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トンブリー王朝の面影を探し⑩モスリム地区-1

トンブリー王朝の面影を探しての街歩き、中心部であった旧王宮エリアと城壁跡を離れてバンコクヤイ運河とバンコクノイ運河沿いを歩いています。

トンブリー王朝(1768年~1782年)の二百年以上前(1542年以前)はチャオプラヤー川の本流だったバンコクヤイ運河Bangkok Yai(昔はバンルアン運河Bang Luangと呼ばれていました)沿いは、タークシン王がトンブリーを都とした以前からお寺が点在し、人々の暮らしがあったようです。

20171118 Thonburi 6

前回まで書いたように旧王宮近くで城壁外、バンコクヤイ運河の対岸でチャオプラヤー川に沿って「グディ・ジーンKudi Chin」と呼ばれる地はタイ人貴族、華人、そしてカソリック宣教師とポルトガル傭兵とその子孫たちのキリスト教徒が住み分けられたようです。

後にそれがタイ寺院、中華廟、カソリック教会など宗教施設を中心にまとまったと思われます。そしてバンコクヤイ運河に沿ってチャオプラヤー川からほんの少し離れると(アルンアマリン通りを渡ると)モスリム(ムスリム)の人々が住む地区になります。

20171223 Map 1

研究者でもないただの街歩き好きオッサンが勝手に線引きしましたが、こんな狭いエリアで宗教の違いがハッキリと色分けできる地はアジアの中でも特異な地だと思います。

今回はそのバンコクヤイ運河沿いに住むモスリムの人々が暮らす地区を歩きますが、ここもネットで書かれるのは初めての事かと思います。

グディ・ジーンからアルンアマリン通りを渡り、運河に沿って東に広がる「グディ・カオKudi Khao」地区、その中で一番近い狭く暗い路地に入ります。

20171118 Thonburi 5

私は世界中の路地裏を歩いているのでここに入り込むのに全く抵抗はありませんが、このグディ・カオは外部の人間を拒む雰囲気を少し感じます。ここが古くからのモスリムの方々が住むエリアだからでしょう(危険な意味ではありません)。

ここはアユタヤ王朝時代からモスリムの人達が住み着いていたようです。彼らの祖先はマレー系のモスリムでアユタヤを含めて各地からここに来たと現地の説明板にはあります。Khaek Phaeと呼ばれる船上に暮らすモスリムもここで商いをしていたそうです。

20171118 Thonburi 7

オックスフォード出版部が出している『BANGKOK A CULTURAL HISTORY』に寄ると、この地区で船上に暮らすモスリムは「perfumed powder,scented water, fragrant oil spice and household goods(香粉、香水、香オイルにスパイスや家財道具)」の商いをしていたようです。その内容を見ると交易品のように思えますねぇ~ 次回になりますが、タイに於けるモスリムの歴史も少し触れたいと思っています。

さて、このエリアの狭い路地で最初に見かけたのが、この周辺には似合わない工場のような所でした。複雑な配管がタンクと繋がれているようです。寡黙で渋い感じのオジサンが働かれていました。30年以上この地域の人達に水を供給している「ソムワン・ドリンキングSomwang Drinking」です。

20171118 Thonburi 8

英語での説明書があったので、それによるとソムワン氏(この渋いオジサンではなさそうですが)は政府浄水部門に勤めた後に、この地域の水問題解決の為にこのシステムを造った旨の説明がありました。

20171118 Thonburi 9

工場見学(笑)の後、オジサンが黙って「持って行け」言わんばかりにペットボトルを差し出してくれました。意外や本物(笑)っぽいドリンキング・ウオーターのペットボトルで、普段飲んでいる水より美味しく感じたのはなぜでしょうねぇ・・・

20171118 Thonburi 10

このエリアはどこもどぶ板の上に路地があるようなので、地盤が悪い水辺に杭を打ち込んで家を建て、その家々を繋ぐ危なげなどぶ板道が路地になったように私には見えるのです。近年まで上下水道も整っていなかった事でしょう。

20171223 KK 1

さらに日が差さない暗い路地を進むと突然に不自然な形をした広場に出ました。そこは強い日差しが眩しく思える真っ白なタイ寺院風の・・・「バーンルアン・モスクBang Luang Mosque」です。

20171118 Thonburi 11

タイで唯一のタイ様式のモスクです。と言う事で世界で唯一のモスクでしょう。この建物だけが周囲に対して違和感を感じる不自然な広場と方角にあるのは、GoogleMapsを見て納得が行きました。メッカの方角(西)に向けて建てられたのではないかと・・・

20171223 Map 2

モスクって礼拝する方角は必ずメッカに対してですが、建物自体が方角を気にしているとは思えないのですが、タイ様式のモスクだからこそこんな事になったのではないかと勝手に推測しています(苦笑)しかしモスクの周囲が地図にも載らない路地だらけなのが分るでしょう(笑)

20171223 KK 2

現地の人達はこのモスクをグディ・カオ(白い僧院)と呼んでいたそうで、それがこの地区の名となっています。建てられたのはトンブリー王朝後のラマ1世治世下のようですが、はっきりした年代を現地で知る事は出来ませんでした。

モスク周辺は何となくモスリム色を感じる家々がありますが、地区長とかモスクの管理者が住んでいるのかな・・・なんて勝手に思って路地歩きを続けました。

20171223 KK 5

20171223 KK 4

この地区をバンコクヤイ運河から見ると、他の水辺の家々とは異なり運河サイドへの解放感はなくて閉ざされた感じがします。上手く表現できませんが、(タイでは普通の)運河や川に面して家々が建てられたのではなく、反対側に向けて建てられた印象です。唯一、バーンルアン・モスクへ通じる船着場にあるゲート上にはモスクを示す球形のドームがありました。

20171223 KK 3

このモスリム地区の南側を走るイサラパープ通りItsaraphapに出てバンコクヤイ運河の対岸に渡ります。「チャルンファット橋Charoen Pat(Phat?) Bridge」からバンコクヤイ運河を撮りたいのですが・・・この電線はなんとかならないものでしょうか? 

20171223 KK 6

スクムビット通りのような都心部の表通りのほんの一部だけ(しかもそこに繋がるソイは無秩序で放置)で、バンコク都無電柱化を言い切る事にうんざりです。現状ではバンコク都全ての通りで0.1%もされていないでしょうし、少なくてもトンブリー地区はもちろんチャオプラヤー川西側には全く関係なくゼロです。

橋を渡れば少し先にはMRTブルーラインのファランポーン駅からの地下延伸部で最後の駅「イサラパープ駅Itsaraphap」があります。地下部はこれから歩くタークシン王廟やワット・ホンにトンソン・モスクの地下を通りチャオプラヤー対岸に繋がります。

20171223 KK 10

これが開通すると今回書いているトンブリー王朝の旧王宮エリアに行く起点となります(多少離れていますが)。

このイサラパープ通りは多くの路線バスが走っています。、これらの路線バスと東側にあるチャオプラヤーの渡し船が庶民の足になっています。

40番(大型ノンエアコンと黄色エアコン車はラムサリー~旧南バスターミナル、ミニバスはファランポーン駅~新南バスターミナル)、
56番(チャオプラヤー両岸に渡る循環)、
57番(トンブリー地区を南北に循環)、
149番(エカマイ~プッタモントン・サーイ2通り)、
177番(バーンブアトーン~戦勝記念塔などの循環)、
710番(チャオプラヤー西側の循環)

次回はこのモスリム地区でバンコクヤイ運河の西側を歩きます。

最後に、本シリーズの今までのエントリーは以下の通りです。

トンブリー王朝の面影を探し①その中核と歴史
トンブリー王朝の面影を探し②城壁跡を歩く 南側
トンブリー王朝の面影を探し③城壁跡を歩く 中央部
トンブリー王朝の面影を探し④城壁跡を歩く 北側-1
トンブリー王朝の面影を探し⑤城壁跡を歩く 北側-2
トンブリー王朝の面影を探し⑥城壁跡内
トンブリー王朝の面影を探し⑦次回予告と新たな気付き
トンブリー王朝の面影を探し⑧傭兵達に与えた地グディ・ジーン
トンブリー王朝の面影を探し⑨ポルトガル縁の地

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2017.12.23 | コメント(2) | バンコク街歩き

コメント

立ち入るのに躊躇するような路地

確かにバーンムアン・モスクとバーンクデチィン・ミュウジアムは立ち入るのに躊躇しますね。
貴ブログが無ければ到底、到達できなかったです。バーンムアン・モスクの裏側には古い墓地があり、夢を実現したのか、夢半ばで眠っているのか気になりました。
◎先日の返答有難うございます。確かに目的地に行く行程(過程)でのアクシデントとかハプニングに精一杯対応しているのですが、楽しんでいる自分が居ます。
〇火葬の儀施設は素晴らしかったし、解体するのは勿体なくて何処かに記念施設として移築するべきだと思いました。
〇ノンタブリー船着き場の件ですが、「ターノンタブリー」とか「ノンタブリーピア」とか言いながらでしたが、1台は拒否され2台目で運転手に「ターナームノンタブリー」と言われて乗車出来ました。予定していたバスルートとは違ったのですが、前回歩いた刑務所の横の道に向かった時には正直ホッとしました。因みに料金は227バーツでした。
〇40番バスは行先表示板は青色で、オレンジ色のミニバスではありませんでした。他の乗客も何か(文句かな?)行ってましたが、全員降りたので私も下車しました。運転手か車掌の都合?と自分なりには処理しました。

今後とも健康に気を付けてご活躍してください。有難うございました。

2017-12-23 土 05:40:39 | URL | goro #- [ 編集 ]

Re: 立ち入るのに躊躇するような路地

goroさん

状況がよく分かりました。ありがとうございます。

火葬の儀の施設、一か月延長になって本当に良かったですね。日頃の行いできっと見られたのでしょう。

40番はその状況だと確かに運転手の気まぐれか、何かの事情があっての普通とは違う動きとなったのですね。まぁ、これも驚く事ではないのが残念ながらタイですね。

そろそろ年末です。良いお年をお迎えください。

2017-12-23 土 10:27:55 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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