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首都防衛要塞を行く④軍艦メークローン号と要塞跡

私はお城ファンです(笑)大きな趣味としては「旅行と食」なのですが、旅先は美味しい物(旨い酒)とお城が目当ての事が多くあります。

日本のお城は多く訪れていませんが、住んでいたドイツには多くの城がありました。そのドイツ語には「城」を意味する言葉が「ブルグBurg」と「シュロスSchloss」と二つあります。ブルグは山城や城塞に囲まれた闘う為の城で、シュロスは宮殿のような場合に使われていたと記憶しています。

世界的に有名なドイツ・ノイシュバンシュタイン城は日本語だと城ですが、ドイツ語だとシュロスで宮殿に近いイメージです。家族とすぐに行きましたが、観光客を乗せて坂を上る馬車が道に残して行く物が多く、歩いて上がるには下ばかり見て気を付けた記憶しかありません(笑)あれほど美しい建物は離れて眺めるのが良いのでしょう。そう言えば、下から見上げるのではなく、上から見下ろすと各段に美しさが際立つ不思議な城ですねぇ~

Neu Schwan Stein

一方、ブルグですが・・・ドイツには「○○ブルグ」とブルグを付けた町の名が非常に多くあります。日本で有名なのはハンブルグやローテンブルグでしょうか。画像下は昨年行ったローテンブルグです。

Rothenbrug

昔、こうしたブルグが付く町は城塞都市だったのではないでしょうか。そしてドイツだけでなく、イギリス、フランス、オランダ、スウェーデンなどヨーロッパ各国にも言語的由来が同じだろうと思われる言葉があります。

イギリスだと「バーグあるいはバラburgh」フランスの「ブールbourg」オランダの「ブルフburg」スウェーデンだと「ボリborg」です。前回登場のスコットランドのエジンバラやスウェーデンのヨーテボリなどの都市です。

言語の専門家じゃない私の思い込みなので間違えているかも知れませんが、人が集まり集落が村や町、そして都市となって行く過程で周囲を柵や石垣で囲い、それらがやがて城壁となっていたのではないでしょうか。

ヨーロッパ各国を隅々まで旅した経験で言えば、小さな村から大きな都市までこうした城壁に囲まれていた形跡を多く残しています。それはそこまでして外敵から町を守らなければならない争い、略奪、闘いが多かった歴史の記憶なのでしょう。

画像下は昨年のフランスはストラスブールStrasbourgですが、ここもブールbourgが付く城塞都市だったのでしょう。昔は外からの敵に備えた街の中、今は武装兵士達がテロに備えて警戒中です。

Strasbourg 2017may

また前置き話が本題以上に長くなりそうです(汗)さぁ、本題に入りましょう。

西洋列強の脅威を感じ始めたラマ5世(1868~1910年)統治下に海から攻めて来る敵から守る為、チャオプラヤー河口から王宮近くまでのチャオプラヤー川沿いに整備し造った要塞・・・その『首都防衛要塞跡』を訪ねる「ぶらり散策」の新シリーズ第4回目は『プラ・チュラチョームクラオ要塞Phra Chulachomklao Fort』内を歩きます。

えっと・・・前回はプラサムットチェーディーからプラ・チュラチョームクラオ要塞へ行くためにソンテウを探し、やっと見つけたソンテウで要塞公園に着いたところです。そして、今までのエントリーは以下の通りです。

第1回目「首都防衛要塞を行く①パークナムからピースアサムット要塞へ
第2回目「首都防衛要塞を行く②プラサムットチェーディー
第3回目「首都防衛要塞を行く③河口のプラ・チュラチョームクラオ要塞へ

容赦ない強烈な日差しの下をプラ・チュラチョームクラオ要塞公園内を歩き始めました。まず公園内中央で嫌でも目立つラマ5世像に向かいました。

20170516 Songthew 11

ちょっと衛兵さんが人形なので情けないですねぇ~ 上がろうとしたのですが残念ながらこの時(2017年3月末)は工事中で入れませんでした。また、このラマ5世像の後方には要塞跡があるのですが、立ち入り出来ませんでした。画像下でソンテウが着いたのが右端で、中央にラマ5世像、そして左側半分が工事エリアです。

20170519 Fort 1

本来ならピースアサムット要塞と同じ形状の砲台が(たしか)7基あって、通路で結ばれているのですが、今回はそこまで行く事が出来ませんでした。

20170519 Fort 2

この要塞はラマ5世の命により1884年から9年間かけて造られ、1893年の完成です。冒頭に書いたように西洋列強の脅威を感じ始めたラマ5世は相当工事を急がせたようです。そしてイギリスからアムストロング砲を輸入して設置、素人目にはピースアサムット要塞にあった3基の砲と同じように見えます。

20170519 Fort 3

画像上の説明板には『French warships invaded the Chao Phraya Estuary and Royal Thai Navy stopped them them by firing from this fortress』(フランス軍艦のチャオプラヤー川侵入をこれらの要塞からの砲撃で阻止した)と書いてあるのですが・・・実はこれは大本営発表的内容で、事実は砲撃して一部艦艇に損傷を与えたものの侵入を許してしてしまいました。この上流にあったピースアサムット要塞も同じです。

1893年(日本だと明治26年)の『パークナム事件』でタイ近代史で最も興味深い時代に大きな影響を与えました。イギリスは当時英領ビルマからタイへの進出を試み、フランスは仏領ベトナムから当時のタイ領ラオス地域への進出を試みていた時代です。当然局地的な衝突が起きて、それらを理由にフランス軍艦2隻がチャオプラヤー川をフランス大使館(オリエンタルホテルと旧税関ビルの間)まで遡り、軍事圧力をかけました。

Old Custom House 2017May

結果、タイはメコン川東岸全域をフランスへ割譲する事になり、タイ東部のチャンタブリー県、トラート県もフランス領インドシナへ一時期編入されました。

大きく領土を失うと言う事件を阻止できなかった要塞ですねぇ~ まぁ、要塞のせいではないでしょうが・・・

ちなみに、タイはフランスから領土奪還を図り、1941年1月にフランス海軍とチャン島沖で闘いましたが、その時もボコボコにされてしまいました。その時の様子がナショナル・メモリアルに再現されています。ナチス・ドイツがフランスに進入した6か月後の混乱期で、日本軍が真珠湾攻撃をする11か月前の事です。

NatinalMemorial 2017May

話を戻しましょう(汗)
この要塞で一番人気があるのは陸に上げられた元練習艦メークロン号です。中に入れるので向かいました。

20170519 Fort 4

船首側から見ると、タイの国章、王立タイ海軍の紋章であるガルーダが飾られていますねぇ~

20170519 Fort 5

この軍艦は1937年の日本製です。第2時世界大戦前ですねぇ~ もっとも長い年月を経て中の装備は色々変わっているかと思います。

20170519 Fort 6

20170519 Fort 8

もう航海する事がない船が向くのはチャオプラヤー河口でタイ湾が見えています。艦内を動き回って見ましたが、階段が急で狭いし何度か頭をぶつけてしまいました。太った身体には狭い艦内は自由が利かないですねぇ(汗)

20170519 Fort 7

20170519 Fort 9

メークロン号から見えたチャオプラヤー川に伸びた桟橋に向かいました。桟橋の手前にあった建物はレストランで、けっこう人気で多くの人がいました。公園内やメークロン号はガラガラだったのですが・・・ここで食べる為だけに来る人も多いのかも知れません。

20170519 Fort 10

桟橋の先からパークナム方面を見ると・・・パークナム・タワーが見えます。って言う事は、タワーの上に出来る展望室から見れば、きっとチャオプラヤー川が海と出合う所が見られるでしょう。楽しみですねぇ~

20170519 Fort 11

レストラン内の売店で水を買ってトイレに寄ってから帰る事にしました。ここにはマングローブの中を海の方まで延びる遊歩道があるのですが(猿に注意)、この日の暑さで日陰が無い所を歩いて熱中症になったら猿しか助けてくれません。無理せず戻る事にしました。

ソンテウを降りた所が見れる木陰に立ちっぱなしで戻るソンテウを待ちました。30分ぐらい経ってからでしょうか、いやぁ~ 不安になった頃なので嬉しいです。

20170519 Songthew 1

ソンテウの横に書かれた番号を見ると1290番とあります。来た時に乗ったのは1267番でしたが、これで戻れるのでしょうか? まぁ、炎天下でこれ以上待てないし、聞いても無意味なので乗り込みました。

20170519 Songthew 2

どうせ一本道ですから、何とかなるでしょう(笑)
次回に続きます。

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2017.05.21 | コメント(8) | タイ・トラベル

コメント

アームストロング砲

 こんにちわ。
バンコクは今頃が一番熱い頃でしょうか。
馬関戦争では長州がコテンパンにやられたアームストロング砲ですが、タイはうまく導入できたようですね。どちらにしても、両国ともに大変な時代だったころですね。
 各砦は、幕府が作った
『お台場』でしょうかね。

 いつ頃、再訪タイできる
のかわかりませんが、暑気
の後の果物の季節を楽しみに計画だけして楽しんでいます。

2017-05-21 日 09:40:26 | URL | 松本 #ldSHJ4vM [ 編集 ]

Re: アームストロング砲

松本さん

コメントありがとうございます。

私も同じ事を思いました。
時代はちょっと違うのですが、西洋列強に恐怖を感じてチャオプラヤー川沿いの要塞を作ったのは、江戸湾にお台場を作り、品川などにも砲台を作った幕府と同じだと・・・

タイの要塞で見られるアームストロング砲、なぜあんな立派な砲が合計10基もあってフランス砲艦2隻を撃退できなかったのか・・・これって不思議ですよねぇ~ タイのアームストロング砲はイギリスから輸入ですが、ちょっと型落ちした古いものだったようです。そして指揮系統はタイではなくポルトガルだったか(ちょっと忘れました)外国人の指揮でした。

要は何もかも外国頼みだったのですねぇ・・・

タイの歴史はアユタヤ後期からラマ7世ぐらいまでが本当に面白いです。

2017-05-21 日 15:25:50 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

こんにちは
私はヨーロッパは行ったことがありません。ロマーンティッシュ街道はいつか行ってみたいと思いながらもどんどん年月が過ぎてゆきます。
私がいままで見たお城で一番圧倒されたのはラサのポタラ宮殿でした。あんな巨大なのよく建てたもんだな~って感じ。印象的だったのはアウランガバードのダウラタバードの砦です。行ったときは誰もいなくて人を怖がらない孔雀がいっぱい歩いていたのには驚きました。眺めが素晴らしかったのはフンザのアルチット城です。カラコルム山脈に囲まれていて世界屈指の眺めのよいお城だと思います。
プラ・チュラチョーム要塞は家からも近いのでそのうちに家族で訪れてみたいと思います。とても勉強になりました。

2017-05-21 日 16:13:24 | URL | サイアム #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

サイアムさん

コメントありがとうございます。

お車で行くとアウターリングで川の西側へ行くのでしょうねぇ~ 遠回りですね。パークナムにフェリーがあれば良いのですが・・・

ブログでは食レポをしないのですが、プラ・チュラチョーム要塞にあるレストランは評判が良いようですので、川を行き来する大型船を見ながら食事するのも良いかも知れませんね、また要塞公園内にはマングローブの林に遊歩道があります。あまり整備されていなくて猿も出るので注意ですが(笑)

2017-05-21 日 16:25:26 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

ビールを注いだグラスの向こうを通る貨物船を眺めながらの昼食もよさそうですね。猿は苦手です。以前にインドでアグラ城を散策していたら猿の群れに囲まれてすごく怖い思いをしたことがありました。かみさんはカバンをひったくられましたが、中にはバナナが1本入っていました。

2017-05-21 日 18:04:13 | URL | サイアム #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

サイアムさん

先ほどコメント返信書いた後に気付いたのですが、サイアムさんの家なら、スクムビット通りをパークナムの先に行った海軍経営?の水上レストラン(カモメが多い海に突き出た店)の方がずっと近いですよね。カモメは出るけど猿は出ないし・・・

そこはきっと行かれた事が何度もあるように思えて、つまらない返信をしてしまったと思いました(笑)

2017-05-21 日 19:06:25 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

海軍経営のバンプーリゾートですね。いいレストランですが週末なんかは早めに行かないとテーブルも駐車スペースも無くなるのでもう数年行ってないです。要塞のレストランは貨物船を眺めながらビール飲むというところに興味があります(笑)

2017-05-21 日 19:28:39 | URL | サイアム #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

サイアムさん

なるほど、そうなんですねぇ~ 確かに週末は混みそうですね。

要塞公園は行かれたら感想などお聞かせ下さい。

2017-05-21 日 20:58:26 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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