シンガポール今昔物語
最初にシンガポールを訪れたのは1980年代でした。
まだ街には屋外に屋台や簡易食堂のような仮店舗が集まったホーカーセンターが点在し、裸電球もまぶしく多くの人が肩を触れながら食べていたものです。
中華ならあそこ、マレー料理ならどこどこ、インド料理はあっち・・・のように美味い屋台は当時から人の列が絶えなかったものです。
それがいつからか行政指導で屋外のホーカーセンターは消えて、ビルの中や大きな建屋の中に整然と店が並ぶようになりました。クーポンこそ使いませんがタイのフードコートのようです。
昨日までシンガポールを訪れていましたが、いったい何回目でしょう・・・
タイ勤務時はもちろんですが、その前からシンガポールは度々訪れていました。実は全部仕事で出張として訪れていました。
シンガポールは私が勤めていた会社も、関係した多くの企業も、アジアの中で統括組織を置いている企業が多かったのです。工場はアジア各地にあっても、法務・知財・資材などシンガポールに本部を置いてアジアをまとめていたのです。それで度々出張しました。
2002年のALSTER。サマセット・モームが「東洋の神秘」と評したラッフルズ・ホテルでお約束のシンガポールスリングを楽しんでいます。
出張ですからタイからなら2時間半ぐらいでシンガポールに着きますし、まぁ一泊もあれば十分に仕事が出来たのです。
冒頭に書いた1980年代は中華系。マレー系にインド系の人々が混在し、何かすごいエネルギッシュな街だと感じていました。
今回の旅でもすごいエネルギーを感じましたが、それはかなりコンセプトがしっかりして、街全体と言うか国全部をすごい勢いで開発している感じがしました。
今回2013年のALSTER。街も変わりましたが、私も変わったものです。
バンコクなんかばらばらに勝手にビルを作ったり、道路を広げたり、都心部の交通機関も新旧入り混じって、行き当たりばったりな感じなのですが、シンガポールはそれが全く見られず、整然としかも街全体をどうすべきかしっかりとした設計図があるようです。
美しく開発されたリバーサイドを闊歩する現在のシンガポーリアン、辮髪の商人は何を見続けているのでしょう・・・
それはアジアの混沌とした路地や市場が好きな私にとって、シンガポールは洗練過ぎて居心地が悪いのです。まるで街路樹の一本一本まで間隔を測り木の大きさまでそろえているように思えます。
これからもシンガポールはますます美しい都市になると思います。ベイフロントは奇抜なデザインのホテルが人気ですし、ラスベガスのようにビル内に川を流し舟を浮かべたショッピングモールにカジノ。リバーサイドも魅力的です。
そんな巧妙に設計された都市にもっと多くの人々が観光で訪れるでしょう。ある意味日本が見習うべき姿も多く見かけました。
ただ私にはこの20数年で屋台が消えたように、これからもどんどんアジアの生活感が肌で感じられるような街ではなくなり、無機質のビルが建ち並ぶだけの魅力ない街になるように思えるのです。
そんな寂しさすら感じながら、シンガポールを後にしました。
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2013.07.05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅先通信
