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チャオプラヤー元流を歩く①序章

新シリーズの始まりで、湾曲部にショートカットが作られる以前のチャオプラヤー川の元々の流れを追う旅です。

『元流』と言う言葉は河川の流れで使う事は無いかと思います。源流だと川の流れが始まる源ですし、「流れが変わる以前の元の姿」そんな意味で本ブログで使いますが、ご勘弁ください。

さて、チャオプラヤー川はピン川とナーン川が合流するナコーンサワンから始まり、サムットプラカーン県のパークナムでタイ湾に注ぐ全360㎞のタイ中央部を南北に流れる川です。

20180428 Map3

ピン川は北の古都チェンマイを流れているのをご承知の方は多いでしょう。私はバンコクやサムットプラカーン県でチャオプラヤー川を見ると・・・「この川を遡ればチェンマイにたどり着ける」といつも思うのです。

20180428 Pin

そのピン川はチェンマイを出た後にタイで(貯水量?)最大で最初のダムであるプミポンダム、トンブリー王朝のタークシン王縁のターク、そしてビルマ軍侵攻に備えた要塞都市カムペーンペットを流れてナコーンサワンに至りチャオプラヤー川となります。(画像下はタイ観光庁サイトから拝借です)

20180428 Tak

ナコーンサワンからのチャオプラヤーはシンブリー、アーントーンなど交通そして軍事の要所を通りアユタヤへ流れ着きます。どの都市もビルマとの戦いの中でその名を歴史に刻んでいます。

20180428 Ayutthaya

その歴史の結果はアユタヤ王朝(1351年 - 1767年)からトンブリー王朝(1767年 - 1782年)、そしてチャックリー王朝(1782年 - 現在、ラッターナコシン王朝とも言われます)へと繋がりますが、それがチャオプラヤー川を遡る事が歴史をも遡ると思えてならないのです。その上にピン川も含めると、アユタヤからスコータイ王朝(1240年頃 - 1438年)やラーンナー王朝にも繋がる事にもなります。

20180428 Thonburi

興味深いですねぇ~ ピン川、チャオプラヤー川とひとつの大河は北から南への水の流れだけでなく、時の流れとともに古代から現在までの各王朝の移り変わりを示しているのです。

20180428 SL

さて、そんなチャオプラヤー川の元流へ行く前に・・・チャオプラヤー川を河口から遡り、今まで本ブログで紹介したエントリーを記しましょう。

まず河口には「プラ・チュラチョームクラオ要塞Phra Chulachomklao Fort」があります。西洋列強の脅威を感じ始めたラマ5世(1868~1910年)が海から攻めて来る敵から守る為、チャオプラヤー河口から王宮近くまで川沿いに整備し造った要塞で、1937年に日本で造られた元練習艦メークロン号も保存されています。

Phra Chulachom klao Fort 2

次は河口の町でサムットプラカーン県の県庁所在地のパークナムです。ウィブーンシー市場は魚介類の豊富な事ではバンコク周辺の中でもぴか一でしょう。市場奥にはチャオプラヤー川で一番下流の渡し船があり、2018年3月時点で5.5バーツです。

Pak Nam Market 2

Pak Nam Boat

対岸の対岸の「プラ・サムット・チェーディー船着場Phra Samut Chedi」の仏塔はサムットプラカーン県の県章にもなっています。

Phra Samut Chedi 1

またピースアサムット島へ吊り橋で渡ると「ピースアサムット要塞Phi Seur Samut Fort」があります。「首都防衛要塞を行く②プラサムットチェーディー」で詳しく書いています。

Phra Samut Chedi 2

20180428 CPR 1

パークナムにある県庁はチャオプラヤー川にも面しており、時折大きな船が川を行き来するのが見えます。またこの辺りの川沿いはきれいに整備されており、川面を渡る風が心地よい所です。

Pak Nam City 2

パークナムを過ぎるとチャオプラヤー川最下流の橋である「カンチャナピセーク橋Kanchanaphisek Bridge橋」が現れます。2007年11月の竣工の高速道路専用橋梁で、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に繋ぎ支える構造の「斜張橋Cable-stayed Bridge」です。

20180428 CPR 2

チャオプラヤー川河口近くでは大きな船が通るので、橋脚の幅を広げると共に橋自体の高さを上げるので、こうした構造の橋が多くなります。また古い橋は跳ね橋(今は使われませんが)もあって興味深いです。「チャオプラヤー名橋奇覧」シリーズで多くの橋を紹介しています。(画像下はメモリアル橋です)

20180428 CPR 3

カンチャナピセーク橋の下流側には、チャオプラヤー川で最下流の水上マーケット(的なもの)「ワット・バン・フアスア・水上マーケットWat Bang Hua Sue」があります。また本ブログでは首都圏だけで20カ所以上の水上マーケットを紹介しています。

やがてチャオプラヤーは「プラプラデーンPhra Pradaeng」の大きく川が湾曲する最初の所を流れます。

20180428 CPR 4

プラプラデーン(現地の方達はパパデーンと呼びます)は渡し船が4カ所、第1と第2プミポン橋、要塞跡に湾曲部中央にある水上マーケットや公園とたっぷり見所がありエントリーも多くありますが、最近ではモン族独特のスタイルを残す「プラプラデーンのソンクラン」をエントリーしたばかりです。

20180424 PPD 7

このプラプラデーンの湾曲した根元にもショートカットのように見える運河が造られています。こうしたショートカットを「捷水路(しょうすいろ)」と呼びますが、その目的は曲がりくねった川の流れを真っ直ぐにして洪水を防ぎ、土地の有効活用をする事です。

20180428 CPR 5

またチャオプラヤー川はその捷水路の多くがアユタヤ時代に掘られています。それはアユタヤがヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄した時代で、河口から遡る船の航行を楽に早くする事も目的だったと私的には考えています。(画像下はアユタヤ歴史学習館です)

20180428 CPR 6

そんなチャオプラヤー川の中でプラプラデーンの捷水路はその目的がよく分かりません(汗) 普段は水門が閉じられていますし、運河自体がかなり狭くこの辺りを航行する大型船はとっても通れません。そもそもここが掘られたのは1874年と時代はかなり新しくラマ5世統治下です。

20180428 CPR 7

この辺りは河口に近く感潮河川だと思うので川の流れは上流とは全く異なるので、洪水防止とは異なる目的でもあると思います。また大型船が通るのはクロントゥーイ港(1951年開港でバンコク港とも言われます)まででしょうから、ショートカットの意味はありません(遠回りになる)。いずれにしても掘削した当初の目的とは異なった事情が現在はあるのでしょう。調査中です(汗)

と言う事で、このプラプラデーンのショートカットは元流とは関係ないのですが、この後チャオプラヤー川はバンコク都に入ります。ちなみにクルントン橋が出来る1958年ぐらいまでは、上にある古い写真のようにかなりの軍艦でも現王宮前から王族の宮殿があったドゥシット地区までは遡れた事になります。

また私的な現地での調査(ただの街歩き)では、チャオプラヤー川に架かる橋を古い順番に並べると以下の通りです。

1927年   旧ラマ6世橋(現タイ国鉄南本線鉄道専用橋)
1932年   メモリアル橋(跳ね橋、別名プット橋)
1958年3月 クルントン橋
1959年   ノンタブリー橋
1959年6月 クルンテープ橋(跳ね橋)

チャオプラヤー川に関してはまだまだ話が尽きないのですが(汗) そろそろテーマの元流に話しを戻しましょう。

そしてこうしてチャオプラヤー川を河口から遡れば、バンコクヤイ運河が最初の元流になります。そして先日エントリーを終えた『トンブリー王朝の面影を探し』シリーズで、すでにチャオプラヤー元流だったバンコクヤイ運河に関して詳しく書いています。

20180210 BL 7

跳ね橋のフォルムが美しいメモリアル橋を上流(北側)に向かうと左岸(東側)は花市場こと「パーククロン市場Pak Khlong Market」です。その反対側の右岸(西側)にはバンコクヤイ運河の入口があります。そこからがチャオプラヤー元流で川は大きく西へ向かいます。

20180428 CPR 8

って事は・・・バンコクを訪れた人なら誰もが目にするだろう、ワット・ポーや王宮、そして対岸のワット・アルンがある辺りのチャオプラヤー川は1542年以前は無かったのです。たぶん湿地だったのでしょう。日本なら戦国時代で関ケ原の戦いの58年前の事です。

20180428 CPR 9

さて・・・いよいよ元流を歩く旅ですが、すでに長くなりました。『こよいはここらでよかろうかい・・・』って事で次回に続きますが・・・その前に、バンコク首都圏でのチャオプラヤー川の昔の流れを地図にしてみました。

20180428 Map 1

青色のラインが昔の流れ(元流)で、赤がショットカットで掘られた運河ですが、それが今の本流になっています。

それでは次回、チェスト!!

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2018.05.06 | コメント(2) | タイ・トラベル

コメント

ピン川の川下がチャオプラヤですか?

ピン川の川下がチャオプラヤですか?

私は以前からチェンマイに流れているピン川とつながっていると思っていましたから納得ですが不思議なことに、ウイキで見るとピン川の全長は569kmと書かれています。

チャオプラヤ川と合流する前だからピン川と別の名前がついているのは支流と考えれば納得ですが、それでは水源から河口までの本流があってもよいのではと思います。

チャオプラヤの長さもウイキをみると372kmと、何とピン川の方が長くなっています(笑)。

これではピン川が本流で川下がチャオプラヤ川と呼ばれている感じですね。

ウイキも結構いい加減なのは知っていますが、それにしてもチャオプラヤ川の本流はないのでしょうか?

2018-05-07 月 20:18:55 | URL | AAA #- [ 編集 ]

Re: ピン川の川下がチャオプラヤですか?

AAAさん

いつもブログに書いている事ですが、私はネットを公式サイト以外は見ないようにしているので、そのウィキペディアの話に関して何とも言えませんし、「そうですか・・・」としか言えませんが(笑)チャオプラヤー川とピン川が繋がっているのは事実ですし、ナコンサワンでそれを見る事が出来ます(いつになるか分かりませんがエントリー予定です)。

また当たり前過ぎますが、支流と本流は長さでも幅で決められるものではなく、いくつもの支流が集まって本流になる・・・そう考えるとピン川を含んだ数え切れない支流が集まった結果がチャオプラヤーだと私は考えます。

ちなみにピン川はナコンサワンでナン川と「Y」字に合流してチャオプラヤー川と名を変えて北へ下って行きますが、別々な川が合流した後(下流で)名を変える事は普通かと私は思います。

また。ピン川の源流からナコンサワンまでの長さはチャオプラヤー川の1.5倍の長さはあるようなイメージを私は持っています。まぁ、川はどこでもクネクネしているのでよく分かりませんが・・・

2018-05-07 月 22:21:29 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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