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トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史

街歩きの楽しさの一つは、その街が持つ歴史に想いを馳せる事ではないでしょうか。

現在のバンコク都とその周辺でそんな歴史を感じ取れるのは・・・現チャクリー王朝の王宮が置かれバンコクの基礎となったラッターナコシン島、そしてその前王朝であるトンブリー王朝が置かれたチャオプラヤー川右岸(西側)のトンブリーです。

20171114 Arn

そして、読者のご質問がきっかけでこの一か月ぐらい歩き回っているのがトンブリーです。トンブリー王朝の面影を探しながら、地図にも載らないような路地を歩き回り、またバンコクの魅力を再認識した・・・そんな小さな小さな旅です。

トンブリー、私自身は17年前の前在住時から知っているつもりだったのですが、結局何も知らなかった・・・いえ、何もまだ分かっていないのです。

20171123 Thonburi 1

ここで教科書的で申し訳ないのですが、ごくごく簡単にタイの歴史を整理させて下さい。私自身があやふやなので、本当に一般的な概要です。

チェンマイを中心としたラーンナー王国など古代国家からタイ族最初の王朝となったのがスコータイ王朝で、後期スコータイ王朝は初期アユタヤ王朝と重なっていますが、スコータイ王朝が衰退し最後は実質的にアユタヤ王朝に吸収されたとされるのが一般的のようです。

スコータイ王朝 1238年~1448年 鎌倉時代から室町時代
アユタヤ王朝  1351年~1767年 室町時代から江戸時代中期
トンブリー王朝 1768年~1782年 (1776年アメリカ独立宣言)
チャクリー王朝 1782年~     江戸時代中期から現在

タークシン王一代限りで15年間だけのトンブリー王朝、その前に400年以上続いたアユタヤ王朝と現在のラマ10世に至るチャクリー王朝の繋ぎ、リンクのような王朝です。

20171123 Thonburi 2

タイ華僑で最も多い潮州人の小役人だった父とタイ人母に生まれ名は鄭信(あるいは鄭昭)。幼い時にタイ人官吏の養子となり宝(シン)と名付けられ、その後アユタヤ王朝に仕官しターク国の国主となった事からタークシンとも呼ばれる・・・。

1767年ビルマに攻め込まれアユタヤは完全に破壊されアユタヤ王朝は滅亡、地方から潮州系華僑やポルトガル傭兵と一緒にアユタヤに駆けつけたタークシンはアユタヤを捨てて、チャオプラヤー川の下流右岸トンブリーに王朝を建てた・・・。

20171123 Thonburi 3

画像下の絵画は破壊されたアユタヤを目にしたタークシン軍で、「バーン・グディ・ジーン博物館Baan Kudichin Museum」で撮ったものです。

20171123 Thonburi 11

トンブリー王朝を建てたものの、在位15年のほとんどが戦続きで最終的には現在のカンボジアやラオスを含めた広大な領土(画像下)を回復した。この時に活躍した部下の将軍の一人がアユタヤ王家の血を引くと言われているチャオプラヤー・チャックリー(後のラマ1世)です。(画像下はタークシン王廟で撮ったものです)

20171123 Thonburi 4

1782年に精神錯乱状態と言われていたタークシン王をチャオプラヤー・チャックリーは処刑し、チャオプラヤー川左岸(東側)のラッターナコシン島(後のバンコク)に遷都したラマ1世(後にそう呼ばれる)はチャクリー王朝を興した・・・

これが大雑把なタイの歴史の流れです。

それでは、たった15年のトンブリー王朝はチャオプラヤー川右岸のどこにあったのか?その面影は残っているのか?そんな疑問を解決する為に街歩きを始めました。今まではざくっと言っていたトンブリーの中心地を徹底的にローラー作戦での街歩きです。

まず・・・トンブリー王朝の中心、王宮はどこにあったのか?

これは簡単で現在タイ王国海軍本部内にある「ワン・ダーン宮殿Wang Derm Palace」です。現在の「ワット・アルンWat Arun」の南隣で「ウィチャイプラシット砦Wichai Prasit Fort」の北隣です。

20171123 Map 1

このエリアを「プララチャワンダーンPhra Racha Wang Derm」と呼び、まさにトンブリー王朝の中心地でした。現在はワット・アルンを除き海軍施設内なので一般人は普通立ち入り出来ません。

20171123 Thonburi 5

画像上で海軍施設入口(西側)門の奥に見えるタイ様式の建物がワン・ダーン宮殿です。門番の水兵さんに粘り強く頼んだのですが「絶対に駄目!」との規律正しいお返事でした。やっと門ギリギリまで行って写真だけ許してもらいました。

20171123 Thonburi 6

ワット・アルン船着場横から(北側から)撮った画像が下です。門が閉まっていますが、その上から撮りました。

20171123 Thonburi 7

そして画像下がチャオプラヤー川上から(東側から)撮ったものです。タークシン王はワン・ダーン宮殿の南側(画像上左)に住まいがあったとされています。

20171123 Thonburi 8

そしてワン・ダーン宮殿の南側(下流側)がウィチャイプラシット砦です。バンコクヤイ運河がチャオプラヤー川に出合う所です。ちなみにこの砦は当時「ウィチャイイェン砦Wichayen Fort」と呼ばれていたそうです。

20171123 Thonburi 9

20171123 Thonburi 10

それではトンブリー王朝前のトンブリーはどうだったのか?

これもバーン・グディ・ジーン博物館に古い地図があるのですが、バンコクヤイ運河(チャオプラヤー川源流)とショートカットで造られた今のチャオプラヤー川の角(上記した今のウィチャイプラシット砦)とその対岸の「ラーチニー学校Rajinee School」北側あたりに大きな砦があったようです。

20171123 Thonburi 12

この両岸にあった砦はアユタヤを守る為に大きな鎖を通し、何かあったらチャオプラヤー川を遡る船を通れなくさせたとか・・・左岸(東側)もだいぶ見たのですが、その砦跡はまったく今は見られません。

バンコクヤイ運河の説明板(画像下)によるとこのチャオプラヤー川のショートカット部はアユタヤ時代の1542年に掘削が始まったようです。船の通行を容易くする事と、上流からの水の流れを良く(早く)したかったのだと私的には考えています。

20171123 Thonburi 13

時はヨーロッパの大航海時代で、1543年には種子島に鉄砲が伝わり、1557年にマカオにポルトガルの極東拠点が出来た頃です。

アユタヤにもポルトガルなど諸国の使節団が訪れた事でしょう。そしてチャオプラヤー川のショートカットが掘られ、さらに外敵が遡るのを防ぐ砦も造られたと考えられます。

この新しく掘られたチャオプラヤー川沿いに建つ「ワット・アルンRatchawararam Ratchawaramahawihan」もトンブリー王朝で重要な役割を果たします。創建に関しては定かに分かっていないそうですが、ナーラーイ王(1656~1688年)時代にフランス人によって描かれ地図には存在するそうです。

20171123 Thonburi 14

ワット・アルンラーチャワラーラームと名付けられたのはトンブリー王朝後の事で、タークシン王は「ワット・チャエンWat Chaeng」と名付け王宮寺院としました。

トンブリー王朝末期の1779年にはチャオプラヤー・チャックリー(後のラマ1世)がビエンチャンからエメラルド仏を持ち帰り(諸説あって略奪とも)、ワット・アルンに安置されましたが、その後チャクリー王朝になって現在のワット・プラケオに移されています。

さて・・・ビルマ軍に徹底的に破壊されたアユタヤを捨て、潮州系華人やポルトガル傭兵と一緒にトンブリーに来たタークシン王。そこは何も無かった寂しい漁村ではなく、200年以上前に掘られた新しいチャオプラヤー川両岸には砦があり、その砦の一つとワット・アルンの原形のお寺の間に王宮を置く事を決めたと思われます。

まぁ、アユタヤに比べたら寂しい所で、集落の間は湿地が広がっていた事でしょう。年代不明ですが、その頃の地図が画像下です。

20171123 Map 2

この後のトンブリーの様子を描いた地図がサイアム博物館(画像下)やバーン・グディ・ジーン博物館(画像下の下)にあります。

20171123 Map 3

20171123 Map 4

画像上で分かるようにチャオプラヤー川右岸(西側)だけでなく、東側にも華人のコミュニティーが広がっていたようです。今の王宮やワット・プラケオあたりですねぇ~ 現在のカオサンあたりはラオスやマレーのコミュニティーがあったようです。

左岸でラッターナコシン島を形作る東側の運河(堀)がこの時代にはあったのも知りませんでした。三重の堀で囲まれたラッターナコシン島で一番内側の堀で、現在のクームアンドゥーム運河Khu Muang Doemの原形かと思われます。この運河の事も後日エントリー予定でいるのですが・・・

画像下はバンランプー博物館の映像でラッターナコシンを形作った説明です。すでにチャクリー王朝の王宮にワット・プラケオ、そして2番目の堀と城壁も現れていますが、トンブリー側には城壁が見られません。

20171123 Thonburi 15

たった15年ですが、その後トンブリー王朝は・・・北はバンコクノイ運河、南はバンコクヤイ運河、西は現在のアルンマリン通りの西に流れる「バーンカミンBan Khamin」(画像下)で形作られたようです。その内側がトンブリー王朝の中心と言えるかと思います。

20171123 Thonburi 16

だいぶ長くなってしまいました。次回はこのトンブリー王朝の中心地を更に詳しく街歩きします。

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2017.11.23 | コメント(0) | バンコク街歩き

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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