タイの人々、蔵出し画像放出!一年の感謝を込めて

2017年もとうとう明日が大晦日ですね。2017年は丸々一年間日本を含めてどこにも海外に出なかった年で、私の25~26歳以来40年ぶりぐらいの事でした。

と言う事で、この一年間ずっとバンコク都とその周辺県にいたのですが、それは自らの好奇心に任せての街歩きの日々でした。その日々をブログでエントリーしていたのですが、少しは何かのお役に立ったのでしょうか・・・

そして今日は一年最後のエントリーです・・・今日のエントリーをどうしようか考えたのですが、何らかの形でこのブログを訪れていただいた方々すべての皆さんへ、心からの感謝を現したく思っていました。

ここを訪れて頂いた方々に共通するのは唯一、タイが好きな事でしょう。そこで昨年末と同じテーマになりますが、私自身が2017年後半に撮った画像の中で日々のエントリーでは未使用の画像放出です。2017年前半は「タイの人々、蔵出し画像放出!半年の感謝を込めて」です。

日々のブログの中では街角風景が多いのですが、『タイの人々』と言う事で街歩きの中で出会い何らかの話をした人達です。これらの画像で皆さんそれぞれのタイを思い出したり、更にタイが好きになったりして頂けたら幸いです。

前国王火葬の儀のボランティアの方です。お年を召した方なのに暑い中で大変だったと思います。私に日傘を使うように差し出してくれましたが、遠慮させて頂きました。

20171230 People 1

やはり前国王火葬の儀施設内の係員の若者です。私がパネル説明など解らない事を色々聞くのに丁寧に対応してくれました。留学経験があるのかネーティブっぽい英語でしたが、きっと良い家の若者達なのでしょう。

20171230 People 2

クルンカセーム運河運河ボートを待つ間話し込んだオジサン。ヤワラー在と言う事で地元の美味しい店を何軒か教えてくれました。確かに行ってみると美味しいし安いのですが、中華ではなくて普通のタイ食堂でした(笑)

20171230 People 3

ノンタブリー県スアンブア水上マーケットのお菓子屋さん。何のお菓子か聞いたのですが、私がさっぱりお菓子に関するタイ語を知らずに難儀しました(汗)

20171230 People 4

フアタケー古市場内カフェの店員さん。終始笑顔で対応してくれました。この古市場は観光客が行く所ではなく、近くに大学も多くて若い人が多いのも特徴です。

20171230 People 5

バンコクノイ博物館がある学校の守衛さん。学校内にある博物館(郷土資料室)に行くのに挨拶して通るのですが、博物館の係り員がいつもいなくてその度に守衛さんと話し込みました。笑顔が苦手な守衛さんです。

20171230 People 6

そのいつもいないバンコクノイ博物館の係りの人。3回目の訪問でやっと入れましたが、タイ語のみのパネル展示が多く少し英語を話すオバサン(私に言われたくないでしょうが)が一生懸命説明をしてくれました。

20171230 People 7

トンブリーのグディ・カオ地区の路地奥で出会ったオジサン。足が不自由で松葉づえを装着した3輪バイクで路地奥まで走ります(笑)若い時はさぞ飛ばしたのでしょう。

20171230 People 8

バンコクヤイ運河のカッパ子供たち。真っ裸で運河で遊んでいたのですが、カメラで撮るよ~って言ったら・・・張り切る張り切る(笑)見事な飛び込みを何度も見せてくれました。ここはまだそれほど汚れていませんが、それでも私なら瞬時にいくつかの病気を抱え込むでしょう(汗)

20171230 Kid 2

いかがでしょうか? 少しは気になった画像、何かを思い出す画像、気に入った画像があったでしょうか・・・

タイの愛すべき人たちです。皆一生懸命働いて、エネルギッシュに生きていますね。こうした人々との出会いは街歩きの中での楽しみと言うか・・・長い海外暮らしで人付き合いが年々苦手になっていく私がほっと心和む時でもあります。

皆さん、快く写真を撮るのを許してくれてありがとう。そして、どうかお元気で新しい年を迎えて欲しいものです。

最後に自分の画像を・・・と思ったのですが、2017年は全く撮っていませんでした(笑)歳を取って自分を撮る気持ちはゼロですし、一人勝手な街歩きでそんな機会もありませんでした。昨年2016年に息子と行ったヨーロッパ旅行のものでご勘弁ください。

20171230 People 10

いつまで続くか分りませんが、もう少し愚直にコツコツとこのブログを続けるつもりでいます。メディアやネットが報じる事ではなく、自分が歩き、見て、感じ、思い、味わい、喜び、悲しみ、怒り・・・そんな自分自身のタイで過ごす日々を自分の言葉・文字と画像で綴ります。

来年もよろしくお願いします。
最後になりましたが、このブログを訪れて頂いた全ての皆さんに、新年がさらに良い年になる事を心から願っています。

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2017.12.30 | コメント(10) | タイ生活

2017年総決算 一年を振り返る

昨日、一昨日と終日曇り空で小雨も降ったバンコク(の隅っこ)です。例年なら乾季の中でも一番気持ちよく過ごせる12月ですが、今年は雨が降ったり寒くなったり(って言ってもタイでの話ですが)で少し例年と異なる気がします。

この数日の天気の崩れは台風Tembinテンビン(日本だと27号?)の影響だったのかも知れませんね。今年はラニーニャ現象で日本では寒さが厳しいようですが、この現象はフィリッピンなど東南アジア付近では海水温が平年より高くなり、より活発に積乱雲が発生する・・・と聞いた事があります。そんな世界的な気象現象なのかも知れません。

さて、2017年も今日を入れて残り四日となりました。いやぁ~本当に早いものですねぇ~ 歳を取ると時が速く流れるものとは思っていました、それ以上です。また、リタイアしたら時を持て余すかと思っていましたが、そんな事はなくあっと言う間の一年でした。

そんな一年を振り返り、私的重大ニュースでも・・・なんて思っていましたが、まったくニュースなんてありません(笑) そこで『一年を振り返って』と言う事で2017年のこのブログをまとめてみましょう。

20171107 SL 1

本題に入る前に・・・「一年を振り返って」とは違いますが一番喜びたいのは、今年も無事で一年を過ごせた事です。

定年がないアメリカでまだまだ働ける環境なのに仕事を辞めたきっかけは、持病でもう無理出来ない事を自分で認めたからです。これ以上無理すると仕事にも周囲にも迷惑をかけるし、ビジネス環境では冷酷なほど厳しいアメリカで追われるようになりたくないと、自ら退く事を決めました。

その持病の痛みはタイで今も止むことがありませんが、働いていた時よりずっとマシで全く身動き出来ない日はほとんどありませんでした。何しろ辛かったら何もせずじっとしていれば良いのですから・・・2017年で言えば実はこの数か月が体調が悪く、週に数日はじっと部屋で耐えています。

20171228 Dog

一番怖いのは街歩きの中で怪我する事です。何しろ日本人はもちろんタイの人も知り合いが全く居ない(作らない)一人暮らしです。持病対応で1~2週間は籠城できる備蓄を怠った事はないのですが、携帯電話も持たず小銭だけの外出先で動けなくなったら・・・

20171228 Bike

歩道上を逆走するバイクは当たり前だし、横断歩道や信号は歩行者に何の意味があるのか? 一時停止の概念すらない中で着色ガラスで運転手が見えない車の前後を歩くのは本当に怖いです。都心部を離れたら野犬は群れで昼でもよそ者警戒中だし、バスやボートは停留所で止る事無く乗り降りするのが普通、歩道があってもなくても歩く人の安全を考えてもいない道路・・・

20171228 Bus

1年間で約千回のバス乗車、バンコク都と周辺県をほぼ毎日の街歩き・・・よく無事に過ごせたものです。

さて、前置き話はこれぐらいで、本題に入り2017年を振り返りましょうか・・・

前国王火葬の儀とその施設

昨年2016年10月13日に前国王が崩御されて以来、本ブログではずっと王宮エリアを見続けて来ました。2017年は特に王宮広場に建てられた火葬の儀施設を何も無かった時から見続けました。

前国王崩御以前
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2017年年初
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2017年7月
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2017年9月(間に合うかと心配に)
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2017年10月27日(葬儀当日公式サイトの画像から)
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2017年10月31日(ボランティアの人に頼んでカメラだけ施設内に)
20171031 SL 1

そして本エントリー冒頭の画像は一般公開直後に撮ったものです。その火葬の儀施設も後数日で立ち入りが出来なくなり、来年早々には撤去されるはずです。

このブログではネットで拾った内容やニュースの記事や画像を一切使いませんが、ずっと王宮エリアに足を運びそこに集う人々を見続けて来たエントリーが以下の通りです。

第20回目「今、絶対に行くべき火葬の儀施設と特別展②
第19回目「今、絶対に行くべき前国王火葬の儀施設①
第18回目「前国王葬儀 直後2日 王宮周辺と王宮広場内火葬施設
第17回目「前国王崩御後374日 リハーサルに近づく事も出来ない
第16回目「前国王崩御後 一年 火葬の儀 内容・日程・注意
第15回目「前国王崩御後360日 一般弔問終了後の王宮周辺
第14回目「前国王崩御後11か月 弔問残り一週間の王宮周辺
第13回目「前国王崩御後9か月 今の王宮周辺は
第12回目「前国王崩御100日以後の王宮周辺
第11回目「崩御後8週間後のバンコク② 王宮周辺エリアの現状
第10回目「崩御後8週間後のバンコク① 今の王宮エリアは
第9回目「崩御後5週間後のバンコク、今の王宮エリアと交通事情
第8回目「崩御後4週間のバンコク、三大衣料品市場を回る
第7回目「崩御後3週間のバンコク、今の王宮エリアは?
第6回目「崩御後2週間のバンコク、観光地の今は?
第5回目「国王崩御後11日間のバンコク、変わる黒服と上京する人々
第4回目「国王崩御後210時間のバンコク、すごい事になった10月22日の王宮前
第3回目「国王崩御後117時間のバンコク②、王宮に集まる人々
第2回目「国王崩御後117時間のバンコク①、王宮エリアは?街は?
第1回目「国王崩御後53時間のバンコク、交通機関、街、市場、夜市は?

バンコク路線バス全路線全区間制覇

30年近くネットワーカーですので、所詮個人のブログなんか他人様のお役に立つ事はほとんど無いと分かっています。そんなブログですが少しでもお役立てば良いと思い始めたのが、バンコクの複雑怪奇な路線バス全路線を紹介する事でした。

20171125 Bus 1

BMTA管轄路線バスで現在運行されているのは私が数えただけで205系統ありますが、同じ番号でも短区間運転や枝線もあり、直営と委託会社、高速経由か一般道か、バスの種類、行きと帰りルートが異なるのは普通です。しかも全く同じ番号でも行先表示板だけでルートが全く変わる場合も多く、同一番号で5つの違う行先の例すらあります。これら全てを数えたら300以上の路線があると私は思っています。

20171125 Bus 3

そんな状況なので、BMTA公式ホームページは半分信じられるかでしょう。他に有料の本から個人のサイトにも路線バスを記したものがあるでしょうが、書類だけで実際に乗る事無く書かれたものは間違いが非常に多いのです。それで私は全路線全区間の往復で直営委託と車種別でただ乗るだけを繰り返しました。その路線を解るまで最低でも5~6回は乗ります。それを300以上の異なる路線で繰り返す・・・

20171125 Bus 4

それで全路線全区間制覇するのに年間約千回の乗車で2年半かかりました。ただ・・・乗るのは簡単ですが、それをブログに全て書くのが正直大変でした。大変ですが、同時にこのブログを続けるモチベーションの一つでした。終わった今も見直しと更新作業をしていますが(笑)

下の地図で赤い数字が東西南北で最端の路線番号(複数の時は若い番号のみ)を示し、青い番号は東西南北以外の最端の番号です。

20171125 Map 1

結果的にですが路線バス全路線全区間に乗る事が、今までネットに書かれる事が無かった多くの所へ行く事になりました。それこそ上の地図にある首都圏はバスに乗るだけでなくほんとど歩いています。

ブログ・ランキング脱会

ロングステイを始めた2ヵ月後にタイ関係のブログランキングに入り、3つのランキング全てで5位内には入っていたのですが、2年半後の今年になって全て脱会しました。

当初、タイ関係のランキングに移って来た時・・・メディアやネットで拾った事でチャチャっと書かれるブログの多さに大変驚きました。中には平気で画像も記事もコピペするブログもあったので、最初から違和感は強く感じていました。

古いネットワーカーなのでそうして事は受け入れないまま、違和感をずっと感じたまま同じ土俵でランキングに参加していたのは広く知って頂くツールとしてでした。それもタイに関係ないヘイトブログやネットやメディアの拾いネタコピペブログに、相変わらずのフリーペーパー的ブログ・・・それらのタイトルを目にする機会を無くしたくて結局止めてしまいました。

ランキング参加を止めて一日平均450ぐらいのアクセスが、250ぐらいになったと思います。私自身も日々訪れていただいている方々には申し訳なく思いながらも、毎日更新ではなくマイペースで書くようになっています。

特に本ブログは自分の店や商売(そんなものは全くないのですが)などのビジネスに関係ないし、広告・アフェリエイトも全くありません。ありがちな中身がないのに思わせぶりなタイトルや意味深な書き方でアクセスを稼ぐ必要は全くありません。読者がブログ内で何かをクリックするストレスを感じて欲しくないので、そんな仕様は全て避けてもいます。

いつかは止める時が来る個人が自分の好き勝手で書いているブログです。書きたい事がある限り、身体が許す限りはまだ続けますが、そんなブログで良かったら・・・時々見に来ていただけたら幸いです。

更にディープでマニアックになって行くかも(笑)

私はガイドブックに載るような所は全く興味ありません。まぁ、昔住んでいた事もあるし、海外に長く住んでいたからかも知れません。そしてどこぞの日本人が多い店で何かを食べてあれこれ書くのも興味がありません。

20171215 Park 3

「ローカルな・・・へ」「郊外の・・・へ」と言った都会目線の書き方は好きではありません。これだけバンコク都と周辺県のあらゆる所で街歩きしているのに、BTSに最後に乗ったのは8カ月前だったか・・・もちろんタクシーはもちろんモタサイも使いません。日系スーパーはもちろんコンビニでも買い物しません。そして日本食はもちろんタイレストランでも食事をする事はありません。

20171123 Thonburi 1

バンコクにお住まいの日本人の多くの方々が日常的に接しているだろう・・・そうした所や事がこのブログに登場する事はないのです。そう言った意味では、多くのバンコク在住者には無関係でお役に立つようなブログではないと思います。

20171104 Hua Takhe 2

毎回長いし、昔話に年寄りの自慢話、押しつけがましい面倒くさいブログです。「どこどこ行った、珍しかった、楽しかった」「何々食べた、素敵だった、美味しかった」的なありがちでタイ関係では特に多いブログではなく・・・何らかのテーマ性を持ち、ストーリーがある内容でありたいと思っています。

20171228 Kid

自分自身のロングステイの日々を何も隠さず飾らずありのままに。そして、バンコク都とその周辺県でタイの人々と暮らしに触れる街歩き。そこにストーリーも、文章も、画像も、自分なりのオリジナリティーが表現できれば良いのですが・・・

20171228 Canal

こんなブログでよろしかったら、引き続き来年もよろしくお願いします。

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2017.12.28 | コメント(10) | その他

トンブリー王朝の面影を探し⑪モスリム地区-2

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

トンブリー王朝(1768年~1782年)の二百年以上前(1542年以前)はチャオプラヤー川の本流だったバンコクヤイ運河Bangkok Yai(昔はバンルアン運河Bang Luangと呼ばれていました)沿いは、タークシン王がトンブリーを都とした以前からお寺が点在し、人々の暮らしがあったようです。

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前回はバンコクヤイ運河沿いに広がるモスリム地区の中でも、運河の東側「グディ・カオKudi Khao」と呼ばれる地区を歩きました。グディ・カオとはバーンルアン・モスクの事でもあります。

前々回は「グディ・ジーンKudi Chin」と呼ばれる地区で、そこにはグディ・ジーンと呼ばれる建安宮、そしてグディ・ファランとも呼ばれるサンタクルーズ教会がありました。

今回歩く運河の西側には「グディ・ヤイKudi Yai」と呼ばれたトンソン・モスクがあります。今回の街歩きの中では分かりませんでしたが、もしかしたらグディ・ヤイ地区と言われているのかも知れません・・・

20171223 Map 1

あまりに多くの「グディKudi」が出て来るので真剣に調べたら、パーリー語起源で『僧の住む小屋』だそうで、アユタヤ王朝からトンブリー王朝を経て現チャクリー王朝初期までモスクやキリスト教会に使われたそうです。今まで本ブログでは「僧院」「僧房」として来ましたが、間違ってはいなかったようです。

さて、イサラパープ通りのチャルンファット橋でバンコクヤイ運河を渡るとすぐ道路の北側に「チャルンファット・モスクCharoen Phat Mosque」があり,モスク敷地に学校があります。

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このモスクはアユタヤ宮廷に近いイスラム教徒のグループによって建てられたそうで、。タークシン王が都をトンブリーに移して以来、彼らはここに定住したそうです。

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タイ寺院は平気で中に入るのですがモスクではそれがどうも出来ずに外から見るだけなのが常です。中に入れると是非見たいイスラミックアートがあります(画像上と下はGoogleMapsとBangkok Post紙の古い特集からです)。

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バス通りでもあるイサラパープ通りからチャルンファット・モスク前のソイ28に入ると一気にイスラム色を強めます。ただバーンルアン・モスク側と違って細い路地が入り組んでいる所ではありません。

横断幕がジャウィ文字なのかアラビア文字なのか?そもそもその差も知らないのですが(汗)何て書いてあるのでしょうねぇ~ そもそもタイのイスラム教徒はこうした文字を読めるのでしょうか? 分からない事だらけですねぇ~

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前回、そして今回とこのエリアを歩くと・・・どうしてもタイのイスラム教徒が気になるので調べました。現地の説明板や博物館では足りずに、図書館等の文献の方が参考になりました。個人のブログとしてはどうかとも思うのですが、この地区の理解を深める為に付け焼刃の知識で非常に大雑把に言えば・・・

インドはヒンドゥー教一色に思いがちですが、8世紀から(特に北インドは)何度か西アジアのイスラム国家に侵略され、11世紀以後にはイスラム化がされています。イスラム教徒とヒンドゥー教徒を別けたパキスタン分離後もインドには多くのイスラム教徒が暮らしています。ちなみに私が学校で学んだ時にバングラデシュは無く東パキスタンでした。そしてインド中部を旅した時にイスラム教徒が多い事に驚きました。

20171226 India

また9世紀にはペルシャやアラビアのイスラム商人が海洋貿易でインド洋を経て香料、象牙、陶磁器、絹、金銀銅・・・を求め東南アジア・中国にその影響力を強めて行きました。その大きな結果の一つが、15世紀からのイスラム国家のマラッカ王国(1402年~1511年)でしょう。マレー半島南からインドネシアへと現在に繋がるイスラム教の拠点となったはずです。

ポルトガルの進出でマラッカ陥落の後にもその北には同じイスラム国家のパタニ王国(1584年~1616年)が存在し、その時期はタイで言えばアユタヤ時代(1351年~1767年)に合致します。当時のパタニ王国とアユタヤ王朝は朝貢関係にありましたが、アユタヤ、トンブリー、チャクリー王朝とパタニ王国を支配化に置こうと何度もしています。画像下は1780年のフランス人が描いた東南アジアの地図です。

207171226 Map 1

そしてパタニ王国などマレー系モスリムのタイ(当時シャム)の強制移住はアユタヤ初期に始まり、チャックリー王朝ラマ5世ぐらいまで続いたように私は考えています。領土拡大の為に兵力を必要としたアユタヤ王朝は多くのマレー系モスリムを強制的に移住させています。

後のチャックリー王朝下で私が出合った記録では、ラマ3世統治下の1837年に工事が始まったセンセープ運河の掘削に多くのマレー系モスリムが使われています。当時、カンボジアに侵攻したタイはカンボジア南部でベトナムと衝突した第一次泰越戦争(1831年)、そして第二次泰越戦争(1841年)と東部への武器兵力輸送強化が必要な時で、その為にセンセープ運河が掘られたそうです。

その為か、センセープ運河沿いは今でも多くのモスクが点在しモスリムの人々が暮らしています。どこかでデータを見た記憶がありますが、バンコク全体の7割のモスクとモスリムの人々がバンコク東部にあるようです。このブログでもミンブリーやノンヂョークの街歩きでそんな事を紹介していますが、ラムカムヘン辺りから徐々にモスリム色を強め、ミンブリーから東はモスリムのコミュニティーが運河沿いに続きます。

20171226 Mosque 1

アユタヤ王朝中期から始まったチャオプラヤー川の蛇行する所にショートカットが掘られたのも、多くのモスリムが従事した事でしょう。そう言えばチャオプラヤー川のショートカット部には今回のエリアを含んでモスリムのコミュニティーが多くあるように思えます。

20171226 Mosque 2

一方、兵力や労働力ではなく、アユタヤ王朝が最初に西洋諸国と接した1511年(ポルトガル使節団)以前から、ペルシャなどイスラム国家との交易が盛んに行われていた事から、当時高い技術・芸術・文化を持ったペルシャ系モスリムが宮廷内部へ入り込んでいたのは間違いないでしょう。冒頭に書いたチャルンファット・モスクもそうした人々の子孫によって建てられたと思います。

さて、火葬が一般的でお墓も無いタイでイスラム教徒は土葬を必要としたそうです。そうしたモスリムの高級官史たちが眠る墓地がこの後で紹介する「トンソン・モスクTonson Mosque」にあります。

20171226 Ton Son 1

こんな事が分かって来ると・・・タイ南部の県は別にしてバンコクの一般的なモスリムの人々も数十万人レベル(おそらく40~50万人かそれ以上)でいるでしょうから、どうやって墓地を確保しているのか気になります。そう考えたら、日本においてもイスラム教徒の人々はどうしているのでしょう・・・

話を戻してバンコクヤイ運河沿いモスリム地区ですね・・・

チャルンファット・モスク前のソイ28を進むと、「タークシン王廟The King Taksin Shrine」と「ワット・ホン・ラッタナーラームWat Hong Rattanaram」に行き着きます。モスリム地区を分断するようにここだけちょっとおかしいのですが・・・

20171226 Shrine 2

トンブリーの広範囲にわたりタークシン王廟は多くの寺の中にありますが、その中でも2番目に大きいのかも知れません。もちろん一番大きいのはタラートプルーのワット・インターラーム内の鄭皇廟(タークシン王廟)だと思います。何しろタークシン王が祀られ王と母が眠る仏塔があるのですから(そこはまた詳しく書きます)。

タークシン王廟の上にある王の像が見つめているのは、歩いても10分程度とすぐ近くのトンブリー宮殿ことワン・ダーン宮殿のように思えます・・・

20171226 Shrine 1

そして王廟のすぐ前にあるワット・ホン・ラッタナーラームは元々「ワット・チャオ・スア・ホンWat Chao Sua Hong」あるいは「ワット・クルア・ホンWat Khrua Hong」と呼ばれ、アユタヤ時代に裕福な華人NAI HONGに寄って建てられたようです。それでホンHongがずっと寺名に付いています。

20171226 Hong 1

城壁の外ながら宮殿に非常に近いワット・ホンはトンブリー王朝時に宗教教育の中心となった記載が現地説明板にありました。本堂前にはなぜか古い大砲の複製品が置かれていましたが、その理由は分かりませんでした。

20171226 Hong 2

その何だか分からない大砲を除けば、静かでよく整備された美しいお寺です。観光客が訪れるような寺ではありませんが、本堂内も心落ち着くものがあります。本堂の黄金の仏像は腰がくびれ、身体全体がしなやかな(女性的な)スコータイ様式でしょうか。(言葉は適切ではありませんが私的には滑稽にも見えてしまい)ありがたみを感じないタイの仏像も多い中で美しい仏像かと思います。

20171226 Hong 3

タークシン王廟はともかく、ワット・ホンはモスリムのコミュニティーが確立される以前か、まだそれが小さな時にこの地に建てられたのでしょう。お寺の前はバンコクヤイ運河ですが、その対岸はバーンルアン・モスクで南はチャルンファット・モスク、そして北にはトンソン・モスクです。

20171226 Ton Son 2

ワット・ホンからまた運河沿いを北に向かうとトンソン・モスクです。「グディ・ヤイ」の名でアユタヤ時代の1688年に建てられましたが、現在の建物は何度か建て直されたものです。トンブリー王朝の80年前、おそらくバンコクで一番古いモスクだと考えられます。

20171226 Ton Son 3

アユタヤ王朝が西洋と接触する以前から宮廷に入り、その進んだ知識で高級官吏として仕えたペルシャ系イスラム教徒。そして、アユタヤ時代に故郷から兵力として連れて来られ、その後も運河掘削などで強制移住させられたマレー系モスリム。

20171226 Ton Son 4

このトンソン・モスクはそんな異なるイスラム教徒が交差した・・・トンブリー王宮のすぐ目の前であり、同時にバンコクヤイ運河がチャオプラヤー川のショートカット部と接する所なのです。

次回はバンコクヤイ運河沿いをタラートプルー方面に向かい、トンブリーの下町に入ります。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地
トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1

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2017.12.26 | コメント(3) | バンコク街歩き

クリスマスですねぇ~

一人暮らしの年寄りには・・・キラキラと眩し過ぎて、家族のぬくもりがいつも以上に恋しい思える時季です。

今回のロングステイでタイに来てからは、ブログでも触れる事無くさりげなく過ぎて行く時季でもありました。画像下は今日のシーコンスクエアです。

20171224 Xmas 1

アメリカでは国全体がホリデーシーズンの真っ最中で、クリスマス直前から新年三が日まで日本へ一時帰国するのが常でした。ですから、28年近い海外生活ですが結婚してからはずっと家族と過ごすクリスマスでした。ロングステイまでは・・・

そのアメリカでは林と湖にゴルフコースに囲まれた田舎町だったので、派手なクリスマスとは対極の静かなものでした。チャリティー募金で回って来る消防が唯一派手だったような気がします。画像下が町の中心にあったモールです。

20171224 Xmas 3

20171224 Xmas 2

そんなアメリカ南部の田舎町のクリスマス、単身だった私を直属上司の副社長が家に招いてくれるのもクリスマス時期の恒例でしたが、家の中も派手さとは無縁の飾り付けでした。

20171224 Xmas 4

そんなアメリカから日本への一時帰国、クリスマスから正月にかけてのこの休暇の為に一年間頑張ったようなものでした。チケットが一年で高い時期ですが、なんとしても戻るようにしたものです。5年前が娘が付き合ってくれた最後でしょうか(買い物のおねだり)。

20171224 Xmas 5

今はもう子供たちも家で過ごしていないようです。家内一人で飾りつけから片付けまでするのが大変過ぎて、もう家でもツリーを出す事がなくなりました。このツリーは我が家二代目だったか・・・

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初代はドイツで買ったものを日本に持ち帰り使っていましたがある時壊れてしまいました。枝張りが広くて立派だったのですけどね・・・日本で買ったら(狭い家用に)枝張りが小さいツリーばかりでがっかりしたものです。ただ、飾りのほとんどはドイツで買った物です。その多くを買ったのがローテンブルグのあの有名店で、昨年3月に息子と行きました。

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そのドイツに暮らしていた時、最初はクリスマスツリーを生の木に飾りつけしていました。アメリカも同じですが、クリスマスが近づくとツリー・マーケットが街角に出来るのです。そこで買って車の屋根に積んだり、トランクにはみ出したまま乗せて運ぶのです。生の木は片付けも大変で数年で止めましたが、部屋の乾燥防止になったりでそれはそれで良かったです。

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ドイツではクリスマス・マルクトが楽しみでしたねぇ~ 住んでいた北ドイツの田舎町でも毎年開催されていましたが、ニュルンベルクが一番大きなクリスマス・マルクトだったでしょうか・・・ホット・ワインが懐かしいです。

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さて・・・タイでは常夏の国で雰囲気は今一つながら、バンコク都心部では商業的な集客イベントで大きなツリーも飾られています。

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私のアパートがあるバンコクの隅っこではスーパーの店員さんが赤い帽子を被っているぐらいなのですが、お馴染みの「シーコンスクエアSeacon Square(シーナカリン)」では、イベント「City of Gifts 2018」でそんなドイツのような街を再現していました。

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贈り物の街?クリスマスの雰囲気をこのまま正月まで引っ張るのはタイでは普通として、なんだかコンセプトがよく分かりません。

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シーコンスクエアでは毎週何らかのイベントを見ているので、もうまったく新鮮味を感じない出店なのですが、とにかく甘いものが多く売られていました。

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クリスマスは何も特別な事がないのですが、正月ぐらいはまた煮物や雑煮でも作ろと思っています。

今年も残すところ、本当にあと少しですね・・・と言う事で今日は取りあえず、メリー・クリスマスです。

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2017.12.24 | コメント(2) | タイ生活

トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

トンブリー王朝(1768年~1782年)の二百年以上前(1542年以前)はチャオプラヤー川の本流だったバンコクヤイ運河Bangkok Yai(昔はバンルアン運河Bang Luangと呼ばれていました)沿いは、タークシン王がトンブリーを都とした以前からお寺が点在し、人々の暮らしがあったようです。

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前回まで書いたように旧王宮近くで城壁外、バンコクヤイ運河の対岸でチャオプラヤー川に沿って「グディ・ジーンKudi Chin」と呼ばれる地はタイ人貴族、華人、そしてカソリック宣教師とポルトガル傭兵とその子孫たちのキリスト教徒が住み分けられたようです。

後にそれがタイ寺院、中華廟、カソリック教会など宗教施設を中心にまとまったと思われます。そしてバンコクヤイ運河に沿ってチャオプラヤー川からほんの少し離れると(アルンアマリン通りを渡ると)モスリム(ムスリム)の人々が住む地区になります。

20171223 Map 1

研究者でもないただの街歩き好きオッサンが勝手に線引きしましたが、こんな狭いエリアで宗教の違いがハッキリと色分けできる地はアジアの中でも特異な地だと思います。

今回はそのバンコクヤイ運河沿いに住むモスリムの人々が暮らす地区を歩きますが、ここもネットで書かれるのは初めての事かと思います。

グディ・ジーンからアルンアマリン通りを渡り、運河に沿って東に広がる「グディ・カオKudi Khao」地区、その中で一番近い狭く暗い路地に入ります。

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私は世界中の路地裏を歩いているのでここに入り込むのに全く抵抗はありませんが、このグディ・カオは外部の人間を拒む雰囲気を少し感じます。ここが古くからのモスリムの方々が住むエリアだからでしょう(危険な意味ではありません)。

ここはアユタヤ王朝時代からモスリムの人達が住み着いていたようです。彼らの祖先はマレー系のモスリムでアユタヤを含めて各地からここに来たと現地の説明板にはあります。Khaek Phaeと呼ばれる船上に暮らすモスリムもここで商いをしていたそうです。

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オックスフォード出版部が出している『BANGKOK A CULTURAL HISTORY』に寄ると、この地区で船上に暮らすモスリムは「perfumed powder,scented water, fragrant oil spice and household goods(香粉、香水、香オイルにスパイスや家財道具)」の商いをしていたようです。その内容を見ると交易品のように思えますねぇ~ 次回になりますが、タイに於けるモスリムの歴史も少し触れたいと思っています。

さて、このエリアの狭い路地で最初に見かけたのが、この周辺には似合わない工場のような所でした。複雑な配管がタンクと繋がれているようです。寡黙で渋い感じのオジサンが働かれていました。30年以上この地域の人達に水を供給している「ソムワン・ドリンキングSomwang Drinking」です。

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英語での説明書があったので、それによるとソムワン氏(この渋いオジサンではなさそうですが)は政府浄水部門に勤めた後に、この地域の水問題解決の為にこのシステムを造った旨の説明がありました。

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工場見学(笑)の後、オジサンが黙って「持って行け」言わんばかりにペットボトルを差し出してくれました。意外や本物(笑)っぽいドリンキング・ウオーターのペットボトルで、普段飲んでいる水より美味しく感じたのはなぜでしょうねぇ・・・

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このエリアはどこもどぶ板の上に路地があるようなので、地盤が悪い水辺に杭を打ち込んで家を建て、その家々を繋ぐ危なげなどぶ板道が路地になったように私には見えるのです。近年まで上下水道も整っていなかった事でしょう。

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さらに日が差さない暗い路地を進むと突然に不自然な形をした広場に出ました。そこは強い日差しが眩しく思える真っ白なタイ寺院風の・・・「バーンルアン・モスクBang Luang Mosque」です。

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タイで唯一のタイ様式のモスクです。と言う事で世界で唯一のモスクでしょう。この建物だけが周囲に対して違和感を感じる不自然な広場と方角にあるのは、GoogleMapsを見て納得が行きました。メッカの方角(西)に向けて建てられたのではないかと・・・

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モスクって礼拝する方角は必ずメッカに対してですが、建物自体が方角を気にしているとは思えないのですが、タイ様式のモスクだからこそこんな事になったのではないかと勝手に推測しています(苦笑)しかしモスクの周囲が地図にも載らない路地だらけなのが分るでしょう(笑)

20171223 KK 2

現地の人達はこのモスクをグディ・カオ(白い僧院)と呼んでいたそうで、それがこの地区の名となっています。建てられたのはトンブリー王朝後のラマ1世治世下のようですが、はっきりした年代を現地で知る事は出来ませんでした。

モスク周辺は何となくモスリム色を感じる家々がありますが、地区長とかモスクの管理者が住んでいるのかな・・・なんて勝手に思って路地歩きを続けました。

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この地区をバンコクヤイ運河から見ると、他の水辺の家々とは異なり運河サイドへの解放感はなくて閉ざされた感じがします。上手く表現できませんが、(タイでは普通の)運河や川に面して家々が建てられたのではなく、反対側に向けて建てられた印象です。唯一、バーンルアン・モスクへ通じる船着場にあるゲート上にはモスクを示す球形のドームがありました。

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このモスリム地区の南側を走るイサラパープ通りItsaraphapに出てバンコクヤイ運河の対岸に渡ります。「チャルンファット橋Charoen Pat(Phat?) Bridge」からバンコクヤイ運河を撮りたいのですが・・・この電線はなんとかならないものでしょうか? 

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スクムビット通りのような都心部の表通りのほんの一部だけ(しかもそこに繋がるソイは無秩序で放置)で、バンコク都無電柱化を言い切る事にうんざりです。現状ではバンコク都全ての通りで0.1%もされていないでしょうし、少なくてもトンブリー地区はもちろんチャオプラヤー川西側には全く関係なくゼロです。

橋を渡れば少し先にはMRTブルーラインのファランポーン駅からの地下延伸部で最後の駅「イサラパープ駅Itsaraphap」があります。地下部はこれから歩くタークシン王廟やワット・ホンにトンソン・モスクの地下を通りチャオプラヤー対岸に繋がります。

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これが開通すると今回書いているトンブリー王朝の旧王宮エリアに行く起点となります(多少離れていますが)。

このイサラパープ通りは多くの路線バスが走っています。、これらの路線バスと東側にあるチャオプラヤーの渡し船が庶民の足になっています。

40番(大型ノンエアコンと黄色エアコン車はラムサリー~旧南バスターミナル、ミニバスはファランポーン駅~新南バスターミナル)、
56番(チャオプラヤー両岸に渡る循環)、
57番(トンブリー地区を南北に循環)、
149番(エカマイ~プッタモントン・サーイ2通り)、
177番(バーンブアトーン~戦勝記念塔などの循環)、
710番(チャオプラヤー西側の循環)

次回はこのモスリム地区でバンコクヤイ運河の西側を歩きます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地

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2017.12.23 | コメント(2) | バンコク街歩き

スターウオーズとパンダに動物園

昨日の火曜日(12月19日)、ついに赤ちゃんパンダ「シャンシャン」の一般公開が始まりましたねぇ~ 私のようなオッサンが見ても小さなパンダが動いているのは可愛くてなりません。日本に居たら、大人パンダと動きが違う今こそ見に行きたいものです。

そんな昨日は火曜日の割引が一番大きいので、先週末に公開されたばかりの「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」を観て来ました。

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1977年初のスターウォーズ「新たなる希望」公開以来、世界中の映画館で観ています。そして家ではDVDが登場する前の重たく大きいレーザーディスクから持っていました。そんなファンなので楽しみにしていました。

近くのシーコンスクエアで(吹き替えなし版)の上映時間を調べたら、一番早いのが正午でした。30分前になって部屋を出て歩いて行きましたが、気温が低く湿気が少ない風が気持ち良かったです。こんな天気が続くのも数日だけでしょう。

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5分前にシーコンに着いて地下のファミリーマートへ行って(甘いタイの)お茶とアンパンを買ってから映画館がある4Fに上がりました。ランチは街歩きしないのでこれで十分、でもケチですねぇ~(笑)

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私はタイに来た3年前にすぐ(シニア)メンバーになったので、火曜日は60バーツで観られます。日本円だと206円ぐらいでしょうか、本当に助かっています。切符を買った12時過ぎの段階で販売機の画面では10人ぐらいの客でしょうか・・・封切り5日目なのですが、タイ語吹き替えの3D版の方がもう少し客が多いのかも知れません。

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12時15分過ぎに入りましたが、まだ宣伝中でした(笑)もちろん映画は十分に楽しめましたが・・・エピソードが進むにつれてストーリーが難解になって来たように思えます。世代を跨いでの物語になっていますからねぇ・・・この辺りが私の英語レベルでは限界なのかも知れません(汗)

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映画が終わりシーコン内のスーパーTESCOLotusとTopsの2カ所で買い物し、荷物をたくさん持ってバスで帰りましたが・・・部屋に戻るまでずっと頭の中であのテーマ曲が響いていました(笑)

そしてテーマ曲と同時に、数日前に近くのラマ9世公園で観たフクロウが思い出されてなりませんでした。この新キャラクターとチューバッカの絡みが思い出されます。まだ続きそうなので、次作が楽しみです。

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さてフクロウではありませんが、動物と言えば日本ではパンダ人気がピークではないでしょうか? 先ほどライブカメラで観たら親子で寝ていました。上がお母さんで下がシャンシャンですね。

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日本では1972年公開直後のランラン・カンカンを大変な混雑の中に見に行った事があります。もう人の流れに身を任せて檻のガラス前を通っただけで、記憶は「立ち止まらないで下さい」と連呼されたアナウンスだけです(笑) 

上野では1965年のツタンカーメンの時も同じ記憶しかありません・・・「立ち止まらないで下さい!」。「ツタンカーメンの黄金のマスク」って、これ以後に日本へ来ていない気がするのですが・・・分かりません? そうなら、人の頭越しに意外と小さく黄金に輝いていたマスクを見た(ような気がする)記憶は貴重ですねぇ~

話を戻しましょう(汗)パンダでしたね・・・

日本で画像が残っているのは17年前に上野へ家族と行っています。この時は前回のタイ在住時だったと思います。

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7年前にチェンマイに行った時に動物園も行ってパンダを見ていますが、すごく人が少なくて(反対に)その事が印象に残っています。パンダを見ていたのも私以外は3人ぐらいで、ガラガラだった記憶です。写真も撮り放題でしたねぇ~

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そして鮮烈に印象に残っているのがアメリカ・アトランタ動物園の双子の赤ちゃんパンダです。私はジョージア州在だったので地元でしたが、生まれた時は「アメリカ生まれの双子のパンダ」ですごい騒ぎでした

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2013年生まれのメイ・ルンとメイ・フアンで、上野のシャンシャンが2頭同時に遊んでいるようなものですから、可愛さ倍増でした(画像は当時ATLANTA ZOOサイトから)。私がリタイアした頃に中国に戻す話が出ていましたので、今はいないはずです。 ただ、昨年2016年にまた双子が誕生したニュースも見ているので、今アトランタに行けば見られと思います。

20171221 Panda 4

動物園と言えば・・・バンコクの「ドゥシット動物園Dusit Zoo」がパトゥムターニ県へ移転のニュースが今月流れていました。現状かなり手狭なので、跡地利用も含めてこのニュースはかなり信用できると思っています。時期に関しては未定ですが数年かかるかと思います。今まで二回ほど行きましたが、もう一度行きたいと思っています。

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もちろんパンダは居ないし、何が目玉だったか? キリンと目線が合わせられる位置から見られたのと、ホワイトタイガー(画像上)、老いて太り過ぎたオラウータン(なのか?)は我が身を見るようで辛いものがあります。

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ドゥシット動物園へのアクセスはこのブログの中では最も簡単でしょう。路線バス初心者でも全く問題ありません。

日本人の多くか好むBTSなら「戦勝記念塔駅Victory Monument」の3番4番出口がある北側改札(モーチット駅方向)を出て、モニュメントに向かい真っすぐ歩道橋上を歩き、突き当りで左に降りた所のバス停(画像下。戦勝記念塔には4カ所バス停があるので注意)で、路線バス18番28番108番515番539番とたくさんバスが出ています。

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ノンエアコンなら一律料金で純正(18番)は6.5バーツ、委託(108番)は9バーツ。エアコンなら一律13バーツ(18番と28番の胴短黄車)か、行先を言う必要があります(28番の大型車、108番、515番、539番)が「スアンサッ(動物園)」で通じるかと思います。外国人利用者も多いので英語「ドゥシット・ズー」でも通じる可能性はあるかと思います。

バス停6~7個目で進行方向左で入口前です。渋滞が無ければ10分程度。渋滞があっても30分かからないでしょう。左を見ていれば行き過ぎてもすぐ分かるので、次で降りれば良いだけです。戻る時は同じ入口前のバス停の道路反対側で、上記と同じ番号のバスならほとんどのバスが終点です。行先を告げる必要がある時は「アヌサワリー」で十分に通じます。

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ちなみに入場料は英語だと大人150バーツと書いてありますが、タイ語だと別な数字(かなり安い料金)が書いてあります(これって、大嫌いです)。

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2017.12.21 | コメント(0) | タイ生活

トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、前回から旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回の「ワット・カンラヤナミットWat Kalayanamit」や今回の「サンタクルーズ教会Church of Santa Cruz」はネットで多く書かれている事でしょう。

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メジャーな観光地はもちろん、誰もが簡単にブログで書かれるような所も出来る限り書かない主義なので、ここにも何度か行っていながらも一度も本ブログでは触れた事がありませんでした。

そんな私的には本ブログで書く事がなかった所ですが、トンブリー王朝の面影を探す街歩きでは欠かせない所でもあるのです。まぁ、観光案内やただの街歩きの記録にならないようにして、テーマへの探求心と好奇心を満たす内容でありたいものです。

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さて、前回はバンコクヤイ運河からチャオプラヤー川堤防沿いを歩き、中国廟の「建安宮Kuan An keng Shrine」まで来ました。そのまま堤防沿いを下流に向かって少し歩くと、「ジンジャーブレッドハウス」と呼ばれる古く朽ちて行くままの家があります。

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現在(数年前の話です)の持ち主はソムソクSomsookさんはサンタクルス幼稚園を所有している老婦人です。彼女の想いとこの家の保護運動が4~5年前に報じられた事があったのですが、結局うまく機能していないようです。

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Google Maps(英語版)「Windsor House」となっていますが、当初の所有者であったルイ・ウィンザーLouis Windsorが由来かと思います。彼は英国船長の息子で、対岸のニューロードとも呼ばれたチャルンクルン通りでWindsor Shopを所有していた裕福な英国商人だったそうです。

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バンルアン運河Bang Luang(後のバンコクヤイ運河)沿いの製粉業者の娘と結婚し、ラマ4世治世下(1851~1868年)に家を建てたそうです。少なくても150年以上前の家ですねぇ~

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何でこんな話を長々するかと言えば・・・トンブリー王朝(1768年~1782年)以後の話になりますが時代背景がよく分かる事例だと思うのです。ラマ4世治世下後半(1862-1864年)にタイ初の舗装道路として造られたチャルンクルン通り、そこへ店を出していた英国商人と結婚したのはバンコクヤイ運河沿いにあった製粉業者の娘・・・19世紀半ばまで主要輸送手段が運河や川の水路だったのが、陸上交通に変わる変化の時代の話です。

面白いですねぇ・・・そんな時代の移り変わりに思いを巡らせながら運河沿いを歩きました(その辺りがブログに登場するのはまだまだ先ですが)。さて、チャオプラヤー川を更に下流へ向かえばすぐにサンタクルーズ教会の正面に出ます。

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トンブリー王朝城壁の外でバンコクヤイ運河の対岸、そこが「グディ・ジーンKudi ChinあるいはKudeejeen」と呼ばれている事は前回説明済みです。アユタヤ王朝滅亡時にタークシン王に従って戦い、トンブリーに来たポルトガル傭兵に与えた地だと言われているのですが、更に歴史を詳細に調べると多少異なるようです。

戦火のアユタヤからカンボジアに逃げていたフランス人宣教師コーFr.Jacques Corre,MEP(MEPとはパリ外国人宣教協会)がベトナム人とタイカソリック教徒を連れてトンブリーに来たのが1769年だそうです。その後すぐコーはポルトガル人カソリック教徒を連れて来て、最終的には400人近いポルトガル人子孫が集まったようです。

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そしてタークシン王がこの地をカソリック教徒に与えたのが1769年9月14日、カソリックでは9月14日は「Holy Cross Day(日本語だと聖十字架の日でしょうか)」でイエス・キリストが掛けられた聖十字架が発見された日だとか・・・それでサンタクルーズSanta Cruzですね。

1770年には小さな木造のチャペルだったようです。その後何度か建て直されて教会が今の姿になったのは1916年です。去年2016年が100年だったのですねぇ・・・

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この教会周辺はGoogleMapsで道路が表示されない細い路地が続く所です。グディ・ジーンの路地のひとつに入るとポルトガル縁のお菓子「カノムファラン・グディ・ジーン」が売られています。直訳すれば「グディ・ジーンの西洋人のおやつ」でしょうか・・・

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いかにも多くのブログで異国情緒として登場しそうな場所とお菓子ですが、正直に書くと・・・トンブリーでは全く普通にある路地に古くなってぼそぼそするマドレーヌ(カステラ)にざら飴を振りまいたようなお菓子です。忘れましたが一袋40バーツぐらいで、思わず聞き直しました(笑)ただ、カステラを知る日本人にとっては、ポルトガル繋がりを感じるでしょう。、まぁ、一度食べたら十分かと・・・

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お菓子屋さんがある路地をそのまま教会とは反対側に進むと「グディ・ジーン博物館Baan Kudichin Museum」があります。博物館としていますが一軒家のカフェでその上が郷土資料室のような感じなのです。

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一階のカフェもなかなか居心地良さそうですが、食べログ的内容は他のブログにお任せして二階に上がると・・・ポルトガル人のタイでの歴史が小さなスペースですが紹介されています。

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その歴史や展示物に関しては今までの本シリーズで多く紹介して来た通りです。簡単に言えばアユタヤ王朝の1511年にタイ初となる外交使節が来てから、ポルトガルは貿易・軍事など広く影響力を強めて行きました。

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資料の多くはタイ語と英語の併記で助かります。ここは小さいけど、トンブリー王朝の面影を探す旅には欠かせない所でもあるのです。

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そして路地を歩きここへ行きつくにも、ここから出るにも・・・タイの路地を歩くのに慣れていない方、方向音痴な方にはかなり手ごわい所でもあります。

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次回はバンコクヤイ運河沿いでグディ・ジーンの西側になるモスリムの人々が暮らす街を歩きます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン

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2017.12.20 | コメント(0) | バンコク街歩き

電車でワット・ケーノック水上マーケット、そして・・・

いやぁ~ 昨日から天気ががらっと変わったように思えますねぇ・・・青空が広がっていますが、気温がそう上がらず空気に湿気が無くて風もある事から気持ち良い天気です(画像下はワット・ケーノックです)

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このブログではネットで書かれるのは初と思われる所を含め、そのほとんどがネットではあまり書かれていない所ばかりをエントリーしています。

間違ってもガイドブックや観光ブログに書かれる所は登場しませんし、観光でなくても日本人が多いおられるような所も書きません(ただ私が行かないだけですが)。

そんなマイナーな所ばかり書いているので、「面白かった」「楽しかった」「是非行って下さい」なんて子供のブログのような紹介をした事はないのですが、その中でも『ここはお勧めです』と珍しく言い切っている時もありました。

バンプリー古市場』や『プラカノン運河ボート』をネット(当時はホームページ)で書いてからそろそろ20年になりますが、今でもブログで最新情報を含んで書いています。

20171106 Bang Phli

パーシーチャルーン運河ボート』や『クルンカセーム運河ボート』も運航が始まった2年以上前に書いて、全航路と全船着場を最新情報に更新してお勧めしています。

20171218 PC

空軍博物館』もお勧めの一つで早くから書いていますし、最近では『フアタケー古市場』を(たぶん)ネットで始めて紹介してお勧めしています。

20171117 Huatakhe 4

観光でも在住者のブログでも多く書かれているだろう水上マーケットは・・・『クローン・ラット・マヨム水上マーケット』『サイノーイ水上マーケット』『ワット・タキアン水上マーケット』をお勧めしています。

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こうしてお勧めした所は非常に少ないです。その何十倍もエントリーはしているのですが・・・

そして水上マーケットのネット初の紹介で、しかも強くお勧めしたのは昨年2016年11月にエントリーした『ワット・ケーノック・水上マーケット』でした。

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水上マーケットとしてはかなりしょぼい方です。それだけならお勧めする事もなくがっかり系の一つなのですが・・・ここをお勧めした理由は一つ『無料クレット島一周船』がここから出ていたからです。それも無料が信じられない良い内容でした。

超お勧め!無料クレット島一周船 水上マーケット発」で詳しくエントリーしたのは・・・もう1年以上前です。

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「ここへ行きたい」と読者コメントを頂いた事があるのですが、「必ず運航しているわけではない」事を記した上でその事をご承知下さいとしていていました。同時にそんな中途半端な事を書いて申し訳ないとも思っていました。

かなり遅くなったのですが、昨日(12月17日)ノンタブリー県で行きたい所があったので、全線高架電車のMRTパープルラインで行って来ました。本来なら全て路線バスを使って行くのですが、体調が今一つ戻ってないので久しぶりに電車を使ったのです。「MRTパープル徹底検証12 全路線全駅紹介⑨ 最終回!

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アパートから路線バス145番でMRTブルーライン・ラップラオ駅まで行き、タオプーン駅で乗り換えてパープルライン「PP08 プラナンクラオ橋 Phra Nang Klao Bridge」まで行きました。もう接続がなって4ヵ月経ちましたねぇ~ 「開業直後の乗車!繋がったMRTブルーとパープル

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MRTはBTSとは違ってシニア料金が(外国人でも)あるので時々乗っています。確か一般だと60バーツ強だったと思いますがその半額になります。ちなみにBTS値上げ抗議の乗車拒否はもう8ヵ月継続中です(BTSが走っている所に用事がないだけ)。

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路線バス(69番191番)ならワット・ケーノックがあるソイ23入口まで行けますが、MRTプラナンクラオ橋駅では2番出口に出てソンテウの乗ります。ワット・ケーノックがあるソイ(画像下)まで7バーツです。

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もしクレット島一周船が出るとしたら正午のはず(私的経験で)ですが、12時10分前に着きました。水上マーケットとしてはまだ生き残っていましたが、その形態は水上マーケットとは言えず、近所の方達がカラオケを楽しまみ、川面を渡る風で食べたり飲んだりされる所となっていました。

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観光船は係留されていましたが、12時半まで待ってみましたが全く動く気配もないし、お客も近所の人以外は居ない感じでした。日曜日なのですが、こんな感じが毎週なのかも知れません。一応、売店の人に船は出ますか?と聞きましたが、首を横に振られてしまいました。恐らく団体さんとか事務所で電話でまとまった人数を連絡すれば出るのでしょう。

と言う事で諦めましたが、以前から運航の不安定はあったものの、これではもうお勧めできないですね。水上マーケットとしてもほとんど出店はないし、がっかり度が増していました。

20171218 KN 5

船に乗れたクレット島一周をゆっくりと楽しむ予定だったのですが、それを諦めてプランBに変更です。パクソイまで歩き反対側に渡れば数分でソンテウが来ました。

この後は未エントリーながら今現在の街歩きをしているテーマ『チャオプラヤー川元流(源流ではなく元の流れです)を追う』(仮題)で、地方バスとソンテウを乗り継いで画像下のようなノンタブリー県を歩いていました。

20171218 Wat 1

上の画像は対象が大きすぎて4枚の画像を合成しています。私が見た中では最大の船の寺院です。

20171218 Wat 2

上の画像も対象が大きすぎて3枚の画像を合成しています。データーはありませんが、首都圏ではワット・バンプリー・ヤイ・クラン、ワット・ポーに次いで3番目に大きい涅槃仏でしょうか。

これらはまだ先のエントリーで予告編になってしまいますが、どこもネットでは初になる紹介かと思います。そしてバンヤイ・カオと呼ばれるエリアが今夢中になって街歩きをしている所です。来月あたりになるかも知れませんが、エントリーをお楽しみに!

20171218 BYK

いやぁ~ここがすごく良いのです。3年近く街歩きを続けていても、まだまだこうした所を発見できるのは・・・街歩きのご褒美ですね。

安心して下さい。誰でも公共交通だけで行けます。

私はタイ語の読み書きが全く出来ずに、非常に幼稚なタイ語をほんの少しだけ話す一人の年寄りです。スマホも紙の地図も持っていないですし、ネットで何かを調べるのは大嫌いな変人です。そして持病もあってハードな乗り物や長時間の街歩きも出来ません。

唯一、好奇心に任せて少しずつ街歩きを続けているだけです。そこで出合う楽しさ、そしてそれをブログで記録する・・・そんな事が続けられる理由だと思います。

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2017.12.18 | コメント(6) | タイ・トラベル

これってバンコクにいるのですねぇ~

昨日(12月14日)夕方前からバンコクではこの時期珍しい雨でした。体調が良くない事もあって部屋に居たので濡れずに済みましたが、普通なら出かけて帰るのに苦労した時間帯でした。

雨のせいではありませんが動けない日が多くなっているので、今日は普段の買い物でシーコンスクエアに行くのに、遠回りしてラマ9世公園内を歩いてから行きました。

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そのラマ9世公園、先週は大きなイベントがあって大変混雑していたと思います。特に先週火曜日(12月5日)はラマ9世誕生日(父の日でもあります)の祭日で朝から公園近くは渋滞でしたし、シーナカリン通りからは少し距離があるので近所のモタサイが集結してピストン輸送をしていました。

日曜日(12月10日)は花火もあると読者から教えて頂きましたが、家内とのスカイプ中で打ち上げの音が聞こえた気がしただけでした(汗)

そんなわけで混雑しているだろうから先週は意識して公園に行くのを避けていたのですが、イベントで花がたくさんあるだろう事を期待して行ったのです。

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持病があって激しい運動が出来ないので街歩きが唯一の運動ですが、暑さの中で歩道でも前後から容赦なくすぐ近くを通るバイクに怯え、デコボコ道に排気ガス、そして絶え間ない騒音・・・そんな非常に高いストレスの中での街歩きである事には変わりはありません。

20171215 Park 3

そんな中で自然に親しむ事で助かっているのが、アパート近くにバンコクで一番大きく美しい「ラマ9世公園King Rama IX Park」とメンバーにもなったウォータースポーツセンターがある「ノンボン貯水池Nong Bon Retention Pond」(画像上)があるからです。

20170927 Map

他にも歩いて行ける所に(たぶん)バンコクで一番大きいナイトマーケットがあったり、バスやソンテウで簡単に行ける静かな古市場がいくつかあるのも、ゆったりした時に身を置けるリタイアした身には・・・無機質なビルが建ち並びお金があれば何でも出来ると勘違いをしてしまう都会とは違って、ちょうど良い所なのかも知れません。

20171104 Hua Takhe 2

さて、いつもの長い前置き話はこの辺で・・・(汗)

今回のお題「これってバンコクにいるのですねぇ~」ですが、猿やイノシシが大都会を走り回り、鹿や熊も街中で遭遇するのがニュースにもならなくなった日本では大した事ではないのですが・・・

今日、ラマ9世公園に行ったら・・・私的には人生初めての動物を街中で見ました。それもずっと何分も見つめ合うように(笑)

いえいえ、ミズオオトカゲではありません。これは運河ボートを使い、公園を含んで街歩きが日課の私は犬や猫のような存在です。もっとも1m程度はどこでも見ますが、2m超になるとワニかと思い腰を抜かす程驚いた事があります@ラーチャモンコン工科大学タンヤブリー校(笑)

20171215 Park 4

タイは二度目ですしフィリッピンや台湾でも若い時に在住経験があるので、たいていの爬虫類系でも驚きません。ドイツとアメリカでは田舎町に住んでいたので、鹿やウサギは普通に身近に居ました。

20171215 Park 5

20171215 Park 6

田舎だった為もありますがアメリカでは南部のジョージア州だったのでアルマジロやアライグマも普通に通勤時に見ていましたし、ロサンゼルスのオフィスでは一年に何度かスカンクが出るのでその時だけは刺激しないように注意したものです(笑)

もう昔話はいい加減にして(汗)今日ラマ9世公園で見たのは・・・こんなんでした。

20171215 Park 7

別な鳥を撮ろうとしていた時ですが、分からないですよねぇ~ 拡大してみましょう。ピントが合ってないのが残念ですが(汗)

20171215 Park 8

南国のイメージが無くて最初は信じられなかったのですが、じっと見ていると目を合わせたまま相手も動きません。近づくと近くの別な枝に移りましたが、間違いなくフクロウです。

20171215 Park 9

動物でも鳥類は全く詳しくないのですが、耳(頭の両側にある跳ねた羽)が無いのでミミズクではなくフクロウだと思います。大きさは驚いた事に鳩より小さいです。子供なのか・・・アジア大陸南部にヒメフクロウと呼ばれる小さなフクロウが生息していると聞いた事がありますが、片隅とは言えバンコクですし・・・

何だか分かりませんが、タイでも地方に行けば普通に見られるのか知れません。私自身は初めて見た鳥なので、妙に興奮して楽しくもなりました。だって・・・フクロウは不苦労って言うでしょう(笑)

それで今日は私には似合わないのですが、鳥や花ばかり撮ってしまいました(笑)

20171215 Park 10

20171215 Park 11

鳥も蜜を吸いたいのか花に寄って来ています。画像下は遠くから見た時は一瞬ハチドリかと思いました。アメリカ南部では住宅街でも見ますが、飛び方と動きがすごく独特なのでハチドリではないのですが、スズメより小さくて動きも独特でした。

20171215 Park 12

街中でどこでも見る鳩(公園などで群れで偉そうにしている鳩ではなく、半分ぐらいの大きさで草むらの中で遠慮気味にしている小さな鳩)も蜜なのか虫が居るからか、花の中に集まっていました。何をしているのか本当に聞きたかったです・・・

20171215 Park 13

花の名前は鳥以上に知りませんが(汗)ラマ9世公園なのでマリーゴールドがたくさんありました。もっとも本当にマリーゴールドなのかは定かではありませんが(汗)

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20171215 Park 16

公園内は予想通りいつも以上に花に満ちていました。撮った画像を載せたらキリがないのですが、この美しい公園を維持するのは本当に大変かと思います。暑い中での手入れ・・・本当にご苦労様です。

20171215 Park 17

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2017.12.16 | コメント(6) | 博物館・パーク等

トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、今回からは旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩きます。

さて、もう何年も他人様のブログを読む事はなく、他人様のブログ・タイトルを見るだけでも嫌になってランキング参加を止めてしまった私ですが、今回登場する「ワット・カンラヤナミットWat Kalayanamit」や「サンタクルーズ教会Church of Santa Cruz」は個人のブログで多く書かれている事でしょう。

20171214 KC 15

メジャーな観光地はもちろん、誰もが簡単にブログで書かれるような所も出来る限り書かない主義なので、今までここに何度か行っていながらも一度も本ブログでは触れた事がありませんでした。

そんな私的には本ブログで書くのが恥ずかしい気がする所ですが、トンブリー王朝の面影を探す街歩きでは欠かせない所でもあるのです。場所はチャオプラヤー川右岸(西側)でワット・アルンの下流です。

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チャオプラヤー川でこんなお寺や教会をご覧になった方も多いでしょう。この辺りは「グディ・ジーンKudi ChinあるいはKudeejeen」と呼ばれ、アユタヤ王朝滅亡時にタークシン王に従ってビルマと闘い、トンブリーに来た華人(潮州人)やポルトガル傭兵にタクシン王が与えた地です。

20171214 Map

まずはこのエリアに行くにはバスの便が悪いので、花市場のパーククロン(アサダン船着場)から渡し船を使い、 対岸のワット・カンラヤナミットへ行きましょう。「チャオプラヤー渡し百景4」でここを書いた時は3バーツだったのですが、今は5バーツです。(画像下はワット・カンラヤナミット船着場です)

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対岸(西側)へ行くと目の前が「ワット・カンラヤナミットWat Kalayanamit」です。バンコク最大と言われる仏像があるので有名です。私的には仏像の頭の大きさが少し気になるのですが・・・しかしそうした事は観光用のサイトやブログなどに任せて、歴史を現地の説明板で調べましょう。

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トンブリー王朝滅亡後43年のラマ3世治世下の1825年に建てられたお寺です。Chao Phraya Nikorn Bodin(Toh Kanlayanamitトー・カラヤナミット)が政府要職(Director General of Phra Suratsawadee Klang)に就いた時に、自らの家と土地、そして周囲のグディ・ジーンの土地も買って寄贈したそうです。詳しい事は分らないのですが、チャオプラヤーの称号を持ち政府要職に就いた事から貴族だったと思われます。

バンコクヤイ運河を挟んで対岸はウィチャイプラシット砦でその裏はワンダーン宮殿です。ワンダーン宮殿にはチャクリー王朝(ラマ5世まで)になってからも王族が住んでいた事を前回書いていますが、この周囲にも貴族の屋敷があったのでしょう。

20171123 Thonburi 10

そんな事に想いを馳せながらバンコクヤイ運河(以前はバンルアン運河Bang Luangと呼ばれていました)に向かって路地を歩きました。路地はバンコクヤイ運河と並行してアルンマリン通りへと繋がっていて、周囲は近年移り住んだような雑多な家々が並んでいます。

20171214 KC 5

無理やり家々の間の猫道を抜けて運河に出てみると、バンコクヤイの閘門のチャオプラヤー側に出ました。下の画像で閘門の向こう側は「ワット・モリ・ロカヤラムWat Moli Lokayaram Ratcha Worawihan」で、(見えないけど)右はすぐバンコクヤイ運河とチャオプラヤー川の合流点です。

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これも今回の街歩きで感じた不思議の一つなのですが、バンコクヤイ運河は閘門で水位をチャオプラヤー川と合わせていないのです。一方、北のバンコクノイ運河は閘門も水門もなく同じ水位です。いつかこの辺りも詳しくエントリーしたいと思っています。画像下はアルンマリン通りから撮ったもので、奥がチャオプラヤー川です。船を閘門内に入れて水位を上げ下げしています。

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話を元に戻すので、閘門の必要性への疑問はさておき(汗)

グディ・ジーンの路地に戻ります。近年移り住んだ雑多な家々の中に、昔は屋敷だったと思われる家もありました。まぁ行っても百年経ってないでしょうし、商家だったのかも知れません。

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さて、チャオプラヤー川沿いに戻って、川沿いを下流側に向かって歩きます。ちょうど堤防上に遊歩道が整備?されています。

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チャオプラヤー川上には「メモリアル橋Memorial Bridge」です。ラマ1世橋King Rama I Bridgeと呼ぶ方もいますが、タイの人々がバスの行先などで言うには「サパーン・プット Saphan Phut」(プット橋)と言います。ラマ1世の名プッタヨートファーチュラーロークから来ています。

20171214 KC 10

詳しくは「チャオプラヤー名橋奇覧⑦メモリアル橋」でエントリー済みですが、開通が1932年の跳ね橋です。本シリーズのバンコクノイ駅やトンブリ駅で登場した旧ラマ6世橋(現在は鉄道専用橋)の開通が1927年なので、メモリアル橋はチャオプラヤー川に架かった2番目の大橋となります(これはよくネットで間違えられているかと思います)。

20171214 KC 11

いやぁ~ 美しいし歴史的にも楽しい話ですが、話を戻してグディ・ジーン地区ですね(汗)

堤防沿いを歩くとすぐに中国廟の「建安宮Kuan An keng Shrine」です。ワット・カンラヤナミットも建安宮も、そしてこの後に登場するサンタクルーズ教会もチャオプラヤー川を正面として建てられています。

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タイ寺院、中華廟、カソリック教会が並んでチャオプラヤー川に向かって建っている・・・これは陸上交通が発達する以前で水上交通が主だったタイの都市、特にトンブリー地区で強く言える事以外にもこの地区が持つ歴史的な意味を現しているように思えます。

20171214 KC 14

ここも現地の説明板に寄ると・・・タークシン王に従った華人達によってトンブリー王朝時代に建てられたそうです。元々は二つの廟(Cho Sue Kong ShrineとKuan-U Shrine)だったのがラマ3世時代に一つになったようです。

20171214 KC 13

この事からこの地に多くの華人が住み着いた事が分かります。これがこの地区が「グディ・ジーンKudi ChinあるいはKudeejeen」と呼ばれる理由です。ジーンとは中国を意味し、グディは・・・この街歩きの最中に何人か地元の方に尋ねましたが、私のタイ語では解かりませんでした。どうも寺より小さな意味で仏教に関係した建物(僧院)のように思えます。

アユタヤを捨てトンブリーに王宮を建て、城壁と堀で王宮エリアを囲ったタークシン王は・・・城壁の南側にあるバンコクヤイの対岸に(まだワット・カンラヤナミットが無い時代)この地まで付き従った華人たち、そしてポルトガル傭兵たちを住まわせたのです。

そしてここはタイ人、華人、ポルトガル人傭兵・・・彼らとその子孫が中華廟や教会の宗教施設を中心として住むグディ・ジーンになったのです。

次回はサンタクルーズ教会に向かいます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き

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2017.12.14 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、このシリーズもだいぶ長くなりましたが・・・次回からは旧王宮エリアと城壁跡を離れ、バンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩きます。

20171213 BY 1

今日はその予告と、前回まででトンブリー王朝で私自身が理解を深めた点をまとめます。

まず次回からの予告編ですが、(今までも同じですが)既に何度か歩いた所、そして本ブログで過去にエントリーした事もある所もあります。それでも新たに気づいた事が多くあります。

ポルトガル傭兵に与えられた地・グディ・ジーン
20171118 Thonburi 1

世界唯一のタイ様式モスク・バーンルアン・モスク
20171118 Thonburi 11

トンブリー王宮近くのモスリム居住区
20171213 BY 2

タークシン王に忠義を貫いた二刀使いの武将・ダープハック
20171213 BY 3

珍しい仰向けの涅槃仏・ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーン
20171213 BY 4

非常に珍しく美しい28体の仏像・ワット・アブソンサワン
20171213 BY 5

水の上に建つ美しい仏教建築は・・・
20171213 BY 6

バンコクヤイ運河で遊ぶ子供たち
20171213 BY 7

モン運河が行く着く所は・・・
20171213 BY 8

トンブリーの古い現役薬局
20171203 Thonburi 1

いやぁ~ これからもすごく長くなりそうですねぇ・・・それだけ面白い所ですし、すでに一か月以上丁寧に街歩きをすると、次々と分からない事も出て来るのです。

元々メジャーな所、日本人が多い所、すでに多くネットで紹介されただろう所を意識して強く避けているブログですが、どんどんディープになって行く気がしています(笑)

さて、前在住時から始まり今の三年近い街歩きの日々で、トンブリーと呼ばれる地区を何度も、どこでも歩き尽したように思っていましたが、何も分かってなかったと思い知った今回の街歩きです。

今回、トンブリー王朝に関して私自身のそれまで理解が間違っていた事を街歩きの中で学びました。その中でも大きな勘違いだったのは、以下の3点です。

1、タークシン王がアユタヤを捨ててトンブリーに王朝を建てた時、その地は何も無かったチャオプラヤーに接して漁村が点在するだけの寂れた所では無かった。(画像下はバンコクノイ博物館からです)

20171213 Map 1

もちろんアユタヤに比べようも無かったでしょうが、トンブリー王朝の二百年以上前にチャオプラヤー川はショートカットが掘られて現在の流れになっています。そして右岸にはワット・アルンとワット・ラカン、そして左岸にはワット・ポーとワット・マハータートユワラートランサリットの前身であるお寺が川沿いにありました。

何よりもアユタヤをチャオプラヤー川を遡る外敵から守る為、西洋式の大きな星形城塞も両岸にあった(西側は未完成)戦略上重要な地であったのです。(画像下はバンランプー博物館からです)

20171213 Map 2

20171213 BY 10

その城塞とワット・アルン前身のお寺の間を王宮としたのです。

タークシン王がこの地を首都とした時はすでに、西洋人が(左岸を?)バンコクと呼ぶ由来となった「Bang Ko」あるいは「Bang Makok」(Bangは水辺の村、Koは島、Makokはある植物)で想像するような川沿いの村では無かったのです。(画像下はバーン・グディ・ジーン博物館からで、初期のトンブリーと思われますがすでにBancockとなっています)

20171123 Map 2

2、トンブリー王朝は右岸(西側)、その後に現在まで続くチャクリー王朝は左岸(東側)・・・と思い込むのは少し違うかも。

もちろん(後の)ラマ1世が王宮を右岸から左岸に移したのは事実ですが、その時にラマ1世がラッターナコシン島を新たに造ったと(私が勝手に)思っていたのは少し違いました。

驚いたのはタークシン王が命じて東側にもラッターナコシン島の元の形となった城壁と堀を造らせている事です。ラマ1世はその中央あたりに王宮を建て、やがてその外側に堀と城壁を造り首都を広げて行ったのです。

20171130 Thonburi 12

それではチャクリー王朝になってチャオプラヤー川西側は見捨てられたのでしょうか?

実は、トンブリー王朝の王宮があったワンダーン宮殿ではチャクリー王朝になって規模を縮小(ワット・アルンとワット・モリ・ロカヤラムを宮殿から外す)したものの、ラマ5世まで王族を住まわせました。ラマ3世、ラマ4世、そしてピンクラオ副王(ラマ4世治世下)がこの宮殿で生まれています。

20171209 Thonburi 21

その後、近代化を急ぐラマ5世治世下でチャオプラヤー川西岸を大きな敷地を必要とした国鉄、病院、海軍とに割り当て、トンブリー旧王宮エリアが今の形に変貌して行ったは、すでに本シリーズで書いている通りです。

3、バンコクの歴史を考えるとチャクリー王朝(1782年~)でもトンブリー王朝(1768年~1782年)の始まりではなく、チャオプラヤー川が今の流れとなったショートカットが掘られた時代(1542年)まで遡る必要があります。

当たり前過ぎるのかも知れませんが、今の街を丁寧に歩き、過去に行った事がある博物館も気になれば何度も通い、歴史を調べると・・・そんな当たり前の事を再認識します。

20171213 Map 4

チャオプラヤー川の流れを変えるショートカットはアユタヤ時代に始まり、外海と首都を行き来する船の通行を改善する為と言われています。博物館や現地での説明板には1522年、1538年、1542年と色々な記載があるのですが、バンコクヤイ運河やバンコクノイ運河などの場所と工事開始や掘削完了などの違いに寄るかと思います。本ブログでは現在の流れ(ワット・ポーとワット・アルンの間)になったのは1542年(仏歴2085年)としています。

1542年の日本は・・・1560年が桶狭間の戦いなので、(真偽は別にしてドラマ的には)井伊直虎の子供の頃かと思います。そんな時代に大工事が出来たのは、1511年にタイ初の西洋との接触となったポルトガルの技術も使われたのでしょう。(画像下はバーン・グディ・ジーン博物館です)

20171213 BY 9

王宮エリアでのチャオプラヤー川が1542年に今の流れになって、アユタヤを守る要塞が両岸に造られました。アユタヤ王朝ナーラーイ王時代に影響力を強めたフランス、王の死後のシャム革命や1688年にこの星形要塞に籠城したフランス軍をシャムの大軍が包囲した戦いもありました。画像下は1691年に描かれたもので、チャオプラヤー川にバンコクヤイ運河も描かれています。

20171213 Map5

この戦いの80年後にこの城塞(西側)はタークシン王がトンブリー王朝を興した地となるのです。その時にタークシン王に付き従ったポルトガル人傭兵たちに与えられた土地が・・・次回に登場するトンブリー王朝城壁の南側、グディ・ジーンです。

私はタイの歴史を学んだ事もなく、もちろん研究者でもありません。ただの街歩き好きな年寄りで、しかもネットで何か調べものをするのが大嫌い。ただ街歩きだけで見聞きし学んだ事を勝手に推測している事ばかり。間違っている事も多いでしょうが、ご勘弁ください。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内

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2017.12.12 | コメント(0) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内

街歩きの楽しさの一つは、その街が持つ歴史に想いを馳せる事ではないでしょうか。

現在のバンコク都とその周辺でそんな歴史を感じ取れるのは・・・現チャクリー王朝の王宮が置かれバンコクの基礎となったラッターナコシン島、そしてその前王朝であるトンブリー王朝が置かれたチャオプラヤー川右岸(西側)のトンブリーです。画像下はワット・スワンナラムの壁画です。

20171209 Thonburi 1

そのトンブリーで、たった一代15年間のトンブリー王朝の面影を探しながら、地図にも載らないような路地を歩き回り、またバンコクの魅力を再認識した・・・そんな小さな小さな旅です。

トンブリー、私自身は17年前の前在住時から知っているつもりだったのですが、結局何も知らなかった・・・いえ、何もまだ分かっていないのです。

本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2

今まではトンブリー王朝の王宮があった宮殿周辺、そして旧王宮エリアを囲んだろう城壁跡を探して街歩きをスタートしました。今は全くその跡が無い城壁ですが、その外堀だった運河周辺を歩くと・・・どこか懐かしく思える路地が続いていました。

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さて・・・城壁跡とその外側にあった堀を追っての街歩きはタイ国鉄バンコクノイ駅跡地で終え、城壁内中央部を歩いてみましょう。チャオプラヤー川に沿って南下します。

シリラート病院内にはいくつかの博物館もあって、タイ医学の歴史も興味あるのですが、近寄るどころか考えたくもない博物館もあるので、さりげなくスルーです(笑)本当に臆病者で情けないです。

20171207 Map 1

シリラート病院の南隣は「ワンラン市場Wanglang Siriraj Market」です。市井の生鮮市場とは異なり雑貨に衣料そして食べ物や屋さんが多く、トンブリー旧王宮エリアの中で一番の賑わいがある所でしょう。

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現地説明板によるとシリラート病院を含めこの地はラマ1世治世下で「Phra Ratchawang Bowornsathan Phimuk」(Bowornsathan Phimuk宮殿)だったそうです。調べてみましたがその宮殿に詳細は分かりませんでしたが、王族の屋敷があったのでしょう。画像下で右がシリラート病院で左はワンラン市場です。

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チャオプラヤー川に沿った小路には洒落たカフェも多く、対岸のタマサートの学生さんやシリラート病院にお勤めの方々も通勤や通学の寄り道に使われているようです。とにかく人が多いのが誰にも共通する印象でしょう。

20171209 Thonburi 4

この辺りはトンブリー側でチャオプラヤーに面した交通の便が良くない所なのですが、多くの人が集まる動線となっているのがワンラン船着場です。対岸の「プラチャン船着場Tha Phrachan」「マハラジ船着場Maharaj」「ター・チャン(船着場)Tha Chang」から渡し船があって両岸を行き来する玄関になっているのです。

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おまけに、チャオプラヤー・エキスプレス・ボートの「N10 右岸 プランノックPhran Nok(ワンラ船着場)」まであります。

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実は・・・トンブリー王朝の旧王宮エリアでバンコクヤイ運河からバンコクノイ運河までのチャオプラヤー川右岸(西側)で、ここに住む庶民が行き来するのはここだけなのです。他は海軍施設とワット・アルンにワット・ラカン、そしてシリラート病院が川岸を占めています。

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トンブリー王朝の旧王宮エリアで北側は、チャクリー王朝になってから非常に広大な敷地を要した病院と鉄道駅の施設が建てられました。それは中央部から南側に多い海軍施設も同じで、トンブリー王朝時代に割り当てられた王族、高級官吏、軍人達の家々、土地が使われたのだと考えています。

20171209 Map

それが顕著に現れたのがラマ5世治世下(1868~1910年)で近代化を急ぐ王にとって、チャオプラヤー川西側の地が絶好だったのでしょう。そう言えば、城壁の外側になりますが海軍本部の前には「海軍の父」と呼ばれている、ラマ5世の28番目の男子「チュムポーンケートウドムサック親王像Krom Luang Chumphon Monument」があります。

20171209 Thonburi 10

ワンラン市場の南にはトンブリ王朝時代の名で「ワット・バンワーヤイWat Bangwa Yai」、現在の「ワット・ラカンWat Rakhang」ことワット・ラカンコシターラームです。創建はアユタヤ時代と言われていますが、現在のショートカットの流れになった1542年以降の事でしょう。

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ここもバンコクノイ博物館に古い画像があったので、現在と同じ構造で撮ってみました。

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画像上で写っているワット・ラカン船着場へは対岸のター・チャン(船着場)から渡し船で行けます。ターチャンの前はワット・プラケオでバンコクで一番観光客の密集度が高い所でしょう。その観光客で対岸のワット・ラカンへ渡る人はほんの少しです。

さて、1769年にタークシン王はワット・バンワーヤイを王宮寺院にしていますので、ワット・ジェーン(現在のワット。アルン)に次いでトンブリー王朝にとって重要なお寺だったと思われます。ラマ1世治世下で境内から鐘(タイ語でラカン)が見つかった事からワット・ラカンと呼ばれるようになりました。

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境内には多くの鐘が吊り下げられ、祈りを込めて叩かれる方々で鐘の音が絶える事はありません。トンブリー王朝旧王宮エリアで最も参拝者が多いお寺であるのは間違いないです。この鐘に関係する話やお守りのプラクルアンの話などこのお寺に関してはキリが無いのですが・・・

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このワット・ラカン境内には当時タークシン王配下の将だったチャオプラヤー・チャックリーの住居が残されています。後にタークシン王を処刑しチャクリー王朝を興したラマ1世です。

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250年近い前の事なので再建だと思いますが、案外質素な事に驚きます。家自体や内部の再現度は別に、この家が置かれた位置と王宮(ワン・ダーン宮殿)との距離が興味深いです。

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トンブリー王朝はアユタヤ王朝を滅ぼしたのではなく外敵ビルマに寄って滅ぼされたので、タークシン王に従った軍人、華人、傭兵などの部隊以外に王族、貴族、高級官吏も付き従ってこの地に来たと思われます。

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王宮の北、(城壁の内側で)ワットアルンより北にはタークシン王に従った王族、貴族、高級官吏、将軍などが居住エリアとしたように思えます。その一つがワット・ラカン内のチャオプラヤー・チャックリーの住居です。

それらの地の多くはラマ5世治世下の近代化によって、国鉄敷地、最初の近代的な病院、そして海軍の基地となったのではないでしょうか・・・

さて、トンブリー王朝の旧王宮であるワン・ダーン宮殿からバンコクヤイ運河、そして城壁沿いを北にバンコクノイ運河まで歩き、その後はチャオプラヤー川沿いにワット・ラカンまで南下しました。ワット・ラカンの南は海軍施設でその南はワット・アルンにワン・ダーン宮殿(画像下)とスタートに戻ります。

20171209 Thonburi 21

トンブリー王朝の旧王宮エリアを歩く旅も今回が最終回ですが、次回からは城壁の外を歩きます。城壁内は王族、貴族、高級官吏、将軍に高級軍人の地であったでしょうが、城壁の外は傭兵、そして職人や商人が住んだと思われます。そんな地を歩きます。

最後に、トンブリー王朝の旧王宮エリアを走る路線バスは少々使い難いのが本音です。アルンアマリン通りを通して走るバスはなくて、イサラパップ通りと半々で走るからです。

私自身はブログ内で書いて来た渡し船を使う事が一番多いです。その時の状況によりター・ティアン、ター・チャン、ター・プラ・チャン、マハラジ船着場、プラチャン船着場からトンブリー側へ渡ります。渡し船の詳細は「チャオプラヤー渡し百景4」「チャオプラヤー渡し百景5」をご覧ください。

20171211 Boat

あまり慣れていない方は(私はBTSを使わないのと、観光客が多すぎるので好きではないのですが)チャオプラヤー・エクスプレス・ボートでワット・アルン船着場かプランノック船着場(ワンラ船着場)で降りるのが一番簡単です。チャオプラヤー・エクスプレスのエントリーは非常に多いのですが、「激変のチャオプラヤー・エクスプレス最新事情」から全てのエントリーにたどれます。

どうしても路線バスを使う場合は、アルンアマリン通り北側でトンブリー駅に近く、シリラート病院裏を通るのが、以下のバスです。

57番 チャオプラヤー側西側で南北の楕円状になる循環路線
81番 プッタモントン・サーイ5~バーンワー駅~ピンクラオ橋
91番 アサンプション大学トンブリー校~バンワー駅~民主記念塔
146番 新南バスターミナルなどチャオプラヤー川西側の循環路線
149番 プッタモントンサーイ2~ウォンウィエンヤイ~エカマイ
157番 オームヤイ~バンワー駅~戦勝記念塔~北バスターミナル
177番 バンブアトン~戦勝記念塔の循環路線
710番 ラチャプルック駅発のチャオプラヤー川西側循環路線

上記のバスはシリラート病院裏とアルンアマリン橋の短い区間だけですが、その中で57番710番はワット・アルン裏まで走ります。この路線が一番今回のエントリー地区に近いのですが、走行ルート全てがチャオプラヤー西側なので一般的には使い難いかと思います。

20171130 Bus

さて・・・一代15年、そのほとんどが戦い続きでしっかりした街造りが出来ないうちに、タークシン王をは処刑されました。すぐに都が左岸(東側)に遷都されたので、トンブリーには今のバンコクとは異なる当時の面影が色濃く残っているのかも知れません。

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2017.12.10 | コメント(6) | バンコク街歩き

ついにKYOTOがシーコンにやって来た

最近、どうも新鮮味が無くなったと思う本ブログですが・・・このブログの定番ネタの一つに近所のショッピング・モール「シーコン・スクエアSeacon Square」の催しがあります。

20171208 Seacon 4

これが毎回かなり楽しみなのでが、今回は今日(12月8日)からなんと京都がテーマです。

さて・・・常夏のバンコクにもクリスマスツリーが飾られる12月ですが、在タイ日本人の方々でもこの年末年始に一時帰国する準備をされる方がおられるのではないでしょうか。

私は今年も戻れそうもありません。日本へ戻ってないのはそろそろ2年近くになりますが、27年を超える海外暮らしの中でこれほど日本に戻らない期間が長かった事はありません。

働いていた時は仕事での一時帰国もありましたし、年末年始は毎年日本で過ごしていましたからねぇ~ この休暇の為に一人海外で毎日頑張っていたようなものです。

20171208 Japan 1

年末年始は横浜の家に戻り、実家があったお江戸・深川に行くのが常でした。両親が亡くなってからも初詣は深川でした。画像上は成田山新勝寺東京別院深川不動堂ですが、このお寺の隣が富岡八幡宮で私も氏子だったですし、子供の頃からの遊び場でもあったのですが・・・昨夜から大変な騒ぎになってしまっています。

話を変えましょう。関東以外では京都へ行くのが一番多かったです。目的は観光ではなく祇園や上七軒のお茶屋さん、置き屋さん、料亭で和を味わう事でした。

20171208 Japan 2

なぜか若い時から海外から京都へ通っていました。若い時だけでなく・・・家族を連れてや・・・家内と二人でも行ってました。画像下は珍しく置き屋さんでの写真ですねぇ~ 少々酔って危なっかしいのですが(笑)すぐ横にちゃんと家内も一緒です。(念のために書きますが、右隣ではなく舞妓さんの左にいます)

20171208 Japan 3

祇園の寿司割烹『なか一』さんの大将との写真ですが、ここでは伝説の食べっぷりで名が通っていたのですが、今の二代目になってから行った事はありません・・・

20171208 Japan 4

今の京都は・・・なにかわさわさして落ち着きがないので行く気がしません。もっともお金がないのが本当の理由ですが(苦笑)

さて、年寄りの昔話と自慢話はこの辺で止めて・・・

そんな私を誘いたいからでしょうか・・・シーコンスクエアに『京都の遺産』(何かちょっと変)がやって来ています。画像下はSeacon Squareのサイトから拝借です。

20171208 Seacon 1

笑っちゃうぐらいコテコテの日本イメージで固めています。焼き芋がなぜ京都なのか? 阿波踊りにいたっては『違うだろうー!!』と今年の流行言葉すら思い出してしまいます(笑)

いずれにしても、シーコンスクエア(シーナカリン)は本当に頑張っています。週に2日は歩いて買い物に必ず行きますし、映画もほとんどここで観ています。

そんなシーコンでの催しは過去以下の様にエントリーしています。都心部にお住まいの方はちょっと遠いかも知れませんが、遊びに来ると私に遭遇するかも知れません(笑)

ワット・ポーがやって来たシーコン・スクエア
イタリア・ブラーノ島が現れたシーコンスクエア
孫悟空とドラゴンが現れたシーコンスクエア
少数民族がやって来たシーコン
江戸とマグロ解体ショーがやって来たシーコン
遷都200年の街角再現「クルンテープ2525」@シーコン(後編)
シーコン・スクエアにコボリ(メナムの残照)現る
近所にJAPANがやって来た シーコン・スクエア

実は日本に関する催しが多いのですよねぇ~ 去年はゴジラもやって来ています。

20171208 Seacon 3

さて、シーコンスクエアの『京都の遺産』は本日12月8日から17日までの開催です。

タイの方々が想う京都はどんな感じでしょうか・・・中央に「東寺の五重塔」です。日本人なら誰もがフォルムが違う事に違和感を感じるでしょうが、まぁ海外のショッピングモールの催しなので、ありがちな形でも仕方ないですね。

20171208 Seacon 2

催しスペースの左右に「伏見稲荷」と「清水寺の音羽の滝」が置かれています。伏見稲荷に関しては言葉が見つかりませんが(笑)赤鳥居は日本を象徴する一つなのでしょう。もちろん滝の水を飲む人はいないです(大笑)

20171208 Seacon 5

20171208 Seacon 6

ここまでは、頑張っているなぁ~ 良く出来ているなぁ~ と思っていたのですが、「傘地蔵」に至っては・・・私自身何だか分からず考えてしまいました(汗)童謡で京都に特に関係があったのかなぁ~って。

20171208 Seacon 7

まぁ、傘地蔵は雰囲気的にOKかな・・・とも思うのですが、会場全体に流れているのが阿波踊りのお囃子で、太鼓、鉦(かね)、三味線のリズミカルな音が流れています(笑)

20171208 Seacon 8

徳島の方も京都の方もこれは受け入れられないでしょうが、タイの皆さんと深川の私はこれも妙に合うので不思議に思わないのかも(笑)招き猫が焼き芋を売っているのもヨシでしょう。

20171208 Seacon 9

出店は「なんちゃって系」がほとんどですが、頑張って日本に関係ありそうな店を集めたのでしょう。たこ焼きにお好み焼きから、カレーやスイーツもあります。

20171208 Seacon 10

20171208 Seacon 11

私は夕食のおかずになりそうなトンカツ、大きな一枚が120バーツを買いましたが・・・今晩食べますが、はたしてどうでしょうか?

20171208 Seacon 12

さて・・シーコンへの行き方は何度も書いていますが、「シーコン・スクエア 活用術」で詳しく説明しています。

年末年始に日本へ戻りたくても戻れない方は・・・こんな所で(笑いながらも)タイの人々と一緒に日本を感じるのも良いかも知れませんね。

20171208 Seacon 13

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2017.12.08 | コメント(6) | ショッピング

トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2

街歩きの楽しさの一つは、その街が持つ歴史に想いを馳せる事ではないでしょうか。

現在のバンコク都とその周辺でそんな歴史を感じ取れるのは・・・現チャクリー王朝の王宮が置かれバンコクの基礎となったラッターナコシン島、そしてその前王朝であるトンブリー王朝が置かれたチャオプラヤー川右岸(西側)のトンブリーです。

20171207 Thonburi 1

そのトンブリーで、たった一代15年間のトンブリー王朝の面影を探しながら、地図にも載らないような路地を歩き回り、またバンコクの魅力を再認識した・・・そんな小さな小さな旅です。

トンブリー、私自身は17年前の前在住時から知っているつもりだったのですが、結局何も知らなかった・・・いえ、何もまだ分かっていないのです。

本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1

まずはトンブリー王朝の王宮があった宮殿周辺、そして旧王宮エリアを囲んだろう城壁跡を探して街歩きをスタートしましたが、この城壁跡は現在あるのでしょうか?

結論から言えば・・・徹底的にトンブリー側(チャオプラヤー右岸)とラッターナコシン川(左岸)をローラー作戦で歩きましたが、まったくありません。

20171207 Thonburi 2

前回はトンブリー王朝の旧王宮エリアを囲う城壁や堀の跡を追い、モン運河からバーンカミン運河沿いを歩き、ワット・ヴィセカーンまで来ました。このお寺はバーンカミン運河の元の名となっていますし、この周辺の多くの通り名になっています。

今回は城壁があった北端バンコクノイ運河、そしてこの運河がチャオプラヤー川に出合う所まで歩きます。

20171207 Map 1

城壁の外堀となっていたバーンカミン運河はワット・ヴィセカーンの北で、タイ国鉄南本線「トンブリー駅Tohonburi St」終端線路に行き着きます。線路と交差する手前で暗渠となって追う事が出来ず、そのままバンコクノイ運河に流れているのかも外からは見えません。

20171207 Thonburi 11

タイ国鉄の線路に行き着くと・・・今まで歩いて来たトンブリーの様相は一変します。風情ある小路に細い路地はなくなり、終端線路周辺の広く荒れた野原に広大な敷地に建つ病院ビルの二つしかないのです。画像下の線路下に暗渠があると思うのですが・・・

20171207 Thonburi 3

画像上で奥の橋はアルンアマリン通りがバンコクノイを渡る「アルンアマリン橋Arun Amarin Bridge」で、その橋の奥にあるビルは前国王が昨年2016年に亡くなられた「シリラート病院Siriraj Hospital」です。1888年創立でタイ最古で最大の病院と言われています。画像下のビル全てがシリラート病院です。本当に大きいですねぇ~

20171207 Thonburi 12

古い地図だと城壁はここで直角に曲がり、バンコクノイ運河に沿ってチャオプラヤー川との合流する所まで続いていますが、ここも全くその形跡すら感じません。

20171207 Map 2

またバンコクノイ博物館にバンコクノイ運河の古い写真が何枚かありました。写真ですから古くても1800年代後半でしょうから、現チャクリー王朝になってからのものです。場所が特定できませんが、バンコクノイ運河でも奥ではないかと思います。

20171207 Thonburi 9

さて、画像下はアルンアマリン通りの橋の上から東側のバンコクノイ運河を撮ったもので、奥がチャオプラヤー川合流点で、右がシリラート病院で左が「王室御座船国立博物館National Museum of Royal Barges」です。

20171207 Thonburi 4

次に画像下はアルンアマリン通りの橋の上から西側のバンコクノイ運河を撮ったもので、左にトンブリー機関車整備場の給水塔、そして手前のだるま船が停泊している辺りがバーンカミン運河暗渠の出口になるはずですが・・・まったく見えません。

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また画像下はチャオプラヤー川上からバンコクノイ運河合流点を撮ったもので、アルンマリン通りの橋の向こうには「トンブリー機関車整備場Thonburi Locomotive Garage」(画像下の下)の給水塔が写っています。

20171207 Thonburi 5

20171120 Thonburi 13

次に画像下はバンコクノイ運河の北側から合流点を撮ったもので、チャオプラヤー川の向こうにはタマサート大学の象徴的なの時計台の三角屋根、そしてその左には王宮広場に建てられた前国王火葬の場となった黄金の塔が小さく見えています。

20171207 Thonburi 6

また上の画像でバンコクノイ運河の対岸でチャオプラヤー川との角には、木々の向こうに蒸気機関車が見えていますが、分るでしょうか? 対岸に戻りシリラート病院の裏(チャオプラヤー川沿い)に行くと、日本製のSL「ミカド」が置かれています。

20171207 Thonburi 7

またすぐ近くにあるチャオプラヤー・エクスプレス・ボートの船着場は「N11 右岸 ロットファイThonburi Railway」英語表記を訳すと「トンブリー・鉄道駅桟橋」です。この船着場から現在のトンブリー駅まで歩くと30分はかかるのですが・・・

20171207 Thonburi 8

ここからはトンブリー王朝とは関係ないのですが(汗)日本製SLが置かれていたり近くの船着場名が鉄道駅となっているのは、このバンコクノイ運河とチャオプラヤー川が合流する角にタイ国鉄南本線の終着駅「バンコクノイ駅Bangkok Noi St.」があったのです。

20171207 Thonburi 10

タイ国鉄南本線は1927年開通のチャオプラヤー川上流に最初に架かったラマ6世橋(画像下)の開通で、チャオプラヤー川左岸(東側)に渡り多くの列車がファランポーン駅発になりました。ただ、正式にはまだトンブリー駅が南本線が起点となっていて、タイ国鉄の距離表を見るとトンブリー駅は起点駅から0.87kmとなっており「Distance measured from defunct Bangkok Noi (old Thon Buri) Station」とあるので、まだバンコクノイ駅はタイ国鉄の距離表の中に生きているように思えます。

20171207 Rama 6 Br

バンコクノイ駅は1903年開業で2003年だったか?敷地をシリラート病院に明け渡し現在のトンブリー駅へ移りました。800mぐらい西へ引っ込んだ感じです。現在は上記のSLミカドとレンガ造りの時計台が残っています。二つ上の古い写真でも写っていますねぇ~ そしてアルンアマリン橋がまだ架かっていません。

こんな話の流れで出すのが恥ずかしいぐらいですが、タイ人なら誰でも知るだろう映画やドラマの『クーカム』(メナムの残照)の重要な舞台になっています。今回のトンブリー、そしてバンコクノイ自体がこの物語の舞台なのです。下の画像・・・四つ上の画像とそっくりですね(苦笑)

20171207 Seacon

私のアパート近くシーコン・スクエアの催しでも画像上のようになったぐらい、シンボリックな駅です。ちなみに第二次世界大戦中の空襲による被害をこの駅も受けています。

さらに脱線話ですが、バンコクノイ博物館(高校内に郷土資料室のようです)で私が日本人だと知ると、「コボリが勤めていた基地は・・・」「アンスマリンの家はあの辺り」など話に花が咲き、記念撮影までさせられました(笑)

話がそれ過ぎました(汗)トンブリー駅の事などまた別途詳しく書く予定でいます。

さて・・・現在はシリラート病院、少し前まではタイ国鉄のバンコクノイ駅があったバンコクノイ運河とチャオプラヤー川の合流点、トンブリー王朝時代は何があったのでしょう。詳しい事は分からなかったのですが、どうも水運の中継点(ある意味港のような)であったようです。それがバンコクノイ駅に受け継がれたのでしょう。

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この合流点でバンコクノイ運河の北側は水路に面して倉庫が並び、造船所もあったようです。その流れが王室御座船国立博物館(画像上)かも知れませんし、ピンクラオ橋の近くには(たぶん)古代造船所跡地(画像下)も見られます。

20171207 Thonburi 19

城壁跡とその外側にあった堀を追っての街歩きはこれで終了です。次回は城壁内中央部を歩いてみましょう。チャオプラヤー川に沿って南下します。

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2017.12.07 | コメント(0) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1

街歩きの楽しさの一つは、その街が持つ歴史に想いを馳せる事ではないでしょうか。

現在のバンコク都とその周辺でそんな歴史を感じ取れるのは・・・現チャクリー王朝の王宮が置かれバンコクの基礎となったラッターナコシン島、そしてその前王朝であるトンブリー王朝が置かれたチャオプラヤー川右岸(西側)のトンブリーです。

20171205 Thonburi 1

そのトンブリーで、たった一代15年間のトンブリー王朝の面影を探しながら、地図にも載らないような路地を歩き回り、またバンコクの魅力を再認識した・・・そんな小さな小さな旅です。

トンブリー、私自身は17年前の前在住時から知っているつもりだったのですが、結局何も知らなかった・・・いえ、何もまだ分かっていないのです。

本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く

まずはトンブリー王朝の王宮があった宮殿周辺、そして旧王宮エリアを囲んだろう城壁跡を探して街歩きをスタートしましたが、この城壁跡は現在あるのでしょうか?

結論から言えば・・・徹底的にトンブリー側(チャオプラヤー右岸)とラッターナコシン川(左岸)をローラー作戦で歩きましたが、まったくありません。

20171205 Thonburi 2

前回はトンブリー王朝の旧王宮エリアを囲う城壁や堀の跡を追い、ワット・アルン運河からバンモ運河沿いを歩き、ワット・ナック・クラン近くでモン運河(画像上)と交差する所までを書きました。今回はそこから北へ向かいます。

2171205 Map

「モン運河Khlong Mon」はチャオプラヤー川からほぼ真西へ向かう3㎞ほどの運河で、西で「バンクンシ運河Khlong Bang Khun Si」(バンコクヤイ運河とバンコクノイ運河を繋ぐチャオプラヤー川の昔の流れ)と交錯した後に二股に別れます(画像下のすぐ先)。

20171205 Thonburi 4

現地説明板によるとこのエリアにモン族入植地があったからモン運河と呼ばれ、「バーンサオトーン運河Khlong Bang Saothong」と呼ばれた事もありました。重要な水路の為に途中で輸送や行き交う人々のチェックポイントが設けられ、モン族がそこで働いていたとあります。

20171205 Thonburi 3

さてモン運河から「バンコクノイ運河Khlong Bangkok Noi」まで続く「バーンカミン運河Ban Khamin」を追って北へ向かいましょう。トンブリー王朝王宮エリアを囲んだ城壁(実際は城柵程度だったのかも)のすぐ外側(西側)にあった堀です。(画像下でピンク色に家の向こうが運河口です)

20171205 Thonburi 5

アルンアマリン通りで北側へ渡り、最初の路地ソイ・ワット・プラヤタムへ入ります。すると目の前に非常に印象的な仏塔が待っています。

20171123 Thonburi 1

仏塔に目を奪われているうちにバーンカミン運河を渡りますが、意識しなければただのどぶ川ですが鉢植えが多く置かれて運河が見えませんねぇ。

20171205 Thonburi 6

細く短い路地を抜けたら目の前は「ワット・プラヤタムWat Phraya Tham」です。これも現地説明板によると建てられたのはアユタヤ時代だそうで、以前の名は「ワット・ナックWat Nak」です。

20171205 Thonburi 7

そしてこの仏塔の前にもタークシン王像が置かれています。しかし・・・私的にはここはタークシン王を置かないで、この周囲をもっと整備して保存すべき仏塔に思えるのです。

20171120 Thonburi 2

それは、バンコク・ノイ博物館に年代は不明ですが古い写真があったのですが、この写真を見た時後にもう一度ワット・プラヤタムへ行って見直したぐらいのすばらしさです(保存状態は悪いのですが)。

20171205 Thonburi 8

さて、アルンアマリン通りに戻ってもつまらないので、ワット・プラヤタム前のソイ・ワット・プラヤタムをバーンカミン運河に沿って北へ向かいます。路地は車一台がやっと通れるぐらいで物売りが行き来しています。

20171130 Thonburi 1

そしてこの路地はイサラパップSoi44の北で「ソイ・バン・チャンローBan Chang Lo」と名を変え「ワット・ヴィセカーンWat Wisetkan」まで続きます。すなわち、二つのお寺を結ぶ南北の小路なのです。

20171111 Thonburi 1

興味深いですねぇ~ 城壁の外に堀があって、そのすぐ外側に並行する小路があり、その南端がワット・プラヤタムで北端がワット・ヴィセカーンだなんて・・・もっとも城壁が一番最後で、運河(水路)と寺を繋ぐ小路が先になったのしょうが。

20171205 Thonburi 9

この小路の両側は下町そのものの家が並んでいます。一階が商店になっていたり小さな工場にもなっています。そして家々の隙間から時々バーンカミン運河が見えます。画像下のような猫道を行くと運河に出合えます。

20171111 Thonburi 2

20171123 Thonburi 16

南北の流れであるこのソイ・バン・チャンローとバーンカミン運河は、東西の流れであるイサラパップSoi44とそして「ワンラン通りwang Lang」と交差しますが、それぞれの角には記念碑や説明板が立てられています。

20171130 Thonburi 3

20171205 Thonburi 10

上の説明板はバーンカミン運河上にあって、タークシン王がチャオプラヤー川両側に幅6m長さ4㎞の堀を造るよう命じた事が書かれています。昔は堀沿いに家が無かったでしょうが、幅6mあったのでしょうか・・・

そして小路バン・チャンローの北端がワット・ヴィセカーンです。画像下で仏塔の裏にバーンカミン運河が流れています。

20171205 Thonburi 11

どこかで書いた記憶がありますが(汗)バーンカミン運河は当初ワット・ヴィセカーン運河と呼ばれていたそうです。ワット・ヴィセカーン自体は小さなお寺で由来など分からなかったのですが、この周辺の通りなどで多くこの名が使われている事から、このエリアの中心的なお寺だったのでしょう。

20171205 Thonburi 12

次回は北側でもチャオプラヤー川よりを歩いてみましょう。

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2017.12.05 | コメント(2) | バンコク街歩き

トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部

街歩きの楽しさの一つは、その街が持つ歴史に想いを馳せる事ではないでしょうか。

現在のバンコク都とその周辺でそんな歴史を感じ取れるのは・・・現チャクリー王朝の王宮が置かれバンコクの基礎となったラッターナコシン島、そしてその前王朝であるトンブリー王朝が置かれたチャオプラヤー川右岸(西側)のトンブリーです。

20171203 Thonburi 1

そのトンブリーで、たった一代15年間のトンブリー王朝の面影を探しながら、地図にも載らないような路地を歩き回り、またバンコクの魅力を再認識した・・・そんな小さな小さな旅です。

トンブリー、私自身は17年前の前在住時から知っているつもりだったのですが、結局何も知らなかった・・・いえ、何もまだ分かっていないのです。

本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側

まずはトンブリー王朝の王宮があった宮殿周辺、そして旧王宮エリアを囲んだろう城壁跡を探して街歩きをスタートしましたが、この城壁跡は現在あるのでしょうか?

20171203 Thonburi 2

結論から言えば・・・徹底的にトンブリー側(チャオプラヤー右岸)とラッターナコシン川(左岸)をローラー作戦で歩きましたが、まったくありません。画像上は「バンコクノイ博物館Bangkok Noi Museum」の展示ですが、私的には盛り過ぎかと思っています。

前回はトンブリー王朝の旧王宮エリアを囲う城壁や堀の跡を追い、南端の「バンコクヤイ運河Khlong Bangkok Yai」から「バンモ運河Ban Mo」沿いを歩き、ワット・アルン裏で「ワット・アルン運河Khlong Wat Arun」に交差する所まで歩きました。

20171130 Thonburi 10

今回はワット・アルンWat Arun(ワット・アルンラーチャワラーラームWat Arun Ratchawararam Ratchawaramahawihan)の裏からのスタートになりますが、ワット・アルン自体を本ブログで書く必要はないでしょう(汗)それこタイに初めての方が持つガイドブックからネットにもうじゃうじゃと書いてあるかと思います。

20171114 Arn

創建に関しては定かに分かっていないそうですが、ナーラーイ王(1656~1688年)時代にフランス人によって描かれ地図には存在するそうです。そのトンブリー王朝以前からあった寺をタークシン王が整備し「ワット・ジェーンWat Chaeng」と名付け王宮寺院としました。現在ワット・プラケオにあるエメラルド仏もワット・アルンに一時は安置されていました。

20171123 Thonburi 14

さて・・・街歩きのスタートですが、運河名がたくさん出て来ますので、一度整理をしましょう。

トンブリー王朝の旧王宮エリアを理解するのは必要なので、古い地図の画像がたくさん出て来ますが、ご勘弁下さい。上の地図はバンコクノイ博物館にあったトンブリー王朝の地図で、左が北なので注意して見て下さい。

20171203 Map 1

地図上に私が勝手に日本語を入れましたが、運河名は現在の名で、お寺は当時のままとしています。「ワット・ジェーン」とはワット・アルンの事で、「ワット・バンワーヤイ」とはワット・ラカンの事、東側の「ワット・サラク」はタマサート大学南隣のワット・マハータートユワラートランサリットの事です。訳を新旧混ぜてすいません。

現在の王宮やトンブリー時代の旧王宮が面していた今のチャオプラヤー川のショートカットを掘り始めたのが1542年だと本シーズ1回目で記していますが、アユタヤ王朝時代でトンブリー王朝の226年前の事です。

20171123 Thonburi 13

チャオプラヤー川が現在の流れになってからトンブリー王朝が興されるまでの226年間の間、そのどこかでトンブリー王朝の街造りで欠かせない運河が掘られた事になります。

上のトンブリー王朝の地図ではチャオプラヤー川を入口として西へ延びる東西の運河が3本あります。南からワット・アルン運河、モン運河、そして一番北のワット・ラカン運河で、この3本の運河を南北で縦に貫きバンコクヤイとバンコクノイを結んだのが「ワット・ヴィセカーン運河Khlong Wat Wisetkam」です。

ワット・アルン運河
20171203 Arun

モン運河
20171203 Mon

ワット・ラカン運河
20171203 Rakhang

この3本の運河を貫くワット・ヴィセカーン運河は現在のバーンカミン運河とバンモ運河と思われ、バンコクノイ博物館の展示によるとタークシン王がトンブリーを都とした時にすでに掘られていたとあります。モン運河もアユタヤ時代に造られたの記載を現地で読みました。

私が勘違いしていたのですが、タークシン王がアユタヤを捨ててこの地に来た時、ここは決して何も無かった水辺の小さな漁村が点在しただけの所ではなかったのです。

すでに200年以上前にショートカットが造られチャオプラヤー川の流れは変わり、その源流だったバンコクヤイとチャオプラヤーが合流する所の両岸にはフランスが造った砦があって、西側にはワット・アルンやワット・ラカンの前身のお寺が立ち、多くの運河が掘られていた事からここに暮らす人々も多かったと思われます。

20171203 Thonburi 3

その人々が暮らす家々の多くは唯一の交通手段だった水路に面して建てられた事でしょう。そうした所では地盤が悪く高床式で杭を打ち込んだ上に浮き家式居住区間を作ったと思われます。

アユタヤを捨てそんな地に移ったタークシン王が、この地トンブリーに王朝を建てた時の最初の仕事が都の中心となる王宮の境界線を造る事だったのではないでしょうか。

それが南はバンコクヤイ運河、北はバンコクノイ運河、そして西側はワット・ヴィセカーン運河の内側に城壁を造ったのではないでしょうか。

20171203 Ban Khamin

さて・・・歴史に想いを馳せるのはこのぐらいにして、前回のバンモ運河沿いを歩きワット・アルン運河に行き着いた後を書きましょう。

トンブリー王朝の旧王宮エリア全体に言える事ですが、その多くがタイ王国海軍施設になっているので入れないのがもどかしくてなりません。

20171203 Thonburi 4

これは現チャクリー王朝ラマ5世が近代化を急ぎ、王宮水軍レベルから近代海軍への転換の中でトンブリー王朝から続いた王族、貴族、宮殿などを地を海軍施設にしたらからです。

話を戻しましょう(汗)

20171203 Map 2

ワット・アルン運河からバンモ運河沿いに北に向かうと運河はアルンアマリン通りの下を通り反対側(西側)へ流れます。アルンアマリン通りに出ると、すぐ東西に流れるモン運河手前に「ワット・クルアワンWat Khrua Wan」があります。

20171203 Thonburi 5

数年前から何度か境内を見た事がありますが、真っ白な仏塔が印象的ながら特に歴史や由来は分かりませんでした。お寺のホームページではラマ3世治世下で建てられたようだとあるので、トンブリー王朝時代には関係ないのかも知れません。

ここでアルンアマリン通りを渡り、細い路地に入りバンモ運河を探します。ソイ・ワット・ナッククランに入ると・・・画像中央で路地が盛り上がっている所の下が運河です。

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こんな細い路地が迷路のように続くのがこのエリアの特徴の一つでもあるのです。この路地の突き当りが「ワット・ナッククランWat Nak Klang」です。

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このお寺は路地奥の小さなお寺で、周囲の家々や木々に埋もれそうなお寺ですが・・・トンブリーのお寺に多く見られるタークシン王像が置かれたお寺ながら、その多さとコテコテ度はかなりのものです。

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残念ながらこのお寺の由来など書かれた説明を見ませんでした。お参りする方も見かけず鶏が元気に境内で歩き回っている静かなお寺で、周囲の古い家並みに溶け込んでいるかのようにも思えます。

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周囲の細い路地は緑に溢れ、伸びた軒先と日よけの傘も日陰を多くつくり出しています。そんな路地奥にはモン運河が流れ、そこには特別な時の流れがあるかのように思えます。

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バンモ運河はワット・ナッククランの横でモン運河に行き着きます。そしてモン運河と交差するように更に北へ運河(堀)は延びますが、名をバーンカミン運河と変えます。

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次回はモン運河から北へ向かいます。

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2017.12.03 | コメント(2) | バンコク街歩き

ロングステイの生活費 11月分

今日は毎月一回の同じテーマの日で11月の生活費です。もう3年近く、生活費の中身を全て包み隠さず(笑)公開しています。

先月まではブログランキング参加中でしたので、この時だけこのタイトルを読まれてアクセスする方が多かったのが事実です。今はエントリー内容(タイトル)に関係なく日々、あるいは定期的にアクセス頂いている方々だけが読まれているので、毎回繰り返す主旨の説明も不要かと思います。

ただ、検索等でこの時だけたまたま読まれる方もおられるでしょうから、簡単に主旨を記しておきます。

本来、生活費なんて公開するものではないと思っています。また、生活費の内容はあまりにも私事過ぎるし、微妙な部分もあるのですが、ロングステイに関心がある方にとって、生活費を考えない人はいないでしょう。その意味で思い切って公開しています。

ブログ全体の主旨である『リタイアしたオッサンが誰の力も借りず、ネットの情報とは距離を置き頼らず、一人でタイで始めたロングステイの日々をありのままに綴る』のに、生活費は避けて通れないと思っています。

また、金銭的なことを書くと、どうしても安易な比較をしがちですが、人の数だけ異なるライフスタイルがあるのは当然で、それぞれが無理をせずに満足する時を過ごせれば良いのだと思います。本内容が何かの参考になれば幸いです。

それでは11月の生活費です。

--収入--

相変わらず収入は完全にゼロです。全くありません。わずかな年金や退職金は日本にいる家族が使うようにしています。収入が全く無いので自然と毎月節約志向が強まりますし、不安がないわけではありません。

もうビザ条件の金融機関預金最低額まで使っているので、次回のビザ更新時には何らかの対応が必要です。


--支出--

--アパート部屋代 8,500バーツ/月
賃貸料はすでに2年半以上同じです。アパート(本当はコンドミニアムと呼ぶべきなのかも)はバンコク近郊シーナカリン通りの高層階です。

大きなプールもジムもありますが、築後かなり経っていると思います。37㎡スタジオタイプでキッチンが独立してあるのが決め手でした。

20171201 Pool

荷物を増やさず、清潔を心がけています。悩みは・・・隣人たちの深夜過ぎの生活騒音は相変わらずです。蟻さんは油断すると出て来ますが、それより嫌な虫は部屋で見た事が無いです。

--電気代 776バーツ/月
エアコン・トラブル12回戦」経てオーナーが新品に交換してくれて半年以上。毎月電気代が100バーツ以上下がりました。

20171201 Room

エアコン以外の電気の使用ですが、昼食を除き100%自炊なので熱源として電気はかなり使う方だと思います。電気式のシャワー、冷蔵庫、扇風機、照明、テレビ、パソコンぐらいでしょうか。

過去最高は1,117バーツで、最低は706バーツですが、この時は旅行などで不在が多い時で参考程度でした。電力会社からの直接請求で支払っています(オーナー経由ではありません)。

--水道代 72バーツ/月 
アパート管理事務所から請求書が来ますが、なぜか時々来ません(笑)昨年は一年間請求がありませんでした。毎月50~70バーツ台だと思います。

--通信代 682バーツ/月
3BBのルーター・無線を部屋に設置して632バーツ/月。
スマホ・携帯電話が嫌いなので、プリペイドを毎月50バーツして受信専用のガラケーを維持しているだけです(笑)

--交通費 893バーツ/月
普段は1,500~2,000バーツなので最低月でした。理由はハッキリしています。10月後半から体調を崩し、11月はロングステイを始めて最低の体調でした。週に数日の買い物に出るぐらいで、たまにバスに乗っても翌日はダウンでした。情けない・・・

20171125 Bus 1

--食費 6,556バーツ/月
食事の内容は夜は完全自炊です。水やアルコールも含みますが、11月は体調が悪かったので昼食を外で食べる機会が激減したのと、アルコール類を一切買いませんでした。

魚や高いので頻繁に買う事は出来ません。サラダはたまにスーパーのサラダバーで買って来ます。普段は安い材料での煮物などが多いです。

20171201 Dish

--日用品 2,146バーツ/月
スーパーで食品と日用品を買っても詳細まで区別しないので適当な区分です。11月は異常に使っていますが、古いデジカメのバッテリーをMBKで買ったからです(1,990バーツ)

20171105 MBK 3

--洗濯代 200バーツ/月
コインランドリーでの洗濯です。最近一回25バーツのランドリーを週に2回使っています。

--遊興費 120バーツ/月
映画代です。シニア割引で60バーツが2回でした。マッサージは持病があるので出来ません。タイでは街歩きが主な趣味になるので、交通費=遊興費でしょう。

20171116 Theater 1

合計 19,945バーツ/月

これが衣食住全ての生活費。これ以外にはまったくありません。もう数か月2万バーツ前後で推移していますが、先月は特別なバッテーリー代1,990バーツを除けばかなり使わない月でした。

私自身は贅沢はしていないものの、自分なりの毎日を過ごしています。
そんな日々を毎日のブログに綴っていますが、このブログがほんの少しでもどなたかのお役に立てたなら幸いです。

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2017.12.01 | コメント(4) | タイ生活

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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