チャオプラヤー元流を歩く②カトリック教会歴史地区

タイ中央部を南北に流れるチャオプラヤー川はタイの歴史、経済、文化、庶民の暮らしまで大きく影響を与えながらも、その流れを変えるショートカット「捷水路(しょうすいろ)」が多くの湾曲部に造られて今の姿は昔と異なります。

そのチャオプラヤー川の元の流れを追う事は、チャオプラヤー川左岸(東側)ラッターナコシン島の現チャクリー王朝、チャオプラヤー川右岸(西側)のトンブリー王朝、そしてアユタヤ王朝へと時代をも遡る事になります。

20180428 CPR 9

そんな「チャオプラヤー元流を歩く』シリーズの第2回です。前回は「チャオプラヤー元流を歩く①序章」で川の全体像と、河口から遡ってチャオプラヤー川に造られた2番目の捷水路まで来ました。

チャオプラヤー川全てで小さな捷水路まで調べられたわけではないので、「2番目」が本当に正しいのかは分かりません(汗) 地図をかなり詳しく上流まで見て行くと、三日月状で旧の流れの名残りと思われる所も複数あるのですが、今回は画像下の範囲での事です。

20180428 Map 1

さて、そのチャオプラヤー川に造られた2番目の捷水路は・・・たぶんバンコクに来られた人のほとんどが見られるだろうワット・プラケオと王宮、そしてワット・ポー前で対岸にはワット・アルンがある部分です。

20180428 SL

今でこそチャオプラヤー川そのもののような部分ですが、476年前の1542年以前は川など無かった地なんですよねぇ~ 

日本だと徳川家康が生まれた頃ですが、タイではアユタヤ王朝前期で最初のビルマとの戦争(第一次緬泰戦争1548年)以前、すでにマラッカを拠点としていたポルトガルが通商と軍事面でアユタヤ王朝に接触してから30年近く経っています。そう言えばマラッカを経由してポルトガルから火縄銃が種子島に伝来したのが1542年の説もあります。

20180514 Ayutthaya

何でこんな事を書くかと言うと・・・アユタヤ王朝がポルトガルと接触した事が、チャオプラヤー川に捷水路を掘ったきっかけの一つだと私的に考えているのです。主に通商面と技術面ですが、それがアユタヤ王朝後期で対外交易が盛んになる事に繋がったと考えるのです。

さて、そんな王宮前やワット・アルン前の捷水路が無かった476年以上前は、現在の「バンコクヤイ運河Bangkok Yai」がチャオプラヤーの本流でした。その(下流側からの)始まりは「ウィチャイプラシット砦 Wichai Prasit Fort」前からで、海軍施設内で立ち入り出来ないのが残念です。

20180428 Thonburi

このバンコクヤイ運河はすでに「トンブリー王朝の面影を探し」で非常に詳しく書いています。何しろ全27回のエントリーでしたから(汗)

バンコクヤイ運河は途中から「バンクンシーBang khung Si」運河、そして「チャックプラChak Phra」運河と名を変えて、最後は「バンコクノイBangkok Noi」運河で現在の本流に繋がります。そこがシリラート病院の北側でピンクラオ橋の下流側になります。

20171207 Thonburi 12

従って、今の本流でピンクラオ橋下流からラマ7世橋上流でバンクルアイ運河Bang Kruai」の閘門(画像下)までの間が昔も本流でした。

20180514 BK 1

ただ・・・この部分の昔から流れが変わっていないわけで、面白くありません。一応、過去で言えば以下のようなエントリーがあります。

首都防衛城壁を歩く プラスメン砦
チャオプラヤー名橋奇覧 ラマ8世橋
チャオプラヤー渡し百景 テウェス
チャオプラヤー名橋奇覧 クルントン橋
チャオプラヤー名橋奇覧 ラマ7世橋

20180514 Rama 8

この部分で興味を抱きながらまだエントリー出来ていない所が一か所あります。このブログでは初登場ですが、クルントン橋の下流で左岸(東側)にある「コンセプション教会 Conception Church」周辺です。場所的にはドゥシット地区の西端になります。

20180514 Dusit

「コンセプションconception」とは日本人がよく使う英語のコンセプト(概念とか構想)に通じる意味以外に「受胎」の意味があるので、カトリック的には世界各地にある聖受胎(告知)教会とも呼べるのではないでしょうか。ちなみにGoogleMaps(英語版)だと「Wat Conception」になっています(笑)

20180514 Church 1

と言う事で聖母マリアを崇めているカトリック教会で、小さな教会ですが内部は見るべきものがあると私的には思えます。バンコクでは間違いなく一番古いカトリック教会のはずです。

画像下で祭壇の上にある「venite adoremus」とはラテン語でカトリック系のヨーロッパの国々を巡るとよく目にしますが、日本語にすると「主を崇拝」でしょうか(専門家でないので怪しいですが)、いずれにしても「O Come All Ye Faithful」としてクリスマスに教会歌われるので、お聞きになると分かる方が多いかと思います。

20180514 Church 2

この教会と周辺が興味深いのはその建てられた時代です。

コンセプション教会はアユタヤ時代にナーラーイ王(1633年-1688年)がカソリック聖職者に与えた地に1674年に建てられました。当初の名は「ワット・ノイWat Noi」でその後何度か建て直されましたがトンブリー王朝以前のアユタヤ王朝時代の事です。教徒の多くはベトナム系かカンボジア系などタイ東部からの移住者と私的には考えています。

20180514 Narai

ナーラーイ王は(ひまわり畑や猿で有名な)ロッブリーをアユタヤに次ぐ第2の首都(副都)とした王で、ロッブリーにはその像(画像上)や博物館があります。そのきっかけとなったが1665年のオランダによるバンコク湾(タイ湾北部の事か?)閉鎖で、オランダを恐れた王はいつでも遷都出来るようにロッブリーを考えたそうです。その後1673年のルイ14世からの親書などナーラーイ王はフランスとの距離を縮めた時代です。画像下はロッブリーの「ナーラーイ王宮殿Phra Narai Ratchaniwet」です。

20180514 RopBuri 2

そんな時代なのでオランダではなくフランス系聖職者に与えた地に思えるのですが、私が調べた資料では分かりませんでした。そう言えば・・・ナーラーイ王はアユタヤのフランス人居住区にも土地や建築材料を与え、チャオプラヤー川に面して「セント・ジョセフ教会Saint Joseph Catholic Church」を建てています(画像下)。

20180514 StJoseph

いずれにしても、この教会はチャオプラヤー川に正面をして、細い路地を通してチャオプラヤーの流れを見つめ続けています。

20180514 Church 3

また、現チャクリー王朝・ラマ3世(1788年-1851年)の時代なので上記からは百年以上経ってからですが、コンセプション教会のすぐ裏に聖フランシス・ザビエル教会が1834年に建設されました。

20180514 Church 4

ラマ3世がベトナムで迫害を受けた1350名のベトナム人カトリック教徒に土地と資金を与えて作られた教会です。ベトナムがフランスの植民地になる50年ぐらい前の事でしょうか。

このタイで最初にフランシス・ザビエルの名を目にした時は自分の目を疑いました。日本だとフランシスコ・ザビエル(1506年-1552年)で知られたインドや日本で宣教活動を行った宣教師で、タイとは直接には関係がありませんが後に聖人となったからでしょう。

20180514 Church 5

トンブリーのサンタクルーズ教会とは異なり観光的には全く注目されてない地区ですが、細い路地を歩くと街角にはカトリック教徒の集落があった痕跡を見る事が出来ます。サムセンSoi11がそんな地区の中心になります。

20180514 Church 6

『チャオプラヤー川を遡るのはタイの各王朝と歴史をも遡る』と何度書きましたが、タイの各王朝がチャオプラヤーを通して交易を行い栄えた事と同時に、西洋列強を恐れた歴史をも川沿いの要塞跡で感じる事が出来ます。そしてチャオプラヤーはその交易に寄り外国人の移動と布教の道ともなり、イスラム教徒やカソリック教徒と言った宗教の広がりにも繋がっていた事に気付きました。

さて、この地区を走る路線バスは書くのをためらうほど非常に多く、サムセン通りとラチャウィティ通りの両方を書いたら約20程度の路線数になるかと思います。実用的なのは戦勝記念塔から以下のバスに乗ると本数が多く乗るのも最短なので、この方が良いかと思います。サムセン通りとの交差点直後で降ります。なお、チャオプラヤー・エクスプレス・ボートの「N16 サパーン・クルントン船着場 Krung Thon Bridge(Sung Hi)」は右岸(西側)になるので、橋を渡る必要があります。

 18 ターイット市場~ラマ7世橋~クルントン橋~戦勝記念塔
 28 新南バスターミナル~クルントン橋~戦勝記念塔
108 タープラ~クルントン橋~戦勝記念塔
515 サーラーヤー~新南バスターミナル~戦勝記念塔
539 オームノイ~新南バスターミナル~クルントン橋~戦勝記念塔

20180514 Map 2

さて、コンセプション教会周辺を離れて上流に向かいます。1927年開通のチャオプラヤー川上流に最初に架かったラマ6世橋(画像下)は当初鉄道専用橋ではありませんでした。

20171207 Rama 6 Br

現在は鉄道専用橋で旧ラマ6世橋となり、すぐ隣にラマ7世橋が架けられています。そのラマ7世橋のすぐ上流にバンクルアイ運河の閘門があって、チャオプラヤーの元流はここから大きく西へと流れを変えます。

20180514 Map

毎回の事ながら話が右往左往して長くなりました。次回はバンクルアイ運河へと入ります。

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2018.05.16 | コメント(0) | タイ・トラベル

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プロフィール

ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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