaman Curry

このブログはお店紹介が主旨ではないので、この辺で止めておきましょう。

私が以前こよなく愛した2階を見せてもらいました。かなり内装は変わりヨーロッパから見たアジア感がなくなり、白を基調とし清楚で落ち着いた部屋にしています。以前は上海やバンコクの秘密クラブみたいな雰囲気たっぷりだったのですが、今はヨーロッパのお城の中の部屋を見ているようでした。

Issaya 2F 2

Issaya 2F 3

私はもうここの2階を使うような余裕もありませんが、以前好きだった癒しの空間がアン・キットチャイらによって、また違った極上空間に生まれ変わったことを素直に喜びました。

Issaya 2F 1

周囲の環境からは想像できないような所に建つ古い洋館。12年前に比べて建屋を木々で包むようにしたのは、周囲に忍び寄る開発と少しでも距離を保つためなのか・・・
House

世界の中でタイ料理の最先端を行くイアン・キットチャイが、これほどのアクセスの悪さを選んだのは、意表をつくだけでなく、何か意図があってのことだと思う。それを推し量ることは出来ませんが、彼がこの2階の空間を好いた事も理由のひとつに違いないと思えます。

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2015.06.18 | コメント(2) | 食いしん坊録

癒しの空間を訪ねて

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月17日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。すぐにも雨が降り出しそうな雲です。
昨日は終日曇りで時々雨が降っていましたが、午前中は風に当たると涼しいとさえ思う日でした。夜からはまた雷雨でしたので、お勤めの方は大変だったと思います。

さて、海外で勤める事は、それがどんな職種・状況でも、かなりストレスを感じるものだと思います。海外在住5カ国の経験から率直に言ってタイ(のバンコク)は日本人にとってかなり住みやすい都市ですが、それでもお仕事で大変ご苦労されていると思います。

そんな激務とストレスから一時でも離れ、安らぐ時間を持つのは絶対に必要な事です。人によってはカラオケで歌ったり、ホステスさんに愚痴をこぼすのも良いでしょう。居酒屋で一杯やってご飯を食べるのも、休みに日本人同士でゴルフも良いでしょう。

ですが人付き合いが苦手だった私は、日本人駐在員同士の濃い付き合いにへきへきしていました。毎晩のように日本人同士で食事し、その後居酒屋かカラオケに行き、同じメンバーで休みのたびのゴルフに行く・・・私は嫌われるのを承知で、そんな事から距離を置いていました。

その代わり、食道楽だった私は毎晩色々なレストランに行き、休みは海や遺跡に行って過ごしていました。それが私のタイでの過ごし方、ストレス解消で、自分のホームページに載せていました(今でもありますが、メンテナンスしてないので中身はガタガタです)。画像はオープン直後のBlue Elephantで2003年。ウエイターじゃないです(笑)
ALSTER at BE

給料の多くを食事代に使いました。リタイアした今では行けない評判のレストランが多かったです。そして自分でも積極的にお店の発掘をしていました。気に入った所には通い続け話しかけました。そうすると店のマネージャーやオーナーとも親しくなり、業界評判の店があると誘って出かけたものです。
画像は2002年オープン直後のRuen Mallika。従業員じゃないです(笑)
Ruen Malika

今回タイに来て、そんな食業界の友人達と連絡を取ろうとしているのですが、移り変わりの激しいバンコクでのレストラン業界、店も電話も変わってしまいなかなか連絡が取れないでいます。そうですよねぇ~前回のタイ在住時から13年経っているのですから・・・
画像はシェラトングランデ内の名店バジルにて。2000年から現在も通っています。
Basil

今まで直接店を訪ねたのが3軒、1軒は跡形も無くなくなり、1軒は店はありましたが友人はチェンマイに移り住んだそうです。そしてもう1軒は店はありましたがオーナーが代わっていました。

今日のエントリーはそんなお店のひとつです。


レストラン・ガイドなどでよく使われる言葉が「隠れ家」「一軒家」ですが、この店は本当に隠れ家の一軒家でした・・・

住所から言えばサトーンですが、サトーン通り周辺の各国の大使館が集まり、高級住宅街のイメージと違ったサトーンの東端、クロントゥーイと接している地区でラマ4世通りを挟んでルンピニー地区にも隣接しています。周辺は小さな工場やアパート、安宿が多いエリアでもあります。

歴史があり何かと逸話が多い「マレーシア・ホテル」周辺と聞いて分かる人はかなり年季が入った旅人のはず。
バックパッカーが多いことで誰もが知るカオサンですが、あの賑やかさとアクセスの悪さを嫌うバックパッカーがねぐらにする安宿、そして彼らの胃を満たす食堂やランドリーなどが静かな路地に並ぶバンコクでも特有の雰囲気を持つエリアです。

こんな所にお店があるとは信じられない・・・まさにその通りのロケーションにあったのが「Le Cafe Siam

私がこのお店の存在を知ったのは英語版の「BANGKOK DINING & ENTERTAIMENT」フリーコピーの小冊子です。「lovely old house」と記されていた記事が気になって行くことにしたのですが、人に聞きながら30分以上さ迷い歩いた結果たどり着いたお店です。モタサイの連中も知らず、路地をくねくね、迷路の中で町工場に囲まれた所でした。

House

そんなお店があるとはとっても思えないような場所に「Le Cafe Siam」はありました。整備された庭の奥、二階建ての見るからに古そうな洋館が建っているのです。Cafeとはありますが間違いなく内容はレストラン。

実はこのお店、タイ国ロイヤル鉄道を創設する為にタイに来た外国人エンジニアのために建てられ、その後フランス人に手に渡った洋館だそうです。

一階が落ち着いた客席で、二階がアンティークな家具と応接間のような雰囲気を持つ特別な空間でした。

一階
Restaurant 1

二階
Restaurant 4

前タイ在住時、はまりました・・・この店に。
タクシーにも指示できない。モタサイも知らない。歩いてとても行けない・・・普段は仕事を終えたら帰す運転手に教え込み、ここだけは自家用車で通いました。

肝心の料理ですが、ベースをフランス料理としてタイ料理も取り入れているのです。仏泰入り混じってのメニューになっていますが、そのベースはあくまでもフランス料理を感じ取れます。
Dish

普通は一階のレストランで食事をするのですが、顔馴染みになるにしたがって、2階にお好みの場が出来、気に入ったワインを持ち込み料理を2階に持って来てもらったり、食事前に2階で食前酒を楽しんだり、深夜はコーヒーを飲みに寄りデザートを2階に持って来させたり・・・
Desert

アンティークに囲まれたソファーにゆったり座り、ゆっくり回るシーリングファンの風をかすかに感じながら小粋な料理をワインで楽しむ時、街中のレストランやホテルのレストランでは楽しめない不思議な空間での贅沢を味わえました。

私にとって数少ない癒しの空間だったのです。

ALSTER

それは私が長い間暮らした欧州、その欧州の各国の片田舎で出会った古いホテルのロビーにどこか似ていて、東洋の大都会バンコクから心だけがヨーロッパにさ迷わせることが出来た不思議な空間でした。
Restaurant 3

Restaurant 2


タイ勤務を解かれた後、場所が不便なこともあって、旅行で訪れても再訪することはありませんでした。

それが今回またタイに住むことになり、生活設営が落ち着いた頃、行きましたよ!真っ先に。記憶だけを頼りに歩きました。ラマ4世通りから30分以上もも歩き、やっと見つけたのですが・・・・

また明日に続けさせて下さい。
年寄りの昔話、自慢話で長くなるばかり。毎回のことながら、すいません。

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2015.06.17 | コメント(1) | 食いしん坊録

一番新しい水上マーケット

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月16日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。晴れ間もありますが黒い雲も見えるので、安定した天気ではないように思えます。

さて唐突ですが、皆さんは「世界三大がっかり」をご存知でしょうか?

世界の有名観光名所で行ってみたらがっかりした場所のことです。諸説色々あるのですが、「コペンハーゲンの人魚姫」「ブリュッセルの小便小僧」「シンガポールのマーライオン」が挙げられることが多いようです。

その他に「ドイツのライン川ローレライ」も挙げられることもありますね。他にもあるようです。

私は幸い?にして全て行っています。しかも複数回も(笑)

コペンハーゲンやブリュッセルは1990年から7年間在住していた北ドイツから近く、お隣の国とも言え車で行けました。もちろんドイツのローレライもライン川の船上からと、後ろ側を車で通っています。

確かに・・・何で何度も行ってがっかりしたのかよく分かりませんが、まぁ最初は有名だから行って、次からは家族を連れて行ったり、出張者のご希望があったからですが・・

でもカメラを向けたことは無いように思えます。今回探したのですがパソコンには入っていませんでした。あまりにがっかりして撮るのを忘れたのでしょう(笑) まぁデジタルカメラの時代でもなかったし・・・

コペンハーゲンの人魚姫は場所が悪いし、ちっぽけだし、人魚じゃないし・・・ ブリュッセルの小便小僧は路地裏を何度も間違えながら通り過ぎてしまうぐらい目立たないし・・・ ドイツのローレライなんかただの岩しか見えなく、観光船から歌が流されるだけ。
でも、シンガポールのマーライオンですが、今はがっかりする人は少ないのでは?
以前は場所も違いましたよねぇ~ 確かに最初見たときは「あれ?」とがっかりした記憶がありますが、今は記念撮影をしたくなります(画像は2013年のものです)
Singapore

場所も変わり、周辺も整備され、マリーナベイサンズも目の前で、今は絶好の観光地、シンガポールのシンボルになっています。今はがっかりではないです!

ところで、観光地でがっかりする理由は色々あるかと思いますが、有名な割には規模が小さく簡素すぎるのが一番の理由かと思います。アクセスの悪さや施設そのものの貧弱さもあるかも知れませんが、行ってみたらちっぽけだった・・・これががっかりする原因に思えます。


さて、先週末の土曜日にバンコクで(おそらくタイで)一番新しい水上マーケット「タラートナーム・サパーンスーン」に行って来ました。
Tarat 2

これが・・・結論から言えば、がっかりそのものの水上マーケットでした。ネガティブに批評めいた事を書くのを避けている本ブログですが、ここはどう考えても楽しくないし褒められない(笑)

ところで本ブログには私が買い物するショッピングセンターのシーコン・スクエアとセントラル・バンナー、そしてメガ・バンナーがよく登場します。これを買い物先発3本柱と読んでいるのですが(笑)

この三箇所以外で一番行くのがバーンカピです。週に一度ぐらいでしょうか・・・
シーナカリン通りの北端になり、アパート前のバスは133番を除きバーンカピかそのすぐ近くを通るからです。センセーブ運河ボートも多く利用しますしね。

「タラートナーム・サパーンスーン」はそのバーンカピのすぐ東、サパーンスーン地区はセンセーブ運河に新設された水上市場です。土曜日は野暮用帰りのバーンカピから少し足を延ばしてみました。

バーンカピからはバス8番、143番などで、スクムビットからですとオンヌット通りを走るエアコンバス519番で行けます。

この時私は都心部からセンセーブ運河でバーンカピに戻ってきたので、そのまま運河ボートで終点のワット・シー・ブンルアンまで行き、お寺内を通りラムカーヘン通りに出てからエアコンバス514番で行きました。渋滞無しで10分ぐらいでしょうか、11バーツ。ワット・シー・ブンルアンからはソンテウで行くことも出来ます。

「タラートナーム・サパーンスーン」があるのはラムカーヘン通りSoi127/2と/4の間にあるショッピングセンター「ザ・パシオ・タウン・ラムカーヘン」の裏です。バス停は少し通り過ぎてパシオ・タウン隣のトヨタ・ショールーム近くの歩道橋の下にあります。
Paseo Town

この近くではラムカーヘン通り偶数側のソイ奥深くに「Krua Tee Song」と言う、タイ料理のプロにも評判の隠れ家のようなお店があり、10年ぐらい前から通っていました。目の前に大きい池があってローイクラトンの時はコムローイ(コムファイ?)も上がるし、その日だけは予約して行くべき店リストのトップになります(まぁ今年は行かないでしょうが・・・)

話を戻しましょう・・・

パシオ・タウンは高く張った大きなテント生地の下に広がったショッピングセンターで、取り立てて特徴あるテナント店はないものの、広々して私的には好きなショッピングセンターです。この中を突っ切るように裏に向かうと・・・

パシオ・タウンと裏に流れるセンセーブ運河の間にありました。最初はここが本当に?と信じられなかったです。久しぶりに驚きで気を失うかと思いました。
小規模で正直言ってパシオ・タウンの催し程度。始まった時からもう終わった感が漂っているようです。
Tarat 1

狭いスペースに屋根だけの建屋が二つ。その中に露天商が入っていますが、どこにでもある露天商ばかり、少し特徴を感じたのはモスリムの露天商が多いかと思ったぐらい。
Tarat 3

それにまったく水上マーケットではありません。パシオ・タウンの裏のスペースに露天商用の場所を確保して、強引に水上マーケットと呼ばせているだけ。
護岸がしっかりしているセンセーブ運河ですから、他の水上マーケットで見られるような舟からの商いはちょっと無理。

それを承知してか、近くの船着場に小舟を用意している最中だったので、この後に見かけだけでも荷を積んだ舟を浮かべるのかも知れません。
Tarat 4

しかし、どうして無理やりここに水上マーケットを作ってしまったのでしょう・・・だれも反対する人は居なかったのでしょうか。

実はセンセーブ運河のさらに上流、ここからだとバスで15~20分ぐらいの所(ラムカーヘン通りSoi187)にも水上マーケットがあります。クワン・リアム水上マーケットで、こちらは大変賑わっていましたし、私も予想外に楽しめました。
画像は今年3月に行った時のものです。
Market

ノスタルジックに古き時代を懐かしむブームがあるのか、100年市場、水上マーケット、ナイトマーケットなどが注目を集めているようです。外国人の私にとってはそれも楽しみのひとつなのですが、強引に作った所はすぐ飽きられるのではないかと心配です。

このブログで観光地をエントリーしたのは最初かと思います。ちょっと残念な結果になりましたが、すでに多くの100年市場、水上マーケット、ナイトマーケットに行っているので、そちらもおいおいエントリーする予定です。
ただ、あくまでもマイナーでローカルな観光地ですけどね。

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2015.06.16 | コメント(10) | マーケット

メガ・バンナー 活用術

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月15日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。でもうす曇でしょうか、今すぐ雨が降るような気配はないです。

さて、以前のエントリー「IKEA 活用術」でメガ・バンナー内のIKEAについて書きましたが、肝心のメガ・バンナーについては過去のエントリーで多く触れているものの、まとまったものがありませんでした。

今まで何度かメガ・バンナーについて書いているのは、私が買い物するショッピングセンターのシーコン・スクエア、セントラル・バンナーとあわせて、先発3本柱の一つだからです。

これらのショッピングセンター内のBigCやTescoLotus、Topsなどで普段の買い物をするのですが、一箇所だとあきるので毎日ローテーションやその日の状況で変えるのです。

Mega Bang Na

メガ・バンナーに関してはアパートから歩いては行けないのですが、アパート前からメガ内に直接バスで行けるので、雨の日などは車の無い私でも便利に使えるのです。

そのメガはBigCとTopsが普段の買い物になりますが、前々回のエントリーの通り家具のIKEAがあるのも大きな特徴です。他にデパートのロビンソンやHome Proに有名小売店が並んでいますが、私には全く関係ないようです。

関係あるのは・・・
60バーツ均一のDaisoダイソーは他店に比べて少しは広いスペースに思えます。キッチン雑貨など良く買いましたが、今はのど飴とかそんな物ばかりです。
Daiso

ここのフードコートはFood Republicと称していますが、他のフードコートに比べて少し高めのように私には思えます。また意識して世界各国の料理を集めているように思えます。ここで気に入っているのがプラー・トゥー?とナンプリック?、なんて言うのでしょうか?魚と野菜が食べられて100バーツ以下とギリギリ予算内です。
Food Republic

Food

もちろん映画館にボーリング場もあって、しかもアイススケートまで出来ますが、私には全く関係ないのが少し残念ですね。
Ice Skating

レストランを挙げたらキリがありません。日本でもおなじみのチェーン店、大戸屋、CoCo壱番、吉野家、ちゃぶ屋とんこつらぁ麺にタイでもおなじみの8番ラーメンやFujiやYayoi軒・・・などたくさんありますが、私は一度も入ったことはありません(汗) 平禄寿司も近くオープンのようです。
Food Japan

私的に注目度が高いのが「HuaPlaChongnonsea Junior」。フアプラー・チョンノンシー自体はこのメガバンナーすぐ隣に1~200人も入りそうな大型店が営業していますが、元々はラマ3通りの人気店で小さな食堂からスタートした海鮮料理店です。倉庫が続き夜は真っ暗なラマ3通り沿いで一際目立ってお客を集め、道路沿いいっぱいにテーブルを出していましたが、あっと言う間に店舗を増やしました。

フアプラー・チョンノンシーは店名通りフアプラー(魚の頭スープ)が美味しいのですが、シーフードは何を食べても美味しく、蟹は蒸しただけでも美味しいのは新鮮だから? プーパッポンカリーも絶品で、有名店のソンブーンがミルクっぽいと言うか脂っぽい感じで食べなくなったのですが、ここでは必ず頼みます。

Hua Pla

メガにはコンセプトを少し変えたJunior店を展開してます。私はまだ入った事はありませんが、ラマ3の本店には今回タイに住み始めてからも知り合いを訪ねて行きました。この店やそんな事もまた機会があったら書きましょう。
でも・・・気になるのは最近Junior店が営業しているのか、ちょっと疑問なこと。閉まっているのですよねぇ~

さてメガバンナーへのアクセスですが、お車をお持ちの方、ウドムスックBTS駅下から無料シャトルバスを使われる方は別にして、路線バスでの行き方を今まで紹介済みですが、まとめておきたいと思います。

BTSスクムビット線から

#132番 オンヌットからバンナートラート通りを走りバンプリーに行く路線ですが、メガバンナーのバンナートラート通りをはさみ反対側に停まります。バス停そばの横断歩道橋でメガ2Fへそのまま入れます。行き先は「めがっ」と簡単で済みます(笑)帰りは横断歩道橋の下あたりのバンナートラート通り沿い。

お勧めはBTSでバンナー駅まで行き、スクムビット通り偶数側に降りて#365番に乗ると上記#132番同様のバス停に着きます。この365番は私が知る最も本数が多い路線バスです。
Bus 365

バックアップ案として、スクムビット通りをバンナーに向かって走りラムカーヘン大学2に行く38番、46番、48番でも行けます。バンナートラート通りのメガと反対側にあるTescoLotusの手前で左折して大学に向かいますが、左折した直後で降りるとメガのバス停一個分手前になります。降りた場所から反対側を走る207番に乗るとバス停一個分ですが、そのままメガ内に入れます(38番、48番の反対側(折り返し後)はメガ内には行きません)。私はここからだとTescoLotusの中を通り歩いちゃいます。

シーナカリン通りから

#133番 エカマイからスクムビット71、パタナカン通りを走り、シーナカリン通りからバンナートラート通り出ると上記133番と同じ路線になります。通常私が一番使いたい路線ですが、本数が少ないのが難点です。

#207番 ラムカーヘン大学1からシーナカリン通りとバンナートラート通りを走りラムカーヘン大学2に向かう路線。私が一番多く使う路線です。メガ近くのTescoLotusからは上記38番か48番と同じです。

バンナートラート通り(奇数側)から

#2、#23、#180がメガバンナー内に入るのを経験しています。メガバンナーが終点の枝線だと思われるので、スクムビット通りから乗る場合は行き先表示など読めない以外は危険です。これも私が一番使っている路線ですが、メガバンナーからの帰りは常に207番なので使ったことはありません。
Bus #2

スワンナプーム空港から(笑)

Public Transportaion Centerから路線バス558番か、552番のロットゥーでメガバンナー前まで行けます。当然その逆も可能なので558番はセントラル・ラマ2世通りから、552番はオンヌットからメガバンナーに行ける事なりますが、私は未経験です。

バスの場合はよく路線も変わりますし、バスごとに終点が異なることも多いので、実際にお乗りになる場合は十分確認してください。

最後に、都心部ではまだまだ行列が絶えない「クロワッサンたい焼き」ですが、メガ・バンナーにもあって、ここで行列は見たことがなくすぐに買えます(いつまで店が持つのか心配でもあります)。
Taiyaki


メガ・バンナーは私が買い物するシーコン・スクエアやセントラル・バンナーと比べると一番新しいショッピングセンターになります。それだけに施設内を歩くだけでも飽きないで楽しくもあります。今回エントリーできなかった小さな店、施設もたくさんあり、毎回新しい発見があるのも楽しみのひとつです。


今日は初めて前置きなしで書いていたことに、最後になって気づきました(汗)
少しずつ、短くしていきましょうか・・・

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2015.06.15 | コメント(6) | ショッピング

日本から運ぶ物

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月14日、今朝のバンコク(の端っこ)は薄曇り。朝早い時間は道路が濡れていたので、夜中に雨が降ったのかも知れませんが、今回は気が付きませんでした。

昨日は夜明け前の雷雨の後、ブログ中で「路面が濡れて光っている」と書いたのですが、エントリー後に野暮用で外に出たら、アパート前のどぶ(魚やカニが生息している)があふれていました。1月から暮らし始めて初めてのことでした。

そろそろ前置き話に入りましょう・・・

さて、日本年金機構が不正アクセス・情報漏えい問題で大揺れですが、二週間ほど前に日本・アメリカに行った野暮用のひとつが年金に関してのことでした。
日本の年金ではなく、アメリカの年金請求に関しての相談で、その結果を受けてアメリカでもソーシャルセキュリティー事務所に行くなどの計画を持っていました。
Pension

アメリカでの年金に関しては、本ブログ読書の方々にはあまりにも無縁でしょうから詳細は避けますが、年金受給資格はアメリカで10年以上の就労、そして62歳以上である事が基本条件でした。それが日米社会保障協定が発効されたために2005年10月1日を境にして、大きく条件が変わったのです。

私は場合は非常に複雑で、本協定発効前は数ヶ月間日本とアメリカ両方で年金を掛けており(アメリカでは社会保障税)、その後現地採用になるまでは日本のみ、現地採用になってからはアメリカのみでの支払いでした。この条件でアメリカから年金がいただけるのか?62歳になった今、それを確認し請求する行動を起こしたのです。

申請はするもののまだどうなるか分からないし、アメリカの年金がいただけても掛け金から考えると、雀の涙もないかも知れません。まぁそんな事をする過程が楽しいと言うか勉強になるのです。うまく行ったら・・・他の国でも調べるつもりです。ドイツも7年働いたからなぁ・・・

つまらない話になりました。そろそろ本題に入りましょう・・・


上記のようにアメリカ・日本から帰ってちょうど2週間です。
1月からタイでのロングステイをスタートして2回ほど日本へ戻ったのですが、最初に日本から戻った時は、スーツケース3個にいっぱい荷物を入れてタイに戻りました。

最初1月に来た時は手ぶらでタイ来たようなものだったので、アパートを決めた後にタイに戻った時は持てるだけ運んだ感じでした。服や自炊するのに必要な調味料や慣れた包丁なども・・・バルサンを運ぼうとして空港で取り上げられたのもこの時です。

それに比べ今回戻った時はスーツケース1個で、エアアジアに事前通知したのが20kg分のチェックインバッグでした。
20kgって普通の旅行用の着替えなどを軽めに入れたら、それでいっぱいですね。本数冊にDVDも数本。そして軽いことを唯一の条件に次のようなものを持ち帰りました。

バックアップ用のPC

ASUSのEeeBook「X205TA」を今回の日本帰国時に衝動的に買ってしまいました。薄さ17.5mmで重さ980gのモバイルノート。Windows 8.1で最長バッテリー駆動時間11.3時間(スペック上)です。
PC

リタイアしてエクセルの家計簿以外のOfficeは使わなくなりました。重たい画像処理なども全く使いません。そこで外出用と完全に割り切って拡張性なんて全く考えずに「軽い、安い」だけで決めました。ヨドバシカメラ店頭買いで35,000円に10%ポイント還元。ネットなどで最安値を見るよ3万円のようです。今なら8千バーツぐらいでしょうか。

ストレージが64GBなのでOS以外は最低限のデーターのみにして、オンラインストレージを使うことが前提になります。エアアジアで成田からバンコクに戻る際、溜め込んでいた動画をずっと観ていましたが、再生やバッテリー駆動時間に問題はなかったです。
先日イミグレーションで5時間以上待った時も、このPCで暇つぶししていました。

食器棚用防虫シート

効果があるかは別にして、食器を直接棚に置きたくないので必ずシートを使っていましたが、タイのダイソーで見つけ、今回まとめて日本で買ってきました。安いし軽いし(笑)
Sheet

目薬、うがい薬

目薬はたくさん買いました。毎日外を1時間は歩くのですが、幹線道路沿いを歩くことが多いためか、目が痒いと言うか・・・スッキリしないのです。たぶん埃がすごいのだと思います。喉もいがらっぽく感じることがバンコクに来てから多くなりましたので、うがい薬と喉スプレー。ちょっとした怪我用に消毒液も(笑)
Eye

Ugai


麦茶・プアール茶

冷蔵庫に冷えたお茶があると安心します。タイの冷たい飲み物は甘いものが多く、結局自分で作って冷やしたものが一番良いです。
Tea


実に大した物を日本から持って来てないですねぇ~

もうタイでの生活基盤が出来ており、よほど特別な物でない限りタイで入手できるので、無理して日本から持ち運ぶ必要はないようです。

今まで在住した国全てが同じでした。最初は山ほど日本から持ち運ぶのですが、慣れて来るとわざわざ日本から買って来る事もないなぁ・・・って考えるようになります。

そう思うのが今回はやけに早いのですけどね。
まぁ、それだけタイは他の国に比べて日本人には住みやすいって事ですね。

そうそう、最後に・・・
お袋の遺影のコピー。足が悪く遠出できなかった母、もちろん初めての飛行機と海外です。
今度。タイのお寺にでも連れて行きましょう。きっと「なんて金ぴかなんだ!」と驚くことでしょう・・・

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2015.06.14 | コメント(2) | タイ生活

タイを好きになった日 農家の出家

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月13日、今朝のバンコク(の端っこ)は曇り。夜明け前の雷雨が止んだばかりで路面が光っています。
昨日は午後から黒い雲が出てきたので、外出先で雨に降られるかと思ったのですが、夜まで持ちましたねぇ~ 夜明け前の雷雨はありますが、日中の雨はいつ以来降ってないのでしょうか・・・

さて、早々ですが、昨日の続きです・・・本当にいつも長文ですいません。

もう少し短い文章にして画像をたくさん貼り付けると、エントリーするのも楽だと思うし、読まれる側も面倒くさくなくて、ちゃっちゃっとブログサーフィン出来るかと思うのですが、出来ないのですよねぇ~自分には・・・本当に申し訳ないです。

ハイ・・・早く本題へ入れ!ですね。
そんなわけで長い前編に続く、長~い後編です(汗)


午後は直接お寺に戻らず、いったん家に戻ることにしました。ちょっと休みたかったので昼寝タイム。タイの家にはどこにでもあるように思える何もしないで横になったり、ただ座るだけのような縁台がこの家にもあります。

入口のすぐ外。ちょうどひさしが張り出し太陽の光から影を作り出した所、雑木を打ち付けただけのような縁台。ここに横になれば木々を渡る風の音、小鳥のさえずりが気持ちよく、あっと言う間に眠りに落ち込んでしまいました。

深く気持ちの良い昼寝だったのは、意識することがなくても常に聞こえる雑踏、排気ガスや路地の屋台の跡が染み込ませた匂い・・・そんな大都会のバンコクから離れ、木々や畑の囲まれた質素な家の軒先だからこそ得られた眠りだったのかも知れません。
昼寝中を撮られました。猫が一緒に居てくれたようです。
Sleep

二時間ほど寝たのか、名前を呼ぶ声で起き上がれば横で寝ていた猫も慌てて逃げ出し、その猫の姿を見ながらもしばらく自分がどこで寝ていたのかを思い出すことが出来ませんでした。時刻は夕方の5時。この時には家族が全員家に戻って来ていて、夕方から開かれるパーティーの準備をしている最中でした。

水浴びをしてから出かけようとのことで、家の中で唯一仕切られた空間のホンナムに入ろうとしたのですが、中は水浸しでどう考えても中で着替えることが出来ません。かっと言って家族全員揃った居間で、今より13年若かった体とは言え、すっぽんぽんになるにはいくらなんでも・・・

しばらくホンナームの前でもじもじしていたら、お母さんがチェック模様の腰布を渡してくれました。家族全員の隠し切れない注目の視線を感じながらも、後ろ向きでTシャツを脱ぎ、布を腰に巻きつけ、ズボンとパンツをさっと脱いで居間に置き、ホンナームに入りました。

中には御馴染みのタイ式トイレとそれ用の小さな水がめ。そして水浴びするスペースには壁に石鹸やシャンプーが置いてあり、大きな水がめには手桶代わりの小さな洗面器が浮いています。

さて・・・布を腰に巻いたまま水浴びするのか、布を取ってから水浴びするのか迷いましたが、何とか布をかけられそうな所があったので、そこに布をかけて裸になって水を瓶からすくってはかけました。ひんやり気持ちよい水をかけながら、ここに住んでいたらきっと一生熱いシャワーなど浴びることなどないのだろう・・・そんな事を思い、風通しの隙間から入ってくる風が濡れた体をさらに冷やすのでした。

腰に巻いていた布で体を拭いてから、また腰に巻きつけてホンナムの外へ。そこに脱ぎ置いたパンツとズボンをさっさとはいて、やっと緊張の時間が終わり、「サバーイ」と言いながら家族を見れば、誰もがほっと安心したような笑顔。なんて優しい人達なんだと言葉を交わすことなく気持ちが通じ合う。もっとも相手にしてみればだいぶ気を使わせたかも知れません・・・

さて6時前、家族全員と私が車二台に分乗して出発。その前にお母さんが山ほどのバナナ、そして午前中にお寺で作っているのを見たタイデザートをこれもたくさん持って来て車に積んで家に持って帰れと言う。お土産のつもりなのでしょう。とっても一人では食べきれないがありがたく頂くことにしました。これも日本の田舎の家を訪ねた時のような気持ちになり、なにか心に熱いものを感じてなりませんでした。

夕暮れ前のお寺に行けば敷地内に野外コンサートとも言えるような会場が設置されており、想像以上に立派な舞台上では朝のお堂内の楽団とは違って田舎の歌謡劇団のような一行が準備中。

客席は全部で200席以上は準備され、丸テーブルの上にはコーラや水とメコンウイスキーが一瓶置いてありました。出家の祝いでは酒も良いようでほっとしたのは自分だけか・・・・ 
Party

家族でテーブルを囲み、用意された食事が出されたのは7時過ぎのことで、その間会場の入口で出家されすでの頭を丸めた若い男性が来場者に挨拶をしていました。結局出家した当人を見たのはこれが最初で最後でした。

昼前から夕方までお寺を抜け出したために、肝心の出家の儀式らしいものは何も見ることなく、親戚や近所の村人がたくさん集まって朝からお寺で食べては祝っていたような印象が残りましたが、出家はその家にとって最大の喜びであると聞きます。
画像は移動中に見かけたもの、出家する人を囲んで練り歩いていました。
Town

おそらく男子が一生の内に一度は経験すると言う短期間の出家だろうが、家にとってはそれが最大の徳を積むことになり、親戚や近所、それこそ村中で祝っているのでしょう。それが家族そろって誇らしく、そこに飛び込んだ外国人の私すら、誰もが喜びの中に置かれ、何か・・・すーーっと人々の中に溶け込んだような気さえしたのです。

バンコクへの帰路を急ぐので、パーティーを終わりを見ることなく8時には失礼しましたが、そのまま酔いつぶれて一晩お世話になっても・・・と何度思ったことか。

いや、きっと初めて訪れた外国人に対し、皆さんに気を使わせるだけだと甘える気持ちを抑えこみ、ラジオを止めさせた車の後部座席から、真っ暗な中を伸びるバンコクへの道を見つめていました。

この日は私が最初にタイを好きになった日でした。

多くの歴史ある古い町と朽ち果てていく遺跡、青い海とさんご礁に囲まれた南の島・・・それらは訪れるのに値する地でしたし、そこへの旅も楽しいものでした。ただそれは旅する先として好きだっただけです。

タイの人々、生活、暮らし方、文化、考え方・・・それらが外国を意識せず、なぜか昔懐かしい想いさえさせてしまう・・・そんな風にタイを思い、この国と人々が好きだと思った最初の日。それがスパンブリーでの農家の出家に立ち会った日でした。

きっとその日があったから、多くの国での仕事を終えた自分に、今またタイに暮らすことを決めさせたのでしょう・・・

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2015.06.13 | コメント(0) | タイ生活

タイを好きになった日 ある地方都市

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月12日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。良い天気です。
昨日も湿度が少ない良い天気でした。いつものようにソンテウと赤バスに乗って都心部へ出ていましたが、サウナのように思えた赤バス内も風が気持ちよくすら感じました。季節のせいなのか、私自身が変わったのか・・・

さて、つい先日リタイアメントビザを15ヶ月分取得し終え、今年1月からのバンコクでの生活基盤も全て整いました。同時にこれも先日、日本とアメリカへ行き、働き続けた人生への終活もで無事済ませました。

これじゃぁ後はのんびりするだけなのですが・・・それが性分に合わなくて、何か次の目標をついつい探してしまう今日この頃です。

しばらくはゆっくりとバンコクやその近郊の思い出の地を訪ねたい、そう漠然とは考えているのですが、いざそう考えるとあまりにも多くの思い出をタイには残してあったようです・・・


スパンブリーはバンコクから北北西に100kmほど離れた中規模の町。バンコクに近い町とはいえ、町からかなり離れた100年古市場を除けば特に日本人が観光や仕事で行くこともないだろう田舎の町です。

そんな田舎の町に行くことになったのは2002年のタイ勤務時。現地スタッフから親戚が出家するので、一緒に行ってみないかと誘われたことがきっかけでした。
車でバンコクからは2時間もあれば充分な距離と、日頃からタイの農村を訪れてみたいと思っていた気持ちが即座に行くことを決めました。

渋滞のない土曜日の早朝に車でコンドミニアムを出て、途中で現地スタッフと合流。バンコク都内をあっと言う間に抜ければ、国道沿いは田園風景がどこまでも続きます。そんな国道のわき道に入ったのはスパンブリー市内の数キロ手前で、未舗装の道をしばらく進み、小さな川を渡ると家が数軒並んでいます。並んでいると言っても高床式の家ではなく、草木で隠れてしまう平屋建ての質素な家ばかり、その中の一軒が目的地でした。
House

家の中から猫と小さな女の子がすぐ飛び出て迎えてくれました。どうやら家族はすでにお寺に向かっており、4歳の子と子守りらしい女性(スタッフが弟の彼女との説明)だけが留守番しながら私達を待っていたようです。

てっきり高床式の家だと思い込んでいた私はコンクリートを打ちっぱなしにした平屋建てに多少戸惑いを覚えたのですが、まるっきり戸締りらしいものがなく入口も窓も全て開け放たれ、壁にはたくさんの風通し用の隙間がある家にプライバシーも大した戸締りも必要としない田舎を思い知らされました。
(画像はエンポリアムで買ったお土産を渡した女の子)
House Front

入口から家の中に入れば、床の上に大きなビニールを敷いただけの広めの部屋があり、家の奥は仕切りが無く台所のようです。冷蔵庫がどんと置いてあり、水がめや鍋窯などの調理器具が整然と並べられています。ただ、煮炊きを家の中でどうするのかは結局家の中で食事をしないままお寺で済ませたので分からずじまいでした。

大きな家具類はほとんどなく、衣服をしまうプラスチック製の収納家具、小さなテレビに古いステレオが目立つぐらい。でも、本来なら納屋に置くような生活の道具も全部居間に置いてあります。小さな野菜畑で生活を営んでいるとの事ですが、子供達の多くはバンコクやスパンブリー市内で働いているようでもありました。

早々、子供と子守りの女性を乗せて一緒にお寺に向かいました。お寺は比較的人家が多い村の中心部にあって、かなり広いスペースにお堂や集会所のような建物、火葬場、それにお坊さんが寝泊りする宿坊が点在しています。仏様がでーんと構えてないので本堂ではないのでしょうが、その中で一番大きな建物に100名以上の村人が集まっていました。
Temple

どうやら皆さん朝食を終えた後らしく、まだ食べている人やお堂の奥では多くのおばさんたちが鍋窯を前に後片付けや茶菓子を作っているのかまだ働いています。ちょうど日本の田舎での旧家の祝いの席の台所のような雰囲気そのものです。

近所のおばさんたちが世間話をしながらも料理を手分けして作っているのです。私は江戸生まれの深川育ち、でも記憶の深層に刻み込まれた懐かしい場面のように思え、カメラ片手に一緒に座り込んで見ていました。
Kitchen at Temple

Kitchen 2 at Temple

ただ見て笑顔を交わすだけ・・・この日一日中何度も同じ経験をしたのですが、私の幼稚なタイ語がまったく通じることはありませんでしたし、同じ会社の現地スタッフが私に話し掛けてくれるタイ語以外はまったく理解できませんでした。

それでも、差し出されるものは全て食べ、実際にすべての料理がかなり美味しく感じました。
Deish at Temple

この大きなお堂の一方にはなぜかミュージックバンドが入っており、大きな音で終始何らかの賑やかな音楽を演奏していました。これが夜の歌謡パーティーに結びつくとは思ってもみない事でした・・・・。
Band

まだこの段階で主役の出家する人を見かけることなく、宿坊まで見学させてもらいましたが、それは思ったより一人の部屋が広くて快適そうなのに感心。扇風機まで部屋にあり、板の間に寝台、それに勉学用の小机と本。なぜかカセットテープがいっぱい置いてありました。

昼前にいったんお寺を離れ、なついた女の子も一緒にスパンブリー市内へ向かいました。市内中央には小さな町に似合わない立派な公園とタワーがあり、エレベーターで上層の展望台まで上がれます。
画像は2012年にスパンブリー郊外カーオホン百年市場を訪ねた時のものです。
Tower

展望台から周囲を見渡せばまったくの平地。市内の周りはすべて緑で囲まれ、所々にお寺の屋根が見えています。かなりお寺の数は多いように思えるのですが、これがバンコク以外では普通の風景なのかも知れません。
Town

市内を離れて、その中でも名所なのかお寺を二箇所ほど回りました。一生懸命お寺の名前を思い出そうとしているのですが、名が出てきません。ただ、多くの参拝者で賑わっていましたし、門前町もなかなかのものでした。きっと名刹なのでしょう。いつか再訪したいものです。

あまりタイ式の合掌を挨拶で真似てする事のない私ですが、いつの間にかタイ式のお参りは身についてしまったようです。気がつくと自然と仏陀を前にし、お線香と花を合掌した両手ではさみ、願い事を熱心に心の中でつぶやいていました・・・

バンコクの観光地のお寺では意識してもなかなか出来ないことが自然に出来るのも、なにか都会を離れて私の肩の力が抜けていたのかも知れません。


長くなりました。今日は一回では収まらないので、明日に続きます。
(長いのはいつもだろう!と天の声がしますが、無視しましょう)

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2015.06.12 | コメント(0) | タイ生活

IKEA 活用術

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月11日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。少し昨日より雲が多いようです。
昨日はよく晴れ、気温もそれほど高くなく湿度も少ないようで、町を歩いていて気持ちよい一日でした。夜明け前の雷雨が二日ほど続いた後だったので、ちょっと季節が動いたのでしょうか・・・。

唐突ですが、やっとパンのYamazakiのキャッシュバック・シートが150バーツ分のシールで埋まりました。
Yamazaki

早々にSaint ETOILEで201バーツ分の買い物。支払いは51バーツ。しかもまたシールを2個もらってしまい、普通景品交換時はもらえないと思ったけどラッキー!...と小さな幸せを感じた昨日でした。

タイって、こんなおまけ商法が多いですよねぇ~ セブン11でも以前シールを集めて景品交換してたし・・・ハッキリ言わさせてもらいますが、弱いです自分(汗) この手によく乗ってしまい、後10バーツ買ったらシールがもらえる・・・なんて余分に買ってしまいます。

ブログもランキングに10回ポチしたら、シールを一枚・・・とかあればいいですね。もっともブログを書くより、ポチしてばかりいそうな自分です。ハイ・・・本題に入りましょう。


先日アメリカら戻りすぐ、前々から気になっていたメガ・バンナーはIKEA内カフェ(レストラン?)のサーモンのマリネを食べてみました。値段が以前120バーツだったのがプロモーションだったのか90バーツなのも背中を押してくれました。景品にも弱いけど、ポロモーションには絶対的に弱い自分です。
Salmon at IKEA

素直に美味しいと思いました。ソースは甘いし濃いので無視した方が良いかもしれません。私はレモンを絞っただけでした。これが90バーツで出せるのは、やはり北欧からの強力なルートを持っているのでしょう。

これで樽香を抑えたシャルドネかピノ・グリージョがあれば申し分ないのですが、ここにはビールはあるのですが、ワインはありませんでした。

サーモンが美味しくて、ちょっと料理心を揺さぶられたのと、ワインも飲みたくなったので、TopsとBigCの両方を見てからサーモンを買いました。物はTopsの方が良さそうだったのですが、一切れでも200バーツはしたのでBigCで買いました。189バーツ。

早々アパートに戻り料理したのは簡単なサーモンのムニエル。
Salmon

ソースは醤油とごま油ベースで、日本酒とレモンを絞ったもので作りました。身が薄かったので皮ごとムニエルしましたが、思ったより脂が少なく、味ももう少し厚めのサーモンでも大丈夫なように思えました。魚料理はタイではどうしても少し材料費が高くなるのですが、これならもっとバリエーションを増やせそうです。

そう言えば・・・この皿もタイに来てからIKEAで買ったものでした。

このIKEA、独特の商品と店作りは多くの人がご存知かと思いますが、従来の家具屋さんとは日本でも海外でも大きく異なる独自のコンセプトで成り立っています。

私は1990年に北ドイツはハンブルグ郊外で初めて訪れました。横浜だと港北店、アメリカのジョージア州にもアトランタのダウンタウン近くにありました。どこも見事に同じコンセプトを貫いています。
IKEA

慣れていない最初は見るのも、選ぶのも、買うにも戸惑うかも知れませんが(もっと言うなら、使う前の組み立ても)、慣れたら世界中同じ商品、同じ売り方、同じ店作りなので、どこへ行っても安心してIKEAを使えるのです。

スウェーデン発祥の通り、北欧製品特有の機能性とデザイン性に優れ、(高級過ぎないけど安物でもない)品質や価格も親しみが持てます。

そして何よりもあの店作りが際立ちます。基本的に店に入るルートを真正直にたどると、実際の部屋を店舗内に再現したショールームを通ることになります。その中ではIKEA製品を使っているシーンを再現しているので、イメージしやすいようです。
IKEA Showroom

このショールームでお休みになられている方をよく見かけますが、欧米ではIKEAショールームでのかくれんぼが流行り、問題になった事もあります。家具だけじゃなくリーズナブルな日用品を取り揃えているので、アパートの部屋が落ち着いた後でもよく見ています。

ショールームや日用品のエリアを通れば最後は倉庫。大物の家具などはショールームで気に入ったものがあれば、入り口に置いてあった買い物リストと鉛筆(この鉛筆が某アジアの大国では大量に持ち帰る人が居て問題になってました)でメモした倉庫番号から自分でピックアップし、最後にレジを通ります。

こんなIKEAでは買い物以外に冒頭で書いたようにレストランやCafeも楽しみがあります。
メガ・バンナーに行くとIKEAに入らなくても毎回食べるのが7バーツのソフトクリームです。カウンターでお金を払い、販売機用のコインとコーンをもらってからマシンで買います。
IKEA Ice

小腹が空いた時の60バーツのホットドックセットはメガ・バンナー全体で貴重な休憩になります。ドリンクはリッターフリーだと思うのですが・・・私はそうしています(汗)
Hotdog

コーヒーも普通に美味しいので、ついついケーキまで食べてしまいます。折角メガバンナーを散歩し、IKEA内も歩いたのに、結局ここでカロリー補給になるのが常です。
Cake at IKEA

家具だけでなく小物や日用品もあり、ショールームも細かな所まで見てるとキリがありません。そうそう、ビールとかお菓子までありますね。

土日は混むのですが、平日はゆっくり過ごすことが出来るIKEAがリタイアした身には合うようです。

ただ、カップルや新婚さんのように幸せいっぱいオーラに包まれた方々も多いので、一人暮らしのオヤジ感たっぷりな自分には、見るのも眩しく、かなり羨ましくもあるのです。そんな幸せオーラに包まれたお客さん達もIKEAの一部なのかも知れません。

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2015.06.11 | コメント(3) | ショッピング

旅とパンデミクス

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月10日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。昨日は夜明け前に激しい雷雨があったためか、午後遅くまで空気が澄んで気持ちよい一日となりました。そんな影響なのか、今朝は少し気温が下がったように思えます。もっともまだ一歩も外に出ていませんが・・・

さて、先週はアメリカから戻り4日間で2回もチェーンワッタナのタイ政府合同庁舎イミグレーションに行きました。今年1月にタイに来てから、6回目です。言い訳がましく「イミグレーションが好き」だと言っているのですが、まぁ5時間以上待つのはもう勘弁ですが、1~2時間なら退屈しません。

って言うか、イミグレーションの中は人間観察にはこれ以上無い場なので、なかなか面白いと言うのが本音です。
あのイミグレーションのベンチに座っていると・・・実に多くの外国人が人それぞれの事情で来ているのが垣間見ることが出来るからです。
Immigration

中国の方、韓国の方はグループで来られていることが多く、その話し声はどうしても目立ってしまいますし、特にアジアの大国の方々はここでもお行儀が良くないのが際立ちます。日本人で目立つのは仕事に追われながらイミグレで待っている人たち、盛んに携帯電話で「納期」「見積もり」「社に戻って・・・」なんて話しながら頭を下げています。

インド系、中東系は親戚のように見える人と一緒で、いつも何かの指示を与えられています。年老いた白人がタイの女性と一緒に来られているケースも多く見かけます。

先日は私の後ろが韓国の若い女性三人でそれは楽しそうにずっと話をしてました。彼女達の話す韓国語がまるで韓流ドラマを観ているかのように聞こえ、「~ソヨ」「~セヨ」とちょっと語尾が上がる感じが正直可愛らしく聞こえました。もっとも全く私は知らない言語ですけど(笑い)男性がけんか腰で話すと、極端に怖く聞こえる不思議な言葉ですね。
その韓国人たちの後ろが日本人女性たちで、これは話の中身すら分かるのですが、ちょっと蓮っ葉な話し方に内容。30代ぐらいの方たちでしょうか・・・海外だから自分達だけが分かるからと思い込んで話す癖に気をつけないとね。

人様の人生ですが、このミグレーションはそれが色濃く出る場のようで、私は耳をすまし、目を見開いているだけで、時間があっと過ぎるのです。
考えてみれば、自分もリタイアした身での滞在ビザを求めてその場に居合わせたのですから・・・。

さて、その韓国ですが、現在、MERS(マーズ・中東呼吸器症候群)で大変なご苦労をされているようです。連日タイ・日本でも大きく報道されていますが、韓国内での対応の遅れが収束を遅らせている原因のひとつであるようです。

世界的レベルで見ればアメリカ国内や欧州各国のニュースの扱いも少なく、世界的流行パンデミックにはなっていないようです。
ただ、今のように人の移動に国境がない時代、日本でもタイでも、似たような事はいつでも起こりえるでしょうし、タイはもちろん日本ですらそうした事態への対応が正確に取られるかは大変疑問に思っています・

韓国でのMERSを対岸の火事とせず、日本、タイに限らず今一度パンデミックへの対応を見直して欲しいものです。そう思うのは自分自身が世界を旅する中で、過去そんなパンデミックに直接影響された経験があるからも知れません。


2003年のSARS(サーズ・重症急性呼吸器症候群)はタイ勤務時でしたが、中国、シンガポール、ベトナムなどからあっと言う間にアジア中が騒動になり、一時期全く出張者も来ないし、業務上大変な支障があったことを思い出します。

2005年に東南アジアで猛威を振るった鳥インフルエンザの時、家禽と人との接する機会が大きな話題になっている頃です。ベトナム・ホーチミンのビンタイ市場を散策中に、鶏はさばかれて無く生きたまま売られているのを見ました。足を紐で繋いであるだけでかなり自由にニワトリさんが歩かれています。鳥インフルエンザが発生したらあっという間に広がるのが解ります。危ないので鳥が闊歩する路地は遠目から見ていました(汗)
HMC

2009年3月からのN1H1(豚インフルエンザ)はアメリカ勤務時だったのですが。発生元がメキシコでそこから全米に広がる中、私もアメリカからメキシコへ行ったりしていたので、個人的には非常に注意していました。

このN1H1で何よりも驚いたのは、その後日本での騒ぎです。4月末からメキシコ・米国・カナダから到着した旅客機の機内検疫を開始し、その真っ最中の2009年5月13日に私はロサンゼルスからANAで成田空港に着いたものの、機内検疫で質問票記入などで長時間待たされたり、日本でも白い目で見られました(汗) 画像はその時のANA機内検疫です。
ANA

去年2014年はエボラ出血熱で世界中が大変な騒ぎでしたね。私が去年住んでいたアメリカ・ジョージア州の州都アトランタはアメリカ疾病管理予防センター(CDC)があって、よく映画やテレビなどに登場します。全米どころか世界中から未知のウイルスや感染症などが持ち込まれます。エボラ出血熱に米国内で感染した看護師の方もここへ運ばれ、連日その様子が報道されました。


こんな風に考えてみると・・・数年に一度は危うくパンデミクスになる寸前まで行っているのだと思わざる得ません。

ウイルスも変化しているでしょうし、国境がない人の移動が増加するばかりの現在、世界の片隅にだけ存在したウイルスがあっと言う間に世界中に拡散する可能性は高まるばかりだと思います。

もう私自身が世界中を飛び回ることはないでしょうが、こんな私でも少なからず影響を受けたのですから、これから世界で活躍する方々にはくれぐれも気をつけていただきたいものです。

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2015.06.10 | コメント(4) | 旅先通信

引ったくりに遭う

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月9日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。今朝も夜半過ぎの雷雨が止んだ後です。午前2時から3時にかけて激しい雷雨があり、近くへの落雷で駐車してある車のアラームが鳴り出していました。

前日のエントリー最後に『これだけ多くの旅をしているのに、幸い旅先での盗難、事故、病気は経験がありませんでした。つい今回のタイに来るまで・・・・』と書いています。
事実、世界中を旅し、多くの国に住みながら、大きな怪我や病気に遭うこともなく、事故もなく、こそ泥やスリなどにも遭ったことがありませんでした。

若い時、日本に住んでいた時ですが、車上荒らしで駐車中にガラスを割られたり、通りすがりの酔っ払いにいきなり殴られたり・・・よほど怖い目にあっています。

怖い目と言えば、一回だけ・・・ドイツ在住時にハンブルグの空港にルフトハンザ国内線で着陸するとき、車輪が固定されたランプが点灯せず、地上からの確認も出来ないと言う事で、胴体着陸を覚悟しての体をかがめた緊急姿勢で着陸した事があります(結果は車輪が固定されていた)。この時に燃料ゼロにする為空港上空を何回も旋回した時間が怖かったです。感極まって泣き出した隣の女性を励まし続け、着陸後にハグされたのは嬉しかったです(その後の展開は何もなし)。

そんな幸運続きだった私ですが、今年タイに来て早い時期に非常に怖い思いをしました。この時の事は・・・なんて言うか・・・実際の怖さよりも、人の悪意に直接触れたのが、悲しかったり、悔しいというか、あまり思いだ出したくないことでした。

BTSウドムスック駅近くからソンテウに乗ってシーナカリン通りへ向かっていた時、いつものようにステップに立ち乗りしていました。手には買い物したビニール袋が三つ。
(画像はウドムスックから乗るソンテウ。BTS駅近くのウドムスック通りの発車場。文中のソンテウではありません)
Songthew

シーナカリン通りとの交差点が近づいたのでブザーを押し、ソンテウが停まった事と周囲の車やバイクを確認して後方から降りて、助手席側に運賃を払いに向かいました。助手席の窓に運賃を持った手を差し出した時です。

何か音と衝撃があって体がよろけました。その時はとっさの事で気がつかなかったのですが、運賃で差し出した手と逆の手に持っていたビニール袋が道路に散らばりました。どこから現れたのかバイクが私に接触するように歩道とソンテウの間に入って来たのです。

私はとにかくびっくりして頭は真っ白です。自分では怪我したかと思いましたが、ただよろけただけのようです。その時やっとソンテウの乗客皆が大声で何か言ってソンテウの先を指差しています。見ると二人乗りで黒のフルフルメットの男達が振り向きもせずに去って行く所でした。

私は怪我が無いようなのでとにかくほっとして、自分に落ち度があったかな・・・なんて考えながら道路に落ちたビニール袋を拾って歩き出したのですが・・・数歩歩いてビニール袋が軽いように思えて中身をチェックしました。

そうしたらビニール袋のひとつがないのです。慌ててよろけたあたりを見回したのですが、どこにも落ちていません。よりによって初めて伊勢丹で買ったとんかつやコロッケに刻んだキャベツです! 今思い出しても悔しいです!!

それが伊勢丹のビニール袋だったからチャンスが来るまで狙ったのか、運賃を払う瞬間で財布を狙ったのか、本当にバイクが引ったくりしたのか・・・確かな事は言えません。かんぐったらソンテウが歩道に寄せ切ってないのもおかしいし、バイクが現れたタイミングも・・・

間違いなく言えるのは、そのバイクは強引にソンテウと歩道の間に入り、私によろけさせた上に全く止まらず逃げ去った事だけです。

それ以来、ソンテウだけでなくバスでも降りる時は細心の注意をしています。ちょっと見て大丈夫でも、悪意を持ってバイクが引ったくりに来ることがあると学んだからです。荷物をぶら下げてソンテウ立ち乗りするのも考え物です。後方から丸見えですから・・・それ以来は荷がある時は肩がけバッグに入れています。
とんかつとコロッケは残念でしたが、何よりも怪我がなく、早い時期に学んだのもきっと良かったのでしょう。そう思うようにしていています。

何よりも自分の身は自分で守るしか無いことを思い知らされました。

考えてみると、歩道を歩くのも怖いですよねぇ~ 平気で後ろからバイクが歩道上で横を通り過ぎて行きますから・・・

お約束通り前置きが長くなりました。今回はこれが本題かも・・・
それでは前回の続きで「私の旅の大失敗」です。
ここでは旅のトラブルでも自責の失敗で他責のトラブルを含んでいません。したがって前置きで書いた引ったくりトラブルは圏外と言う事です(笑)


3. 時間を勘違いし、飛行機に乗り遅れる
バンコクからLCCのエア・アジアでタイ地方都市へ行こうとした時、完全に時間を間違えました。たしか15時を午後5時だと勘違いしたような・・・払い戻しもなく、ただその場で一番早いフライトを新規に買いましたが、LCCと言えどそうなると高いのです(涙)

反対になりますが、アメリカでは国内線を鉄道やバス代わりに使うので、予約したフライトより早く空港に着いたら、少しでも早いフライトに乗るようにします。空席があれば別料金は不要で移れます。多くの人が普通にそうするので、けっこう空席はあるのです。

4.パスポートを忘れて出かける
ドイツ在住時は何度もありました。ヨーロッパでは車で国境越えが当たり前ですが、まだEUが成立してない前であっても、実質ドイツからベルギーを通りフランスあたりまで国境が開かれていました。パリのホテルでパスポート提示を求められて初めて気が付いたりです。日本でも成田空港直前で引き返した事すらある私です(見事に乗り遅れました)。

ちなみにアメリカ国内では運転免許証が空港での身分証明書になります。チェックイン、セキュリティーチェック、空港内のBarで飲むにも免許証がないといけません。だからアメリカの運転免許証がまだ発行されていない赴任直後だと、家近くのスーパーでビールを買うにもパスポートを見せなくてはなりません。


色々な失敗をしていますが、幸い今まで怪我や病気になったことはありません。自責なら回避することは自力で出来そうですが、前置き話しのようなケースではどんなに注意しても、残念ですが出遭ってしまう事もあり得るかと思います。

それが日本より確立が高いのが海外ではないでしょうか。せめて被害を極力少なくする事は自助努力で出来ますし、対処方法もある程度は想定して考えておくべきでしょう。
どんなに慣れた地、安全に見える所、自分だけは大丈夫だと思う・・・そんな慣れや過信をすることなく、自分で出来ることはいつも考えておきたいものです。

引ったくりの被害とは言え自分のどこかに油断もあったのだと思っています。旅の多くの失敗も慣れや油断からだと思います。そんな自分がおかしたミス事をわざわざ書いたのは、自分への戒めと、こんな恥ずかしい経験でも少しでも読者のお役に立てればと思ったからです。本当はあまり思い出したくないことでした。

今まで大したことなく長い海外生活を無事過ごせたのも幸運だっただけでしょう。私のそんな幸運がいつまで続くのか分かりませんが、これからもしっかりと注意して行きたいものです。

特にカツサンド、とんかつ、コロッケを持っている時は要注意です。

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2015.06.09 | コメント(10) | 旅先通信

私の旅の大失敗 -麻薬犬に掴まる-

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月8日、今朝のバンコク(の端っこ)、今は曇りで夜明け前までの雷雨が止んだばかりです。ここでは午前4時前から1時間ほど停電でした。

さて、数週間前のエントリーで「食べ物で何が好きか?」と聞かれれば、間違いなく「ライチ」」と答えると書いています。その前までは・・・実はハムカツでした。しかもかなりいい歳した大人だったのに(笑)

足が悪く出歩く事もままならず、あまり料理が得意でなかったお袋。よく近所の肉屋さんで揚げられたコロッケやメンチカツを買ってはおかずにしていましたが、その中でも私はハムカツが子供の頃から大好きだったのです。何も特別なものではありません。中のハムは安いもののほうが美味しいとすら思えます。

もちろんアメリカでの自炊で何度も挑戦しましたが、実は全て失敗しています。簡単そうな揚げ物ですがナゼでしょう(涙) 一番ひどい時はハムの周辺だけ揚げた時に縮んでしまい、結果円錐状のハムカツになってしまいました。衣が揚げている最中にハムから剥げ落ちたり・・・失敗ばかり。アメリカのハムは揚げることに適さないのでしょうか?? 油の温度とか、小麦粉やパン粉の種類も影響あるのかも・・・

その大好きなハムカツがコッペパンに少しのキャベツと一緒に挟まったハムカツパン。当然パン屋さんで買う時に絶対外せないパンです。また、切ったハムカツの断面が見えるのもビジュアル的に食欲を刺激します。

安いハムカツはやはりコッペパンに挟むのが一番良いように思えます。耳を落とした白い食パンに挟まったハムカツサンドは、高級そうに振舞っていますが、どうもハムカツには似合いません。

それに比べてカツを挟むなら白い食パン!カツサンドで決まりです!!ハムカツに比べたら天と地のように違う高級なトンカツ様を挟むのですから、庶民のコッペパンとは行きません。

耳を落とした白い食パンにバターを塗って、甘めのソースをカツにかけてから挟みます。ソースが少しパンに染みこむぐらいがちょうど良いです。私的にはヒレカツで少しキャベツも挟まったほうが好みです。

カツの名店「まい泉」のWEBから拝借した画像です
Katsu-sand

さてこれ以上パンの話を進めると前置きだけで数回分のエントリーになりそうです。唐突ではありますが、強引に前置きを終え、本題に入りましょう。


CNNの「旅にまつわる大失敗」を紹介しましたが、今回は私の旅にまつわる失敗です。
訪れた国の数を数えた事はありませんが、アフリカと南米以外はほとんど訪れているはずです。しかも多くの国が一回、二回じゃなくて、まぁ数えるのが面倒なぐらい(笑)

国の数なんて問題ではなく、中国やアメリカ、インド、などは訪れる都市や地方で国が異なると言ってもよいぐらいです。あまり大きくない国でも、例えばイギリス、スペインやイタリアでも国が違うかのように異なります。それはそうですよね、ほんの少し前までは国が違っていたのですから・・・ いずれにしても訪れた都市や地方は数え切れません。
その上、住所を移してのいわゆる「在住国」が5カ国ですから、パスポートは数年もすれば必ず発行都度増刷が必要でした。画像は増刷(ページを追加する)したパスポート。
Passport

訪れた所が多い分、当たり前ですが旅も多くなりますし、慣れもあって失敗も多くなります。

ここでは旅のトラブルでも自責の失敗です。
他責のトラブルなら、長い私のブログでもエントリー5回分はあるような・・・まぁ旅を多くする人なら誰でも経験があるようなものです。


1. 麻薬犬に掴まる
日本からアメリカに戻るとき、カツサンドを機内に持ち込み(まずい機内食を無視して)ワインを飲みながらカツサンドを食べるのが私的なブームだったことがありました。成田空港でも買えますが、空港で無駄な時間を使わない主義の私は、事前に家内にお願いして出発の朝に作ってもらい、それを機内に持ち込み、好きな時間に食べていたものです。

それがある時、アメリカ/アトランタの税関でトラブルの原因となってしまいました・・・

その時はあまりお腹が空いてなくて、作ってもらったカツサンドを半分だけ機内で食べて、残りを大事にアメリカの自宅に着いてから食べようと思ったのですが・・・・
入国審査を済ませて機内預けのスーツケースが出てくるのをターンテーブル前で待っていたのですが、その時税関職員が検査犬と一緒に巡回に来たのです。
ATL Baggage Claim

職員と検査犬は荷物を待つ乗客たちの間を歩きながら、人そのものや手にしたバッグの匂いを嗅いでいます。あれが麻薬犬か・・・けっこう可愛いなぁ~なんて感心しながら私も見ていたのですが、私の所で急に犬が反応し始めました。どうも私が手で持っている鞄に反応しているようです(汗)

周辺の人達が注目する中、その場で職員が鞄の中身をあらためる旨の確認があって、食べ残したカツサンドを見つけました。サンドイッチの中身を聞かれて・・・私が答えたのがポーク。あー!そうか・・・アメリカに持ち込むことが出来なかったのですねぇ~ サンドイッチにしたので、あまり考えずにしてしまったことです。

もちろんその場で没収され、なにやら紙を渡されて税関に行く指示でした。罰金こそ無かったものの全ての荷物を入念に検査されたことは言うまでもありません(涙)

そんな失敗をした自分が情けないやら、折角家内が作ってくれたカツサンドを捨てることが申し訳ないやらで、しばらく立ち直れませんでした。

2.焼酎の一升瓶がスーツケースの中で割れる
はい、一升瓶です。本来してはならない事です。デルタ航空でアメリカに戻るとき、銘酒「中々」の一升瓶をプチプチで包み箱にも入れたのですが・・・成田の搭乗ゲートで呼び出され、「アップグレードだ!」とぬか喜びした直後に地獄へ落ちました(涙)その後の始末も思い出したくないぐらい惨めで大変でした。

焼酎は一升瓶で飲みたいものです。特に「中々」は何も入れず割らず、常温でそのまま飲みたいものです・・・止めましょう。ハイ・・・

同じような経験をつい先日も成田でしたような・・・「運んでいい物、だめな物(空港トラブル)」で書いたバルサン事件です(汗)

いずれにしてもまだ成田だったから良かったです。これがアメリカの空港で起きたなら、下手すると大ごとでした。

チェックインや搭乗時に呼び出されなくても、アメリカに着いてみたら安全上から抜かれた物もあります。商品名で言えばハイター。日本じゃ普通に使われているキッチン洗剤で使い慣れているので、アメリカでもまな板などの消毒にも使おうとスーツケースに入れたのです。塩素系漂白剤なのでこれもアウトだったと後で調べて分かりました。

アメリカ便は国内線も含めてチェックインバッグに鍵をかけないか、検査員が開けられる鍵を使う事を求められ、よく開けられた形跡があります(一応検査した旨の紙が入れられます)。

これだけ多くの旅をしているのに、幸い旅先での盗難、事故、病気は経験がありませんでした。つい今回のタイに来るまでは・・・・

毎回なので今更言うなと怒られそうですが、長くなりました(笑)
次回に続きます。

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2015.06.08 | コメント(8) | 旅先通信

旅の大失敗 11~20

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月7日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。雲が多いのですが、なかなか雨が降りません。

一昨日買い物したシーコンスクエアではほぼ二週間ごとに異なる催事・イベントが行われています。私がアメリカに行っていた時から「Fresh Food from Farms」(産直物産展)が今週末まで行われていました。

この催事は買い物ついでによく寄るのですが、見ていたらそれは立派なライチが売られていました。220バーツ/kgとかなり高いのですが、今年見た中で一番大きく色も良いので、買ってしまいました。アメリカから戻り5日間で2回目のライチ(リンチ)です。
Seacon

画像でお分かりでしょうか? 右の2個は今週初めに買ったもの。2倍はあるでしょうか・・・あまりに嬉しくて値切るのを忘れて買ってしまいました(笑)
Lynchee

この店ではマンゴスチンも一緒に売られていましたが、そちらは今ひとつ。ライチの旬は短いので、もうそろそろ終わりじゃないかと気がかりでなりません。冷やすとさらに美味しいので、冷蔵庫に入れていますが、痛みやすく早く食べなくてはなりません。

このライチ、冷蔵庫で冷えた後に食べたら本当に美味しいです。大きい分だけ果汁たっぷり。口にふくむと程よい甘さ、しかしさっぱりした果汁が口の中いっぱいにはじけます。今まで食べたライチは何だったのか!と思うほどのすごさです。

朝晩、ふなっしーのように果汁を飛ばしながら食べまくっています。あまりに美味しいので「ヒャッハー!!」なんて飛び上がり気を失うかもしれません・・・

無理やり気絶ネタに持って行くのは、もう止めないと・・・ハイ(汗) 

それでは今日の本題ですが、昨日のお題CNNの「旅にまつわる大失敗」の後半です。
昨日と同じで「」『』鍵括弧内は本文引用部分です。


11.安物のビーチサンダルを買う

「突然つま先止めが取れたり、溶岩の上を歩いていたりして足の裏に多くの切り傷が出来た時に、安物のビーチサンダルを購入したことを後悔する」とあります。

私は旅行中に履物を買うことはないのですが、特にアメリカの人達は旅行中は実にリラックスした服を好み、サンダル履きも多く見かけます。私自身も太平洋横断の時はジャージ姿で、それは貧相な格好です。

12.屋台の食べ物を食べない

「はるばるタイやメキシコまで行って、現地の料理を食べずに帰る手はない。現地の人々も食中毒にはなりたくないので、彼らが並んでいる店は安全と考えていいだろう」とありますが・・・

私的にはその通りと言うか、屋台で食べるのが普通なのが私ですが、旅行者にはあまりお勧めではありません。海外で雑菌に慣れていれば良いのですが、今時の日本人は屋台でなくても海外で体調をすぐに崩す人が多いのです。よく言われますが、ジュースなどの氷も気をつけなくてはなりません。私は氷入りの場合すぐ胃内アルコール洗浄を行っています。

ホーチミン・シティーの屋台
HCM Yatai

13.3カ月に及ぶアジア横断の旅の初日に太鼓を購入する

「あなたは今後その太鼓を叩くことはないし、自宅に戻って地元の楽器店に行けば、より品質の良い太鼓がいくらでも見付かる」ですって。

ハハハ・・欧米人によく見かけます。ベトナムの編み笠を持っている欧米人旅行者なんて実に多いです。日本人なら絶対に買わないようなお土産を持って機内に入って来る欧米人もアジアでは多いです。

14.ガイドブックに過度に依存する

「ガイドブックはすばらしいが、同じ目的を持った多くの旅行者が読んだり、ダウンロードしたガイドブックに掲載されたりしているプランから1日1つか2つ選んで、実行するのが一番だ」

もう20年ぐらい前のことですが、旅先で日本人とすぐ分かる方法があって、それは黄色い「地球の歩き方」を持っていることでした。当時パソコン通信の旅関係の会議室では「地球の迷い方」として有名な本でした。私はロンリープラネットが頼りでしたが、今でもあるのかなぁ~ ガイドブックを買わなくなって長く経ちます。

15.完全保証型旅行保険に加入しない

「旅行保険に加入するなら、完全保証型がおすすめだ。旅先でバイク事故を起こした時、格安の旅行保険でも帰りの旅費は出るかもしれないが、入院中に受けた手術やスポンジバスの費用はカバーされない」ですって。

私は全く分かりません。旅行するからと言って何かその時だけの保険に入る経験がないからですが、旅先でバイクを乗るような人なら考えるべきですね。タイでもレンタルバイクで事故に遭う日本人が多く居ます。私はどんなに不便でも現地の公共交通機関を使うのが旅のスタイルです。

16.取りつかれたように写真を撮りまくる

「旅先の街の風景、像、料理をすべて写真に撮らなければ、という強迫観念や義務感は、本来旅の中心であるべき自発性や感情的体験を損なう」ですって・・・

これは自分に当てはまります。そんな自分が時々嫌にもなります。長い間趣味の旅行とネットとの関わりから、何らかの形で旅行の記録を全てネットにアップしているので、いつの間にか「取りつかれたように写真を撮りまくる」自分です。

17.出発前にビザの必要条件の確認を怠る

「リオのカーニバルを見にブラジルへ。ところが、ブラジルでは渡航前のビザの確保が義務付けられていることを知らなかったばっかりに、出発当日に発券カウンターで追い返されたらまさに悪夢だ」だそうです。

うーーん、自分にも起きそうなことです。私は全て自己手配なので、出発当日に空港で追い返されるなんて・・・あり得ますねぇ~

18.週末だけでベルリンを回ろうとする

「ニューヨーク市よりも広く、食事や買い物ができる場所や道に迷う場所の数もニューヨークに引けを取らないベルリンを週末だけで回るのは無謀だ」だそうです。

なんか当たり前の事のように思えます。アメリカ人だからでしょうか? 結構アメリカ人って世界を知らない人も多いです。それで無謀にも海外に家族と行ったり・・・そんな失敗談をよく聞きますが、あまり気にしないのも良いかも。

19.クレジットカードでキャッシングをする

「クレジットカードでキャッシングをすると、最高15%という高い手数料がかかる。さらにATMを設置している銀行から利用手数料を取られ、外貨を引き出す場合は不利な為替レートが適用される」

うーーん、そですねぇ~ 私は海外でクレジットカードをあまり使わないようにしていますが、出発前にネットを通じてホテルや現地の飛行機を予約するので、その時にクレジット決済にどうしてもなります。それで後から現地通貨決済の手数料とレートに泣かされるのです。

20.予約の詳細をプリントアウトしない

「予約の詳細は携帯電話やパソコンに保存してあるので、わざわざプリントアウトする必要はないという人もいるが、携帯電話、パソコン、タブレットなどは、特に外国に行く場合、到着してすぐに使えるとは限らない」ですって。

私はプリントアウトして持って行きますが、それが無いからと言ってトラブルにあった事はないのですが・・・何かプリントアウトがないからトラブルに遭うのでしょうか?


「旅」は無事戻って初めて「旅をした」と言えます。
日常から離れた旅先でトラブルに遭遇するのも経験ではありますが、どんな事があっても安全と健康を害してはなりません。失敗談として旅行後に楽しく語れる程度なら、多少は冒険も良いのかと思いますが、本当に安全と健康だけはくれぐれもご注意ください。


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2015.06.07 | コメント(4) | 旅先通信

ラッキー続きの一日

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月6日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。夜が明けてきたら少しうす曇みたいです。昨日は一日良い天気でしたね。暑さもかなりでしたが、やはり雨より良いです。

さて、本来なら昨日のエントリー「旅の大失敗」の後半をアップすべきなのですが、昨日は小さなラッキーが重なり、かなり嬉しい日となりました。もっとも私にとってのラッキーはバスが待たずにすぐ来たような事で、それを喜ぶのはかなり恥ずかしくもあるのですが・・・

二週間ほどタイを留守したので、買い物や野暮用がかなり溜まっていました。体調が良くないので無理して動くほど大切な用事ではないのですが、じっとしていられない性質なので、昨日はバンコク中を動き回りました。

ちょうど良い機会なので、そんなじっとしていられないリタイア親父の一日を紹介しましょう。

少し体調が良くないので出かけるか迷いながらの朝。
寝起きのストレッチ、シャワー、毎朝のシャワールームとトイレ掃除を終え、果物中心の朝食も済ませて、ブログをアップ。ここまでは毎日判を押したような朝の日課です。

まだ外出するか迷いながらも結局は普段着の半ズボンにTシャツから、ジーパンにポロシャツの正装を選びました。この時点で出撃の決定ですが、靴下は止めてサンダル履きがせめてもの気持ちの抵抗(笑)

まずはチェーンワッタナのタイ政府合同庁舎イミグレーションです。
ここで「どこまでイミグレが好きなんだ!」とあきれる皆さんの声が届くようです。そうなんですよねぇ~好きなんです(笑)どんなに短くても片道1時間半もかかるのに・・・

三日前にリタイアメントビザを取得した時は丸々一日かかってしまい、リ・エントリー・パーミットを取ってなかったのです。って、まだいつどこへ出国するのか全く予定もないのですけど・・・ 実は、日本から緊急で戻れの連絡がいつあってもおかしくない状況が続いているので、常にリ・エントリー・パーミットを持っていたいのです。

緊急事態にならなければ出国するつもりもないし、シングルで十分です。ただ明日かも知れないし、1年後になるかも知れないので、とにかく常に出国できる状態ではいたいのです。

空港取得はもちろん知っていますが、こんなに苦労して取得したリタイアメントビザを賭けてまで、当日出発直前の空港でリ・エントリー・パーミットを取るなんて、私にとってはバックアッププランの最下位扱い。つい数週間前もスワンナプームで見たら、二ヶ所の出国審査場のひとつしか手続きが出来ないし、そこも係員が不在で待たされている旅人が居るだけでした。
Re Entory

それに政府合同庁舎内で確認したいこともあったので・・・

朝ぐずぐずしていたのでアパートを出たのは9時過ぎ。ウドムスック通りは路線バスがないので、通学時間帯のソンテウはものすごく混んでいます。混雑のソンテウは最悪なのでいつもはそれを避けてバンナートラート通りからバスに乗るのですが、昨日は朝が遅かったので、ウドムスック通りに出てソンテウでBTSに向かいました。

最初のラッキーはソンテウがすぐ来て立ち乗りステップが空いていた事。BTSウドムスック近くまで7バーツです。

二番目のラッキーはBTSが待たずに乗れて、ウドムスックから座れたこと(年寄りじみているでしょう)。通勤時間帯はウドムスックにBTSが来た時から混んでいますから。

BTSの中でビクトリー・モニュメントで降りるか迷っていました。ビクトリー・モニュメントから乗るべき166番の(イミグレ行き)バスは極端に本数が少ないからです。ビクトリー・モニュメント駅に近づいた段階で10時5分過ぎ。なんとなく30分以上バスを待つように思え、そうなると午前中に片付きません。

そのままビクトリー・モニュメントでBTSを降りずにモーチット駅まで行きました。52バーツ。BTS駅から道路に降りたら(これも本数が少ない)52番のバスがちょうど来たところでよたよたしながら飛び乗り?ました。政府合同庁舎前まで9バーツ。これが三番目のラッキーでバスの中で小さなガッツポーズ。

政府合同庁舎入り口からイミグレーションまでは嫌いなモタサイ。20バーツですが、運転手が若い女性だった・・・なんてラッキーは無かったです(汗)

もう写真が無かったので一階降りて写真撮影とコピー屋さんですが、いつもの奥の2軒並んでいる店が一軒しか開いてなく長い列です。ちょっと離れたFUJI FILMの看板を出している所は完全に暇そう。そこで写真4枚100バーツとコピーを取ってイミグレーションに向かいました。アルバイトのような女の子はどのページをコピーすべきか全く知りませんが、私は全部経験済みなので構いません。この選択も正しくて四番目のラッキー

提出書類をあっと言う間に書き上げ、イミグレーション内で整理券をもらった時点が11時13分で17人待ち。この時点で午前中は諦めたのですが・・・
Immigration

種類と1000バーツを提出したのが11時35分で、その時点でパスポート返却待ちの番号は32人分でした。ここでいったんイミグレーションを出て一階下の銀行へ。ここで前々からずっと挑戦している事を相談したのですが、成功直前で撃沈。ここの銀行なら大丈夫かと思っていたのですが・・・その内容は後日エントリーします。

この時点で11時50分。念のためにイミグレーションに戻ってみると、100番まで呼び出しがあって、あと17人です。イミグレーションの事務室を見てみると、事務官やボス達がお昼休憩前の怒涛のスタンプ押しをしています。期待が出来そうなのでその場で待ってみました。

私の5人前で館内放送があり12時の退出です。その時点でもまだ係りの人たちは作業をしていたので、すぐ外に出ずにカウンターそばでぐずぐずしていたら・・・もう電光掲示板には表示させずに係員が午前中最後の番号を呼び出しています。その最後に私の117番! パスポートを返却された時はもう人がほとんど居なくて私が最後の退出。
これが昨日最大のラッキーで五番目です。

そうそう、ここで書いておくべき事がひとつ。
リ・エントリー・パーミットって申請書に「いつ」「どのフライトで」「どこへ行って」「いつ帰る」など書きますよね。私は出国するかしないか分からないのに、緊急事態に備えての申請なので、もちろん全く何の予定もありません。

申請書にどうするか迷ったのですが、年末年始での一時帰国を想定して適当な日とフライトを書いて提出しました。返却されたパスポートへのリ・エントリー・パーミットのスタンプには、そんな(適当な)日程とフライトとは関係なく、現在のビザ有効期限が書かれているだけでした。初めから書かないのと何が違うのでしょう?

さて、ラッキー!、ラッキー!!なんてスキップこそ出来ませんでしたが、喜びながらイミグレのビルを出たらビクトリー・モニュメント行きの166番バスが発車寸前12時7分でした。しかも無料バス! これがこの日六番目のラッキー! (普通は30分ぐらい待ちます)

ビクトリー・モニュメントからはBTSを選択。どこへ行くかは乗りながら考えました。アメリカで使わなかったドルを両替えしたかったのです。もうアメリカには行かないだろうし、今はこの数週間ではかなり高いレートなのです。

どこで両替えするか一瞬考えましたが、そのままBTSに乗りナナ駅で降りて以前「両替えはどこで」で紹介した「VASU」へ。US100ドル札が3,367バーツでした。
VASU Exchange

店を出たらそばのバス停にすぐ511番が来ました。ここはどのバスに乗っても良かったので、待たずに乗れても普通。プロンポンまで11バーツ。

プロンポンではエンポリアム2ことエムクオーティエに行って、3日前のビザ取得での自分への褒美です。時間は午後1時半過ぎで遅い昼食ですが、いつになく贅沢なご飯に胸がときめきます。

しかし・・・このエムクオーティエって、どうして着飾ったお洒落な人たちばかりなのでしょう。私など入り口のドアマンが敬礼するのを一瞬ためらったがハッキリ分かるぐらいのボロ姿。これでもGパン・ポロシャツの正装なのですが・・・サンダルだったからか??(笑)

一階下のフードコートがある所に行ったのですが、迷いました。家族と一緒じゃないと贅沢する気持ちがわきません。結局、創作オムライス「ポムの樹」で一番安いケチャップオムライス。税サ込みだと188バーツでした。このオムライスに関してはちょっと思うことがあったので、後日エントリーする予定です。
Omu

「クロワッサンたい焼き」は行列こそあれ、いつかの長蛇の行列ではありません。まぁ行列が出来ているのはこのエムクオーティエ店だけですからね。いつまで続くのでしょうか・・・
Taiyaki

パン屋さんアンデルセン系の「リトルマーメイド」はなぜか(私には)強気の価格設定で、デンマークに拘りがあるアンデルセン系のデニッシュが70バーツ。Yamazaki系なら25~35バーツですから、買いませんでした。ここで買うなら良いワインが入った時に石窯焼きのパンでしょうか・・・元々発酵に独自のアイデアを活かして広島から店舗を増やしたパン屋さんです。パン好きな私ですが、今の私にはちょっと贅沢かなぁ・・・アンパンも70バーツだし・・・ 駐妻と呼ばれていそうな方々がすごい勢いで買われていました。
Pan

その後ワイン屋さんでワインのチェック。ピノで気に入っていたワインがあったのですが、もちろん手が出ません。しかしここで買えると思うだけで少し気が楽になりました。このワインなどについてもおいおい書くかも知れません。

昼食以外何も買わずにエムクオーティエを出たら、遠くのバス停に38番エアコンバスが発車したところ。自分に向かって来たので、手を上げたら停まってくれました。この日最後の七番目のラッキーです。

38番バスで「せんたん・ばんなぁ」へ。18バーツ。TopsとBigCで買い物し、両手一杯のビニール袋を下げてアパートに帰りました。


ここまで一日の出来事を書くと・・・つまらないですねぇ~ 本当にすいません。だらだらと「○○行った」「××食べた」と自分のおきて破りのブログ内容。ごめんなさい。

まぁ、これがリタイアしたおっさんの普通な一日だと思い、ご勘弁下さい。

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2015.06.06 | コメント(3) | タイ生活

旅の大失敗 1~10

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月5日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れ。昨日は朝のうちに雨が止み、結局一日晴れました。暑くても晴れが好きです。

さて、日本・アメリカへの強行軍の直後にイミグレ5時間待ちで疲れきり、昨夜は自炊せず市場で買ったおかずをご飯にかけて食べました。あまり美味しいと自炊できなくなるのですが・・・まだその心配は不要のようです。

体調が戻らず(元々良くなくてリタイアしたのですが)今日も近くで買い物だけの外出でした。冷蔵庫を空っぽにしてアメリカに行ったので、旅から戻り毎日精力的に買い物をしていますが、歩きとバスなので一回に買えるものは限られてしまいます。両手に重たいビニール袋を提げての買い物は結構キツイ日課なのです。

ところでシーナカリン通りで言えばバーンカピあたりからウドムスック通りまでは、バンコクでも比較的多くの回教徒の人たちが暮らしているように思えます。プラカノン運河ボートボート、センセーブ運河ボート、エアポートリンク、バスなどに乗ればこのエリアではモスクも多く見ますし、シーナカリン通りとオンヌット通り交差点近く、イアムソンバット市場はモスリム専用の市場かと思うぐらいです。

そんな事もあるからか、私が買い物するスーパーでもモスリムの方がレジ係りをされている事が多くあります。

昨日の買い物は豚肉の大きなブロックを2個も買ったのですが、並んでからレジの方がモスリムの若い女性なのに気がつきました。普段は買ったものが豚肉やビールでも、モスリムの方のレジは意識して避けているのですが、昨日はボーっとしてて目の前まで行ってしまいました。
Shop

(私がタイ語で)「ごめんね」と言いながら、スキャンし易いように豚肉を持ち上げ、スキャン後にそのまま自分でビニール袋の中へ入れました。レジが終わった後、モスリムの彼女はワイこそしませんが、しっかりと私を見て少し頭を下げたように思えました。

いつもどうしているのでしょう・・・レジで困らないか、少し心配になりました。
「辛いこともあるだろうけど、働くことは誰であろうと尊いよ!頑張って!!」と心の中で声をかけ、遠くからしばらく彼女を見守っていました・・・

さぁ、そろそろ本題に入りましょう。


アメリカではテレビ局や新聞が時々面白い世界ランキングを発表してくれます。「世界で泊まりたいホテルベスト20」とか「世界で今行くべき世界遺産」などです。私が2011年にラオスの旧都ルアンパバーンに行ったのは、そんな特集でニューヨークタイムズが「今、行くべき世界遺産」として紹介し、それを読んだ私は居ても立ってもおられず、一週間の休暇を取りアメリカ南部からラオスに向かったのです。
Lao


2013年ですがアメリカ大手ニュース専門局CNNが「旅にまつわる大失敗20」副題で「次回失敗しないために」を発表しています。以前のブログで紹介済みなのですが、今回旅から戻ったばかりなのでそれをあらためてエントリーしましょう。

CNNトラベルのスタッフ実体験に基づくそうで、実際の旅行者とは言い難いと断りもあります。それでも私自身思い当たることも多く、内容を簡単に紹介させていただきます。「」『』鍵括弧内は本文引用部分です。

1. 不要な物までかばんに詰め込む

「旅行中は毎日未使用の衣類を着用する必要はない。どんな衣類も最低2回は着回そう」とありますが、下着はちょっとねぇ・・・。
私も色々世界中を旅しているので、パンツ裏返しの術を使った経験があるのは内緒です(汗)

2. 店で気に入った物をすぐに購入しない

「店で気に入った物を見つけても、次に来た時に買おうとか、別の店でもっと良い物が・・・と考えるが、そのようなことはまず起こらない」とありますが・・・

そんな経験もあるし、それで救われた経験も私はあります。まぁ私は旅行が買い物目的でないので関係ない事ですが・・・

3. 海外旅行の前に携帯電話のプランを確認しない

「海外から1週間メールを送っただけで、心臓切開手術よりも高額の料金を請求されてしまった、というのはよくある話だ」とあります。

私は携帯電話を旅行中(って言うか、どこへでも持ち歩かない)に持って行かないので関係ないのですが、確かに日本とは異なり携帯電話のシステムが(何もせずに)多くの海外で使えるアメリカは要注意。

4.「都心からすぐ」という言葉にだまされる

『「都心からすぐ」のホテルを予約し、都心までの交通費を浮かせたつもりが、実際は都心から30分もかかる上に、高額のタクシー代を支払う羽目になることもあるので注意が必要だ』だそうです。

これって東京かなぁ? アジアの国ならたいていはタクシー代が安いし、ヨーロッパやアメリカの大都市なら中心部から30分以上かかるのはよくあると思うのですが・・・

5. 高速シャトルバスに乗る

「待たされた挙句にシャトルバスに乗り込み、9カ所のホテルを回った後、結局、降りるのは一番最後かもしれない。それで節約できるのはわずか2~3ドルだ。それなら多少高くてもタクシーなどを利用して時間を節約すべきだ」とあります。

どこの国でしょう? 成田から出るバスでホテルを回るルートがあったと思いますが、日本の場合だと明らかにタクシー代が高いですし、他の国でホテルを回っていくバスがあって、タクシー代が安い国を私は知りません。アメリカならラスベガスあたりは言えそうですねぇ~ ニューヨークも空港からマンハッタンはバスを使いますが、ホテルをそんなに回らないし・・・
画像は昨年9月に娘とニューヨークに行った時の空港シャトルバスです。
NY Bus

6. シャンプーのキャップをしっかり閉めない

「キャップをしっかり閉めないとフライト中にキャップが開き、荷物がシャンプーだらけになってしまう」だそうです。

シャンプー持って旅行に行く人が居るのですねぇ・・・なんて思ってしまいますが、まぁシャンプーは例だけなのでしょう。私は洗面用の液体類は全て旅行用の小さな容器に移し替えて透明な袋に入れていますが、空気圧で飛行中に染み出ることも多く、密閉できる袋を必ず使っています。

7. 航空券の予約に最適な時期を知っていると思い込む

「航空券を最も安く購入できる時期は、(中略)格安航空券の購入に黄金律は存在せず、安い時が安いということだ」だそうです。

私の経験(100%ネット利用の個人手配です)では先延ばしして安くなったことはないです。反対にたった数日違いで(ちょっとためらった為に)100ドル以上高くなった経験は何度もあります。

8. 無理に値切ろうとする

「海外の市場で、いずれタンスの奥に追いやられる刺しゅう入りハンドバッグの価格を50セントほど値下げしてもらうために、わざわざ交渉する必要が果たしてあるだろうか」ですって。

海外で買ったものがいずれタンスの奥に追いやられるのは納得ですが、値切るのも海外旅行の楽しみな所もあります。またアジアの国には半額以下、出来たら1/3以下が目標なんて考える国が私はあります。

9. 空港で両替をしない

「海外では一般に空港よりも街で両替した方がレートはいいが、それほど大差ないことも多い。街で両替所探しに1時間を費やすなら、空港で両替し・・・」とあります。

両替えはつい先日バンコクでの事情をエントリーしたばかりですね。今回スワンナプームでレートを見たら、1万円で40バーツは市中レートから悪かったです(1万円をバーツにした場合)。
実はこの失敗、一昨年ほど前にシンガポールでやってしまいました。簡単に街で両替できると思ったのですが、ベイ・エリアからオーチャード・ロードまで探し歩きました。なぜか大きな銀行内で旅行者がExchange出来ないのが不思議。

評判が良いシンガポールの空港内も両替所は少ないです
Singapore Airport


10. ヒースロー空港を甘く見る

「ロンドンのヒースロー空港の利用者は、長さ数百マイルのコンコースを行き来しなければならず、さらに手荷物検査では順番待ちの長い列ができる」

まったく同感! 以前同じようなランキングの「空港の世界ランキング」でヒースローが10位になった事に対し、私は「ヒースローは無計画に継ぎ足しで大きくしてしまった空港のように思えます。ここで乗り継ぎなんか最悪。(中略)10位に入ること自体信じられず、調査会社が英国だからでしょうか・・・」と(私には珍しく本気で)酷評した空港です。
私自身がヨーロッパに長く住み、一番嫌いな空港です。


長くなりました(どうせ毎回長いだろ!とおっしゃる皆さんが見えるようです)。
また明日に続きます。

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2015.06.05 | コメント(7) | 旅先通信

リタイアメント・ビザ 1年 取得

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月4日、今朝のバンコク(の端っこ)は雨時々晴れです。夜半過ぎからの雨が先ほど上がりましたが、いつ雨が降ってもおかしくない一日に思えます。

昨日、チェーンワッタナのタイ政府合同庁舎イミグレーションに行って来ました。ジンクスでは私がイミグレに行く時は雨なのですが、雨こそ降らなかったものの、すごく蒸す一日でした。曇って日差しは強くないのですが、太った私にはそれこそサウナのような日でした。

と言う事で、昨日はイミグレーションでリタイアメント・ビザ(正式にはNON-Oビザ)の延長申請、1年間有効のビザを取得をしてきました。

これで全て自力で行う一連のビザ申請。取得を無事一応終えたことになります。

わざわざ「自力」と書く必要もないのかも知れませんね。私はちょっと拘りがあって、銀行口座開設、電話、アパート、インターネット環境・・・など全ての生活基盤設営を一人で行っています。お金もないし、タイに知人もいないのもあるのですが、そんな知らない事に挑戦(大げさ!)するのが面白いし、その過程を楽しむのがタイに来たひとつの理由だからです。

だからビザも全て一人で行って来ました。その為に今になって思えば、銀行送金した事や観光ビザで入国したことがちょっと失敗だったと悔やんでもいるのですけど(笑)
まぁそんな事も自分で調べて自分で決めたのですから、全て納得はするのです。

それでは、昨日のことを書く前に、今までの状況を簡単に整理しますと・・・

1, 本年1月9日にノービザでタイ入国、銀行口座開設やアパート探しを終え、2月7日にいったん日本帰国。
2, 日本の銀行からタイ銀行口座に外貨送金。2月10日にはタイの銀行に着金。
3, 日本で観光ビザを取得し、2月21日にタイ入国。
4, 3月25日には観光ビザからリタイアメントビザ(NON-O)への切り替えを申請。
5, 4月8日に最初のステップであるNON-Oビザ90日取得。
6, 直接関係ないのですが、4月29日にリ・エントリー・パーミットの申請・取得をして、5月19日から日本・アメリカへ出国、5月31日にタイ再入国。

と言う事でNON-Oビザ90日の有効期限は6月22日でした。それで有効期限の20日前の昨日、1年有効のNON-Oビザへ延長申請し、無事受領したのです。

この1年有効のNON-Oへの切り替え(延長)申請をいつ行うかに関して、私はイミグレーションから何の指示もありませんでした。当然6月22日前に行うべきなのですが、いつから出来るのか?いつまでに行うのか?が不明でした。この点、Damascusさんがブログで詳しく紹介されていますが、正確にいったいいつすべきなのかは正直私には分かりません。いずれにしても私はアメリカに行っていたので、最初からこのタイミングしかなかったのですが・・・

それでは必要な書類ですが、イミグレーションの公式ホームページに全て書かれている通りに準備します。
「Apply for Non-Immigration Visa Procedure」から「Required documents」と進み「Visa Extension」のプルダウンメニューから「In the case of retirement」を選択すると詳細が書かれています。(全て英文です)

実際に私が要した書類ですが・・・

1. Application form
 申請書APPLICATION FOR EXTENSION OF TEMPORARY STAY IN THE KINGDOM TM.7
 申請書に貼る写真
2. Copy of applicant’s passport
 パスポートのコピー。タイ出入国、現在までのビザスタンプのページなど関係ありそうな部分は全部コピー
3. Evidence of income such as a retirement pension, interest or dividends; and/or
 私は年金に関しては非該当としていますので無視
4. Account deposited (saving / fixed account) certificate issued by a bank in Thailand and a copy of a bankbook
 銀行残高証明と通帳コピー
5. Only in the case of Criterion (6), the applicant must submit documents equivalent to Clauses 1-4 stated above.
 私は非該当なので無視

上記の書類以外は申請料1900バーツが必要です。

簡単でしょう・・・いやいや、本当に簡単なのです。タイ政府イミグレーションの公式ホームページをよく読むだけ。ここまで来るのに多少理解に苦しむ点があったのはすでにエントリー済みですが、最後の1年間有効への延長申請は簡単です。


それでは昨日の実録です(笑)
朝早くアパートを出てバンナートラート通りのバス停へ、最初に来たバスが38番で直接ビクトリー・モニュメントまで行けますが、時間がかかるのでウドムスックでBTSを使いビクトリー・モニュメントに行きました。

ビクトリー・モニュメントBTS駅からバス停に着いた時は7時50分ぐらい。8時5分前ぐらいに166番のエアコンバスが来てすぐ出発。中は混んでいてずっと立ちっぱなしで、到着は8時40分でした。

すぐバンコク銀行に行って通帳をアップデートしてから残高証明書お願いしました。15分ぐらい待ち、手数料100バーツです。

その後にコピー屋さんで必要書類全てをコピーし、その全てのコピーに全部サインをしました。最初コピー屋さんが分かった様子で勝手にコピーしたのですが、自分の判断でパスポート2ページを追加。それが正しかったかは分かりませんが、人任せではいけません。

要は初回90日NON-O申請時と比べて異なるのは、申請書(中身はほぼ同じ)と銀行の外貨送金指示書(あるいは/それと、外貨入金証明)等の外貨を持ち込んだ証明がないぐらい。そしてこれもDamascusさんがブログで詳しく説明されていますが、この時点で銀行口座に80万バーツ以上が60日以上(3ヶ月以上の保持は初回の1年NON-Oには適用されません)保持が必要です。

さて全て準備が整いイミグレーション内に入り、整理券をもらった時点が9時13分ぐらいで48人待ち(涙)
Immigration

本当に混んでいます。多くの人が二人連れかそれ以上。事務官との面接官の所にも二人で入っていきます。申請者以外に家族か付き添いがいるのか? 友達なのか? 付き添いみたいに見える人はこの場に慣れているようですが、プロには見えません。言葉は悪いのですが、使い走りのような・・・よく分かりません。いずれにしてもほとんどの人が多くの時間を要しています。中には慌ててパスポートや銀行通帳を持って出て行く人がいたので、たぶん必要コピーをしていないのでしょう。

たぶん自分で調べたことがなく、誰かに言われるままでイミグレまで来たのでしょう。必要な書類をきちんと用意すれば大した時間は必要ないはず。なんでそんなに時間がかかるのか理解できません。

結局午前中が終わった時に13人待ち。それで12時から13時の間はイミグレーションから出なくてはなりません(そのままベンチで気を失う事は許されない)。下に降りてCoffer Shopで時間をつぶしました。

結局、イミグレに入って5時後の午後2時5分に事務官との面接です。書類を黙ってチェックされていましたが、私には質問は全くなしで、申請書に電話番号を書く指示の後、オーバーステイしない旨の書類(確か3枚)に住所、氏名など書いてサイン。その内容は申請書を自分で書いた人なら慌てないはず。書く内容は申請書に全てあることですから。

この事務官のデスクの前には椅子が二つあって、私はそこに当然一人で座って事務官のチェック作業を見守っていたのですが、突然知らない中東系のおっさんが私の隣に座りました。びっくりした私に事務官が「ごめんね」突然の日本語で何を言われたか一瞬分かりませんでした。これがイミグレーションでなければ気を失っていたところです。

(英語で私が)「日本語話せるのですか?」(英語で事務官が)「ちょっとだけ」。
この後事務官が、後から来てまるで私の付き添いのように肩を触れ合うように隣に座っているおっさんに対して、×○△×・・・何か言って、おっさんは一言もしゃべらず退場です。

ですが・・・その後すぐ、中華系のように見える若いお嬢さんが私の隣に・・・一体何が起きているのかと戸惑っていると・・・事務官が英語でその女性に「オーバーステイ?」と尋ねるように言いました。女性は「イエス」。そうだったのですねぇ~ この事務官が担当なのか、オーバーステイの方が通常業務を邪魔するように入ってきては、何か指示を受けていました。

そんなハプニングに驚きながら、事務官に渡された全ての書類を私が持って事務官のボス(事務官より若くポニーテールが似合う女性)へ。またボスのデスクの前に座り、ボスのチェックを待ちます。ここでの質問もやり取りも全くなし。しばらくして「外で待っていて」とだけ言われました。

見ていると、そのボスは数人分の書類を抱えて事務所の裏に行き、手ぶらで戻って来ました。きっと若い女性ボスのボスが事務所裏に居て、そこでまたチェックするのでしょう。日本の企業の書類みたいですね。「係員」-->「検印」-->「承認」の捺印持ち回りのようです。

最終的に呼ばれパスポートを返されたのは、午後2時半ちょっと前。イミグレーションの受付から終了まで5時間以上です。ちょうどバンコクから成田までの飛行時間でしょうか・・・結局提出書類で何か指摘されたり修正も全くなく、質問も全くありませんでした。
1年間有効期間の基点は90日有効期限の最後の日からでした。と言う事で2016年6月22日までのリタイアメントビザが取得できました。

最初にリタイアメントビザを申請してから、合計15ヶ月の滞在ビザが合計3900バーツ(写真やコピー代、銀行手数料を除く)で取得できたことになります。
Passport


イミグレーションからは午後2時45分に来たエアコン166番でビクトリー・モニュメントへ。朝はビザ取得のお祝いに伊勢丹で何か買おう・・・なんて思っていたのですが、もう疲れてしまい、BTSでウドムスックへ戻り、夕飯用のおかずだけ市場で買ってソンテウでまっすぐ帰りました。往復の移動時間は3時間ちょっと。

いやぁ~、長い一日でした。
1年有効のリタイアメント・ビザが取得できた喜びより、正直疲れてしまい、早くアパートに戻って横になりたい気持ちいっぱいでした。


最後になりましたが、お約束のお断りです。
このビザに関するエントリーですが、私が自力でリタイアメントビザを取得する実経験を記しています。決して他人にお勧めしているわけでなく、私の間違いもあるかと思います。これからビザ取得を目指す方は、どうか参考にせず、ご自分が納得するまで調べるべきかと思います。

私はこうしたと言うだけの事ですので、ビザ関係に関してのコメントには特にお答えできない事もあるのをご承知下さい。ここはビザ取得解説ブログでなく、全てを事細かく書いてもいません。

特にビザ関係は申請する側の人それぞれの事情がありますし、申請を受理審査する側の状況も不変ではありません。ネットでは当たり前の事ですが、自己責任でお願いします。


さぁこれでタイでのロングステイに必要な生活基盤構築、ビザ取得の全てを終えました。この先1年間にやる事は90日レポートぐらいです。

これからどうするか・・・財布と体調に相談しながら、少しずつ思い出の地を訪ねる旅がリタイアした身にあっていそうに今は思っています。

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2015.06.04 | コメント(10) | ビザ

ブログのおきて

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月3日、今朝もバンコク(の端っこ)は晴れですが、雲も多いように思えます。一晩、なかなか眠れず、先ほどの夜明け前にも雷が光っていたのですが・・・私的ジンクスでは今日は雨なのです。

歳とともに時差がきつく感じるようになりました。タイに戻り三晩、眠ったような眠らなかったような・・・

アメリカ東部とタイ・日本は昼夜まったく逆なのに、アメリカでの滞在は3泊5日。時差を吸収できないまま日本に戻り、二晩日本で過ごしただけでタイに来て・・・
こんな日程は働いていた時は当たり前だったのですが、本当に老いを感じる時差です。

昨日、買い物に行ったらまだライチ(リンチ)がありました。ちょうど日本・アメリカに行く直前が市場に出始めた頃、旬が短いライチなのでもう無いかと思っていたので嬉しい誤算でした。出始めは小さなものだったのですが、だいぶ形も良いものが出てきたようです。
Lychee in Jun

前置きが短く自分のブログでない様な気がしてならないのですが、時差もキツイので本題に入りましょう。今日は短いですよ! って誰も信じてないような気がします(汗)


「ブログのおきて」なんて大げさ過ぎますねぇ~ すいません。自分がブログを書くにあたって気をつけている事の意味です。

私がこのブログを再開したのは4月1日。ちょうど2ヶ月前の事でした。その前日に『この「ワインな日々fromアメリカ」は本書き込みで閉じますが、引き続きタイでの在住生活を綴るブログをスタートしたいと思っています。』とエントリーしています。

自分のホームページをスタートしたのは17年前で、当初はエディターにタグだけで書いていた。その前は25年以上前になりますがパソコン通信。全て海外からのアクセスでスタートしています。そして終始一貫しているのはテーマが海外(生活、旅行や通信関係)とグルメな事でした。

昨日エントリーした「旅先通信」は、そんな一連のネットでの通信のことです。

20年以上前のパソコン通信は厳しかった・・・ネットに詳しい、まぁオタクと呼ばれるような方からプロのような人たち・・・一言で現せば大人が多く、主張も個々色々ある中でもまれました。

今思えば当事のパソコンは非常に高価で、ある程度の収入がないと買えないものでしたから、自然といろいろな意味でユーザーは大人が多かったのです。
一般の人たちが公共の通信ラインを使い、不特定多数に向けて何かを発信し始めた時代・・・ネットワーカーのマナーが厳しく問われた時代でもありました。

意見・主張のぶつかり合いも頻繁にありましたし、公共の通信ラインを使う事を常に意識させられ、読む側の事を常に考える事を要求されました。引用すること、その引用の仕方、引用の長さも問われたし、フッターの内容・長さまで論争になったり、画像がアップ出来るようになってからも大きな画像(重たい)は嫌われた。もちろん中身の薄いいいかげんな書き込みは攻撃されたり無視されたり・・・

そんな化石のようなネットワーカーだからかも知れないが、私が自分に課しているルールがあります(あくまでも自分自身へのルールで、ブログの良し悪しでは決してないです)。これは特に今回のために書いたのではなく、実は今のブログの前身をスタートした3年前にすでに書いている内容ですが。

1、ネットにネガティブな事は書かないか、書き方を考える。
あれは駄目だ。これは良くない。美味しくない・・・そんな批判的な事を素人の自分がネットで書けるはずはない! 
自分が受け入れられないと思ったら書かなければいいだけ。しかし、それらの多くは何かを変えればもっと良くなる・・・そう思うことが多い。それを含んでなら一個人の思いであることに注意して書けばよい。「あれは駄目だ。これは良くない。美味しくない・・・」そう言い切っているサイトに出会うと、なぜか読む自分まで惨めな気持ちになってしまうのです。

2、表面的な事、一過性な事を書かない。
××へ行った。○○を食べた。△△を見た。◎◎は美味しかった。▽▽は楽しかった。・・・それだけを書くなら自分のスタイルとは違うと思っています。もちろん他人がそうするのは全く構わないのです。 
ただ、どんな時ににどんな状況で行ったとか、そこで(それで)自分は何を思ったのか・・・そんな表現が出来たららと思っています。
特に食べ物のお店の事は細心の注意が必要。一回行っただけ、一回食べただけで、堂々と美味しい!と言い切ったり、中には不味い!と言い切るような書き込みは、読む側が注意深くする必要があると考えています。インターネット、ガイドブック、最悪は現地のフリーペーパーの記事のいいかげんな内容には驚くばかりだったので、自分を戒めてのことからでした。「よくこんな店をそこまで持ち上げるよなぁ~」と驚きの連続でしたから・・・

3.文章・画像の引用を避ける
当たり前ですね。ネットの世界では昔から勝手な引用はマナー違反と言うより、ルール違反として嫌われていました。引用する場合は引用元を明確にして、引用部分を極力短くした上で引用部を明確に分かるようにしたものです。
今は時代が違うのでしょうが、コピペで手っ取り早い方法で簡単に済ます・・・そんなブログも多いと言うか、全く気にしてない様です。間違いなく私が古い人間だから気になるだけでしょう。もちろん文章だけでなく画像も同じですが、明らかに他から持って来た文章や画像を使うブログにはなりたくないものです。


所詮ブログって自己満足な世界だけど、少なくても自分以外の人へ間違って悪い印象を与えてはいけないと思うのです。

結局また長くなりました・・・ただ画像が少なかっただけ(笑)
いずれにしても、常に自分が気をつけているのは、このブログはタイの生活とか情報の話ではなく、それらに対しての自分の想いを主にしたいって事です。単なるタイの日々を綴ったり、情報発信のブログは他にたくさんあるでしょうから、私のようなリタイアしたおっさんが書いても仕方ないでしょう。

最後に、私はALSTERのハンドル名を使っていますが、これは匿名目的ではなく、20年以上ネットや出版物でも使われているからで、ホームページやブログで本名を出しているし、こんなおじさんでも顔出しもしています。それはインターネットやブログで発信するのに、何もやましい事ではないからです。


ブログ再開して2ヶ月かぁ~
自分は何か変わったのかと自問すると・・・結局、古いネットワーカーのままですね。ネットワーカーすら今は死語かも知れません。誰もが普通にネットの中に存在しているのですから。

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2015.06.03 | コメント(2) | タイ生活

旅先通信

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月2日、今朝のバンコク(の端っこ)は晴れです。昨日より少しうす曇ですが、よく晴れています。

私自身がタイの祝祭日に疎いのと、少し長い旅に出た後だったので、昨日が祭日「ヴィサカブーチャ (仏誕節)」だと全く知らないでいました。って言うことはタイは3連休だったのですね。

朝からアパート近くのお寺からスピーカーを通して何か聞こえるし、買い物に出たシーコンスクエアが混んでいたので、何となく変だとは思ったのですが・・・買い物から帰り調べて初めて知りました。お釈迦様の誕生を祝う日だそうですね。

昨日は夕方からどんどんお寺に人が集まり、本堂の回廊を同じ方向に歩く人々の姿が見えました。何かの儀式でしょうか・・・行ってみたかったのですが、夜は出歩かない事にしているので、遠目から眺めているだけでした。ずいぶん夜遅くまでお寺が賑わっていました。

そう言えば昨夜はきれいな満月がアパートの窓から見えました。きっと陰暦に関係あるのでしょう。
Moon

リタイアしてから毎日が休みなので曜日の感覚が全く無くなってしまいました。少しは規則正しい生活をしないとなりません(と昨日は決心したのですが・・・)

さて今日は時差がキツイので前置きはこれぐらいで、そろそろ今日の本題に入りましょう。

つい先日のエントリーでも書きましたが、社会に出て40年以上、ずっと旅を続けているように思えます。特にこの25年のほんとどが日本に住むことすらありませんでした。

そしてその同じ期間だけネットにかかわり、『旅先通信』と仲間達が呼ぶ、世界のどこからてもネットを通して繋げたい人達と繋がる事にこだわって来ました。

今でこそ、誰もがどこからでも自由に、しかも簡単に繋がることが出来る時代になりましたが、ほんの少し前は全く違う世界でした。

私が働き始めた時、海外とのやり取りは国際電話でもファックスでもなく、テレックスと呼ばれる電報みたいな方法でした。一文字でも短くする為に略語がたくさんあったものです。ThanksがTKSだったりandがYだったり・・・私は原稿を書き、それを専門の人が打ち込むと、リール状の紙テープに言葉の穴が開けられ、それが機械が読み取るのです。

もちろんパソコンどころか電卓ですら大きな物が出始めた頃で、一課に一台でした。技術者の私達はもっぱら計算尺(若い人は存在すら知らないでしょう)に頼っていました。私が仕事で英文を書き始めた頃はタイプライターでした。

最初に使っていたのがRemington Rand製のタイプライターでした。全て鉄製、すごく重たく簡単に動かせるようなものではなくタイプライターが置いてあるデスクに移動して英文の資料を作成していました。先日、シーナカリンのタラート・ロッファイの骨董店で同じようなタイプライターを見て、思わず値段を聞いちゃいました(笑)
Ramington

完全に機械式で、キーをしっかり押さないと活字が先端にあるアームが紙を叩かないし、カーボン紙とペーパーを巻いたローラーが左から右へ移動していって、改行作業はその重たいローラーを戻す・・・そんな力も必要とした事務機でした。

さすがにこのタイプは1~2年で電動式に変わり、IBMのタイプライターが登場です。私の最初のIBMとの出会いです。今でこそIBMはコンピュータ関連企業ですが、当時は事務機器の会社でした。
画像は99年LAの空港で、当時は珍しい公衆電話にデーター接続したPCがIBM製でした(と思う)。
LAX

時代はやがてファックスが主流となって、パソコンも登場し、メールのやり取りもパソコンに頼るようになったが私的には1980年代後半から1990年です。25年前、ちょうど私の海外在住が長くなり始めた頃でもあります。

こんな便利なものはない!と仕事でもプライベートでも夢中になりました。海外を転々としていたので私は最初からノートタイプのパソコン使いでしたが、当時は非力なPCですから、買った翌日にはクロックアップ、HDD換装、HDDが少しでも厚いと筐体に入らないので筐体を切ってしまったり・・・かなりハードユーザーになっていました。
(PCの改造は自己責任。本来すべき事ではないです)

当時は電話回線を使ってのダイヤルアップ。電話機にデーターポートも無いし、壁からクローゼットを通して電話機直結も多くありました。特に私が旅先通信を始めた1990年頃のヨーロッパは最悪のコンディションでした。欧州各国がばらばらの異なった規格で、電話機のジャックや電源コンセントも違うのでアダプターを欧州中そろえると、鞄いっぱいになったものです。

ヨーロッパの古いホテルは交換台がありましたし、古い課金機も電話回線に繋がれ、ダイヤルアップもネゴ出来ず繋がらないのが普通でした。そんな中でドイツ在住だった私はヨーロパ各国を旅し、時には電話機をばらして電話回線に直接みのぐちクリップで繋げたり(これも自己責任。本来すべき事ではないです)、音響カプラーも使いました。
画像は98年パリの空港で公衆電話にカプラー接続(PCの左、黒いもの)です。
公衆電話から通信

繋げるのは現地のアクセスポイントですから、当時アメリカの大手通信会社CompServeが持っていた世界各地のアクセスポイントへ繋げ、そこから日本へ繋げるようなスクリプトを自作していました。

そんな活動をパソコン通信を通して仲間たちとシェアしていた時に、ノウハウをまとめた本を作らないか?とソフトバンク出版部から話があり、旅先通信本が世の中に出たのです。私は98年版、99年度版、2003年度版と三回ほどかかわりました。発売当時は町の小さな本屋にも置いてあり、目立つ場所に置き換えたりしたものです(笑)
Book

世界を旅しながら通信をする。旅をしながら、その場から、他の人に伝えたい熱い思いを発信する・・・そんな旅先通信、テクニカル的には誰もができる簡単なものになりましたが、通信する中身自体も安易なものが多くなってきたように思えます。

私自身も旅の中で感動が少なくなったのか、つまらないものが多くなったように思います。苦労して旅することもなくなったので、それもあるかも知れません。
画像は2002年、トラン諸島へ行った時の列車内ですが、行くにも苦労したし、通信するにも大苦労でした。当時はどこへ行ってもそんな苦労が感動だったのですが・・・
Trang


時差で早起きしてしまい、思わず長い昔話と自慢話になりました。年寄りの事とご勘弁を。それと、毎回の事ながら、ここまでお読みいただいた方々にお詫びと感謝です。

今回の日本を経由してのアメリカへの旅、移動も通信も全く楽で苦労知らず、唯一苦労したのは時差だけかも(笑)

私の長い旅先通信はこの旅で終えたような気がします。


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2015.06.02 | コメント(12) | 旅先通信

LCCタイエアアジアXの価格と中身

こんにちは。今日もアクセスありがとうございます。

6月1日、昨日無事バンコクに戻りました。そのバンコク(の端っこ)の今朝は良く晴れています。気持ちよい天気です。

さて、昨日のエントリーでは成田空港でタイエアアジアXにチェックインから、搭乗寸前までをアップしています。今日はその続きです。

特に皆さんにお伝えしたいのは(本当は自分へ言いたいのですが)、タイエアアジアXは第2ターミナルでLCC専用の第3ターミナルでない事と、第2ターミナルはいつの間にかサテライト側に行くのにモノレールが無くなっていて歩かなければならない事です。
・・・って、知らないのは自分だけかも(汗) おかげで昨日は成田でほとんど時間が無かったです。チェックインカウンター「N」もなんか変な場所で迷ったからもあるのですが・・・

(Nカウンターはターミナルビル入り口横から外に張り出したような所)
Air Asia Counter

えっと・・・昨日のエントリーで結末をアップできなかった事がひとつあります。
チェックイン時に機内預け以外にも、機内持ち込みのバッグも重さを量られ、規定7kg以下のところを私は8.5kgと少しオーバーでした。その時点で「後で入れ替えるなど調整して下さい」と言われた事への結末です。
Air Asia Bag

機内持ち込みはキャリングバッグ(これが8.5kg)と、本やパスポートを入れている小さな肩がけのバッグでした。私は「入れ替えて下さい」の意味を、キャリングバッグの中から重たい物を肩がけバッグに移すと受け取ったのですが、それで搭乗前に再度量られるのかと思っていました。

それが上記のように搭乗ゲートで時間がなくて(ギリギリまでブログ・エントリーする自分が悪い)、そのまま搭乗しちゃいました。結局、あまり重たい物を機内持ち込みしないでね・・・のけん制でしょうか。正面から聞いたら、たぶん安全上の理由とか言われそうな気もしますが、アメリカなんてものすごく大きく重たい物をほぼ全員が持ち込みますし、個人的には違和感を持ちました。
まぁ皆さんは、機内持込でも重さを気にした方が良いかも知れません。

さて、利用したタイエアアジアXは9時15分発のXJ601便。搭乗も8時半過ぎにはアナウンスされて、搭乗ゲート85番近くでエントリー中だった私は焦ってしまいました。見直す時間もなくアップロードしたので心配でしたが、アパートに戻り見直したら大丈夫だったようです。

機材はAIRBUS A330-300で、機内は90%ぐらいの席が埋まっているように私からは見えます。窓-3席-通路-3席-通路-3席-窓がエコノミークラスの配列。飛行時間6時間ですので、足元が少し狭くても我慢できますが、アメリカ国内線
ざっと見てタイ人80~90%、日本人10~20%の感じでしょうか、タイ人家族連れが目立って多く、アジアの大国の人たち、ツアー客は見かけませんでした。
Air Asia Inside

私は窓側席で、お隣が5歳ぐらいの自由奔放に育てられたタイのお子様、がんがんに私の足や前席をけられています。その隣がお父さんなのか、肩から太もも生えたようなアメリカで見られる体系。シートベルトはエクステンションをお使いです。

この方が離陸直後からお休みになられ、機内中に大きなトドの声のようないびきをとどろかしています。私の前は大きなドナルドダックを抱えた若い女性二人で、何度も窓の外と自分たちをスマホで撮られています。やはりタイのLCCの機内っぽい感じがいっぱいですが、特に困る方々でもなく、まぁ快適なフライトと言えますし、私が気を失うような事もありませんでした(笑)

機内サービスの案内があったとき、「持ち込まれたお食事はご遠慮ください」みたいなアナウンスがありましたが、その時には搭乗ゲート前で買って機内に持ち込んだサンドイッチを食べてしまいました(汗)

朝食も食べずに東海道線の始発で横浜から成田に来たので、お腹が空いて仕方なく、飛び立つと同時に食べてしまったのです。まぁ皆さんもペットボトルなど持ち込まれていますので厳密なルールかは疑問です。

さてこのブログではアパートも部屋の中まで、私の本名や顔出しから、赤裸々に財布の中身まで書いていますが、LCCを語るのに、実際の価格を避けるのは許されないはず(笑)以下が私が支払った価格です。

もちろん十分にご承知でしょうが、予約の時期などにより、航空運賃は大きく変わります。あくまでも参考と考えてください。
(ネットでの申込日は4月29日で日本のクレジット決済。全て円です)

--Flight-- (基本運賃ですね)
1 Guest          14,623
Airport Tax         2,090
Airport Fee         1,500
Passenger security fee    520 (一般的に空港税として含まれる航空保険料)

--Add-onsn & Fee-- (追加サービス)
Advance Seat request fee  1,690 (席はあらかじめ指定しました)
Processing Fee         800 (クレジット決済費用みたい)
Checked baggage 20kg    3,900 (機内預けの荷物)

と言うことで、合計が25,123円でした。なお、片道しか買っていません(汗)

ドンムアンへの着陸も順調で午後1時半。定刻より20分ぐらい早い到着でした。入国審査はお馴染みの中国人ツアーがどっと来た直前に並べて良かったのですが、バッゲージクレーム周辺もアジアの大国の方々が多く、ハッキリ言って大声で話しすぎ(笑) まぁツアーで到着直後なので興奮されるのは分かるのですが・・・

大小二つのスーツケースがあったので、ドンムアンからはタクシーでシーナカリンのアパートに戻りましたが、唯一待たされたのはこのタクシーでした。以前のスワンナプームと同じシステムで、乗る前にカウンターで行き先を告げ、半券を運転手と乗車者が別けて持つスタイル。ここが長い列でした。

ドンムアンからアパートまでメーターは294バーツ。高速代が120バーツ、空港タクシー代50バーツでした。私のアパートはスワンナプームの方が近いので、これは高く感じました。まぁ仕方ないけど。

サービスはチェックインバッグの有料化、機内での飲食有料化だけでなく、必要な物だけを必要な人だけが頼めば良いので、私はその分航空運賃が下がればまったく問題ないと考えます。

タイエアアジアX、私の場合は価格だけでなく、朝一番の始発で横浜を出て、バンコクのアパートには午後3時ごろ戻れるのも魅力の一つだと思えました。良い選択肢が増えました。

これで今回の日本とアメリカへの旅が無事終えられましたが、しばらくはタイでゆっくりしたいと考えています。

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2015.06.01 | コメント(2) | 旅先通信

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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