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トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、前回から旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

前回の「ワット・カンラヤナミットWat Kalayanamit」や今回の「サンタクルーズ教会Church of Santa Cruz」はネットで多く書かれている事でしょう。

20171118 Thonburi 2

メジャーな観光地はもちろん、誰もが簡単にブログで書かれるような所も出来る限り書かない主義なので、ここにも何度か行っていながらも一度も本ブログでは触れた事がありませんでした。

そんな私的には本ブログで書く事がなかった所ですが、トンブリー王朝の面影を探す街歩きでは欠かせない所でもあるのです。まぁ、観光案内やただの街歩きの記録にならないようにして、テーマへの探求心と好奇心を満たす内容でありたいものです。

20171118 Thonburi 3

さて、前回はバンコクヤイ運河からチャオプラヤー川堤防沿いを歩き、中国廟の「建安宮Kuan An keng Shrine」まで来ました。そのまま堤防沿いを下流に向かって少し歩くと、「ジンジャーブレッドハウス」と呼ばれる古く朽ちて行くままの家があります。

20171220 Map

現在(数年前の話です)の持ち主はソムソクSomsookさんはサンタクルス幼稚園を所有している老婦人です。彼女の想いとこの家の保護運動が4~5年前に報じられた事があったのですが、結局うまく機能していないようです。

20171220 KC 1

Google Maps(英語版)「Windsor House」となっていますが、当初の所有者であったルイ・ウィンザーLouis Windsorが由来かと思います。彼は英国船長の息子で、対岸のニューロードとも呼ばれたチャルンクルン通りでWindsor Shopを所有していた裕福な英国商人だったそうです。

20171220 KC 2

バンルアン運河Bang Luang(後のバンコクヤイ運河)沿いの製粉業者の娘と結婚し、ラマ4世治世下(1851~1868年)に家を建てたそうです。少なくても150年以上前の家ですねぇ~

20171220 KC 3

何でこんな話を長々するかと言えば・・・トンブリー王朝(1768年~1782年)以後の話になりますが時代背景がよく分かる事例だと思うのです。ラマ4世治世下後半(1862-1864年)にタイ初の舗装道路として造られたチャルンクルン通り、そこへ店を出していた英国商人と結婚したのはバンコクヤイ運河沿いにあった製粉業者の娘・・・19世紀半ばまで主要輸送手段が運河や川の水路だったのが、陸上交通に変わる変化の時代の話です。

面白いですねぇ・・・そんな時代の移り変わりに思いを巡らせながら運河沿いを歩きました(その辺りがブログに登場するのはまだまだ先ですが)。さて、チャオプラヤー川を更に下流へ向かえばすぐにサンタクルーズ教会の正面に出ます。

20171214 KC 15

トンブリー王朝城壁の外でバンコクヤイ運河の対岸、そこが「グディ・ジーンKudi ChinあるいはKudeejeen」と呼ばれている事は前回説明済みです。アユタヤ王朝滅亡時にタークシン王に従って戦い、トンブリーに来たポルトガル傭兵に与えた地だと言われているのですが、更に歴史を詳細に調べると多少異なるようです。

戦火のアユタヤからカンボジアに逃げていたフランス人宣教師コーFr.Jacques Corre,MEP(MEPとはパリ外国人宣教協会)がベトナム人とタイカソリック教徒を連れてトンブリーに来たのが1769年だそうです。その後すぐコーはポルトガル人カソリック教徒を連れて来て、最終的には400人近いポルトガル人子孫が集まったようです。

20171220 KC 4

そしてタークシン王がこの地をカソリック教徒に与えたのが1769年9月14日、カソリックでは9月14日は「Holy Cross Day(日本語だと聖十字架の日でしょうか)」でイエス・キリストが掛けられた聖十字架が発見された日だとか・・・それでサンタクルーズSanta Cruzですね。

1770年には小さな木造のチャペルだったようです。その後何度か建て直されて教会が今の姿になったのは1916年です。去年2016年が100年だったのですねぇ・・・

20171220 KC 5

この教会周辺はGoogleMapsで道路が表示されない細い路地が続く所です。グディ・ジーンの路地のひとつに入るとポルトガル縁のお菓子「カノムファラン・グディ・ジーン」が売られています。直訳すれば「グディ・ジーンの西洋人のおやつ」でしょうか・・・

20171118 Thonburi 4

いかにも多くのブログで異国情緒として登場しそうな場所とお菓子ですが、正直に書くと・・・トンブリーでは全く普通にある路地に古くなってぼそぼそするマドレーヌ(カステラ)にざら飴を振りまいたようなお菓子です。忘れましたが一袋40バーツぐらいで、思わず聞き直しました(笑)ただ、カステラを知る日本人にとっては、ポルトガル繋がりを感じるでしょう。、まぁ、一度食べたら十分かと・・・

20171220 KC 6

お菓子屋さんがある路地をそのまま教会とは反対側に進むと「グディ・ジーン博物館Baan Kudichin Museum」があります。博物館としていますが一軒家のカフェでその上が郷土資料室のような感じなのです。

20171220 KC 7

一階のカフェもなかなか居心地良さそうですが、食べログ的内容は他のブログにお任せして二階に上がると・・・ポルトガル人のタイでの歴史が小さなスペースですが紹介されています。

20171118 Thonburi 1

その歴史や展示物に関しては今までの本シリーズで多く紹介して来た通りです。簡単に言えばアユタヤ王朝の1511年にタイ初となる外交使節が来てから、ポルトガルは貿易・軍事など広く影響力を強めて行きました。

20171213 BY 9

資料の多くはタイ語と英語の併記で助かります。ここは小さいけど、トンブリー王朝の面影を探す旅には欠かせない所でもあるのです。

20171220 KC 10

そして路地を歩きここへ行きつくにも、ここから出るにも・・・タイの路地を歩くのに慣れていない方、方向音痴な方にはかなり手ごわい所でもあります。

20171220 KC 8

次回はバンコクヤイ運河沿いでグディ・ジーンの西側になるモスリムの人々が暮らす街を歩きます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン

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2017.12.20 | コメント(0) | バンコク街歩き

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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