タイのクメール遺跡を巡る① 序章

リタイアして一人で暮らす海外、思い立ったら(体調さえ許せば)すぐに迷うことなく旅に出られるのですが・・・今週も旅に出て、昨日バンコクのアパートに戻りました。

毎日が旅のようなものだし、見方に寄ってはもう30年近く日本を離れて旅を続けているのかも知れません。それでも、この頃は毎週のように旅に出ていますねぇ~ 

画像下は今週のパノムルン遺跡です
20180602 Phanom Rung

また事前予告に無かった新シリーズです(汗) 毎回饒舌で押しつけがましい長話しばかり。しかも話が飛び飛びになってしまい、読む側からすれば厄介なブログだと思うのですが・・・本当に申し訳ないです。

今回の旅も私が使った交通機関や地図など後日詳しくエントリーするのですが、例によって序章的な前触れです。また、この前触れを書く事で、旅の記録と画像を整理してブログにする厄介な作業に自分を追い込む目的もあります(汗) 

公式サイト以外は見ないので、ネットで調べながらコピペしてちゃちゃっとブログに書くような作業は出来ないのですよねぇ~(苦笑)街歩きや以前の旅で気になった事を現地や図書館に博物館で調べ、それを積み重ねる過程が面白いのです。まぁ、時間だけはたっぷりある年寄りの趣味です。

画像下は今週のムアンタム遺跡です
20180602 Muang Tam

ところで、過去世界各国を旅して来ましたが、大自然は興味が無くてアフリカとか南米のジャングルをさ迷った事はありません(笑)人が作り出した歴史の痕跡や世界各国の人々の文化・暮らし(特に酒や食生活)などに興味があります。だから昔の遺跡遺産などから現在のインフラ施設(橋とか交通機関)からシステムも好奇心の対象になります。

そんな興味や好奇心からの旅は常に人が関わっているので、過酷な旅にはならないし、肉体的にきつい旅もあまり経験していないのですが、その中でもワースト3に入る旅が16年前(2002年)にバンコクから陸路で行ったアンコールワット遺跡群でした。

20180602 Angkor 1

わざわざ『遺跡群』としたのは、あまりにも有名過ぎて多過ぎるほど事前知識があったアンコールワットよりも、周辺遺跡の素晴らしに目を奪われたからです。アンコールワット遺跡群自体は誰にも強くお勧め出来る地だと確信しています。

それがなぜ最悪の旅の一つだったのか・・・国境タイ側アランヤプラテートまでは順調でしたが、国境の混沌とした中で歩いてカンボジア側に行き乗ったバスが幼稚園バスのようで、しかもかなり昔の韓国製バスでした。今もあるのですかねぇ?あの国境越えのリヤカー(笑)

20180602 Angkor 2

国境カンボジア側ポイペトの町を出たら舗装道路は未舗装の悪路になって、こぶし大の砕いた岩をばらまき、その上に赤茶けた土を固めた状態の道路がそのままシェムリアップ直前まで続く事になったのです。そこを幼稚園バスは絶え間ない振動に左右前後に嵐の中の船のように揺れて進みます。

途中でパンクする事2回。しかも予備のタイヤを積んでいないので、修理に毎回1時間以上かけて・・・その間にバスの外に出たら「絶対に道路から出ないように!地雷がありますから!」と強く真顔で注意されたのを覚えています。

20180602 Angkor 3

それが6時間以上続いた後に美しく整備された別世界のようなシェムリアップに着いた時は疲れ果てたと同時に、シェムリアップだけが別な国のように思えた事に驚きました。まさに観光の為に日本を含めた海外からの支援金が大量投入されているのを実感した時です。空路でこの地に入った人は、本当のカンボジアを知らずに帰る事になるわけです。

まぁ、この道を数日後に戻ったのですが(笑)これが最悪の旅の理由の一つです。今はきっと舗装されていますよねぇ~ あのポイペトからシェムリアップへの道。それに国境越えの混乱とか混沌は以前旅人には『ぼったくる』と悪名高い所だったのですが、ここに限らず先進国でも開発途上国でも世界の中どこでもお上品な日本人が目立って歩いたら、『ネギを背負ったカモ』と思われるのは当然な事。それらを受け入れられないか対処できない人、本当の貧しさを知らない人が今でもきっとネットに(自分の間抜けさを置いて)そう書くのでしょう。

20180602 Angkor 4

残念ですが、私は四捨五入したら70歳になる歳(まだ60歳代と言いたい!)で、もうこうした旅が出来る体力はなくなりました。またカンボジアとアンコールワットを再訪する事はないかと思いますが、『最悪の旅の一つ』と言いながらも、今から思えば良い?思い出ですし、それでもカンボジアもアンコールワットも嫌いではないのです。その逆ですねぇ~ 

そんな16年前に旅で接したクメール遺跡ですが、また気になりだしたのは最近の事です。(画像下はアユタヤのワット・チャイワッタナーラームです)

20180428 Ayutthaya

それは現チャックリー王朝(1782年 - 現在、ラッターナコシン王朝や外国人にはバンコク王朝とも言われます)からトンブリー王朝(1767年 - 1782年)、そしてアユタヤ王朝(1351年 - 1767年)へとチャオプラヤー川を遡りながらも歴史をも遡ると旅を続けている中での事です。

タイでは現王朝からアユタヤ王朝まではその変遷がバトンタッチのように明確なのですが、アユタヤ王朝以前のタイ族最初の王朝と言われるスコータイ王朝(1240年頃 - 1438年)の時代とその前になると、私的には何だかモヤモヤとハッキリ見えなくなります。(画像下は最近行ったばかりのカンペーンペットのワット・プラケーオです)

20180526 KPP 1

スコータイ王朝自体の領地はスコータイ、ピサヌローク、カンペーンペット、ナコーンサワンなどタイ北部の南側から、最盛期のラムカムヘン大王在位(1279年 - 1299年 頃)でも中部の一部を含む程度の規模だったとされます。

この時代、北にはチェンマイを中心としたラーンナー王朝(1292年 - 1775年)が存在し、しばらくして南にはアユタヤ王朝(1351年 - 1767年)が興ています。その後スコータイ王朝は徐々に衰退しアユタヤ王朝に吸収され、ラーンナー王朝はビルマに占領されたりしながら衰退し復興ラーンナー王朝を興したもののチャックリー王朝が中央集権を強め20世紀になって姿を消した・・・これがタイの大雑把な歴史でしょうか。(画像下は2003年チェンマイのワット・チェディ・ルアンです)

20180602 Changmai

それではその前はどうなのか? ざくっとした概要で言えば、現在のカンボジアのクメール王朝がタイ東北部からさらに勢力を拡大しており、その支配が13世紀まで続いていたとされます。私的にはスコータイ王朝やラーンナー王朝が興されたのはクメール王朝が弱体した結果だと思っています。

歴史の中で常にタイは西のビルマ、そして東のクメールとの戦いですねぇ~ 

そして、その両者の影響を現在でも遺跡で強烈に目にする事が出来るのは、アユタヤやロッブリーにイーサンと呼ばれるタイ東北部を訪れた方なら誰もが経験しているのではないでしょうか。(画像下はロッブリーのプラーン・サームヨートです)

20180602 Lopburi

そう言えば本ブログではかなり詳しく書いたトンブリー王朝とタークシン王ですが、タークシン王がビルマ軍を追い出したのは、ビルマが清に攻め込まれての戦い(1765年-1769年)でタイまで手が回らずその間にトンブリー王朝を興した(1767年)わけですねぇ~

そのタークシン王がアユタヤからトンブリーに遷都し、タークシン王に仕えた将軍が後にチャオプラヤー川対岸のラッターナコシン島へ遷都したラマ1世で、それが現在のラマ10世とバンコクに繋がるわけですが・・・歴史ですねぇ~

話をタイでのクメール遺跡に戻しましょう(汗)

画像下は今週のピーマイ遺跡です
20180602 Phimai

今回行った所は以下の4カ所です。

ピーマイ遺跡 Phimai (画像上)ナコーンラチャシマ県
パノムワン遺跡 Phanom Wan (画像下)ナコーンラチャシマ県
パノムルン遺跡 Phnom Rung (画像一番番上) ブリーラム県
ムアンタム遺跡 Prasat Muang Tam (画像上から二番目) ブリーラム県

タイにあるクメール遺跡は私には数えられないぐらい多くあります。寺院だけでなく治水に優れたクメール王朝なので森林や田畑に埋もれるような灌漑遺跡も入れたら、おそらく何百もあると思います。

画像下は今週のパノムワン遺跡です
20180602 Phanom Wan

今回、クメール遺跡初心者の私は比較的大きな寺院遺跡のみを巡りました。タイ観光庁の公式サイトに寄ると他にも大きな寺院遺跡あるそうです。「プラサート・サドック・コック・トムPrasat Sadok Kok Thom」はサケーオ県Sa Kaeoで冒頭に書いた国境の町アランヤプラテートの北東近くです。また国境上の山の上にもあってタイとカンボジアでその所有を争っているニュースも見た事があります。

いずれにしても、多くの遺跡へのアクセスが難しいのが共通しています。

今の時代はカーナビ、GPSにスマホがあるので、車やバイクなど自力で動かれる方は苦労なく行けるでしょう。私のようにタイ語の読み書きが出来ずに話すのも幼稚で四捨五入したら70歳(くどい?)、しかも持病持ちがスマホも地図も持たず交通機関を利用してのアクセス出来る所は・・・本当に限られています。

20180602 Map

公式サイト(今回はタイ観光庁)以外は見ないで行く過程をも楽しむ旅ですが、バンコク首都圏や地方都市部を離れたら・・・それを何度も後悔しかけた情けない旅人になってしまいました(苦笑)

しかも、普段知らない地に行く時はGoogle Mapsを出発前にパソコンで見てメモを取るのですが、今回は思い立って出発したのと範囲が広すぎてメモすら取らずに記憶した方角と距離感だけで出てしまいました。旅の中で現在位置を知りたくてスマホなる武器を持っていない事を何度も悔いました。もっとも持っていても使った事がないので、機能を使いこなせない悲しい年寄りです。

さぁ、どうなるでしょうか・・・次回に続きます。

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2018.06.01 | コメント(8) | タイ・トラベル

コメント

楽しく拝見しています。

こんにちは(^^)/
いつも楽しく拝見しています。
もちろん、タイの遺跡も興味深いのですが、自動車等を利用しないで交通機関で行かれて帰られたのか次回のブログを楽しみにしています!(^^)!

2018-06-01 金 13:39:18 | URL | matu #- [ 編集 ]

アンコールワットが始まりでした

こんにちは!いつも楽しみしています。
私たち夫婦のタイ好きは、アンコールワットが始まりでした。確か、2003年2月にアンコールワット遺跡群にバンコク経由で行きました(今は日本からはベトナム経由が多いようですが)。その時、遺跡群の余りの素晴らしさに圧倒された記憶があります。そして、タイ国内にもクメール遺跡があることを知り、ピマーイに行くことを目的にタイに旅行したのが、タイに毎年出かけるようになった始まりです。ロッブリー、スコータイ、チェンマイ等々と目的地は変えて、タイにいきました。まだ、若かったのか、暑い中を、遺跡郡を歩き回りました。しかし、最近はホテルを出て、5時間ぐらいで戻らないと、体がもちません。それで、バンコクの町中、それも下町を歩くのが、目的でタイに行っています。
 ピマーイの事、今はどのような状況なのか、楽しみです。

2018-06-01 金 13:42:35 | URL | dai福 #- [ 編集 ]

Re: 楽しく拝見しています。

matuさん

コメントありがとうございます。

実は・・・今回は1回だけタクシーを利用しています。行く手段が他に見つからず、交渉して1人でタクシーを貸し切って遺跡に行きました。いずれにしてもバスなど公共交通機関がない所なので、仕方なしです(涙)

2018-06-01 金 16:39:16 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

Re: アンコールワットが始まりでした

dai福さん

コメントありがとうございます。

アンコールワット遺跡群、良いですよねぇ~ ただ、もうあの悪路に身体が耐えられないので無理ですが(涙)

そうそう! 私も遺跡巡りでは2時間が限界で、途中で引き返したりしています。一か所をゆっくり見られ、場合によっては朝夕と時間を変えて行くのも良いです。タイに住んでいるからですね。

この後はアユタヤもネットに書かれた事がないだろうほどかなり詳しく書く予定ですし、カンペーンペットや今回のイーサンも詳しく書きます。

でも、確かに・・・私もその底辺にはいつもアンコールワット遺跡群があるように思えます。

2018-06-01 金 16:46:13 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

コメントお久しぶりです大阪のオカダです。

わあこれこれ!バスのパンクしてる写真で思い出しました私もこの道を通ってSIEMREAPからPOIPETまで車で行ったのが2000年ごろでしたからほぼ同時期です。

ひどい道でしたねーこのガタガタ道。デコボコの石の上を走るようなものですよね。ひどいデコボコでも避けようが無くってバスの天井に頭打ちそうなほど飛び跳ねてました。
その時ちょうど雨季の真っ最中。田園地帯入ると道路沿いの田んぼから水が溢れて道というより泥の道。ヌルヌルと歩くようなスピードで走ってました。
パンクこそしなかったもののひどい泥濘とデコボコ道、ここの旅はわたしにとっても人生最悪のバスの旅のひとつであります。

道路沿いには泥濘に呑まれて行き倒れとなったバスやトラックなんかが放置されてて、それを眺めながらのドライブはホントに着くのかとドキドキでしたね。(わたしはヴェトナムから来てタイランドに抜けたので片道で済んだので良かった!)

けっきょく到着までに5-6時間だったでしょうかPOIPETまで、当時30歳くらいだったわたしでもクタクタでした。

最近はしっかりいい道が舗装されたようでツアーバス路線バスがんがん走ってるそうですよ。こういう苦労話、最近の若いバックパッカーに話しても「知らんがな」って感じで通じないんで残念です。

アンコールはじっくり見て回りましたがそれよりもこのバスの旅のほうが強烈に印象に残っています。だから旅は面白いのかと思いますが。

ではまたお体に気を付けてバスの旅楽しんでください。

2018-06-15 金 09:35:52 | URL | オカダ #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

オカダさん

コメントありがとうございます。

同じ体験をされた方がいるなんて・・・いやぁ~ 本当にきつい行程でした。
実は、私もベトナムへ抜けるルートを考えていたのですが、もうあの道で怖くなってしまい、山越えもある見知らぬ怖さより、知っている困難を選んで同じ道を戻りました。

アンコールワットの素晴らしさは例えようもないのですが、それにも増して強烈な印象を残したあのバスと道は・・・私も一生忘れる事はないでしょう。

2018-06-15 金 10:14:10 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

alsterさんも陸路でVIETNAM目指されてたのでですか、行かなかったのは残念ですが懐かしい話であれこれ思い出したので少し追記しておきます

きのうのコメントにも書きましたように2000年ごろVIETNAM SAIGON から陸路でPHNOMPENH経てTHAILANDまで行ったのですが、当時SIEMREAP-POIPET 間よりヒドい道はありませんでしたよ。

というかPHNOMPENH-SIEMREAPはバスは無くボートだったのです。
PHNOMPENH中心部からはボートで川をさかのぼりTONLESAP湖へ。そこでバスに乗り換えて SIEMREAPの街へというのがここの移動の唯一の方法であったと思います。
時間は5-6時間くらいチケットは12ドルくらいだったでしょうか。
バスは無いものか?とPHNOMPENHでバス会社歩いて訪ねて探しましたがありませんでした。もしかしたら短距離のローカルをいくつか乗り継げばという方法ならあったかもしれませんが旅行者としてはそれが一択であったと思います。
その後にSIEMREAP-POIPETのバスでCAMBODIA国内のヒドい道路事情を知ることになるのでそれはそれで良かったなと思いました。

さて最後に
SIEMREAP-POIPET間のバス移動ですが、今どうなってるのか気になってバス会社のチケットサイトで調べたら所要時間なんとなんと1h45mでした。信じられます?値段もわずか$6.60と激安。ショックです。

2018-06-16 土 18:07:55 | URL | オカダ #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

オカダさん

色々教えていただき感謝です。しかし、2時間かからないのですか!私の人生でワースト5に入るあの道が・・・変わったものですねぇ~ 何度か経験したくなってきました(笑)

ボートの話で思い出しましたが、ベトナムからメコン川を遡ってプノンペンまで行く船旅も考えた事があります。当時は状況がよく分からずギブアップしましたが、今はきっとそんなツアーがあるように思えます。

いずれにしても、もう無茶な旅は出来ない身体ですが・・・

ありがとうございます。

2018-06-16 土 21:57:55 | URL | ALSTER #- [ 編集 ]

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ALSTER

Author:ALSTER
 
ALSTER(アルスター) 深川生まれの江戸っ子。アジア・ヨーロッパ・アメリカなどで海外在住28年超。55歳で日本企業を早期定年退職後アメリカで現地採用され2014年末退職。その後3年半タイでロングステイ。90年代前半からパソコン通信・PC改造・ホームページ運用を行い世界中からアクセス。そんな趣味から海外アクセス術、旅先通信本などの出版にも関わる。ヨーロッパ、北米、東南アジアの国々はほとんど訪れ、旅行にお酒・食べ歩き大好き人間です。

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